東京で「コリアンタウン」と聞くと、多くの人は新大久保を思い浮かべます。韓国料理、K-POP、コスメ、若者でにぎわう通り。たしかに新大久保は、現在の東京を代表するコリアンタウンです。
荒川区の三河島・日暮里周辺には、戦前・戦後の労働、工場、商店、学校、地域社会と結びついた生活型のコミュニティがありました。江東区の枝川には、移住、住宅、民族教育、地域形成の記憶が重なっています。
本記事の立場
在日コリアン集住地は、貧民窟・被差別部落・ドヤ街とは別の由来を持ちます。現在の地域は、多様な住民・事業者・来街者によって成り立っています。
最初に結論|東京のコリアンタウンは一種類ではない
新大久保、三河島、枝川は、いずれも朝鮮半島ルーツの人々と関係する地域ですが、形成された時代、街の性格、現在の見え方が大きく異なります。
| 地域 | 現在のイメージ | 歴史的な性格 | 形成の主な背景 |
|---|---|---|---|
| 新大久保・大久保 | 韓流、韓国料理、K-POP、コスメ、多国籍タウン | 観光型・商業型 | 外国人居住、韓国系ビジネス、韓流ブーム、多国籍化 |
| 三河島・日暮里・荒川区周辺 | 下町、生活圏、在日韓国・朝鮮人の地域社会 | 生活型・地域社会型 | 工業化、工場労働、職住近接、商店、学校、地域団体 |
| 枝川 | 湾岸部、朝鮮学校、地域形成の記憶 | 移住・住宅・教育の記憶が濃い地域 | 戦時期の移住、住宅、民族教育、地域社会 |
| 上野・御徒町・東上野周辺 | 戦後商業、アメ横、多国籍商業 | 補助線としての商業地 | 戦後闇市、駅前商業、移動と商売 |
東京の在日コリアン史を読むための短い年表
| 時期 | 主な出来事 | 街への影響 |
|---|---|---|
| 1910年以降 | 日本による朝鮮半島の植民地支配が進む | 進学、労働、生活のため日本へ移る人が増える |
| 1920〜30年代 | 東京の工業化、土木工事、工場労働が拡大 | 荒川区・江東区などの工業地域に朝鮮半島ルーツの労働者が集まる |
| 1923年 | 関東大震災と流言による殺傷事件 | 東京の在日コリアン史に残る重大な記憶となる |
| 1945年以降 | 敗戦、植民地支配の終わり、法制度の変化 | 帰国する人、残る人、生活基盤を再建する人が分かれる |
| 1990年代以降 | 大久保地区で外国人ビジネスと韓国系商業が拡大 | 新大久保が商業型コリアンタウンとして知られるようになる |
| 2000年代以降 | 韓流ブーム、K-POP、SNS、訪日観光の広がり | 新大久保は観光型の街として若者にも広く知られる |
用語を整理する|在日コリアン・韓国籍・朝鮮籍・特別永住者
「在日コリアン」は、朝鮮半島にルーツを持ち、日本で暮らしてきた人々を広く指す言葉です。ただし、国籍、世代、来日の時期、家庭の歴史、自己認識は人によって異なります。
行政統計では「国籍・地域」という表記が使われます。出入国在留管理庁の統計では、在留カード等の表記に応じて「韓国」と「朝鮮」が分けて計上されています。ここでいう「朝鮮」は、個々人の政治的立場や自己認識とは別の統計上の表記です。
また、在日コリアンの歴史を語るときに重要なのが「特別永住者」です。これは、戦前の日本の植民地支配と戦後処理、1952年のサンフランシスコ平和条約発効後の国籍・在留資格の変化などと関係する制度です。
なぜ朝鮮半島から東京へ人が来たのか
東京に朝鮮半島ルーツの人々が増えた背景には、日本による朝鮮半島の植民地支配、東京の工業化と都市労働、進学、生活のための移動、戦時期の動員などがありました。
移動の性格は、時期、地域、職種、制度によって異なりました。
関東大震災と朝鮮人虐殺の記憶
1923年の関東大震災後、流言が広がり、住民の自警団、軍隊、警察の一部による朝鮮人の殺傷事件が起きました。内閣府中央防災会議の報告書にも記録されています。
三河島・荒川区周辺|生活型の在日コリアン集住地
三河島・日暮里・荒川区周辺には、新大久保が観光地として知られる以前から、生活の場としての在日韓国・朝鮮人コミュニティがありました。
荒川区周辺は、近代以降、工場、鉄道、下町の職住近接型の生活と結びついて発展しました。研究では、日暮里・三河島地区に在日韓国・朝鮮人が多く居住し、工場労働、皮革関連産業、屑物業、商店、学校、教会、地域団体などが生活圏を形づくってきたことが指摘されています。
産業構造、住宅、世代交代によって、コミュニティの形も変わっています。
枝川|湾岸部に残る在日コリアン史の記憶
江東区枝川には、豊洲や有明など再開発が進む湾岸部の近くに、移住、住宅、民族教育、地域形成の記憶が残っています。
