早朝、山谷の寄せ場には仕事を求める人が集まり、簡易宿所では一日の宿代を払えるかどうかが暮らしを左右しました。病気やけがで働けなくなれば、収入だけでなく寝る場所まで失いかねません。こうした街を支えたのは、一つの制度や一人の「救済者」ではありません。
東京都や台東区・荒川区の労働・福祉施策、無料診療や生活相談を担う市民団体、炊き出しや居場所を続けた教会・宗教者、医療・介護・宿泊事業者、そして当事者同士の支え合いが重なってきました。
この記事では、山谷を「支援される街」とだけ見るのではなく、働き、生き、老い、病み、亡くなる人々を、社会がどのような仕組みで支えてきたのかを時系列でたどります。山谷の場所・範囲・簡易宿所街の形成については、先に「山谷の場所・範囲・ドヤ街形成の全体像」を読むと理解しやすくなります。
30秒で分かる結論
- 山谷は行政だけでも、民間の善意だけでも支えきれない地域でした。
- 1960年代以降、職業紹介・生活相談・宿泊援護・健康相談などの公的施策が整備されました。
- 1980年代以降は、無料診療、炊き出し、居住支援、居場所づくり、看取りや葬送を担うNPO・宗教系団体の役割が大きくなりました。
- 現在は、日雇い就労中心の支援から、高齢者の生活・医療・介護・孤立防止を支える仕組みへ重点が移っています。

山谷の支援史を一枚でつかむ
| 時期 | 街の課題 | 支援の中心 |
|---|---|---|
| 戦後直後 | 戦災、住宅不足、失業、食糧難 | 応急救護、仮設宿泊、生活相談 |
| 1950~70年代 | 日雇い就労、労災、賃金・宿泊問題、騒動 | 職業紹介、労働相談、宿泊・医療援護、行政の地域対策 |
| 1980~90年代 | 失業、野宿、無保険、慢性疾患 | 無料診療、炊き出し、夜回り、生活保護への同行支援 |
| 2000年代以降 | 高齢化、介護、認知症、孤立、看取り | 居住支援、日常生活支援、医療・介護連携、ホスピス、葬送 |
| 現在 | 高齢化と就労支援の併存、地域の多様化 | 行政・NPO・医療・介護・宿泊事業者・地域住民の連携 |
大きな流れは、「今日の仕事と宿を確保する支援」から、「地域で暮らし続け、老いを支える支援」へという変化です。ただし、昔の課題が完全に消えたわけではなく、就労、住まい、医療、孤立の問題は現在も重なっています。
なぜ山谷に支援が必要だったのか
日雇い労働は、仕事と住まいが同時に不安定だった
日雇い労働者は、一日単位で仕事を得て、その日の賃金から宿代と食費を払うことが多い働き方でした。雇用が継続しないため、雨天や不況で仕事がなければ、すぐに収入が途絶えます。けがや病気は、働けないだけでなく、簡易宿所に泊まれないことにもつながりました。
また、雇用関係や住所が不安定だと、健康保険、年金、労災、失業給付、福祉窓口につながりにくくなります。家族と離れて暮らす単身者も多く、病院の付き添い、退院後の生活、緊急連絡先、亡くなった後の葬送まで、通常は家族が担う役割を誰が担うのかが課題になりました。
簡易宿所は「宿」であると同時に生活の基盤になった
簡易宿所は、仕事のある時期には短期宿泊の場でした。しかし日雇い市場が縮小し、居住者が高齢化すると、長期生活の場としての性格が強まりました。旅館業の施設であるため、一般の住宅と同じではありませんが、生活保護、訪問医療、介護、見守りにつながる拠点にもなっています。
この変化を理解せずに「格安ホテルが集まる街」「生活保護の街」とだけ説明すると、宿が担ってきた住宅・福祉の機能も、そこで暮らす人の多様な事情も見えなくなります。
戦後の再形成と行政による山谷対策
戦災、引揚げ、住宅不足から日雇い労働市場へ
東京大空襲後、上野周辺には戦災者や海外からの引揚者、住まいを失った人々が集まりました。昭和館の写真資料にも、1947年の上野・不忍池に海外引揚者のテント村が置かれたことが記録されています。山谷周辺でも仮設の宿泊・生活空間が形成され、戦後復興が進むと、建設・土木の労働需要と結びついて日雇い労働者の街へ再編されていきました。
高度経済成長期には、道路、鉄道、ビル、港湾、住宅の建設が進み、全国から単身の労働者が集まりました。山谷は東京の成長を支える労働力の供給地である一方、不安定就労と劣悪な宿泊環境が集中する地域にもなりました。
生活相談、福祉、労働紹介が別々に始まった
