日本のビールの歴史|キリン・アサヒ・サッポロ・サントリーから見る近代日本

日本のビールの誕生から現代までを、明治・大正昭和・現代の街歩き風に描いたイラスト

日本のビール史は、江戸時代の珍しい舶来品から始まり、横浜の外国人居留地、北海道の官営工場、大阪財界の企業化、大日本麦酒の成立、戦時統制、戦後分割、高度成長、酒税改正へと続きます。

キリン、アサヒ、サッポロ、サントリーの歩みを並べると、ビールが単なる飲料ではなく、開港、殖産興業、企業合同、技術革新、生活様式の変化を映した近代産業だったことが分かります。

この記事の結論

  • 日本にビールが存在した最古級の記録は1613年、日本人が味を書き残した早い記録は1724年です。
  • 1869年のジャパン・ヨコハマ・ブルワリーは日本最初期の醸造所、1870年のスプリング・バレー・ブルワリーは継続的な商業醸造の先駆けです。
  • サッポロは北海道開拓、キリンは横浜居留地、アサヒは大阪財界、サントリーは洋酒事業から生まれました。
  • 1901年の麦酒税は中小醸造所の淘汰を加速させ、1906年の大日本麦酒成立へつながりました。
  • 1949年の分割から現在のアサヒ系とサッポロ系が生まれ、キリンは別系統、サントリーは1963年に本格参入しました。
  • 発泡酒、新ジャンル、クラフトビールは、酒税と製造免許制度が商品と市場を動かした歴史です。

「日本初のビール」は何を最初とするかで変わる

「日本初」は、輸入記録、飲用記録、国内での試醸、醸造所の開設、継続的な商業醸造、日本人による製造、官営工場のどれを基準にするかで異なります。

「最初」の意味主な出来事年代
日本にビールが存在した最古級の記録平戸に入港したイギリス船クローブ号の積荷にビール1613年
日本人が味を書いた早い記録『和蘭問答』に「ビイル」を飲んだ感想1724年
日本国内での醸造の試み出島のオランダ商館長ドゥーフが醸造を試みる1812年
日本人による試醸蘭学者・川本幸民が蘭書をもとに試醸したとされる1853年
日本最初期のビール醸造所横浜山手にジャパン・ヨコハマ・ブルワリーが開設1869年
継続的な商業醸造コープランドがスプリング・バレー・ブルワリーを開設1870年
日本人による本格的な醸造・販売渋谷庄三郎が大阪で醸造・販売1872年
官営の近代醸造所札幌の開拓使麦酒醸造所が開業1876年

出典:キリン歴史ミュージアム、ビール酒造組合、サッポロビール公式沿革。

日本ビール史を年表でつかむ

出来事歴史的な意味
1613年平戸に来航したイギリス船の積荷にビール日本における最古級の記録
1724年『和蘭問答』に飲用の感想日本人が味を書いた早い記録
1812年出島でドゥーフが醸造を試みる国内試醸の早い例
1853年川本幸民が試醸したとされる日本人による試醸
1869年ジャパン・ヨコハマ・ブルワリー開設横浜に醸造所が生まれる
1870年スプリング・バレー・ブルワリー開設継続的な商業醸造
1872年渋谷庄三郎が大阪で醸造・販売日本人による本格的な事業
1876年開拓使麦酒醸造所開業北海道開拓と官営事業
1888年キリンビール発売横浜の醸造所が全国ブランドへ
1890年恵比寿ビール発売工場・駅・地名を結ぶ都市史へ
1892年アサヒビール発売大阪財界による近代企業化
1901年麦酒税法施行中小醸造所の淘汰と大資本化
1906年大日本麦酒成立札幌・日本・大阪麦酒が合同
1943年商標表示を停止戦時統制でブランド競争が消える
1949年大日本麦酒を二社へ分割アサヒ系とサッポロ系が成立
1958年日本初の缶ビール発売家庭・行楽地への流通が拡大
1963年サントリーがビール事業へ本格参入4大メーカー時代の基盤
1987年アサヒスーパードライ発売ドライ戦争と市場再編
1994年最低製造数量を2,000klから60klへ緩和地ビール・クラフトビールの拡大
2026年10月ビール系飲料の酒税一本化予定ビール・発泡酒・新ジャンルの税率差を解消

