砂糖の世界史|甘さが奴隷制・植民地・産業革命を動かした

砂糖は、あまりにも身近な食材です。台所の白い砂糖、紅茶やコーヒーに入れる砂糖、菓子、ジャム、チョコレート、清涼飲料。私たちは毎日のように砂糖に出会っています。

しかし、砂糖の歴史をたどると、それは単なる「甘い調味料」ではありません。砂糖は、世界の貿易を変え、植民地を動かし、奴隷にされた人々の労働と結びつき、紅茶・コーヒー・チョコレートの消費文化を広げ、産業革命期の都市生活にも深く入り込んでいきました。

一粒の砂糖の背後には、農業、技術、宗教、帝国、労働、消費、健康、環境がつながっています。この記事では、砂糖きびの広がりから、イスラム世界、地中海、ブラジル、カリブ海、イギリスの紅茶文化、甜菜糖、現代の砂糖産業までを、初心者にも分かる一本の流れとして解説します。

30秒で分かる結論

  • 砂糖は、砂糖きびや甜菜から「甘さ」を取り出して結晶化・精製した商品です。
  • 砂糖きびの栽培はニューギニア周辺から東南アジア・南アジアへ広がったとされ、砂糖を結晶として取り出す技術は古代インド周辺で発展しました。
  • イスラム世界の拡大によって、砂糖きび栽培と製糖技術は中東、北アフリカ、地中海へ広がりました。
  • 中世ヨーロッパの砂糖は、薬や香辛料に近い高級品でした。
  • 大航海時代以後、砂糖は大西洋の島々、ブラジル、カリブ海で大量生産され、ヨーロッパで消費される商品になりました。
  • その大量生産は、奴隷にされたアフリカの人々の過酷な労働と深く結びついていました。
  • 紅茶、コーヒー、チョコレートは、砂糖と結びつくことで近代の嗜好品文化を作りました。
  • 甜菜糖の登場によって、ヨーロッパでも砂糖を作れるようになり、砂糖の地理は大きく変わりました。
  • 現代の砂糖は、農業、貿易、健康、環境、バイオエタノールとも関係する巨大な商品です。

砂糖は、ただの甘い調味料ではない

砂糖の歴史が面白いのは、「小さな甘さ」が世界史の大きな仕組みとつながっているからです。

たとえば、イギリスで紅茶に砂糖を入れる習慣が広がると、その砂糖をどこから持ってくるのかが問題になります。ヨーロッパの気候では、熱帯植物である砂糖きびを大規模に育てることはできません。そこで、砂糖きびは大西洋の島々、ブラジル、カリブ海の植民地で栽培されるようになりました。

砂糖きびは、植えれば簡単に白砂糖になる作物ではありません。収穫、圧搾、煮詰め、結晶化、精製には、多くの人手と設備が必要です。しかも、熱帯の暑さの中で、刃物を使って茎を刈り取り、短時間で製糖所へ運ばなければなりません。この労働を支えたのが、奴隷にされたアフリカの人々でした。

つまり砂糖は、「甘いものが好き」という個人の好みだけで広がったのではありません。植民地、船、港、金融、保険、商社、製糖所、労働制度、消費文化がつながった商品でした。砂糖の歴史を見ると、食文化と世界経済が切り離せないことが見えてきます。

そもそも砂糖とは何か

砂糖とは、主にショ糖という成分を取り出し、結晶化・精製した甘味料です。原料として重要なのが、砂糖きびと甜菜です。

原料 特徴 主な栽培地域 歴史上の意味
砂糖きび 熱帯・亜熱帯でよく育つ大型のイネ科植物 ブラジル、インド、タイ、カリブ海など 植民地プランテーションと奴隷制に深く結びついた
甜菜 根に糖分をためるヒユ科の作物。ビートとも呼ばれる ヨーロッパ、ロシア、アメリカ北部など温帯地域 ヨーロッパが植民地産の砂糖きびだけに頼らない道を開いた

砂糖きびから砂糖を作るには、茎を搾って汁を取り、加熱して不純物を取り除き、濃縮し、結晶を作ります。甜菜糖も、根を刻んで糖分を抽出し、濃縮・結晶化します。原料は違っても、最終的に得られる主成分はショ糖です。

