忙しい人のための『信長公記』|読んだ気になれる全16巻要約

太田牛一『信長公記』全16巻要約を紹介する歴史古典解説記事のアイキャッチ画像

『信長公記』は、織田信長の若年期から本能寺の変までをたどる基本史料です。桶狭間、上洛、浅井・朝倉との戦い、比叡山、長篠、安土城、京都馬揃え、本能寺の変を、信長の勢力拡大と政権形成の連続した過程として記しています。

上洛前を扱う首巻と、永禄11年(1568)から天正10年(1582)までを一年一巻で追う巻一〜巻十五を要約します。各巻の主要事件、原典の代表的な記事名、太田牛一の記述から読み取れる点、後世のイメージと分けて考えたい点を整理しました。

30秒でわかる『信長公記』

  • 作者は、信長に仕えた太田牛一です。
  • 上洛後の十五年間を一年一巻で記した十五巻本が中核です。
  • 上洛以前の首巻を加えると、一般に全16巻として読まれます。
  • 合戦だけでなく、朝廷、将軍、寺社、道路、関所、築城、茶湯、相撲、鷹狩、人事、処罰まで記録されています。
  • 同時代に近い重要史料ですが、牛一の立場、編集過程、伝本差を踏まえて他史料と照合します。

『信長公記』とは何か

『信長公記』は、織田信長の家臣だった太田牛一が信長の事績をまとめた年代記です。一般に「しんちょうこうき」と読まれ、伝本や研究では『信長記』と呼ばれる場合もあります。

文化庁が重要文化財として紹介する建勲神社所蔵の牛一自筆本は、永禄11年の上洛から天正10年の本能寺の変までを、一年一巻の十五巻にまとめたものです。牛一最晩年の書写とみられ、最終稿本だった可能性が指摘されています。岡山大学所蔵の池田家文庫本も十五冊の自筆本で、慶長15年(1610)に牛一が84歳で記した奥書を持ちます。

上洛前の出来事をまとめた首巻は、信長の元服、家督相続、尾張統一、桶狭間、美濃攻略を扱います。一般向けの通読では首巻と巻一〜巻十五を合わせて「全16巻」と数えますが、現存する自筆十五巻本と首巻は、成立や伝来を分けて考える必要があります。

なぜ重要な史料なのか

牛一は信長の同時代人で、軍事・政治の現場に近い位置にいました。日付、移動、陣立て、城、使者、褒賞、処罰、儀礼などを年次で追えるため、信長研究の基本史料として使われています。

一方、完全な日記や中立的な公式記録ではなく、後年に編集された著作です。信長側に近い評価、記載の省略、伝本ごとの異同があります。『信長公記』の記述を軸に、書状、公家の日記、寺社文書、考古資料、宣教師の記録などを重ねることで、出来事の輪郭が明確になります。

全16巻の流れを一覧でつかむ

主な時期 中心テーマ 主な出来事
首巻 上洛以前 尾張の一領主から美濃を制する大名へ 若年期、家督相続、信勝との対立、桶狭間、美濃攻略
巻一 永禄11年(1568) 足利義昭を奉じた上洛 六角氏攻略、京都入り、義昭の将軍就任
巻二 永禄12年(1569) 京都支配の実務 六条合戦、将軍御所普請、伊勢攻略、関所免除
巻三 元亀元年(1570) 反信長戦線の形成 越前出兵、金ヶ崎、姉川、野田・福島、志賀の陣
巻四 元亀2年(1571) 近江戦線と比叡山攻撃 佐和山、志村攻め、比叡山焼き討ち
巻五 元亀3年(1572) 武田信玄の西上 松永久秀の動き、三方ヶ原の戦い
巻六 元亀4年・天正元年(1573) 義昭追放と浅井・朝倉滅亡 義昭挙兵、槇島退去、浅井・朝倉滅亡
巻七 天正2年(1574) 権威の演出と一向一揆鎮圧 蘭奢待、賀茂競馬、長島一向一揆
巻八 天正3年(1575) 長篠と織田家の継承 長篠、越前一向一揆、岩村城、信忠への家督譲渡
巻九 天正4年(1576) 安土城と本願寺戦 安土築城、二条新造、木津川口の船戦
巻十 天正5年(1577) 畿内・北国・播磨への展開 雑賀攻め、柴田勝家の北国戦、松永久秀滅亡
巻十一 天正6年(1578) 荒木村重の離反 九鬼大船、播磨・丹波戦線、荒木村重の謀反
巻十二 天正7年(1579) 有岡城の決着と都市秩序 波多野氏処分、宗論、村重逃亡、有岡城処分
巻十三 天正8年(1580) 本願寺戦争の終結と家臣団再編 三木落城、本願寺退去、佐久間信盛追放
巻十四 天正9年(1581) 京都馬揃えと各地の制圧 京都馬揃え、高天神城、鳥取城、伊賀攻め
巻十五 天正10年(1582) 武田氏滅亡と本能寺の変 甲州征伐、領国再編、家康饗応、本能寺の変

