砂糖の世界史|甘さが奴隷制・植民地・産業革命を動かした

1942年のプエルトリコでサトウキビを収穫する労働者

台所の白い砂糖は、アジアの農業技術、イスラム世界の灌漑と交易、大西洋の植民地、奴隷にされた人々の労働、イギリスの紅茶文化、工場都市の食生活、日本の黒糖と和菓子を一つにつなぐ商品です。

砂糖の歴史をたどると、甘味の普及だけでなく、土地と労働を誰が支配したのか、遠隔地の商品を誰が運び、誰が利益を得たのか、日用品の安さがどのように作られたのかが見えてきます。

30秒で分かる結論

  • 砂糖きびはニューギニア周辺から東南アジア・南アジアへ広がり、古代インドで結晶化技術が発展しました。
  • イスラム世界の灌漑、製糖、商業ネットワークを通じて、砂糖生産は西アジア、北アフリカ、地中海へ移りました。
  • 15世紀以降、砂糖プランテーションは大西洋の島々、ブラジル、カリブ海へ拡大し、大西洋奴隷貿易と強く結びつきました。
  • 紅茶、コーヒー、チョコレート、ジャムと組み合わさった砂糖は、ぜいたく品から大衆商品へ変わりました。
  • 砂糖貿易は港湾、海運、保険、金融、精糖業、都市労働者の食生活を通じて近代資本主義と産業化を支えました。
  • 日本でも奈良時代の薬から、南蛮菓子、琉球・奄美の黒糖、長崎街道の菓子文化、和三盆、台湾の近代製糖へと歴史が続きます。

まず全体像|砂糖の世界史年表

時代主な動き歴史上の意味
先史時代〜古代砂糖きびがニューギニア周辺から東南アジア・南アジアへ広がる植物の茎をかむ甘味から、汁を加工する技術へ進む
古代インド砂糖きび汁を煮詰め、結晶を作る技術が発展保存と長距離輸送が可能な商品になる
7世紀以降イスラム世界を通じて西アジア、北アフリカ、地中海へ伝播灌漑、製糖所、広域交易が生産を支える
中世ヨーロッパ砂糖が薬、香辛料、菓子、権威の象徴として流通富裕層向けの高価な輸入品となる
15〜16世紀マデイラ、カナリア、サントメ、ブラジルで大規模生産植民地、資本、強制労働、製糖設備を組み合わせる型が形成される
17〜18世紀バルバドス、ジャマイカなどカリブ海で砂糖生産が急拡大大西洋奴隷貿易とプランテーション経済の中心商品になる
18世紀紅茶、コーヒー、チョコレート、ジャムと結びつく消費層が拡大し、日常のカロリー源にもなる
1791〜1804年フランス領サン=ドマングでハイチ革命最大級の砂糖植民地を奴隷にされた人々の革命が崩す
18世紀末〜19世紀甜菜糖の工業化、奴隷貿易・奴隷制の廃止温帯での生産と契約労働制度が拡大する
奈良〜江戸時代の日本薬として伝来し、南蛮菓子、輸入砂糖、黒糖、和三盆へ展開交易、藩財政、菓子文化、国産化政策と結びつく
近代日本近代精糖業と日本統治下台湾の製糖業が発展工業化と植民地経済の一部になる
現代砂糖、エタノール、加工食品、健康政策、環境問題が交差農業・エネルギー・公衆衛生を左右する世界商品として続く

砂糖とは何か|砂糖きびと甜菜からショ糖を取り出す

一般に「砂糖」と呼ぶ食品の中心成分はショ糖です。主要原料は、熱帯・亜熱帯で育つ砂糖きびと、温帯で育つ甜菜です。欧州委員会は、世界の砂糖のおよそ80%が砂糖きび、20%が甜菜から作られると説明しています。

原料植物と栽培地製造の基本歴史上の特徴
砂糖きび大型のイネ科植物。熱帯・亜熱帯で栽培茎を圧搾し、汁を清浄・濃縮・結晶化地中海、大西洋の島々、ブラジル、カリブ海のプランテーションへ広がる
甜菜根に糖分をためるヒユ科の作物。温帯で栽培根を細切りし、糖分を抽出・濃縮・結晶化19世紀以降、ヨーロッパの砂糖生産と自給を支える

砂糖きびは収穫後も呼吸を続け、時間とともに糖分が失われます。畑の近くに圧搾・煮沸設備を置き、収穫から製糖までを連続させる必要がありました。この性質が、農園と工場を一体化したプランテーションの形を強めました。

