団地まるわかりガイド|公団住宅・2DK・スターハウスから見る戦後日本の暮らし

街で大きな団地を見かけたとき、「古い集合住宅が並んでいる場所」とだけ思って通り過ぎていないでしょうか。

けれども団地は、単なる建物の集まりではありません。戦後の住宅不足をどう解決するか。新しい家族の暮らしをどう作るか。駅、バス、商店街、学校、公園をどう結び、ひとつの生活圏をどう育てるか。団地には、戦後日本が抱えた問題と理想がそのまま詰まっています。

この記事では、団地とは何か、公団住宅・公営住宅・UR賃貸住宅は何が違うのか、2DKとダイニングキッチンはなぜ画期的だったのか、スターハウスや5階建て住棟はどう見ればよいのかを、初心者向けに一つの流れで整理します。

まず結論|団地は「戦後日本の暮らしを変えた住宅システム」

  • 団地とは、広い敷地に複数の住宅棟を計画的に配置した住宅地です。
  • 住戸だけでなく、道路、広場、緑地、商店、学校、公園、集会所などを含む「暮らしの単位」として計画されました。
  • 日本住宅公団が1955年に設立され、翌1956年に第1号の公団住宅として金岡団地が誕生しました。
  • 2DKとダイニングキッチンは、食べる場所と寝る場所を分ける「食寝分離」を広め、核家族の生活モデルを作りました。
  • いま団地は、老朽化や高齢化という課題を抱えながら、建替え、リノベーション、保存活用によって次の時代の住まいへ変わり続けています。

つまり団地は、「昭和レトロな古い住宅」だけではありません。住宅不足への答えであり、家族生活の実験であり、都市計画の装置であり、いまも再生が続く都市遺産なのです。

団地とは何か|マンションやアパートと何が違う?

団地とは、住宅棟を一棟だけ建てるのではなく、まとまった土地に複数の建物や屋外空間を計画的に配置した住宅地です。日本語の「団地」は、工業団地、流通団地、住宅団地のように、一定の用途をもつ土地のまとまりにも使われます。この記事で扱うのは、主に住宅団地です。

団地の特徴は、住戸の内側だけでなく、外側の空間まで設計されていることです。住棟の向き、日当たり、風通し、子どもの遊び場、買い物施設、道路と歩行者動線、集会所や学校との距離まで含めて、ひとつの生活圏として考えられました。

よく混同される言葉を整理する

名称 ざっくり説明 運営・所有の例 混同しやすい点
団地 複数の住宅棟や屋外空間を計画的に配置した住宅地 UR、自治体、公社、民間など 制度名ではなく、空間のまとまりを指すことが多い
公団住宅 日本住宅公団などが供給した住宅 日本住宅公団、住宅・都市整備公団など 現在のUR都市機構につながるが、時代によって組織名が変わる
UR賃貸住宅 現在の都市再生機構が管理・供給する賃貸住宅 独立行政法人都市再生機構 公営住宅とは制度が異なる。礼金・仲介手数料・更新料・保証人なしを特徴として案内されている
公営住宅 住宅に困っている収入の少ない人のため、低廉な家賃で供給される公共住宅 都営住宅、市営住宅、県営住宅など 「団地」と呼ばれる外観でも、URや公団住宅とは制度目的が違う
公社住宅 地方住宅供給公社などが供給する住宅 JKK東京など 公営住宅を扱う公社もあるため、住宅の種類ごとに確認が必要
マンション 一般には鉄筋コンクリート造などの中高層集合住宅 民間分譲、民間賃貸など 建物単体を指すことが多く、団地のような生活圏全体を指すとは限らない
アパート 一般には低層の集合住宅を指すことが多い 民間賃貸など 法律上の厳密な区分ではなく、日常語として使われる幅が広い

大切なのは、「団地=低所得者向け」と決めつけないことです。公営住宅の団地もありますが、公団住宅やUR賃貸住宅、分譲住宅を含む団地もあります。団地という言葉は、住む人の属性ではなく、まずは計画された住宅地の形を表す言葉として理解すると混乱しにくくなります。

