ハリウッドの歴史|映画の街はなぜ生まれ、世界を動かす産業になったのか

ハリウッドの歴史をテーマに、映画の街と映画産業の発展を描いたアイキャッチ画像

19世紀末、映画は数十秒の動きを見せる発明品として始まりました。制作の中心はニューヨークやニュージャージーにあり、ハリウッドはまだ農地と住宅地が広がるロサンゼルス郊外の町でした。

その町に撮影所、人材、資本、配給網、映画館、宣伝会社が集まり、1920年代には映画を大量生産するスタジオ制が完成します。二度の世界大戦、アメリカの巨大な国内市場、海外配給網、スターとジャンル、テレビ、家庭用ビデオ、巨大IP、配信サービスが重なり、ハリウッドは世界へ映像と価値観を送り出す産業になりました。

30秒でわかる結論

  • 映画産業の出発点は東海岸で、ハリウッドが中心になるのは1910年代以降です。
  • 南カリフォルニアには、晴天、多様な風景、広い土地、成長中の都市、鉄道網という撮影と事業に有利な条件がありました。
  • 特許をめぐる圧力も西部移動を後押ししましたが、「エジソンから逃げた」という一つの理由だけでは説明できません。
  • ユダヤ系移民を中心とする起業家たちが、制作・配給・映画館を結ぶスタジオ制を築きました。
  • アメリカの大きな国内市場、戦争で弱った欧州映画産業、国際配給網、政府の通商支援が海外進出を支えました。
  • 1940〜50年代には、赤狩り、独占禁止法、テレビ普及によって古典的スタジオ制が崩れました。
  • 1970年代以降は、ブロックバスター、家庭用ビデオ、巨大IP、企業買収、配信が収益構造を変えました。

ハリウッドの強さは、作品を作る能力だけでなく、世界中へ届け、宣伝し、別の媒体や商品で繰り返し収益化する仕組みにあります。

ハリウッドとはどこか|地区名と映画産業名の二つの意味

地名としてのハリウッドは、カリフォルニア州ロサンゼルス市内の一地区です。1903年に市として法人化され、人口増加と水不足を背景に1910年にロサンゼルス市へ編入されました。

1911年、ネスター・フィルム・カンパニーがハリウッド最初の常設映画スタジオを開きます。その後、撮影所と関連企業が急増し、地名が映画産業全体を表す言葉へ変わりました。

1911年、サンセット大通りとガワー通りの角に建てられたネスター映画会社の撮影所
ハリウッド最初の常設映画スタジオとされるネスター映画会社の撮影所。1911年。Internet Archive/Wikimedia Commons/Public Domain。

現在の映画産業はハリウッド地区だけに集中していません。バーバンク、カルバーシティ、ユニバーサルシティなど、ロサンゼルス周辺の広い地域に撮影所、テレビ会社、配信企業、制作会社が分布しています。「ハリウッド映画」という言葉は、こうしたアメリカの商業映画産業全体を指す場合があります。

全体像|ハリウッド史の重要年表

時期 出来事 産業への影響
1890年代 映画機器と短編映像の商業化 動く映像が発明品から大衆娯楽へ移りました。
1903年 ハリウッド市が法人化 映画産業到来前の地域社会が形成されました。
1910年 ハリウッドがロサンゼルス市へ編入 水道、交通、都市成長と結びつきました。
1911年 ネスターが常設スタジオを開設 ハリウッド地区に映画制作が定着し始めました。
1910年代 主要会社が南カリフォルニアへ進出 撮影、現像、配給、人材の集積が進みました。
1920〜40年代 スタジオ制とスターシステム 制作・配給・映画館・人材が大手会社の管理下に入りました。
1927年以降 トーキーの普及 俳優、脚本、音楽、映画館設備、海外販売が変わりました。
1934年以降 Production Codeの厳格運用 性、暴力、犯罪、宗教などの表現が制限されました。
1947年 HUAC公聴会とブラックリスト 政治思想を理由に映画人の雇用と表現が制約されました。
1948年 パラマウント最高裁判決 大手による映画館支配と配給慣行が見直されました。
1950年代 テレビ普及と観客減少 大画面、カラー、スペクタクル、テレビ制作が重視されました。
1968年 映画レーティング制度開始 一律の内容規制から年齢区分へ移りました。
1975〜77年 『ジョーズ』『スター・ウォーズ』 全国公開、テレビ宣伝、関連商品を組み合わせるブロックバスター型が定着しました。
1980〜90年代 ビデオ、ケーブルテレビ、複合企業化 旧作ライブラリーと二次利用が大きな資産になりました。
2007年以降 ストリーミングの拡大 公開時期、視聴習慣、収益配分、国際流通が変化しました。

