日本ワインの歴史|山梨・牛久から始まった近代化の物語

山梨・勝沼のブドウ畑と茨城・牛久の近代醸造場を描いた日本ワインの歴史のアイキャッチ画像

日本の近代的なワイン造りは、1870年代の山梨で本格化しました。山梨ではブドウ農家と醸造家が地域産業を育て、茨城県牛久では神谷傳兵衛が栽培から瓶詰めまでを一か所で行う近代的な醸造場を築きました。その後、日本の気候に合う品種改良、甘味葡萄酒による市場形成、戦後の食生活の変化、表示制度の整備を経て、日本ワインは全国へ広がりました。

執筆・編集:ゆる歴史散歩会編集部

事実確認:文化庁、国税庁、日本ワイナリー協会、甲州市、牛久市、牛久シャトーなどの公開資料

初公開:2026年7月

最終確認:2026年7月31日

日本ワイン史の要点
  • 1874年、甲府の山田宥教と詫間憲久がワイン醸造を試みました。
  • 1877年、勝沼に大日本山梨葡萄酒会社が設立され、土屋龍憲と高野正誠がフランスへ留学しました。
  • 山梨は農家と複数の醸造家が共存する産地集積型、牛久は栽培から出荷までを集約する大規模一貫生産型へ発展しました。
  • 川上善兵衛は日本の気候に適した品種改良を進め、1927年にマスカット・ベーリーAを交配しました。
  • 2018年に表示基準が適用され、国産ブドウだけを使った「日本ワイン」が明確に区別されました。

日本ワインの歴史年表

出来事歴史的な意味
江戸時代勝沼がブドウ産地として知られる後のワイン産業を支える農業基盤が形成される
1874年山田宥教・詫間憲久が甲府で醸造を試みる日本におけるワイン醸造の最初期の試み
1877年大日本山梨葡萄酒会社設立民間会社による本格的な醸造事業が始まる
1877年土屋龍憲・高野正誠がフランスへ留学栽培・醸造技術を現地で学び山梨へ移す
1881年神谷傳兵衛が蜂印香竄葡萄酒を発売甘味葡萄酒が日本人の味覚とワインを結ぶ
1891年川上善兵衛が岩の原葡萄園を開設日本の気候に合うブドウの品種改良が進む
1903年牛久醸造場が完成栽培・醸造・瓶詰め・出荷の一貫生産が成立する
1927年マスカット・ベーリーAを交配日本を代表する赤ワイン用品種が生まれる
1975年ワイン消費量が甘味果実酒を上回る食卓の中心が甘味葡萄酒から本格ワインへ移る
2013年山梨がワインのGIに指定産地名と品質を公的制度で守る
2018年日本ワイン表示基準を適用国産ブドウのみを使うワインを明確に区別する

出典:日本ワイナリー協会「日本ワインの基礎知識」文化庁 日本遺産「日本ワイン140年史」

「日本ワイン」と「国内製造ワイン」の違い

国税庁の「果実酒等の製法品質表示基準」では、日本ワインを国内で収穫したブドウだけを使い、日本国内で製造した果実酒と定めています。輸入濃縮果汁や輸入ワインを原料に含む国内製造品は、日本ワインの表示を使えません。

表示基準は2015年10月30日に制定され、2018年10月30日に適用されました。産地名、ブドウ品種、収穫年の表示にも条件が設けられ、ラベルから原料と生産地を確認しやすくなりました。出典:国税庁「果実酒等の製法品質表示基準について」

