ハリウッドの歴史|映画の街はなぜ生まれ、世界を動かす産業になったのか

「ハリウッド」と聞くと、赤いじゅうたん、映画スター、巨大な看板、華やかな授賞式を思い浮かべる人が多いかもしれません。

けれども、ハリウッドは最初から“夢の都”だったわけではありません。19世紀末から20世紀初頭にかけて、映画はまだ見世物、発明品、短い娯楽の一つでした。しかも初期の映画産業の中心は、カリフォルニアではなく、ニューヨークやニュージャージーなど東海岸にありました。

では、なぜロサンゼルス郊外の一地域が、世界中の映画、スター、娯楽文化を生み出す巨大産業の象徴になったのでしょうか。

答えは一つではありません。天候、地形、土地、鉄道と都市開発、特許をめぐる争い、移民の起業家精神、スタジオ制、スターシステム、検閲、テレビとの競争、ブロックバスター、巨大IP、配信サービス。これらが何重にも重なって、ハリウッドは「物語を作る産業」になりました。

この記事では、作品紹介ではなく、ハリウッドを一つの産業と文化システムとして見ていきます。

30秒でわかる結論

ハリウッドは、ただ映画スタジオが集まった場所ではありません。

  • 初期映画産業はニューヨーク、ニュージャージー、シカゴなどにも拠点がありました。
  • 映画会社が西海岸へ向かった理由は、晴天、多様な風景、安い土地、スタジオ建設のしやすさ、特許支配からの距離などが重なったためです。
  • 1920〜40年代には、映画会社が制作・配給・映画館・俳優契約を大きく支配する「スタジオ制」が強まりました。
  • スターシステムによって、俳優は作品を超えたブランドになりました。
  • トーキー、ヘイズ・コード、第二次世界大戦、テレビ、独占禁止法は、映画の作り方と表現を大きく変えました。
  • 1970年代以降は、ニューシネマからブロックバスター、巨大IP、配信時代へと中心が移りました。

つまりハリウッドとは、技術、資本、スター、宣伝、規制、世界市場が結びついて生まれた、近現代の巨大な「物語工場」なのです。

ハリウッドとはどこか|地名であり、映画産業の比喩でもある

ハリウッドは、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス市内の地区です。現在の行政上はロサンゼルスの一部ですが、もとは独立した自治体でした。20世紀初頭にロサンゼルスへ編入され、その後、映画産業の発展とともに世界的な名前になっていきます。

ここで大切なのは、「ハリウッド」という言葉には二つの意味があることです。

一つは、ロサンゼルス市内の具体的な地名としてのハリウッドです。ハリウッド大通り、ハリウッドサイン、映画館、観光地としてのイメージはこちらに近いものです。

もう一つは、アメリカ映画産業全体を指す比喩としてのハリウッドです。実際には、スタジオや企業の多くはバーバンク、カルバーシティ、ユニバーサルシティなど周辺地域にも広がっています。それでも、世界の人々はアメリカ映画の巨大産業をまとめて「ハリウッド」と呼びます。

つまりハリウッドは、地図上の一地区であると同時に、「アメリカ映画が世界へ物語を送り出す仕組み」の名前でもあるのです。

全体像|ハリウッド史を動かした大きな転換点

時期 転換点 何が変わったか
1890年代 映画機器と短編映画の発展 映画は発明品・見世物から、大衆娯楽へ向かい始めました。
1910年代 映画会社の西海岸移動 天候、風景、土地、特許問題などを背景に、ロサンゼルス周辺で制作が増えました。
1920〜40年代 スタジオ制とスターシステム 映画会社が制作、配給、映画館、俳優契約を大きく管理しました。
1927年以降 トーキーの普及 音声、音楽、台詞が映画の中心になり、演技や映画館設備も変わりました。
1930〜60年代 ヘイズ・コード 性、暴力、犯罪、宗教などの表現に自主規制がかかりました。
1940〜50年代 戦争、独占禁止法、テレビ 映画は国家と結びつき、同時に映画館中心の黄金時代は揺らぎました。
1960〜70年代 ニューシネマ 若者文化、反体制、社会不信が映画表現に入り込みました。
1970年代後半以降 ブロックバスター 映画は全国一斉公開、宣伝、関連商品、続編を伴う巨大イベントになりました。
2000年代以降 巨大IPと配信 映画館、テレビ、配信、テーマパーク、グッズが一体化する時代になりました。

