偉犬・偉動物たちの物語|ハチ公、タロ・ジロ、ライカ、チロリ、クロ

ハチ公、タロ・ジロ、ライカ、チロリ、クロ、ぶん公、ゴン、サーブ、タマ公など歴史に残る犬たちを描いた「偉犬・偉動物たちの物語」のアイキャッチ 雑学

偉人伝はよくあります。

けれども、人間の歴史を動かし、人の記憶に残ったのは、人間だけではありません。

駅で主人を待ち続けた犬。南極の氷原を生き抜いた犬。帰還の見込みがない宇宙船に乗せられた犬。病院や福祉施設で人の心を支えた犬。雪崩、火災、戦後抑留という極限の場で、人に寄り添った犬。

彼らの物語をたどると、都市の発展、南極観測、宇宙開発、福祉、災害、戦争、信仰といった、人間社会の歴史が別の角度から見えてきます。

この記事では、史料や公的機関の記録で確認できる実在の犬を中心に紹介します。最後には、史実として断定できない部分を含みながらも、地域で長く語り継がれてきた伝承・伝説の犬たちも取り上げます。

今回は犬を中心とした第一編です。将来は、馬、鳩、そのほか人間の歴史に関わった動物へ広げていきます。

このページで紹介する犬たち

名前 時期 舞台 物語のポイント
ハチ公 1923〜1935年 東京・渋谷 亡き主人を駅で待ち続け、渋谷の象徴になった
タロ・ジロ 1956〜1970年/1960年 南極・昭和基地 置き去りにされた15頭のうち、約1年後に生存確認された
ライカ 1957年 ソ連・地球周回軌道 帰還計画のない宇宙船に乗り、宇宙開発史と倫理の象徴になった
チロリ 1990年代〜2006年 東京を中心とする医療・福祉施設 捨て犬から日本初の認定セラピードッグになった
サーブ 1977〜1988年 岐阜・愛知 主人を車から守り左前脚を失い、盲導犬への社会的理解を広げた
タマ公 1934・1936年に活躍 新潟県五泉市の雪山 雪崩に埋まった主人を二度救った
ぶん公 昭和初期〜1938年 北海道小樽市 消防車に乗って火災現場へ出動したと伝わる消防犬
ゴン 昭和60年代〜2002年 和歌山県・高野山町石道 参詣者を慈尊院から高野山へ案内した
クロ 1940年代後半〜1956年 ハバロフスク、ナホトカ、舞鶴 シベリア抑留者を支え、最後の引揚船で日本へ来た
石岡タロー 1964〜1981年 茨城県石岡市 はぐれた飼い主を求め、17年間駅へ通った
平治号 1970年代〜1988年 大分県・くじゅう連山 登山者を14年間案内した山のガイド犬
代参犬シロ 18世紀末 福島県須賀川から伊勢 病気の主人に代わり伊勢参りをしたと伝わる
老犬神社のシロ 江戸時代初期と伝わる 秋田県大館市 主人を救うため狩猟免状を運ぼうとした忠犬伝承
早太郎/悉平太郎 約700年前の伝説 長野県駒ヶ根・静岡県磐田 人身御供を求める怪物を退治した霊犬伝説

※スマートフォンでは表を横にスクロールしてご覧ください。

ハチ公|一匹の秋田犬が、渋谷という街の記憶になった

生没年:1923年11月10日〜1935年3月8日
主な時期:1924〜1935年
舞台:東京・渋谷

ハチは、1923年に秋田県大館で生まれた秋田犬です。翌年、東京帝国大学農科大学教授の上野英三郎に迎えられました。

上野はハチを家族のようにかわいがり、ハチも主人によくなつきました。上野が渋谷駅から大学へ通うと、ハチは駅まで見送り、帰宅時刻になると迎えに出たといわれています。

ところが1925年5月、上野は大学で急逝します。もう渋谷駅に帰ってくることはありませんでした。

それでもハチは駅へ通いました。預け先を転々とした時期を経ながらも、夕方になると渋谷駅の周辺に姿を現し、かつて主人が降りてきた改札の方向を見つめました。その姿が新聞で紹介されると、ハチは全国に知られるようになります。

1934年には渋谷駅前に初代の銅像が建てられ、ハチ自身も除幕式に参加しました。翌1935年、ハチは11歳で亡くなります。初代像は戦時中の金属回収で失われましたが、1948年に現在の二代目像が建てられました。