なぜ団地が必要だったのか|戦後の住宅不足と公団住宅の誕生

団地の歴史は、戦後の住宅不足から始まります。国土交通省の資料では、終戦直後の住宅不足は約420万戸とされ、戦後の住宅政策はまず住宅の「量」を確保することに重点が置かれました。戦災で住宅を失った人、復員・引揚げで都市へ戻った人、結婚して新しい世帯を作る人が増える一方で、都市部の住宅はまったく足りなかったのです。

この時代の住宅政策は、現在のように「好みの間取りを選ぶ」以前に、まず雨風をしのげる安全な住まいを大量に供給することが出発点でした。戦後改革や占領期の制度変化については、当サイトのGHQ側から見た戦後日本の記事もあわせて読むと、時代背景がつかみやすくなります。

1955年、日本住宅公団が設立される

1955年、日本住宅公団が設立されました。UR都市機構の公式沿革でも、日本住宅公団は現在のURにつながる組織の出発点として位置づけられています。公団の役割は、大規模な宅地開発と不燃住宅の供給によって、都市部の住宅不足に応えることでした。

そして1956年、大阪府堺市に金岡団地が誕生します。これは日本住宅公団第1号の公団住宅です。金岡団地は「日本初の団地」と単純に言うべきではありません。関東大震災後の同潤会アパートなど、戦前から集合住宅や住宅地計画の歴史はありました。正確には、金岡団地は「日本住宅公団第1号の公団住宅」として重要なのです。

団地の歴史を年表で見る

時期 出来事 暮らしへの影響
1920年代以降 関東大震災後、同潤会アパートなどの鉄筋コンクリート集合住宅が建設される 都市型集合住宅の先駆けとなり、戦後団地へつながる発想を育てた
1945年以降 戦災と人口移動で深刻な住宅不足が続く 住宅政策はまず量の確保を最優先にした
1955年 日本住宅公団設立 大規模な宅地開発と公団住宅供給が本格化した
1956年 金岡団地が誕生 2DK、ダイニングキッチンを備えた新しい住まいが登場した
昭和30年代〜40年代 都市近郊で団地建設が進む 核家族、サラリーマン家庭、家電の普及と結びついた新しい生活像が広がった
1960年代以降 多摩ニュータウン、千里ニュータウンなど大規模な郊外開発が進む 団地はニュータウンを構成する住宅形式の一つにもなった
1970年代以降 高層・大規模団地も増える 都市への人口集中に対応する一方、管理やコミュニティの課題も見え始めた
1990年代以降 老朽化、建替え、団地再生が進む 団地を壊すだけでなく、地域資産として使い続ける視点が強まった
2010年代以降 旧赤羽台団地の保存住棟が登録有形文化財となる 団地が戦後住宅史を伝える文化資源として評価されるようになった

2DKはなぜ革命だったのか|台所が変える家族の暮らし

団地を理解するうえで欠かせないのが、2DKとダイニングキッチンです。

2DKとは、2つの居室に、DK=ダイニングキッチンが付いた間取りです。現在ではありふれた表記に見えますが、戦後の団地でこの間取りが持った意味はとても大きいものでした。

食寝分離という新しい考え方

それ以前の日本の住まいでは、畳の部屋にちゃぶ台を出して食事をし、食後に片付けて布団を敷くという暮らしが一般的でした。つまり、同じ部屋が「食べる場所」にも「寝る場所」にもなっていました。

団地の2DKは、この重なりを分けました。DKで調理し、食卓で食事をする。居室は寝る、くつろぐ、子どもが過ごす場所として使う。こうして「食べる場所」と「寝る場所」を分ける食寝分離が、間取りのなかに組み込まれました。

台所は家の裏方から、家族生活の中心へ

ダイニングキッチンの登場は、台所の意味も変えました。かつての台所は、家の奥や土間に近い「作業の場所」として扱われることが多くありました。団地のDKでは、調理する場所と食事する場所が近づき、椅子とテーブルで食事をする暮らしが広がりました。

