2025年2月28日、米国の投資会社ブラックストーンは、東京ガーデンテラス紀尾井町を約4000億円で取得しました。西武グループが旧赤坂プリンスホテル跡地を再開発し、2016年に開業した複合施設です。ブラックストーンは、日本における外国投資家の不動産投資として過去最大と発表しました。[15]
建物の名称や外観、ホテルやオフィスの営業はそのままでも、所有者と資金の流れは変わります。外国資本が東京の不動産を変えた核心は、街を一から建設したことではなく、買い手、価格の決め方、再開発資金の循環を広げたことにあります。
第一に、バブル崩壊後の不動産へ新しい買い手と再生資金を供給しました。第二に、土地と建物を賃料、空室率、修繕費、将来収益で評価する市場を広げました。第三に、日本企業が完成物件を売却し、その資金を次の開発へ回す仕組みを定着させました。
築地外国人居留地から資本自由化、不良債権処理、不動産証券化、Jリート、紀尾井町の大型取引までをたどると、東京が世界の投資家に比較される都市へ変わった過程が見えてきます。経済史と取引事例は2025年12月末まで、2026年の政策動向は末尾の補記で扱います。
- まず、「外国資本」という言葉を三つに分ける
- 東京で最初に開いた外国への窓――築地外国人居留地
- 外国をまねてつくった街と、外国資本が所有する街は違う
- 門は一度に開かなかった――戦後日本と資本自由化
- バブルの東京を膨らませた主役は、外資ではなかった
- 買い手の消えた東京に、外資系ファンドが現れた
- 土地が「家宝」から「収益を生む商品」へ変わった
- 2008年、世界の資金は逆流した
- 外資を警戒する国から、呼び込む都市へ
- 東京は、世界の投資家が比較する商品になった
- 紀尾井町4000億円――西武がつくった街を、世界の資金が買う
- 目黒雅叙園――外国資本から外国資本へ渡る東京
- 海外投資家の参入は、東京の不動産市場をどう変えたのか
- 「外国人が東京のマンションを買い占めている」は、どこまで本当か
- 東京を変えているのは、外国資本だけではない
- 街を歩くと、資本の歴史が見える
- 結論――外国資本は東京の主役ではない。だが、舞台装置を変えた
- 補記 2026年6月時点――データ整備と規制論は動き続けている
- 参考資料
まず、「外国資本」という言葉を三つに分ける
「外国資本」という言葉には、外国人と外国文化の流入、外国企業の事業進出、海外投資家による金融・不動産投資という三つの異なる現象が含まれます。
第一は、外国人と外国文化の流入です。幕末から明治初期の外国人居留地、宣教師、教師、医師、外交官の活動、西洋建築や教育制度の導入がこれに当たります。
第二は、外国企業による事業進出、すなわち対内直接投資です。外国企業が日本法人や支店を設け、人を雇い、商品やサービスを提供します。外資系銀行、IT企業、製薬会社、ホテル運営会社などが集まると、国際水準のオフィス、住宅、学校、医療、ホテルへの需要も生まれます。
第三は、海外投資家による金融・不動産投資です。海外のファンド、年金基金、政府系ファンドなどが、ビル、ホテル、住宅、物流施設、企業株式、不動産を裏付けとする証券を取得します。本稿の中心はこの流れです。
不動産では「所有」「運営」「ブランド」も分かれます。外国のファンドが建物を所有し、日本企業が管理や運営を担う場合があります。外国ブランドのホテルでも、建物の所有者が日本企業という場合があります。建物の看板と、所有者・運営会社・資金の出し手は一致しないことがあります。
東京で最初に開いた外国への窓――築地外国人居留地
築地外国人居留地は、外国の巨大資本が東京の土地を買った出発点ではありません。外国の人、組織、制度が東京の一部にまとまって入り、都市の機能を変えた最初期の場所です。
明治元年11月19日、明治政府は幕府が諸外国と結んだ条約に基づき、現在の中央区明石町一帯に築地外国人居留地を設けました。居留地は1899年の条約改正まで続きました。[1][2]
横浜の外国人居留地には商館や商社が集まり、国際貿易の拠点として発展しました。築地には外交官、宣教師、医師、教師らが住み、公使館、領事館、教会、学校、病院が建ちました。西洋の知識や制度が東京へ流れ込む拠点でした。

青山学院、立教学院、明治学院なども築地と歴史的なつながりを持ちます。現在の明石町では、カトリック築地教会、聖路加国際大学周辺、各種学校の発祥記念碑に居留地の記憶が残っています。[2]