ハチ公物語は、忠義の美談だけでは終わりません。郊外の駅だった渋谷が大都市へ変わっていく時代、その中心に一匹の犬の記憶が刻まれました。現在のハチ公像は、世界中から人が集まる待ち合わせ場所です。ハチは主人を待った犬であると同時に、人と人が出会う街の象徴になったのです。

銅像のハチは左耳が垂れています。左耳が傷ついた理由については複数の説があり、確定していません。若い時期を再現したとされる国立科学博物館の剥製では、両耳が立っています。

会える場所

渋谷駅前には二代目の忠犬ハチ公像があります。国立科学博物館ではハチの剥製が常設展示され、東京大学農学部には上野英三郎と再会する姿を表した像があります。生まれ故郷の大館市にも複数のハチ公像があります。

タロ・ジロ|南極に残された15頭と、約1年後の再会

生没年:タロ 1956〜1970年/ジロ 1956〜1960年
主な時期:1956〜1959年
舞台:南極・昭和基地

1950年代、日本は国際地球観測年に参加し、本格的な南極観測へ乗り出しました。当時の南極では、雪上車だけでなく犬ぞりも重要な移動手段でした。そのため、寒さに強いカラフト犬が選ばれ、訓練を受けて観測隊とともに南極へ渡りました。

タロとジロは1956年に北海道で生まれた兄弟犬です。若い2頭も第一次南極地域観測隊に加わり、1957年に昭和基地へ入りました。

翌1958年、第二次隊は悪天候のため昭和基地へ上陸できず、越冬を断念します。犬たちは短期間で迎えに戻る想定で、鎖につながれたまま基地に残されました。しかし天候は回復せず、15頭を収容できないまま船は南極を離れました。

日本では強い批判が起こりました。隊員たちも犬を見捨てたかったわけではありません。救出を試みながら、結果として連れ帰れなかったのです。

1959年1月14日、第三次隊が昭和基地へ到着しました。基地の近くに現れた2頭の犬を、隊員たちはタロとジロだと確認します。残された15頭のうち、7頭は鎖につながれた状態で死亡し、6頭は行方が分からず、タロとジロだけが生きていました。

2頭がどのように鎖を外し、何を食べて約1年間を生き延びたのか、すべてが明らかになっているわけではありません。だからこそ、その生存は「奇跡」と呼ばれました。

ジロは南極に残り、1960年に昭和基地で亡くなりました。タロは日本へ戻り、北海道大学で1970年まで生きました。タロとジロの物語は、生命力の賛歌である一方、人間が動物を探検に参加させる責任を問い続ける物語でもあります。

会える場所

タロの剥製は北海道大学植物園、ジロの剥製は東京・上野の国立科学博物館で展示されています。国立極地研究所の南極・北極科学館では、日本の南極観測史を学べます。

ライカ|帰る方法を持たないまま、宇宙へ送られた犬

生没年:生年不詳(推定1954年ごろ)〜1957年11月3日
主な時期:1957年
舞台:ソ連・モスクワ、地球周回軌道

1957年10月、ソ連は世界初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げました。冷戦下の世界に衝撃が走るなか、ソ連はわずか約1か月後、さらに大きな衛星スプートニク2号を打ち上げます。

その機体に乗せられたのが、モスクワの街で保護された小柄な雑種犬ライカでした。

当時、人間が宇宙空間で生きられるのかは分かっていませんでした。無重力や打ち上げ時の加速度が生物に及ぼす影響を調べるため、犬たちは狭い容器への順応や振動に耐える訓練を受けました。

しかし、スプートニク2号には地球へ帰還する仕組みがありませんでした。ライカが生きて戻る計画は、初めから用意されていなかったのです。

長い間、ソ連はライカが数日間生存したと発表していました。後に明らかになったところでは、機体の温度上昇などにより、ライカは打ち上げ後数時間で死亡した可能性が高いとされています。

ライカの飛行で、生物が打ち上げと地球周回軌道に一定時間耐えられることは示されました。有人宇宙飛行へ向かう過程で得られたデータには意味がありました。一方で、回収不能と分かったうえで命を送り出した事実は、科学研究における動物利用の倫理を考える象徴になりました。