上洛以前から信長包囲網まで|首巻〜巻五

首巻 若き信長が尾張を制するまで

30秒要約

首巻は、吉法師と呼ばれた若い信長が家督を継ぎ、織田一族や重臣との抗争を経て尾張を統一し、桶狭間で今川義元を破り、美濃攻略を成し遂げるまでを扱います。巻一以降の中央進出を理解するための前史です。

原典の主な記事

「吉法師殿御元服之事」「備後守病死之事」「勘十郎殿林柴田御敵之事」「今川義元討死之事」「いなは山御取候事」などが並びます。

読みどころ

首巻には、奇抜な身なりで歩く信長、父・信秀の葬儀、平手政秀の死など、後世の信長像を形づくった逸話が多く含まれます。同時に、尾張国内の複数の織田家、清洲・岩倉・犬山の勢力、斎藤氏や今川氏との関係が細かく記されます。桶狭間の勝利だけでなく、家督を維持し、家臣団を再編し、尾張と美濃をつなげた過程が首巻の中心です。

巻一 信長、京都へ入る

30秒要約

永禄11年(1568)、信長は足利義昭を奉じて上洛します。近江の六角氏を短期間で退け、京都へ入り、義昭を将軍に就けました。尾張・美濃の大名だった信長が中央政治へ入る転換点です。

原典の主な記事

「公方様御生害之事」「信長御憑御請之事」「信長御入洛十余日之内に五畿内隣国被仰付被備征夷将軍之事」などです。

読みどころ

巻一の信長は、室町幕府を直ちに壊す人物ではなく、義昭の将軍就任を軍事面から支える人物です。信長と義昭の協力から対立への変化を追うと、巻六の義昭退去までが一続きの政治過程として読めます。

巻二 京都支配を固める

30秒要約

永禄12年(1569)、三好方が義昭のいる本圀寺を襲います。信長は京都へ急行し、将軍御所の普請、内裏修理、伊勢方面の攻略、関所免除を進めました。軍事と行政を並行して動かす信長が描かれます。

原典の主な記事

「六条合戦之事」「公方御構御普請之事」「御修理之事」「大河内国司退城之事」「関役所御免除之事」などです。

読みどころ

関所免除は、信長の経済政策を考える材料として有名です。一枚の法令で全国の関所を一律に廃止したという説明より、支配地域の交通と通行負担を具体的に調整した政策として捉える方が実態に近づきます。

巻三 浅井・朝倉との戦いが始まる

30秒要約

元亀元年(1570)、信長は越前へ出兵しますが、同盟相手の浅井長政が離反します。撤退後、徳川家康とともに姉川で浅井・朝倉軍と戦い、摂津の野田・福島、近江の志賀へ戦線が広がりました。

原典の主な記事

「越前手筒山被攻落之事」「千草峠ニ而鉄炮打申之事」「あね川合戦之事」「野田福島御陣之事」「志賀御陣之事」などです。

読みどころ

巻三では、浅井・朝倉、本願寺、三好方、比叡山が同じ年の異なる局面で信長を圧迫します。「信長包囲網」を固定した一つの同盟とみるより、複数勢力の利害と戦闘が重なっていく過程として読むと理解しやすくなります。

巻四 近江戦線と比叡山攻撃

30秒要約

元亀2年(1571)、信長は近江の諸城を押さえ、浅井・朝倉側と結びついた比叡山延暦寺を攻撃します。『信長公記』はこの攻撃を「叡山御退治之事」として記し、信長側の論理で叙述します。

原典の主な記事

「佐和山城渡し進上之事」「志むら被攻干之事」「叡山御退治之事」などです。

読みどころ

比叡山は信仰と学問の場であると同時に、所領、僧兵、金融、交通路を持つ政治・軍事勢力でした。焼き討ちの規模や被害像は、『信長公記』に公家の日記、寺社側史料、考古学的検討を重ねて考えます。牛一が「退治」と表現した点も、著者の立場を示す史料になります。