現代の世界の砂糖生産では、砂糖きびが大きな比重を占めています。欧州委員会は、世界の砂糖のおよそ80%が砂糖きび、20%が甜菜から作られると説明しています。OECD-FAOの農業見通しでも、砂糖きびは今後も主要な砂糖作物であり続けるとされています。

ただし、ここで大切なのは、砂糖が「自然にある白い粉」ではないことです。砂糖は、作物、土地、水、燃料、労働、技術を通して、甘さを取り出した加工商品です。だからこそ、砂糖の歴史は農業史であり、技術史であり、労働史でもあります。

砂糖の始まり|甘さを結晶にする技術

人類は砂糖が登場する前から、甘さを知っていました。代表的なのは蜂蜜です。果物や樹液にも甘みがあります。しかし、蜂蜜は採れる場所や量に限りがあります。砂糖の画期性は、植物から甘みを取り出し、保存・運搬しやすい結晶にできるようになった点にありました。

砂糖きびの起源や栽培化については、ニューギニア周辺から東南アジア、南アジアへ広がったとする説明が一般的です。ただし、古代の植物移動は長い時間をかけて進んだため、「ここが唯一の発祥地」と単純に言い切るよりも、地域的な広がりとして理解する方が安全です。

重要なのは、古代インド周辺で、砂糖きびの汁を煮詰めて結晶状の砂糖を作る技術が発展したことです。サンスクリット語の「シャルカラ」は、のちに各地の言葉で砂糖を表す語につながったとされます。液体の甘みを結晶として保存できるようになったことで、砂糖は遠くへ運べる商品になりました。

初期の砂糖は、現在のように誰もが毎日使うものではありませんでした。薬、貴重品、保存食、贈答品のように扱われました。甘さは、栄養であると同時に、珍しさや富を示すものでもあったのです。

イスラム世界が広げた砂糖の技術

砂糖の歴史を世界史に押し広げた大きな力が、イスラム世界の拡大です。

7世紀以降、イスラム勢力はアラビア半島から西アジア、北アフリカ、イベリア半島へ広がりました。その過程で、農業技術、灌漑技術、商業ネットワーク、学問が広域に結びつきました。砂糖きびの栽培と製糖技術も、そのネットワークの中で西方へ伝わっていきます。

砂糖きびは水を多く必要とする作物です。そのため、栽培には灌漑や水車、製糖所の設備が重要でした。イスラム世界では、中東、エジプト、北アフリカ、シチリア、キプロス、イベリア半島などで砂糖生産が行われました。砂糖は、単なる農作物ではなく、農業技術と都市商業が結びついた商品だったのです。

この時代の砂糖は、まだ大量の日用品ではありません。けれども、砂糖は薬や菓子、保存食、宮廷文化の中に入り、地中海世界の人々に知られるようになりました。やがてヨーロッパは、この甘い商品を欲しがる消費地になっていきます。

中世ヨーロッパの砂糖はぜいたく品だった

中世ヨーロッパにとって、砂糖は遠い世界から来る高価な品物でした。香辛料と同じように、東方からもたらされる珍しい商品として扱われます。

十字軍や地中海交易を通じて、ヨーロッパの人々は砂糖に触れる機会を増やしました。オックスフォード大学歴史学部の記事は、砂糖が11世紀に十字軍帰還兵によってイングランドにもたらされたと説明しています。ただし、その後もしばらく砂糖は一般庶民の日用品ではありませんでした。

当時の砂糖は、甘味料というよりも、薬、香辛料、ぜいたく品に近い存在でした。宮廷や富裕層の食卓では、砂糖を使った菓子や飾りが権威を示しました。砂糖で作った彫刻のような菓子は、食べ物であると同時に、富と教養を見せる演出でもありました。

ここで注目したいのは、ヨーロッパの砂糖需要が、まだ限られた上流層のものだったことです。砂糖が世界史を本格的に動かすのは、この需要が大衆化していく時代です。その転換点が、大航海時代と大西洋世界の形成でした。

大航海時代、砂糖は大西洋へ向かった

15世紀以降、ポルトガルとスペインは大西洋へ進出しました。アフリカ西岸、大西洋の島々、カリブ海、ブラジルへと航路が広がる中で、砂糖きびの栽培地も移動します。

マデイラ諸島、カナリア諸島、サントメ島などの大西洋の島々は、砂糖プランテーションの実験場のような役割を持ちました。ヨーロッパの資本、熱帯・亜熱帯の土地、強制された労働、製糖設備を組み合わせる仕組みが作られていきます。

