女子限定で新宿御苑をぐるっと一周!内藤新宿と千駄ヶ谷の史跡を巡る夜散歩

ライトアップされたドコモタワーを眺めながら歩く参加者 開催レポート
外周から見える夜のドコモタワーも印象的でした。

2023年6月26日(月)19時から、女子限定の歴史散歩イベント「解説付き!新宿御苑をぐるっと一周します♪ 江戸の宿場町の一つ『内藤新宿』を巡ります」を開催しました。参加者は6人。新宿御苑の中へ入るのではなく、約3.9kmの外周を歩きながら、新宿三丁目、内藤町、千駄ヶ谷に残る史跡をたどる街歩きです。

この日は、あじさいがまだ道沿いに残る過ごしやすい夜でした。女子限定会ということもあり、いつもの散歩会とは少し違う、やわらかな雰囲気でスタート。全員が新宿御苑を一周するのは初めてで、「外側にはどんな景色や歴史があるのだろう」と期待しながら歩き始めました。歴史初心者や一人参加でも、街の変化を楽しみながら無理なく歩けるコースです。

新宿区・渋谷区

新宿御苑は東京都新宿区と渋谷区にまたがり、その外周には新宿の繁華街、内藤町の落ち着いた街並み、千駄ヶ谷の住宅地や鉄道沿いの道が連続しています。大きな庭園を一周するだけで、にぎやかな都心から静かな路地へ、そして再び商業地へと、街の表情が次々に切り替わるのが特徴です。

東京都新宿区の行政地図
東京都新宿区の行政地図
東京都渋谷区の行政地図
東京都渋谷区の行政地図

新宿御苑と内藤新宿の歴史

新宿御苑のルーツは、徳川家康の家臣・内藤清成が拝領した江戸屋敷にあります。明治時代には農事試験場が置かれ、その後は皇室の御料地となり、1906年に皇室庭園として完成しました。戦後の1949年から国民公園として一般公開され、現在では都心を代表する庭園として親しまれています。

一方、「新宿」という地名は、甲州街道の宿場町「内藤新宿」に由来します。日本橋から最初の宿場だった高井戸までは距離が長く、旅人の負担を減らすため、元禄11年(1698)に新しい宿場が設けられました。内藤家が幕府へ返上した屋敷地にできた「新しい宿」であったことから、内藤新宿と呼ばれたのです。現在の高層ビルや繁華街の下には、街道と宿場町の歴史が重なっています。

今回歩いたルート

京橋親柱から新井白石終えんの地へ

新宿御苑の外周をたどり、まずは街角に残る京橋親柱を確認しました。大きな観光名所だけでなく、橋の部材や石碑のような小さな痕跡からも、かつての道路や水路の姿を想像できます。

続いて訪ねたのは、新井白石終えんの地です。新井白石は六代将軍・徳川家宣、七代将軍・徳川家継の時代に政治を支え、「正徳の治」と呼ばれる改革に関わった儒学者・政治家です。政治の第一線を退いた後はこの一帯で著述に取り組みました。高架や現代の建物に囲まれた場所に江戸中期の人物の足跡が残っていることは、東京の歴史散歩ならではの面白さです。

この付近からは、夜空にライトアップされたドコモタワーもよく見えました。史跡の解説を聞きながら見上げる近代的な高層建築は、江戸の記憶と現代の新宿が同じ視界に重なる、このコースらしい景色です。

ライトアップされたドコモタワーを眺めながら歩く参加者
外周から見える夜のドコモタワーも印象的でした。

千駄ヶ谷駅と新宿御苑旧正門

千駄ヶ谷方面へ進むと、道は繁華街の印象から一変し、住宅街の路地のような落ち着いた雰囲気になります。知らずに通れば見過ごしてしまいそうな場所にも史跡が点在し、地図と現地の景色を見比べながら歩きました。

千駄ヶ谷駅を通過し、新宿御苑旧正門へ。旧正門は、新宿御苑が皇室苑地だった時代に、皇室や国内外の賓客を迎えるために設けられた門です。現在の一般入園口とは異なり、普段は使われていません。外周から門を見ることで、新宿御苑がかつて皇室庭園だったことを実感できます。

新宿御苑の外周道路を歩く女子限定散歩会の参加者
住宅街と幹線道路が切り替わる外周ルートを歩きます。
JR千駄ヶ谷駅前を歩く散歩会の参加者
新宿の繁華街とは雰囲気の異なる千駄ヶ谷側へ進みます。

伝・沖田総司逝去の地

千駄ヶ谷には、新選組一番隊組長・沖田総司が最期を迎えたと伝わる場所があります。沖田は肺結核を患い、江戸へ戻った後、千駄ヶ谷の植木屋で療養して亡くなったという伝承が知られています。ただし逝去地には複数の説があり、確定した史実としてではなく、幕末の記憶を伝える場所として紹介しました。静かな住宅地に新選組ゆかりの伝承が残る意外性も、現地を歩くからこそ得られる発見です。