映画産業の出発点は東海岸だった

トーマス・エジソンの研究所では、ウィリアム・K・L・ディクソンらが撮影機キネトグラフと、のぞき穴式のキネトスコープを開発しました。1890年代の映像は、踊り、運動、事件などを短時間で見せる見世物でした。

エジソンの映画撮影所ブラック・マリア
エジソンの映画撮影所「ブラック・マリア」。1890年代。Library of Congress/Wikimedia Commons/Public Domain。

映画そのものの発明競争については、映画を発明したのは誰?エジソン、ディクソン、リュミエール兄弟から日本映画の始まりまでで、撮影機、上映装置、興行へ至る役割分担を整理しています。

初期の制作会社はニューヨーク、ニュージャージー、シカゴなどに拠点を置きました。都市の繁華街には、安い入場料で短編映画を見せるニッケルオデオンが広がります。観客の増加は、より長い物語、多くの作品、安定した配給を求める市場を生みました。

1908年ごろには、エジソンを含む主要企業が特許を共同管理するMotion Picture Patents Companyを組織しました。特許料、フィルム供給、機材の使用をめぐる支配に対し、独立系会社が別の機材とフィルムを確保して対抗します。特許争いは西部移動を促した一因ですが、同時期には長編化と量産化に適した広い制作拠点も必要になっていました。

なぜ映画会社はカリフォルニアへ向かったのか

晴天と自然光

初期の撮影では自然光が重要でした。晴天の多い南カリフォルニアでは、季節による中断を減らし、屋外撮影を長く続けられました。制作日数を読みやすいことは、毎週のように新作を供給する会社にとって大きな利点でした。

海、山、砂漠、農地、都市が近い

ロサンゼルス周辺には、海岸、山地、砂漠、農地、住宅地、繁華街が比較的近い範囲にあります。西部劇、戦争劇、歴史劇、異国を舞台にした物語、都会のドラマを短い移動で撮影できました。一つの地域を世界各地に見立てられることが、制作費と移動時間を抑えました。

広い土地と成長中の都市

長編映画の制作には、屋内ステージ、屋外セット、衣装倉庫、現像所、編集室、事務所が必要です。南カリフォルニアでは大規模な土地を確保しやすく、人口、鉄道、電力、建設業も成長していました。1915年に開業したユニバーサル・シティは、複数作品を同時に撮影できる巨大な会社町のような施設でした。

1915年、巨大撮影所として開業したユニバーサル・シティの正門
ユニバーサル・シティ撮影所の正門、1915年3月31日。Mississippi Department of Archives and History/Wikimedia Commons/Public Domain。

特許支配からの距離

東海岸の特許保有企業から地理的に離れた西海岸は、独立系会社が活動する余地を広げました。ただし、特許訴訟だけでハリウッド誕生を説明すると、気候、土地、都市成長、長編化という重要な条件が抜け落ちます。西部移動は複数の経済条件が同時に整った結果です。

誰がハリウッドを作ったのか|移民起業家と八つのスタジオ

初期スタジオ制の形成では、主に中東欧から渡ったユダヤ系移民と、その家族が大きな役割を担いました。カール・レムリはユニバーサル、アドルフ・ズーカーはパラマウント、ウィリアム・フォックスはフォックス、ワーナー兄弟はワーナー・ブラザース、ルイス・B・メイヤーはMGMの形成に関わりました。