ここに、電気炊飯器、冷蔵庫、洗濯機、テレビなどの家電が加わります。高度経済成長期の消費社会、サラリーマン家庭、専業主婦、子どものいる核家族という生活像は、団地の間取りとよく結びついていました。戦後の企業や産業の変化を知るには、当サイトの財閥とは何かの記事から、戦前・戦後の経済構造の変化をたどるのも役立ちます。

2DKは単なる間取りではなく、生活モデルだった

2DKのポイントは、部屋数そのものではありません。限られた面積の中で、家族が食事をし、寝て、子どもを育て、家電を使うための標準的な生活モデルを示したことにあります。

金岡団地について、URは日本住宅公団第1号の金岡団地の住戸が2DKであり、ダイニングキッチンを持つ新しい住まいとして紹介しています。2DKは「新しい家庭生活はこういう形で成り立つ」という、公団住宅から社会へ向けた提案でもあったのです。

団地の建物を見る|板状住棟・階段室型・スターハウス

団地に行くと、似た形の建物が規則正しく並んでいることがあります。これは偶然ではありません。大量の住宅を、一定の品質で、日当たりや通風を確保しながら建てるために、住棟形式が標準化されていったからです。

板状住棟とは

板状住棟とは、細長い板のような形の住宅棟です。多くは南側にバルコニーを向け、北側に階段室や玄関を置きます。住棟を並行に配置することで、各住戸に光と風を入れやすくし、設計や施工も標準化しやすくなりました。

旧赤羽台団地の41号棟は、板状階段室型住棟として登録有形文化財の対象となりました。URの資料では、全住戸に採光・通気が得られるよう住棟を南面させ、各戸南側にバルコニーを設けた、高度経済成長期の標準的な住棟形式を伝える例として評価されています。

階段室型とは

階段室型とは、共用廊下を長く通すのではなく、階段ごとに左右または前後の住戸へ入る形式です。中層団地でよく見られます。外から見ると、同じ間隔で階段室の窓や入口が並んでいることがあります。

階段室型には、共用廊下を少なくして住戸の独立性を高めやすい利点があります。一方で、エレベーターを後から付けにくい、上下移動が階段に頼られる、といった課題もあります。高齢化が進んだ団地で、5階建て階段室型住棟がバリアフリーの課題として語られるのはこのためです。

なぜ団地は5階建てが多いのか

昭和の団地に5階建てが多い理由は、一つだけではありません。一般的には、エレベーターなしで成立しやすい中層の限界、建設費、管理費、日照、標準設計、敷地利用のバランスが関係していました。

5階建てなら、低層より戸数を確保しやすく、高層住宅のようなエレベーターや複雑な設備を前提にしなくても建設しやすい。南向きの板状住棟を一定間隔で並べれば、日当たりも確保しやすい。こうした条件が重なり、5階建ての中層階段室型住棟が団地の典型的な風景になりました。

ただし、すべての団地が5階建てではありません。高島平団地のように高層棟を多く含む大規模団地もあります。団地の高さは、その時代の技術、土地条件、都市計画、必要戸数によって変わります。

スターハウスとは何か

スターハウスは、Y字形、あるいは上から見ると星形に見えるポイント型住棟です。中央の階段室を中心に、各階3戸が放射状に配置される例が多くあります。

スターハウスの魅力は、住戸が複数方向に外気と接しやすく、採光や通風を得やすいことです。また、板状住棟が整然と並ぶ団地空間に変化を与え、斜面地や変形敷地にも対応しやすい面がありました。

一方で、スターハウスは標準化された板状住棟に比べ、建設費や土地利用効率の面で不利になることもありました。そのため、戦後団地の象徴的な形式でありながら、どこにでも大量に建てられたわけではありません。

