東京の都心を歩いていると、六本木ヒルズ、虎ノ門ヒルズ、麻布台ヒルズ、アークヒルズ、愛宕グリーンヒルズ、表参道ヒルズと、「ヒルズ」の名を持つ街に何度も出会います。
高層ビル、ブランドショップ、高級住宅、美術館、ホテル、広場、庭園。外から見ると、それぞれが巨大で華やかな不動産プロジェクトに見えます。しかし、その背景をたどると、共通する一本の歴史が見えてきます。
出発点にいるのは、経済学者から不動産事業家へ転じた森泰吉郎です。その事業を、次男の森稔は「一棟のビルを建てる仕事」から「都市そのものをつくる仕事」へ発展させました。三男の森章は、別の企業グループである森トラストを率い、都市開発とホテル事業を組み合わせた独自の道を進みました。
森一族の歴史は、単なる資産家一族の物語ではありません。戦後東京のオフィス不足、高度経済成長、木造密集市街地の防災問題、国際都市間競争、文化施設の不足、都心居住の回復といった課題に、不動産開発という方法で答え続けた歴史です。
そして森ビルの本当のすごさは、目立つ超高層ビルを建てたことだけではありません。何百人もの土地・建物の権利者と何十年も話し合い、細分化された土地をまとめ、道路や公園を整え、完成後もイベント、防災、文化、緑地、自治会活動まで含めて街を育て続けることにあります。
この記事のポイント
- 森泰吉郎は、学者としての合理性と長期保有型の不動産経営を結びつけました。
- 森稔は「Vertical Garden City(立体緑園都市)」を掲げ、建物ではなく街全体を設計しました。
- ヒルズの開発は、土地買収だけではなく、地権者との長期の合意形成と権利変換によって進みます。
- 森ビルは、完成後も自ら街を運営する「都市の経営者」である点が一般的な建売型開発と異なります。
- 森章が育てた森トラストは、ホテル、リゾート、投資を組み合わせる別の都市開発モデルを築きました。
- 森一族と二つの企業グループ
- 創業者・森泰吉郎――学者が始めた不動産経営
- ナンバービル戦略――小さな点を都市の面へ変える
- 森稔――「ビルを建てる会社」を「都市をつくる会社」へ
- ヒルズとは何か――名前ではなく都市運営の仕組み
- アークヒルズ――ヒルズの原点
- 愛宕グリーンヒルズ――寺院と超高層を共存させる
- 六本木ヒルズ――17年をかけた「文化都心」
- 表参道ヒルズ――同潤会青山アパートの記憶をどう継ぐか
- 虎ノ門ヒルズ――道路と地下鉄まで都市開発に組み込む
- 麻布台ヒルズ――35年をかけた「ヒルズの未来形」
- 森ビルはどのように再開発を進めるのか
- 森ビルの何がすごいのか
- 森章と森トラスト――もう一つの森家の都市戦略
- 再開発への批判と、見落としてはいけない代償
- 東京を歩いて森一族の都市づくりを比べる
- まとめ――森一族がつくったのはビルではなく、東京の新しいつくり方
- 参考文献・参考サイト
森一族と二つの企業グループ
最初に、人物関係を整理しておきましょう。
| 人物 | 生没年 | 役割 |
|---|---|---|
| 森泰吉郎 | 1904~1993年 | 森グループの創業者。経済学者から不動産事業家へ転身 |
| 森稔 | 1934~2012年 | 森泰吉郎の次男。森ビルを率い、ヒルズ型の都市づくりを確立 |
| 森章 | 1936年~ | 森泰吉郎の三男。森トラストを継承・発展 |
| 伊達美和子 | ― | 森章の長女。2016年から森トラスト社長 |
森泰吉郎には三人の息子がいました。長男の森敬は研究者の道へ進み、次男の森稔が森ビル、三男の森章が後の森トラストを担いました。「森稔は長男」と紹介されることがありますが、正しくは次男です。
森ビルと森トラストは、名前も事業地域も似ているため、同じ会社の系列ブランドと思われがちです。しかし現在は、経営方針も事業構成も異なる別会社です。森ビルは、港区を中心に大規模複合都市をつくり、開業後も一体的に運営することを得意とします。森トラストは、都市開発にホテル&リゾート、投資事業を組み合わせ、東京だけでなく全国の観光地にも事業を広げてきました。
創業者・森泰吉郎――学者が始めた不動産経営
経営史を研究した大学教授
森泰吉郎は1904年、現在の東京都港区西新橋付近に生まれました。東京商科大学、現在の一橋大学で学び、経営史や商業史を研究した人物です。複数の学校で教えた後、横浜市立大学の教授、商学部長を務めました。