1915年から1920年頃、ユニバーサル映画創業者カール・レムリと子どもたち
ユニバーサル映画の創業者カール・レムリと子どもたち。1915~1920年頃、Bain News Service撮影。Library of Congress(LC-DIG-ggbain-30783)。既知の著作権制限なし。

彼らの多くは衣料、毛皮、興行、安価な映画館などから事業を始めました。既存の金融、重工業、上流文化の中心へ入りにくかった移民にとって、制度が固まる前の映画は参入の余地がある新産業でした。

1920年代末までに、ユニバーサル、フォックス、パラマウント、ユナイテッド・アーティスツ、ワーナー・ブラザース、コロンビア、MGM、RKOの八社が産業を主導しました。会社ごとに作風、スター、ジャンル、宣伝イメージを作り、観客が「どの会社の映画か」を意識する市場が生まれました。

スタジオ制とスターシステム|映画を大量生産する仕組み

スタジオ制は、映画会社が撮影所を持ち、脚本家、監督、俳優、撮影、美術、衣装、音楽、編集などの人材を契約で抱え、作品を継続的に作る仕組みです。大手の一部は配給会社と映画館網も持ち、制作から観客への販売までを垂直統合しました。

分業によって、各部門は専門技術を蓄積しました。西部劇、ミュージカル、ギャング映画、コメディ、メロドラマなどを一定の品質と速度で生産でき、セット、衣装、スタッフを複数作品で再利用できました。

スターシステムは、俳優を一作品の出演者から継続的なブランドへ変える仕組みです。チャーリー・チャップリン、メアリー・ピックフォード、グレタ・ガルボ、クラーク・ゲーブルらの名前は、作品公開前から観客を呼びました。雑誌、写真、ゴシップ欄、ファンクラブ、プレミア上映がスター像を支え、会社は長期契約によって出演作と公的イメージを管理しました。

1919年、ユナイテッド・アーティスツ設立契約に署名するグリフィス、ピックフォード、チャップリン、フェアバンクス
ユナイテッド・アーティスツ設立契約に署名するD・W・グリフィス、メアリー・ピックフォード、チャーリー・チャップリン、ダグラス・フェアバンクス。1919年。Library of Congress(LC-USZ62-137195)。既知の著作権制限なし。

日本の芸能事務所、劇場、放送局、広告会社が芸能人を全国的な存在へ変えた過程は、日本の大衆芸能と芸能界の歴史と比較すると違いが分かります。

トーキー、ヘイズ・コード、ジャンル映画|技術と規制が表現を変えた

1927年公開の『ジャズ・シンガー』は、同期した歌と台詞を長編映画へ組み込んだ作品としてトーキー時代の象徴になりました。俳優には声、発音、歌、台詞回しが求められ、映画館は音響設備への投資を迫られます。国際市場では字幕、吹き替え、多言語版が必要になりました。

1927年公開のトーキー映画『ジャズ・シンガー』のポスター
映画『ジャズ・シンガー』のポスター。1927年、Warner Bros.。Wikimedia Commons/Public Domain。

音は会話劇、ミュージカル、効果音、映画音楽を発展させました。同時に、録音機材の近くで演技する必要があり、初期トーキーではカメラの動きが制限される場面もありました。技術が成熟すると、台詞と映像を組み合わせた新しい演出が広がります。

映画の影響力が高まると、性、暴力、犯罪、宗教、結婚をめぐる批判が強まりました。映画産業は政府や地方検閲への対応としてProduction Codeを整え、1934年以降はProduction Code Administrationが脚本と完成作品を厳しく審査しました。

規制は表現を狭める一方、暗示、視線、会話の含み、編集、影を使う演出を発達させました。会話劇の機知やフィルム・ノワールの陰影には、制限の内側で意味を伝える技術が表れています。

なぜハリウッドは世界を動かす産業になったのか

巨大な国内市場が制作費を支えた

アメリカには人口の多い都市市場と広い映画館網がありました。国内公開で制作費を回収し、海外販売を追加収益にできる規模が、大作、スター、高額な宣伝への投資を可能にしました。多くの作品を継続して供給できる量産体制も、海外の映画館にとって扱いやすい商品になりました。