その後、砂糖生産の中心はブラジルやカリブ海へ広がりました。オックスフォード大学の記事は、16世紀にポルトガル植民者がブラジルで砂糖をより工業的な規模で生産し、オランダ商人の資金も関わったと説明しています。砂糖は、植民地で大量生産し、ヨーロッパで消費する商品になっていきました。

この仕組みには、広い土地、暑い気候、水、燃料、製糖所、船、港、金融が必要でした。そして何よりも、大量の労働力が必要でした。砂糖の大量生産は、甘さの歴史であると同時に、労働をどう支配するかの歴史でもあったのです。

カリブ海とブラジルのプランテーション

プランテーションとは、広い土地で一つの作物を大規模に栽培し、輸出用の商品として生産する農園経営のことです。砂糖きび、綿花、タバコ、コーヒーなどが代表例ですが、砂糖きびはとくに労働集約的な作物でした。

砂糖きびは、収穫した後に糖分が落ちやすいため、刈り取ってから早く搾る必要があります。農場と製糖所が近くにあり、収穫、運搬、圧搾、煮沸、結晶化が連続して行われました。プランテーションは、畑であると同時に、製造工場でもありました。

カリブ海の島々やブラジルでは、ヨーロッパの植民者が土地を支配し、砂糖を輸出しました。そこで働かされたのが、アフリカから連れてこられ、奴隷にされた人々です。彼らは人間でありながら、法制度上は財産として売買され、移動の自由も家族の自由も奪われました。

National Museums Liverpoolは、砂糖生産と、奴隷にされたアフリカの人々の労働から得られた利益が19世紀に入っても増え続けたと説明しています。London Museum Docklandsの常設展示「London, Sugar & Slavery」は、ロンドンが砂糖貿易と奴隷制からどのように利益を得たのかを伝える展示です。

砂糖プランテーションは、ヨーロッパの食卓からは遠く離れた場所にありました。しかし、その利益はヨーロッパの港、商人、保険、金融、邸宅、都市の発展と結びついていました。甘い砂糖は、遠くの暴力と搾取を見えにくくする商品でもありました。

砂糖と奴隷制|甘さの裏側にあった搾取

砂糖の世界史で最も丁寧に扱うべきなのが、奴隷制との関係です。

ここで大切なのは、「砂糖が奴隷制を生んだ」と単純化しないことです。奴隷制は古代から存在し、近世大西洋世界でも砂糖だけが原因ではありません。しかし、ヨーロッパで砂糖需要が高まり、植民地で砂糖プランテーションが拡大し、その労働力として奴隷にされたアフリカの人々が利用されたことは、砂糖の歴史の中心にあります。

砂糖きび栽培と製糖は、非常に過酷な労働でした。暑い気候の中での刈り取り、重い茎の運搬、製糖所での危険な作業、長時間労働、暴力による支配。SmithsonianのSearchable Museumは、植民地の砂糖や米のプランテーションで働かされたアフリカの人々が、極端な肉体的負担と暴力的な支配のもとに置かれていたことを伝えています。

砂糖が安くなり、多くの人が買えるようになった背景には、生産地での人間の自由の破壊がありました。ヨーロッパの消費者にとって砂糖は「ぜいたく」から「日用品」へ変わっていきましたが、その変化は、プランテーションで働かされた人々にとっては苦しみの拡大でもありました。

また、奴隷にされた人々は、ただ一方的に支配されるだけの存在ではありませんでした。逃亡、サボタージュ、反乱、文化の継承、家族や共同体の維持など、さまざまな形で抵抗しました。カリブ海各地の反乱やハイチ革命のような大きな出来事は、砂糖植民地の秩序を揺るがしました。

砂糖の歴史を学ぶとき、私たちは「甘い商品」がどのように作られたのかを見なければなりません。砂糖は、世界経済を動かした商品であると同時に、人間を商品として扱った制度の残酷さを映す鏡でもあります。