不動産会社の創業者というと、土地取引に長けた豪腕の相場師を想像するかもしれません。しかし森泰吉郎の出発点は学問です。企業がどのように資本を蓄積し、組織をつくり、長期にわたって成長するのかを研究していました。この「数字と仕組みで経営を見る」姿勢が、後の森ビルの経営にも色濃く残ります。
生家は米問屋と貸家業を営み、都心に土地を持っていました。戦後、東京では焼失した市街地の復興が進み、官庁や企業が集まる新橋・虎ノ門周辺でオフィス需要が急増します。森泰吉郎は、土地を売って一時的な利益を得るよりも、自らビルを建て、賃貸し、長く保有する方が安定した収益になると考えました。
「売る」のではなく「持ち続ける」
森泰吉郎の基本は、土地と建物を長期保有し、賃料収入を次の建設へ再投資することでした。完成したビルを売却して利益を確定するのではなく、所有し続けることで毎月の収入を積み上げます。
この方法には時間がかかります。しかし、景気の良い時だけ利益を得るのではなく、長期間にわたって経営基盤を強くできます。さらに、同じ地域で物件を増やせば、建物管理、テナント営業、修繕、警備などを効率化できます。現在の言葉でいえば、地域を限定して資産を集積する「集中戦略」です。
1955年、森ビルの前身となる森不動産が設立されました。西新橋を中心に小規模な賃貸ビルを次々と建設し、やがて森ビル1号館、2号館、3号館といった番号を付けた建物が並ぶようになります。
ナンバービル戦略――小さな点を都市の面へ変える
初期の森ビルを象徴するのが「ナンバービル」です。華やかな固有名を付けず、地域名と番号で管理された実務的なオフィスビルでした。
一棟ごとの規模は、後の六本木ヒルズとは比べものになりません。しかし、この時代に森ビルは、後の大規模再開発に必要な能力を蓄積しました。
- 土地所有者との交渉
- 建設資金の調達
- 設計会社、施工会社との調整
- オフィステナントの誘致
- 建物の設備管理、警備、修繕
- 地域内で複数の建物を運営するノウハウ
一棟を建てて終わりではなく、隣接地や近隣地で次のビルを建てる。点が増えると、地域のオフィス環境や人の流れに影響を与え始めます。森ビルは、ビル賃貸業から街区経営へ進むための経験を、一棟ずつ積み上げたのです。
| 段階 | 事業の単位 | 蓄積される力 |
|---|---|---|
| 第1段階 | 一つの土地に一棟を建てる | 建設、資金調達、賃貸経営 |
| 第2段階 | 近隣で複数棟を運営する | 地域営業、管理効率、信用 |
| 第3段階 | 複数の敷地をまとめる | 権利者調整、道路・広場整備 |
| 第4段階 | 街全体を複合開発する | 都市計画、防災、文化、運営 |
森稔――「ビルを建てる会社」を「都市をつくる会社」へ
父の事業を受け継ぎながら、発想を変えた
森稔は1934年生まれ。森泰吉郎の次男です。父が築いた賃貸ビル事業を受け継ぎながら、目標を一段大きくしました。
森稔が問題意識を持ったのは、東京の都市構造でした。高度経済成長期の東京は、中心部に会社が集中する一方、住宅は郊外へ広がり、長時間通勤が当たり前になっていました。都心にはオフィスが並んでも、夜になると人がいなくなる。道路は狭く、木造住宅が密集し、緑や文化施設も少ない。都市の機能がばらばらに配置されていたのです。
そこで森稔は、オフィスだけを建てるのではなく、住宅、商業、文化、ホテル、教育、医療、緑地を一つの徒歩圏に集めるべきだと考えました。働く場所と住む場所を近づけ、移動時間を減らし、人が一日中活動する都市をつくる。これが森ビルの「コンパクトシティ」の発想です。
Vertical Garden City――立体緑園都市
森稔の都市像を表す言葉が「Vertical Garden City」、日本語では「立体緑園都市」です。
東京の都心では、土地そのものを増やせません。そこで、細かく分かれた敷地をまとめ、建物を集約して高層化し、空と地下を立体的に使います。オフィスは高層階、商業施設は低層階、駅や道路は地下、屋上や地上には庭園と広場、別棟には住宅やホテルを配置する。平面上では不足する空間を、垂直方向に重ねる発想です。
重要なのは、高層ビルを建てること自体が目的ではない点です。建物を細かく建て詰める代わりに、一部へ集約して高くすることで、足元に道路、歩道、公園、広場、緑地を生み出します。「高密度」と「緑」を対立させず、同時に実現しようとする方法なのです。
もちろん、高層化には圧迫感、景観、建設時の環境負荷などの問題もあります。それでも森ビルは、低層建物が無秩序に密集する状態より、建物を集約して公共的な空間を確保する方が、防災や都市環境を改善できると考えてきました。
