災害が法律を変えた|日本の自然災害と防災制度の歴史

1923年の関東大震災後に東京駅前へ集まった避難者

日本の防災制度は、地震、台風、津波、噴火、土石流のたびに明らかになった課題を受け、法律、建築基準、保険、避難計画、生活再建支援を積み重ねてきました。

現在の避難所、防災計画、地震保険、新耐震基準、ハザードマップも、過去の被害と制度改正の積み重ねから生まれています。

1923年の関東大震災後に東京駅前へ集まった避難者
関東大震災後、東京駅前に集まった避難者。撮影者不詳/Wikimedia Commons/Public domain

災害と法律の年表

災害主な法律・制度変わったこと
1891年濃尾地震のうびじしん震災予防調査会しんさいよぼうちょうさかい地震の科学的調査と耐震研究が国の事業になった
1923年関東大震災建築法令の耐震規定、東京帝国大学地震研究所都市建築と地震研究が強化された
1946年南海地震1947年・災害救助法救助を全国共通の制度として位置付けた
1947年カスリーン台風など1949年・水防法洪水時の水防活動と責任を体系化した
1948年福井地震1950年・建築基準法全国共通の建築基準が整えられた
1959年伊勢湾台風いせわんたいふう1961年・災害対策基本法予防、応急、復旧を一体化し、国と自治体の役割を定めた
1964年新潟地震1966年・地震保険制度政府と民間保険会社が共同で地震損害を支える仕組みができた
1978年宮城県沖地震1981年・新耐震基準大地震時の建物倒壊を防ぐ基準が強化された
1995年阪神・淡路大震災災害対策基本法改正、耐震改修促進法、被災者生活再建支援法初動、広域応援、既存建物の耐震化、生活再建支援が進んだ
2011年東日本大震災津波防災地域づくり法、災害対策基本法改正、大規模災害復興法津波避難、広域災害、復興手続が強化された
2014年御嶽山おんたけさん噴火2015年・活動火山対策特別措置法改正登山者を含む警戒避難体制が整えられた
2021年熱海土石流2022年・盛土もりど規制法土地用途を問わず危険な盛土を包括的に規制した
2024年能登半島のとはんとう地震2025年・災害対策基本法等改正福祉支援、広域避難、民間団体との連携、防災DXが強化された

年表には、法律に加えて政令、建築基準、研究機関、保険制度も含めています。災害対策は、被害を防ぐ研究と規制、発災直後の避難と救助、住宅と生活の再建、地域の復興までを連続して扱います。

近代以前から近代科学へ

江戸時代までの災害対応は、幕府や藩による救米、施粥せがゆ普請ふしん年貢ねんぐ減免げんめん、寺社や町による相互扶助そうごふじょが中心でした。大火、地震、飢饉の記録は数多く残り、鴨長明かものちょうめいの『方丈記』にも、安元あんげんの大火、治承じしょう辻風つじかぜ福原遷都ふくはらせんと養和ようわ飢饉ききん元暦げんりゃくの地震が描かれています。

中世京都の災害記録は、災害が相次いだ中世京都を描く『方丈記』にも残っています。

災害の原因を信仰や伝承の中で理解する文化もありました。鹿島神宮かしまじんぐう香取神宮かとりじんぐう要石かなめいしは、大地震を起こす大鯰おおなまずを地中に押さえる石として語られました。

地震を封じる要石と大鯰の信仰は、近世の地震文化を伝える例です。

明治政府の成立後、災害対応は中央政府、府県、警察、軍、医療機関を動員する行政課題となります。さらに、地震や気象を観測し、建物や堤防の設計へ反映する近代科学が制度の中へ入っていきました。

濃尾地震と地震研究

1891年10月28日、岐阜県と愛知県を中心に濃尾地震のうびじしんが発生しました。推定マグニチュード8.0の内陸地震で、死者は7,000人を超え、家屋や橋、鉄道、堤防に大きな被害が出ました。