砂糖の起源|甘さを保存・運搬できる結晶に変える

砂糖以前の代表的な甘味は蜂蜜や果実でした。砂糖きびはニューギニア周辺を起源とする説が有力で、人の移動とともに東南アジア、インドへ広がったと考えられています。

古代インドでは、砂糖きびの汁を煮詰め、結晶状の砂糖を作る技術が発達しました。液体の汁を結晶へ変えると腐敗しにくくなり、保管と長距離輸送が容易になります。サンスクリット語の「シャルカラ」は、アラビア語やヨーロッパ諸語で砂糖を表す言葉の系統につながりました。

初期の結晶砂糖は、薬、贈答品、保存食、宮廷の菓子に使われる希少品でした。甘味の技術は、農業だけでなく医学、料理、商業の知識として伝わりました。

イスラム世界が広げた栽培・灌漑・製糖技術

7世紀以降、イスラム勢力の拡大と商業圏の形成により、砂糖きび栽培と製糖技術は西アジア、エジプト、北アフリカ、イベリア半島、シチリア、キプロスへ移りました。

砂糖きびは多量の水を必要とします。用水路、水車、貯水、圧搾、煮沸を組み合わせる設備と、都市市場へ送る商業網が生産を支えました。イスラム世界の農業・医学・料理文化を通じ、砂糖は薬から菓子、シロップ、保存食へ用途を広げました。

この時代の地中海は、ヨーロッパが砂糖を初めて知った場所というより、アジアから続く栽培と交易の連鎖に西欧の消費者が加わった地域でした。インド洋交易の全体像は、関連記事の香辛料の世界史|胡椒・シナモン・ナツメグが世界を動かした理由でも扱っています。

中世ヨーロッパ|砂糖は薬・香辛料・権威の象徴だった

中世ヨーロッパの砂糖は、東地中海から運ばれる高価な輸入品でした。十字軍、巡礼、ヴェネツィアなどの地中海交易を通じて知られ、薬種商や香辛料商が扱いました。

宮廷や富裕層の宴では、砂糖菓子や砂糖彫刻が財力を示しました。白く精製するほど手間と燃料がかかるため、白い砂糖は高級品として評価されました。16世紀末のイングランド宮廷では、動物などをかたどった大規模な砂糖細工が記録されています。

この段階の砂糖は少量でも高い利益を生む商品でした。生産量が増え価格が下がると、薬と装飾品だった砂糖は、飲み物や保存食へ入る日用品へ変化します。

大航海時代と「砂糖革命」|生産地が大西洋へ移る

大西洋の島々からブラジルへ

15世紀、ポルトガルとスペインはマデイラ諸島、カナリア諸島、サントメ島などで砂糖きびを栽培しました。ヨーロッパの資本、温暖な土地、水、木材燃料、製糖設備、強制された労働を一つにまとめる仕組みが、後の大西洋プランテーションの原型になりました。

16世紀のブラジルでは、ポルトガル植民者が砂糖生産を大規模化し、オランダ商人が金融、海運、精製、販売に関わりました。砂糖生産は単独の農園経営ではなく、植民地行政、商人、船主、信用、保険、港、市場を結ぶ事業へ成長しました。

17世紀のカリブ海

17世紀半ば以降、バルバドス、ジャマイカなどで砂糖生産が急増しました。食料や複数作物を育てる植民地から、土地の多くを砂糖きびに集中させる社会へ変化したため、この転換は「砂糖革命」と呼ばれます。

砂糖プランテーションは高い初期投資を必要としました。土地、製糖機、銅釜、倉庫、家畜、燃料、船積み設備をそろえ、収穫期には昼夜を問わず工程を動かします。資本を集められる大農園が成長し、小農は土地を失い、植民地社会の富と権力が少数の所有者へ集中しました。

三角貿易|砂糖・工業製品・人の強制移動

大西洋世界の代表的な説明が三角貿易です。

  1. ヨーロッパからアフリカへ、織物、金属製品、銃、酒などが運ばれました。
  2. アフリカからアメリカ大陸へ、奴隷にされた人々が「中間航路」で強制輸送されました。
  3. アメリカ大陸とカリブ海からヨーロッパへ、砂糖、糖蜜、タバコ、綿花などが運ばれました。

実際の航路は三角形だけで完結せず、ブラジルとアフリカの直接交易、北米とカリブ海の食料・木材交易、ヨーロッパ各港間の再輸出などが重なっていました。三角貿易は複雑な大西洋交易を理解する入口です。