ヒルズとは何か――名前ではなく都市運営の仕組み
「ヒルズ」は、単に高級感を出すためのブランド名ではありません。森ビルが長年試行錯誤してきた都市づくりの考え方を表しています。
ヒルズに共通する要素は、次の通りです。
- 多用途の複合――オフィス、住宅、商業、ホテル、文化、教育などを徒歩圏に集める。
- 土地の集約と高層化――建物を立体的にまとめ、地上に広場と緑を生む。
- 防災性能――耐震建築、非常用電源、備蓄、広い道路、避難受け入れ機能を整える。
- 文化の導入――美術館、音楽ホール、映画館、パブリックアートを経済活動と結びつける。
- 街全体の運営――完成後もイベント、清掃、警備、植栽、情報発信、自治会、防災訓練を続ける。
- 長期保有――建物を売り切って撤退するのではなく、自ら所有・管理し、街の価値を長期で高める。
この最後の二点が特に重要です。森ビルにとって竣工は「完成」ではなく、街の運営が始まる日です。商業施設の店舗を入れ替え、イベントを企画し、広場を使い、文化を発信し、災害訓練を繰り返す。街の魅力が古くならないように手を入れ続けます。
アークヒルズ――ヒルズの原点
森ビルの都市づくりが、一棟のビルから街へ飛躍した最初の大きな成果がアークヒルズです。赤坂と六本木一丁目の間に位置し、1986年に完成しました。
事業には17年を要しました。オフィスだけではなく、住宅、ホテル、店舗、テレビスタジオ、コンサートホール、広場、緑地を一体化した、民間による日本初の大規模再開発事業と位置づけられています。
アークヒルズの画期性は、24時間活動する複合都市を日本で具体化したことにあります。昼はオフィスワーカーが働き、夜は住民が帰宅し、サントリーホールでは公演が行われます。ビジネス街でありながら、生活と文化が消えない街を目指しました。
また、桜並木や屋上緑化を育て、完成後も地域イベントを続けました。開業時に植えた緑が成長し、年月とともに街の景観が成熟することを示した点も重要です。都市は建物の完成時が最も新しく、その後は古くなるだけではありません。適切に育てれば、時間とともに価値が増すという考えがここで形になりました。
愛宕グリーンヒルズ――寺院と超高層を共存させる
2001年完成の愛宕グリーンヒルズは、歴史的環境と超高層建築をどう共存させるかに挑んだプロジェクトです。
計画地には、500年以上の歴史を持つ青松寺をはじめ複数の寺院があり、愛宕山の緑と歴史的景観が残っていました。一方、周辺で個別の建て替えが進めば、寺院や緑が小さな建物に囲まれ、景観が失われる恐れがありました。
森ビルは、約70軒以上の権利者の敷地をまとめ、オフィス棟と住宅棟を離して配置し、その間に寺院を置きました。二つのタワーは、寺院へ向かう現代の山門のように見えます。既存の地形や樹木を生かしながら、敷地の約半分をオープンスペースとして確保しました。
古い建物をすべて保存することだけが歴史との共存ではありません。土地をまとめ、建物の位置と高さを調整し、寺院や緑の存在感を都市の中で守る。このプロジェクトは、保存と開発を対立させず、都市全体の配置で解決しようとした例です。
六本木ヒルズ――17年をかけた「文化都心」
約400人の権利者と向き合う
六本木ヒルズは2003年に開業しました。地区面積は約11ヘクタール。森タワー、住宅、ホテル、テレビ朝日本社、映画館、商業施設、森美術館、展望施設、毛利庭園などから構成されます。
計画が動き始めたのは1986年です。当時の六本木六丁目には、細い道路と木造住宅が入り組み、消防車が入りにくい場所もありました。しかし、そこは単なる「未利用地」ではありません。長年暮らす住民、商店、借家人、事業者が存在する生活の場でした。
しかも1980年代後半は、強引な土地買収で住民を追い出す「地上げ」が社会問題になった時代です。再開発会社が訪ねてくれば、住民が警戒するのは当然でした。
森ビルは、地域に事務所を置き、一軒ずつ説明を重ねました。計画図を見せるだけではなく、それぞれの家族構成、商売、相続、借地・借家関係、完成後に住み続けたいか、現金で転出したいかといった事情を聞きます。合意形成には、法律や建築の知識だけでなく、生活への理解と信頼が必要です。
最初の呼びかけから開業まで17年。長い時間をかけて約400人の権利者と調整し、市街地再開発組合をつくり、権利変換、解体、建設へ進みました。この時間の長さこそ、六本木ヒルズの最大の特徴です。
