アドリア海の青い水面すれすれを、赤い機体が駆け抜けます。『紅の豚』でポルコ・ロッソが操るサボイアS.21は、胴体そのものが船のように水へ浮かぶ飛行艇です。
飛行場が世界各地に整う前、水面は長い滑走路の代わりになりました。港を持つ都市から飛び立ち、郵便を急いで届け、海を越える旅客を運び、軍艦や潜水艦を捜し、遭難者を救いました。
その黄金期は、第一次世界大戦後から第二次世界大戦前後に重なります。イタリアでは、水上機レースと長距離飛行が機体、エンジン、運航技術を押し上げました。華やかな記録の背後では、ファシスト政権が航空を国威発揚に利用していました。
『紅の豚』の機体は、戦間期に生まれた複数の技術と造形を組み合わせた架空機です。現実の飛行艇史をたどると、作品の空と海が持つ時代の手触りがはっきりします。
飛行艇とフロート水上機は何が違う
水面から離水し、水面へ着水できる飛行機を広く水上機と呼びます。水上で機体を支える方法によって、飛行艇とフロート水上機に分かれます。
飛行艇は、船底の形を持つ艇体が直接水へ浮かびます。機体下部が船そのものとして働くため、大型化しやすく、長距離輸送機や海上哨戒機にも使われました。主翼の左右には、水上で傾くのを抑える小さな補助フロートを備える機体があります。
フロート水上機は、通常の飛行機に近い胴体の下へ独立した浮舟を取り付けます。機体の胴体は水へ沈まず、左右のフロートが重量を支えます。陸上機を基礎に設計しやすい一方、フロートと支柱が空気抵抗になります。
車輪も備え、水上と陸上飛行場の双方を使える機体は水陸両用機です。飛行艇型とフロート型のどちらにも水陸両用機があります。
| 分類 | 水上で機体を支える部分 | 外見の見分け方 | 代表例 |
|---|---|---|---|
| 飛行艇 | 船底形の艇体 | 胴体下部が水へ直接接する | マッキM.33、ボーイング314、ショート・サンダーランド |
| フロート水上機 | 胴体下の独立したフロート | 胴体と水面の間に浮舟と支柱がある | マッキM.C.72 |
| 水陸両用機 | 艇体またはフロートと車輪 | 水上用構造に格納式・固定式の車輪を持つ | PBYカタリナ、新明和US-2 |

1925年のシュナイダー・トロフィーに出場したマッキM.33は、中央の艇体が直接水へ浮かぶ飛行艇です。後方に操縦席を置き、主翼の上にエンジンを載せた姿には、『紅の豚』のサボイアS.21と通じる輪郭があります。

マッキM.C.72は、細い胴体の下に二つのフロートを備えた水上競速機です。1934年10月23日、フランチェスコ・アジェッロが709.202キロメートル毎時を記録しました。ピストンエンジン水上機の世界速度記録として現在も残っています。
二機を並べると、飛行艇とフロート水上機の違いは明瞭です。M.33は艇体で浮き、M.C.72は独立した二つのフロートで浮きます。
海が滑走路になった時代
20世紀初頭の飛行機は、航続距離と搭載量を伸ばしながら、発着場所の確保という問題を抱えていました。草地や砂地でも飛べる小型機から、重い燃料と貨物を積む大型機へ進むほど、長く平らな飛行場が必要になります。
港湾都市には、防波堤、桟橋、倉庫、船舶、燃料の供給網がありました。波の穏やかな湾や湖面を使えば、高額な長距離滑走路の建設を待たずに航空路を開けます。多くの主要都市が海岸や大河の近くに位置することも、飛行艇の路線拡大を支えました。
水面の利用には、風向き、波高、流れ、浮遊物、船舶の往来の確認が欠かせません。離水前には風上へ向けて十分な距離を取ります。離着水には桟橋、係留設備、整備艇、海上運用に慣れた人員も必要でした。
初期航空の技術競争では、水上機の開発者グレン・カーチスも大きな役割を担いました。ライト兄弟からカーチス、日本への導入までの流れは、関連記事「飛行機を発明したのは誰?ライト兄弟・競争者と日本航空史」で詳しく扱っています。
飛行艇の強みは、港の既存設備と長い水面を利用し、都市と都市を早く結べたことにありました。
郵便・旅客・軍用・救難に広がった
飛行艇の長距離運航では、旅客より先に郵便が重要な貨物になりました。手紙や書類は重量に対して価値が高く、船便より速く届ける利点が運航費を支えました。
パンアメリカン航空は1930年代、太平洋と大西洋へ飛行艇の路線を広げました。マーチンM-130「チャイナ・クリッパー」は1936年に太平洋方面の旅客運航を始め、ボーイング314は1939年にニューヨークとヨーロッパを結びました。

