アインザッツグルッペンとは?収容所の外で行われたホロコーストを解説

アインザッツグルッペンと収容所の外で行われたホロコーストを説明する教育用アイキャッチ

アインザッツグルッペンは、ナチス・ドイツの治安警察と親衛隊保安部(SD)を中心に編成され、ドイツ軍の侵攻に続いて占領地で活動した部隊です。とくに1941年6月の独ソ戦開始後、東ヨーロッパとソ連領でユダヤ人共同体の大量射殺を進めました。

ホロコーストでは、アウシュビッツなどの殺害施設に加え、町外れ、森、渓谷、採石場など、居住地に近い場所でも組織的な殺害が行われました。

アインザッツグルッペンを知ると、反ユダヤ主義、独ソ戦、警察組織、ドイツ軍、現地補助部隊、銃殺、ガストラック、絶滅収容所が、どのようにつながってホロコーストを拡大させたかを理解できます。

30秒で分かる結論

  • アインザッツグルッペンは、治安警察とSDを中心とするナチスの移動殺害部隊です。
  • 1939年のポーランド侵攻でも同名の部隊が活動し、1941年のソ連侵攻ではA・B・C・Dの4部隊が東部戦線へ配置されました。
  • 当初の主な標的はユダヤ人男性やソ連の政治関係者でしたが、1941年夏には女性、子ども、高齢者を含むユダヤ人共同体全体へ殺害対象が広がりました。
  • 約3,000人規模の中核部隊は、秩序警察、武装SS、ドイツ軍、同盟国軍、現地の補助警察や協力者の支援を受けて殺害を実行しました。
  • 主な方法は集団射殺で、1941年後半からガストラックも併用されました。
  • 1943年春までに、アインザッツグルッペンと秩序警察大隊はソ連領で100万人を超えるユダヤ人を殺害しました。
  • バビ・ヤールは、1941年9月29日と30日の2日間に33,771人のユダヤ人が殺害された代表的な現場です。

まず全体像|ホロコーストは収容所の外でも進行した

ホロコーストとは、ナチス・ドイツとその同盟国・協力者によるヨーロッパ・ユダヤ人への組織的な迫害と殺害です。約600万人のヨーロッパ・ユダヤ人が殺害されました。全体の流れはホロコーストとは何か|アウシュビッツ・ゲットー・強制収容所・絶滅収容所を解説で整理しています。

迫害は、法的差別、財産の剥奪、強制移住、ゲットーへの隔離、強制労働、移送、銃殺、殺害施設での殺害へと拡大しました。地域と時期によって順序や組み合わせは異なり、複数の制度が同時に動きました。

ホロコースト全体の中でのアインザッツグルッペンの位置づけを示す教育用図解
ホロコーストは、ゲットー、移送・強制労働、絶滅収容所、アインザッツグルッペンによる収容所外の銃殺など、複数の場所と方法で進行しました。
迫害・殺害の形 主な場所 仕組み
隔離と管理 都市や町のゲットー 住居、移動、食料、労働、財産を行政と警察が管理した
拘禁と強制労働 強制収容所、労働収容所 囚人を拘禁し、労働、飢餓、病気、暴力にさらした
移送と固定施設での殺害 絶滅収容所・殺害センター 鉄道などで人々を移送し、ガス室を中心とする施設で殺害した
占領地での大量射殺 森、渓谷、墓地、採石場、町外れ 部隊が住民を集め、居住地の近くで殺害した

第1章|アインザッツグルッペンとは何か

Einsatzgruppen は複数形で、単数形は Einsatzgruppe です。「作戦部隊」「特別行動部隊」などと訳されます。ホロコースト史では、治安警察とSDを中心とする「移動殺害部隊」を指します。

正式名称は「保安警察およびSDのアインザッツグルッペン」です。構成員は、親衛隊(SS)、武装SS、SD、秘密国家警察(ゲシュタポ)、刑事警察、その他の警察組織から集められました。独ソ戦時の中核部隊は約3,000人でした。

各グループはさらにゾンダーコマンド、アインザッツコマンドなどの下位部隊に分かれ、前線後方の広い地域へ展開しました。少人数の中核部隊だけで広域の殺害を実行できた背景には、警察部隊、軍、行政機関、交通手段、通訳、情報提供者、現地補助部隊の協力がありました。