ライカの物語は、「宇宙へ行った勇敢な犬」という言葉だけでは語れません。人類の大きな進歩の陰で、誰が代償を払ったのかを記憶するための物語です。

会える場所

ライカの体はスプートニク2号とともに大気圏へ再突入し、残されていません。NASAなどの宇宙機関が公開する宇宙開発史資料、各地の宇宙博物館や科学館の展示を通じて、その足跡をたどることができます。モスクワにはライカを記念する像も建てられています。

チロリ|捨て犬から、人の心を支えるセラピードッグへ

生没年:生年不詳〜2006年3月16日
主な時期:1992〜2006年
舞台:東京を中心とする医療・福祉施設

1992年夏、千葉県で一匹の母犬が5頭の子犬とともに捨てられていました。母犬には左後ろ脚の障害があり、親子は殺処分される寸前でした。

その母犬を救い出したのが、音楽家で国際セラピードッグ協会創始者の大木トオルです。犬は「チロリ」と名づけられました。

保護されたばかりのチロリは、心身ともに傷ついていました。しかし、人との信頼を少しずつ取り戻し、セラピードッグの訓練を受けます。協会によれば、通常2年半ほどかかる訓練課程を、チロリは半年で修了しました。

セラピードッグは、単に人に触られるおとなしい犬ではありません。高齢者、患者、障害のある人などに寄り添い、歩く意欲や会話、表情を引き出すため、状況を読みながら落ち着いて行動する必要があります。

チロリは医療・福祉施設を訪れ、多くの人に笑顔や生きる意欲を届けました。捨てられ、障害を負いながら生き延びたチロリが、今度は弱っている人を支える存在になったのです。

2006年3月16日、チロリは亡くなりました。その後も書籍や絵本を通じて物語は広まり、日本にセラピードッグという活動を知らせた象徴として記憶されています。

会える場所

東京都中央区の築地川銀座公園には、チロリと5頭の子犬を表した記念碑があります。子犬を守る母犬としての姿と、人を支えたセラピードッグとしての歩みを同時に伝える像です。

盲導犬サーブ|主人を守った事故が、社会の考え方を変えた

生没年:1977年4月8日〜1988年6月13日
主な時期:1980〜1988年
舞台:岐阜県美並村、愛知県名古屋市

サーブはメスのジャーマン・シェパードで、中部盲導犬協会の訓練を受け、視覚障害のある男性の盲導犬になりました。

1982年1月25日、サーブと主人は雪の残る岐阜県美並村の国道を歩いていました。そこへ、スリップした車が突っ込んできます。

サーブは主人を守るように動き、自ら大きなけがを負いました。主人は大事に至りませんでしたが、サーブは左前脚を切断することになります。

事故後、盲導犬の治療費が自動車損害賠償責任保険の対象になるのかが問題になりました。サーブの事故は、盲導犬を単なる所有物ではなく、視覚障害者の身体の一部に近い存在として考えるべきだという議論を広げました。その後、盲導犬の損害について補償が認められる方向へ制度運用が改められていきます。

三本脚になったサーブは盲導犬を引退しましたが、全国から多くの手紙が届きました。彼女の物語は、盲導犬がどのように人の生活を支えているのかを社会に知らせる大きな契機になりました。

1988年、サーブは11歳で亡くなりました。主人を守った行動だけでなく、その事故が社会の制度と意識を動かしたことに、サーブの歴史的な意味があります。

会える場所

名古屋市中区栄と、中部盲導犬協会の施設前にサーブ像があります。事故の現地に近い岐阜県郡上市美並町の健康福祉センターさつき苑にも像が建てられています。名古屋市の長楽寺には盲導犬慰霊碑があり、サーブも眠っています。

忠犬タマ公|雪崩の下から、主人を二度救い出した柴犬

生没年:不詳
主な時期:1934年・1936年
舞台:新潟県五泉市の山間部

昭和初期、新潟県の旧川内村に、タマというメスの柴犬がいました。飼い主の刈田さんに育てられ、猟に同行する猟犬として山を駆け回っていました。

1934年2月5日、刈田さんと猟仲間はタマを連れて八滝沢へ入ります。猟銃の音をきっかけに雪が崩れ、大きな雪崩が一行をのみ込みました。

雪の中で身動きが取れなくなった刈田さんに、タマが雪を掘る音が聞こえました。タマは足を血だらけにしながら掘り続け、主人が脱出できるところまで雪を取り除きました。同行者の一人は助かりませんでしたが、タマの働きは新聞で報じられました。

