顔や体にある小さな黒い点は、時代や地域によって「運命のしるし」「美の印」「隠したい傷」「装飾」と、まったく違う意味を与えられてきました。古代メソポタミアには身体の印から吉凶を読む文書があり、インドや中国でも身体相学の一部としてほくろが扱われました。近世ヨーロッパでは、天然のほくろを読む文化と並んで、黒い布を貼る「つけぼくろ」が流行します。
一方、現代の皮膚科学では、一般的なほくろはメラニンが表面に残った跡というより、メラノサイト系の細胞が局所的に増えた良性の母斑として理解されています。皮膚の表面が入れ替わっても同じ場所に色が続く理由には、色素を作る細胞集団と、その細胞に生じた体細胞変異が関わります。
- 古代メソポタミアでは、身体の印から未来を読んだ
- ギリシャ・ビザンツ世界には「ほくろ占い」の専門文書があった
- インドでは身体全体が「運命を読む地図」になった
- 中国と日本では、ほくろを人相の一部として読んだ
- イスラム世界では「フィラーサ」が外見と性質を結びつけた
- ペルシアでは、ほくろが「美しい一点」になった
- 古代エジプトでは、化粧と刺青の史料が豊富に残る
- 近世ヨーロッパでは「つけぼくろ」が流行した
- 西洋にも天然のほくろを読む文化があった
- 科学で見ると、ほくろは何でできているのか
- 皮膚が新陳代謝しても、同じ場所が黒く見える理由
- ほくろの形成には遺伝子の体細胞変異が関わる
- ほくろには「一生」がある
- 「運命の印」と「細胞の集団」は同じ黒い点を見ている
- 参考文献・資料
古代メソポタミアでは、身体の印から未来を読んだ
ほくろやあざの位置を吉凶と結びつける発想は、古代メソポタミアの占兆文書までさかのぼれます。アッシリア学で「Šumma alamdimmû(シュンマ・アランディンムー)」と呼ばれる系列には、顔つき、目、髪、身体の形、皮膚上の印、筋肉の動きなどを観察し、その人に起こる出来事を判断する項目がまとめられていました。
シカゴ大学東洋研究所の研究書が紹介する例では、黒い出生時の印が左眉の上にある場合や、女性の右耳に小さな印がある場合など、身体上の場所ごとに異なる予兆が割り当てられています。当時の「黒い印」は現代医学の色素性母斑より広く、出生時の印や皮膚変化を含む場合があります。皮膚の局所的な印を運命の手がかりとして読む体系は、紀元前のメソポタミアにすでに存在していました。
ギリシャ・ビザンツ世界には「ほくろ占い」の専門文書があった
ギリシャ語圏では、ほくろや出生時の印を読む占いがエライオスコピー(elaeoscopy)として知られました。初期ビザンツ期のものと考えられる偽メランプスの『身体のほくろについて』では、頭から足へ順に身体の印を取り上げ、男性と女性で異なる判断を与えています。
ギリシャ語の elaia は本来「オリーブ」を意味し、黒く丸い身体の印にも使われました。研究者ヴェロニク・ダーゼンは、この文献を古代の身体占いの一例として取り上げ、皮膚の不規則な印から将来や性質を読む伝統を論じています。後世にも写本や改作が残り、この種の占いがビザンツ以後まで受け継がれたことが分かります。
インドでは身体全体が「運命を読む地図」になった
インドには、身体の形や印から性質や運命を読む「サームドリカ・シャーストラ(Sāmudrika-śāstra)」の伝統があります。インド学者ケネス・Z・ジスクの研究では、人間の身体上の印を読む体系が『ガールギーヤ・ジョーティシャ』、『ブリハット・サンヒター』、プラーナ文献、独立したサームドリカ文献へ展開した過程が整理されています。
古代インド医学にも、皮膚の黒い点を区別する語がありました。『スシュルタ・サンヒター』の英訳では tilakālaka が、胡麻粒ほどの大きさで皮膚と同じ高さにある黒い無痛性の斑点として記述されています。占いと医学は目的が異なりますが、身体の小さな黒い印が古くから観察・分類されていた点は共通します。
ジスクは、インドの身体相学と古代メソポタミアの身体占兆との比較も行っています。インドの体系を単純にメソポタミア由来とみなすより、身体の局所的な印を体系化する発想が地域を越えて交流し、再編された可能性を考える材料になります。