江戸時代、日本人はビールをどう見たのか

1613年、平戸に入港したイギリス船クローブ号の積荷リストにビールが記されました。日本人の飲用感想が残る早い例は、1724年の『和蘭問答』です。オランダ人から勧められた「ビイル」を口にした感想は、当時の日本人にとって麦の酒がなじみの薄い味だったことを伝えています。

1812年には、長崎・出島のオランダ商館長ヘンドリック・ドゥーフが、日本国内で醸造を試みたとされます。1853年には蘭学者・川本幸民がオランダ語資料を手掛かりに試醸しました。輸入品として知る段階から、国内で製法を再現する段階へ移ったのです。

幕末の海外使節や留学生も船上や渡航先でビールに接しました。開国前後の海外経験については、幕末・明治の海外使節団の歴史でも詳しく解説しています。

開港後の横浜で商業醸造が始まった

1859年の横浜開港後、外国人居留地には商館、ホテル、西洋料理店、パン店が集まりました。輸入ビールは長い航海で品質が落ちやすく、運賃も価格へ上乗せされます。居留外国人の需要を満たすため、横浜で醸造所が造られました。

1869年、横浜山手46番地にジャパン・ヨコハマ・ブルワリーが開設されます。1870年にはウィリアム・コープランドが山手123番地にスプリング・バレー・ブルワリーを開きました。後者は横浜だけでなく東京、長崎、函館へ出荷し、海外へ輸出した例もあります。

コープランドの事業は経営難で終わりましたが、土地と設備は1885年設立のジャパン・ブルワリー・カンパニーへつながりました。開港都市で生まれた商業網と外国技術が、後のキリンを育てます。横浜居留地の貿易実務と商社の発展は、総合商社の歴史と重なる部分があります。

4大メーカーは生まれた場所と事業モデルが違う

会社源流地域出発点主な転機
サッポロ開拓使麦酒醸造所札幌北海道開拓と官営事業1876年の醸造所開業
キリンスプリング・バレー、ジャパン・ブルワリー横浜外国人居留地、貿易、外国技術1888年キリンビール発売
アサヒ大阪麦酒会社大阪・吹田大阪財界と民間工業化1892年発売、1987年スーパードライ
サントリー鳥井商店・寿屋の洋酒事業大阪、東京・武蔵野洋酒文化からの後発参入1963年参入、プレミアム市場で成長

4大メーカーの系譜

開拓使麦酒醸造所 → 札幌麦酒 ┐

日本麦酒・恵比寿ビール ─┼→ 大日本麦酒 → 朝日麦酒/日本麦酒 → アサヒ/サッポロ

大阪麦酒・アサヒビール

スプリング・バレー → ジャパン・ブルワリー → 麒麟麦酒

鳥井商店 → 寿屋 → サントリー → 1963年ビール事業へ本格参入

サッポロ――北海道開拓の官営事業から始まった

サッポロビールの源流は、1876年に札幌で開業した開拓使麦酒醸造所です。明治政府は北海道で農業、鉱山、鉄道などの開発を進め、冷涼な気候を生かした大麦とホップの生産、ビールの国産化を計画しました。

醸造を担った中川清兵衛はドイツで技術を学び、村橋久成は低温発酵に必要な気候や氷の確保を考えて札幌での建設を進めました。工場は原料農業、瓶、木箱、倉庫、鉄道、販売店を結ぶ産業の核になりました。

官営工場が技術を導入し、民間企業へ引き継がれる流れは、明治の殖産興業に共通します。工場、鉄道、港、都市のつながりは、近代化産業遺産の解説日本の産業技術史でもたどれます。

札幌の旧ビール工場を活用したサッポロビール博物館の赤煉瓦外観
サッポロビール博物館の赤煉瓦外観、2019年5月31日。撮影:Adam Jones/Wikimedia Commons/CC BY-SA 2.0。

出典:サッポロビール公式沿革、サッポロホールディングス公式社史。

キリン――横浜居留地の醸造所が全国ブランドへ育った

コープランドのスプリング・バレー・ブルワリーは経営難で閉じましたが、その土地と設備を基礎に1885年、ジャパン・ブルワリー・カンパニーが設立されました。1888年に「キリンビール」を発売し、麒麟の商標とドイツ風ラガーを全国へ広げます。

