秋葉原~御茶ノ水・駿河台イルミネーション散歩|万世橋・ワテラス・ソラシティ【2024】

冬の秋葉原を出て神田川を渡り、駿河台へ上がる。2024年12月の散歩では、秋葉原UDX、旧万世橋駅を再生したマーチエキュート神田万世橋、ワテラス、御茶ノ水ソラシティを巡りました。夜景の華やかさの下には、江戸の市場、明治の鉄道駅、学校跡地の再開発、三菱と日立の記憶が折り重なっています。

秋葉原から御茶ノ水・駿河台へ|2024年冬の散歩ルート

スタートは秋葉原駅前。神田川を越えて万世橋、神田淡路町へ進み、最後は御茶ノ水駅近くの駿河台へ向かう短い街歩きです。イルミネーションをつなぐだけならコンパクトなルートですが、各地点の来歴をたどると江戸初期から現代まで約400年の東京が見えてきます。

  1. 秋葉原UDX アキバ広場(Googleマップ)
  2. マーチエキュート神田万世橋(Googleマップ)
  3. WATERRAS|ワテラス(Googleマップ)
  4. 御茶ノ水ソラシティ(Googleマップ)

秋葉原UDX|神田青果市場の跡に灯る夜景

秋葉原UDXの周辺には、かつて神田青果市場がありました。市場の源流は慶長年間に神田多町で始まった菜市にさかのぼります。1928年に秋葉原駅前へ移転し、首都圏の青果流通を支えましたが、1989年に大田市場へ機能を移して閉場しました。その跡地で2006年に竣工したのが秋葉原UDXです。

夜の秋葉原UDXビル
夜の秋葉原UDX(2010年撮影)。撮影:street viewer/CC BY 2.0/Wikimedia Commons

2024年の「UDX Snow Illumination」は11月13日から12月25日まで開催され、点灯時間は17時から23時でした。西側街路の33本の樹木を青と白の光で包み、5メートルのシンボルオブジェや約160メートルの2階デッキにも光の演出が広がりました。この年は「雪ミク」とのコラボレーションも行われています。

現在の電気街・サブカルチャーの街という印象の前に、秋葉原には市場の時代がありました。神田青果市場や万世橋まで含めた変遷は、「秋葉原の歴史散歩|青果市場・筋違門・万世橋駅・佐久間橋跡を歩く」でも詳しく紹介しています。

旧万世橋駅|赤レンガ高架橋に残る東京の鉄道史

神田川沿いの赤レンガ高架橋は、1912年に開業した万世橋駅の遺構です。初代駅舎を手がけたのは、日本銀行本店や東京駅でも知られる建築家の辰野金吾たつのきんご。開業時の万世橋駅は中央線のターミナルとしてにぎわいました。

関東大震災前の初代万世橋駅と廣瀬中佐銅像
関東大震災前の初代万世橋駅。1912~1923年撮影/Public Domain/Wikimedia Commons

1919年に中央線が東京駅まで延びると万世橋駅は中間駅となり、1923年の関東大震災で初代駅舎が焼失します。1936年には鉄道博物館が移転してきましたが、駅は1943年に営業を休止。戦後は交通博物館が長く親しまれ、2006年に閉館しました。2013年、旧駅の階段やホーム、赤レンガ高架橋を生かしてマーチエキュート神田万世橋が開業しました。

神田川沿いの旧万世橋駅赤レンガ高架橋とmAAch ecute
旧万世橋駅の赤レンガ高架橋とmAAch ecute(2013年)。撮影:Ippukucho/CC BY 3.0/Wikimedia Commons

駅名のもとになった万世橋にも、明治から続く歴史があります。1873年に架けられた萬代橋よろずよばしが「まんせいばし」と呼ばれるようになり、1903年にほぼ現在の位置へ架け替えられました。現在の橋は関東大震災後の復興事業で1930年に完成したものです。

ワテラス|淡路小学校跡から生まれた新しい地域の核

万世橋から神田淡路町へ進むと、2013年4月に開業したワテラスに着きます。「WATERRAS」という名称には「和・輪・環」の三つの「WA」が込められています。背景にあるのは、地域コミュニティの核だった淡路小学校の統廃合と、その跡地を含む街区の再開発です。

神田淡路町のワテラス
ワテラス(2013年)。撮影:Keramahani/CC BY-SA 3.0/Wikimedia Commons

淡路町周辺は、江戸時代には武家屋敷と町人地が接する地域でした。明治以降は学校や文化施設が集まり、教育の街としての性格も強まります。ワテラスの再開発では、住民・学生・就業者が関わる地域活動を組み込み、学校が担っていた地域交流の役割を新しい形で受け継ぎました。

2024年冬は、ワテラスと御茶ノ水ソラシティで「THE WISHING NIGHT ~願いの夜~」をテーマにイルミネーションが展開されました。デジタルハリウッド大学の学生がメインオブジェなどのデザイン制作に参加し、2024年10月から2025年2月にかけて街区を彩りました。

御茶ノ水ソラシティ|岩崎家・三菱・日立の記憶が重なる土地

ワテラスから坂を上がると御茶ノ水ソラシティです。現在の敷地には明治期、三菱の第2代社長となった岩崎彌之助いわさきやのすけの邸宅と三菱社がありました。ソラシティには当時の石垣や煉瓦擁壁の一部が再生保存され、近代の土地利用を今も足元で見ることができます。

御茶ノ水ソラシティの高層棟
御茶ノ水ソラシティ(2013年)。撮影:Koh-etsu/CC0 1.0/Wikimedia Commons

その後、この場所には日立製作所の本社ビルが建ちました。1983年竣工の本社ビルを経て再開発が進み、2013年3月に御茶ノ水ソラシティが完成しています。岩崎家と三菱、日立、そして現在の複合施設へ。一つの街区に、日本の近代産業史の層が重なっています。

駿河台はなぜ高台なのか|神田山と御茶ノ水の由来

秋葉原から歩いてくると、最後に坂を上る感覚がはっきりします。駿河台は、もともと本郷・湯島台と続いていた「神田山」の一部でした。江戸の都市造成で山が切り崩され、さらに神田川の開削によって本郷・湯島側から切り離され、現在の台地が形づくられました。

徳川家康が駿府で没した後、家康直属の家臣だった旗本の駿河衆するがしゅうが江戸へ戻り、この高台に多く屋敷を構えました。駿河衆が住んだことや、駿河国の富士山を望めたことなどから「駿河台」と呼ばれるようになったと千代田区は伝えています。

夜の御茶ノ水駅と神田川沿いの風景
夜の御茶ノ水駅周辺(2024年6月)。撮影:Immanuelle/CC BY 4.0/Wikimedia Commons

「御茶ノ水」の名は、この付近にあった高林寺こうりんじの湧水に由来します。寺が神田にあったころ、境内の清泉を将軍のお茶用の水として献上したことから地名が生まれたと伝わります。高林寺は明暦の大火後に現在の文京区向丘へ移転しました。

駿河台の尾根にはニコライ堂が建ち、神田川には1927年完成の聖橋が架かります。聖橋という名は、北側の湯島聖堂と南側のニコライ堂という二つの「聖堂」を結ぶ橋であることにちなみます。夜の御茶ノ水では、鉄道・川・橋・台地が近い距離に重なり、秋葉原とは違う都市景観へ切り替わります。

参考資料

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