ブラジルには、海外で最大の日系社会があります。その始まりを語るとき、必ず登場する出来事が1908年の第一回ブラジル移民船・笠戸丸です。そして、その船に乗り、移民たちとともに海を渡った一人が、熊本県出身の上塚周平でした。
上塚は「ブラジル移民の父」と呼ばれます。しかし、この言葉だけを聞くと、一人の偉人が移民を成功へ導いた美談のように見えてしまいます。実際のブラジル移民史は、希望、貧困、移民会社、コーヒー農園、契約との食い違い、病気、言葉の壁、離散、そして日系社会の連帯が重なり合う複雑な歴史でした。
この記事は「日本人が知らない、海外で語り継がれる日本人」シリーズの一つです。南米日系移民史の入口として、パラグアイやアマゾンの日系農業の記事ともつながります。
30秒で分かる結論
- 上塚周平は、1908年の第一回ブラジル移民船・笠戸丸で渡伯した人物です。
- 「ブラジル移民の父」と呼ばれますが、移民史は単純な成功物語ではありません。
- 初期移民はコーヒー農園での過酷な労働、契約との食い違い、病気、言葉の壁に直面しました。
- 上塚は移民たちとともに歩み、のちにプロミッソンの上塚植民地にも関わりました。
- ブラジル日系社会の形成は、多くの移民、家族、地域団体、農業者の積み重ねによって進みました。
上塚周平とは?
上塚周平は、熊本県出身の人物で、第一回ブラジル移民とともに笠戸丸でブラジルへ渡りました。彼は移民を送り出す側、現地で支える側の双方に関わり、日系ブラジル社会の初期史を語るうえで欠かせない存在となりました。
ただし、上塚だけがブラジル移民史を作ったわけではありません。移民一人ひとりの生活、家族、労働、地域の支え合いがあって、日系社会は形づくられました。
なぜ日本人はブラジルへ渡ったのか
明治以降の日本では、人口増加、農村の貧困、海外移民政策、労働需要が重なり、多くの人々が海外へ向かいました。ブラジル側では、コーヒー農園で働く労働力が必要とされていました。
日本人移民は希望を抱いて海を渡りましたが、現地で待っていたのは必ずしも宣伝通りの生活ではありませんでした。労働条件、賃金、住環境、病気、言葉、文化の違いが、移民たちに重くのしかかりました。
第一回ブラジル移民船・笠戸丸
1908年、笠戸丸は日本人移民を乗せてブラジルへ向かいました。この出来事は、ブラジル日系社会の出発点として語られます。
しかし、出発点であると同時に、そこには厳しい現実もありました。移民たちは新天地で安定した生活を得るまでに、多くの困難に直面しました。
コーヒー農園で待っていたもの
初期の日本人移民は、ブラジルのコーヒー農園で働きました。農園での労働は厳しく、契約内容と現実の食い違いに苦しむ人もいました。
この歴史を語るとき、「日本人は勤勉だったから成功した」とだけ言うのは不十分です。土地制度、移民会社、雇用主、現地社会、家族労働、差別や孤立を含めて見る必要があります。
上塚周平は移民たちとどう向き合ったのか
上塚周平は、移民たちとともに現地の困難に向き合いました。「ブラジル移民の父」という呼び名は、彼が移民を上から導いたというより、移民たちの苦しみと希望を背負いながら歩んだ人物として理解する方が自然です。
移民史は、指導者だけでは成立しません。名も残りにくい多くの移民たちの働きと支え合いが、日系社会の土台を作りました。
プロミッソンへ──上塚植民地の開拓
上塚周平は、プロミッソンの上塚植民地とも関わりました。植民地の開拓は、土地を得て自立をめざす取り組みである一方、自然環境、資金、交通、販路、病気など、多くの課題を伴いました。
こうした農業移民の流れは、のちのパラグアイ大豆農業を支えた日本人移民や、アマゾンで多品目農業を育てたトメアス移民とアグロフォレストリーにもつながる南米日系移民史の大きな流れです。
海外農業史の中の上塚周平
海外で農業と地域社会に関わった日本人という広い視点では、カリフォルニアのワイン産業に生きたカリフォルニアの葡萄王・長沢鼎とも比較できます。
長沢鼎がアメリカ西部のワイン産業の中で記憶されたのに対し、上塚周平はブラジル日系社会の出発点に関わった人物として記憶されました。どちらも、日本人が海外の土地と産業の中でどう生きたのかを考える手がかりです。
なぜブラジルで記憶され、日本ではあまり知られていないのか
ブラジル日系社会では、笠戸丸や上塚周平は移民史の重要な記憶です。一方、日本国内では、移民史そのものが学校教育や一般向けの歴史物語で大きく扱われることは多くありません。
そのため、上塚周平は「ブラジル移民の父」と呼ばれながら、日本では広く知られているとは言えない人物になっています。
よくある誤解
上塚周平一人がブラジル日系社会を作ったのですか?
違います。上塚の役割は重要ですが、日系社会は多くの移民、家族、農業者、団体の積み重ねによって形成されました。
ブラジル移民は成功物語ですか?
成功だけではありません。苦難、離散、差別、労働問題、家族の努力を含む複雑な歴史です。
このシリーズはどのような記事ですか?
「日本人が知らない、海外で語り継がれる日本人」シリーズでは、日本国内ではあまり知られていないものの、海外の地域史・移民史・医療史・文化交流史の中で記憶されている日本人や日系社会の足跡を紹介しています。
まとめ
上塚周平は、笠戸丸でブラジルへ渡り、移民たちとともに日系社会の初期を支えた人物です。
彼の物語は、単なる偉人伝ではありません。日本人移民の希望と苦難、ブラジル社会との関係、農業開拓、日系社会の連帯を考える入口です。
このシリーズの関連記事
このシリーズでは、海外の地域史や日系社会の中で記憶されている日本人・日本人移民の物語を紹介しています。
- ネパールの赤ひげ・岩村昇|現地に病院名を残した日本人医師
- インドネシア独立に加わった日本人たち|市来龍夫・吉住留五郎
- カリフォルニアの葡萄王・長沢鼎|薩摩の少年がワイン王になるまで
- 藤田信雄とブルッキングズ|敵機搭乗員から和解の象徴へ
- 韓国に眠る日本人・浅川巧|朝鮮の山と民芸を愛した林業技師
- ブラジル移民の父・上塚周平|笠戸丸から日系社会へ
- パラグアイ大豆農業を支えた日本人移民|南米農業と日系社会
- アマゾンのトメアス移民とアグロフォレストリー|森をつくる農業
前後の記事
- 前の記事:韓国に眠る日本人・浅川巧
- 次の記事:パラグアイ大豆農業を支えた日本人移民
参考文献・参考サイト
- 外務省「ブラジル基礎データ」
- JICA 関連資料
- 上塚周平、笠戸丸、ブラジル日系移民史に関する各種資料