紅茶・コーヒー・チョコレートを変えた砂糖

砂糖は、単独で消費されたわけではありません。近代ヨーロッパで砂糖の消費を大きく広げたのは、紅茶、コーヒー、チョコレートとの組み合わせでした。

紅茶、コーヒー、カカオ飲料はいずれも、もともとは苦みや渋みを持つ飲み物です。そこに砂糖が入ることで、飲みやすく、習慣化しやすい味になりました。砂糖は、苦い飲み物を「日常の楽しみ」に変える役割を果たしました。

イギリスでは、紅茶と砂糖が結びつきました。紅茶そのものはアジアから、砂糖はカリブ海などから、陶磁器は中国やヨーロッパの窯業から、というように、一杯の紅茶は複数の世界を結びつけていました。甘い紅茶は、帝国の貿易が家庭のテーブルに入り込む形でもありました。

コーヒーも同じです。コーヒーハウスは、商人、知識人、政治家、新聞、保険、金融が交わる都市の場所となりました。コーヒーの歴史については、関連記事のコーヒーの世界史|一杯の飲み物が宗教・帝国・都市文化を動かしたでも詳しく紹介しています。砂糖は、コーヒーをより広い層へ広げる助けになりました。

チョコレートも、ヨーロッパでは砂糖と結びついて変化しました。カカオの苦みは、砂糖によって甘い飲み物や菓子へと変わります。近代の嗜好品文化は、茶葉、コーヒー豆、カカオ、砂糖という複数の商品が結びついて生まれたのです。

産業革命と砂糖|ぜいたく品から大衆商品へ

18〜19世紀のイギリスでは、砂糖は上流階級のぜいたく品から、より広い層が日常的に使う商品へ変わっていきました。この変化は、産業革命期の都市化や労働の変化と重なります。

工場労働が広がると、人々の食事の取り方も変わります。長い労働時間、短い休憩、都市の狭い住環境の中で、手早くカロリーを取れる食品が重要になりました。甘い紅茶、パンに塗るジャム、菓子、保存食品は、安価なエネルギー源として広がりました。

オックスフォード大学の記事は、砂糖が果物を高カロリーの保存食であるジャムに変えた点を指摘しています。砂糖は、甘さを加えるだけでなく、食品を保存し、遠くへ運び、季節を越えて消費するための技術でもありました。

歴史人類学者シドニー・ミンツは、砂糖を近代資本主義と労働者階級の食生活を考えるうえで重要な商品として位置づけました。砂糖は、貴族の飾り物から、工業都市の労働者が日々消費する商品へと姿を変えたのです。

ここで重要なのは、消費の民主化が必ずしも生産の公正化を意味しなかったことです。砂糖は多くの人に届くようになりましたが、その背後には、植民地支配、奴隷制、安価な労働、輸送網、国家の税制がありました。大衆商品になったからこそ、砂糖はさらに大きな世界史の力を持ったのです。

甜菜糖の登場|砂糖はヨーロッパでも作られるようになった

砂糖の歴史は、砂糖きびだけでは終わりません。もう一つの大きな転換点が、甜菜糖の登場です。

甜菜は、温帯で育つ作物です。根に糖分をためるため、砂糖きびが育ちにくいヨーロッパでも砂糖を作ることができます。18世紀、ドイツの化学者アンドレアス・マルクグラーフは甜菜から砂糖を取り出せることを示し、その後、弟子のフランツ・カール・アハルトが甜菜糖の工業化を進めました。

甜菜糖が注目された背景には、ナポレオン時代の大陸封鎖があります。1806年にナポレオンはイギリスとの通商を断とうとし、ヨーロッパ大陸では植民地産の砂糖きびへの依存が問題になりました。海上貿易が不安定になる中で、ヨーロッパ内部で作れる甜菜糖は戦略的に重要になりました。

甜菜糖の登場は、砂糖の地理を変えました。それまで「熱帯植民地で作り、ヨーロッパで食べる」性格が強かった砂糖に、温帯ヨーロッパの農業と工業が加わったのです。

ただし、甜菜糖が出てきたからといって、すぐに砂糖きびプランテーションの問題が消えたわけではありません。砂糖きびは現在も世界の砂糖生産の中心です。甜菜糖は、砂糖の供給地を多様化し、ヨーロッパの自給を支える道を開いたと理解するとよいでしょう。