あじさいが残る夜道に足を止めながら歩くと、現在の穏やかな住宅街と、幕末の人物にまつわる記憶との時間の隔たりがいっそう印象に残りました。

夜道に咲き残るあじさいと立ち止まって眺める参加者
あじさいが残る過ごしやすい夜で、季節の景色も楽しめました。

鉛筆の碑―三菱鉛筆発祥の地

内藤町の内藤児童遊園にある「鉛筆の碑」は、後の三菱鉛筆につながる眞崎鉛筆製造所が創業した場所を伝えています。創業者の眞崎仁六は、明治20年(1887)にこの地で国産鉛筆の製造に取り組みました。

ここで印象的だった豆知識が、三菱鉛筆と三菱財閥・三菱グループには資本関係がないことです。三菱鉛筆の三菱マークは、眞崎家の家紋「三鱗」と、逓信省に採用された三種類の局用鉛筆をもとに生まれ、1903年に商標登録されました。身近な文房具の歴史が新宿御苑のそばから始まったと知り、驚きのあるスポットでした。

新宿御苑外周の緑に囲まれた神社を訪ねる参加者
夜の緑に包まれた境内で、内藤家ゆかりの土地の歴史に触れました。

玉川上水水番所跡と四谷大木戸跡

外周の東側では、江戸の暮らしを支えた水道と街道の歴史に触れます。玉川上水は、多摩川の羽村から四谷大木戸まで水を運び、そこから木樋や石樋によって江戸市中へ配水されました。水番所では水量の調整やごみの除去が行われ、都市生活に欠かせない水を管理していました。

四谷大木戸は、江戸の西の出入口にあたる甲州街道の関門でした。ここは内藤新宿の東端でもあり、街道交通と上水道という二つの重要な仕組みが交わる場所です。何気ない交差点や歩道の周辺に、江戸の都市インフラの痕跡がまとまって残っています。

新宿御苑外周の史跡案内板と石碑を見学する参加者
高架沿いにも、街の来歴を伝える史跡が残っています。

旧大木戸門衛所・旧新宿門衛所

新宿御苑の旧大木戸門衛所と旧新宿門衛所は、1927年に建てられた建物です。和洋折衷の意匠を持ち、皇室庭園だった時代の雰囲気を今に伝えます。外周を歩くと、園内に入らなくても、門や塀、樹木の連なりから庭園の広がりを感じられます。

新宿三丁目へ戻り、「ここが追分」を確認

後半、新宿三丁目へ近づくにつれて、おしゃれな飲食店や明るい店先が増え、住宅街から都会へ戻ってきたような変化を楽しめました。最後に立ち寄ったのが、歩道上に描かれた「新宿元標 ここが追分」です。

追分とは街道の分岐点のこと。ここでは、日本橋方面から延びる甲州街道と青梅街道が分かれていました。現在は交通量の多い新宿三丁目交差点ですが、足元の案内を見ると、現代の道路が江戸時代の街道を受け継いでいることが分かります。「ここが本当に追分だったのか」と実感できる、締めくくりにふさわしいスポットでした。

新宿三丁目方面のにぎやかな街並みへ戻る参加者
住宅街から繁華街へ、街の表情の変化を味わいながらゴールへ向かいました。
新宿三丁目の「新宿元標 ここが追分」を囲んで解説を聞く参加者
甲州街道と青梅街道が分かれた新宿追分を現地で確認しました。
歩道に描かれた「新宿元標 ここが追分」の歴史案内
足元に残る地図と絵から、宿場町・内藤新宿の位置関係を読み解きます。

まとめ

新宿御苑の外周一周は、庭園の周りを歩くだけに見えて、内藤家の屋敷、宿場町・内藤新宿、玉川上水、幕末の伝承、近代の文具産業、皇室庭園の門衛所まで、幅広い時代を一度にたどれるコースでした。繁華街、静かな住宅地、緑の濃い外周路、再びにぎやかな新宿三丁目へと移り変わる景色も魅力です。

あじさいが残る夜道を6人で歩き、発見と驚きの連続となった90分。ほどよい距離で、いい運動にもなりました。東京の歴史は、目立つ史跡だけでなく、路地の石碑や門、歩道の表示にも残っています。実際に歩いて見比べることで、普段の街が立体的に見えてくる散歩会となりました。

ゆる歴史散歩会では、東京周辺の歴史スポットや文化施設を、初心者にも分かりやすく巡る街歩きイベントを開催しています。一人参加の方も多く、歴史に詳しくない方でも気軽に参加しやすい雰囲気です。