映画産業は、最初からハリウッドにあったわけではない

映画の歴史は、いきなりハリウッドから始まったわけではありません。

19世紀末、動く映像は発明家や興行師の世界にありました。トーマス・エジソンの研究所では、動く映像を撮影するカメラや、のぞき穴から映像を見る装置が開発されました。1890年代の映画は、長い物語というより、短い動きや出来事を見せる新しい見世物に近いものでした。

当時の制作拠点は、ニューヨーク、ニュージャージー、シカゴなどにありました。観客も、都市の繁華街にできた安価な映画館、いわゆるニッケルオデオンで短い映画を見ていました。映画はまだ、劇場芸術や文学のような「高級文化」ではなく、安く、早く、繰り返し消費される都市の娯楽でした。

しかし、観客が増えると、映画会社はもっと多くの作品を安定して作らなければなりません。短編だけでなく、複数リールの長い作品、物語性の強い映画、スターを前面に出した作品も求められるようになります。この需要の拡大が、制作場所を変える大きな力になりました。

なぜ映画会社はカリフォルニアへ向かったのか

ハリウッドが映画の街になった理由として、よく「エジソンの特許から逃げたから」と説明されます。これは一部としては重要ですが、それだけでは足りません。

初期のアメリカ映画産業では、撮影機材や映写機をめぐる特許が大きな力を持っていました。東海岸では、特許を持つ企業や団体が映画会社へ圧力をかけることがあり、独立系の映画人にとっては自由に制作しにくい環境でした。西海岸へ行けば完全に無関係になれるわけではありませんが、東海岸の業界支配から距離を置きやすかったのです。

ただし、映画会社がロサンゼルス周辺に残った理由は、それ以上に実用的でした。

晴天と長い撮影時間

当時の映画撮影では、自然光がとても重要でした。照明技術が未発達だったため、屋外で明るく撮れることは大きな利点です。南カリフォルニアは晴天が多く、年間を通じて撮影しやすい地域でした。

海、山、砂漠、街が近い

ロサンゼルス周辺には、海岸、山、砂漠、農地、都市風景が比較的近い範囲にあります。西部劇、歴史劇、異国風の物語、都会のドラマなど、さまざまな背景を移動距離の短い範囲で撮影できました。

広い土地とスタジオ建設

映画が短い見世物から長編作品へ変わると、撮影所、セット、衣装、倉庫、編集室、現像設備などが必要になります。ロサンゼルス周辺には、東部の大都市に比べて広い土地を確保しやすいという利点がありました。

都市開発と移民の起業家精神

20世紀初頭のロサンゼルスは、人口と交通網が急速に拡大していた都市でした。鉄道、不動産開発、観光イメージ、温暖な気候への憧れが重なり、外から来た人々が新しい商売を始めやすい空気がありました。

アカデミー・ミュージアムの常設展「Hollywoodland」は、初期ロサンゼルスの映画産業を、移民の起業家たちが作った産業として紹介しています。ハリウッドは、単に場所が良かっただけではありません。既存の名門産業に入りにくかった人々が、新しい娯楽産業で機会を見つけた場所でもありました。

スタジオ制の誕生|映画は工場のように作られるようになった

ハリウッドを世界的な産業にした最大の仕組みが、スタジオ制です。

スタジオ制とは、映画会社が撮影所を持ち、俳優、監督、脚本家、撮影技師、美術スタッフなどを契約で抱え、作品を継続的に作り、配給し、場合によっては映画館まで支配する仕組みです。