代表例が旧赤羽台団地のスターハウスです。42〜44号棟は、三角形平面の階段室の周囲に各階3住戸を放射状に配置するポイント型住棟として、41号棟とともに国の登録有形文化財となりました。旧赤羽台団地の保存住棟は、団地が文化財として評価される時代に入ったことを示す重要な例です。

団地の中には何があった?|商店街・広場・給水塔・プレイロット

団地は、住戸だけでできていたわけではありません。暮らしを成り立たせる小さな都市として計画されました。

団地の中や周辺には、商店街、団地センター、集会所、幼稚園、学校、公園、緑地、広場、プレイロット、給水塔などが配置されました。プレイロットとは、子どもが日常的に遊ぶための小さな遊び場です。大きな公園まで行かなくても、住棟の近くで子どもが遊べるように考えられていました。

団地センターは生活の結節点だった

団地センターや商店街は、買い物だけの場所ではありませんでした。日用品を買い、子どもの友だちに会い、掲示板で情報を知り、行事や近所付き合いが生まれる場所でした。

昭和40年代になると、団地内や近隣に幼稚園や小学校、商店街や商業施設が整い、大規模な団地は「ひとつのまち」のようになっていきました。URの公団70年記事でも、団地の屋外空間が子どもの遊び場や祭り、イベントの場として使われ、地域の交流の場になってきたことが紹介されています。

給水塔や緑地も団地の見どころ

団地の給水塔は、遠くからでも見えるランドマークになることがあります。水を供給する設備であると同時に、団地の風景を形づくる存在でもありました。

また、緑地や広場は、建物の余り地ではありません。住棟の間に光と風を通し、子どもの遊び場や住民の交流の場をつくるための空間でした。団地を歩くときは、建物そのものだけでなく、建物と建物の間にある空白を見ることが大切です。

代表的な団地で見る日本の住宅史

団地の歴史は、いくつかの代表例を見ると一気につながります。ここでは、見学や散策の際に名前を聞くことが多い団地・施設を整理します。

名称 所在地 特徴 見学・散策時の注意
金岡団地/サンヴァリエ金岡 大阪府堺市北区 1956年に誕生した日本住宅公団第1号の公団住宅。現在は建替え後のサンヴァリエ金岡として、スターハウスメモリアル広場などに記憶を残す 住宅地なので、居住者の生活に配慮して散策する
旧赤羽台団地・ヌーヴェル赤羽台 東京都北区赤羽台 旧団地の板状階段室型住棟とスターハウスが登録有形文化財。URまちとくらしのミュージアムがある ミュージアムは公式情報で予約方法、休館日、見学範囲を確認する
ひばりが丘団地/ひばりが丘パークヒルズ 東京都西東京市・東久留米市 大規模団地の建替えと、民間事業者も関わる団地再生の例 建替え後の住宅地として、公共空間を中心に静かに見る
多摩平団地/多摩平の森 東京都日野市 団地再生、既存ストック活用、地域拠点化の文脈で語られることが多い 住宅、店舗、地域施設が混在するため、公開範囲を確認する
高島平団地 東京都板橋区 昭和40年代に管理開始された大規模・高層団地。UR賃貸住宅における最大戸数の団地として紹介される センセーショナルな語りに寄せず、都市化、高層化、再生の視点で見る
晴海高層アパート関連資料 東京都中央区晴海周辺 戦後の高層集合住宅の流れを考える際に重要な事例 現存状況や資料公開場所は事前確認が必要
同潤会代官山アパート復元住戸 URまちとくらしのミュージアム内 戦前の鉄筋コンクリート集合住宅から戦後団地への流れを学べる ミュージアムの予約制ツアーで見学条件を確認する

金岡団地|公団住宅の出発点

金岡団地は、日本住宅公団第1号の公団住宅として重要です。URの資料では、1956年に誕生した金岡団地が2DKを備え、ダイニングキッチンを持つ新しい住まいとして紹介されています。現在は建替えられ、サンヴァリエ金岡として暮らしが続いています。

