目黒駅近くの雅叙園東京に残る「百段階段」は、1935(昭和10)年に完成した木造建築です。名前は百段階段ですが、実際の階段は99段。その途中に、絵画、彫刻、漆芸、銘木、建具の技を集めた7つの部屋が並びます。
2026年10月1日から2027年3月30日までは、東京都指定有形文化財「百段階段」文化財建築特別公開が行われます。今回は展示物をほぼ置かず、建築そのものを見せる公開です。長く企画展の舞台として使われてきた壁、天井、欄間、床柱、障子そのものが主な鑑賞対象になります。
2026年10月1日から「百段階段」文化財建築特別公開
文化財建築特別公開の会期は、2026年10月1日(木)から2027年3月30日(火)までです。2025年9月23日に「和のあかり×百段階段2025」が終了して以来、約1年ぶりの一般公開となります。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 会期 | 2026年10月1日(木)~2027年3月30日(火) |
| 休館日 | 毎週水曜日、2026年12月28日~2027年1月1日 |
| 一般入場 | 11:00~17:00(最終入館16:30) |
| 一般料金 | 1,800円 |
| 大学・高校生 | 1,200円 |
| 中学・小学生 | 1,000円 |
| 未就学児 | 無料 |
| 会場 | 東京都指定有形文化財「百段階段」 |
| 主催 | 株式会社目黒雅叙園 |
| チケット | 公式オンラインチケットのみ |
一般入場終了後には人数限定枠も設けられています。日・月・火・木曜日は17:00~18:00に定員30人の夜間自由見学、金・土曜日は同時間帯に定員20人の日本語ガイドツアー付き見学が行われます。
今回の特別展示として、十畝の間には戦前の「螺鈿の回転テーブル」を修復して展示します。主催者は「現存する最古の回転テーブルと言われています」と案内しています。さらに、鶴、龍、牡丹など、建物内部に表された縁起のよいモチーフ100点も紹介されます。
百段階段とは|1935年に完成した旧目黒雅叙園3号館
「百段階段」は通称で、旧目黒雅叙園3号館にあたります。1935(昭和10)年に建てられ、宴会に使われた7つの部屋を長い階段廊下が結んでいます。階段には厚さ約5センチのケヤキ板が使われています。

東京都教育委員会の文化財指定資料によると、百段階段は高低差約16メートルの斜面に4棟の木造和風建築を雛壇状に配置し、延長約60メートルの階段廊下でつないだ建造物群です。99段の階段が建物の縦軸となり、その途中に性格の異なる部屋が続きます。
文化財としては、1935年の木造建築に加え、建築大工、装飾職人、日本画家がそれぞれの技術を持ち寄り、建築、絵画、彫刻、工芸を一体化した空間が高く評価されています。東京都教育委員会は「近代和風建築の一つの極点」と評価しています。
こうした豪華な空間は、食事や宴会を楽しむ商業施設として造られました。目黒区も、目黒雅叙園が従来は限られた人が利用していた料亭を庶民が気軽に楽しめる場にしたと説明しています。
目黒雅叙園はどう始まったか|創業者・細川力蔵
雅叙園の創業者は、石川県出身の細川力蔵です。港区立伝統文化交流館の資料によると、1889(明治22)年に生まれ、上京後は浴場で働き、のちに不動産業で成功しました。1928(昭和3)年、芝浦に料亭「雅叙園」を開き、1931(昭和6)年には目黒に支店を設けます。
目黒雅叙園は1931年11月、本格的な北京料理と日本料理を提供する料亭として営業を始めました。料理だけでなく、壁、天井、欄間、柱までを日本画や螺鈿、金銀の装飾で覆い、食事の時間そのものを視覚的な体験に変えていきました。のちに「昭和の竜宮城」と呼ばれる豪華な空間は、この発想の延長に生まれています。

1938(昭和13)年には挙式から披露宴までを一体で行う仕組みを整え、婚礼施設としても発展しました。旧運営会社の資料では、目黒雅叙園を「日本初の総合結婚式場」と位置づけています。戦後も婚礼、宴会、飲食の場として知られ、雅叙園という名称と豪華な美術装飾が結びついていきました。
百段階段を形にした棟梁・酒井久五郎
百段階段の建築を担ったのが、細川力蔵のお抱え棟梁・酒井久五郎です。港区立伝統文化交流館の資料では、1899(明治32)年に静岡県で生まれ、目黒雅叙園や芝浦見番などを手がけ、現場監督に加えて設計、建築許可申請、造園まで担った人物として紹介されています。
東京・芝浦には、1936(昭和11)年に建てられた旧芝浦見番が「港区立伝統文化交流館」として現存しています。細川力蔵が建築費の大半を出資して寄付したと伝わり、棟梁は酒井久五郎でした。目黒雅叙園とほぼ同時期に、同じ施主と棟梁の組み合わせで近代和風建築が生み出されていました。

