夜のホテルニューオータニの庭園、上智大学など紀尾井町を歩いてみよう

紀尾井町にある旧李王家東京邸の洋館外観
【紫色:主な見附 白色:主なスポット 青色:現在の主要線路】見附とは見張り番所がある城門のことで、江戸城の見附は主に枡形門と堀に架けられた橋が一体となったものが多かった。実際は36以上あったが俗に江戸城三十六見附と呼ばれている。現在でも一部残っている。
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千代田区紀尾井町

江戸時代の初期から、この界隈には大名屋敷が置かれていました。安政3年(1856年)の絵図にも見られるとおり、紀伊和歌山藩徳川家上屋敷、尾張名古屋藩徳川家中屋敷、近江彦根藩井伊家中屋敷がありました。

紀尾井町の名前は、紀伊徳川・尾張徳川、彦根井伊の三家よりそれぞれ一字ずつ取って名付けられたものです。また、紀尾井坂より南、弁慶橋あたりまでの低地は、清水がわき出ることから「清水谷」と呼ばれていました。

これらの大名屋敷は、明治5年(1872年)、新たに麹町紀尾井町に生まれ変わり、明治11年(1878年)、麹町区に所属します。明治以降の紀尾井町は、政府用地、北白川宮邸(のちの李王邸、現・赤坂プリンスホテル)や伏見宮邸(現・ホテルニューオータニ)、行政裁判所(現・城西大学)、尾張徳川邸(現・上智大学)などになりました。

明治7年(1874年)、赤坂喰違付近で岩倉具視が襲われ、同11年(1878年)には清水谷前の道で、時の内務卿大久保利通が暗殺されました。事件後、現場近くの地に大久保利通の哀悼碑が設置され、のちに整備されて清水谷公園となりました。

今回行くところ

  1. 今回いくところ
  2. 花の広場
    東京ガーデンテラス紀尾井町の玄関口にあたる広場です。中央には、大巻伸嗣による《Echoes Infinity~Immortal Flowers~》が立ち、江戸の花文様を取り入れた大きな花束と蝶が表現されています。近くで文様を見たあと、少し離れて紀尾井タワーや周囲の緑と重ねて眺めると、作品の印象が変わります。
  3. 和歌山藩紀伊家屋敷跡
    弁慶濠沿いの一帯は、徳川御三家の紀州徳川家の上屋敷跡です。初代藩主は徳川家康の十男・頼宣で、紀州家からは8代将軍吉宗と14代将軍家茂が出ました。東京ガーデンテラス紀尾井町の敷地内には屋敷の石組遺構の一部が移築され、現代の建物の足元に江戸時代の痕跡を見られます。
  4. 旧李王家東京邸
    1930年、李王家の東京本邸として旧宮内省内匠寮の設計で建てられました。チューダー様式を基調とする洋館で、2011年に東京都指定有形文化財となり、再開発では曳家と修復を経て保存されました。急勾配の屋根や外壁の意匠、背後の高層建築との対比が見どころです。
紀尾井町にある旧李王家東京邸の洋館外観
旧李王家東京邸(赤坂プリンス クラシックハウス)、2010年。撮影:Wiiii/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。
紀尾井町に建つ東京ガーデンテラス紀尾井町の外観
東京ガーデンテラス紀尾井町。Wikimedia Commons掲載画像。
  1. 「System No.31」ジュリアン・ワイルド
    イギリスの彫刻家ジュリアン・ワイルドによる、2016年制作のステンレス彫刻です。高さと幅は約2メートルで、細い線が重なる白銀の楕円は、樹木の枝や蜘蛛の巣を思わせます。正面と側面では輪郭が大きく変わるため、角度を変えながら背景の緑や光の透け方を見るのがおすすめです。
紀尾井町に建つホテルニューオータニのザ・メイン外観
ホテルニューオータニ ザ・メイン。Wikimedia Commons掲載画像。
  1. ホテルニューオータニ 日本庭園
    庭園の記録は400年以上前にさかのぼり、加藤清正の下屋敷、彦根藩井伊家の中屋敷、伏見宮邸を経て、1964年のホテル開業時に受け継がれました。約1万坪の池泉回遊式庭園で、池と滝、朱色の太鼓橋、石灯籠、佐渡産の赤玉石、江戸時代から残る樹木などを見ながら歩けます。
ホテルニューオータニ日本庭園の池と滝
ホテルニューオータニ日本庭園の滝、2014年12月3日。撮影:Kakidai/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。
  1. 近江彦根藩井伊家屋敷跡
    ホテルニューオータニ一帯は、彦根藩井伊家の中屋敷跡です。井伊家の上屋敷は現在の憲政記念館付近にあり、紀尾井町の屋敷は幕末まで中屋敷として使われました。庭園の高低差や古木を見ながら、かつての広大な屋敷地を重ねて見るのが見どころです。
  2. 開業25周年記念ガス燈
    ホテルニューオータニの開業25周年を記念し、1989年9月1日に東京ガスから寄贈されたガス燈です。台座の銘板には寄贈日と寄贈者が記されており、1964年のホテル開業から四半世紀を祝った記念物であることがわかります。
  3. 尾張名古屋藩徳川家屋敷跡
    上智大学一帯は、徳川御三家の尾張徳川家が1637年に拝領した中屋敷跡です。幕末まで世嗣や隠居の住まいなどに使われました。大学キャンパスの広い敷地や周囲との高低差に、大名屋敷の地割りが引き継がれた様子を感じられます。
  4. 尾張藩徳川家中屋敷の石垣
    上智大学外周の外濠側には、尾張徳川家中屋敷に関係する石垣の一部が残っています。石の大きさや積み方に加え、道路とキャンパスの高低差を見ると、屋敷を支えた地形と外濠沿いの構えを想像しやすくなります。
  5. (上智大学の正門通過)
    上智学院は1912年に紀尾井町の校地を取得し、1913年に上智大学を開校しました。正門付近では、尾張徳川家の中屋敷跡が近代の大学キャンパスへ転換した歴史を意識して歩けます。構内には1932年竣工の1号館も残っています。
  6. 上智大学6号館ソフィアタワー
    2016年に竣工した、教育研究施設とオフィスを併せ持つ上智大学のシンボル的な建物です。1階には大学の歴史を紹介する展示スペースがあり、敷地内から発掘された江戸末期のかまども展示されています。高層建築の外観だけでなく、尾張徳川家中屋敷から大学へ続く土地の変遷にも注目できます。
上智大学四谷キャンパスの6号館ソフィアタワー
上智大学ソフィアタワー、2017年12月。撮影:Libor/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。
  1. カトリック麹町 聖イグナチオ教会
    前身の聖テレジア教会は1936年に創立され、1945年の空襲で焼失しました。戦後、麹町教会の司牧がイエズス会に委託され、1949年に聖イグナチオ教会が献堂されました。現在の聖堂は1999年に完成し、主聖堂の楕円形は卵の形を通して生命と復活を象徴しています。正式名称はカトリック麹町教会で、上智大学とは別組織ですが、いずれもイエズス会と深い関係があります。
上智大学四谷キャンパス前に建つ聖イグナチオ教会
聖イグナチオ教会、2007年10月9日。撮影:Alex Tora/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 運営者
なかまつ

北海道大学工学部卒。現在はIT系会社員の傍ら、年間400回以上の街歩きイベントを企画し、これまで延べ25,000名以上の方にご参加いただいている、ゆる歴史散歩サークルを運営しています。東京の歴史・文化・建築・地形などを、初心者でも気軽に楽しめるイベントとして企画しています。

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