経済だけでなく文化を都市の中心へ
六本木ヒルズのコンセプトは「文化都心」です。森稔は、オフィスと商業だけでは世界から人を引きつける都市にならないと考えました。
その象徴が、森タワーの最上層に置かれた森美術館です。一般に、美術館は低層の独立建物としてつくられます。六本木ヒルズでは、最も眺望がよく、賃貸オフィスにすれば高い収益を得られる場所へ文化施設を置きました。文化を付属施設ではなく、街の中心的な価値として扱ったのです。
映画館、テレビ局、パブリックアート、イベントスペースも組み込まれました。働く、住む、買うだけでなく、見る、学ぶ、交流するという行動を街の中に増やしています。
「逃げ出す街」から「逃げ込める街」へ
六本木ヒルズは防災面でも、森ビルの考えを具体化しました。開発前の狭い道路を再編し、幅の広いけやき坂通りやオープンスペースを整備しました。建物を耐震化し、歩行者と車の動線を分け、災害時に地域の人を受け入れる場所を用意しています。
街区内には独自のエネルギープラントがあり、通常時から電気と熱を供給します。電力会社の系統だけに依存せず、非常時にも都市機能を維持しやすくする仕組みです。帰宅困難者向けの備蓄、防災訓練、自治会活動など、設備だけでなく運営面も組み合わせています。
高層ビルは災害時に弱いというイメージがありますが、森ビルは逆に、耐震性、非常電源、備蓄、管理要員を集中させることで、大規模複合施設を地域の防災拠点にしようとしました。これが「逃げ出す街から、逃げ込める街へ」という考え方です。
年間4,000万人を引きつけるタウンマネジメント
六本木ヒルズが開業後も注目を保っている理由は、建物の新しさだけではありません。季節イベント、アート展、映画祭、クリスマスマーケット、盆踊り、稲作体験、防災訓練などを継続し、街へ来る理由を更新し続けています。
商業施設、オフィス、住宅、美術館、映画館、広場を別々に管理するのではなく、一つの街として運営する。来街者数、イベント、メディア発信、テナント構成、警備、清掃、植栽を連動させる。この統合的な運営が「タウンマネジメント」です。
不動産会社は通常、建設して販売すれば事業が終わることがあります。森ビルは長期保有するため、開業後の街の評判や快適性が、オフィス賃料、住宅価値、商業売上、来街者数へ直接影響します。だからこそ、街を育てることが経営そのものになります。
表参道ヒルズ――同潤会青山アパートの記憶をどう継ぐか
2006年に開業した表参道ヒルズは、同潤会青山アパートの再開発です。関東大震災後につくられた同潤会アパートは、日本の近代集合住宅史を象徴する建物でした。一方で、老朽化が進み、設備や耐震性の更新が必要になっていました。
設計を担当した安藤忠雄は、建物の高さを表参道のケヤキ並木とほぼ同程度に抑えました。超高層化を得意とする森ビルが、ここでは街路景観に合わせて低い建物を選んだ点が重要です。
内部には、表参道の坂とほぼ同じ勾配を持つ螺旋状のスロープが設けられました。訪れる人はエスカレーターで階を飛び越えるのではなく、坂道を歩くように店舗を巡ります。屋内に「第二の表参道」をつくったのです。
旧同潤会青山アパートの一部は再現・継承され、街の記憶を残しました。保存の量や再開発の是非には今も議論がありますが、表参道ヒルズは、場所ごとに最適な高さや形を選ぶ森ビルの柔軟さを示しています。
虎ノ門ヒルズ――道路と地下鉄まで都市開発に組み込む
68年間動かなかった道路計画を動かす
虎ノ門ヒルズ森タワーは2014年に開業しました。このプロジェクトの最大の特徴は、建物の地下を環状第二号線が通っていることです。
環状第二号線の新橋・虎ノ門間は、戦後間もなく都市計画が決まりながら、用地取得などの難しさから長く完成しませんでした。東京都は、道路の上下空間を建築物と一体利用できる立体道路制度を活用し、市街地再開発事業と道路整備を組み合わせました。森ビルは公募で選ばれ、官民連携で事業を進めました。
道路を通すために街を分断するのではなく、道路の上に建物と広場を重ね、地上部には新虎通りを整備する。都市インフラと不動産を別々に考えず、一体で設計したことが画期的でした。
一棟から四棟の「国際新都心」へ
虎ノ門ヒルズは森タワー一棟で終わりませんでした。ビジネスタワー、レジデンシャルタワー、ステーションタワーが加わり、区域面積約7.5ヘクタール、延床面積約80万平方メートルの街へ成長しました。