天井画や障壁画は、柱、格天井、欄間、障子、廊下と一体で構成され、建築と美術が連続する空間を形づくっています。
7つの部屋の見どころ
百段階段の7室は、画家、素材、色彩、木工の組み合わせがそれぞれ異なります。
十畝の間|花鳥画と黒漆の螺鈿
十畝の間では、天井に荒木十畝による四季の花鳥画23面が並びます。前室8面、本間15面で構成され、黒漆に螺鈿を施した装飾が部屋全体を引き締めています。2026年の特別公開では、修復された戦前の螺鈿回転テーブルもこの部屋に展示されます。

漁樵の間|金と彩色木彫が覆う空間
漁樵の間は、純金箔、純金泥、純金砂子、彩色木彫、日本画を重ねた最も華やかな部屋の一つです。左右の巨大な檜の床柱には、中国の故事「漁樵問答」の一場面を表す彫刻が施されています。格天井には菊池華秋原図の四季草花図、欄間には尾竹竹坡原図の五節句が極彩色の浮彫で表されています。

草丘の間|秋田杉と面腰組子
草丘の間では、秋田杉の格天井と欄間に礒部草丘の四季草花や松原の風景が描かれています。障子建具には非常に手の込んだ「面腰組子」が使われ、絵画と木工技術の両方を近い距離で見られます。
静水の間|池上秀畝の鳳凰と舞鶴
静水の間では、格天井の秋田杉に池上秀畝が鳳凰と舞鶴を描き、欄間四方には小山大月による金箔地の秋草が広がります。隣室の天井と欄間には橋本静水らの作品が配されています。