巻五 武田信玄の西上

30秒要約

元亀3年(1572)、足利義昭、浅井・朝倉、本願寺などとの対立が続くなか、武田信玄が遠江・三河方面へ進みます。三方ヶ原で徳川家康が敗れ、信長の東方同盟も大きな圧力を受けました。

原典の主な記事

「むしやの小路御普請之事」「交野へ松永取出仕御被追払之事」「味方か原合戦之事」などです。

読みどころ

巻五の記事数は多くありませんが、信長をめぐる情勢は深刻です。三方ヶ原は徳川対武田の合戦でありながら、家康が崩れれば織田領の東側が危うくなるため、織田政権の存立にも関わる事件でした。武田側の伝承や軍法観については、『甲陽軍鑑』の要約記事と比較すると、史料ごとの立場の違いが見えます。

室町幕府の転換から長篠まで|巻六〜巻八

巻六 義昭追放と浅井・朝倉滅亡

30秒要約

元亀4年・天正元年(1573)、足利義昭は信長に対して挙兵し、槇島城から退去します。同じ年、朝倉義景と浅井長政も滅び、信長を圧迫した北近江・越前の勢力が崩れました。

原典の主な記事

「公方様御謀叛付十七ケ条」「公方様真木島に至て御退座の事」「真木島ニテ御降参公方様御半人之事」「阿閉謀叛之事」などです。

読みどころ

義昭の京都退去は、室町幕府の政治的機能が大きく変わる転換点です。義昭は将軍職を保持したまま各地の大名へ働きかけを続けました。1573年を単純な消滅年とするより、将軍の実効支配が失われ、信長中心の畿内秩序へ移る過程として捉えると実態に近づきます。

巻七 蘭奢待と長島一向一揆

30秒要約

天正2年(1574)、信長は正倉院の名香・蘭奢待を切り取り、賀茂競馬や名物を通じて朝廷・公家社会との関係を示します。同じ年、長島一向一揆を徹底的に攻撃しました。

原典の主な記事

「義景浅井下野浅井備前三人首御覧之事」「蘭奢待被切捕の事」「賀茂競馬御馬被仰付之事」「黄金家康公へ被進候事」「河内長島一篇被仰付之事」などです。

読みどころ

巻七では、敵将の首実検、名香、競馬、贈答、長島一向一揆が同じ年の出来事として並びます。軍事力だけでなく、朝廷の権威、名物の所有、贈答儀礼を政治に組み込む信長の行動が見える巻です。

巻八 長篠の戦いと家督譲渡

30秒要約

天正3年(1575)、武田勝頼が長篠城を包囲し、信長・家康連合軍が設楽原で武田軍を破ります。その後、越前一向一揆の制圧、岩村城攻略が続き、信長は嫡男・信忠へ家督を譲りました。

原典の主な記事

「三州長篠御合戦之事」「山中之猿御憐愍之事」「越前御進発賀越両国被仰付之事」「武田四郎岩村にて失勝利之事」「御家督御譲之事」などです。

読みどころ

『信長公記』には、馬防ぎの柵、鉄砲隊の配置、武田方の損害が記されます。後世に有名になった整然とした「三段撃ち」は、そのままの形では記されていません。長篠の勝敗には、兵力差、地形、陣地、補給、長篠城の籠城、織田・徳川の連携が重なりました。

巻末の家督譲渡は、信長の隠退ではなく、織田家の当主権を信忠へ移しながら、信長自身は広域政権の指揮を続ける体制づくりとして重要です。

安土政権の形成から本願寺戦争終結まで|巻九〜巻十三

巻九 安土城と本願寺戦

30秒要約

天正4年(1576)、信長は琵琶湖東岸の安土で築城を始めます。京都では二条新造を整え、本願寺との戦いでは木津川口の海戦が起こりました。

原典の主な記事

「安土御普請之事」「二条殿御構御普請之事」「御後巻再三御合戦之事」「西国より催大船木津浦船軍歴々討死之事」「安土御普請首尾仕之事」などです。

読みどころ

安土城は居城であると同時に、京都、東国、北国、琵琶湖水運を結ぶ拠点でした。天主や城下の構成は、軍事防御に加え、来訪者に信長の権力を見せる政治空間としても機能します。木津川口の戦いからは、本願寺戦争が瀬戸内海から大坂へ入る補給路をめぐる戦いだったことがわかります。