この仕組みの核心は、人間を商品として扱う法制度と暴力でした。砂糖の安さは、航海、金融、精糖の効率だけでなく、土地の収奪と賃金を支払わない労働によって作られました。大英帝国の交易と制度については、大英帝国とコモンウェルスの歴史でも詳しく解説しています。

砂糖と奴隷制|大西洋を渡らされた人々

1590年の版画に描かれたイスパニョーラ島の製糖所と奴隷労働
イスパニョーラ島の製糖所で働く奴隷を描いた版画(1590年)。Library of Congress/No known restrictions on publication。

大西洋奴隷貿易では、約1250万人がアフリカから船に乗せられ、約1070万人がアメリカ大陸側へ到着したと推計されています。船内の病気、暴力、栄養不足、自死によって、多くの人が航海中に命を失いました。

砂糖は、この強制移動を拡大した最大級の商品でした。砂糖きびの刈り取り、運搬、圧搾、煮沸、結晶化は重労働で、回転する圧搾機や高温の釜は重大な事故を招きました。農園所有者は死亡や逃亡による労働力不足を、新たに人を購入することで補いました。

奴隷にされた人々は、法的に財産として売買され、移動、結婚、親子関係、身体の自由を制限されました。一方で、逃亡、作業の遅延、道具の破壊、食料栽培、市場での取引、宗教と音楽の継承、武装蜂起など多様な形で抵抗しました。

西アフリカや中央アフリカには、大西洋奴隷貿易以前から国家、都市、商業、農業、学問、宗教、工芸の歴史があります。アフリカ史を奴隷貿易だけに縮めないための背景は、植民地化以前のアフリカ史で整理しています。

ハイチ革命|砂糖植民地を崩した当事者の抵抗

18世紀末のフランス領サン=ドマングは、砂糖とコーヒーを大量輸出する世界有数の植民地でした。富の基盤は、アフリカから連れてこられた人々の労働と、厳しい人種・身分秩序でした。

1791年に大規模な奴隷反乱が始まり、フランス革命、列強の介入、フランスによる奴隷制廃止とナポレオン政権の再導入策が交錯しました。1804年、ハイチは独立します。奴隷にされた人々が植民地軍を破り、独立国家を作った出来事は、大西洋世界の奴隷制と植民地支配を揺るがしました。

ハイチ革命は砂糖価格や植民地政策にも影響し、キューバなど別地域の砂糖生産拡大を促しました。革命後のハイチは、フランスから独立承認の条件として巨額の賠償金を課され、植民地支配の経済的負担を長く背負いました。ラテンアメリカの独立と革命の流れは、ラテンアメリカ近現代史でも解説しています。

紅茶・コーヒー・チョコレート|砂糖が苦い飲み物を大衆化した

17〜18世紀のヨーロッパでは、紅茶、コーヒー、カカオ飲料が広まりました。いずれも苦味や渋味があり、砂糖を加える習慣が消費拡大を支えました。

イギリスの紅茶には、アジア産の茶葉、カリブ海産の砂糖、中国やヨーロッパの陶磁器が集まりました。家庭の一杯が、東インド会社、大西洋奴隷貿易、窯業、港湾、税制を結びます。

コーヒーハウスは商業、新聞、政治、保険、金融が交わる都市空間になりました。詳しい歴史はコーヒーの世界史|一杯の飲み物が宗教・帝国・都市文化を動かしたで紹介しています。

メソアメリカのカカオ飲料は、ヨーロッパで砂糖と結びつき、19世紀の機械化によって固形菓子へ変わりました。カカオ生産と植民地、企業、児童労働まで含む流れは、チョコレートの世界史|カカオから植民地・産業革命・フェアトレードまでにつながります。

砂糖は産業革命をどう動かしたのか

産業革命には、石炭、蒸気機関、綿工業、農業生産、賃金、人口、制度、海外市場など多くの要因があります。砂糖は単独の原因ではなく、消費、精糖、海運、金融、植民地の各面から産業化を支えた商品でした。

1.精糖所が初期工業を育てた

植民地から運ばれた粗糖は、イギリス各地の精糖所で再び溶かし、不純物を除き、煮詰め、結晶化しました。大型釜と大量の石炭を使い、工程と労働時間を管理する精糖所は、工場制生産に近い特徴を持っていました。オックスフォード大学の解説では、1700年ごろまでにイングランド各地へ精糖所が広がり、初期の工業活動の一つになったとされています。

