
2026年8月5日(水)19時15分から、21名で「地図で予習、街で答え合わせ。中央区の昔と今をつなぐ歴史散歩」を開催しました。前半は新富の「本の森ちゅうおう」内にある中央区立郷土資料館で、床一面に広がる地図と展示を見ながら中央区の歴史を予習。その後は自由見学を挟み、後半に新富・築地・銀座周辺へ出て、運河や橋の跡、近代建築、銭湯、屋上公園などを実際の街で確かめました。
屋内でじっくり地図を読み、外へ出たら「あの場所はここだったのか」と現在の風景に重ねるのが今回のテーマです。参加者からは、運河や橋の跡、都心の銭湯、ビル屋上の公園など、知らなかった場所が多く驚いたという声がありました。前半は展示鑑賞、後半は夜の街歩きという組み合わせで、ゆるく歴史と散歩を楽しめる一夜になりました。

今回のコース概要
本の森ちゅうおう・中央区立郷土資料館 → 新富・築地周辺 → 佐藤家住宅 → 土佐藩築地邸跡(中央区役所周辺) → 三吉橋 → 鈴木ビル → 銀座湯 → 水谷橋公園
今回はまず資料館で「昔の地図」を頭に入れ、それから現在の街へ出る構成です。正確な距離や所要時間は記録していないため記載しませんが、新富から築地、銀座一丁目へと、江戸以来の土地利用と近現代の都市の変化が重なって見える場所を巡りました。
中央区の歴史―古代から現代まで
中央区の歴史を理解するうえで大切なのは、現在の街のすべてが古くから陸地だったわけではないことです。中央区によると、現在の区の形がほぼ整うのは江戸時代以降の埋め立てによるところが大きく、区内で確認される埋蔵文化財も江戸時代以降のものが中心です。つまり「古代から続く同じ街並み」を追うより、海辺や低湿地だった場所が、江戸の都市建設によって陸地・水路・町へ変わっていく過程を見ることが、この地域の通史を理解する近道です。
天正18年(1590年)、徳川家康が江戸に入ると城下町建設が始まり、江戸城の普請とともに埋め立てや水路整備が進みました。慶長期には日本橋・京橋が架けられ、慶長9年(1604年)には日本橋を基点とする五街道制が整えられます。日本橋・京橋一帯は交通・商業・文化の中心となり、運河や河岸は大量の物資を運ぶ都市インフラとして機能しました。今回、地図で水路を確認してから街を歩いたのは、この「水の都・江戸」の骨格を現在の道路や橋に重ねて見るためでもあります。
明治元年(1868年)に江戸が東京となると、銀座では近代都市化が進みました。明治10年(1877年)には銀座れんが街が形成され、新聞社などが集まり、銀座は新しい文化と情報の発信地へ変化します。明治11年(1878年)には日本橋区と京橋区が成立。築地には外国人居留地が置かれ、教会や学校なども集まりました。一方、月島・晴海方面は明治から昭和にかけて埋め立てが進み、中央区の陸地そのものが拡大していきます。
大正12年(1923年)の関東大震災後には道路や橋梁などの復興事業が進み、昭和初期の都市景観が形づくられました。今回訪れた三吉橋や鈴木ビルは、まさにその時代を現在へ伝える存在です。戦後の昭和22年(1947年)には旧日本橋区と旧京橋区が統合され、中央区が誕生しました。その後、高度経済成長期には水路の埋め立てが進み、築地川などかつての水面の一部は道路や高速道路へ姿を変えました。現在の中央区では再開発が進む一方、橋の親柱、歴史的建造物、町名、銭湯などに過去の都市の層が残っています。
本の森ちゅうおうと中央区立郷土資料館
「本の森ちゅうおう」は2022年12月4日に開館した、京橋図書館と中央区立郷土資料館を併設する複合施設です。中央区は「歴史・文化を未来へ伝える地域の生涯学習拠点」をコンセプトの一つとしており、館内には図書館、多目的ホール、カフェ、屋上庭園などがあります。今回のように、資料館で地域を学んだあと、そのまま周辺へ歩き出せるのも魅力です。

中央区立郷土資料館は1階に常設展示室、2階に企画展示室があります。常設展示室は図書館の本棚に見立てた「6つの棚」で構成され、実物資料とデジタル展示を組み合わせて中央区の歴史文化を紹介しています。2023年には常設展示室のサインデザインが日本サインデザイン賞の大賞・経済産業大臣賞を受賞しました。

今回とくに役立ったのが、床まで大きく展開された地図です。地名だけを見るのではなく、川・堀・橋・町の位置関係を身体感覚でつかめるため、街へ出た後の「答え合わせ」がぐっと面白くなります。まず全体解説を聞き、その後はそれぞれ気になる展示を自由に見学しました。