その約2年後の1936年1月10日、刈田さんたちは別の山で再び雪崩に巻き込まれます。タマはもう一度雪の上を探し回り、埋まった人々を掘り出しました。

一度なら偶然と考える人もいるかもしれません。しかし、タマは二度、雪の下にいる人間を探し、掘り続けました。その勇気と執念によって、「タマ」には敬称のように「公」が付けられ、忠犬タマ公として語り継がれるようになります。

会える場所

五泉市の村松公園や愛宕小学校、新潟市の白山公園などにタマ公像があります。横須賀市の衣笠山公園にも碑と像があり、タマ公を縁とした地域交流が続いています。

消防犬ぶん公|ベルが鳴ると消防車へ飛び乗った小樽の名物犬

生没年:生年不詳〜1938年2月3日
主な時期:昭和初期
舞台:北海道小樽市

昭和初期の小樽は木造建築が多く、火災への備えが重要な港町でした。その消防本部で飼われていた雑種のオス犬が、ぶん公です。

小樽市に残る記録では、消防車が出動すると、ぶん公は真っ先に車へ乗り込んだといいます。火災現場では見物人を追い払い、消火活動の場所を確保したり、ホースのもつれを直したりしたと言い伝えられています。

出動回数は1,000回に及んだともいわれます。ただし、これは一件ずつ確認された出動記録というより、長く語られてきた数字として受け止めるのが適切です。

それでも、消防車のステップに立つぶん公の写真は残っています。単なる後世の作り話ではなく、消防署の犬として街の人々に知られ、ラジオや雑誌でも紹介された実在の人気者でした。

年を取り、出動のベルが鳴っても車へ乗れなくなったぶん公は、1938年2月3日、多くの人に見守られて亡くなりました。24年間生きたとも伝えられています。

ぶん公は、訓練された現代の救助犬とは異なります。消防士たちのそばで暮らし、仕事を見続けるうちに、自分も隊の一員であるかのように振る舞った犬でした。

会える場所

小樽市観光物産プラザ、通称「運河プラザ」の前に、消防車へ乗るぶん公の記念碑があります。小樽市消防本部の公式ページでは、生前の写真も公開されています。

高野山案内犬ゴン|参詣者の前を歩き、夕方には山を下りた白い犬

生没年:生年不詳〜2002年6月5日
主な時期:昭和60年代以降
舞台:和歌山県九度山町・高野山町石道

昭和60年代、和歌山県九度山町の慈尊院近くに、白い野良犬が住みつきました。紀州犬と柴犬の雑種だったとされ、寺の鐘の音を好んだことから「ゴン」と呼ばれるようになります。

最初、ゴンは九度山駅と慈尊院の間を歩く参詣者について行くだけでした。やがて案内する距離は長くなり、慈尊院から高野山へ続く町石道を歩くようになります。

町石道は約20キロ。山道を登り、高野山上の大門までたどる長い参詣路です。慈尊院によれば、ゴンは朝に寺を出て参詣者を先導し、夕方に高野山へ着くと、夜には慈尊院へ戻る生活をしていました。

人間のように道順を説明することはできません。それでも分岐で進む方向を示し、歩く人々に安心を与えました。長い参詣路を知り尽くしたゴンは、観光案内役であると同時に、旅の同行者だったのでしょう。

高野山には、弘法大師が犬に導かれたという古い伝説があります。そのためゴンは、「弘法大師の案内犬の再来」「お大師さんの犬」と呼ばれました。

2002年6月5日にゴンが亡くなると、翌月、慈尊院に石像を載せた碑が建てられました。実在した案内犬と、1200年前の宗教伝承が重なり合った物語です。

会える場所

慈尊院境内の弘法大師像の近くに「高野山案内犬ゴンの碑」があります。慈尊院から高野山へ続く町石道を歩けば、ゴンが案内した道そのものを体験できます。

クロ|シベリアの収容所から、最後の引揚船で日本へ

生没年:不詳
主な時期:第二次世界大戦後〜1956年
舞台:ハバロフスク、ナホトカ、舞鶴

第二次世界大戦後、多くの日本人がソ連領内へ送られ、長期間の抑留と労働を強いられました。厳しい寒さ、少ない食料、帰国できるか分からない不安。そうしたハバロフスクの収容所で、日本人抑留者たちにかわいがられていたメス犬がクロです。