代表的な大手として、MGM、Paramount、Warner Bros.、20th Century-Fox、RKOが「ビッグ・ファイブ」と呼ばれました。さらに、Columbia、Universal、United Artistsなども重要な役割を持ちました。

ここでのポイントは、スタジオが単なる「撮影場所」ではなかったことです。スタジオは、脚本開発、撮影、編集、宣伝、配給、劇場公開までを組み合わせた巨大な生産システムでした。

工場では、部品、設計、作業員、流通網が組み合わさって製品が作られます。ハリウッドのスタジオでは、脚本、スター、セット、音楽、宣伝、映画館が組み合わさって「映画」という商品が作られました。

もちろん、映画は工業製品と同じではありません。芸術性も、偶然のひらめきも、俳優や監督の個性もあります。しかし、毎年大量の映画を安定して送り出すには、個人の才能だけでなく、組織化された制作体制が必要でした。スタジオ制は、その答えだったのです。

スターシステム|俳優は作品を超えた商品になった

初期の映画では、俳優名が大きく宣伝されないこともありました。観客は「どの会社の映画か」「どんな題材か」で映画を選んでいました。

しかし、観客は次第に画面の中の人物に注目するようになります。「あの俳優が出ている映画を見たい」という欲望が生まれると、映画会社はそれを宣伝に利用しました。

これがスターシステムです。

スターシステムとは、俳優を単なる出演者ではなく、作品を超えた商品価値を持つ存在として売り出す仕組みです。チャーリー・チャップリン、メアリー・ピックフォード、グレタ・ガルボ、クラーク・ゲーブルのようなスターは、映画会社にとって観客を呼ぶ看板になりました。

スターは、スクリーンの中だけで作られたわけではありません。雑誌、写真、ゴシップ欄、ファンクラブ、宣伝文句、契約制度がスター像を作りました。映画会社はスターの魅力を高める一方で、契約によって出演作やイメージを管理しました。

この仕組みは、ハリウッドを「映画を作る街」から「夢を見る対象を作る街」へ変えました。観客は物語を見るだけでなく、スターの生き方、恋愛、ファッション、声、表情に憧れるようになったのです。

サイレント映画からトーキーへ|音が映画を変えた

1920年代後半、映画に音が入ると、ハリウッドは再び大きく変わりました。

1927年公開の『ジャズ・シンガー』は、長編映画に同期した歌や台詞を組み込んだ作品として、トーキー時代の象徴になりました。ここでいうトーキーとは、映像に合わせて音声や台詞が流れる映画のことです。

音は、映画に単に声を足しただけではありません。

まず、俳優の条件が変わりました。サイレント映画では、表情や身ぶりが大きな武器でした。しかしトーキーでは、声、発音、歌、台詞回しが重要になります。人気のあった俳優でも、声や話し方が観客に合わなければ活躍が難しくなりました。

次に、脚本の意味が変わりました。字幕で説明していた情報を、会話で伝えられるようになった一方で、台詞が増えすぎると映画らしい動きが弱くなる危険もありました。

さらに、映画館側にも大きな投資が必要でした。音声を再生する装置を導入しなければ、トーキーを上映できなかったからです。

国際市場にも影響がありました。サイレント映画は、字幕を差し替えれば世界中に売りやすい面がありました。しかし音声が入ると、言語の壁が強まります。吹き替え、字幕、多言語版制作が大きな課題になりました。

音の登場は、技術革新であると同時に、俳優、脚本、映画館、国際市場を巻き込む産業全体の再編だったのです。

大恐慌とヘイズ・コード|夢の工場は何を描けなかったのか

1930年代、アメリカは大恐慌に苦しみました。失業、不安、貧困が広がるなかでも、映画館は重要な大衆娯楽であり続けました。映画は、現実から一時的に離れる場所であり、同時に社会不安を映す鏡でもありました。

ミュージカルは明るい歌と踊りで観客を楽しませ、ギャング映画は犯罪と都市の不安を描き、コメディは苦しい時代の笑いを提供しました。ファンタジー映画は、現実とは違う世界へ観客を連れていきました。