図1 日本ワイン・国内製造ワイン・輸入ワインの違い(簡易図)
日本ワイン

日本産ブドウのみ
+ 日本国内で醸造

一定条件で産地・品種・収穫年を表示可能
国内製造ワイン

輸入濃縮果汁・輸入ワインを含む場合あり
+ 日本国内で製造

国内製造でも日本ワインとは限らない
輸入ワイン

海外原料
+ 海外で製造

完成品を日本へ輸入

江戸時代の勝沼にあった産業の土台

山梨では甲州ブドウが長く栽培され、江戸時代には勝沼周辺がブドウ産地として知られていました。甲州ブドウの起源には行基説や雨宮勘解由説などの伝承がありますが、確実に確認できるのは、近世までに勝沼が生食用ブドウの産地として発展していたことです。出典:甲州市「甲州ぶどうの歴史」

明治政府が西洋式醸造を導入したとき、山梨にはブドウを育てる農家、栽培経験、江戸や東京へ運ぶ流通の基盤がありました。近代ワイン産業は、この既存の農業へ醸造技術と会社経営を組み合わせて始まりました。

1874年、日本最初期のワイン醸造

日本ワイナリー協会によると、1874年に甲府の山田宥教と詫間憲久が、書物や来日外国人から得た知識をもとにワイン醸造を試みました。1877年の会社設立より前に行われた、日本最初期の醸造として位置づけられます。出典:日本ワイナリー協会「日本ワインの基礎知識」

明治政府は殖産興業の一環として欧米からブドウ苗木を取り寄せ、各地で栽培と醸造を奨励しました。東京の三田育種場でも1877年から欧米系ブドウの試作や品種改良が進められました。政府が技術導入の入口をつくり、民間が地域に合う生産方法へ改良する過程は、日本の産業技術史日本のビールの歴史にも共通します。出典:キリン歴史ミュージアム「前田正名とシャルル・バルテ」

1877年、勝沼で民間ワイン会社が誕生

1912年の山梨県勝沼町岩崎のブドウ畑
山梨県勝沼町岩崎のブドウ畑、1912年。撮影者不詳/Wikimedia Commons/パブリックドメイン。

1877年、祝村、現在の甲州市勝沼町に大日本山梨葡萄酒会社が設立されました。文化庁の日本遺産ストーリーでは、日本初の民間ワイン醸造会社とされています。同年、土屋龍憲と高野正誠がフランスへ渡り、ブドウ栽培と醸造を学びました。出典:文化庁 日本遺産「日本ワイン140年史」

フランス留学中の高野正誠と土屋龍憲
フランス・トロワ留学中の高野正誠(左)と土屋龍憲(右)、1878年頃。撮影者不詳/Wikimedia Commons/パブリックドメイン。

二人は帰国後、甲州ブドウを使った本格醸造に取り組み、1879年に国産本格ワインを完成させました。高野家に残る未開封瓶2本は「最古の日本ワイン」として保存されています。出典:ワイン文化日本遺産協議会「日本ワイン140年史」

会社は10年を待たずに解散しました。醸造技術が発展途上にあり、辛味、酸味、渋味を持つ本格ワインが当時の食生活になじまず、販路も限られていたためです。一方、高野が刊行した『葡萄三説』は、ブドウ園の開設、栽培、醸造をまとめた実用書となり、技術を次の生産者へ伝えました。出典:甲州市「葡萄三説及び葡萄三説草稿」

山梨県甲州市勝沼町の宮光園主屋
宮光園の主屋。撮影:Asturio Cantabrio/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。

宮崎光太郎と甘味葡萄酒が市場を開いた

土屋龍憲とともに醸造に携わった宮崎光太郎は、1889年に自宅へ醸造場を設けました。本格ワインの販売が伸びないなか、「ヱビ葡萄酒」などの甘味葡萄酒を製造し、消費者がワインへ親しむ入口をつくりました。

甘味葡萄酒は、ワインに蜂蜜や薬草などを加え、酸味や渋味を和らげた酒です。神谷傳兵衛が1881年に発売した「蜂印香竄葡萄酒」も広く支持されました。甘味葡萄酒の流行で市場と販売網が育ち、その基盤が後の本格ワイン普及を支えました。出典:文化庁・日本ワイナリー協会「日本ワイン140年史」