クロは働くことも、食料を増やすこともできませんでした。しかし、人間に寄り添うことはできました。抑留者たちにとって、クロと触れ合う時間は、収容所の外にあった日常や家族を思い出すひとときだったと考えられます。

1956年、日ソ共同宣言によって抑留者の帰国が進み、最後の引揚船「興安丸」がナホトカから日本へ向かうことになりました。

ところが動物を船に乗せることは認められず、クロは岸に残されます。クロは船を追って流氷の浮かぶ海へ入りました。その姿を見た人々が船へ引き上げ、クロは抑留者たちとともに日本へ渡ることになります。

興安丸が舞鶴へ到着したのは1956年12月24日。クロも日本の土を踏みました。

クロの物語は、犬が数百人を直接救助した英雄譚ではありません。極限の収容所で人の心を支え、別れを拒むように船を追った一匹の犬と、その犬を置き去りにしなかった人々の物語です。戦争と抑留の歴史の中に残された、小さな人道の記録でもあります。

会える場所

京都府舞鶴市の舞鶴引揚記念館では、クロの物語が展示や子ども向け教材で紹介されています。同館ではシベリア抑留と引き揚げの歴史を、実物資料や体験者の記録とともに学べます。

石岡タロー|はぐれた飼い主を探し、17年間駅へ通った犬

生没年:生年不詳〜1981年7月20日
主な時期:1964〜1981年
舞台:茨城県石岡市

1964年、石岡駅で飼い主とはぐれた犬がいました。犬はその後、市立東小学校へ迷い込み、児童や教職員に受け入れられます。「タロー」と呼ばれ、学校で暮らすようになりました。

しかし、タローは新しい生活に落ち着いただけではありませんでした。朝と夕方になると、学校から約2キロ離れた石岡駅へ向かい、飼い主を探しました。

駅と学校の間には交通量の多い道路や踏切がありました。タローは道路を渡る前に立ち止まる習慣があり、子どもたちにとって交通ルールの手本にもなったと伝えられています。

飼い主との再会はかないませんでした。それでもタローは、亡くなる前日まで駅へ通ったといいます。その期間は17年に及びました。

ハチ公と似た物語に見えますが、違いもあります。ハチは亡くなった主人を待ち、タローは行方の分からない主人を探し続けました。そしてタローの生活を支えたのは、一軒の飼い主の家ではなく、小学校という地域共同体でした。

1981年7月20日、タローは学校の用務員に見守られて亡くなりました。現在は「石岡のみんなのタロー」として、地域の子どもたちにも語り継がれています。

会える場所

JR石岡駅西口広場に「みんなのタロー像」があります。石岡市立東小学校では、地域の歴史を学ぶ題材としてタローの物語が受け継がれています。

ガイド犬・平治号|くじゅう連山を14年間歩いた山の案内役

生没年:生年不詳〜1988年
主な時期:1970年代〜1988年
舞台:大分県・くじゅう連山

大分県のくじゅう連山、その登山口の一つである長者原に、白い犬が住みつきました。後にメスの秋田犬と分かり、山の名にちなんで「平治」と名づけられます。

平治号は登山者とともに山へ入るようになり、やがて道を案内する犬として知られるようになりました。九重町の公式観光情報では、14年にわたって山のガイドを務め、1988年まで多くの人に親しまれたと紹介されています。

山の天候は変わりやすく、霧が出れば見慣れた道も分かりにくくなります。平治号は登山者の前を歩き、時には遭難のおそれがある人を助けたとも伝えられています。

公的資格を持つ救助犬ではありません。どの救助がどのように行われたかを一件ずつ確認できる記録も限られています。それでも、地域が平治号を「ガイド犬」と呼び、14年間の働きを記念して像を建てた事実は残っています。

高野山のゴンが参詣の道を案内した犬なら、平治号は自然の山道を歩く人に寄り添った犬です。人間が道を教え、犬がその道を覚え、やがて別の人間を導く。そこには、人と犬が知識を共有する不思議な関係があります。