巻十 雑賀攻めと松永久秀の最期

30秒要約

天正5年(1577)、信長は雑賀を攻め、柴田勝家は北国で戦い、羽柴秀吉は播磨方面を任されます。大和では松永久秀が再び離反し、信貴山城で滅びました。

原典の主な記事

「雑賀御陣之事」「柴田北国相働之事」「松永謀叛並人質御成敗之事」「信貴城被攻落之事」「但馬播磨羽柴被申付事」などです。

読みどころ

巻十は、信長が各方面を有力家臣へ分担させる体制を強めた年です。松永久秀と茶器「平蜘蛛」をめぐる逸話は後世の脚色が濃く、原典では久秀の謀反、城攻め、処分の経過を中心に確認できます。

巻十一 荒木村重の反乱

30秒要約

天正6年(1578)、播磨・丹波・北国で戦いが続くなか、摂津の有力家臣・荒木村重が離反します。本願寺包囲と中国方面への道を支える重要地域での反乱でした。

原典の主な記事

「御茶湯之事」「相撲之事」「播磨神吉城攻之事」「九鬼大船之事」「荒木摂津守企逆心並伴天連事」「丹波国波多野館取巻之事」などです。

読みどころ

茶湯や相撲の記事と、海軍力、城攻め、家臣の離反が同じ巻に並びます。織田政権が単一の官僚組織ではなく、地域に基盤を持つ家臣や国衆を束ねて拡大した連合的な性格を持っていたことがわかります。

巻十二 有岡城の決着と都市社会

30秒要約

天正7年(1579)、丹波の波多野氏が処分され、荒木村重は有岡城を離れて逃亡します。城に残った家族・家臣への厳しい処分が記される一方、宗論、人身売買、偽文書、京都の町人事件も登場します。

原典の主な記事

「法花浄土宗論之事」「丹波国波多野兄弟磔付之事」「荒木伊丹城妻子捨忍出之事」「人売之事」「謀書之事」「伊丹城相果たし御成敗之事」などです。

読みどころ

巻十二には、宗派間対立、町人の争い、人身売買、偽文書、橋の工事など、信長の支配下で生じた都市・社会問題が記録されています。牛一が軍事以外の何を記録対象に選んだかを見るうえでも重要です。

巻十三 石山本願寺退去と家臣団再編

30秒要約

天正8年(1580)、羽柴秀吉が三木城を落とし、石山本願寺は大坂から退去します。十年に及ぶ本願寺戦争が終結へ向かう一方、佐久間信盛らが追放され、織田家臣団の再編が進みました。

原典の主な記事

「播州三木落居之事」「大坂退散御請誓紙之事」「本門跡大坂退出之事」「佐久間林佐渡丹羽右近伊賀々々守事」「遠州高天神家康御取巻之事」などです。

読みどころ

石山本願寺は、寺院であると同時に、大坂の都市、港、門徒組織、各地の大名との関係を持つ政治勢力でした。退去により信長は大坂方面の大きな脅威を除きます。佐久間信盛への折檻状と追放は、長年の奉公より現在の成果を厳しく求める信長の人事を示します。

権力の頂点から本能寺の変まで|巻十四〜巻十五

巻十四 京都馬揃えと各地の制圧

30秒要約

天正9年(1581)、信長は京都で大規模な馬揃えを行い、朝廷・公家・町衆の前で織田軍の編成と権威を示します。同年、高天神城、鳥取城、伊賀など各地で制圧戦が進みました。

原典の主な記事

「御馬揃之事」「高天神干殺歴々討死之事」「因幡国取鳥城取詰之事」「伊賀国信長御発向之事」「因幡国取鳥果口之事」などです。

読みどころ

馬揃えは、参加者、隊列、衣装、観覧者を通じて秩序を可視化する政治行為でした。その華やかさと同じ巻に、高天神城や鳥取城の苛烈な包囲戦が記されます。儀礼と戦争が政権運営の両面だったことが見える巻です。

巻十五 武田氏滅亡から本能寺の変へ

30秒要約

天正10年(1582)、織田・徳川軍は甲信へ進み、武田勝頼を滅ぼします。信長は新領国を家臣へ配分し、安土で徳川家康をもてなしました。その直後、明智光秀が進路を京都へ変え、信長は本能寺、信忠は二条で自害します。