神谷傳兵衛の蜂印香竄葡萄酒販売ポスター
神谷傳兵衛が製造した蜂印香竄葡萄酒の販売ポスター。町田隆要作/Wikimedia Commons/パブリックドメイン。
図2 山梨・勝沼の「産地集積型」モデル(簡易図)
ブドウ農家
家族経営の蔵寺院系の醸造所地域ワイナリー
勝沼全体がワイン産地へ
農家・醸造家・商人が競争しながら共存

川上善兵衛と日本の気候に合う品種改良

欧州系ブドウは、日本の高温多湿な気候で病害を受けやすく、冬の積雪や地域ごとの気温差にも対応する必要がありました。新潟県の川上善兵衛は1891年に岩の原葡萄園を開設し、日本の風土に合うブドウの交配を重ねました。

1927年に交配したマスカット・ベーリーAは、日本を代表する赤ワイン用品種となりました。甲州が長い栽培史を持つ在来系品種であるのに対し、マスカット・ベーリーAは日本の気候への適応を目的に生み出された交配品種です。2013年には国際ブドウ・ワイン機構に登録され、EU向けワインのラベルにも品種名を表示できるようになりました。出典:日本ワイナリー協会「日本ワインの基礎知識」

1903年、牛久シャトーが一貫生産を実現

神谷傳兵衛は甘味葡萄酒の販売で市場を築いた後、国内でブドウ栽培からワイン製造までを行う構想を進めました。養子の神谷傳蔵をフランスへ留学させ、茨城県牛久の原野を開墾してブドウ園を造成しました。

牛久醸造場を築いた実業家・神谷傳兵衛の肖像
神谷傳兵衛。撮影者不詳/Wikimedia Commons/パブリックドメイン。

1903年、現在の牛久シャトーに当たる牛久醸造場が完成しました。ボルドー地方の技術を取り入れ、栽培、醸造、貯蔵、瓶詰め、出荷を一つの拠点で行い、ブドウ園・醸造所・牛久駅を結ぶトロッコも整備しました。山梨の分業型産地とは異なる、資本・設備・輸送を集中した大規模一貫生産です。出典:牛久シャトー公式「牛久シャトー・国指定重要文化財について」

1921年刊行資料に掲載された神谷酒造株式会社の外観
神谷酒造株式会社、1921年刊行資料より。撮影者不詳/Wikimedia Commons/パブリックドメイン。

牛久シャトーは2007年に近代化産業遺産、2008年に国の重要文化財、2020年に日本遺産の構成文化財となりました。建物と設備の見方は、近代化産業遺産の解説とあわせて読むと、工場建築が産業の仕組みを伝える理由をつかめます。出典:牛久市「日本ワイン140年史の構成文化財」

図3 山梨と牛久、二つの近代化モデル(簡易図)

山梨・勝沼

地域農業・産地集積型

甲州ブドウ
農家と複数ワイナリー
分業と地域内競争

茨城・牛久

大規模工場・一貫生産型

神谷傳兵衛
栽培から瓶詰めまで
資本・設備・輸送を集中

違う道を通りながら、日本ワイン文化の成立に貢献

「日本初」が複数ある理由

表現対象
日本最初期のワイン醸造山田宥教・詫間憲久の試み1874年
日本初の民間ワイン醸造会社大日本山梨葡萄酒会社1877年
最古の日本ワイン高野家に残る未開封瓶1879年ごろ
日本初の本格的ワイン醸造場牛久醸造場(牛久シャトー)1903年
ワインで最初のGI指定山梨2013年

