日本ワインの歴史|山梨・牛久から始まった近代化の物語

グラスの中で揺れるワインを見て、明治の殖産興業や農業改良、実業家の挑戦、戦時統制、戦後の食卓、そして現代の地域ブランド政策まで思い浮かべる人は、あまり多くないかもしれません。

けれども、日本でワインが造られるようになった道のりをたどると、そこには「西洋の技術をどう受け入れ、自分たちの産業へ変えるか」という近代日本の課題が、そのまま映っています。

執筆・編集:ゆる歴史散歩会編集部

事実確認:文化庁、国税庁、甲州市、牛久市、牛久シャトーなどの公開資料

初公開:2026年7月

最終確認:2026年7月2日

編集方針:歴史初心者にも分かる表現を用い、制度・年号・「日本初」の表現は官公庁、自治体、施設公式などの一次資料を優先して確認しています。

この記事の結論

  • 日本ワインは、国内で収穫したブドウだけを使い、日本国内で造ったワインです。
  • 山梨は、ブドウ農家と多数のワイナリーが共存する「産地集積型」の発展を遂げました。
  • 牛久は、栽培・醸造・瓶詰めを一貫して行う「大規模近代工場型」のモデルを築きました。
  • 日本ワイン史は、明治の近代化、戦争、消費社会、制度づくり、地域振興を一続きで見られる近代史です。

まず知りたい「日本ワイン」と「国産ワイン」の違い

国税庁の「果実酒等の製法品質表示基準」では、日本ワインを「国内で収穫されたブドウのみを使用し、日本国内で製造された果実酒」と定めています。以前は「国産ワイン」という言葉の中に、輸入濃縮果汁や輸入ワインを原料に使った国内製造品も含まれ、消費者には違いが分かりにくい状態でした。

そこで2015年10月30日に表示基準が制定され、2018年10月30日から適用されました。これにより、日本ワインと海外原料を使った国内製造ワインを、ラベルから判別しやすくなりました。出典:国税庁「果実酒等の製法品質表示基準について」

図1 日本ワイン・国内製造ワイン・輸入ワインの違い(簡易図)
日本ワイン

日本産ブドウのみ
+ 日本国内で醸造

一定条件で産地・品種・収穫年を表示可能

国内製造ワイン

輸入濃縮果汁・輸入ワインを含む場合あり
+ 日本国内で製造

国内製造でも日本ワインとは限らない

輸入ワイン

海外原料
+ 海外で製造

完成品を日本へ輸入

江戸から明治へ:ブドウはあったが、ワイン文化はなかった

日本ワイン史を理解する最初のポイントは、「日本には古くからブドウがあった」ことと、「ワインを日常的に飲む文化があった」ことを分けて考えることです。

山梨では、淡い赤紫色の果皮を持つ甲州ブドウが長く栽培されてきました。甲州市によれば、その起源には行基説や雨宮勘解由説など複数の伝承があり、一つに断定することはできません。一方、江戸時代には勝沼周辺がブドウ産地として知られていました。出典:甲州市「甲州ぶどうの歴史」

ただし、当時の酒の中心は日本酒や焼酎です。ブドウは主に生食用で、現在のように食事と一緒に辛口ワインを楽しむ習慣は一般的ではありませんでした。明治のワイン造りは、すでに存在したブドウ産地へ、西洋式醸造技術と近代的な会社経営を組み合わせる試みだったのです。

明治政府の殖産興業とワインづくり

1868年の明治維新後、新政府は欧米列強に追いつくため、軍事、教育、交通、産業の制度を急速に作り替えました。その経済政策を象徴するのが殖産興業です。

ワインは文明開化の象徴であるだけでなく、輸入品を国内生産へ置き換えること、ブドウ栽培を農村の新しい収入源にすること、農産物を加工して価値を高めることなど、複数の政策的意味を持っていました。

東京の三田育種場では1877年から欧米系ブドウの栽培や品種改良が進められ、後に内藤新宿試験場の業務も移管されました。出典:キリン歴史ミュージアム「政府のブドウ栽培を主導した前田正名と、陰で支えたシャルル・バルテ」

しかし、日本の高温多湿な気候は欧州系ブドウにとって難しく、病害や栽培方法の違いも壁になります。官が技術導入のきっかけを作り、民が地域に合う形へ作り替える。この流れは、製糸、鉄道、ビールなど明治の多くの産業にも共通します。