2.港・海運・保険・金融を成長させた

砂糖貿易は、ロンドン、リヴァプール、ブリストル、グラスゴーなどの港へ貨物、船員、倉庫、造船、商社を集めました。長距離航海の損失を分散する海上保険、収穫前に資金を貸す信用、商品相場、再輸出も発達しました。

植民地貿易の利益が、そのまま産業革命の全投資資金になったという単純な説明には議論があります。ただし、砂糖が商業都市、金融サービス、輸送網、国家税収を拡大し、イギリス経済と植民地を緊密に結んだ点は明確です。

3.都市労働者の食生活を変えた

1800年ごろのイングランドでは、砂糖は多くの家庭へ普及しました。甘い紅茶、糖蜜、ジャムは、短い休憩でも摂りやすく、果実を保存し、パン中心の食事へカロリーを加えました。

歴史人類学者シドニー・ミンツは、この変化を近代資本主義と労働者階級の形成に結びつけました。砂糖が工場労働を直接生んだという説明ではなく、植民地で生産された安価な商品が、都市の時間規律と食生活に組み込まれたという解釈です。

4.大量消費市場の型を示した

砂糖は、高級品が量産、価格低下、用途拡大を経て大衆商品になる過程を早く経験しました。広告、包装、小売、品質差、関税、再輸出を通じて市場が広がり、後の綿製品、茶、チョコレートなどにも通じる大量消費の型が作られました。

廃奴運動と砂糖不買|消費者と当事者の抵抗

18世紀末のイギリスでは、奴隷労働で作られた西インド諸島産砂糖の不買運動が起こりました。1790年代と1820年代には、家庭で砂糖を買わない、東インド産砂糖を選ぶ、反奴隷制の言葉を刻んだ砂糖壺を使うといった行動が政治運動になりました。

消費者運動は世論形成に役立ちましたが、奴隷制を根底から揺るがしたのは、奴隷にされた人々自身の逃亡、反乱、軍事行動、共同体形成でした。ハイチ革命やカリブ海の蜂起が、奴隷制を維持する軍事費と政治的危機を拡大しました。

イギリスは1807年に奴隷貿易を禁止し、1833年の法律で帝国内の奴隷制廃止へ進みました。解放された人々ではなく奴隷所有者へ補償金が支払われた点は、廃止後も資産と格差が引き継がれたことを示します。

奴隷制廃止後|インド人契約労働者が砂糖農園へ送られた

奴隷制廃止後、植民地の農園主は新たな低賃金労働力を求めました。そこで拡大したのが、一定期間働く契約を結ばせ、インドなどから植民地へ移送する年季契約労働制度です。

ユネスコ世界遺産アープラヴァシ・ガートの記録では、1834〜1920年に約50万人のインド人契約労働者がモーリシャスへ到着し、砂糖農園で働くか、カリブ海、アフリカ、オーストラリアなどへ移送されました。

契約には賃金と期限があり、法的には奴隷制と異なります。しかし、募集時の欺瞞、渡航費による拘束、移動制限、低賃金、処罰、契約延長などにより、自由が大きく制限される例がありました。砂糖の労働体制は、奴隷制廃止を境に消えず、別の制度へ組み替えられました。

甜菜糖の登場|ナポレオン戦争が温帯の砂糖を育てた

1747年、ドイツの化学者アンドレアス・マルクグラーフは甜菜に砂糖が含まれることを示しました。弟子のフランツ・カール・アハルトは、19世紀初頭に甜菜糖の工業生産へ進みました。

転機はナポレオン戦争です。1806年に始まる大陸封鎖で、ヨーロッパ大陸はイギリスと植民地の商品へアクセスしにくくなりました。熱帯の砂糖きびに代わり、温帯で育つ甜菜を使う製糖が国家政策として奨励されました。

甜菜糖は、砂糖生産を熱帯植民地だけに限定していた地理を変えました。品種改良、農業機械、工場、関税保護が結びつき、19世紀後半にはヨーロッパの重要産業になります。砂糖きびと甜菜の競争は、国際価格、植民地政策、農業補助金へ影響しました。

日本の砂糖史|薬、南蛮菓子、黒糖、和三盆、近代製糖

奈良時代|砂糖は薬だった

日本では、奈良時代の正倉院文書『種々薬帳』(756年)に砂糖の記録があります。鑑真が伝えたという説もありますが、中国との交流を通じて複数の経路から入ったと考えるのが妥当です。当時の砂糖は食卓の調味料より、薬や貴重な献納品として扱われました。