第一次世界大戦が国際市場の力関係を変えた

映画の初期にはフランスやイタリアも強い制作国でした。第一次世界大戦は欧州の制作、資本、輸出を制約し、アメリカ企業が市場を広げる機会になりました。1913年までに主要なアメリカ会社の多くが南カリフォルニアに拠点を持ち、戦争期には大規模生産と国際販売を進められる体制が整っていました。

配給網と通商交渉が海外進出を支えた

映画は撮影しただけでは世界商品になりません。現地の配給会社、字幕と吹き替え、宣伝、上映契約、送金、輸入枠への対応が必要です。1920年代には、アメリカ政府が欧州諸国の輸入制限をめぐって映画会社の利益を外交ルートで支援していました。1945年には、アメリカ映画の海外普及を進めるMotion Picture Export Associationが設立されました。

ハリウッドの世界進出は作品の人気だけでなく、企業の海外支社、業界団体、通商交渉を含む流通の歴史でもあります。

スターとジャンルが国境を越える目印になった

スターの顔、西部劇の決闘、ミュージカルの歌と踊り、犯罪映画の緊張、恋愛映画の感情は、作品を短時間で説明する目印になりました。会社は同じジャンルを繰り返し作り、観客は予告編やポスターから期待する体験を判断できました。

サイレント映画では台詞の壁が比較的小さく、トーキー以降は字幕と吹き替えが整備されました。輸出先の文化に合わせて題名、宣伝、編集を変えることも、国際販売の一部でした。

映画がアメリカ社会のイメージを運んだ

ハリウッド映画は、都市、家庭、恋愛、消費、成功、犯罪、戦争、人種関係などを世界へ見せました。作品は娯楽商品であると同時に、アメリカの生活様式や価値観を伝える文化的影響力を持ちます。

その影響は一方向ではありません。各国の映画産業は輸入枠、補助金、映画祭、公共放送などで自国作品を支え、ハリウッドの表現を受け入れながら変形し、対抗してきました。日本映画の産業構造と海外展開は、日本映画の歴史で比較できます。

第二次世界大戦、赤狩り、ブラックリスト|国家と映画人

戦争動員と海外市場

第二次世界大戦中、映画は士気、募兵、戦時公債、訓練、ニュース、敵国像を伝えるメディアになりました。アメリカ政府は1942年にOffice of War Informationを設け、映画会社、ラジオ、出版と協力して国内外へ情報を発信しました。

スターは慰問や公債販売に参加し、監督や技術者は軍用・記録映画を作りました。欧州の映画産業が戦争で大きな被害と制約を受ける一方、アメリカ映画は戦後の国際市場で優位を強めます。

1947年のHUAC公聴会

冷戦が始まると、下院非米活動委員会(HUAC)は映画産業における共産主義の影響を調査しました。1947年の公聴会で証言を拒んだ脚本家・監督らは「ハリウッド・テン」と呼ばれ、議会侮辱罪で処罰されます。

スタジオ各社は共産党員や協力者と疑われた人を雇用しない方針を取り、正式な裁判で有罪になっていない映画人も仕事を失いました。ブラックリストは脚本家、俳優、監督の経歴を断ち、偽名で仕事を続ける人や国外へ移る人を生みました。

1947年、HUAC公聴会に提出された脚本家リング・ラードナー・ジュニアの声明
HUAC公聴会に提出されたリング・ラードナー・ジュニアの声明。1947年10月30日。National Archives, Records of the U.S. House of Representatives。

ニューシネマの背景となる冷戦、公民権運動、ベトナム戦争の流れは、歴代アメリカ大統領とアメリカ史ベトナム戦争の歴史で詳しく解説しています。

パラマウント判決、テレビ、家庭用ビデオ|古典的スタジオ制の終わり

1948年の最高裁判決United States v. Paramount Picturesは、大手映画会社による制作、配給、映画館の垂直統合と配給慣行を問題にしました。その後の同意判決により、大手は映画館部門の分離や取引方法の変更を迫られます。作品を自社劇場へ安定して流す仕組みが弱まり、独立系の制作者や映画館が入る余地が広がりました。