「最初の醸造」「最初の会社」「最初の本格的な大規模醸造場」は対象が異なります。資料が使う表現と対象を分けることで、日本ワイン史の草創期を正確に整理できます。

戦争と統制が生産を制限した

酒は嗜好品であると同時に重要な税源でした。明治30年代には酒税が国税収入の首位を占めた時期があります。出典:国税庁 税務大学校「明治の酒税」

第二次世界大戦期には原料、糖類、瓶、燃料、輸送力が統制され、酒類の生産と販売も制約を受けました。1943年には酒類の選択制配給が導入され、消費者が自由に酒を選ぶ市場から、配給制度のもとで数量を管理する市場へ変わりました。出典:キリン歴史ミュージアム「1943年 酒類の選択制配給」

戦後の洋食化で本格ワインが広がった

戦後はパン、肉料理、乳製品、洋食レストランが広がり、ホテル、百貨店、海外旅行などを通じてワインに触れる機会が増えました。日本ワイナリー協会は、テーブルワインの消費が動き始めた時期を1964年の東京オリンピックごろとし、1970年の大阪万博を契機に消費が拡大したと説明しています。

1975年にはワインの消費量が甘味果実酒を上回りました。1978年の千円ワイン、1987年のボージョレ・ヌーヴォー、1997年の赤ワインなどのブームを経て、本格ワインが家庭や飲食店へ定着しました。出典:日本ワイナリー協会「日本ワインの基礎知識」

品質競争と地域ワイナリーの増加

海外ワインとの競争は、国内生産者に品種、栽培、衛生管理、醸造技術の改善を促しました。甲州やマスカット・ベーリーAの特性が見直され、シャルドネ、メルロー、ピノ・ノワールなども地域の気候に合わせて栽培されました。

2003年に始まった国産ワインコンクール、現在の日本ワインコンクールは、産地を越えた品質比較の場となりました。新規就農者がブドウ栽培からワイナリー設立を目指す例も増え、山梨、長野、北海道、山形、新潟などに多様な産地が形成されています。出典:日本ワイナリー協会「日本ワインの基礎知識」

表示制度とGI山梨が産地を守る

地理的表示、Geographical Indication、略してGIは、産地名を地域の共有財産として守る制度です。2013年7月、山梨は日本のワインで初めてGIに指定されました。原料ブドウの産地、県内での醸造・貯蔵・瓶詰め、品質などの基準を満たし、審査に合格したワインが「GI Yamanashi」を表示できます。出典:東京国税局「GI Yamanashi」

図4 GI山梨を名乗るまで(簡易図)
山梨県産の
指定ブドウ
県内で
醸造・貯蔵・瓶詰め
品質基準
を満たす
審査
に合格
GI Yamanashi と表示
正しい産地と地域基準を公的制度が支える

現在のワイナリーは全国519場

国税庁の令和7年アンケートでは、2024年中にワインの生産または出荷実績があるワイナリーは全国519場です。多い順に山梨85場、長野81場、北海道69場、山形24場、岩手17場、茨城13場、新潟12場となっています。

同じ調査には、2025年1月1日現在の果実酒製造免許場800場、調査対象519場、回答411場、日本ワインの製成実績がある回答場326場という別の数字もあります。「ワイナリー数」は、生産または出荷実績がある製造場519場を指します。出典:国税庁「酒類製造業及び酒類卸売業の概況(令和7年アンケート)」

海外でワイン産業を築いた日本人の歩みは、カリフォルニアの葡萄王・長沢鼎の記事で紹介しています。

歴史散歩で訪ねたい日本ワインの史跡

図5 日本ワイン近代史を歩く簡易マップ
東京

三田育種場
内藤新宿試験場

政府主導の技術導入
山梨・勝沼

祝村
宮光園
ぶどうの丘
ワイナリー群

地域農業と産地形成
茨城・牛久

牛久シャトー
神谷傳兵衛記念館

近代工場と一貫生産

山梨県甲州市勝沼町

宮光園は、宮崎光太郎が経営した葡萄酒醸造所と観光葡萄園の歴史を伝える施設です。大日本山梨葡萄酒会社の資料、醸造場、ワイン観光の始まりを一か所でたどれます。出典:甲州市「宮光園」