築地居留地がもたらした中心は、巨大な投資資金よりも、人、宗教、教育、医療、建築、生活文化でした。世界の機関投資家が利回りを比較して大型施設を売買する現代の不動産市場とは性格が異なります。
街歩きで見るなら
明石町では、教会、学校、病院の歴史が同じ場所に重なる理由をたどると、築地市場とは別の築地の歴史が分かります。
外国をまねてつくった街と、外国資本が所有する街は違う
明治東京は西洋都市を盛んに参照しました。その象徴の一つが丸の内です。
1890年、三菱の岩崎弥之助は、明治政府から丸の内一帯を128万円で購入しました。三菱地所の社史によれば、当時の東京市の年間予算のおよそ三倍に相当します。1894年には三菱一号館が完成し、赤れんがのオフィス街は「一丁倫敦」と呼ばれました。東京駅開業後は米国式の大規模な鉄筋コンクリート建築が並び、「一丁紐育」とも呼ばれました。[3]

丸の内はロンドンやニューヨークを手本にしながら、日本の三菱が購入し、開発しました。明治から高度経済成長期まで、東京の主要な業務地区、鉄道沿線、住宅地、百貨店、ホテルの多くは、日本の政府、財閥、鉄道会社、金融機関、不動産会社によって形成されました。丸の内の都市形成と建築の変化は、丸の内エリアの歴史と建築で詳しくたどれます。
この構造が大きく変わるのは、戦後の資本自由化を経て、バブル経済が崩壊した後です。
門は一度に開かなかった――戦後日本と資本自由化
戦後の日本政府は、必要な外資や技術を受け入れながら、国内企業の支配や外貨流出を警戒し、外国資本の進出を認可や業種規制の下で管理しました。
1967年から、OECD諸国や米国の要請も受け、対内直接投資の自由化を段階的に進めました。すべての業種を一度に開放する方式ではなく、対象を少しずつ広げました。[4]
1980年には新しい外為法が施行され、対外取引は「原則禁止」から「原則自由」へ転換しました。1998年の改正では、資本取引の事前届出・許可制が原則として廃止され、事後報告を基本とする制度へ移りました。安全保障などに関わる一部の対内直接投資には審査が残りますが、国境を越える資金移動は大幅に容易になりました。[5][6]
制度が自由化されても、売り手、買い手、価格がそろわなければ取引は成立しません。外国資本の存在感を高めた次の転機が、バブル崩壊でした。
バブルの東京を膨らませた主役は、外資ではなかった
1980年代後半、都心の土地は値下がりしないという期待が広がり、銀行は土地を担保に融資を増やしました。企業も不動産の値上がり益を見込み、土地や建物を購入しました。金融緩和と、地価上昇を前提とした信用拡大が資産価格を押し上げたのです。日本銀行の研究も、銀行が不動産関連融資を大幅に増やした経緯を論じています。[7][8]
地価高騰の中心には、日本の銀行、企業、土地神話、国内の信用膨張がありました。
金融引き締めと地価下落が始まると担保価値が崩れ、銀行の貸付は不良債権になりました。担保価値の低下、融資の縮小、買い手の減少、さらなる価格下落が連鎖しました。バブルの形成から不良債権問題までの流れは、日本のバブル経済の根本原因で詳しく解説しています。
買い手の消えた東京に、外資系ファンドが現れた
1990年代後半、日本の銀行は大量の不良債権を抱え、その背後にある土地、ホテル、オフィス、商業施設の買い手を必要としていました。価格の下限や追加損失が読めず、日本企業も資産を買う余力を失っていました。
日本銀行の調査によれば、大手銀行などが外資系ファンド等へ不良債権を売却する動きは1998年ごろに最盛期を迎えました。ファンドは複数の債権を額面より大幅に安い価格でまとめて買う「バルクセール」を利用し、債権回収、担保不動産の売却、債権転売などで利益を得ました。[9]
外資系ファンドは値下がりした資産と将来の回収額との差から利益を狙いました。一方、買い手がいなければ不良債権は銀行の帳簿に残り、担保不動産も動きません。国土交通省は、外資による一括買いを契機に不動産流動化が進み、不動産証券化が不良債権処理を支えたと整理しています。日本銀行も、外資系ファンドが不良債権の最終処理を円滑にし、担保不動産などの経営資源を解放したと評価しています。[9][10]
外資系ファンドは、日本の国内システムが生んだ危機の後処理に利益機会を見いだして参入しました。不良債権投資と、企業を取得して経営改善を目指すPE投資の違いは、日本にPEファンドが広がった歴史とPEファンドの仕組みで説明しています。