枝川の歴史を伝える資料としては、江東・在日朝鮮人の歴史を記録する会による『東京のコリアン・タウン:枝川物語』があります。同書は、枝川に暮らした人々の聞き書き、座談会、資料を通して、地域の形成と生活史を記録しています。
枝川では、東京の工業化、湾岸部の開発、戦時期の住宅、戦後の生活再建、民族教育が重なりました。現在は多様な住民が暮らしています。戦後の民族教育から生まれた朝鮮学校については、東京朝鮮中高級学校と文化祭「アンニョンハセヨ」の解説で詳しく紹介しています。
新大久保|韓流で観光地化した現代のコリアンタウン
新大久保は、東京で最もよく知られたコリアンタウンです。現在のような観光地になったのは比較的新しい時期です。
大久保・百人町周辺は、歌舞伎町に近く、都心への交通もよく、外国人が住み、働き、商売を始めやすい条件がありました。1990年代以降、韓国料理店、韓国食材店、韓国系の事業者が増え、2000年代の韓流ブーム、K-POP人気、SNSでの拡散によって、若者が訪れる商業型のコリアンタウンとして知られるようになります。
新大久保は多国籍な街でもあります。大久保周辺には、ネパール、ベトナム、中国、ミャンマー、イスラム圏など、さまざまなルーツを持つ人々の店や生活圏が見られます。
新大久保・三河島・枝川はどう違うのか
| 観点 | 新大久保 | 三河島・日暮里周辺 | 枝川 |
|---|---|---|---|
| 街の性格 | 観光型・商業型 | 生活型・下町型 | 移住・教育・生活史の記憶が濃い地域 |
| 形成時期 | 主に1990年代以降に商業化が加速 | 戦前・戦後からの生活圏 | 戦時期から戦後にかけて地域形成 |
| 中心となる要素 | 韓国料理、韓流、K-POP、コスメ、SNS、多国籍商業 | 工場、職住近接、商店、学校、地域団体、家族 | 住宅、学校、地域の記憶、湾岸部の都市形成 |
| 歩くときの注意 | 混雑、店舗利用マナー、路上撮影に注意 | 生活道路・住宅地への配慮 | 学校・住宅・個人の生活空間を尊重 |
貧民窟・被差別部落・ドヤ街とは切り離して理解する
在日コリアン集住地は、貧民窟・被差別部落・ドヤ街とは由来が異なります。貧民窟は近代都市の不良住宅・都市貧困地域を指す歴史的表現、被差別部落は近世身分制に由来する差別問題、ドヤ街・寄せ場は主に戦後復興から高度成長期の日雇い労働市場や簡易宿泊所の集積と関係します。
在日コリアン集住地は、植民地支配、移住、戦後の法制度、民族教育、地域社会、商業、文化交流などから形成されました。都市貧困、低賃金労働、住宅問題、差別が重なる場面はありましたが、形成の歴史は異なります。
戦後の民族教育は一つの学校体系にまとまらず、東京では1946年開校の東京朝鮮中高級学校と、1954年開校の東京韓国学校が異なる歴史・制度のもとで発展しました。
東京の街歩きとしてどう見るか
- 駅、商店街、路地、工場跡から、仕事と生活の距離を見る
- 学校、教会、地域団体から、教育とコミュニティの歴史を見る
- 商店や看板の言語から、世代交代と多文化化を見る
- 慰霊碑や資料から、災害と差別の記憶を学ぶ
- 住宅地や学校周辺では、撮影や投稿のマナーを守る
よくある誤解
東京のコリアンタウンは新大久保だけですか?
いいえ。新大久保は現在最も有名な商業型コリアンタウンですが、三河島・日暮里周辺や枝川のように、生活史・地域史として重要な場所があります。
三河島や枝川も観光地として歩けますか?
歩くことはできます。三河島や枝川は、住宅地、学校、生活道路を含む生活圏です。無断撮影や個人を特定する投稿を避け、生活空間への配慮が必要です。
在日コリアン集住地は、貧民窟やドヤ街と同じですか?
都市貧困や労働、差別が重なる場面はありますが、形成の由来は異なります。混同は差別的な理解につながるため、用語を分けて考える必要があります。
参考文献・参考資料
- 出入国在留管理庁「令和6年末現在における在留外国人数について」
- 国立国会図書館リサーチ・ナビ「日本に在留する韓国・朝鮮人について知る」
- 新宿区「多文化共生ってなぁに?」
- 内閣府中央防災会議「1923 関東大震災 報告書 第2編」
- お茶の水女子大学教育・研究成果コレクション「在日韓国・朝鮮人社会から見た地域社会形成」
- 国立国会図書館サーチ『東京のコリアン・タウン:枝川物語 増補新版』
- 東京朝鮮第二初級学校「学校沿革」
- 黄紹泊「アフターコロナ時代の新宿区大久保エスニック施設の変容に関する研究」
実際の街歩きコースとして、三河島駅から新三河島へ歩く歴史散歩もあります。