一方で、映画の影響力が大きくなるほど、「映画は社会の道徳を乱すのではないか」という批判も強まります。その結果、映画産業は自主規制の仕組みを整えました。それが一般にヘイズ・コードと呼ばれるProduction Codeです。

ヘイズ・コードは、性、暴力、犯罪、宗教、結婚、道徳、薬物などの描き方に制限を加えました。特に1934年以降、Production Code Administrationの運用が強まり、脚本や完成作品がコードに合うかどうか確認されるようになります。

ただし、ヘイズ・コードを単純に「悪い検閲」とだけ見ると、時代の構造が見えにくくなります。映画産業は、政府による直接規制や各地の検閲を避けるため、自分たちでルールを作りました。宗教団体、道徳運動、観客の反応、金融機関、映画会社の利益が絡み合っていたのです。

その結果、映画は多くのことを直接描けなくなりました。しかし同時に、作り手は暗示、会話の含み、視線、編集、ジャンルの形式を使って、制限の内側で表現する方法も磨きました。ハリウッド映画の洗練された会話劇やフィルム・ノワールの陰影には、この制約の時代が残した技術も含まれています。

第二次世界大戦とハリウッド|娯楽産業は国家と結びついた

第二次世界大戦中、ハリウッドは単なる娯楽産業ではありませんでした。映画は、国民の士気を高め、戦争の意味を説明し、兵士や銃後の人々を動員するメディアになりました。

アメリカ政府は1942年にOffice of War Informationを設け、映画、ラジオ、出版物などを通じて国内外へ情報を発信しました。ハリウッドの映画会社やスターも、戦時公債の販売、慰問、ニュース映画、訓練映画、戦争映画に関わりました。

ここで見えてくるのは、映画の二面性です。映画は観客を楽しませる商品であると同時に、大衆の感情や政治意識に影響を与えるメディアでもありました。

戦争は、ハリウッドの国際的な力も強めました。ヨーロッパの映画産業が戦争で大きな制約を受けるなか、アメリカ映画は戦後の世界市場でさらに大きな存在感を持つようになります。

テレビの登場とスタジオ制の崩壊

1940年代後半から1950年代にかけて、ハリウッドの黄金時代は揺らぎ始めます。原因は一つではありません。

大きな転機の一つは、1948年の最高裁判決、United States v. Paramount Picturesです。司法省は、大手映画会社が制作、配給、映画館を結びつけて市場を支配しているとして問題視しました。判決とその後の同意判決によって、映画会社は劇場所有や配給慣行を見直さざるを得なくなります。

これは、スタジオ制の土台を大きく揺らしました。映画会社が映画館まで押さえ、作品を安定して流し込む仕組みが弱まったからです。

もう一つの衝撃がテレビです。

家庭にテレビが普及すると、観客はわざわざ映画館へ行かなくても、家で映像を楽しめるようになりました。映画館は、日常的な娯楽の王座をテレビと争うことになります。

ハリウッドはこれに対抗するため、ワイドスクリーン、大画面、カラー映画、立体音響、スペクタクル大作を強めました。つまり映画は、「家では味わえない大きな体験」を売る方向へ進んだのです。

同時に、俳優や監督の契約制度も変わっていきます。長期契約でスタジオに抱え込まれる時代から、作品ごとに人材を集めるプロジェクト型の制作へ移っていきました。

ニューシネマ|若者と反体制の時代

1960年代後半から1970年代にかけて、アメリカ映画には「ニューシネマ」と呼ばれる流れが生まれました。

この時代の背景には、ベトナム戦争、公民権運動、若者文化、既存の権威への不信があります。アメリカ社会では、政府、企業、家族、軍隊、警察、古い道徳に対して疑問を持つ空気が強まっていました。

映画もその空気を吸い込みます。『俺たちに明日はない』『卒業』『イージー・ライダー』『ゴッドファーザー』などは、従来の明るい成功物語とは違う主人公や結末を描きました。