中世・南蛮貿易|菓子の甘味になる

中世後期には中国との貿易によって輸入が増え、砂糖饅頭や羊羹などの記録が現れます。16世紀の南蛮貿易では、カステラ、金平糖など砂糖を使う菓子文化が伝わりました。輸入砂糖は生糸や織物と並ぶ重要商品になりました。

琉球・奄美の黒糖|生産と支配の歴史

17世紀、琉球・奄美で中国由来の製糖技術が広がり、黒糖生産が拡大しました。沖縄県立図書館の年表は1623年に儀間真常が黒糖を製造したと伝えています。

黒糖は地域の食文化と産業を育てる一方、薩摩藩の重要財源になりました。奄美では砂糖の専売制が強化され、生産者の生活と作付けが藩財政に従属しました。砂糖は日本でも、甘味と権力が結びつく商品でした。

長崎街道と江戸の消費

江戸時代も長崎には中国船とオランダ船が砂糖を運びました。長崎から大坂の問屋へ送られる海上ルートに加え、長崎から佐賀、小倉へ向かう長崎街道沿いでは砂糖と菓子文化が発達し、「シュガーロード」と呼ばれます。

農畜産業振興機構が紹介する出島商館帳簿では、18世紀に砂糖輸入が大きく増えました。砂糖は上層の贈答品だけでなく、菓子材料や庶民の「なめ物」としても消費されました。イギリスと日本では制度や規模が異なりますが、18世紀に砂糖が広い層のカロリー源へ近づいた点は共通します。

国産化と和三盆

砂糖輸入による金銀流出を抑えるため、江戸幕府は18世紀に国産化を奨励しました。讃岐、阿波、土佐、駿河、遠江などで砂糖きび栽培と製糖が広がり、讃岐では細かな粒と淡い色を特徴とする和三盆が発達しました。

国産化には農書、苗、製糖法、職人、藩の保護政策が関わりました。現在の地方菓子や甘い味付けには、輸入港、街道、藩政、産地形成の歴史が残っています。

明治以降|輸入糖、近代精糖、台湾

開港後は安価な輸入砂糖が増え、本州・四国の小規模な和糖業は縮小しました。1895年には渋沢栄一らが関わる日本精糖が設立され、機械設備を使う近代精糖業が育ちました。

日清戦争後、日本統治下の台湾では製糖業が植民地経済の中心産業の一つに位置づけられました。土地、水利、鉄道、品種改良、製糖工場を総督府と企業が結びつけ、日本本土向けの砂糖生産を拡大しました。この過程は技術とインフラの発展に加え、植民地統治、土地制度、農民の負担を含めて捉える必要があります。

台湾の水利と米・砂糖生産の関係は八田與一と嘉南大圳、日本の植民地行政と重点産業は日本の旧外地行政庁とはで解説しています。

現代の砂糖|農業・エネルギー・健康・環境

1941年のプエルトリコのサトウキビ農園労働者
プエルトリコ・アレシボ近郊のサトウキビ農園労働者(1941年)。撮影:Jack Delano/Library of Congress/Public Domain。

OECD-FAOの農業見通しでは、ブラジルとインドが引き続き主要な砂糖生産国で、タイも重要な輸出国です。生産量は天候、原油価格、通貨、輸出政策、在庫によって変動します。

ブラジルの製糖工場は、砂糖きびを砂糖とバイオエタノールのどちらへ振り向けるかを市況に応じて調整します。原油価格が上がると燃料用エタノールの需要が増え、砂糖の国際供給と価格へ影響する場合があります。圧搾後の繊維質であるバガスは、工場の熱や発電にも使われます。

健康面で区別すべきなのが、食品にもともと含まれる糖と「遊離糖類」です。WHOの遊離糖類には、食品や飲料へ加えた糖に加え、蜂蜜、シロップ、果汁、濃縮果汁に含まれる糖が入ります。成人と子どもは総エネルギー摂取量の10%未満、さらに5%以下に抑えると追加の健康効果が期待されるとされています。主な根拠は体重増加と虫歯のリスクです。

環境面では、農園拡大による生態系の改変、水使用、肥料・農薬、収穫前焼却、土壌劣化が課題になります。機械収穫の普及は重労働を減らす一方、季節労働者の雇用を変えました。認証や企業調達だけでなく、土地権利、最低賃金、労働安全、価格形成を含めた改善が求められます。

よくある質問

砂糖が奴隷制を生んだのですか?