行政施策は一度に完成したわけではありません。城北労働・福祉センターの公式沿革では、東京都は1960年に玉姫生活相談所を設置し、生活保護、児童福祉、婦人更生などの相談を開始しました。1962年には東京都山谷福祉センターが発足し、生活相談に加えて授産室、児童室、健康相談室などを運営しました。
1965年には東京都城北福祉センターと財団法人山谷労働センターが発足し、福祉相談と労働相談・職業紹介がそれぞれ整備されました。1966年には無料職業紹介が始まり、2003年に両組織が統合されて、労働と福祉を一体で扱う城北労働・福祉センターになりました。
行政の役割は東京都だけではない
山谷地域は台東区と荒川区にまたがります。東京都福祉局だけでなく、産業労働局、保健医療部門、住宅部門、両区の福祉事務所・保健所、警察、消防、公共職業安定機関などが関わってきました。
現在の東京都山谷対策総合事業計画も、生活相談、宿泊・食事・衣類などの応急援護、健康相談、結核対策、就労紹介、高齢者の居場所、都営住宅、越年越冬対策、地域防災や衛生までを一つの計画にまとめています。山谷の課題が、一つの窓口では解決できないことを示しています。
「支援」と「管理」は同じではない
山谷対策は福祉の歴史であると同時に、労働力確保、治安、衛生、都市管理の歴史でもあります。1960年代の騒動は、行政が相談・職業紹介・宿泊援護を拡充する契機になりましたが、警備や取締りの強化とも結びつきました。
現在の計画にも、生活相談や医療と並んで、消防・防災、道路や公園の清掃、簡易宿所の衛生監視などが含まれています。これらは地域の安全や生活環境を守るために必要な施策ですが、利用者の排除や尊厳の軽視につながらないよう、運用を検証する必要があります。
したがって、行政を「冷たい管理者」、民間団体を「善意の救済者」と単純に分けることはできません。公的制度がなければ継続できない支援があり、民間団体だからこそ制度の隙間に気づける支援もあります。重要なのは、誰が正しいかではなく、本人の選択と尊厳を中心に、役割をどう組み合わせるかです。
慈善団体・市民団体は何を担ったのか
山友会――無料診療から生活全体の支援へ
山友会は1984年、無料診療所「山友クリニック」の活動から始まりました。現在は無料診療、生活相談、炊き出し・アウトリーチ、食堂、居住支援、居場所・生きがいづくりなどを行っています。
無料診療は、健康保険証や住民票がないなどの事情で一般の医療機関を受診しにくい人に、医療への入口をつくる活動です。しかし診察だけで解決するわけではありません。薬を保管できるか、通院できるか、休める場所があるか、生活保護や宿泊先につながるかまで支える必要があります。山友会の活動が医療から生活相談・居住支援へ広がったのは、健康問題が住まいと孤立に直結していたためです。
ふるさとの会――住居と日常生活を地域で支える
自立支援センターふるさとの会は1990年、山谷地域を中心に活動するボランティアサークルとして始まりました。現在は、生活困窮者が地域で安定した住居を確保し、尊厳と居場所を回復するための支援を行っています。
高齢や病気、障害がある人の地域生活には、部屋を用意するだけでなく、食事、服薬、金銭管理、通院、介護サービスとの調整、近隣との関係づくりが必要です。こうした「暮らしの細部」を支える実践は、路上から施設へ移すだけの支援とは異なり、地域で生活を続けることを目的としています。
炊き出しと夜回りは、食事だけを渡す活動ではない
炊き出しは、空腹を満たす応急支援であると同時に、相談につながる接点です。顔を覚え、体調の変化に気づき、病院や福祉事務所へつなぎ、長く姿を見せない人を心配する関係が生まれます。
行政窓口へ行くことに不安がある人、制度を知らない人、過去の対応で傷ついた人にとって、路上や食堂で継続的に会う支援者は「制度への通訳者」でもあります。ただし、炊き出しだけで住まいや医療の問題が解決するわけではありません。緊急支援から制度・住宅・医療へつなぐ仕組みが必要です。
教会・宗教者は山谷で何をしてきたのか
宗教系支援は一つの型ではない
山谷では、キリスト教系の教会・修道者・信徒が、炊き出し、食堂、衣類提供、相談、無料診療、居場所づくりに関わってきました。宗教と関係する団体には、礼拝や布教を明確に行う教会もあれば、活動の理念や人材・寄付のネットワークに宗教的背景を持ちながら、支援では信仰を条件にしない団体もあります。
