「ため口」は、いまでは日常的に使われる言葉です。年上の人に敬語を使わずに話したとき、「ため口をきく」と表現することがあります。辞書をたどると、この語は昭和後期の若者文化と深く結びついていました。
精選版『日本国語大辞典』が掲げる早い用例は、前原大輔『バンカク』の「スケバン日記」に見える1973年の「タメ口」です。デジタル大辞泉は、1960年代に不良少年の隠語として始まり、1980年代に一般へ広まったと説明しています。
語源として広く知られるのが、さいころ賭博の「同目(ぞろ目)」に結び付ける説です。ただし、『日本国語大辞典』はこの説明を「一説」として扱っています。辞書の記述と実際の活字用例を分けて見ると、「ため口」という語が広がった過程と、語源説の確かさを別々に考える必要があります。
1973年の「タメ口」――確認できる早い活字例
精選版『日本国語大辞典』の「ため口」には、1973年の『バンカク』から実例が採られています。「三年坊」が相手に最初から対等な口のきき方をした場面で、「タメ口」に「対等に口をきく」という説明が添えられています。
『バンカク』は前原大輔による当時の非行少年・少女文化を扱った本です。日国友の会の別語の用例記録でも、同書は1973年7月10日刊として確認されています。付録の「スケバン日記」には、当時の若者の俗語が数多く記録されていました。
この1973年の例は、現在の辞書が採用する早い実例です。会話の中ではそれ以前から使われていた可能性があります。デジタル大辞泉が「1960年代に不良少年の隠語として始まった」と説明しているため、活字に現れる前の口頭使用を想定した記述と考えられます。
「タメ」は「同じ」「対等」を表した
「ため口」の前半にある「ため」は、俗語として「同等」「対等」を表します。相手と同じ立場に立つ感覚が、「対等な話し方」という「ため口」の意味につながっています。
1980年刊『現代用語の基礎知識』には、若者用語として「ためぐちをきく」が掲載されました。兵庫県立図書館の調査記録によると、そこでは「対等な言葉づかいをする」と説明され、「ため」は「同じ」という意味、同い年は「ためどし」とされています。
少なくとも1980年には、「ため口」「ため」「ためどし」が同じ意味領域の若者語として整理されていました。年齢が同じ相手を「タメ」と呼ぶ用法も、ここから確認できます。
有名な語源説は、さいころ賭博の「ぞろ目」
「ため」の語源として最もよく紹介されるのが、さいころ賭博の同目、すなわち二つのさいころで同じ目が出る「ぞろ目」に由来するという説です。同じ目が並ぶことから「五分五分」、さらに「同等」「対等」「同年」へ意味が広がったと説明されます。
宮城県図書館のレファレンス事例では、米川明彦編『日本俗語大辞典』を根拠に、「ため」は博打用語の同目を指し、「五分五分」から「対等」「同年」へ意味が移ったと紹介しています。
一方、宇都宮市立図書館が『日本国語大辞典』を確認した調査では、「ため」は俗に同等・対等を表す語とされ、賭博用語の同目に由来する説明には「一説に」と付されています。国語辞典の扱いでは、賭博説は有力な説明の一つとして位置付けられています。
2000年の図書館調査では語源が未確認だった
語源説の扱いを考えるうえで興味深い記録があります。新潟県立図書館が2000年に行ったレファレンス調査では、『若者ことば辞典』『広辞苑』第5版、『現代用語の基礎知識』1981年版・1982年版・2000年版などを調べた結果、「ため口」の語源は未確認と記録されています。
その5年後、宮城県図書館の調査では、2003年刊『日本俗語大辞典』を根拠に博打語源説が紹介されました。現在は検索すると博打説が広く見つかりますが、少なくとも2000年時点の図書館調査では、主要な手元資料から語源を特定するところまで至っていませんでした。
この時間差は、博打説が誤りだという証拠ではなく、資料上の扱いに濃淡があることを表します。語源を紹介するときは、「博打語の同目に由来する説がある」と書く形が、辞書の記述に合っています。
1960年代の不良少年語から1980年代の一般語へ
デジタル大辞泉は、「ため口」が1960年代に不良少年の隠語として始まり、1980年代には一般に広まったとしています。1973年の『バンカク』に実例があり、1980年の『現代用語の基礎知識』では若者用語として説明されています。少なくとも1970年代には活字例があり、1980年には解説を伴って紹介される語になっていました。
『現代用語の基礎知識』が「ため=同じ」「同い年=ためどし」と説明しているため、年齢の一致と対等な話し方は同時期の若者語の中で近い位置にありました。学校や先輩・後輩関係を普及経路として特定するには、別の史料が必要です。
「ため口」と敬語はどう違うのか
現代の「ため口」は、敬語を使わないくだけた話し方を指すことが多くなっています。文化庁の敬語分類では、尊敬語、謙譲語I、謙譲語II、丁寧語、美化語が整理され、「です」「ます」は話し相手への丁寧さを示す丁寧語に含まれます。
ため口は、こうした敬語体系の専門用語というより、話し手と相手の関係を「対等」に置く話し方を指す俗称として使われています。語尾を「です・ます」から普通体へ変えることだけでなく、呼び方、語彙、距離感まで含めて「ため口」と受け取られる場合があります。
文化庁の国語審議会でも、ため口は「友達言葉」に近いものとして取り上げられています。年上・年下、上司・部下といった関係で本来期待される丁寧さを外し、同じ立場の友人のように話すとき、「ため口」という表現が使われるという整理です。
「お駄賃」が語源という別説もある
インターネット上では、江戸時代の大坂で丁稚などに与える「お駄賃」を「ため」と呼び、目下の者へのぞんざいな話し方から「ため口」が生まれたという説も紹介されています。
語源由来辞典は、お駄賃説では現在の「ため口」と立場が逆になり、「ため」「ため年」との関係も説明しにくいとして俗説扱いしています。今回確認した国語辞典や図書館のレファレンス資料でも、主要な語源説明は博打の同目に結び付ける説でした。
博打説を古い一次資料の連続した用例で追う作業には、なお課題が残ります。確認できる事実は、「ため」が同等・対等を表す俗語として辞書に載ること、「ため口」が1973年の実例を持つこと、1980年には若者用語として解説されていることです。
「タメ口」から「ため口」へ――表記は併存している
1973年の実例では「タメ口」とカタカナで書かれています。現在の辞書見出しでは「ため口」という表記も一般的です。一方、「タメ」「タメ年」のようにカタカナで書かれる例も残っています。
表記の歴史は、「タメ口」から「ため口」へ一方向に交代した形より、カタカナとひらがなが併存する形で捉えるのが適切です。辞書の見出しと実際の文章表記には、同じ時代でも揺れがあります。
参考資料
- コトバンク「ため口」(デジタル大辞泉、精選版 日本国語大辞典)
- レファレンス協同データベース「『ため口』ということばの語源を知りたい。」(宮城県図書館)
- レファレンス協同データベース「ヤクザ言葉で『対等な仲間』を意味する言葉は何か」(宇都宮市立図書館)
- レファレンス協同データベース「タメ口の意味」(兵庫県立図書館)
- レファレンス協同データベース「『ため口』の語源を知りたい。」(新潟県立図書館)
- 文化庁「第22期国語審議会 第4回総会 議事要録」
- 語源由来辞典「タメ口/ためぐち」