ここで重要なのは、ニューシネマが単に「暗い映画」だったわけではないことです。古いスタジオ制が弱まり、若い監督や脚本家が新しい表現を試しやすくなった結果、映画は社会の矛盾や若者の孤独を直接描けるようになりました。

ヘイズ・コードが弱まり、1968年には現在につながる映画レーティング制度が始まります。これによって、すべての映画を同じ道徳基準で縛るのではなく、観客の年齢や保護者判断に応じて区分する方向へ変わりました。

ブロックバスターの誕生|映画はイベントになった

1970年代後半、ハリウッドはもう一度、大きな方向転換をします。

『ジョーズ』や『スター・ウォーズ』の成功は、映画を「公開されたら見に行く作品」から、「社会全体が参加するイベント」へ変えました。

ブロックバスター映画とは、巨額の宣伝費、大規模公開、分かりやすい見どころ、関連商品、続編展開を伴う大ヒット狙いの映画です。夏休みや年末など、多くの観客が映画館へ行きやすい時期に全国規模で公開し、テレビCM、ポスター、雑誌、玩具、音楽、タイアップを組み合わせます。

ここで、映画は再び「工場」に近づきます。ただし古典的スタジオ制のように毎週大量の映画を流す工場ではありません。一つの巨大作品を中心に、宣伝、グッズ、続編、テーマパーク、テレビ放送、ビデオ、ゲームへ広げる工場です。

この流れは、1980年代以降のフランチャイズ映画へつながります。映画は一作で完結する物語であると同時に、キャラクターや世界観を長く運用するビジネスになっていきました。

ディズニー、マーベル、スター・ウォーズ|巨大IPの時代

21世紀のハリウッドを理解するうえで欠かせない言葉が、IPです。IPとは知的財産のことで、映画ではキャラクター、世界観、物語、ブランドを指すことが多い言葉です。

古典的なハリウッドでは、スターやジャンルが観客を呼びました。現代では、それに加えて「このシリーズの続きが見たい」「この世界観を追いかけたい」という力が大きくなっています。

ディズニーは、その代表例です。2006年にピクサー、2009年にマーベル、2012年にルーカスフィルムを取得し、アニメーション、スーパーヒーロー、スター・ウォーズという強力な世界観を自社グループへ取り込みました。

これによって、映画は映画館だけの収益ではなくなります。キャラクター商品、テーマパーク、配信サービス、テレビシリーズ、ゲーム、出版、音楽がつながります。観客は一つの映画を見て終わるのではなく、何年も同じ世界観に参加し続けるようになります。

ただし、巨大IPの時代には弱点もあります。安全なシリーズに投資が集中すると、新しい作家や小規模な作品が埋もれやすくなります。観客も、驚きより「知っているものの安心感」を選びやすくなります。ハリウッドは、常に新しい物語を作る力と、既存ブランドを拡張する力の間で揺れています。

配信時代のハリウッド|Netflixは何を変えたのか

2000年代以降、DVD、インターネット、スマートフォン、定額配信サービスが、映画産業の前提を変えました。

Netflixは、もともとDVDレンタル事業から始まり、2007年にストリーミングサービスを開始しました。2016年には一気に多くの国へサービスを広げ、映画やドラマを見る習慣を大きく変えました。

配信が変えたのは、単に「家で映画を見やすくなった」ことだけではありません。

第一に、公開の時間が変わりました。映画館では、決まった時刻に観客が集まります。テレビでは、番組表に合わせて見ます。しかし配信では、観客が見たい時に見ます。

第二に、作品の単位が変わりました。映画、テレビドラマ、ミニシリーズ、ドキュメンタリー、アニメ、リアリティ番組が、同じ画面上で並ぶようになりました。映画会社、テレビ局、IT企業の境界も曖昧になります。