宗教社会学では、こうした多様な組織を一律に「宗教団体」とみなさず、宗教との関係の程度や、公的機関との協働のあり方を分けて捉える必要があると指摘されています。支援を受けることと信仰への参加を混同しないことは、本人の自由を守るための重要な原則です。
まりや食堂、ほしのいえ――食事と関係を切らさない
日本キリスト教団・山谷兄弟の家伝道所「まりや食堂」は、泪橋近くで日雇い労働者やホームレス状態の人に低価格の弁当を提供し、炊き出しや衣類提供も行っています。
ほしのいえは、山谷からの視点で社会的に不利な立場に置かれた人々の生活と人権を守ることを掲げ、生活相談、炊き出し、共同作業などを続けています。カトリック東京大司教区の紹介では、山谷で30年以上にわたり活動してきたとされています。
これらの活動の意味は、食事の量だけでは測れません。同じ曜日・同じ場所に人がいること、名前を呼ばれること、相談を急かされないことが、社会とのつながりを保つ役割を持ちます。
看取りと葬送――「家族がいない」を放置しない
きぼうのいえは、身寄りがなく行き場のない人のための在宅ホスピスケア施設です。行政・医療機関などと連携し、最期まで地域で暮らすことを支えています。
山友会は2015年、地域の寺院・光照院の協力を得て、身寄りのない路上生活者らのための墓を建立しました。ここでは仏教者が、医療・福祉団体と連携して葬送を支える役割を担っています。
看取りと葬送は、支援の「最後の付け足し」ではありません。緊急連絡先がない、遺骨の引き取り手がいない、人生を語る相手がいないという問題に向き合うことは、その人が生きている間の尊厳を支えることでもあります。
医療・介護の街へ――労働者の高齢化が変えた支援
無料診療から公的医療との連携へ
日雇い労働者は、けが、腰痛、呼吸器疾患、歯科疾患などを抱えても、保険証や費用、住所、休業の問題から受診が遅れることがありました。山谷では民間の無料診療と、城北労働・福祉センターの健康相談室、区の保健所、協力医療機関がそれぞれ役割を担ってきました。
東京都の2026~2028年度計画では、内科・外科・精神科・呼吸器内科を中心とする健康相談、簡易宿所への巡回健康相談、結核健診、DOTS(服薬確認を組み込んだ結核治療支援)、民間医療機関との連携が位置づけられています。病名だけで地域を語るのではなく、受診を妨げる住まい・所得・孤立の条件を見る必要があります。
日雇い市場の縮小で、支援の中心は老後へ移った
東京都の最新計画では、山谷地域の日雇い求職者数は減少し、簡易宿所宿泊者の高齢化と孤立化が進んでいます。2024年度調査では、旅行・ビジネス目的を除く宿泊者の平均年齢は68.2歳でした。
高齢化によって必要になるのは、仕事の紹介だけではありません。認知症、服薬、通院、介護認定、金銭管理、転倒、孤独死、退院後の居場所など、日常生活を継続する支援です。簡易宿所、日常生活支援住居施設、アパート、医療機関、介護事業所、福祉事務所が情報をつなぐ必要があります。
現在の山谷を誰が支えているのか
| 担い手 | 主な役割 | 強みと課題 |
|---|---|---|
| 東京都・台東区・荒川区 | 生活保護、保健、住宅、就労、地域対策 | 制度と財源を持つ一方、窓口の分断が課題 |
| 城北労働・福祉センター | 無料職業紹介、労働・生活相談、応急援護、健康相談 | 労働と福祉を一体で扱える |
| NPO・社会福祉法人 | 医療、炊き出し、居住・生活支援、居場所 | 柔軟で継続的だが、人材・財源の確保が必要 |
| 教会・寺院・宗教者 | 食事、相談、関係づくり、看取り、葬送 | 長期的な関係を作れるが、信仰と支援の区別が必要 |
| 医療・介護事業者 | 診療、訪問看護、介護、退院支援 | 専門性がある一方、生活背景の共有が欠かせない |
| 宿泊事業者・商店・住民 | 日常の見守り、地域生活、異変への気づき | 「支援者/被支援者」に分けられない関係 |
現在の支援は、誰か一つの組織が主役になる仕組みではありません。東京都の計画も、NPO、旅館組合、医療機関、町会、商店街、警察・消防などとの連携を明記しています。
一方で、連携が増えるほど、本人の情報が必要以上に共有されたり、支援方針が本人抜きで決まったりする危険もあります。支援の目的は「地域をきれいに見せること」や「管理しやすくすること」ではなく、本人が望む暮らしを可能にすることです。