砂糖をめぐる抵抗と廃奴運動

砂糖は搾取の象徴であると同時に、社会運動の対象にもなりました。消費者が「何を買うか」を通じて奴隷制に反対する動きが生まれたからです。

18世紀末から19世紀にかけて、イギリスでは奴隷制に反対する人々が、奴隷にされた人々の労働で作られた砂糖を買わないよう呼びかけました。V&Aの記事は、1792〜1793年と1825〜1829年に重要な砂糖不買運動があったと説明しています。砂糖壺やパンフレット、家庭での会話は、政治参加の場にもなりました。

この運動は、現代のエシカル消費やフェアトレードの遠い先祖のようにも見えます。人々は、砂糖を単なる商品ではなく、「どのような労働で作られたのか」を問う対象として見始めました。

ただし、廃奴運動をイギリスの善意だけの物語にしてはいけません。奴隷にされた人々自身の抵抗、逃亡、反乱、共同体の形成が、奴隷制を揺るがす大きな力でした。カリブ海の反乱やハイチ革命は、ヨーロッパの議会や消費者運動だけでは説明できない、当事者自身の歴史です。

砂糖をめぐる廃奴運動は、「消費」と「政治」がつながることを示しました。食卓の選択は、遠くの労働と結びついています。この問いは、現代の私たちにも残っています。

よくある誤解

砂糖が奴隷制を生んだのですか?

奴隷制そのものは砂糖以前から存在します。そのため、「砂糖が奴隷制を生んだ」と言い切るのは単純化しすぎです。ただし、近世大西洋世界では、ヨーロッパの砂糖需要、植民地プランテーション、大西洋奴隷貿易が強く結びつきました。砂糖は、奴隷制を拡大させた重要な商品の一つでした。

昔の砂糖は今の白砂糖と同じですか?

同じショ糖を含むという点ではつながっていますが、精製度や形は時代によって違います。昔は、白く精製された砂糖ほど高級とされることもありました。現在は白砂糖、きび砂糖、黒糖、グラニュー糖、甜菜糖など、原料や精製度の違いでさまざまな商品があります。

甜菜糖は奴隷制と無関係な「きれいな砂糖」だったのですか?

甜菜糖はヨーロッパ内部で砂糖を作る道を開き、植民地産砂糖への依存を下げる可能性を持ちました。しかし、どの砂糖も土地、労働、価格、政治と無関係ではありません。甜菜糖を単純に「清潔な代替品」と見るより、砂糖供給の地理を変えた技術として理解する方が適切です。

砂糖は悪いものですか?

この記事の目的は、砂糖を善悪で単純に裁くことではありません。砂糖は食文化を豊かにし、保存食や菓子を生み、農業や産業を支えてきました。一方で、奴隷制、植民地支配、健康問題、環境問題とも関係してきました。大切なのは、「甘さ」の背後にある歴史と仕組みを見ることです。

現代の砂糖|農業・健康・環境・エネルギー

現代でも、砂糖は巨大な農産物であり、貿易商品です。OECD-FAOの農業見通しでは、ブラジルとインドが今後も砂糖きびと砂糖生産の重要な国であり続けるとされています。タイも主要な輸出国の一つです。

現代の砂糖を考えるうえでは、砂糖きびとバイオエタノールの関係も重要です。ブラジルでは、砂糖きびは砂糖だけでなくエタノール燃料の原料にもなります。砂糖にするか、燃料にするかは、国際価格、政策、エネルギー需要によって変わります。砂糖は、食べ物であると同時に、エネルギー政策とも関わる作物なのです。

健康面では、砂糖の摂りすぎが肥満、むし歯、生活習慣病と関係することが広く指摘されています。WHOは、成人と子どもに対して、遊離糖類の摂取を総エネルギー摂取量の10%未満に減らすことを推奨し、さらに5%未満への低減も提案しています。ただし、個人の病気や食事制限については、医師や管理栄養士など専門家に相談する必要があります。

環境面では、砂糖きび栽培のための土地利用、水、農薬、労働条件、価格変動が課題になります。気候変動による干ばつや洪水は、砂糖の収穫量や価格にも影響します。砂糖は、店頭では安定した白い粉に見えますが、その背後には気候、労働、国際市場が揺れ動いています。