中国と日本では、ほくろを人相の一部として読んだ
中国の相術では、顔色、骨格、目鼻立ち、身体の各部と並んで、黒子(ほくろ)も判断材料になりました。敦煌から出土した相書には、身体各部の黒子を扱う文書が含まれます。Livia Kohnの中国人相学研究では、敦煌文書を、顔色を五行と結びつけるもの、身体各部を総合的に読むもの、身体の黒い点の意味を扱うものに分類しています。
唐代の敦煌写本P.3492vは、人体各部の黒子の位置と吉凶を記した「相痣書」の断片として研究されています。後世の『神相全編』のような人相書にも、顔の区分や身体の特徴を読む体系が受け継がれました。時代ごとの相書で解釈は異なり、現代に流通する簡略化された一覧表には後世の整理も含まれます。
日本では人相学の影響を受ける一方、美容の面ではほくろを取り除く発想も広がりました。国立国会図書館のレファレンス協同データベースは、江戸時代の美容指南書にほくろの除去法が掲載された例を紹介しています。文化10年(1813)刊行の『都風俗化粧傳』は、庶民向けの美容手引きとして、肌の手入れ、化粧、身体の見せ方など幅広い方法を扱った書物です。
イスラム世界では「フィラーサ」が外見と性質を結びつけた
中世イスラム世界には、外見上の特徴から人物の性質や内面を読むフィラーサ(firāsa、ʿilm al-firāsa)がありました。米国国立医学図書館(NLM)は、フィラーサをギリシャ・ローマの身体相学を受け継ぎながら、医学的な診断や予後、人物評価、占術などにも応用された知的伝統として紹介しています。
NLMには、偽アリストテレス『秘密の書』の身体相学部分、14世紀シリアのシャムス・アッディーン・アル=ディマシュキーの身体相学書、ペルシア語の身体相学論などが所蔵されています。アル=ディマシュキーの写本は、紙・書体・装飾から1400年ごろのマムルーク朝エジプトで作られた可能性が高いとされています。
フィラーサは、顔の形、目、鼻、髪、手、歩き方などを含む広い身体観察を扱いました。ほくろだけを独立して読む体系よりも、外見から人物の性質を判断する知識体系として発達しました。
ペルシアでは、ほくろが「美しい一点」になった
ペルシア語文学では、ほくろを意味する khāl(ハール)が恋人の美を表す重要な語になりました。『Encyclopaedia Iranica』は、古典ペルシア詩の恋人に備わる魅力的な特徴として、顔の産毛を表す khatt と khāl を挙げています。ハーフェズをはじめとする詩人たちは、黒いほくろを髪、眉、目、唇などと組み合わせ、理想化された美の一部として詠みました。
化粧文化にも人工の「美しいほくろ」が登場します。Iranicaの化粧史項目では、花嫁が頬や口元に khāl を描いた例が紹介されています。ペルシア文化では、天然のほくろと描いた黒い点の双方が、美の表現に組み込まれていました。
古代エジプトでは、化粧と刺青の史料が豊富に残る
古代エジプトには、アイメイク、軟膏、香料などの化粧文化があり、男性と女性の双方が化粧品を使いました。大英博物館は、先王朝時代から中王国にかけてのミイラに残る刺青も紹介しています。点や線の幾何学模様のほか、近年の赤外線調査では動物を表した刺青も確認されました。
古代エジプトの身体装飾を伝える史料は、化粧や刺青が中心です。18世紀ロンドンでは『Old Egyptian Fortune-Teller’s Last Legacy』という占い冊子が刊行され、身体のほくろの意味まで「エジプトの秘伝」のように紹介されました。英国図書館は、これを匿名の英国人が編んだ占い冊子として扱っています。後世のヨーロッパで「古代エジプト」が神秘的な権威として利用された例です。
近世ヨーロッパでは「つけぼくろ」が流行した
17~18世紀のヨーロッパでは、黒い布片を肌に貼る beauty patch が流行しました。フランス語では mouche(ムーシュ)と呼ばれます。メトロポリタン美術館が所蔵する1750年代のパッチボックスには、黒いタフタのパッチ、紅、鏡、刷毛を収納する区画があります。同館は、シルク、タフタ、革などのパッチが男女に使われ、傷や肌の欠点を覆いながら白い肌を引き立てたと説明しています。
