ブラジル北部、アマゾン河口に近いパラー州トメアスーには、日本人移民と日系農家が育ててきた、少し不思議な農業の歴史があります。
その農業は、しばしば「森をつくる農業」と紹介されます。コショウ、カカオ、アサイー、クプアス、果樹、高木を一つの畑の中で組み合わせ、畑を単一作物の工場のようにするのではなく、森のような多層構造へ近づけていく農法です。
この記事は「日本人が知らない、海外で語り継がれる日本人」シリーズの一つです。ブラジル日系移民史、南米農業、環境農業をつなぐ記事として、上塚周平やパラグアイ大豆農業の記事とも合わせて読むと流れが見えやすくなります。
30秒で分かる結論
- トメアスーへの日本人入植は1929年に始まりました。
- 初期移民はカカオ栽培の失敗、マラリア、退耕、戦争、差別などに苦しみました。
- のちにコショウ栽培で成功しましたが、病害や単一作物依存の危機に直面しました。
- その危機の中で、多品目・多層型のトメアス式アグロフォレストリーが発展しました。
- この歴史は「日本人がアマゾンを救った」という単純な話ではなく、移民史・農業史・環境史が重なる物語です。
トメアス移民とは
トメアス移民とは、ブラジル・パラー州トメアスーに入植した日本人移民とその子孫たちの歴史を指します。1929年に始まった入植は、希望と同時に厳しい自然環境、病気、交通の不便、販路不足を伴いました。
ブラジル日系移民史の大きな流れで見ると、1908年の笠戸丸から始まるブラジル移民の父・上塚周平と日系社会の歴史の先に、アマゾンへの移住と農業開拓があります。
カカオの失敗、マラリア、退耕
トメアスーへの入植は、最初から成功したわけではありません。カカオ栽培の失敗、マラリア、生活環境の厳しさ、交通と販売の困難などが重なり、入植地を離れる人もいました。
この時期を見落とすと、後のアグロフォレストリーだけが美しく見えてしまいます。実際には、失敗と危機を何度も経験したからこそ、単一作物に頼らない農業への模索が生まれました。
コショウ栽培の成功と危機
トメアスーの日系農家は、のちにコショウ栽培で大きな成果を上げました。コショウは地域の経済を支える作物となり、移民たちに安定への道を開きました。
しかし、単一作物への依存は病害や価格変動のリスクを抱えます。成功した作物に頼りすぎることが、次の危機を生むこともあります。この経験が、多品目農業へ向かう重要な背景になりました。
トメアス式アグロフォレストリーとは
トメアス式アグロフォレストリーシステム、またはSAFTAは、コショウ、カカオ、アサイー、果樹、高木などを組み合わせる多品目・多層型の農業です。畑を森のような構造へ近づけることで、収穫時期や収入源を分散し、土地の利用を長期的に考える仕組みです。
これは最初から理想的な環境思想として完成していたわけではありません。失敗、病害、単一作物依存への反省、農協や研究機関、国際協力、消費市場との関係の中で形づくられました。
南米日系農業の中で見る
トメアスーの歴史は、南米日系農業の多様性を考えるうえで重要です。大豆を軸にしたパラグアイ大豆農業を支えた日本人移民の歴史と比べると、同じ南米の日系農業でも、土地、作物、市場、環境課題が大きく異なることが分かります。
また、海外農業に関わった日本人という広い視点では、カリフォルニアのワイン産業に生きたカリフォルニアの葡萄王・長沢鼎ともつながります。
「日本人がアマゾンを救った」と単純化しない
トメアス式アグロフォレストリーは注目すべき取り組みですが、「日本人がアマゾンを救った」と単純化すると、現地社会、ブラジル人農業者、先住民・地域住民、研究機関、行政、市場の役割が見えなくなります。
日系農家の経験は大切ですが、それはアマゾン全体を代表するものではありません。地域の歴史の中で、どのように一つの農業モデルが育ったのかを丁寧に見る必要があります。
よくある誤解
SAFTAは最初から環境保護を目的に作られたのですか?
そう単純には言えません。失敗や危機を乗り越える実践の中で、多品目・多層型の農業が発展しました。
トメアス移民だけがアグロフォレストリーを作ったのですか?
日系農家の貢献は大きいですが、現地社会、農協、研究機関、国際協力、市場との関係も重要です。
このシリーズはどのような記事ですか?
「日本人が知らない、海外で語り継がれる日本人」シリーズでは、日本国内ではあまり知られていないものの、海外の地域史・移民史・医療史・文化交流史の中で記憶されている日本人や日系社会の足跡を紹介しています。
まとめ
トメアス移民とアグロフォレストリーの歴史は、苦難から始まった移民史であり、農業の失敗と成功、病害、単一作物依存の危機、環境へのまなざしが重なった物語です。
「森をつくる農業」は、一度で完成した理想ではなく、日系農家と地域社会が長い時間をかけて育ててきた実践でした。
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参考文献・参考サイト
- JICA 関連資料
- CAMTA 関連情報
- トメアスー移民、SAFTA、アグロフォレストリーに関する各種資料