土地が「家宝」から「収益を生む商品」へ変わった
戦後の日本企業にとって、都心の土地や本社ビルは長期保有する資産であり、企業の信用力や安定を支える存在でした。バブル崩壊後、その常識が揺らぎます。
外資系ファンドは資金に加え、賃料、空室率、修繕費、将来の売却価格から不動産の収益性を測る視点を持ち込みました。将来収入から費用を差し引き、リスクを考慮して価値を算定します。
この考え方を広げた制度的な土台が不動産証券化です。1998年にSPC法が制定され、2000年には投資信託・投資法人制度などが整備されました。不動産を特別目的会社などへ移し、賃料や売却収入を投資家へ分配する仕組みが本格化しました。[10]
2001年9月には、東京証券取引所に最初の二つのJリートが上場しました。Jリートは多数の投資家から集めた資金でオフィス、住宅、商業施設、ホテル、物流施設などを保有し、賃料収入などを分配します。市場は二銘柄、時価総額約2600億円から始まりました。[11]

証券化によって、多数の投資家が一棟の巨大ビルへ間接的に資金を出せるようになりました。不動産は、特定企業が長期保有する固定資産から、売買、比較、組み替えの対象となる金融商品へ近づきました。
老朽建物の取得と改修、空室の解消、用途変更、複数物件の一括運用、投資家への情報開示、採算に応じた売却が進み、街づくりに金融市場の速度と規律が入り込みました。
2008年、世界の資金は逆流した
海外資金は国内の買い手が不足する市場を支える一方、海外の危機を東京へ伝える経路にもなります。
2007年以降、米国のサブプライムローン問題から世界的な金融危機が広がりました。2008年にリーマン・ブラザーズが破綻すると、投資家は一斉にリスクを減らし、資金調達環境が悪化しました。日本の不動産投資市場とJリート市場も打撃を受け、同年10月にはJリート初の経営破綻が起きました。[11]
1990年代後半に東京へ入った世界の資金は、2008年には資金流出と信用収縮を伝えました。世界の投資判断との接続は、資金流入時には再開発を加速させ、流出時には変化を増幅します。
外資を警戒する国から、呼び込む都市へ
東京都は2011年、国から「アジアヘッドクォーター特区」の指定を受け、都心部へ外国企業のアジア地域統括拠点や研究開発拠点を誘致する施策を進めました。設立手続きの相談、専門家による支援、オフィス紹介なども用意しました。[12]
誘致の対象は土地の買い手に限らず、企業、雇用、技術、人材、国際金融機能です。外国企業の進出は、オフィス、住宅、ホテル、インターナショナルスクール、医療、英語対応サービスへの需要を生み、都市開発にも影響します。
東京は外国資本を受け入れるだけでなく、政策によって呼び込む都市へ変わりました。
東京は、世界の投資家が比較する商品になった
2020年代の東京では、海外投資家による大型不動産取引が珍しくなくなりました。巨大な賃貸市場、オフィス、住宅、ホテル、物流施設などの多様な投資対象、国際的に低い金利、円安局面での取得価格低下が背景にあります。投資家は収益、立地、耐震性、環境性能、テナント構成を比較し、東京をニューヨーク、ロンドン、シンガポール、ソウルなどと同じ候補表に並べます。
国土交通省の2025年版土地白書によれば、2024年に海外投資家が国内不動産を購入した金額は9397億円で、前年の5758億円から約63%増えました。国内不動産投資額全体に占める割合は17.1%です。[13]
17.1%は、東京の土地所有率ではなく、2024年に確認された全国の不動産投資取引額のうち、海外投資家による購入が占めた割合です。土地の総面積や住宅戸数に対する外国人所有率でもありません。
国内不動産投資のほぼ六分の一を海外投資家が占める一方、八割以上は海外投資家以外の資金でした。
紀尾井町4000億円――西武がつくった街を、世界の資金が買う
東京ガーデンテラス紀尾井町は、西武グループが旧赤坂プリンスホテル跡地を再開発した複合施設です。オフィス、ホテル、住宅、店舗が一体となり、都心の一等地に一つの街を形成しています。
2024年12月、ブラックストーンは西武ホールディングスの関係会社から同施設を約26億ドル、約4000億円で取得する契約を結んだと発表しました。施設には約224万平方フィート規模の複合用途、135戸の高級住宅、250室の高級ホテル、オフィス、店舗、宴会施設などが含まれます。[15]