会える場所

長者原のタデ原湿原入口付近に、くじゅう連山を見つめる平治号の銅像があります。像の向こうには、平治号が何度も歩いた山々が広がっています。

代参犬シロ|江戸の旅人に助けられ、伊勢からお札を持ち帰った犬

生没年:不詳
主な時期:寛政年間(1789〜1801年ごろ)
舞台:福島県須賀川から伊勢神宮まで

江戸時代、伊勢神宮への参詣は多くの人が憧れる大旅行でした。主人の代わりに家族や村の代表が参詣する「代参」も行われ、犬が伊勢へ向かったという「おかげ犬」の話も各地に残っています。

福島県須賀川の十念寺には、「白」という犬を祀る犬塚があります。

碑文などによれば、白の主人である市原綱稠は毎年伊勢へ参宮していましたが、病気のため出かけられなくなりました。そこで、普段から買い物や手紙の使いをしていた白に、伊勢参りを託したと伝えられています。

白は首や背に、旅の目的を記した札や費用を付けて出発したのでしょう。犬が一匹で地図を読み、宿を予約したわけではありません。道中の旅人や宿場の人々が札を読み、食事を与え、次の土地へ送り出したと考えられます。

約2か月後、白は伊勢のお札を持って須賀川へ戻ったと碑文に記されています。旅を成し遂げたのは犬の帰巣本能だけではなく、行く先々の人が「主人の願いを背負った犬」を助けたからでした。

この話は当時の日記が連続して残る旅行記ではなく、犬塚の碑文と市原家に伝わる記録をもとにしています。そのため細部をすべて確定した史実として扱うことはできません。一方、古くから白の石像が残され、獣医史研究でも「史実の犬塚」の例として取り上げられています。

白の物語は、賢い犬の話であると同時に、江戸時代の旅が見知らぬ人同士の助け合いによって成り立っていたことを伝えています。

会える場所

須賀川市の十念寺墓地に、背中に札を負った白の石像と犬塚があります。寺院や墓地を訪ねる際は、参拝者や墓参者への配慮を忘れないようにしてください。

伝承・伝説に残る犬たち

ここから紹介する犬たちは、近代の新聞、写真、公的な個体記録によって生涯を追える犬とは異なります。

神社や寺院、地域の口承、後世にまとめられた物語を通じて伝わるため、実在した犬の行動をそのまま記録した史実とは限りません。この記事では、事実として断定するのではなく、地域の人々が犬に何を託し、どのような物語を残したのかを読む章として紹介します。

老犬神社のシロ|主人を救うため、雪道を走ったと伝わる犬

生没年:不詳
時期:江戸時代初期と伝わる
舞台:秋田県大館市周辺

秋田県大館市の老犬神社には、マタギの主人と猟犬シロの悲話が伝わっています。

主人の定六は、狩猟に夢中になるあまり領地の境を越え、捕らえられてしまいました。定六は正式な狩猟免状を持っていましたが、その日に限って家へ置き忘れていたとされます。

定六は、シロに免状を取りに行かせました。シロは雪道を走って家へ戻ります。しかし家にいた妻は犬の意図を理解できず、シロは何度も牢と家の間を往復したと語られています。

ようやく妻が免状に気づき、シロはそれを持って主人のもとへ走りました。けれども間に合わず、定六は処刑されていました。シロも食を断ち、主人の後を追うように死んだというのが物語の結末です。

村人たちはシロを悼み、神社を建てて祀りました。現在の老犬神社には、物語に関係するとされる狩猟免状も残ると紹介されています。

この物語の細部を裏づける同時代史料は十分ではなく、犬塚研究では伝説・伝承の犬塚に分類されています。それでも、犬を神として祀るほどの物語が地域に残ったこと自体が、人と猟犬の強い結びつきを示しています。

会える場所

大館市葛原の山中に老犬神社があります。参道は急な場所もあるため、現地情報を確認し、歩きやすい服装で訪ねてください。

早太郎/悉平太郎|二つの土地を結ぶ、怪物退治の霊犬

生没年:不詳
時期:約700年前の伝説
舞台:長野県駒ヶ根市、静岡県磐田市

長野県の光前寺には「早太郎」、静岡県の見付天神には「悉平太郎」という犬の伝説が残っています。名前は異なりますが、同じ霊犬の物語と考えられています。

見付の村では、祭りのたびに若い娘を人身御供として差し出す習わしがあったと伝えられています。旅の僧がその原因を探ると、怪物たちが「信濃の早太郎に知らせるな」と話すのを聞きました。