同時期にテレビが家庭へ普及し、観客はニュース、ドラマ、コメディを家で見られるようになりました。映画会社はワイドスクリーン、カラー、立体音響、歴史大作など、映画館で体験する価値を強調します。テレビの技術史は、テレビを発明したのは誰か日本の通信・放送史で整理しています。

俳優や監督を長期契約で抱える方式も縮小し、作品ごとに人材と資金を集めるプロジェクト型が中心になります。映画会社はテレビ番組制作や旧作放送にも進出し、競争相手だったテレビを新しい販売先へ変えました。

1980年代には家庭用ビデオが普及し、映画は劇場公開後にもレンタルと販売で収益を生む商品になりました。旧作ライブラリーの価値が上がり、映画会社を所有する意味も変わります。VHSが家庭の視聴時間を変えた過程は、日本ビクターとVHSの歴史で紹介しています。

なお、パラマウント同意判決は2020年に終了し、ブロック・ブッキングなど一部規定には2年間の移行期間が設けられました。1948年に作られた産業ルールも、配信と複合企業の時代に見直されたことになります。

ニューシネマ|若者文化と社会不信が映画へ入った

1960年代後半から1970年代、ベトナム戦争、公民権運動、若者文化、政治不信を背景に、アメリカン・ニューシネマが現れました。『俺たちに明日はない』『卒業』『イージー・ライダー』『ゴッドファーザー』などは、反英雄、疎外、暴力、家族と権力の矛盾を描きました。

古いスタジオ制の弱体化、若い観客の増加、欧州や日本映画からの影響が、新しい監督と脚本家に機会を与えました。1968年にはProduction Codeに代わる映画レーティング制度が始まり、作品を年齢区分する方式へ移ります。

この時代には監督の作家性が宣伝価値を持ちましたが、自由な企画が長く主流を占めたわけではありません。1970年代後半には、全国規模の公開と宣伝を前提にした大作が産業の中心へ移ります。

ブロックバスター|一本の映画を巨大イベントへ変える

1975年の『ジョーズ』と1977年の『スター・ウォーズ』は、全国規模の公開、テレビCM、話題づくり、関連商品を組み合わせる映画ビジネスを定着させました。公開初週から多数の映画館で観客を集め、短期間に大きな売上を作る方式です。

ブロックバスターは、明確な見どころ、幅広い年齢層、続編を作れる設定、商品化しやすいキャラクターと相性が良い作品です。玩具、音楽、出版、テレビ放送、ビデオ、ゲーム、テーマパークが一つの作品を支え、興行収入だけに依存しない収益構造が形成されました。

大作への集中は、宣伝費と制作費を押し上げます。失敗の損失が大きいため、既に観客がいる原作、続編、シリーズが選ばれやすくなりました。一方、独立系映画、映画祭、専門配給は、大手が扱いにくい題材と作家を支える別の回路になりました。

巨大IPと企業再編|映画会社は物語の権利を買う

IPは知的財産を意味し、映画ではキャラクター、世界観、物語、題名、ブランドなどを指します。現代の大手企業は一本の映画より、映画、テレビ、配信、ゲーム、商品、テーマパークへ展開できる権利群を重視します。

ディズニーは2006年にピクサー、2009年にマーベル、2012年にルーカスフィルムを取得しました。2019年には約710億ドル規模で21世紀フォックスの主要な映画・テレビ資産を取得し、作品ライブラリーと国際事業を拡大します。

企業買収は、人気シリーズ、配信向け作品、旧作、制作人材、国際配給を一度に確保する方法です。映画会社は通信、放送、IT、小売を含む複合企業の一部となり、劇場興行だけで企業価値を測る時代から離れました。

アニメーション、玩具、テレビ、商品化を結ぶ日本の仕組みは、日本アニメの歴史で比較できます。長編映画を会社の資産として育てた例は、スタジオジブリの歴史でも扱っています。

配信時代のハリウッド|Netflixが変えた三つの前提

NetflixはDVDレンタルから事業を広げ、2007年にストリーミングを開始しました。2016年には多数の国と地域へサービスを拡大し、映画とテレビ番組を同じ画面から選ぶ習慣を広げました。