日比谷線の虎ノ門ヒルズ駅も街と一体で整備され、地下、地上、デッキをつないで回遊性を高めています。ステーションタワー上部には、展示、会議、イベント、研究開発を行う情報発信拠点「TOKYO NODE」が設けられました。
六本木ヒルズが文化を軸にした「文化都心」なら、虎ノ門ヒルズは企業、人材、交通、ホテル、会議機能を集めた「グローバルビジネスセンター」です。それぞれのヒルズに役割を持たせ、徒歩や地下鉄でつながる地域全体を強くする考えが見えます。
麻布台ヒルズ――35年をかけた「ヒルズの未来形」
複雑な地形と約300人の権利者
2023年に開業した麻布台ヒルズは、森ビルが開業まで約35年をかけた再開発です。計画地は高台と谷が入り組み、敷地が細かく分かれ、木造住宅や小規模ビルが密集していました。道路も狭く、防災と都市基盤の更新が課題でした。
1989年に街づくり協議会が設立され、約300人の権利者との話し合いが続きました。六本木ヒルズより長い年月は、巨大な設計図を描くだけでは街ができないことを示しています。
再開発では、住宅を持つ人、店を営む人、貸している人、借りている人、相続を控える人など、立場が異なります。同じ「賛成」でも、完成後に住みたい人と現金化したい人では条件が違います。計画が長期化すれば、世代交代や経済情勢、法律、建設技術も変わります。それでも関係を維持し、計画を更新し続ける組織力が必要です。
建物より中央広場を先に考える
麻布台ヒルズのコンセプトは「Modern Urban Village」です。中心にあるのは超高層タワーではなく、緑に包まれた中央広場です。
敷地には約2.4ヘクタールの緑地が設けられ、オフィス、住宅、ホテル、商業施設、文化施設、インターナショナルスクール、医療・ウェルネス機能が配置されています。都市の中心でありながら、村の広場のように人が出会う場所を目指しました。
大きな建物を建て、残った場所を緑化するのではなく、広場と緑を中心に置き、その周囲と上空へ必要な機能を組み立てる。アークヒルズから続く立体緑園都市が、より人間中心の形へ進化したものといえます。
Green & Wellnessという新しい軸
麻布台ヒルズでは、緑だけでなく健康が街の中心テーマになっています。予防医療センター、フィットネス、食、オフィス、住宅を連携させ、病気になってから治すだけでなく、日常生活の中で健康を支える都市を目指しています。
また、森JPタワーのヒルズハウスは、入居企業の社員が会社の専有オフィスを越えて働き、交流できる場所です。建物の床を貸すだけでなく、街全体を働く環境として提供する発想です。
麻布台ヒルズは、森ビルが長年培った複合開発、緑化、防災、文化、国際教育、ホテル、住宅、タウンマネジメントを一つに集めた「ヒルズの未来形」と位置づけられています。
森ビルはどのように再開発を進めるのか
大規模再開発は、土地を買い集めて一気に建物を建てる事業ではありません。特に既成市街地では、多数の権利と生活を調整し、行政の都市計画手続きを経て、資金を組み立てる必要があります。
第1段階 地域の課題を調べる
最初に、道路の狭さ、建物の老朽化、災害危険度、地形、権利関係、交通、地域の歴史、住民構成などを調べます。再開発は「古いから壊す」のではなく、その地域で何を解決するのかを明確にしなければ進みません。
アークヒルズでは職住近接と文化、六本木ヒルズでは木造密集地の防災と文化都心、虎ノ門ヒルズでは道路・鉄道と国際ビジネス、麻布台ヒルズでは複雑な地形、防災、緑、健康が主要テーマになりました。
第2段階 地域に入り、話し合いの場をつくる
地権者や住民が参加する勉強会、協議会、準備組合などをつくり、計画の可能性を共有します。ここでは完成予想図よりも、疑問や不安を出せる関係づくりが重要です。
「住み続けられるのか」「店は再開できるのか」「工事中はどこへ移るのか」「住宅ローンや税金はどうなるのか」「先祖代々の土地はどう扱われるのか」。一人ひとりの事情を解決しなければ、全体計画は進みません。
第3段階 都市計画と事業計画を組み立てる
道路、公園、建物の用途、高さ、容積、歩行者動線などを行政と調整し、都市計画として位置づけます。事業費、工期、床の用途、権利者が取得する床、外部へ貸したり売ったりする床も計画します。
森ビルの強みは、建築だけでなく、オフィス、住宅、商業、ホテル、文化、設備管理、都市計画を社内外の専門家と統合できることです。用途が多いほど調整は難しくなりますが、昼夜や平日休日で利用者が入れ替わり、街の活動を持続させられます。