山梨・勝沼の挑戦:地域農業から生まれたワイン産地

1877年、祝村、現在の甲州市勝沼町に大日本山梨葡萄酒会社が設立されました。文化庁の日本遺産ストーリーでは、日本初の民間ワイン醸造会社と位置づけられています。同じ年、土屋龍憲と高野正誠がフランスへ渡り、ブドウ栽培と醸造技術を学びました。出典:文化庁 日本遺産「日本ワイン140年史」

帰国した二人は甲州ブドウを使った本格醸造へ挑み、1879年には国産本格ワインを完成させたとされます。高野家に残された未開封瓶は、ワイン文化日本遺産協議会によって「最古の日本ワイン」と紹介されています。出典:ワイン文化日本遺産協議会「日本ワイン140年史」

しかし、会社は長く続きませんでした。技術は発展途上で、辛味、酸味、渋味のある本格ワインは日本人になじみが薄く、販路も十分ではありませんでした。造れても売れない。新産業が直面する典型的な壁です。

それでも知識は地域に残りました。高野が刊行した『葡萄三説』は、ブドウ園の開設、栽培、醸造をまとめた実用書となります。さらに宮崎光太郎らが農家を支援し、勝沼では農家と複数の醸造家が役割を分ける産地が形成されました。出典:甲州市「葡萄三説及び葡萄三説草稿」

図2 山梨・勝沼の「産地集積型」モデル(簡易図)
ブドウ農家
家族経営の蔵寺院系の醸造所地域ワイナリー
勝沼全体がワイン産地へ
農家・醸造家・商人が競争しながら共存

茨城・牛久シャトー:大規模一貫生産への挑戦

山梨と並ぶもう一つの入口が茨城県牛久市です。中心人物は実業家の神谷傳兵衛でした。

神谷は洋酒販売で市場を開拓した後、「国内でブドウを育て、ワインを一貫生産する」という構想を持ちます。1903年、現在の牛久シャトーに当たる牛久醸造場が完成しました。当時のボルドー地方の技術を取り入れ、栽培、醸造、貯蔵、瓶詰め、出荷までを一つの拠点で行う近代的な生産体制でした。出典:牛久シャトー公式「牛久シャトー・国指定重要文化財について」

牛久シャトーは、2007年に近代化産業遺産、2008年に国の重要文化財、2020年に日本遺産の構成文化財となりました。出典:牛久シャトー公式牛久市「日本ワイン140年史の構成文化財」

図3 山梨と牛久、二つの近代化モデル(簡易図)

山梨・勝沼

地域農業・産地集積型

甲州ブドウ
農家と複数ワイナリー
分業と地域内競争

茨城・牛久

大規模工場・一貫生産型

神谷傳兵衛
栽培から瓶詰めまで
資本・設備・輸送を集中

違う道を通りながら、日本ワイン文化の成立に貢献

なぜ日本人にワインはすぐ根付かなかったのか

明治の人々が西洋文化に憧れたからといって、すぐにワインが日常酒になるわけではありませんでした。新しい飲み物が根付くには、味覚、料理、価格、流通、保存、飲む場という複数の条件が必要です。

日本酒は米のうま味と甘味を持ち、燗でも飲まれました。それに対して赤ワインには酸味やタンニン由来の渋味があります。肉料理や乳製品が一般家庭にまだ広がっていない時代には、食卓との結びつきも弱いものでした。

また、ガラス瓶やコルク、温度管理、輸送網も現在ほど整っていません。そこで普及の橋渡しとなったのが、甘味を加えた再製葡萄酒や甘味果実酒でした。現在の本格ワインとは違いますが、「まず飲んでもらう」ための市場適応だったのです。

戦争・統制・酒税:ワイン産業を動かした政治

酒は嗜好品であると同時に、国家にとって重要な税源でした。明治30年代には酒税が国税収入の首位を占めた時期があります。出典:国税庁 税務大学校「明治の酒税」

第二次世界大戦期には、原料、燃料、資材、輸送力が軍需へ優先配分され、酒類も統制の対象になります。1943年には酒類の選択制配給が導入されました。出典:キリン歴史ミュージアム「1943年 酒類の選択制配給」

戦後復興と品質の時代

戦後、日本の食生活は大きく変化しました。パン、肉料理、乳製品、洋食レストランが広がり、海外旅行やホテル、百貨店を通じてワインに触れる機会も増えました。

海外ワインとの競争は国内生産者にとって厳しいものでしたが、世界の品種、醸造法、品質基準を学ぶ機会にもなりました。日本の雨の多い気候に合う栽培、病害対策、収穫時期、醸造法を探る中で、甲州やマスカット・ベーリーAなどの個性が見直されました。