A・B・C・Dの4部隊

部隊 主な進撃・活動地域 代表的な都市・事件 対応した軍
アインザッツグルッペA リトアニア、ラトビア、エストニア、レニングラード方面 コヴノ、リガ、ビリニュスなど 北方軍集団
アインザッツグルッペB ベラルーシ、スモレンスク、モスクワ方面 ミンスク、グロドノ、モギリョフなど 中央軍集団
アインザッツグルッペC 西部・中部ウクライナ、キーウ、ハルキウ方面 リヴィウ、ジトーミル、バビ・ヤールなど 南方軍集団
アインザッツグルッペD 南ウクライナ、クリミア、北カフカス方面 シンフェロポリ、セヴァストポリなど 第11軍

第2章|1939年のポーランド侵攻から1941年の独ソ戦へ

アインザッツグルッペンの歴史は独ソ戦以前にさかのぼります。1939年9月のポーランド侵攻では、同名の部隊がドイツ軍に続いて占領地へ入り、ポーランドの知識人、聖職者、政治指導層などの逮捕と殺害に関与しました。

1941年のソ連侵攻に向けて、親衛隊と警察は部隊をA・B・C・Dの4グループへ再編しました。ドイツ国防軍最高司令部と親衛隊側は、前線後方でそれぞれが活動するための協力関係を整えました。

1941年6月22日にバルバロッサ作戦が始まると、戦争は領土獲得だけを目的とする通常の軍事作戦を超え、ナチスが「人種的・政治的敵」と位置づけた人々を排除する殲滅戦として進みました。反ユダヤ主義、反共産主義、スラヴ系住民への人種差別、食料と土地の収奪が結びついていました。

第3章|なぜユダヤ人共同体全体の殺害へ拡大したのか

侵攻直後の命令と実行には地域差があり、当初はユダヤ人男性、共産党幹部、ソ連国家機関の関係者などが主要な標的でした。1941年7月から8月にかけて、殺害対象は女性、子ども、高齢者を含むユダヤ人共同体全体へ急速に広がりました。

ナチスはユダヤ人と共産主義を結びつける「ユダヤ=ボリシェヴィキ」という虚構を宣伝し、ユダヤ人を軍事上の敵や治安上の脅威として扱いました。戦況、占領政策、食料収奪、反ユダヤ主義が結びつき、地域のユダヤ人を一括して殺害する政策へ進みました。

この大量射殺は、のちの絶滅収容所とは別個に終わった政策ではなく、ヨーロッパ・ユダヤ人全体の殺害を目指す「最終的解決」の初期段階を構成しました。隔離政策についてはゲットーとは何か|ワルシャワ・ウッチから見るホロコーストの隔離政策で詳しく説明しています。

第4章|集団射殺はどのように実行されたのか

事件ごとに差はありますが、大量射殺は一定の手順で実行されました。

  1. 住民の特定:登録簿、住所情報、地元の情報提供者、通訳、補助警察などを使ってユダヤ人や標的とされた人々を把握しました。
  2. 集合命令と拘束:移住、労働、登録などを名目に集合させる場合や、家宅捜索で連行する場合がありました。
  3. 財産の没収:現金、宝石、衣服などを奪い、占領当局やドイツ国内へ送るか、協力者へ分配しました。
  4. 殺害現場への移動:徒歩やトラックで町外れ、森、渓谷、墓地、採石場などへ連行しました。
  5. 射殺と埋葬:事前に掘られた穴や犠牲者自身に掘らせた穴の前で射殺し、遺体を集団墓地へ埋めました。

殺害は夜間の秘密作戦に限られず、日中、地域住民の視界や銃声が届く場所でも行われました。現場の封鎖、移送、警備、射撃、財産整理、埋葬には多くの人員が必要でした。

アインザッツグルッペン本部へ送られた作戦状況報告書には、部隊名、活動地域、標的、殺害人数が記録されています。文書では「特別処置」「処理」「掃討」などの婉曲語も使われましたが、記載内容と戦後の証言から大量殺害の実態が確認されています。

第5章|犠牲者数はどのくらいだったのか

アインザッツグルッペンと秩序警察大隊は、1943年春までにソ連領で100万人を超えるユダヤ人を殺害しました。ロマ、ソ連の政治将校や公務員、パルチザンと見なされた人々、障害者施設の入所者なども多数殺害されました。