星光の間|北山杉と四季草花
星光の間の奥の間には北山杉の天然絞丸太、次の間には槇出節の床柱が使われています。格天井と欄間いっぱいに板倉星光の四季草花が描かれ、木目と植物画が連続する構成です。
清方の間|数寄屋の静けさと美人画
清方の間は、鏑木清方が深く関わった茶室風の部屋です。奥の間には径一尺五寸の北山杉天然総絞丸太を用い、廻り廊下の北山丸太、化粧軒、障子建具、組子まで細かく造り込まれています。扇面形の杉柾板に描いた四季草花と、欄間の四季風俗美人画も清方の筆です。
頂上の間|松岡映丘門下の天井画と黒柿
階段の上部にある頂上の間は、前室と本間が格天井で、天井画は松岡映丘門下の画家たちによるものです。本間の床柱には黒柿の銘木が使われています。
百段階段を彩った日本画家たち
荒木十畝|近代花鳥画の系譜
荒木十畝(1872~1944)は長崎県生まれの日本画家です。21歳で上京して荒木寛畝に師事し、翌年に荒木家の嗣子となりました。十畝の間に四季の花鳥を描いた時期は、文展・帝展などを通じて近代日本画の制度が整っていった時代と重なります。
池上秀畝|写生を基礎にした花鳥画
池上秀畝(1874~1944)は現在の長野県伊那市高遠町に生まれ、上京して荒木寛畝に師事しました。1916(大正5)年から1918(大正7)年まで文展で3年連続特選を受賞し、写実に基づく山水画・花鳥画を追究しました。荒木十畝と池上秀畝がともに荒木寛畝の系譜に連なることから、百段階段には当時の画壇の人脈も刻まれています。
文展・帝展が近代日本画家の活動に果たした役割は、「日展とは?文展・帝展・新文展の歴史」で詳しく整理しています。
鏑木清方|挿絵から日本画へ
鏑木清方(1878~1972)は東京・神田生まれ。本名は健一で、1891(明治24)年に水野年方へ入門しました。新聞挿絵の仕事から出発し、のちに女性像や東京の市井生活を描く日本画家として活動します。
清方の間では、絵だけを納める関わり方を越え、茶室風の室内意匠そのものに清方の美意識が反映されています。漁樵の間の強い金色とは異なる、茶室風の落ち着いた意匠が特徴です。清方が1926年から1944年まで暮らした矢来町周辺については、「神楽坂から市ヶ谷へ歴史散歩」でも触れています。
尾竹竹坡と板倉星光|絵画が建築装飾へ入る
尾竹竹坡(1878~1936)は新潟出身の日本画家で、漁樵の間では五節句を題材とする欄間彫刻の原図を担当しました。画家の図案が職人の木彫へ移されるため、完成した装飾には画家と彫刻職人の仕事が重なっています。
板倉星光(1895~1964)は京都生まれの日本画家です。星光の間では格天井と欄間いっぱいに四季草花を描き、部屋そのものが一続きの画面になるような構成をつくっています。
螺鈿・組子・北山杉|百段階段を支える技法と材料
螺鈿|貝の真珠層を使う漆芸技法
螺鈿は、鮑や夜光貝などの内側にある光沢の強い真珠層を切り取り、器物の表面に貼ったり埋め込んだりして文様をつくる技法です。京都国立博物館によると、日本では漆を塗料や接着剤に用いる漆芸技法とともに発達しました。
十畝の間では黒漆の中に螺鈿が光り、2026年の特別公開では同じ空間に螺鈿の回転テーブルが置かれます。十畝の間では、壁面装飾と家具の双方に螺鈿が用いられています。
組子|釘を使わず細い木材を組む
組子は、切り込みを入れた細い木材を釘を使わず手作業で組み合わせ、幾何学的な文様をつくる伝統的な建具技法です。百段階段では草丘の間の面腰組子や、清方の間の障子建具が見どころになります。
金箔・金泥・金砂子|漁樵の間の「金」を見る
漁樵の間では、金箔、金泥、金砂子という異なる方法で金を使っています。金箔は薄く延ばした金を面として用い、金泥は金を細かな粉末状にして描画に使う材料、金砂子は細かな箔を撒いてきらめきをつくる装飾です。光の当たり方によって反射や質感が異なり、金の表現に変化を与えています。
北山杉|数寄屋建築を支えた銘木
星光の間や清方の間では京都の北山杉が使われています。京都府によると、北山杉の生産は約600年前の室町時代までさかのぼり、茶の湯の隆盛とともに茶室や数寄屋建築の材料として発達しました。清方の間の落ち着いた茶室風意匠と北山杉の組み合わせは、その材料が育った建築文化ともつながっています。
1988年の再開発で百段階段が残った
1930年代に築かれた目黒雅叙園の建物群は、目黒川の改修工事と目黒雅叙園の再開発に伴い、1988(昭和63)年に旧建物の大半が解体されました。その中で百段階段は現地に保存されました。
建て替えでは、旧建物に使われていた彫刻、螺鈿、蒔絵など約3,000点の美術工芸品が解体・保管・修復され、1991(平成3)年竣工の新施設へ再利用されました。現在の雅叙園東京に旧雅叙園の装飾が多く残る一方、1935年の木造建築そのものを現地で伝える存在が百段階段です。
2001年の登録、2009年の東京都指定
百段階段は2001(平成13)年に国の登録有形文化財となり、2009(平成21)年3月16日に東京都指定有形文化財に指定されました。東京都の指定では、建築と装飾美術を一体化させた近代和風建築としての価値に加え、一般の利用者を迎えた近代商業施設の遺構としての価値も評価されています。
文化財指定後は、建物自体を保存しながら企画展の会場として活用されてきました。雛人形、工芸、現代アート、照明演出など多様な企画が行われ、文化財建築と展示作品を組み合わせる場として定着しています。2026年の公開は、その展示をほぼ外し、建物の側へ視線を戻す構成です。
2025年の休館から2026年の再開へ|ホテルと百段階段の運営
ホテル雅叙園東京は2025年9月30日をもって、それまでの運営会社だった株式会社目黒雅叙園によるホテル運営を終了しました。同社の公式発表では、建物所有者との定期建物賃貸借契約満了が理由とされ、ホテルは翌10月1日から一時休館に入りました。
2026年6月、ヒルトンはこの施設をLXRホテルズ&リゾーツへ移行すると発表しました。ヒルトンの発表では、建物の所有者はBrookfield、ホテルの運営はHiltonです。客室やレストランの段階的な再開を経て、2026年7月27日に「雅叙園東京」として営業を開始しました。LXRブランドへの移行も発表されています。
一方、文化財「百段階段」は株式会社目黒雅叙園が引き続き運営しています。同社の現在の事業内容には「東京都指定有形文化財『百段階段』の運営及び企画展開催」と明記され、2026年10月からの文化財建築特別公開も同社が主催します。
現在は、同じ場所にある「雅叙園東京」と「百段階段」で運営主体が分かれています。ホテルはHiltonが運営し、百段階段の文化施設運営は株式会社目黒雅叙園が担っています。
見学時に知っておきたいこと
百段階段は名前の通り階段を上りながら見学する文化財です。公式案内では、車椅子、ベビーカー、シルバーカーは会場内で利用不可とされています。和室では靴を脱いで見学するため、靴下などの着用が案内されています。
2026年の文化財建築特別公開では、見学者を優先する範囲で写真撮影が可能です。フラッシュと三脚は使用不可で、商用撮影も対象外です。チケットは公式オンライン販売のみで、百段階段受付では販売されません。
所在地は東京都目黒区下目黒1-8-1。目黒駅から行人坂を下って向かい、雅叙園東京の正面入口から入り、左手のエレベーターで3階へ上がるのが公式の案内です。
参考文献・公式資料
- 株式会社目黒雅叙園「東京都指定有形文化財『百段階段』文化財建築特別公開」
- 株式会社目黒雅叙園「歴史と各部屋の紹介」
- 株式会社目黒雅叙園「百段階段 ご利用案内」
- 東京都教育庁『東京の文化財』第107号(2009年)
- 目黒区「目黒雅叙園百段階段 東京都指定有形文化財(建造物)」
- 鹿島建設「目黒雅叙園 内装保存・修復」
- 港区立伝統文化交流館「まるっと雑学」
- 株式会社目黒雅叙園「『ホテル雅叙園東京』運営終了のお知らせ」
- 株式会社目黒雅叙園「会社概要」
- Hilton「LXR Hotels & Resorts to Debut in Tokyo」
- アートプラットフォームジャパン「荒木十畝」
- 伊那市「池上秀畝」
- アートプラットフォームジャパン「鏑木清方」
- 京都国立博物館「東アジアの螺鈿―山の漆と海の貝―」
- 江戸川区「江戸組子」
- 京都府「北山杉と北山丸太」