第三に、世界市場の意味が変わりました。かつてアメリカ映画は、ハリウッドから世界へ輸出されるイメージが強いものでした。配信時代には、韓国、スペイン、インド、日本など各国の作品が同じプラットフォームで世界へ届きます。ハリウッドは依然として強い影響力を持ちますが、世界の映像文化は一方通行ではなくなっています。

ただし、「配信でハリウッドは終わった」と断定するのは早すぎます。現在は、映画館、配信、テレビ、シリーズ作品、国際共同制作、SNS宣伝が併存する時代です。ハリウッドは地名としての中心性を一部失いながらも、資本、宣伝、契約、スター、技術の集積としては今も大きな力を持っています。

ハリウッドへの批判|夢の工場の影

ハリウッドは「夢の工場」と呼ばれてきました。しかし、工場である以上、そこには労働、権力、差別、契約、利益配分の問題があります。

初期のスターシステムでは、俳優の私生活やイメージが会社によって管理されました。スタジオ制のもとでは、長期契約によって安定した仕事が得られる一方、作り手の自由は制限されました。

人種表象やジェンダーの問題もあります。ハリウッド映画は世界中にアメリカ的な夢を広げた一方で、長い間、白人中心、男性中心の視点を標準としてきました。マイノリティや女性は、画面の中でも制作現場でも不平等を経験してきました。

近年では、配信時代の報酬、AIによる俳優のデジタル複製、脚本家やスタッフの働き方が大きな争点になりました。2023年の脚本家・俳優のストライキは、ハリウッドが今も「技術の変化」と「働く人の権利」の間で揺れていることを示しました。

ハリウッドの歴史は、華やかな成功物語だけではありません。夢を売る産業が、誰の夢を優先し、誰の労働で成り立ち、誰の声を見えにくくしてきたのかを問い続ける歴史でもあります。

現地で見られるハリウッド史

ロサンゼルスを訪れる機会があれば、ハリウッドの歴史は観光名所の中にも残っています。

  • Academy Museum of Motion Pictures:映画史、映画技術、スタジオの起源、衣装や資料を学べる博物館です。
  • Hollywood Boulevard:観光地化されていますが、映画館文化とスター崇拝の記憶が集まる場所です。
  • TCL Chinese Theatre:プレミア上映やスターの手形・足形で知られる歴史的映画館です。
  • Hollywood Sign:もとは不動産広告でしたが、やがて映画都市の象徴になりました。
  • 旧スタジオ跡や周辺都市:実際の映画産業は、ハリウッド地区だけでなく、バーバンク、カルバーシティ、ユニバーサルシティなどに広がっています。

日本で映画史をたどるなら、東京・京橋の国立映画アーカイブも重要です。日本映画との比較は、当サイトの国立映画アーカイブでたどる日本映画の歴史でも紹介しています。アニメ産業とのつながりは、日本アニメの歴史スタジオジブリの歴史を読むと、スタジオ、配給、テレビ、キャラクタービジネスの違いが見えやすくなります。

よくある誤解

誤解1:ハリウッドは最初から映画の中心だった

初期の映画産業は、東海岸にも大きな拠点がありました。ハリウッドが中心になったのは、1910年代以降の制作移動と、スタジオ制の発展が重なった結果です。

誤解2:映画会社はエジソンから逃げるためだけに西へ行った

特許問題は重要ですが、それだけではありません。晴天、多様なロケ地、安い土地、スタジオ建設、都市の成長、労働環境など、複数の要因がありました。

誤解3:スタジオ制は映画をつまらなくしただけだった

スタジオ制は作り手を管理する面がありましたが、同時に高度な分業、技術、人材育成、安定した制作を可能にしました。名作も問題点も、この仕組みの中から生まれました。

誤解4:ヘイズ・コード時代の映画は自由がなかっただけ

表現の制限は大きな問題でした。一方で、作り手は暗示、会話、演出で制約をすり抜ける技術を発達させました。規制は映画表現を狭めると同時に、別の工夫も生みました。

誤解5:配信の登場でハリウッドは終わった

映画館中心のモデルは大きく変わりましたが、ハリウッドの資本、制作技術、スター、宣伝力は今も強く残っています。現在は、映画館・配信・テレビ・国際市場が併存する時代です。

FAQ

ハリウッドとロサンゼルスは同じですか?