政府は翌1892年、文部省に震災予防調査会しんさいよぼうちょうさかいを設置しました。地震の原因、地質、建築物の被害、耐震構造を継続的に調べる組織です。

地震後の救援だけでなく、次の地震による被害を研究で減らすという考え方が、国の制度として動き始めました。地震断層の調査や耐震建築の研究は、その後の地震学と建築行政の基礎になります。

関東大震災と耐震化

1923年9月1日の関東大震災では、建物倒壊に加えて大規模な火災が東京と横浜を襲いました。木造住宅が密集した市街地、昼食時の火気、断水、避難場所の不足が被害を拡大させました。

震災後の1924年、市街地建築物法の関係規則に、建物の構造計算で地震の力を考慮する耐震規定が導入されました。現在の建築基準法につながる、法令上の耐震設計の出発点です。

1925年には東京帝国大学地震研究所が設立されました。地震と火山を科学的に研究し、災害軽減へつなげる常設研究機関です。

東京では土地区画整理、道路、公園、橋梁きょうりょうなどを組み合わせた帝都復興事業も進められました。公園や広幅員道路には、都市機能の整備とともに延焼えんしょうを抑え、避難空間を確保する役割が与えられました。

関東大震災の記憶を伝える東京都復興記念館と横網町公園には、震災と復興の資料が残されています。

戦後の救助・水防・建築

終戦直後の日本では、大規模災害が相次ぎました。1946年の南海地震を契機として、1947年に災害救助法が制定されます。避難所、炊き出し、応急仮設住宅、医療など、被災者救助を都道府県が実施し、国が支える枠組みが整えられました。

1947年のカスリーン台風をはじめとする水害の多発を受け、1949年には水防法が制定されました。河川の増水や洪水に対する監視、警戒、水防活動を、国、自治体、水防管理団体の制度として位置付けました。

1948年の福井地震後、1950年に建築基準法が制定されました。戦前の市街地建築物法に代わり、建物の敷地、構造、設備、用途について全国共通の最低基準を定める法律です。

救助、水防、建築という分野ごとの基本制度が整う一方、防災行政全体を統括する法律は未整備でした。

伊勢湾台風と基本法

1959年9月26日、伊勢湾台風いせわんたいふうが東海地方を襲いました。高潮と堤防決壊により、死者・行方不明者は5,098人に達しました。被害は愛知県と三重県の低平地ていへいちに集中し、流木が家屋を破壊して被害を広げました。

当時の防災関係法令は分野ごとに分かれ、各機関の責任や総合調整の仕組みも不十分でした。政府は伊勢湾台風の経験を踏まえ、1961年に災害対策基本法を制定します。

同法は、防災を災害後の救助に限らず、予防、応急対策、復旧・復興まで続く行政活動として体系化しました。国、都道府県、市町村、指定公共機関の責務を定め、中央防災会議、防災基本計画、地域防災計画、災害対策本部などの仕組みを置きました。

現在の日本の防災行政は、この法律を骨格としています。災害が起きてから対応する制度から、平時の備えを含む制度へ移った転換点でした。

新潟地震と地震保険

1964年の新潟地震では、鉄筋コンクリート建物の転倒、石油タンク火災、地盤の液状化えきじょうかが大きな問題になりました。住宅や家財の損害も広がりました。通常の火災保険では、地震、噴火、津波による損害は原則として補償の対象外です。

1966年、地震保険に関する法律が施行されました。巨大地震では民間保険会社だけで損害を引き受けきれないため、政府が再保険さいほけんを通じて責任を分担する仕組みです。

地震保険は単独では契約できず、火災保険に付帯します。対象は居住用建物と家財で、被災後の生活安定を目的とするため、火災保険金額に対する契約限度も設けられています。

災害後の公的救助とは別に、家計が自ら備える保険へ政府が関与する制度が成立しました。

宮城県沖地震と新耐震

1978年の宮城県沖地震では、仙台市を中心に建物倒壊、ブロック塀の崩壊、ライフライン被害が発生しました。都市化が進んだ地域で起きた地震は、建築基準の再検討を促しました。

1981年6月、建築基準法施行令の改正による新耐震基準が施行されました。中規模の地震では建物をほとんど損傷させず、大規模な地震では倒壊・崩壊による人命被害を防ぐという考え方を採り、必要な耐震性能を強化しました。