第4段階 再開発組合を設立する
第一種市街地再開発事業では、土地や建物の権利者が再開発組合をつくり、事業主体になります。森ビルは事業協力者や参加組合員などとして、計画、資金、設計、テナント誘致、運営の力を提供します。
「森ビルが住民から土地を全部買い取って開発する」という単純な構図ではありません。権利者自身が事業に参加し、完成後の建物に権利を持つ仕組みが中心です。
第5段階 権利変換を行う
市街地再開発の重要な仕組みが「権利変換」です。事業前に持っていた土地、建物、借地権などを評価し、その価値に応じて、完成後の建物の床と敷地の持分へ置き換えます。この床を権利床と呼びます。
たとえば、再開発前に住宅を持っていた人が、完成後の住宅棟の一室を取得して戻ることができます。商店主が商業床を得て営業を再開する場合もあります。地区外へ転出し、補償を受ける選択もあります。
新しい建物には、権利者が取得する権利床以外に、事業費をまかなうための保留床がつくられます。保留床を事業者が取得し、オフィスや住宅として貸す、または売ることで、道路、広場、解体、建設、補償などの費用を支えます。
第6段階 移転、解体、建設を進める
権利変換が決まると、住民や店舗の一時移転、既存建物の解体、インフラ移設、建設へ進みます。工事期間中の仮住居や仮店舗、引っ越し、営業継続も大きな課題です。
大規模プロジェクトでは、地下鉄、道路、電気、ガス、上下水道、通信を動かしながら建設することがあります。完成図だけを見ると一つの建物に見えても、実際には都市の基盤を組み替える土木事業でもあります。
第7段階 テナントを集め、街を同時に立ち上げる
完成前から、オフィス企業、商業店舗、ホテル運営会社、文化施設、学校、医療機関などを誘致します。複合都市では、一つの用途だけ成功しても十分ではありません。
住宅は埋まったが商業が弱い、休日は人が来るが平日の夜は閑散とする、オフィスは満室でも地域との関係がない、といった状態を避けるため、用途の組み合わせと開業時期を調整します。
第8段階 開業後に街を育てる
森ビルにとって、ここからが本番です。警備、清掃、設備管理、植栽、商業運営、イベント、文化事業、広報、防災訓練、自治会支援を一体で続けます。
長期保有する会社だからこそ、短期の販売価格より、10年後、20年後の街の価値を考えます。古くなった設備を更新し、店舗を入れ替え、新しいイベントを始め、近隣の別プロジェクトと歩行者動線をつなぐ。都市開発を一度の建設ではなく、終わりのない経営として扱うのです。
森ビルの何がすごいのか
1 何十年という時間を事業として耐えられる
アークヒルズ17年、六本木ヒルズ17年、麻布台ヒルズは開業まで約35年。普通の企業なら、売上が立たない準備期間をこれほど長く抱えることは困難です。
森ビルは、既存ビルの賃料収入と長期保有資産を基盤に、将来の再開発へ人材と資金を投入します。短期の利益だけで判断せず、地域との関係を切らずに待ち続けられる財務と組織が、大規模再開発を可能にします。
2 不動産ではなく「都市機能」を組み合わせる
オフィス会社、住宅会社、商業施設会社、ホテル会社が別々に建物をつくると、都市機能は分断されがちです。森ビルは、一つの街区に異なる用途を入れ、相互に価値を高めます。
美術館が来街者を呼び、商業施設を利用してもらう。ホテルが国際企業の活動を支え、オフィスの魅力を高める。住宅が夜間人口を生み、街の安全と日常性をつくる。広場がイベント会場となり、企業と地域をつなぐ。単独では採算が難しい機能も、全体で価値を生むように設計します。
3 開発と運営が分かれていない
建設会社が建て、投資家が所有し、別会社が管理し、さらに別会社が商業運営をする場合、街全体の方針を統一するのは難しくなります。
森ビルは、企画、開発、所有、賃貸、管理、文化事業、タウンマネジメントを長期にわたって担います。もちろん多くの設計者、施工会社、運営会社と協力しますが、街の思想を持ち続ける主体が存在します。
4 高密度化と緑化を同じ計画で考える
都心で大きな緑地をつくるには、建物の床面積をどこかで確保する必要があります。森ビルは建物を立体的に集約し、足元を空けることで広場と緑を生み出します。
六本木ヒルズの毛利庭園、アークヒルズの桜、愛宕山の既存樹木、麻布台ヒルズの中央広場は、商業施設の装飾としての植栽ではありません。街の構造を決める要素です。
5 文化を費用ではなく都市の競争力として扱う
サントリーホール、森美術館、パブリックアート、TOKYO NODEなど、森ビルの街には文化・情報発信施設が組み込まれています。