さらに広く、ドイツの警察・軍部隊、同盟国軍、現地補助部隊などが行った大量射殺とガストラックによる殺害を含めると、ドイツがソ連から占領した地域で殺害されたユダヤ人は最大約200万人と推定されています。これはホロコーストで殺害された約600万人のユダヤ人の約3分の1に相当します。

数字 対象範囲 読み方
約3,000人 独ソ戦時のアインザッツグルッペン中核要員 少人数の部隊が、軍・警察・現地補助組織の支援を得て広域で活動した
100万人超 1943年春までにアインザッツグルッペンと秩序警察大隊が殺害したソ連領のユダヤ人 移動殺害部隊と警察による殺害規模
最大約200万人 ソ連から占領した地域における大量射殺・ガストラック・関連する虐殺のユダヤ人犠牲者 アインザッツグルッペン以外の加害組織も含む広い推計

第6章|代表例:バビ・ヤール

バビ・ヤールは、現在のウクライナの首都キーウにある渓谷です。英語では Babi Yar、ウクライナ語に近い表記では Babyn Yar と書かれます。

バビ・ヤールの場所、日付、犠牲者数、歴史的意味を整理した教育用図解
バビ・ヤールは現在のウクライナ・キーウ近郊の渓谷で、1941年9月29日から30日にかけて多数のユダヤ人が殺害されました。重要なのは犠牲者数の比較ではなく、場所・占領・記憶の問題として理解することです。

ドイツ軍は1941年9月19日にキーウを占領しました。その後、市内で起きた爆発を口実として、占領当局はキーウに残っていたユダヤ人へ集合を命じました。

9月29日と30日、アインザッツグルッペCのゾンダーコマンド4a、SS、ドイツ警察部隊、補助部隊などが殺害を実行しました。アインザッツグルッペンの報告書には、この2日間の犠牲者数として33,771人が記録されています。

キーウのユダヤ人は収容所へ移送されることなく、居住地に近い渓谷で殺害されました。バビ・ヤールでは、その後もロマ、ソ連捕虜、精神科病院の患者、非ユダヤ系住民などが殺害され、ドイツ占領期の犠牲者総数は約10万人と推定されています。

第7章|銃殺からガストラック、絶滅収容所へ

集団射殺には、射手、警備員、弾薬、車両、埋葬作業が必要でした。加害者への心理的負担や実行上の問題も報告され、親衛隊は別の殺害方法を開発しました。

1941年後半から使われたのがガストラックです。密閉した荷台へエンジンの排気ガスを送り、一酸化炭素で中の人々を窒息死させました。道路状況、燃料、整備、遺体搬出などの問題があり、ガストラック導入後も銃殺は続きました。

同じ時期、占領下ポーランドでは固定式のガス設備を備えた殺害センターの建設と運用が進みました。移動部隊が地域へ出向く方式と、人々を固定施設へ移送する方式が併存し、殺害はさらに大規模化しました。施設の違いは強制収容所と絶滅収容所の違いで整理しています。

アインザッツグルッペンと絶滅収容所の違いを左右比較で示す教育用図解
アインザッツグルッペンは占領地へ移動しながら収容所の外で殺害を行った部隊、絶滅収容所は人々を移送して殺害した固定施設です。どちらもホロコーストの一部であり、優劣ではなく仕組みの違いを理解することが大切です。
比較項目 アインザッツグルッペンなどの移動殺害部隊 絶滅収容所・殺害センター
基本構造 部隊が占領地へ移動する 犠牲者を固定施設へ移送する
主な場所 町外れ、森、渓谷、墓地、採石場 占領下ポーランドに設けた固定施設
主な殺害方法 集団射殺、ガストラック 固定式ガス室、ガストラックなど
必要な協力 軍、警察、行政、補助警察、通訳、情報提供者 鉄道、警察、収容所職員、行政、接収した施設と物資
代表例 バビ・ヤール、ポナリ、ルンブラなど ヘウムノ、ベウジェツ、ソビボル、トレブリンカ、アウシュビッツ=ビルケナウ
史跡の残り方 多数の集団墓地や殺害地点に分散する 大規模施設の跡地や移送記録が残る