中古住宅で「1981年6月1日」が重視されるのは、この日以後に建築確認を受けた建物へ新耐震基準が適用されたためです。ただし、建築年だけで実際の耐震性能が決まるものではなく、構造、施工、劣化、改修状況によっても差が生じます。

阪神・淡路大震災後の改革

1995年1月17日の阪神・淡路大震災では、6,000人を超える人が亡くなり、住宅、道路、鉄道、港湾が大きな被害を受けました。古い耐震基準で建てられた木造住宅や建築物の倒壊が多数の死傷者を生みました。

阪神・淡路大震災で被害を受けた神戸市東灘区の建物
阪神・淡路大震災で被害を受けた神戸市東灘区の建物。神戸市/Wikimedia Commons/CC BY 2.1 JP

震災後、災害対策基本法は同年に2度改正されました。緊急災害対策本部の体制、現地対策本部、自治体間の応援、交通規制、自衛隊派遣の要請などが強化されました。

同年には耐震改修促進法が制定され、既存建築物の耐震診断と耐震改修を進める制度が整えられました。新築時の基準だけでなく、すでに建っている建物をどう安全にするかが法政策の中心に入ります。

住宅を失った被災者への現金給付を求める動きも広がり、1998年に被災者生活再建支援法ひさいしゃせいかつさいけんしえんほうが成立しました。自然災害で生活基盤に著しい被害を受けた世帯へ支援金を支給する制度です。

阪神・淡路大震災は、施設の復旧だけでなく、被災者一人ひとりの住まいと生活をどう再建するかを防災法制の課題にしました。

東日本大震災後の改革

2011年3月11日の東日本大震災では、巨大地震と津波が東北地方の太平洋沿岸を襲い、自治体庁舎や防災拠点そのものが被災しました。被害は複数県に広がり、避難生活と復旧・復興も長期化しました。

2011年には津波防災地域づくり法が制定されました。津波浸水想定を基礎に、警戒区域、避難施設、土地利用、施設整備を組み合わせて地域全体の津波防災を進める制度です。

2012年と2013年には災害対策基本法が段階的に改正され、指定緊急避難場所と指定避難所の区別、住民の安否情報、被災者台帳、避難行動要支援者名簿、広域避難などが制度化されました。

2013年には大規模災害からの復興に関する法律が制定されました。大規模災害時の復興対策本部、復興基本方針、復興計画、土地利用の特例などを定め、災害発生後の復興手続をあらかじめ法律で準備しました。

東日本大震災後の改正は、避難所へ到着するまでの安全、避難生活を支える情報、自治体の区域を越えた避難、長期の復興を一続きの制度として扱いました。

御嶽山噴火と火山避難

2014年9月27日、御嶽山おんたけさんが噴火し、多くの登山者が山頂付近で被災しました。噴火時に山中にいる登山者や観光客へ情報を伝え、避難させる体制が課題になりました。

2015年、活動火山対策特別措置法が改正されました。国が火山災害警戒地域を指定し、自治体、気象台、火山専門家、警察、消防、観光関係者などで火山防災協議会を組織します。協議会で避難計画を検討し、自治体の地域防災計画へ反映する仕組みです。

集客施設や要配慮者利用施設には避難確保計画の作成や訓練が位置付けられました。登山者への情報提供、登山届、退避壕たいひごうなども火山防災の施策に組み込まれました。

熱海土石流と盛土規制

2021年7月、静岡県熱海市で大雨に伴う土石流が発生しました。起点付近にあった盛土もりどが崩落し、土砂が住宅地を襲いました。

従来の盛土規制は、宅地、農地、森林など土地の用途を所管する法律や条例に分かれ、規制が十分に及ばない区域がありました。

2022年、宅地造成等規制法が抜本的に改正され、宅地造成及び特定盛土等規制法、通称「盛土規制法」となりました。2023年に施行され、土地の用途を問わず、危険な盛土や土石の一時堆積いちじたいせきを規制区域内の許可対象としました。