三菱の第2代社長・岩崎弥之助は日本人株主として参加しました。1907年に麒麟麦酒株式会社が設立される際にも、三菱系の資本と人脈が役割を果たしました。キリンは1906年の大日本麦酒合同へ加わらず、独立系の大手として競争を続けます。

男性がグラスでビールを飲む1929年のキリンビール広告ポスター
キリンビール広告ポスター、1929年。作:多田北烏/Wikimedia Commons/パブリックドメイン。

出典:キリンホールディングス公式沿革、キリン歴史ミュージアム。

アサヒとヱビス――大阪と東京で民間企業が育った

アサヒの源流は1889年設立の大阪麦酒会社です。大阪財界の出資を集め、吹田村に近代的な醸造所を建設し、1892年にアサヒビールを発売しました。吹田は水に恵まれ、大阪の消費市場と鉄道輸送へ接続しやすい立地でした。

東京では1887年に日本麦酒醸造会社が設立され、1890年に恵比寿ビールを発売しました。工場への貨物輸送のため1901年に恵比寿停車場が設けられ、商品名が駅名、地名へ広がりました。企業と交通が都市名を生んだ珍しい例です。

北海道の官営事業、横浜の国際商業、大阪と東京の民間資本という三つの経路が、明治のビール産業を形づくりました。

瓶と吹田工場を描いた1906年の大阪麦酒アサヒビール広告
大阪麦酒株式会社のアサヒビール広告、1906年。Wikimedia Commons/パブリックドメイン。

出典:アサヒグループホールディングス公式沿革、サッポロビール「ヱビス ブランドヒストリー」。

1901年の麦酒税が業界再編を加速させた

明治期には各地で醸造所が開業し、1900年までに全国で100社以上が造られたとされます。1901年に麦酒税法が施行されると、資金力の乏しい中小企業へ税負担が重くのしかかりました。キリン歴史ミュージアムの整理では、1901年末に残った会社は23社です。

輸入関税の引き上げは国産ビールを有利にしましたが、国内市場では設備投資、税負担、販売網を支えられる大資本が優位になります。中小醸造所の減少と大手への集約は、1906年の企業合同へつながりました。

1906年、札幌麦酒、日本麦酒、大阪麦酒が合同し、大日本麦酒株式会社が成立します。キリンは合同に加わらず、別会社として残りました。

大日本麦酒の統合と戦後分割

札幌麦酒 + 日本麦酒(恵比寿)+ 大阪麦酒(アサヒ)

1906年 大日本麦酒

1949年 朝日麦酒と日本麦酒へ分割

朝日麦酒 → 現在のアサヒ系

日本麦酒 → 現在のサッポロ系

麒麟麦酒は別系統として存続

サッポロ・エビス・アサヒなどを含む1906年の大日本麦酒商標一覧
大日本麦酒株式会社の商標一覧、1906年6月。Wikimedia Commons/パブリックドメイン。

戦時統制でブランド名が消えた

1930年代後半から戦争が長期化すると、原料、燃料、瓶、王冠、輸送力が不足し、ビール会社は統制経済へ組み込まれました。価格、生産量、原料配分が管理され、自由な商品開発と販売競争は縮小します。

1943年には各社の商標表示が停止され、ラベルは「麦酒」「ビール」などの表示へ統一されました。ブランド名で商品を選ぶ市場から、配給と統制を前提にした市場へ変わったのです。工場は軍需生産への転用や空襲被害にも直面しました。

1949年の分割からアサヒとサッポロが生まれた

敗戦後、過度経済力集中排除法による企業再編が進み、大日本麦酒は1949年に朝日麦酒と日本麦酒へ分割されました。工場、販売地域、人員、資産を分け、二社が競争する市場へ移行します。

朝日麦酒は現在のアサヒ系です。日本麦酒は当初ニッポンビールを販売し、1956年にサッポロブランドを復活、1964年に社名もサッポロビールへ変更しました。現在競合するアサヒ、サッポロ、ヱビスの源流が戦前に同じ会社へ入っていた理由は、この統合と分割にあります。

冷蔵庫・缶・テレビがビールを家庭へ運んだ

高度経済成長期には所得と都市人口が増え、電気冷蔵庫とテレビが家庭へ普及しました。店やビヤホールで飲む比重が高かったビールを、家庭で冷やして夕食とともに飲む条件が整います。