ヴェルサイユ宮殿の研究記事によると、17世紀後半のパリにはムーシュを作る専門職があり、1691年の住所録にはサン=ドニ通りの店が掲載されています。シャルル・ペローの1697年版『シンデレラ』にも、舞踏会の支度として評判の作り手からムーシュを買う場面があります。黒い一点は、傷を覆う道具から、形や配置を楽しむ装飾へ発展しました。
つけぼくろは政治風刺にも使われた
1711年6月2日付の英国誌『The Spectator』第81号(米国議会図書館所蔵資料)には、ロンドンのオペラ劇場で、額の左右につけぼくろを配置した女性たちをホイッグとトーリーになぞらえる風刺が掲載されています。中央の席には顔の両側にパッチを置く「中立」の女性たちが描かれ、天然のほくろまで党派の印に見えてしまうという冗談も続きます。
『The Spectator』第81号は風刺文学です。左右の配置を固定的な政治暗号として定めた規則集とは性格が異なり、当時の党派対立とファッションを結びつけた風刺の実例として残っています。
西洋にも天然のほくろを読む文化があった
人工のつけぼくろが流行した時代、西洋では天然のほくろから運命を読む書物も読まれていました。1653年にロンドンの医師・占星術師リチャード・ソーンダースが刊行した書物には、顔相、手相、額の線と並んで、ほくろを読む方法が収録されています。Manchester University Pressの『Renaissance Skin』は、同書が繰り返し再版され、身体上の印から現在の状態や将来を読む手引きとして利用されたことを紹介しています。
古代地中海世界にはほくろ占いがあり、近世ヨーロッパでは天然のほくろを読む文化と、人工の黒い点を美として作る流行が併存しました。
科学で見ると、ほくろは何でできているのか
文化史では身体上の「印」として読まれてきたほくろを、皮膚科学は細胞の集まりとして観察します。一般的なメラノサイト系母斑は、メラノサイト由来の母斑細胞が局所的に増えた良性病変です。茶色や黒に見える母斑にはメラニンが含まれます。
メラニンはメラノサイト内のメラノソームという小器官で作られ、周囲のケラチノサイトへ受け渡されます。表皮の大部分を占めるケラチノサイトは、基底層から上層へ移動しながら分化し、最終的に角層から脱落します。色素を受け取った表皮細胞が永遠に同じ場所に残っているわけではなく、基底部や真皮にある色素細胞系の集団がその場所に維持されます。
皮膚が新陳代謝しても、同じ場所が黒く見える理由
表面の細胞が入れ替わってもほくろが残る理由は、「黒さそのもの」の保存より「色を作る細胞集団」の維持にあります。メラノサイトは表皮の基底層に位置し、樹状突起を伸ばして複数のケラチノサイトへメラニンを渡します。母斑では、こうしたメラノサイト系の細胞が表皮と真皮の境界や真皮内に巣を作っています。
- 表面側のケラチノサイトは新陳代謝で移動し、最後に脱落します。
- 母斑細胞の集団は同じ局所に長くとどまります。
- メラニンを含む細胞や周囲の組織が繰り返し着色されるため、外からは同じ場所に色が続いて見えます。
DermNetは、一般的な後天性母斑を、表皮と真皮の境界に母斑細胞が集まる「境界母斑」、境界と真皮の双方に細胞がある「複合母斑」、真皮内に細胞がある「真皮内母斑」などに分類しています。年齢とともに細胞の位置や色素量が変わり、平らで濃い母斑が盛り上がったり、色が薄くなったりする経過もあります。
ほくろの形成には遺伝子の体細胞変異が関わる
一般的な後天性母斑の多くでは、細胞増殖を調節するMAPK経路に関係するBRAF遺伝子の変異が見つかります。代表的なのがBRAF V600Eです。これは多くの場合、受精時から全身の細胞が共有する変異ではなく、皮膚の一部の細胞で後から生じた体細胞変異です。
一つのメラノサイトに増殖を促す変異が生じ、その細胞の子孫が局所的に増えると、同じ変異を共有する細胞集団ができます。研究では、メラノサイト系母斑を「特定の体細胞変異をきっかけに増え、その後に増殖が止まったクローン性病変」と捉える考え方が示されています。
変異があっても、多くのほくろが長く安定する理由
