「二枚目」「黒幕」「十八番」「花道」「正念場」。日常会話で使うこれらの言葉には、歌舞伎や芝居との関係がよく語られます。辞書の用例を年代順に並べると、専門語から一般語へ意味が広がった語がある一方、一般的な用例の方が早く確認される語や、歌舞伎より前から存在した語もあります。
以下の年代は、主に『精選版 日本国語大辞典』などに載る最古級の用例です。用例の年は、現在確認できる早い記録を表します。語の成立年そのものとは区別して扱います。
12語を先に比較する
| 言葉 | 芝居・歌舞伎との関係 | 一般語との年代関係 | 扱い |
|---|---|---|---|
| 二枚目 | 美男役。看板の位置と結びつく | 役柄1825年/美男1932年 | 歌舞伎由来を追いやすい |
| 三枚目 | 道化役。看板・番付の三番目と結びつく | 日常の「滑稽な人」へ拡大 | 看板制度の説明に注意 |
| 十八番 | 市川家の「歌舞伎十八番」 | 歌舞伎義1837年/一般義1864~68年 | 「おはこ」と分けて考える |
| 黒幕 | 舞台を覆う黒い幕 | 舞台1798年/人物比喩1892年 | 意味変化を追いやすい |
| 大詰め | 江戸歌舞伎の最終幕 | 一般義1760年/歌舞伎義1779年 | 単純な歌舞伎起源説に注意 |
| 板につく | 「板」は舞台 | 仕事・服装などへ一般化 | 芝居・舞台語として扱う |
| 裏方 | 舞台裏で働く人 | 語自体は1556年から確認 | 語自体は歌舞伎以前から存在 |
| 花道 | 歌舞伎劇場の通路 | 舞台1677年/比喩1935~36年 | 語源は複数説 |
| 見せ場 | 芝居などで芸を見せる場面 | 1910年の用例で一般義も併記 | 芝居一般の語義を含む |
| どんでん返し | 大道具を反転する舞台転換 | 比喩義1936年 | 舞台機構と語形の年代を分ける |
| 捨て台詞 | 台本外の即興の短い台詞 | 歌舞伎1761年/去り際1806年/悪意1900年 | 意味変化を追いやすい |
| 正念場 | 歌舞伎・浄瑠璃の重要場面 | 専門義1863~65年/一般義1972年 | 近世演劇の共有語として扱う |
二枚目・三枚目――看板の位置から役柄へ
「二枚目」は、歌舞伎の美男役を指す言葉です。『精選版 日本国語大辞典』には、1803年の『絵本戯場年中鑑』に「二枚目三まい目」と役者の位置をめぐる記述があり、美男役としての用例は1825年に確認されます。美男子そのものを「二枚目」と呼ぶ用例は1932年です。
歌舞伎演目案内の用語解説も、芝居小屋の看板で二枚目に和事師などの若い立役を置く慣行から、美男役を「二枚目」と呼ぶようになったと説明しています。三枚目は三番目に置かれた滑稽役・道化方と結びつき、現在の「三枚目キャラ」へ意味が広がりました。
ただし、「昔の歌舞伎では八枚の看板に一枚目から八枚目まで役柄が固定されていた」という説明は単純化が強すぎます。『世界大百科事典』の「二枚目」は、江戸中期の上方で立役を並べた看板を当初六枚、のちに八枚、十一枚と説明しています。看板の配列が語源と深く関わる点と、枚数が時期によって変化した点を分ける必要があります。
十八番――「おはこ」は1832年より古い
七代目市川團十郎は天保3年(1832)に、市川家が得意とした18演目を「歌舞伎十八番」として定めました。国立劇場の文化デジタルライブラリーは、『暫』『助六』『鳴神』『勧進帳』など18演目をその内容として挙げています。
『精選版 日本国語大辞典』では、「十八番」が「歌舞伎十八番」の略として現れる用例は1837年、一般に「最も得意とするもの」を指す用例は1864~68年です。この並びだけなら、市川家の家の芸から「得意芸」へ意味が広がった流れを追えます。
一方、「おはこ」には1826年の『玉櫛笥』の用例があります。歌舞伎十八番の制定より6年前です。辞書は、箱書き付きの意、江戸中期から当たり狂言を「十八番」と呼ぶ用法、七代目團十郎による歌舞伎十八番の公表が重なった可能性を挙げています。1832年の制定だけを「おはこ」の出発点とする説明は年代と合いません。
黒幕――舞台の幕から「陰で動かす人物」へ
歌舞伎の「黒幕」は、場面転換で舞台を隠したり、暗闇の背景として使ったりする黒い幕です。辞書では1798年の歌舞伎関係の用例が確認されます。
表に出ずに計画や指図をする人物を「黒幕」と呼ぶ比喩は、1892年の『朝野新聞』に用例があります。舞台上の黒幕から約1世紀を経て、見えないところから物事を動かす人物像へ意味が移った形です。12語の中では、専門語から日常的な比喩への変化を年代順に追いやすい例です。
大詰め――辞書の用例では一般義が先に出る
江戸歌舞伎で「大詰」は、一番目狂言の最後の幕を指しました。『精選版 日本国語大辞典』が挙げる歌舞伎義の用例は1779年です。
同じ辞書には、「物事の終末の段階・終局」という一般義の用例として1760年の川柳が載ります。確認できる用例の順序は、一般義1760年、歌舞伎義1779年です。辞書掲載用例の順序は、歌舞伎義から一般義へ広がったという通説とは逆です。初出用例は語の誕生年そのものを表さないため、ここでは確認できる年代順として扱います。