ここで大切なのは、「最初だから偉い」という見方ではなく、戦後住宅政策が実際の住まいとして形になった場所として見ることです。金岡団地には、住宅不足への対応、2DK、スターハウス、建替え後の記憶継承という、団地史の主要テーマが重なっています。

赤羽台団地|スターハウスと保存活用

赤羽台団地は、1962年に管理開始された旧公団の大規模団地です。再整備によって多くはヌーヴェル赤羽台へ生まれ変わりましたが、41〜44号棟は保存されました。41号棟は板状階段室型、42〜44号棟はスターハウスです。

2019年、これらの住棟は団地として初めて国の登録有形文化財に登録されることになりました。団地が「古いから壊すもの」だけではなく、戦後の住生活を示す文化資源として保存・活用されるようになった象徴的な出来事です。

ひばりが丘・多摩平・高島平|再生と成熟の時代へ

ひばりが丘団地は、建替えを機にひばりが丘パークヒルズとして再生しました。URの資料では、民間デベロッパーと連携し、多世代がつながる新しいまちづくりが紹介されています。

多摩平団地も、団地再生の文脈でよく取り上げられます。単に建物を更新するだけでなく、既存ストックをどう使い、地域の拠点や新しい住まい方につなげるかが問われています。

高島平団地は、昭和40年代に管理開始された大規模団地で、URはUR賃貸住宅における最大戸数の団地として紹介しています。高層・大規模団地としての都市化の象徴である一方、長い時間を経て高齢化や地域再生の課題も抱えるようになりました。高島平を語るときは、特定のイメージだけでなく、住宅供給、都市交通、商業、福祉、コミュニティの変化をあわせて見ることが大切です。

団地とニュータウンは何が違う?

団地とニュータウンは似ていますが、同じ意味ではありません。

団地は、住宅棟や屋外空間を計画的に配置した住宅地の形式です。一方、ニュータウンはより大きな都市開発、新市街地開発を指します。住宅だけでなく、道路、公園、学校、商業施設、鉄道やバスなどの交通、業務施設まで含めて「新しいまち」として整備されます。

国土交通省資料でも、多摩ニュータウンや千里ニュータウンは、高度経済成長期の住宅不足への対応として、住宅、道路、公園、公共施設、鉄道などを含む新たなまちとして整備されたと説明されています。

つまり、ニュータウンの中に団地があることはあります。しかし、団地そのものが必ずニュータウンであるわけではありません。団地は住宅地の単位、ニュータウンはより大きな都市開発の単位、と考えると分かりやすいでしょう。

団地はなぜ古びて見えるのか|老朽化・高齢化・建替え・保存

いま多くの団地は、建設から数十年が経っています。外壁や設備は古くなり、間取りも現代の暮らしに合わない部分が出てきました。階段室型5階建てでは、エレベーターがないことが高齢者や子育て世帯にとって大きな負担になることもあります。

また、団地は建物だけでなく住民構成も時間とともに変化します。入居当初に子育て世代だった人々が高齢化し、子ども世代が独立すると、空き住戸や商店街の衰退、地域活動の担い手不足が課題になります。

建替えだけが答えではない

団地再生には、いくつもの方法があります。老朽化した住棟を建て替える。既存住棟をリノベーションする。空いた敷地に福祉施設や子育て施設を入れる。広場や集会所を地域に開く。若い世代が入りやすい住戸に改修する。歴史的価値の高い住棟を保存活用する。

URの近年の取り組みでも、団地の緑やゆとりある屋外空間を活かしながら、現代の暮らしに合う仕様へ変えるリノベーションや、地域交流の場づくりが紹介されています。

団地の課題は、「古いから終わり」ではありません。むしろ、戦後につくられた膨大な住宅資産を、人口減少・高齢化の時代にどう使い続けるかという、現代の都市問題そのものです。