1958年、朝日麦酒は日本初の缶入りビール「アサヒゴールド」を発売しました。初期の缶は缶切りで開ける方式でしたが、軽く持ち運べる容器はスーパー、自動販売機、行楽地、家庭の冷蔵庫と相性が良く、流通範囲を広げました。

テレビCMは夏、仕事の後、家族、仲間、スポーツとビールを結びつけました。冷蔵庫が保存と温度管理を変え、缶が流通を変え、広告が飲む場面を提示したことで、ビールは大量消費社会の日常品へ入りました。家庭電化の背景は日本の電力・発電史でも解説しています。

スーパードライとサントリーが競争軸を変えた

戦後の市場では長くキリンが強い地位を占め、アサヒは低迷していました。アサヒは消費者調査をもとに、すっきりして食事に合う味を開発し、1987年3月にアサヒスーパードライを発売します。

「辛口」「キレ」「ドライ」という表現は新しい味覚の基準として広がり、他社もドライ系商品を投入しました。ドライ戦争は、ブランドの序列と商品開発の方向を大きく変えました。

サントリーの源流は1899年創業の鳥井商店です。洋酒を主力としていた寿屋は、1963年に武蔵野ビール工場を完成させ、「サントリービール」を発売しました。後発のため長く苦戦しましたが、1986年のモルツ、2003年のザ・プレミアム・モルツを経て、プレミアムビール市場で存在感を高めました。

サントリーの前身である鳥井商店を創業した鳥井信治郎の肖像
鳥井信治郎、1946年以前。撮影者不詳/Wikimedia Commons/パブリックドメイン。

出典:アサヒグループホールディングス、サントリーホールディングス公式沿革。

発泡酒と新ジャンル――酒税が商品設計を変えた

日本の酒税法は、原料や製法によって酒類を分類し、税率を定めています。ビールの税負担が高かった時期、メーカーは麦芽使用割合を抑え、低い税率を活用できる発泡酒を開発しました。

発泡酒市場が拡大すると税率が見直され、メーカーは麦芽を使わない商品や、別の酒類を組み合わせた商品を開発しました。一般に「第三のビール」「新ジャンル」と呼ばれた商品です。税率差が原料、製法、価格、広告を動かした、日本市場の特徴が表れています。

区分商品設計の特徴制度との関係
ビール酒税法上の原料・製法条件を満たす長くビール系飲料で高い税率
発泡酒麦芽比率や原料条件がビールと異なる税率差を活用して市場拡大
新ジャンル麦芽を使わないタイプなど発泡酒の税率改正後に開発が進む
2026年10月予定ビール系飲料の税率を統一350ml当たり54.25円へ一本化

財務省は、2026年10月にビール系飲料の税率を1キロリットル当たり15万5,000円、350ミリリットル換算54.25円へ一本化するとしています。

出典:財務省「酒税に関する資料」、国税庁・東京国税局資料。

1994年の規制緩和がクラフトビールを生んだ

ビールの製造免許には、長く年間2,000キロリットルという高い最低製造数量基準がありました。大規模設備と全国販売を前提にした基準で、小規模事業者には参入が難しい制度でした。

1994年4月、最低製造数量が60キロリットルへ引き下げられます。国税庁資料では、ビールの製造場は1994年度の6場から増加し、2003年度には337場に達しました。各地の観光施設、農産物、地域ブランドと結びついた「地ビール」が生まれ、品質とスタイルを重視するクラフトビール市場へ発展します。

大手中心の産業構造を作った1901年の麦酒税と、小規模参入を可能にした1994年の免許緩和は、逆方向の制度変化です。日本ビール史では、税と免許が企業数や商品種類を変えてきました。

出典:国税庁・税務大学校「酒類の製造免許における最低製造数量基準の在り方について」。

歴史散歩で訪ねたいビール史の場所

  • 札幌:サッポロビール博物館周辺では、開拓使と官営事業、赤れんがの工場景観をたどれます。
  • 横浜・山手:外国人居留地と醸造所跡から、開港都市で育った商業醸造の歴史をたどれます。
  • 大阪・吹田:大阪麦酒と吹田村醸造所から、大阪財界と近代工業の歴史をたどれます。
  • 東京・恵比寿:商品名が貨物駅、駅名、地名へ広がった都市史をたどれます。
  • 東京・武蔵野:サントリーの後発参入と戦後市場の拡大をたどれます。

よくある質問

日本で最初にビールを造ったのは誰ですか?