原典の主な記事

「信州高遠之城中将信忠卿被攻之事」「武田四郎父子生害之事」「滝川左近上野国拝領之事」「御国わり之事」「明智日向西国出陣之事」「明智日向守逆心之事」「信長公本能寺にて御腹めされ候事」などです。

読みどころ

前半は、武田氏滅亡後の所領配分、滝川一益の関東配置、家康と穴山梅雪の上洛など、織田政権が東国へ拡大する過程です。後半で本能寺の変が起こり、政権の絶頂と崩壊が一巻の中で隣り合います。

光秀の動機には、怨恨、野望、四国政策、朝廷・将軍家との関係など多くの説があります。『信長公記』は謀反の発生と信長・信忠の最期を記しますが、動機を一つに決める材料は示しません。研究史と旧本能寺跡については、本能寺の変を現在の研究から読み直す記事で詳しく整理しています。

同じ1582年には天正遣欧少年使節が日本を出発しました。信長の死と日本の対外交流が同じ年に進んでいたことは、天正遣欧少年使節の記事から確認できます。

『信長公記』を史料として読む

移動と情報で戦線をつなぐ指揮官

信長は清洲、岐阜、京都、安土を拠点に、近江、越前、三河、播磨、甲州へ移動します。出陣日、宿所、帰陣、使者の記事を追うと、広域化する戦線を移動と情報伝達で結んだことがわかります。

家臣へ方面軍を任せる政権運営者

柴田勝家、羽柴秀吉、明智光秀、滝川一益、丹羽長秀、織田信忠らは、北国、中国、丹波、関東などを分担しました。信長の拡大は、家臣に軍事と地域支配を委ねる体制によって支えられています。

道路・関所・城・港を押さえる支配者

関所免除、安土築城、木津川口の船戦、大坂本願寺の退去は、交通と流通の掌握に関わります。信長の支配は、合戦の勝敗だけでなく、人と物が動く経路を押さえることで広がりました。

朝廷・将軍・名物・儀礼を利用する政治家

足利義昭の上洛、内裏修理、蘭奢待、茶湯、京都馬揃えなどから、信長が既存の権威を政治に組み込んだことがわかります。戦国大名と朝廷の関係は、歴代天皇と日本政治の変化を解説した記事も参考になります。

褒賞と処罰で組織を動かす当主

所領、名物、黄金の贈与と、追放、折檻状、反逆者への処罰が繰り返し記されます。信長は家臣の働きを評価し、成果を求め、従属関係を更新し続けました。

原典の記述と後世のイメージを分ける

有名なイメージ 『信長公記』で確認できること 読むときの注意
信長は最初から天下統一を計画していた 尾張、美濃、京都、近江、各方面へ段階的に支配を拡大した 後の結果から若年期の行動を逆算しない
桶狭間は少数による奇跡の奇襲だった 今川方の位置情報を得て出撃し、義元を討った経過が記される 兵数、天候、攻撃経路は他史料と併せて検討する
長篠では鉄砲を三段に並べて交代射撃した 柵と鉄砲隊を配置して武田軍を迎撃した 整然とした三段撃ちは後世の説明として分ける
松永久秀は平蜘蛛とともに爆死した 謀反、信貴山城攻め、久秀の最期が記される 茶器と爆死の劇的な物語は後世の脚色を含む
信長は宗教を憎んで寺を攻撃した 比叡山や本願寺を政治・軍事勢力として攻撃した一方、寺社・朝廷・宣教師とも関係を結んだ 信仰心の有無だけで政策を説明しない
光秀の動機は怨恨だった 光秀の進軍、本能寺攻撃、信長の最期が記される 謀反の動機は複数説を比較する

十五巻本と首巻を区別する

建勲神社本と池田家文庫本の自筆本は、上洛後を扱う十五巻本です。初心者向けには首巻を含めた全16巻が便利ですが、伝本の構成を区別すると、成立と編集の問題を理解しやすくなります。

記事名そのものを読む

原典の目録には「叡山御退治之事」「荒木摂津守企逆心並伴天連事」のように、牛一の評価を含む題名があります。誰を「謀叛」「逆心」「退治」と表現したかを見ると、著者が出来事をどの立場から整理したかがわかります。

記述量の差を見る

同じ年でも、合戦を詳しく記す記事、儀礼を短く記す記事、市井の事件を独立項目にする記事があります。書かれた内容に加え、何に多くの筆を費やし、何を省いたかも史料情報です。