公開時間の主導権が観客へ移った

映画館と放送には上映時刻があります。配信では観客が見る時刻、端末、視聴速度を選びます。複数話を続けて見る習慣が広がり、映画、連続ドラマ、ドキュメンタリー、アニメの境界も弱まりました。

配給網を持たない作品が世界へ届くようになった

配信プラットフォームは各国の作品を同じサービス内に置き、字幕と吹き替えを通じて国際流通を速めました。韓国、スペイン、インド、日本などの作品が世界的ヒットを生み、ハリウッドは世界へ輸出する中心であると同時に、世界中から作品を調達する拠点にもなりました。

視聴データと契約が新しい権力になった

配信企業は視聴開始、離脱、完走、検索などのデータを持ちます。制作側に共有される情報の範囲、成功報酬、作品の公開期間、権利の帰属が新たな交渉点になりました。2023年の脚本家・俳優ストライキでは、配信時代の報酬とAI利用が中心的な争点になりました。

労働、差別、表象、AI|夢の工場が抱える問題

ハリウッドは華やかな作品を生む一方、契約と権力が集中する産業です。古典的スタジオ制では長期契約が安定した仕事を生みましたが、出演作、役柄、私生活、公的イメージまで会社の管理を受ける俳優もいました。

人種、民族、ジェンダー、性的指向、障害をめぐる表象では、特定の集団を類型化した役柄、白人俳優による他民族役、女性やマイノリティの制作責任者不足が長く問題となりました。独立系作品、公民権運動、社会運動、観客の批判が、配役と制作現場の多様化を促してきました。

現在の争点には、短期契約、長時間労働、配信の成功報酬、脚本や演技のAI利用、俳優の顔と声のデジタル複製があります。生成AIの技術史と権利問題は、生成AIの歴史で基礎から解説しています。

現地で見られるハリウッド史

  • Academy Museum of Motion Pictures:映画技術、衣装、制作資料、スタジオ創業史を扱う博物館です。常設展「Hollywoodland」では、ユダヤ系創業者とロサンゼルスの都市形成を学べます。
  • Hollywood Boulevard:映画館、興行、観光、スター文化の記憶が集まる大通りです。
  • TCL Chinese Theatre:1927年開館。プレミア上映とスターの手形・足形で知られます。
1920年代、現在のハリウッド・サインの前身だったHOLLYWOODLANDの看板
不動産開発の広告として設置された「HOLLYWOODLAND」の看板。1920年代。Wikimedia Commons/Public Domain。
  • Hollywood Sign:1923年に不動産開発「HOLLYWOODLAND」の広告として設置され、後に映画都市の象徴となりました。
  • Paramount Studios:ハリウッド地区に残る大手スタジオで、1920年代から同じ場所で制作が続いています。
  • Universal City:1915年に開業した巨大撮影所を起点に、制作拠点と観光施設が結びついた地域です。

日本で映画史の実物資料を見る場所として、東京・京橋の国立映画アーカイブがあります。作品、ポスター、機材、映画保存を通じて、ハリウッドと異なる日本映画の発展を比較できます。

撮影所を核に映画産業と街が発展した日本の例は、蒲田はなぜ映画と工場と夜の街になったのかで、松竹蒲田撮影所、鉄道、工場、娯楽街の関係から比較できます。

よくある誤解

誤解1:ハリウッドは映画発祥の地である

映画技術と初期産業はアメリカ東海岸や欧州で発展しました。ハリウッドは1910年代以降に制作の中心となった地域です。

誤解2:映画会社はエジソンから逃げるためだけに西へ移った

特許問題は一因です。晴天、地形、土地、鉄道、都市成長、長編化、スタジオ建設という条件も移動を支えました。

誤解3:ハリウッドの成功は作品の質だけで決まった

制作力に加え、国内市場、映画館網、海外支社、宣伝、字幕と吹き替え、業界団体、通商交渉が世界展開を支えました。

誤解4:1948年の判決で大手スタジオは消えた

映画館支配と配給慣行は変わりましたが、大手は制作、配給、テレビ、旧作販売、企業買収を通じて影響力を保ちました。

誤解5:配信の登場で映画館とハリウッドは終わった

劇場、配信、テレビ、国際市場は役割を変えながら併存しています。大手企業は作品を媒体ごとに分けず、複数の販売先を組み合わせています。

FAQ

ハリウッドとロサンゼルスは同じですか?