表示制度とGI山梨:ラベルが歴史と品質を語る

地理的表示、英語でGeographical Indication、略してGIは、産地名を地域の共有財産として守る制度です。2013年7月、山梨は日本のワインとして初めて地理的表示に指定されました。出典:東京国税局「GI Yamanashi」

図4 GI山梨を名乗るまで(簡易図)
山梨県産の
指定ブドウ
県内で
醸造・貯蔵・瓶詰め
品質基準
を満たす
審査
に合格
GI Yamanashi と表示
正しい産地と地域基準を公的制度が支える

現在の日本ワイン:全国493場のワイナリー

国税庁の令和6年アンケートでは、2024年1月1日現在のワイナリー数は全国493場。多い順に山梨89、長野75、北海道64、山形22、岩手17、茨城13、新潟12となっています。出典:国税庁「酒類製造業及び酒類卸売業の概況(令和6年アンケート)」

現在評価されているのは、単に「日本で造った」ことではありません。国産ブドウの品質、畑ごとの違い、収量管理、衛生的な醸造、酸味と香りのバランス、食事との相性など、総合的な完成度です。

歴史散歩として見る日本ワイン

日本ワインの歴史は、現地を歩くとさらに理解しやすくなります。建物だけでなく、畑の傾斜、駅との距離、蔵の配置、地域の道を観察すると、「なぜここで産業が生まれたのか」が見えてきます。

図5 日本ワイン近代史を歩く簡易マップ
東京

三田育種場
内藤新宿試験場

政府主導の技術導入

山梨・勝沼

祝村
宮光園
ぶどうの丘
ワイナリー群

地域農業と産地形成

茨城・牛久

牛久シャトー
神谷傳兵衛記念館

近代工場と一貫生産

山梨県甲州市勝沼町

宮光園は、宮崎光太郎が経営した葡萄酒醸造所と観光葡萄園の歴史を伝える施設です。出典:甲州市「宮光園」

茨城県牛久市

牛久シャトーでは、本館、旧醸造場、貯蔵庫などの赤レンガ建築が、工場としての動線を伝えています。装飾だけでなく、原料がどこから入り、発酵、貯蔵、瓶詰めへどう移ったのかを想像しながら見るのがおすすめです。

よくある質問

日本ワインとは何ですか?

国内で収穫したブドウだけを使い、日本国内で造ったワインです。

国産ワインと日本ワインは同じですか?

現在の表示上は同じ意味ではありません。国内製造でも海外原料を使う場合があります。

日本初の民間ワイン会社はどこですか?

1877年に勝沼で設立された大日本山梨葡萄酒会社が、日本初の民間ワイン会社とされています。

牛久シャトーは何が日本初ですか?

1903年開設の、日本初の本格的ワイン醸造場とされています。

GI山梨とは何ですか?

山梨県産原料、県内製造、品質基準などを満たしたワインの地域ブランド表示です。

まとめ:一杯のワインの向こうに見える近代日本

日本ワインは、単なる嗜好品の歴史ではありません。古くからブドウを育てた農村があり、明治政府が殖産興業を進め、若者がフランスで技術を学びました。山梨では農家とワイナリーが共存する産地が育ち、牛久では神谷傳兵衛が大規模な一貫生産を実現しました。

山梨は地域農業と産地形成、牛久は近代企業と工場制生産を見せてくれます。次に日本ワインのラベルを見るときは、品種や味だけでなく、その土地の歴史、制度、人の挑戦にも目を向けてみてください。一杯の向こうに、明治から現代までの日本が見えてきます。

お酒は20歳になってから。飲酒運転は禁止されています。飲酒は適量を心がけてください。

参考資料

  1. 文化庁 日本遺産「日本ワイン140年史」
  2. ワイン文化日本遺産協議会「日本ワイン140年史」
  3. 甲州市「甲州ぶどうの歴史」
  4. 牛久シャトー公式
  5. 国税庁「果実酒等の製法品質表示基準について」
  6. 東京国税局「GI Yamanashi」
  7. 国税庁「酒類製造業及び酒類卸売業の概況」

更新履歴
2026年7月:初版公開
2026年7月2日:著者・編集方針・確認日を追加。主要年号、制度、「日本初」の記述に本文内出典を追加。FAQと更新履歴を追加。