ボーイング314の客室には食堂、寝台、ラウンジが設けられ、長い航程を複数回の着水と給油でつなぎました。利用できたのは高額な運賃を払える一部の乗客です。飛行艇の旅は、世界的な大衆交通になる前の豪華な長距離航空でした。
軍用飛行艇は、海面を長時間捜索する哨戒、対潜水艦戦、船団護衛、輸送、救難に使われました。PBYカタリナは海上哨戒と空海救難で広く運用され、救命艇を翼下へ搭載できる機体もありました。
1948年のベルリン空輸では、英国がショート・サンダーランド飛行艇をハーフェル川へ着水させました。海上運用を前提とする防食対策を生かし、金属を傷めやすい塩の輸送にも投入されました。

滑走路を使う輸送機が空輸の中心を担う一方、サンダーランドは水面から都市へ入れる飛行艇の特性を生かしました。この輸送の全体像は、関連記事「写真でたどるベルリン封鎖と空輸|孤立した都市をどう支えたのか」で写真とともに紹介しています。
郵便、旅客、哨戒、救難は異なる仕事ですが、遠い海域へ飛び、水上へ降りられる能力を共通して必要としました。
アドリア海とイタリア航空産業
イタリア半島は海に囲まれ、北部には大きな湖があります。マッキ、SIAI、サヴォイア・マルケッティ、カプロニなどの企業は、軍用機、旅客機、競速機、飛行艇の設計に取り組みました。
1913年から1931年まで開かれたシュナイダー・トロフィーは、各国の水上機が速度を競う国際レースでした。英国のスーパーマリン、米国のカーチス、イタリアのマッキが、エンジン出力、冷却、プロペラ、空気抵抗をめぐって異なる設計を試しました。競技で磨かれた技術は、後の軍用機開発にも流れ込みました。
1925年大会のマッキM.33は、ジョヴァンニ・デ・ブリガンティの機体が完走し、平均271キロメートル毎時で3位に入りました。イタリアが英国や米国と競い合った時代を代表する飛行艇です。
速度記録と並んで、イタリア空軍は多数の水上機を同時に動かす長距離飛行を進めました。1933年7月1日、イタロ・バルボが率いる24機のサヴォイア・マルケッティS.55Xがオルベテッロを出発し、18日後にニューヨークへ到着しました。