街歩きで団地を見るポイント

団地を歩くときは、建物を一棟ずつ見るだけでなく、全体の配置を見ると面白くなります。初心者向けの見方を表にまとめます。

見る場所 わかること 初心者向け注目点
住棟の形 板状住棟か、ポイント型か、高層棟か 長い板のような棟、Y字形の棟、高い棟を見分ける
階段室 住戸への入り方と建物の時代性 階段室の入口が等間隔に並ぶかを見る
バルコニーの向き 日照や住棟配置の考え方 多くのバルコニーが南向きか確認する
住棟の間隔 光、風、緑地の取り方 建物の間が単なる余り地ではないことを見る
広場・プレイロット 子どもの遊び場と近隣交流 住棟から見守りやすい位置にあるかを見る
商店街・団地センター 買い物と生活の中心 住宅棟との距離、駅やバス停との関係を見る
給水塔 設備と景観の関係 団地のランドマークになっているかを見る
坂・駅・バス停 通勤・通学と地形の関係 駅から団地までの高低差や動線を見る
古い棟と新しい棟 建替えや再生の進み方 保存住棟、建替え棟、リノベーション棟の違いを見る

注意したいのは、団地は現在も人が暮らしている場所だということです。写真撮影、敷地内の立ち入り、住棟や窓の撮影には十分配慮しましょう。街歩きの対象である前に、誰かの日常生活の場です。

団地をもっと知るなら行きたい場所

団地を体系的に学ぶなら、まず確認したいのが東京都北区赤羽台のURまちとくらしのミュージアムです。

URまちとくらしのミュージアムは、旧赤羽台団地から残るスターハウスなどの保存住棟と、新築のミュージアム棟、屋外空間からなるUR都市機構の企業ミュージアムです。ミュージアム棟では、同潤会代官山アパートを含む復元住戸、映像、模型、パネルなどを通じて、都市と集合住宅の暮らしの変遷を学べます。

公式サイトでは、見学は事前予約制のツアー見学、入場無料と案内されています。開館時間、休館日、予約方法、見学範囲は変更される可能性があるため、訪問前に必ず公式サイトで最新情報を確認してください。

また、金岡団地跡のサンヴァリエ金岡、ひばりが丘パークヒルズ、多摩平の森、高島平団地なども、団地の建替え・再生・大規模化を考えるうえで重要です。ただし、いずれも生活の場です。見学施設ではない住宅地を歩く場合は、公開された道路や広場から、静かに観察する姿勢が大切です。

よくある誤解

誤解1:団地はすべて低所得者向けである

団地には公営住宅の団地もありますが、公団住宅、UR賃貸住宅、公社住宅、分譲住宅を含む団地もあります。制度目的や入居条件は住宅の種類によって異なります。

誤解2:団地は全部同じ形である

板状住棟が多いため似て見えることはありますが、スターハウス、高層棟、テラスハウス、囲み型配置など、多様な形式があります。

誤解3:団地は古いから価値がない

老朽化した住棟には更新が必要ですが、団地は戦後の住宅政策、生活文化、都市計画を伝える資料でもあります。旧赤羽台団地の保存住棟のように、文化財として評価される例もあります。

誤解4:2DKはただ狭い間取りである

現在の感覚では小さく見えるかもしれません。しかし当時は、食寝分離、台所の近代化、核家族の生活を実現する新しい生活モデルでした。

FAQ|団地のよくある質問

Q. 団地とマンションは何が違いますか?

A. マンションは建物単体を指すことが多い言葉です。団地は、複数の住宅棟と道路、広場、緑地、商店、学校などを含む住宅地全体を指すことが多い言葉です。

Q. 公団住宅とUR賃貸住宅は同じですか?

A. 完全に同じではありません。公団住宅は日本住宅公団などが供給した住宅を指す歴史的な言い方です。現在のUR賃貸住宅は、都市再生機構が管理・供給する賃貸住宅です。組織は日本住宅公団から住宅・都市整備公団、都市基盤整備公団などを経て、現在のUR都市機構につながっています。