僧は信濃へ向かい、光前寺で飼われていた強い山犬を探し出します。犬は娘の身代わりとして柩に入り、祭りの夜、現れた怪物と戦いました。怪物の正体は巨大な老ヒヒだったとも語られています。

激しい戦いの末、犬は怪物を倒し、人身御供の習わしは終わりました。光前寺側の伝承では、傷ついた早太郎は寺へ戻った後に息を引き取ります。

この話は実在した犬の戦闘記録ではなく、明確に「伝説」として伝わるものです。けれども、遠く離れた長野と静岡で同じ犬が祀られ、像、墓、神社、祭礼、地域キャラクターへ姿を変えながら語り継がれています。

伝説の価値は、事実かどうかだけでは決まりません。村を苦しめる怪物に立ち向かう犬の物語を、人々が約700年にわたって必要としてきたこと。その記憶の連なりこそが、この霊犬の歴史です。

会える場所

長野県駒ヶ根市の光前寺には早太郎の墓と像があります。静岡県磐田市の見付天神には、悉平太郎を祀る霊犬神社と像があります。二つの土地を訪ねると、一つの伝説が地域によってどのように語り分けられたかを比べられます。

まとめ|動物の物語から、人間の歴史を読む

ハチ公は渋谷という都市の記憶になりました。

タロとジロは南極観測の希望と責任を、ライカは宇宙開発の進歩と代償を伝えています。チロリとサーブは、犬が人の身体や心をどのように支えられるかを社会に示しました。

タマ公、ぶん公、ゴン、平治号は、雪山、火災現場、参詣道、登山道という異なる場所で人を助けました。クロの物語からはシベリア抑留と引き揚げの歴史が見え、石岡タローからは一匹の犬を地域全体で見守った学校と街の姿が見えてきます。

代参犬シロ、老犬神社のシロ、早太郎の話には、事実と伝承の境界があります。だからといって、価値がないわけではありません。人々が何を信じ、何を語り継ごうとしたのかを知ることも、歴史を読む方法の一つです。

動物たちは、自分で伝記を書きません。

残っているのは、人間が記録し、像を建て、墓を守り、本や映画にした物語です。そのため私たちは、感動だけに流されず、どこまで確認できる事実なのかを確かめる必要があります。

それでもなお、彼らの物語は私たちを引きつけます。

歴史をつくったのは、人間だけではありません。人間のそばを歩き、時には待ち、導き、守り、支えた動物たちもまた、歴史の一部なのです。

参考文献・参考資料

  1. 渋谷区立図書館「ハチ公について知りたい」
  2. 国立科学博物館「11月に南極へ―砕氷艦『しらせ』2代目就役」
  3. 国立極地研究所 南極・北極科学館「1959年1月14日 タロ・ジロの生存確認!」
  4. NASA「60 Years Ago: The First Animal in Orbit」
  5. NASA「A Brief History of Animals in Space」
  6. 一般財団法人 国際セラピードッグ協会「セラピードッグについて」
  7. 岩崎書店『名犬チロリ 日本初のセラピードッグになった捨て犬の物語』
  8. 社会福祉法人 中部盲導犬協会「盲導犬サーブ号への贈り物」
  9. 郡上・長良川観光「盲導犬サーブ像」
  10. 五泉市「忠犬タマ公物語」
  11. 小樽市「消防犬ぶん公」
  12. 慈尊院「高野山案内犬ゴン」
  13. 舞鶴引揚記念館「クロ(シベリアからやってきた犬)からのメッセージ」
  14. 舞鶴引揚記念館「シベリアからやってきたクロ お子様向け解説」
  15. 石岡市『広報いしおか』2018年1月15日号
  16. 石岡市『広報いしおか』2017年6月1日号
  17. 九重町「観光スポット―平治号の銅像」
  18. 小佐々学「『義犬』の墓と動物愛護史」『日本獣医史学雑誌』54号、2017年
  19. 大館市「老犬神社」
  20. 光前寺「霊犬 早太郎伝説」
  21. 見付天神 矢奈比賣神社「霊犬しっぺい太郎伝説」