文化施設は、オフィスのように安定した賃料を生むとは限りません。しかし、才能ある人や国際企業は、仕事場だけで都市を選ぶわけではありません。美術、音楽、教育、食、交流がある都市に集まります。文化を都市の磁力として捉えたことが、森稔の先見性でした。
6 防災を建物単体ではなく街区で考える
耐震性の高いビルを建てるだけでは、周囲の道路が塞がり、電力が止まり、人があふれれば都市は機能しません。
森ビルは、道路、広場、電力、備蓄、情報発信、防災訓練を街区単位で整えます。再開発によって生まれた空地を、平常時は広場、災害時は避難受け入れ空間として使う。設備と運営を組み合わせる点に強みがあります。
7 港区に集中し、ヒルズ同士をつなぐ
森ビルの主要プロジェクトは、赤坂、六本木、虎ノ門、麻布台、愛宕など港区の都心南部に集中しています。これは偶然ではありません。
一つの巨大開発だけで東京全体を変えることはできません。しかし、近接地域に異なる役割の街を連続してつくれば、オフィス、住宅、文化、ホテル、交通のネットワークが形成されます。六本木ヒルズは文化、虎ノ門ヒルズはビジネス、麻布台ヒルズは緑と健康という個性を持ちながら、広域では一つの「ヒルズエリア」を形づくります。
森章と森トラスト――もう一つの森家の都市戦略
銀行経験を持つ三男
森章は1936年生まれ。慶應義塾大学経済学部を卒業後、安田信託銀行に入行しました。1972年に森ビルへ入り、翌1973年にはホテル事業を立ち上げます。
森稔が都市の理想像を強く追求した人物だとすれば、森章は金融、投資、資産効率、ホテル運営を組み合わせる経営者として特徴づけられます。1993年に森ビル開発、現在の森トラストの社長となり、2016年に長女の伊達美和子へ社長職を引き継ぎました。2026年6月時点でも会長を務めています。
都市開発にホテルを組み込む
森トラストは、1973年に日本初の法人会員制リゾートとされるラフォーレ倶楽部を始めました。その後、都市の大型複合開発に国際水準のホテルを組み込む戦略を進めます。
ホテルは単なる宿泊施設ではありません。海外企業の経営者や専門家、観光客、国際会議の参加者を受け入れ、都市の国際性を支えます。一方で、景気や観光需要の影響を受ける事業でもあります。森トラストは、不動産賃貸の安定性とホテルの成長性を組み合わせてきました。
東京ワールドゲート
神谷町駅に直結する東京ワールドゲートは、神谷町トラストタワーを中心とする複合開発です。オフィス、ホテル、住宅、商業、医療、緑地を備え、東京と世界をつなぐ玄関を目指しています。
森ビルのヒルズが、一つの街に多様な生活機能を集めて長期運営する思想を前面に出すのに対し、森トラストのワールドゲートは、国際ホテル、ビジネス、投資価値を強く組み合わせています。
東京ワールドゲート赤坂
赤坂トラストタワーを中心とする東京ワールドゲート赤坂では、オフィス、ホテル、サービスアパートメント、商業、医療、歴史文化発信施設、大規模緑地が整備されています。
赤坂氷川神社、大名屋敷跡、江戸型山車など、地域の歴史文化を現代の国際ビジネス拠点へつなぐことも計画の柱です。森トラストもまた、単体ビルから複合都市へ進んでいますが、森ビルとは異なる経営の色を持っています。
再開発への批判と、見落としてはいけない代償
森ビルの都市づくりを評価するには、批判も正面から見る必要があります。
古い街並みと小さな生活空間が失われる
再開発前の地域には、路地、木造住宅、個人商店、近所づきあい、土地の記憶があります。新しい建物の一部に権利者が戻れても、以前と同じ暮らしが完全に再現されるわけではありません。
安全性と利便性が向上する一方、偶然に生まれた雑多さや、小規模な店が入りやすい低家賃の空間が失われることがあります。
街が高価格化する
大規模再開発によって地域の知名度と不動産価値が上がると、周辺家賃も上昇しやすくなります。高級住宅、国際企業、ブランド店舗が集まる一方、従来の住民や小規模事業者が入りにくい街になる可能性があります。
公共空間のように見える私有空間
ヒルズの広場や通路は、多くの人が自由に利用できる一方、所有・管理は民間企業が担います。安全で清潔な環境を維持しやすい反面、利用ルールや表現活動が企業の管理方針に左右されます。
巨大開発が都市景観に与える影響
超高層建築は遠くから見えるランドマークになる一方、圧迫感、風環境、日影、眺望、歴史的景観への影響があります。緑地が増えても、建設そのものに大量の資材とエネルギーが必要です。