国内試醸の早い例として1812年の出島商館長ドゥーフ、日本人による試醸として1853年の川本幸民が挙げられます。醸造所では1869年のジャパン・ヨコハマ・ブルワリー、継続的な商業醸造では1870年のコープランドが重要です。

日本のビール発祥の地は横浜ですか、札幌ですか?

横浜は外国人居留地を背景に商業醸造が育った場所、札幌は政府の官営事業として近代醸造所が造られた場所です。横浜は民間商業、札幌は国家主導という違いがあります。

日本の4大ビールメーカーはどこですか?

一般にキリン、アサヒ、サッポロ、サントリーを指します。オリオンビールも大手5社で構成されるビール酒造組合の一社で、沖縄の歴史と市場に重要な位置を占めます。

大日本麦酒とは何ですか?

1906年に札幌麦酒、日本麦酒、大阪麦酒が合同して成立した巨大ビール会社です。現在のサッポロ、ヱビス、アサヒの源流が同じ会社へ入りました。

アサヒとサッポロは同じ会社だったのですか?

戦前は大日本麦酒の事業に含まれていました。1949年に朝日麦酒と日本麦酒へ分割され、現在のアサヒ系とサッポロ系へつながりました。

発泡酒と第三のビールはなぜ生まれたのですか?

ビールより低い税率を活用し、価格を抑える商品を作るためです。税率改正に合わせて原料や製法が変化し、発泡酒と新ジャンルが発達しました。

地ビールとクラフトビールは同じですか?

地ビールは1994年の規制緩和後、地域振興や観光と結びついた呼び方として広がりました。クラフトビールは小規模性だけでなく、造り手の技術、個性、ビアスタイルを重視する呼び方です。実際の商品では両者が重なる例が多くあります。

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まとめ ビール史から近代日本の仕組みが見える

日本のビール産業は、横浜の国際商業、北海道の官営事業、大阪と東京の民間資本から始まりました。麦酒税が企業集約を進め、大日本麦酒が成立し、戦時統制でブランドが消え、戦後分割で現在の競争構造が生まれました。

戦後は冷蔵庫、缶、テレビがビールを家庭へ運び、酒税と製造免許の改正が発泡酒、新ジャンル、クラフトビールを生みました。札幌、横浜、吹田、恵比寿、武蔵野を歩くと、工場、鉄道、地名、赤れんが建築の中に、その歴史が残っています。

お酒は20歳になってから。酒類の歴史と文化を扱う解説記事です。20歳未満の飲酒と飲酒運転は法律で禁止されています。

編集方針・更新履歴

  • 2026年6月:初版作成
  • 2026年7月:公式資料による年号再照合、FAQ、比較表、近接出典、内部リンクを追加
  • 2026年7月:初期記録、麦酒税、企業系譜、生活史、クラフトビール史を全面改訂

アイキャッチ画像は、当時の様子を撮影した歴史写真ではなく、記事内容を視覚化した編集用イラストです。

参考文献・公式資料

  1. キリン歴史ミュージアム「日本のビールの歴史年表・幕末まで」
  2. キリン歴史ミュージアム「1869年 横浜に日本初のビール醸造所」
  3. キリン歴史ミュージアム「1870年 スプリングバレー・ブルワリー開設」
  4. キリン歴史ミュージアム「麦酒税の導入で中小ビール会社が淘汰」
  5. ビール酒造組合「ビールの歴史」
  6. サッポロビール「1876 Kaitakushi Brewery opens」
  7. サッポロビール「ヱビス ブランドヒストリー」
  8. キリンホールディングス「Company History 1885–1949」
  9. アサヒグループホールディングス「歴史・沿革」
  10. アサヒグループホールディングス「缶ビールの歴史」
  11. サントリーホールディングス「サントリーの歴史」
  12. 財務省「酒税に関する資料」
  13. 東京国税局「ビール・発泡酒に関するもの」
  14. 税務大学校「酒類の製造免許における最低製造数量基準」