西武ホールディングスは、優良資産を売却して次の開発へ再投資する「キャピタルリサイクル」を成長戦略に掲げ、同施設の流動化を中心案件に位置づけました。売却資金を都心、西武鉄道沿線、リゾートなどの再開発へ振り向ける方針です。[16][17]
西武が長年保有した土地を再開発し、完成した施設を世界的な投資家へ売り、その資金で別の開発を進めます。日本の私鉄資本と世界の金融資本が一つの循環でつながりました。
かつて鉄道会社は、線路を敷き、沿線の住宅、百貨店、遊園地、ホテルを長期保有しました。現在は、つくった不動産を売り、その資金で次をつくることも企業の力になっています。
「売ったら終わり」ではない
所有者が外国ファンドへ変わっても、日本企業が施設運営や管理に関わり続ける場合があります。ただし、賃料、改修、追加投資、売却時期などには新しい所有者の投資方針が影響し、その変化は時間をかけて建物の使われ方に表れます。
目黒雅叙園――外国資本から外国資本へ渡る東京
世界の投資都市では、物件が日本企業から外国企業へ渡るだけでなく、外国資本から別の外国資本へ移ることもあります。
2025年1月、ロイターは、カナダのブルックフィールドが日本で総額16億ドルの不動産案件を完了し、その中に東京・目黒の雅叙園複合施設への投資が含まれると報じました。同施設はオフィス、商業、ホテルなどから成り、それ以前は中国の政府系ファンド、中国投資有限責任公司が保有していました。ブルックフィールドも、2024年12月の取得を日本市場での主要取引に挙げています。[18][19]
東京の一部の不動産は、国内企業の保有資産という枠を越え、世界の投資家の間で売買される資産になりました。建物は目黒に残り、評価と資金、売却判断の主体が国境を越えて入れ替わります。
海外投資家の参入は、東京の不動産市場をどう変えたのか
第一に、資金の供給源を増やしました。バブル崩壊後に国内の買い手が不足した局面では、海外投資家が価格を提示し、動かなかった不動産を流通させました。老朽化したホテルやオフィスを取得し、改修や運営改善を経て市場へ戻す投資も行われました。
第二に、不動産経営の透明性を高める方向へ働きました。証券化された不動産では、賃料、空室、費用、修繕、借入、将来収益を数字で説明します。国土交通省も、物件の収益やリスクを比較し、経営を監視する仕組みが強まったと整理しています。[10]
第三に、日本企業が保有資産を売り、次の投資へ資金を回す選択肢を広げました。紀尾井町では、海外投資家が完成物件を買うことで、西武が固定されていた資本を回収し、別の開発へ振り向けられます。
一方、投資ファンドの売却期限や収益目標が、街の歴史、地域との関係、長期的な維持管理、公共空間より優先される可能性があります。国土交通省も、景観やにぎわいなど、収益に直接表れにくい都市への貢献を証券化では反映しにくいと指摘しています。[10]
世界の金融市場が不安定になると、東京側の事情にかかわらず資金調達や売却計画が変わる場合もあります。2008年の金融危機がその例です。
所有構造も複雑になります。名義人が特別目的会社で、その背後に複数のファンド、年金基金、投資家がいる場合、登記だけでは実質的な資金の出し手までたどれません。
「外国人が東京のマンションを買い占めている」は、どこまで本当か
国籍別の不動産所有状況を全国的、網羅的に把握する統計は長く整っていませんでした。
国土交通省は2025年11月、2018年1月から2025年6月までに登記された新築マンション約55万戸を対象に、短期売買と国外居住者による取得を調査しました。2025年上半期の国外からの取得割合は、東京23区で3.5%、都心6区で7.5%でした。都心6区で国外居住者が2億円以上の物件を特に活発に買う傾向は確認されませんでした。[20][21]
調査対象の「国外に住所がある者」には海外在住の日本人が含まれ、日本国内に住所を持つ外国人は含まれません。この調査は外国人の所有率そのものではなく、マンション価格上昇には用地の希少性、建設費、人件費、金利、国内富裕層の需要、再開発、供給物件の構成なども影響します。
議論には、取得者の属性、地域、目的、保有期間を区別できるデータが必要です。
東京を変えているのは、外国資本だけではない
再開発には、国や自治体、土地所有者、デベロッパー、銀行、投資家、建設会社、設計者、鉄道会社、ホテル運営会社、テナント、住民が関わります。海外投資家が資金を出す場合も、都市計画、建築規制、用途、道路、公共空間、地域との合意は日本の制度に従います。
