板橋区志村二丁目の熊野神社には、江戸時代から大正時代にかけて奉納された絵馬や扁額、寄進札が保存されています。なかでも寛政7年(1795)の「伊勢太々神楽奉奏図絵馬」は、村人たちが伊勢へ参宮した時代の祈りを伝える資料です。神社所蔵の絵馬・扁額は平成21年度(2009年度)に板橋区の登録文化財となりました。
志村城跡に鎮座する熊野神社
志村熊野神社は、長久3年(1042)に志村将監が紀州熊野神社の分霊を迎えたと伝えられています。境内には中世の志村城に関わる土塁や空堀の跡も残っています。現在の神社の所在地は板橋区志村2丁目16番2号です。
城が役割を終えた後も神社は地域の信仰を支え、江戸時代には各地の寺社へ参詣した住民が絵馬を奉納しました。絵馬は参詣者や奉納者の名前、祈りの内容、旅先の風景などを伝える資料です。城跡の歴史は志村城跡と熊野神社の歴史で紹介しています。
寛政7年(1795)の伊勢太々神楽奉奏図
伊勢太々神楽は、江戸時代に伊勢神宮の外宮に関わる御師や社家の家で奉納された神楽です。湯を沸かす釜を中心に据えた湯立の儀礼や、足踏みで邪気を払う反閇(へんばい)などが含まれ、参宮者の祈願や清めと結び付いていました。
志村熊野神社の寛政7年の絵馬には、この神楽が奉納される様子が描かれています。伊勢の神楽奉奏を描いた絵馬の中でも早い時期の作品で、18世紀末の参宮と太々講の活動を考える貴重な資料とされています。
伊勢講が帰郷後に奉納した大絵馬
18世紀半ば以降、関東や南東北では伊勢太々神楽を奉納する「太々講」が広がりました。講は信者が費用を出し合い、仲間や代表者を伊勢参宮へ送り出す集まりです。伊勢の御師は参詣の手配や宿泊、祈祷などに関わりました。
参宮を終えた人々は現地で神楽の様子を描いた刷り物などを求め、帰郷してからそれをもとに大絵馬や扁額を作り、地元の氏神へ奉納しました。志村熊野神社に絵馬が残るのは、伊勢まで出かけた人々が旅の記憶を地域へ持ち帰り、神社に納めたためです。
明治5年(1872)の絵馬と神楽の制度変化
志村熊野神社には明治5年(1872)の太々神楽奉奏図絵馬も残されています。明治4年(1871)、政府の命令で伊勢の御師制度が廃止され、それまで外宮の御師らが行っていた太々神楽も途絶えました。明治8年(1875)には外宮に祈祷所が設けられ、神道色の強い太々神楽が行われるようになります。
明治5年の絵馬は、外宮で従来の太々神楽が行われていなかった時期に奉納されたものですが、描かれているのは江戸時代の神楽奉奏の姿です。奉納された年と描かれた儀礼の時代を区別して見ると、宗教制度が変わる前の信仰の記憶が地域に残っていたことを知ることができます。
文化財としての保存と公開
神社に伝わる絵馬や扁額、寄進札は、「志村熊野神社所蔵絵馬・扁額 付寄進札」として登録文化財になっています。板橋区は令和元年(2019)の「文化財ふれあいウィーク」で所蔵資料を特別公開しました。常時公開の展示物とは限らないため、現在の拝観については神社や板橋区の文化財担当部署へ確認してください。
周辺には志村一里塚や中山道、城跡に関わる文化財があります。志村・小豆沢周辺の歴史と文化財で地域全体の史跡を紹介しています。
参考資料
- 板橋区「伊勢太々神楽と絵馬」
- 板橋区「教育の板橋」第100号
- 板橋区「志村地区所在文化財 解説カード」
- 板橋区『令和7年度版 板橋区文化財マップ』