Q. 公団住宅と公営住宅は同じですか?

A. 違います。公営住宅は、公営住宅法などに基づき、住宅に困っている収入の少ない人のために自治体などが低廉な家賃で供給する住宅です。公団住宅やUR賃貸住宅とは制度目的が異なります。

Q. 2DKはなぜ画期的だったのですか?

A. 食事をする場所と寝る場所を分ける食寝分離を、限られた面積の中で実現したからです。ダイニングキッチンは、台所を近代的な家族生活の中心に変える役割を持ちました。

Q. スターハウスとは何ですか?

A. 中央の階段室を中心に各階3戸が放射状に配置され、上から見るとY字形や星形に見えるポイント型住棟です。採光、通風、景観、敷地対応に特徴があります。

Q. 団地は誰でも見学できますか?

A. 住宅地として散策できる場所もありますが、住棟内部や敷地の一部は居住者専用です。URまちとくらしのミュージアムのような施設は、公式の見学方法を確認して予約しましょう。

Q. 団地とニュータウンは同じですか?

A. 同じではありません。団地は住宅地の形式、ニュータウンは住宅、道路、公園、交通、商業、公共施設などを含む大きな新市街地開発です。ニュータウンの中に団地が含まれることはあります。

Q. 団地が5階建てに多い理由は何ですか?

A. エレベーターなしで成立しやすい階数、建設費、管理、日照、標準設計、敷地利用のバランスが関係したと考えられます。ただし、すべての団地が5階建てではなく、高層団地もあります。

Q. 今も団地に住めますか?

A. 住めます。UR賃貸住宅、公営住宅、公社住宅、民間賃貸、分譲住宅など、団地の種類によって募集方法や入居条件は異なります。最新の空き状況や条件は各運営主体の公式情報で確認してください。

まとめ|団地は「古い住宅」ではなく、戦後日本の暮らしの記録である

団地は、ただの古い集合住宅ではありません。

戦後の住宅不足を解決するために生まれ、2DKやダイニングキッチンによって新しい家庭生活を広め、板状住棟やスターハウスによって都市の風景を作り、商店街や広場やプレイロットによって地域の暮らしを支えました。

そしていま、団地は老朽化、高齢化、バリアフリー、空き住戸、建替え、保存活用という課題に向き合っています。そこにあるのは、戦後日本の夢と課題の両方です。

街歩きで団地を見かけたら、建物の古さだけでなく、住棟の向き、階段室、広場、商店街、給水塔、駅やバス停との関係を見てみてください。団地は、戦後日本の暮らしがどのように設計され、どのように変わってきたのかを教えてくれる、身近な都市の歴史資料なのです。

参考文献・参考資料

  1. UR都市機構「沿革」
  2. UR都市機構「古くて新しい団地の未来(1956〜)」
  3. UR都市機構「【公団誕生70年】暮らしとともに変化・進化する団地1」
  4. UR都市機構「サンヴァリエ金岡団地のくらし」
  5. UR都市機構「ヌーヴェル赤羽台」
  6. UR都市機構「旧赤羽台団地の『ポイント型住棟(スターハウス)』を含む4棟が団地初の登録有形文化財(建造物)に登録へ」
  7. 文化遺産オンライン「旧赤羽台団地四二号棟」
  8. URまちとくらしのミュージアム 公式サイト
  9. URまちとくらしのミュージアム「見学のご案内」
  10. 国土交通省「21世紀の豊かな生活を支える住宅・宅地政策について」
  11. 国土交通省「住宅・宅地政策の課題と展開」
  12. JKK東京「都営住宅とは」
  13. JKK東京 公式サイト
  14. UR都市機構「UR賃貸住宅のメリット・特徴」
  15. UR都市機構「団地を超えて『まち』へ」
  16. UR都市機構「ひばりが丘パークヒルズ」
  17. UR都市機構「タイムトリップ 高島平団地」
  18. 東京都都市整備局「多摩ニュータウンの再生」
  19. 千里ニュータウン再生連絡協議会「千里ニュータウンとは」