城北中央公園の歴史|防空緑地・石神井川・田柄川と地下調節池

2019年春の城北中央公園に咲く桜と園内の風景

石神井川の谷に沿って樹林が広がる城北中央公園は、板橋区と練馬区にまたがる都立公園です。旧石器時代の茂呂遺跡、古代の集落を伝える栗原遺跡に加え、戦時中の防空緑地から生まれた公園の歴史が重なります。

城北中央公園の地形と現在の姿

公園は石神井川沿いの起伏に富む土地にあり、野球場、競技場、広場などを備えています。ケヤキやイチョウ、サクラなど9,000本を超える木々が育ち、桜川地区には児童公園もあります。園内の板橋区側と練馬区側は、現在も一つの都立公園として管理されています。

2019年春の城北中央公園に咲く桜と園内の風景
春の城北中央公園(2019年)。Nhiteo/Wikimedia Commons、CC BY-SA 4.0。

1942年の防空緑地から1957年の開園へ

公園の前身は1942年(昭和17年)に計画された防空緑地です。都市部に緑地を確保して空襲時の延焼を抑え、避難空間をつくる戦時の都市計画でした。戦後、その土地が都市公園計画に受け継がれ、1957年4月1日に「上板橋緑地」として開園しました。1970年から「城北中央公園」の名称になりました。現在は広域避難場所や大規模救出救助活動拠点としても位置づけられています。

石神井川沿いの土地利用と栗原遺跡

石神井川と旧田柄川に挟まれた台地には、人々の暮らしの痕跡が残っています。栗原遺跡では1955~1956年の発掘調査で旧石器、縄文土器、弥生時代から平安時代の住居跡が確認されました。奈良時代の住居を復元した茅葺き建物は、公園の歴史的な見どころです。発掘成果は練馬区の文化財解説に記録されています。

城北中央公園の栗原遺跡に復元された奈良時代の竪穴住居
栗原遺跡の復元竪穴住居(2019年)。Nhiteo/Wikimedia Commons、CC BY-SA 4.0。

園内の茂呂遺跡については、茂呂遺跡の発見と旧石器時代研究で詳しく紹介しています。

田柄川は桜川となって石神井川へ流れた

かつて練馬区を流れていた田柄川は、板橋区側では桜川と呼ばれ、石神井川へ注いでいました。現在の桜川緑道はその川を暗渠あんきょにして整備した道です。地下に水路を通したため、地上には樹木のある歩行空間が残りました。板橋区の案内では、緑道の所在地は桜川一丁目と三丁目の境とされています。これは町丁目の境界であり、板橋区と練馬区の区界とは区別されます。

板橋区と練馬区の境界

練馬区は1947年8月1日に板橋区から分離して誕生しました。公園が二つの区にまたがる背景には、この行政区画の変化があります。現在の区界をたどる際には、川の流路、道路、行政区域の線をそれぞれ区別すると土地の成り立ちを読み取れます。

地下に築かれた城北中央公園調節池

石神井川では豪雨による洪水が繰り返され、東京都は公園の地下に洪水を一時貯留する箱式調節池を整備しています。全体計画の貯留量は約25万立方メートル。約9万立方メートルの一期施設は2025年6月に取水を開始し、残る二期施設の整備が進んでいます。2025年7月10日の豪雨では約500立方メートルを取水しました。公園の地上には緑地や運動施設を残し、その下の空間を治水に利用する仕組みです。

2025年12月に撮影された城北中央公園調節池の地上部分
城北中央公園調節池の地上部分(2025年12月27日)。The Nature Box/Wikimedia Commons、CC0 1.0。

東京都は一期・二期の工事と取水状況を城北中央公園調節池の事業案内で公開しています。

参考資料