花道――舞台用語の歴史は古く、語源は未確定
歌舞伎の花道は、客席を縦に貫いて舞台につながる通路です。『精選版 日本国語大辞典』では1677年の用例があり、寛文年間(1661~1673)ごろから設けられ、元文年間(1736~1741)ごろに形が整ったと説明されています。
華々しい人生の局面や引退を「花道」と呼ぶ比喩義には、1935~36年の用例があります。舞台設備としての花道から、称賛を集める華やかな場面へ意味が広がった流れは年代上も確認できます。
名称の由来には、贔屓客が役者へ「花」と呼ばれる祝儀を届ける道だったという説、花のような役者が通る道という説、民俗芸能との関係を考える説などがあります。江戸東京博物館のレファレンスは複数の専門資料を比較し、語源を未確定として諸説を整理しています。舞台設備の成立には能の橋懸りなどの影響も指摘されています。
捨て台詞――1761年から意味の変化を追える
現在の「捨て台詞」は、去り際に相手へ言い放つ強い言葉を指すことが多い語です。歌舞伎での元の意味は、役者が台本に書かれていない短い台詞を、その場に応じて言うことでした。
『精選版 日本国語大辞典』では、歌舞伎『助六由縁江戸桜』の1761年用例、立ち去る際に返事を求めず言い放つ1806年用例、相手を脅したりさげすんだりする1900年用例が並びます。舞台上の即興の一言から、退場時の一言、さらに悪意を帯びた言葉へ意味が変化した過程を追えます。
ただし、類義の「捨て言葉」はさらに古く、無責任に言い放つ意味で1613年ごろ、別れ際の言葉として1671年の用例があります。「言い捨てる」という発想全体を歌舞伎起源とするより、「捨て台詞」という演劇語が既存の表現領域と重なりながら一般化したと見る方が史料に合います。
正念場――「正念」より「性根」をたどる
「正念場」は、歌舞伎や人形浄瑠璃で、主人公の役柄の本質を十分に見せる大切な場面を指します。『精選版 日本国語大辞典』では1863~65年の「性根場」の用例があり、現在の「ここぞという大事な局面」という一般義には1972年の用例があります。
さらに「性根所」は1775年の浄瑠璃に確認されます。辞書の語誌は、肝心なところを表す「性根」を見せる場という「性根場」が、「正常で乱れのない心」を表す「正念」と結びつき、「正念場」の語形へ変化した可能性を挙げています。歌舞伎一分野に限定するより、歌舞伎・人形浄瑠璃を含む近世演劇の語として捉えると経緯が整理しやすくなります。
どんでん返し――物語より先に舞台がひっくり返る
「どんでん返し」は現在、物語や形勢が一気に逆転することを指します。演劇では、床や大道具を後ろへ反転させて次の場面へ転換する仕掛けの名称です。
国立劇場の文化デジタルライブラリーによると、関連する舞台機構「がんどう返し」は宝暦11年(1761)に大坂で初めて用いられました。大道具を後方へ90度転がして場面を変える仕掛けです。一方、『精選版 日本国語大辞典』が挙げる「話や状態が正反対に逆転する」という比喩義の用例は1936年です。
1761年に確認されるのは舞台機構「がんどう返し」の使用であり、「どんでん返し」という語形の成立時期とは分けて扱う必要があります。舞台装置の歴史を、そのまま現在の語形の誕生年へ置き換える説明は避けた方が正確です。
板につく・裏方・見せ場は「歌舞伎固有」と分けて考える
板につく
「板につく」の「板」は舞台です。役者が経験を積み、芸が舞台にしっくり合うことから、仕事ぶり、態度、服装などがその人になじんだ状態へ意味が広がりました。『精選版 日本国語大辞典』には1923年の『現代語辞典』が挙げられ、文学作品では1940年の『夫婦善哉』に用例があります。起点は歌舞伎一座に限るより、芝居・舞台の語として捉えるのが適切です。
裏方
舞台の「裏方」は、作者、大道具、小道具、衣裳、床山など、俳優以外の舞台裏の仕事を担う人々を指します。歌舞伎美人の用語解説でも、幕を境に客席側を「表」、舞台側を「裏」と説明しています。
語そのものは歌舞伎より古く、『精選版 日本国語大辞典』には「裏の方」の意味で1556年、貴人の奥方の意味で1628年の用例があります。歌舞伎が「裏方」という日本語自体を作ったという整理より、既存語に舞台関係者を表す意味が加わり、その意味が他分野にも広がった経緯を考える方が自然です。
見せ場
「見せ場」は、芝居などで役者が得意の芸を見せるところと、一般に見る価値のある場面・得意なところを指します。『精選版 日本国語大辞典』は両方を同じ語義にまとめ、1910年の用例を挙げています。辞書上の年代だけでは、歌舞伎の専門義が先に成立し、その後に一般化したという二段階の変化を分離しにくい語です。
「歌舞伎由来」は四つの経路に分かれる
12語を比べると、黒幕や捨て台詞のように専門語から一般語への意味変化を年代順に追いやすい語、正念場のように歌舞伎と浄瑠璃にまたがる語、裏方のように既存語へ舞台の意味が加わった語、大詰めのように辞書掲載用例では一般義が先行する語が混在しています。