したがって、「森ビルは東京を良くした」か「古い東京を壊した」かの二択では捉えられません。防災、交通、緑、文化、国際競争力を得る一方で、失われる街並みや生活があります。重要なのは、利益を誰が受け、負担を誰が引き受けるのか、どこまで地域の記憶を継げるのかを検証し続けることです。
東京を歩いて森一族の都市づくりを比べる
森ビルと森トラストの代表的な街は、地下鉄と徒歩で巡ることができます。建築を見るだけでなく、道路、広場、緑、坂、地下通路、人の滞在場所に注目すると、開発思想の違いが見えてきます。
| 場所 | 見るポイント |
|---|---|
| アークヒルズ | オフィス、住宅、音楽ホール、桜並木を組み合わせたヒルズの原点 |
| 愛宕グリーンヒルズ | 寺院、愛宕山の緑、二つの超高層タワーの配置 |
| 虎ノ門ヒルズ | 環状二号線、地下鉄駅、デッキ、複数タワーの連続性 |
| 麻布台ヒルズ | 中央広場を中心にした配置、高低差をつなぐ歩行者動線 |
| 六本木ヒルズ | 毛利庭園、けやき坂、森美術館、防災拠点、街のイベント |
| 表参道ヒルズ | ケヤキ並木と建物の高さ、内部の螺旋スロープ、旧同潤会の記憶 |
| 東京ワールドゲート | ホテル、オフィス、緑地を組み合わせた森トラスト型の国際拠点 |
この順番で歩くと、1986年のアークヒルズから2023年の麻布台ヒルズまで、森ビルの考えがどのように進化したかを比較できます。また、神谷町周辺では森ビルの麻布台ヒルズと森トラストの東京ワールドゲートが近接しており、同じ森家をルーツとする二社の違いを現地で確かめられます。
まとめ――森一族がつくったのはビルではなく、東京の新しいつくり方
森泰吉郎が始めたのは、一棟ずつの堅実な賃貸ビル経営でした。土地と建物を売らずに持ち続け、賃料を次の事業へ回す。その積み重ねが、長期の再開発を支える経営基盤になりました。
森稔は、その基盤を使って都市の理想を追求しました。職住近接、文化、防災、緑、国際性を一つの徒歩圏に集める「立体緑園都市」を掲げ、アークヒルズ、六本木ヒルズ、虎ノ門ヒルズ、麻布台ヒルズへ発展させました。
森章は、金融的な視点とホテル事業を組み合わせ、森トラストという別の道を築きました。東京ワールドゲートに見られるように、国際ホテルとオフィスを核に都市の価値を高めています。
森ビルのすごさは、高い建物を建てる技術だけではありません。
- 何百人もの権利者と何十年も話し合うこと
- 土地、建築、道路、鉄道、文化、防災を一つの計画へまとめること
- 完成後も自ら所有し、街を運営し、価値を更新し続けること
- 一つの街だけでなく、複数のヒルズをつないで都市圏をつくること
これらを一貫して実行できる企業は多くありません。
一方で、再開発によって失われる路地、商店、低家賃の空間、地域の記憶もあります。森ビルの街を理解するには、華やかな完成後の姿だけでなく、開発前の暮らし、長い合意形成、得られた公共的価値、失われたものを合わせて見る必要があります。
東京の街角で「ヒルズ」という名前を見つけたとき、その背後には、森泰吉郎の一棟のビルから始まり、森稔の都市思想、地権者との長い対話、行政との調整、完成後の街の運営へ続く、半世紀以上の物語があります。
森一族がつくったのは、東京の目立つ建物だけではありません。細分化した土地をまとめ、都市機能を立体化し、街を長期で経営するという、戦後東京の新しいつくり方そのものだったのです。
参考文献・参考サイト
- 森ビル株式会社「歴史・沿革」
- 森ビル株式会社「OUR STORY」
- 森ビル株式会社「Vertical Garden City―立体緑園都市」
- 森ビル株式会社「都市再開発」
- 森ビル株式会社「タウンマネジメント」
- 森ビル株式会社「防災・安全」
- 森ビル株式会社「アークヒルズ」
- 森ビル株式会社「愛宕グリーンヒルズ」
- 森ビル株式会社「六本木ヒルズ」
- 森ビル株式会社「六本木ヒルズ開発経緯」
- 森ビル株式会社「表参道ヒルズ」
- 森ビル株式会社「虎ノ門ヒルズ」
- 森ビル株式会社「麻布台ヒルズ」
- 森ビル株式会社「麻布台ヒルズ 開発経緯」
- 東京都都市整備局「市街地再開発事業について」
- 森トラスト株式会社「社長ごあいさつ」
- 森トラスト株式会社「中長期ビジョン」
- 森トラスト株式会社「東京ワールドゲート赤坂」
- 森稔『ヒルズ 挑戦する都市』朝日新聞出版