支援の限界と、現地を歩くときの視点
制度につながれば終わりではない
生活保護を受け、部屋を確保しても、孤立や病気が解消するとは限りません。長く単身で暮らしてきた人が、新しい住宅で人間関係を失うこともあります。施設やアパートへの移転が、本人にとって本当に安定した生活なのかを継続して確かめる必要があります。
また、支援団体の多くは寄付、委託費、ボランティアに支えられています。担い手の高齢化、専門職の不足、燃料・食材・家賃の上昇は活動の継続を難しくします。制度の隙間を民間の献身だけで埋め続けることにも限界があります。
山谷を見世物にしない
泪橋、簡易宿所街、城北労働・福祉センター周辺を歩けば、地域の歴史を地理として理解できます。ただし、現役の宿や支援施設は観光展示ではありません。
- 住民・宿泊者・相談利用者を無断撮影しない
- 施設の入口で待ち伏せしたり、利用者を観察対象にしない
- 「危険な街」「貧困の街」を確認するために歩かない
- 炊き出しや宗教活動に参加する場合は、主催者のルールに従う
地域を理解するとは、珍しい風景を集めることではなく、東京の成長と社会保障の隙間を支えてきた人々の関係を読み取ることです。
よくある疑問
山谷は現在も日雇い労働者の街ですか?
日雇いの職業紹介と寄せ場の機能は現在も残っていますが、規模は大きく縮小しました。現在は高齢の長期居住者の生活・医療・介護を支える機能がより大きくなっています。
行政と民間支援は何が違いますか?
行政は生活保護、保健、住宅、就労などの法制度と継続的な財源を持ちます。民間団体は、路上や食堂で関係を築き、制度につながりにくい人に柔軟に接する強みがあります。実際には両者が連携しなければ支援は完結しません。
教会は布教のために支援しているのですか?
団体によって宗教活動との関係は異なります。礼拝を行う教会も、宗教的背景を持ちながら支援を信仰参加の条件にしない団体もあります。支援と布教を一律に同一視せず、各団体の方針と実践を確認する必要があります。
生活保護受給者が多い地域なのですか?
東京都の2024年度調査では、旅行・ビジネス目的を除く簡易宿所宿泊者のうち、受給状況に回答した人の86.2%が生活保護を受給していました。ただし、これは「山谷地域の住民全員」の割合ではありません。対象と分母を省略して地域全体を決めつけないことが大切です。
現在も支援施設を見学できますか?
多くは現役の相談・生活・医療施設で、観光施設ではありません。公開講座や報告会が案内されている場合を除き、無断で内部へ入ったり、利用者を撮影したりしないでください。
まとめ|山谷は、働き、生き、老い、支え合う街
山谷の支援史は、行政による救済の歴史でも、宗教者や市民団体の美談でもありません。東京の成長を支えた日雇い労働者が、仕事、住まい、医療、社会保険、家族関係からこぼれやすかったため、複数の制度と活動が積み重ねられた歴史です。
1960年代には生活相談、職業紹介、宿泊援護、健康相談が整えられました。1980年代以降は無料診療、炊き出し、夜回り、居住支援が広がり、高齢化とともに介護、看取り、葬送までが課題になりました。
山谷は「支援されるだけの街」ではありません。そこで働いた人、宿を営んだ人、食事を作った人、隣人を見守った人、制度を変えようとした人が、互いに支え合ってきた地域です。現在の山谷を見るときも、過去のイメージではなく、本人の尊厳と地域の多様さを中心に考える必要があります。
山谷の歴史をさらに深く知る
参考文献・資料
- 東京都福祉局「山谷対策」
- 東京都山谷対策本部「東京都山谷対策総合事業計画(令和8年度~令和10年度)」
- 公益財団法人東京都福祉保健財団 城北労働・福祉センター「令和7年度事業案内」
- 城北労働・福祉センター「城北福祉センター30年のあゆみ」
- 城北労働・福祉センター「山谷労働センター30年のあゆみ」
- 昭和館デジタルアーカイブ「上野不忍池の海外引揚者テント村」
- 認定NPO法人山友会「団体概要」
- 認定NPO法人山友会「活動内容」
- NPO法人自立支援センターふるさとの会「団体概要」
- 認定NPO法人きぼうのいえ
- ほしのいえ
- 日本キリスト教団 山谷兄弟の家伝道所・まりや食堂
- 白波瀬達也「野宿者支援における宗教の社会参加」『宗教と社会貢献』第1巻第1号