日本企業が開発主体となり、海外投資家が資金を供給し、完成後の施設を別の投資家が取得する場合もあります。東京の再開発は、国内の制度と企業、地域の合意、世界の資金が組み合わさって進みます。東京駅周辺の仕組みは丸の内・大手町の再開発入門、都内各地の事例は東京の再開発10地区で詳しく紹介しています。
街を歩くと、資本の歴史が見える
明石町には外国から人と知識が入った時代、丸の内には外国都市を参照しながら日本資本が業務地区を築いた時代が残ります。紀尾井町では日本企業が再開発した街を海外ファンドが取得し、売却資金が次の開発へ回ります。目黒では東京の建物が外国資本から別の外国資本へ渡っています。
人と知識の移動、企業進出、資金投資、所有権移転、再開発資金の循環が、東京の近代史に重なっています。
結論――外国資本は東京の主役ではない。だが、舞台装置を変えた
江戸から東京への改造、鉄道建設、丸の内の形成、郊外住宅地の開発、高度経済成長期のビル建設、私鉄による沿線開発を担った中心は、日本の政府、自治体、企業、金融機関、鉄道会社、地権者、市民でした。
外国との関係は、各時代に異なる形で東京へ影響しました。明治初期には人、知識、制度が入り、戦後には外国企業を受け入れる制度が段階的に開きました。バブル崩壊後には外資系ファンドが不動産と不良債権へ価格をつけ、証券化とJリートは土地と建物を世界の資金につなげました。現在は、日本企業がつくった街を海外投資家が買い、その資金が次の開発へ回る循環が生まれています。
所有者の変更は、賃料、改修、追加投資、売却方針を通じ、数年後の改装、建て替え、用途転換、再開発として街に表れます。動かない土地の上を、世界の資本が移動しています。
国内デベロッパーが都心の土地と建物を長期保有し、完成後も街を運営するモデルは、「森一族がつくった東京|森ビルと森トラストの再開発史」で具体的に見られます。
補記 2026年6月時点――データ整備と規制論は動き続けている
本編は、取引と統計の区切りを2025年12月末に置きました。
政府は外国人による土地取得等の実態把握とルールを検討しています。2026年3月の関係会議では、不動産取得者の国籍、国内居住外国人、法人の背後にいる関係者の把握などが論点になりました。政府資料も、従来の調査では日本人を含む国外居住者の取得しか把握できず、国内居住外国人を含む全体像を十分に捉えていないと説明しています。[22][23]
制度と統計は整備の途上にあり、外国人による所有率を推計で補う段階にはありません。
参考資料
- 中央区「カトリック築地教会聖堂」
- 東京都立図書館「築地に出来た『外国人居留地』」
- 三菱地所「Mitsubishi Estate’s History」
- 日本銀行金融研究所「1960年代末における国際収支に対する認識と金融政策」
- 日本銀行金融研究所「日本の為替管理の自由化と国際収支構造の変化」
- 日本銀行「外為法とは何ですか?」
- 日本銀行金融研究所「バブル期の金融政策とその反省」
- 日本銀行金融研究所「日本におけるバブル崩壊後の調整に対する政策対応」
- 日本銀行「わが国における事業再生ファンドの最近の動向」
- 国土交通省「土地政策から見た不動産証券化の意義と課題」
- 日本取引所グループ「Jリートガイドブック」
- 東京都「Special Zone for Asian Headquarters」
- 国土交通省『令和7年版土地白書』
- 東京都「Invest Tokyo」
- Blackstone “Blackstone Announces Acquisition of Tokyo Garden Terrace Kioicho”
- 西武ホールディングス「対処すべき課題」
- 西武ホールディングス「株主の皆さまへ」
- Reuters “Brookfield closes two Japan real estate deals for $1.6 billion”
- Brookfield “Brookfield aims to triple real estate AUM in Asia-Pacific in five years”
- 国土交通省「不動産登記情報を活用した新築マンションの取引の調査結果を公表」
- 国土交通省「金子大臣会見要旨(2025年11月25日)」
- 内閣官房「外国人による土地取得等のルールの在り方検討会」
- 内閣官房「我が国の土地等に関連する制度及び運用状況等について」