BRAF V600Eはメラノーマでも知られる変異ですが、一般的な母斑の大半は長期間安定します。母斑では、変異によって一時的に増殖した後、細胞周期に強いブレーキがかかります。p16などを介する細胞老化がこの停止に関与するというモデルが広く研究されてきました。近年は「安定したクローン性増殖」という捉え方も提案され、増殖停止の仕組みには研究上の議論が続いています。
先天性の大きなメラノサイト系母斑では、胎児発生の途中に生じた受精後の体細胞変異が関係し、NRASやBRAFなどMAPK経路の遺伝子変化が多く報告されています。発生の早い段階で変異が起こるほど、その細胞から生じる領域が広くなる可能性があります。
ほくろには「一生」がある
後天性母斑は子どもから若年期に現れることが多く、形は生涯を通じて変化することがあります。DermNetの病理解説では、初期には表皮と真皮の境界にメラノサイトの巣があり、時間とともに真皮側へ広がり、さらに成熟すると境界部の活動が減るという経過が説明されています。真皮内の母斑は盛り上がり、色が薄くなることもあります。
加齢とともに退縮する母斑もあり、50歳以降は母斑の数が減る傾向があります。何十年も同じように見えるほくろも、内部では細胞の位置、色素量、増殖状態が変化しています。
「運命の印」と「細胞の集団」は同じ黒い点を見ている
古代メソポタミアでは吉凶の兆候、インドや中国では身体相の一部、ペルシア詩では恋人の美、近世ヨーロッパでは自分で貼る装飾として、ほくろは読み替えられてきました。長く同じ場所に残り、人によって位置や形が異なる特徴は、身体に刻まれた個人の印として解釈されやすい性質を持っています。
現代の生物学は、その持続性をメラノサイト系の細胞集団、メラニンの生成と受け渡し、BRAFやNRASなどの体細胞変異、増殖停止の仕組みから説明します。
参考文献・資料
- The Oriental Institute, Physiognomy in Ancient Mesopotamia and Beyond
- Salvatore Costanza, “The Power of the Phallus: Its Value in Greek Divination”
- Kenneth G. Zysk, The Indian System of Human Marks
- Livia Kohn, “A Textbook of Physiognomy: The Tradition of the Shenxiang quanbian”
- 国立国会図書館 レファレンス協同データベース「ほくろの文化誌」
- U.S. National Library of Medicine, Islamic Medical Manuscripts: Physiognomy
- Encyclopaedia Iranica, “ḠAZAL ii. Characteristics and Conventions”
- Encyclopaedia Iranica, “Cosmetics”
- British Museum, “Tattoos in ancient Egypt and Sudan”
- The Metropolitan Museum of Art, “Patch box”
- Château de Versailles, “Mouches qui piquent”
- Library of Congress, The Spectator No. 81, June 2, 1711
- Evelyn Welch, Renaissance Skin, Chapter 2 “Reading skin”
- DermNet, “Melanocytic naevi pathology”
- “Melanin’s Journey from Melanocytes to Keratinocytes”
- “Melanocytic nevi and melanoma: unraveling a complex relationship”
- “Congenital melanocytic nevi: update in genetics and management”