だからこそ、現代の砂糖を「悪い食べ物」とだけ見るのではなく、農業、貿易、健康、環境、労働の交点にある商品として見ることが大切です。

現地で見られる場所・資料

砂糖の世界史は、本やウェブ資料だけでなく、博物館や公文書館でも学ぶことができます。

  • London Museum Docklands:常設展示「London, Sugar & Slavery」で、ロンドン、砂糖、奴隷制の関係を学べます。
  • National Museums Liverpool:砂糖プランテーションや大西洋奴隷貿易に関する資料を公開しています。
  • British Museum:砂糖に関する5つの資料を通じて、ぜいたく品、芸術、奴隷制、社会運動との関係を紹介しています。
  • V&A:反奴隷制運動と砂糖不買運動を伝える砂糖壺などの資料があります。
  • Smithsonian National Museum of African American History and Culture:奴隷制と自由、抵抗、記憶に関する展示やオンライン資料を公開しています。

こうした資料を見ると、砂糖は単なる食材ではなく、物、港、船、労働、家庭、政治運動を結ぶ歴史資料であることが分かります。

砂糖の世界史をひとことで整理する

時代 砂糖の位置づけ 歴史のポイント
古代〜中世初期 貴重な甘味・薬・贈答品 砂糖きび栽培と結晶化技術がアジアで発展
イスラム世界の拡大 地中海へ広がる商品 農業・灌漑・商業ネットワークが製糖技術を西方へ伝える
中世ヨーロッパ 高級品・香辛料・薬 十字軍や地中海交易を通じて知られるが、庶民の日用品ではない
大航海時代 植民地商品 大西洋の島々、ブラジル、カリブ海で砂糖きび生産が拡大
17〜18世紀 奴隷制と結びついた大量商品 奴隷にされたアフリカの人々の労働が砂糖の安さを支える
18〜19世紀 大衆商品 紅茶、コーヒー、チョコレート、ジャム、菓子と結びつく
19世紀以降 甜菜糖と工業化 ヨーロッパでも砂糖生産が広がり、供給地が多様化
現代 農業・健康・環境・エネルギーの商品 ブラジル、インド、タイなどが主要生産国。バイオエタノールや健康問題とも関係

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砂糖は、紅茶、コーヒー、チョコレートと結びついて近代の消費文化を作りました。飲み物の歴史から世界史を見たい方は、コーヒーの世界史|一杯の飲み物が宗教・帝国・都市文化を動かしたもあわせて読むと、嗜好品、都市、植民地、労働のつながりがより立体的に見えてきます。

まとめ|一粒の砂糖から世界史を見る

砂糖は、ただ甘いだけの調味料ではありません。

砂糖きびはアジアからイスラム世界、地中海へ広がり、やがて大西洋の島々、ブラジル、カリブ海へ向かいました。中世ヨーロッパでは高級品だった砂糖は、植民地プランテーションと大西洋交易を通じて大量生産され、紅茶、コーヒー、チョコレートと結びつき、近代の消費文化を作りました。

しかし、その甘さの裏側には、奴隷にされた人々の労働、植民地支配、暴力、抵抗の歴史がありました。砂糖が安くなり、日用品になっていく過程は、人々の生活を変える一方で、遠く離れた生産地の不平等を見えにくくしました。

甜菜糖の登場は砂糖の地理を変え、現代の砂糖産業は農業、貿易、健康、環境、バイオエタノールと結びついています。砂糖を「悪いもの」と単純に決めつける必要はありません。しかし、砂糖をただの白い粉として見るだけでは、世界史の大きなつながりを見落としてしまいます。

一杯の紅茶、一杯のコーヒー、一口のチョコレート。その背景には、海を越えた交易、植民地、労働、技術、抵抗、消費文化の歴史があります。身近な食べ物から歴史を見ると、世界は急に立体的に見えてきます。

参考資料

  1. OECD-FAO Agricultural Outlook 2025-2034: Sugar
  2. British Museum, The story of sugar in 5 objects
  3. University of Oxford, How England became the Sweetshop of Europe
  4. London Museum Docklands, London, Sugar & Slavery
  5. National Museums Liverpool, Sugar plantations
  6. Smithsonian Searchable Museum, The Human Cost
  7. White House Historical Association, Sugar, Slavery, and the Washington China
  8. Victoria and Albert Museum, An anti-slavery sugar bowl
  9. European Commission, Sugar
  10. Sidney Mintz, Sugar
  11. Fondation Napoléon, The Continental System or Blockade
  12. Südzucker Group, History of sugar
  13. World Health Organization, Guideline: sugars intake for adults and children