異なる立場の史料と比べる

宣教師から見た信長、京都、安土、宗教政策は、『フロイス日本史』の解説記事で確認できます。日本側の家臣が記した『信長公記』と、イエズス会の布教という目的を持つフロイスの記録を比較すると、同じ人物への評価が史料の立場によって変わることがわかります。

原文・自筆本・現代語訳を使い分ける

原文の目録と本文は、国立国会図書館デジタルコレクションやWikisourceで確認できます。Wikisource掲載本文は明治14年刊行の『我自刊我書』本を底本としており、現存する牛一自筆本そのものの翻刻ではありません。原文検索には便利ですが、伝本の違いを意識して利用します。

牛一自筆の十五巻本については、文化遺産オンライン・国指定文化財等データベースの建勲神社本、文化遺産オンラインの岡山大学池田家文庫本が基本情報を公開しています。通読には現代語訳、史料論には研究書、個々の記事の確認には原文・翻刻を使い分ける方法が実用的です。

有名事件はどの巻に出てくるか

事件・テーマ 原典の代表的な記事名
信長の若年期と家督相続 首巻 「吉法師殿御元服之事」「備後守病死之事」
桶狭間の戦い 首巻 「今川義元討死之事」
足利義昭を奉じた上洛 巻一 「信長御入洛十余日之内に五畿内隣国被仰付被備征夷将軍之事」
姉川の戦い 巻三 「あね川合戦之事」
比叡山焼き討ち 巻四 「叡山御退治之事」
三方ヶ原の戦い 巻五 「味方か原合戦之事」
足利義昭の京都退去 巻六 「公方様真木島に至て御退座の事」
蘭奢待切り取り 巻七 「蘭奢待被切捕の事」
長篠の戦い 巻八 「三州長篠御合戦之事」
安土城築城 巻九 「安土御普請之事」
松永久秀の最期 巻十 「信貴城被攻落之事」
荒木村重の反乱 巻十一・十二 「荒木摂津守企逆心並伴天連事」「荒木伊丹城妻子捨忍出之事」
石山本願寺退去 巻十三 「本門跡大坂退出之事」
京都馬揃え 巻十四 「御馬揃之事」
武田氏滅亡 巻十五 「武田四郎父子生害之事」
本能寺の変 巻十五 「明智日向守逆心之事」「信長公本能寺にて御腹めされ候事」

次に読むと理解が深まる記事

FAQ

『信長公記』は信長本人が書いた本ですか?

作者は太田牛一です。牛一は信長に仕え、後年に信長の事績を年代順にまとめました。

全16巻と十五巻本は何が違いますか?

上洛後の永禄11年から天正10年までを一年一巻で記した十五巻本が中核です。上洛以前の首巻を加えた通読上の数え方が全16巻です。建勲神社本と池田家文庫本の自筆本は十五冊で伝わります。

『信長公記』はどこまで信用できますか?

日付、移動、戦闘、褒賞、人事などを追える第一級の基本史料です。後年の編集、牛一の立場、伝本差、記述の省略があるため、重要論点は書状、日記、寺社文書、考古資料、外国人の記録と照合します。

初心者はどの巻から読むとよいですか?

信長の成長を追うなら首巻から、本能寺までの政権形成を追うなら巻一から順に読みます。有名事件から入る場合は、桶狭間の首巻、長篠の巻八、安土城の巻九、本能寺の巻十五が読みやすい入口です。

原文と現代語訳はどちらを選ぶべきですか?

最初に現代語訳で年次の流れをつかみ、気になる事件を原文の目録と本文で確認する方法が効率的です。研究上の論点を追う場合は、伝本と成立を扱う研究書も併用します。

参考文献・参考サイト

  1. 太田牛一 著、榊山潤 訳『現代語訳 信長公記(全)』ちくま学芸文庫、2017年。
  2. 和田裕弘『信長公記―戦国覇者の一級史料』中央公論新社〈中公新書〉、2018年。
  3. 文化遺産オンライン「信長公記〈自筆本/〉」。
  4. 国指定文化財等データベース「信長公記〈自筆本/〉」。
  5. 文化遺産オンライン「信長記〈自筆本/(第十二補配本)〉」。
  6. 岡山市「信長記」。
  7. 金子拓「太田牛一『信長記』振仮名覚書」『東京大学史料編纂所研究紀要』第31号、2021年。
  8. 国立国会図書館サーチ「信長公記(我自刊我本)」。
  9. Wikisource「信長公記」。
  10. 中央公論新社「『信長公記―戦国覇者の一級史料』和田裕弘インタビュー」。