工事主の責任、許可基準、中間検査、定期報告、完了検査、罰則も強化されました。土地利用ごとに分かれていた規制を、災害危険性を基準に横断する制度へ改めたものです。

能登半島地震後の改革

2024年1月1日の能登半島のとはんとう地震では、道路の寸断、集落の孤立、断水、避難所の生活環境、福祉支援、広域避難、災害関連死が大きな課題となりました。

この教訓を受け、2025年に災害対策基本法、災害救助法などの改正法が成立しました。災害救助の種類に福祉サービスの提供を位置付け、避難所だけでなく在宅避難者や車中泊避難者も含む支援体制を強化しました。

広域避難を円滑にする仕組み、被災者を支援する民間団体を登録する「被災者援護協力団体ひさいしゃえんごきょうりょくだんたい」、防災DX、備蓄情報の把握、インフラ復旧の迅速化も盛り込まれました。内閣府には、災害対応全般の司令塔として防災監が置かれました。

避難所へ物資を届ける制度から、避難者の健康、介護、生活環境を支える制度へ、防災法制の対象が広がりました。

二つの基本法の違い

災害対策基本法は、日本の防災行政全体の骨格を定めます。国や自治体の責務、防災会議、防災計画、災害対策本部、避難、応急対策、復旧などが対象です。

災害救助法は、大規模災害が発生した際に被災者へ行う救助を定めます。避難所、食料、飲料水、医療、応急仮設住宅、住宅の応急修理、福祉サービスなど、被災直後の生活を支える具体的な救助が中心です。

災害対策基本法が防災行政の設計図、災害救助法が被災者救助の実施制度に当たります。

法律・政令・計画の違い

災害後には、法律に加えて政令、基準、計画も変わります。

法律は、国会の議決で制定され、制度の目的、責任、権限、基本的な仕組みを定めます。政令や省令は、法律を実施するための詳細を定めます。1981年の新耐震基準は、主に建築基準法施行令などの改正によって実現しました。

防災基本計画は、災害対策基本法に基づいて中央防災会議が作成する国の基本計画です。都道府県と市町村は地域防災計画を作り、避難所、情報伝達、物資、医療、応援体制などを地域の実情に合わせて定めます。

研究機関の設置、保険制度、ハザードマップ、技術基準も、法律と組み合わさって被害を減らします。

防災法制が広げた支援

明治期の制度は、地震を観測し、耐震構造を研究するところから始まりました。戦後には救助、水防、建築の基本法が整い、伊勢湾台風後の災害対策基本法によって、予防から復旧までを統合する体制ができました。

阪神・淡路大震災後は、初動と広域応援、既存建築物の耐震化、被災者の生活再建が制度の中心に加わりました。東日本大震災後は、巨大津波、自治体機能の喪失、広域避難、長期復興への備えが強化されました。

近年の法改正は、火山を訪れる登山者、在宅避難者、車中泊避難者、福祉を必要とする人、民間支援団体まで対象を広げています。

災害と法律の歴史は、被害の記録であると同時に、前回の災害で救えなかった人を次の制度で支えるための改正史です。

東日本大震災後の政権対応:菅直人政権の震災・原発事故対応野田佳彦政権の復興・制度整備

参考文献

  1. 内閣府「報告書(1891 濃尾地震)」
  2. 東京大学地震研究所「地震研究所概要」
  3. 内閣府「令和5年版 防災白書 伊勢湾台風を契機とした総合的な防災体制の確立」
  4. 内閣府「平成25年版 防災白書」
  5. 内閣府「被災者生活再建支援法」
  6. 内閣府「令和6年版 防災白書 活動火山対策特別措置法と御嶽山噴火を踏まえた改正」
  7. 国土交通省「盛土規制法の概要」
  8. 内閣府「第217回国会で成立した内閣府所管法律の概要」
  9. 内閣府「災害対策基本法」
  10. 日本地震再保険株式会社「地震保険制度の概要」
  11. 国土交通省「住宅・建築物の耐震化について」
  12. e-Gov法令検索「災害救助法」
  13. e-Gov法令検索「災害対策基本法」