資料館は江戸時代から昭和期に至る中央区ゆかりの文化財・歴史資料を所蔵し、収蔵品アーカイブズでは約2万9千点の資料がデータベース化されています。散歩の前後に調べ直せる環境があるので、街歩きの「予習・復習」の拠点としても使いやすい施設です。
展示室を出て、地図の中の場所へ
新富町の花柳界を伝える佐藤家住宅
街へ出て最初に目を引いたのが佐藤家住宅です。中央区の近代建築物調査では、大正14年(1925年)に造られた旧待合の建築とされ、新富町の花柳界の面影を伝えています。門扉の花頭窓や数寄屋風の細やかな意匠に加え、内部は客同士や裏方の動線が重ならないよう工夫されていると紹介されています。夜の住宅街に残る外観を眺めると、現在の新富町とは異なる社交の街の記憶が見えてきます。

現在の中央区役所周辺は土佐藩築地邸跡
中央区役所周辺では「土佐藩築地邸跡」の現地解説板を確認しました。解説板によれば、この一帯は江戸時代前期に埋め立てられた武家地・町人地で、文政9年(1826年)に土佐藩山内家が拝領しました。幕末には山内容堂がここに屋敷を構えた時期があり、政情が揺れるなかで土佐藩の歴史とも結びつく場所です。現在の行政庁舎の足元に大名屋敷の歴史が重なることは、地図を見てから歩くとより実感できます。

三吉橋―埋め立てられた築地川を思い出す橋
次は、郷土資料館の地図でも確認した三吉橋へ。中央区の資料では、三吉橋は関東大震災後の復興橋梁として昭和4年(1929年)に竣工し、かつて橋の下には築地川が流れていました。本庁舎前の築地川は昭和35年(1960年)に埋め立てられ、現在は首都高速都心環状線が通っています。橋は残っているのに川が見えない――この違和感こそ、昔の地図と現在の街を重ねる面白さです。

鈴木ビル―昭和4年の貸席建築
銀座一丁目の鈴木ビルは、東京都選定歴史的建造物。東京都の資料によると昭和4年(1929年)建設、鉄筋コンクリート造5階・地下1階で、公演や稽古事などに部屋を貸していた「貸席建築」です。馬蹄形の窓をもつ銅板葺きの屋根、窓ごとに変化するデザイン、1階円柱の幾何学的レリーフ、内部の布目タイルなどが特徴とされています。夜の照明を受けた外壁の装飾は存在感があり、昭和初期の銀座の文化的な空気を想像させます。

銀座の街中に残る銭湯「銀座湯」
華やかな商業地のイメージが強い銀座ですが、銀座一丁目には現在も公衆浴場「銀座湯」があります。中央区の施設情報にも銀座1丁目12番2号の銭湯として掲載されています。歴史的な名所だけでなく、地域の日常を支える場所も街の成り立ちを考える手がかりです。「銀座に銭湯がある」という発見も、今回参加者が驚いたポイントの一つでした。

ビルの上に広がる水谷橋公園
散歩の終盤は銀座一丁目の水谷橋公園へ。中央区の公共施設資料でも、建築物と一体となった公園として扱われている場所です。地上の道路から上がると芝生や植栽、遊具のある空間が現れ、その向こうには銀座・京橋のビル群が広がります。水路や橋が都市の基盤だった時代から、限られた都心空間を立体的に使う現代へ。今回の散歩の締めくくりにふさわしい「現在の中央区」を感じる場所でした。


地図で予習すると、いつもの街が違って見える
今回の散歩では、資料館の展示を見て終わるのではなく、その地図に描かれた場所へ実際に歩いていきました。かつての築地川、橋の位置、大名屋敷の跡、昭和初期の建築、今も営業する銭湯、そして屋上公園。時代も種類も違う場所をつなぐことで、中央区が「江戸の町をそのまま残した街」ではなく、埋め立て、水運、震災復興、近代化、戦後の都市改造、再開発を重ねながら変化してきた街だと見えてきます。
前半は涼しい館内で歴史を学び、後半は夜の街を歩く。初心者でも参加しやすく、知識をその場で風景に結びつけられるのが今回の歴史散歩の特徴でした。
TimeWalkで、現在地から歴史スポットを探す
今回はイベント中にTimeWalkを利用しませんでしたが、散歩の予習・復習や個人での歴史散歩には便利です。TimeWalkは、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探し、自分で歴史散歩を楽しめるWebアプリです。中央区をもう一度歩くときは、現在地から歩ける史跡を地図で探すところから始めてみてください。