第8章|誰が加害に関わったのか

大量射殺は、アインザッツグルッペンを中核としながら、次の組織や人々の関与によって実行されました。

  • 治安警察・SD:標的の選定、命令、部隊運用、報告を担いました。
  • 秩序警察:多数の警察大隊が移送、警備、射殺に参加しました。
  • 武装SS:警備や殺害作戦に加わりました。
  • ドイツ軍:補給、輸送、宿泊、通行、警備、人員などを提供し、部隊によっては殺害にも直接参加しました。
  • 同盟国軍:ルーマニア軍などが占領地域でユダヤ人の殺害に関与しました。
  • 現地補助部隊・協力者:住民の特定、通訳、逮捕、警備、移送、射殺などを担った事例があります。

関与の形と責任は事件ごとに異なります。特定の民族や地域社会全体を一括して「協力者」と扱うと、加害者、傍観者、救助者、抵抗者、被害者の違いが失われます。個々の組織、部隊、命令系統、行為を資料に基づいて確認する必要があります。

第9章|加害者が残した報告書と証拠隠滅

大量殺害の重要な証拠の一つが、アインザッツグルッペン自身の作戦状況報告書です。各地の部隊から国家保安本部へ情報が送られ、殺害人数や活動内容が集計されました。バビ・ヤールの33,771人という数字も加害側の報告に記録されています。

ドイツ軍の敗退が始まると、SSと警察は大量殺害の痕跡を消す作業を進めました。ゾンダーコマンド1005などの部隊は、囚人に集団墓地を掘り返させ、遺体を焼却させました。作業に動員された囚人の多くも、証人を消すために殺害されました。

報告書、軍や警察の文書、写真、現場調査、住民と生存者の証言、戦後裁判での供述を組み合わせることで、個々の殺害事件と加害組織の関係が明らかになっています。

第10章|戦後のアインザッツグルッペン裁判

ニュルンベルク継続裁判の第9事件は「アインザッツグルッペン裁判」と呼ばれます。アメリカ側は1947年、オットー・オーレンドルフをはじめとする指揮官・幹部24人を、人道に対する罪、戦争犯罪、犯罪組織への所属で起訴しました。

病気で審理が分離された被告と、公判前に死亡した被告を除き、多くの被告に有罪判決が言い渡されました。裁判では、アインザッツグルッペンの報告書、指揮命令系統、被告の供述が中心的な証拠になりました。

この裁判は、現場で引き金を引いた者だけでなく、命令、指揮、集計、輸送、部隊管理に関わった幹部の責任を問いました。一方、殺害に関わったすべての人物が裁かれたわけではなく、戦後に一般社会へ戻った加害者も多数いました。

第11章|なぜ「収容所の外のホロコースト」は見えにくいのか

アウシュビッツ=ビルケナウには、建物、線路、収容施設、展示資料が残り、世界的な追悼と教育の中心になっています。大量射殺の現場は、バルト三国、ベラルーシ、ウクライナ、ロシアなどの広い範囲に分散しています。

現場の多くは森、畑、渓谷、墓地で、戦後も標識がないまま残った場所があります。犠牲者名簿、目撃証言、加害側文書も複数の国、言語、文書館へ分かれています。集団墓地の正確な位置や犠牲者数が確定していない場所もあります。

さらに、ソ連時代の追悼では「ソ連市民」の犠牲が前面に出され、ユダヤ人を標的にした殺害であることが明示されない記念碑もありました。バビ・ヤールでは、1991年にユダヤ人犠牲者を追悼するメノラー型記念碑が建てられています。

Yad Vashemなどは、各地の殺害地点、犠牲者、証言、加害側文書を結びつける調査を続けています。分散した現場をたどることで、ホロコーストが大規模施設だけでなく、各地の生活圏で進行した事実が分かります。

よくある誤解

誤解 実際の姿
ホロコーストの犠牲者は主に収容所で殺害された 約3分の1にあたるユダヤ人が、大量射殺で殺害されたと推定されています。
アインザッツグルッペンはドイツ軍の特殊部隊だった 治安警察とSDを中心とするSS・警察系の部隊で、ドイツ軍から大規模な支援を受けました。
約3,000人の隊員だけで殺害を実行した 秩序警察、武装SS、軍、同盟国軍、現地補助部隊などの人員が不可欠でした。
銃殺からガス室へ完全に切り替わった ガストラックや固定式ガス施設が導入された後も、大量射殺は続きました。
殺害は人目につかない山奥で行われた 町や村の近くで、住民から見聞きできる状況で行われた事件も多数あります。
ユダヤ人以外の犠牲者を説明するとホロコーストを相対化する ユダヤ人虐殺を中心に据えつつ、ロマ、障害者、ソ連捕虜などへの犯罪を区別して説明できます。