ハリウッドはロサンゼルス市内の一地区です。産業名としては、ロサンゼルス周辺を中心とするアメリカ商業映画産業全体を指します。

ハリウッド最初の映画スタジオはどこですか?

一般に、1911年にホースリー兄弟が開いたネスター・フィルム・カンパニーが、ハリウッド最初の常設映画スタジオとされています。

ハリウッド映画の黄金時代はいつですか?

一般には1920年代後半から1940年代、広く取る場合は1950年代前半までを指します。スタジオ制、スターシステム、トーキー、ジャンル映画が強く結びついた時代です。

スタジオ制とは何ですか?

映画会社が撮影所、人材、制作、配給、場合によっては映画館まで管理し、映画を継続的に生産・販売する仕組みです。

なぜハリウッド映画は世界で強かったのですか?

巨大な国内市場、量産体制、二度の世界大戦による市場変化、スターとジャンル、海外配給網、政府の通商支援、字幕と吹き替え、宣伝力が重なったためです。

ニューシネマとブロックバスターの違いは何ですか?

ニューシネマは1960〜70年代の社会不信と若者文化を背景に、既存の価値観を問い直した映画の流れです。ブロックバスターは大規模公開、宣伝、関連商品、続編を組み合わせるイベント型の映画ビジネスです。

まとめ|ハリウッドは制作地から世界的な流通システムへ変わった

ハリウッドは、晴天と土地に恵まれた撮影地として始まりました。移民起業家が会社を作り、制作、配給、映画館、スター、宣伝を結ぶスタジオ制を築いたことで、映画は継続的に量産できる商品になります。

世界市場での強さは、作品そのものに加え、アメリカの国内市場、戦争による国際産業の再編、海外配給網、通商支援、字幕と吹き替え、スターとジャンルによって支えられました。映画はアメリカ社会のイメージを世界へ送り、各国の映画産業と競争しながら影響を広げました。

赤狩り、独占禁止法、テレビ、ニューシネマ、ブロックバスター、家庭用ビデオ、巨大IP、配信、AIは、その仕組みを何度も作り替えました。現在のハリウッドは一つの街というより、資本、人材、権利、技術、宣伝、世界市場を結ぶ映像産業のネットワークです。

関連記事

参考資料

  1. Academy Museum of Motion Pictures “Hollywoodland: Jewish Founders and the Making of a Movie Capital”
  2. Academy Museum of Motion Pictures “Hollywoodland: The Origins of the Studios”
  3. Los Angeles City Planning “Historic Resources Survey Report: Hollywood Community Plan Area”
  4. Los Angeles Public Library “Dig Los Angeles: Hollywood Branch”
  5. Library of Congress “Origins of Motion Pictures”
  6. Library of Congress “From Peep Show to Palace”
  7. Library of Congress “Decline of the Edison Company”
  8. Academy of Motion Picture Arts and Sciences “The Motion Picture Production Code”
  9. Motion Picture Association “Film Ratings”
  10. U.S. Department of State, Foreign Relations of the United States, 1929
  11. Motion Picture Association “About”
  12. The National WWII Museum “Projections of America”
  13. U.S. National Archives “Remembering the Hollywood 10”
  14. U.S. House of Representatives “Letter to HUAC Chairman”
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  18. The Walt Disney Company “Disney To Acquire Pixar”
  19. The Walt Disney Company “Disney To Acquire Marvel Entertainment”
  20. The Walt Disney Company “Disney to Acquire Lucasfilm”
  21. The Walt Disney Company “Disney and 21st Century Fox Announce Per Share Value”
  22. Netflix “Netflix Is Now Available Around the World”
  23. Netflix Tudum “Netflix Celebrates 25 Years”
  24. Writers Guild of America “Summary of the 2023 WGA MBA”
  25. SAG-AFTRA “2023 TV/Theatrical Contracts”