山梨県甲州市勝沼町下岩崎の甲州種ブドウ畑
甲州種のブドウ畑(山梨県甲州市勝沼町下岩崎)。撮影:Asturio Cantabrio/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。

茨城県牛久市

牛久シャトーでは、本館、旧醸造場、貯蔵庫、トロッコ軌道跡などから、一貫生産の動線を確認できます。赤レンガ建築はワインの製造施設であると同時に、明治期の工場設計と物流を伝える産業遺産です。

茨城県牛久市の牛久シャトー本館
牛久シャトー本館。撮影:Asturio Cantabrio/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。

新潟県上越市

岩の原葡萄園は、川上善兵衛が品種改良を進めた場所です。山梨の産地形成、牛久の一貫生産と並べると、日本ワインが「技術導入」「市場形成」「気候への適応」の三つを通じて発展したことが分かります。

よくある質問

日本ワインとは何ですか?

国内で収穫したブドウだけを使い、日本国内で造ったワインです。

日本で最初にワインを造った人物は誰ですか?

日本ワイナリー協会は、1874年に甲府で醸造を試みた山田宥教と詫間憲久を最初期の醸造者として紹介しています。1877年には大日本山梨葡萄酒会社が設立され、土屋龍憲と高野正誠がフランスで技術を学びました。

日本初の民間ワイン会社はどこですか?

1877年に勝沼で設立された大日本山梨葡萄酒会社です。

牛久シャトーは何が日本初ですか?

栽培から醸造、貯蔵、瓶詰め、出荷までを一貫して行った、日本初の本格的ワイン醸造場とされています。

マスカット・ベーリーAを造ったのは誰ですか?

新潟県の川上善兵衛です。日本の気候に合う品種改良を進め、1927年に交配しました。

日本ワインが家庭へ広がったのはいつですか?

1964年の東京オリンピックごろからテーブルワインの消費が動き、1970年の大阪万博後に拡大しました。1975年にはワインの消費量が甘味果実酒を上回りました。

日本でワイナリーが最も多い都道府県はどこですか?

国税庁の令和7年アンケートでは山梨県が85場で最多です。長野県81場、北海道69場が続きます。

GI山梨とは何ですか?

山梨県産の指定ブドウを使い、県内で醸造・貯蔵・瓶詰めを行い、品質審査に合格したワインが使える地理的表示です。

まとめ:技術導入から地域産業へ

日本ワインは、山梨でのブドウ栽培と醸造技術の導入、甘味葡萄酒による市場形成、川上善兵衛の品種改良、牛久シャトーの一貫生産によって産業の基盤を築きました。戦後は洋食化と品質競争が本格ワインの消費を広げ、GIと表示基準が産地と原料を守る仕組みを整えました。

お酒は20歳になってから。飲酒運転は禁止されています。妊娠中・授乳期の飲酒は避け、飲酒は適量を心がけてください。

参考資料

  1. 文化庁 日本遺産「日本ワイン140年史」
  2. 日本ワイナリー協会「日本ワインの基礎知識」
  3. ワイン文化日本遺産協議会「日本ワイン140年史」
  4. 甲州市「甲州ぶどうの歴史」
  5. 甲州市「葡萄三説及び葡萄三説草稿」
  6. 牛久シャトー公式
  7. 国税庁「果実酒等の製法品質表示基準について」
  8. 東京国税局「GI Yamanashi」
  9. 国税庁「酒類製造業及び酒類卸売業の概況(令和7年アンケート)」

更新履歴
2026年7月:初版公開
2026年7月2日:著者・編集方針・確認日、本文内出典、FAQ、更新履歴を追加
2026年7月31日:年表、山田宥教・詫間憲久、川上善兵衛、甘味葡萄酒、戦後の消費拡大、「日本初」の整理、最新統計、内部リンクを追加し、歴史の流れを全面改訂