関連用語表

用語 意味
治安警察(Sipo) 秘密国家警察と刑事警察を統合した警察組織。アインザッツグルッペンの中心を構成しました。
SD 親衛隊保安部。情報収集、敵の特定、占領政策に関与しました。
国家保安本部(RSHA) 1939年に治安警察とSDを統合して設置された組織。アインザッツグルッペンを監督しました。
秩序警察 制服警察を中心とする組織。警察大隊が大量射殺、移送、警備に参加しました。
ゾンダーコマンド アインザッツグルッペンの下位部隊名として使われた語。本記事では絶滅収容所で遺体処理を強制された囚人部隊とは区別が必要です。
ガストラック 排気ガスを密閉した荷台へ送り、内部の人々を殺害した車両です。
ホロコースト・バイ・ブレッツ 東ヨーロッパ各地で行われた大量射殺を示す表現です。
最終的解決 ヨーロッパ・ユダヤ人全体の殺害を目指したナチスの政策です。
ジェノサイド 国民的、民族的、人種的、宗教的集団を全部または一部破壊する意図を伴う行為です。詳しくはジェノサイドとは何かで整理しています。

FAQ|アインザッツグルッペンについてよくある質問

Q. アインザッツグルッペンとは何ですか?

A. ナチスの治安警察とSDを中心に編成された移動殺害部隊です。ドイツ軍の侵攻に続いて占領地へ入り、とくに独ソ戦後、ユダヤ人共同体の大量射殺を実行しました。

Q. A・B・C・Dは何を表していますか?

A. 独ソ戦で東部戦線に配置された4つの主要部隊です。Aはバルト地域、Bはベラルーシと中央方面、Cはウクライナ方面、Dは南ウクライナとクリミア方面で活動しました。

Q. 犠牲者は何人ですか?

A. 1943年春までに、アインザッツグルッペンと秩序警察大隊はソ連領で100万人を超えるユダヤ人を殺害しました。関連するドイツ軍・警察・同盟国軍・現地補助部隊による大量射殺やガストラックを含む広い推計では、ユダヤ人犠牲者は最大約200万人です。

Q. ドイツ軍は関与しましたか?

A. ドイツ軍は補給、輸送、宿泊、警備、人員を提供し、多くの作戦を支えました。部隊によっては大量射殺へ直接参加しました。

Q. ガストラックとは何ですか?

A. 密閉した荷台へエンジンの排気ガスを送り、一酸化炭素で中の人々を殺害した車両です。1941年後半から射殺と併用されました。

Q. バビ・ヤールでは何が起きましたか?

A. 1941年9月29日と30日、キーウのバビ・ヤールで33,771人のユダヤ人が殺害されました。アインザッツグルッペCのゾンダーコマンド4a、SS、ドイツ警察、補助部隊などが関与しました。

Q. 「ホロコースト・バイ・ブレッツ」とは何ですか?

A. 「銃弾によるホロコースト」という意味で、東ヨーロッパ各地の大量射殺を示す表現です。殺害のすべてをアインザッツグルッペンだけに帰す言葉ではなく、警察、軍、同盟国軍、現地補助部隊などの関与も含めて考える必要があります。

Q. 強制収容所と絶滅収容所は同じ施設ですか?

A. 機能が異なります。強制収容所は拘禁、懲罰、強制労働を中心とし、絶滅収容所・殺害センターは大量殺害を主目的としました。詳しくは強制収容所と絶滅収容所の違いを参照してください。

まとめ|収容所の外で進んだホロコースト

アインザッツグルッペンは、治安警察とSDを中心に編成され、ドイツ軍の進撃に続いて占領地で活動した移動殺害部隊です。1939年のポーランド侵攻での活動を経て、1941年の独ソ戦ではA・B・C・Dの4部隊が東部戦線へ展開しました。

殺害対象は、ユダヤ人男性や政治関係者から、女性、子ども、高齢者を含むユダヤ人共同体全体へ拡大しました。集団射殺とガストラックによる殺害は、軍、警察、行政、同盟国軍、現地補助部隊の協力によって実行されました。

バビ・ヤールをはじめとする多数の現場、加害側報告書、集団墓地、証言、戦後裁判は、ホロコーストが収容所の外でも国家と組織の力によって進行した事実を伝えています。

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参考文献・参考サイト