奴隷制は砂糖以前から存在しました。近世大西洋世界では、ヨーロッパの砂糖需要、植民地の土地支配、大西洋奴隷貿易が結びつき、砂糖が奴隷制を大規模化した主要商品の一つになりました。

三角貿易は本当に三角形だったのですか?

三角形は仕組みを学ぶためのモデルです。実際には、ブラジルとアフリカ、北米とカリブ海、ヨーロッパ各港などを結ぶ多数の航路がありました。重要なのは、商品、資本、人の強制移動が大西洋全域で連動した点です。

産業革命は砂糖の利益で起きたのですか?

産業革命には多くの原因があり、植民地利益だけで説明できません。砂糖は精糖業、港湾、海運、保険、金融、国家税収、大衆消費、労働者の食生活を通じて産業化を支えました。

甜菜糖は奴隷制と無関係だったのですか?

甜菜糖は温帯での生産を可能にし、熱帯植民地産砂糖への依存を下げました。一方で、土地、農業労働、国家保護、工場労働に支えられる商品です。砂糖の供給地と政治経済を組み替えた技術として理解できます。

黒糖、白砂糖、甜菜糖は栄養面で大きく違いますか?

色や風味、微量成分には差がありますが、いずれも主な糖質はショ糖です。歴史上の違いは、栄養価より原料、精製度、産地、税制、身分表示、流通の違いに現れます。

砂糖は「悪い食品」ですか?

砂糖は保存、菓子、発酵、食文化を支えてきました。健康への影響は摂取量と食生活全体で決まります。歴史的評価では、食品としての働きと、生産に伴った奴隷制、植民地支配、労働、環境の問題を分けて考える必要があります。

現地・オンラインで学べる場所

  • London Museum Docklands:常設展示「London, Sugar & Slavery」で、ロンドンの商業と奴隷制の関係を紹介しています。
  • International Slavery Museum/National Museums Liverpool:砂糖プランテーション、大西洋奴隷貿易、抵抗の資料があります。
  • British Museum:砂糖をぜいたく品、造形物、植民地商品、社会運動として示す資料を公開しています。
  • V&A:反奴隷制運動の砂糖壺など、家庭用品と政治運動の関係を確認できます。
  • Aapravasi Ghat:モーリシャスの世界遺産で、奴隷制廃止後のインド人契約労働者の移動を伝えます。
  • 正倉院・正倉院文書:日本で砂糖が薬として記録された古代史の入口です。
  • 長崎街道シュガーロード:長崎、佐賀、福岡の菓子文化と砂糖流通を地域史として学べます。
  • 沖縄・奄美の製糖資料館や黒糖工場:砂糖きび栽培、黒糖製造、島の産業と支配の歴史をたどれます。

砂糖の世界史を一文で整理する

砂糖の世界史とは、アジアで生まれた栽培と結晶化の技術が、イスラム世界と地中海を経て大西洋植民地へ移り、奴隷制と契約労働、海運と金融、工業化と大量消費、日本の黒糖・菓子・近代製糖までを結んだ歴史です。

関連して読みたい記事

参考資料

  1. OECD-FAO Agricultural Outlook 2025-2034: Sugar
  2. European Commission, Sugar
  3. British Museum, The story of sugar in 5 objects
  4. University of Oxford, How England became the Sweetshop of Europe
  5. SlaveVoyages, Estimates: Trans-Atlantic Slave Trade
  6. UNESCO, Transatlantic slave trade
  7. UNESCO World Heritage Centre, International Day for the Remembrance of the Slave Trade and its Abolition
  8. UNESCO World Heritage Centre, Aapravasi Ghat
  9. London Museum Docklands, London, Sugar & Slavery
  10. National Museums Liverpool, Sugar plantations
  11. Smithsonian Searchable Museum, The Human Cost
  12. Victoria and Albert Museum, An anti-slavery sugar bowl
  13. Sidney Mintz, Sugar
  14. Fondation Napoléon, The Continental System or Blockade
  15. Südzucker Group, History of sugar
  16. 農畜産業振興機構「渋沢栄一と製糖業~日本の製糖業の変遷~」
  17. 農畜産業振興機構「江戸時代の砂糖食文化」
  18. 農畜産業振興機構「砂糖の歴史(日本への伝播)」
  19. 沖縄県立図書館 貴重資料デジタル書庫「資料年表」
  20. 鹿児島県「調所広郷の財政改革」
  21. World Health Organization, Healthy diet
  22. World Health Organization, Guideline: sugars intake for adults and children