同じではありません。ハリウッドはロサンゼルス市内の一地区です。ただし、一般にはアメリカ映画産業全体を指す言葉としても使われます。

ハリウッド映画の黄金時代はいつですか?

一般には、1920年代後半から1940年代、または1950年代前半ごろまでを指すことが多いです。スタジオ制、スターシステム、トーキー、ジャンル映画が強く結びついた時代です。

スタジオ制とは何ですか?

映画会社が撮影所、人材、配給、映画館網などを大きく管理し、映画を継続的に大量生産する仕組みです。単に「大きな撮影所がある」という意味ではありません。

スターシステムとは何ですか?

俳優を作品の出演者としてだけでなく、観客を呼ぶブランドとして売り出す仕組みです。宣伝、雑誌、ファン文化、長期契約と深く結びつきました。

ニューシネマとブロックバスターはどう違いますか?

ニューシネマは、1960〜70年代の社会不信や若者文化を背景に、既存の価値観を問い直す映画表現です。ブロックバスターは、1970年代後半以降に強まった、大規模公開・宣伝・関連商品・続編を伴う巨大イベント型の映画です。

まとめ|ハリウッドは「物語を作る産業」だった

ハリウッドの歴史は、一つの街が有名になった話ではありません。

発明としての映画が、都市の大衆娯楽になり、東海岸から西海岸へ移動し、スタジオ制とスターシステムによって巨大産業になりました。音が入り、検閲が表現を変え、戦争が国家との関係を強め、テレビが映画館の地位を揺るがしました。やがてニューシネマが古い物語を壊し、ブロックバスターが映画を巨大イベントに変え、巨大IPと配信が世界中の観客の時間を取り込むようになりました。

ハリウッドは、夢を見せる場所です。しかしその夢は、自然に生まれたものではありません。技術者、脚本家、俳優、監督、編集者、経営者、宣伝担当、映画館、政府、観客、そして世界市場が結びついて作られてきました。

次に映画を見るとき、画面の中の物語だけでなく、その背後にある産業の物語にも少し目を向けてみてください。なぜそのスターがそこにいるのか。なぜそのシリーズが続くのか。なぜ映画館で見る作品と配信で見る作品が違って感じられるのか。

そこには、ハリウッドという巨大な物語工場が、100年以上かけて作ってきた歴史があります。

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参考資料

  1. Academy Museum of Motion Pictures “Hollywoodland: Jewish Founders and the Making of a Movie Capital”
  2. Academy Museum of Motion Pictures “Hollywoodland: The Origins of the Studios”
  3. Library of Congress “Origins of Motion Pictures”
  4. Wisconsin Center for Film and Theater Research “American Cinema in the 1910s”
  5. PBS SoCal / Lost LA “How Did Hollywood End Up in…Hollywood?”
  6. HISTORY “Hollywood”
  7. Academy of Motion Picture Arts and Sciences “The Motion Picture Production Code”
  8. The First Amendment Encyclopedia “Joseph Breen”
  9. Motion Picture Association “Film Ratings”
  10. Justia U.S. Supreme Court Center “United States v. Paramount Pictures, Inc.”
  11. U.S. Department of Justice “The Paramount Decrees”
  12. The National WWII Museum “Projections of America: Introducing the American Way of Life”
  13. The Walt Disney Company “Disney To Acquire Pixar”
  14. The Walt Disney Company “Disney To Acquire Marvel Entertainment”
  15. The Walt Disney Company “Disney to Acquire Lucasfilm”
  16. Netflix “Netflix Is Now Available Around the World”
  17. Netflix Tudum “Netflix Celebrates 25 Years”
  18. Writers Guild of America “Summary of the 2023 WGA MBA”
  19. SAG-AFTRA “2023 TV/Theatrical Contracts”