S.55は二つの船体を並べた双胴飛行艇です。主翼上の二基のエンジンが前後を向き、一方が引き、一方が押す配置を採用しました。24機の編隊飛行には、航法、気象、給油、整備、通信、予備部品を組み合わせる計画力が必要でした。
バルボはムッソリーニ政権の航空大臣を務めた人物です。長距離編隊飛行は航空技術と運航組織の成果であると同時に、ファシスト政権が近代性と国力を海外へ宣伝する政治事業でした。
イタリアの航空産業には、高度な設計力と試作能力がありました。一方で、カプロニ博物館の解説は、革新的な設計を量産へつなげにくい職人的・未成熟な産業構造も指摘しています。
飛行艇が空の主役から退いた理由
第二次世界大戦中、各地にコンクリートやアスファルトの滑走路が建設されました。戦後には、その飛行場網を使える大型陸上旅客機が国際路線へ進出します。
陸上機では、金属構造、高出力エンジン、丈夫な降着装置、与圧客室、航法設備が発達しました。DC-4、DC-6、ロッキード・コンステレーションなどは、飛行艇より速く、多くの空港へ直接乗り入れました。
飛行艇の船底形の胴体は、水上で浮くために必要ですが、飛行中には大きな空気抵抗になります。波や飛沫は離着水を難しくし、海水による腐食への対策も欠かせません。桟橋、係留設備、整備艇を含む水上基地の運営費もかかります。
旅客輸送の主役は陸上機へ移りました。飛行艇は、消防、海上監視、捜索救難、離島輸送、観光など、水上へ降りる能力が直接役立つ分野で残りました。
日本の新明和US-2は、水陸両用の救難飛行艇です。外洋の遭難者救助や離島の急患輸送に使われ、荒れた海へ低速で離着水するための艇底形状、高揚力装置、飛沫対策を備えています。
飛行艇は用途を絞り、現在も運用されています。広い海へ降りられる能力は、滑走路を持たない救難現場で現在も価値を持っています。
『紅の豚』のサボイアS.21は実在機か
『紅の豚』は1992年公開の宮﨑駿監督作品です。劇中の赤い飛行艇はサボイアS.21と呼ばれます。
サボイアS.21という名称の実在機はありました。実機は二枚の主翼を上下に重ねた複葉飛行艇で、作品の赤い単葉機とは外形が異なります。
作品の機体は、中央の艇体、後方の操縦席、主翼上のエンジンという点でマッキM.33に近い造形です。翼、尾部、エンジン、武装、操縦席まわりには作品独自の設計があります。
| 比較対象 | 主翼 | 水上で浮く構造 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 実在のサボイアS.21 | 複葉 | 中央艇体 | 作品機と同じ名称を持つ実在飛行艇 |
| 実在のマッキM.33 | 単葉 | 中央艇体 | 後方操縦席と主翼上エンジンが作品機に近い |
| 作品のサボイアS.21 | 単葉 | 中央艇体 | 複数の実在機を思わせる要素を再構成した架空機 |
三鷹の森ジブリ美術館の記事でも、模型制作者が実在のS.21は二枚翼で、映画の機体は宮﨑監督独自の洗練された設計だと説明しています。
作品のサボイアS.21を一機の実在機へ結びつけるより、戦間期のレーサー飛行艇、イタリア機の名称、艇体と高翼の構造を組み合わせた創作として捉える方が、映像と航空史の双方に合います。
アドリア海を根城にする飛行艇乗り、速度を競う水上機、修理工場の職人、軍務経験を持つ操縦士という世界は、第一次世界大戦後の航空が冒険、産業、軍事、政治の間を揺れていた時代を背景にしています。
現存機とオンライン資料でたどる飛行艇
イタリア空軍歴史博物館は、ローマ近郊のブラッチャーノ湖畔、ヴィーニャ・ディ・ヴァッレの旧水上機基地にあります。マッキM.C.72をはじめ、イタリアの水上競速機と航空史資料を所蔵しています。公式サイトには2026年の催事と開館情報が掲載されています。
ロンドンの英国空軍博物館では、ショート・サンダーランドMR5を展示しています。大型飛行艇の艇内空間と、長距離哨戒機としての構造を実機で確認できる展示です。
スミソニアン国立航空宇宙博物館は、パンアメリカン航空、ボーイング314、飛行艇の衰退に関する資料をオンライン公開しています。カプロニ博物館のオンライン展示では、シュナイダー・トロフィー、イタリアの大西洋横断飛行、航空産業とファシズムの関係をたどれます。
日本航空協会の「航空と文化」では、日本の旅客飛行艇、新明和US-2、飛行艇が救難分野へ残った経緯を日本語で読めます。
まとめ
飛行艇は、船底形の艇体で水へ浮く水上機です。独立したフロートを持つ水上機とは構造が異なり、港と水面を航空路へ変えました。
郵便と富裕層の旅客を運んだ大型機、海を見張り遭難者を救った軍用機、速度と国威を競ったイタリアの競速機は、同じ水上運用技術から枝分かれしました。戦後の滑走路整備と陸上機の進歩によって旅客輸送の中心から退き、救難や消防などの専門分野へ役割を移しています。
『紅の豚』のサボイアS.21は、実在のS.21、マッキM.33、戦間期イタリアの水上機文化を再構成した架空機です。赤い艇体には、海が滑走路だった時代の技術、速度への熱狂、戦争帰りの飛行士たちが生きた歴史が折り重なっています。
参考文献・参考サイト
- Federal Aviation Administration, “Seaplane, Skiplane, and Float/Ski Equipped Helicopter Operations Handbook”
- Smithsonian National Air and Space Museum, “How World War II Killed the Flying Boat”
- Smithsonian National Air and Space Museum, “Pan American Airways & International Commercial Aviation”
- United States Coast Guard Historian’s Office, “Consolidated PBY-5A/6A Catalina”
- 一般財団法人日本航空協会「紫電改から救難飛行艇US-2/日本独創技術航空機・開発秘話」
- 一般財団法人日本航空協会「飛行艇パイロットの回想―横浜から南太平洋へ―(18/最終回)飛行艇からジャンボへの軌跡」
- Aeronautica Militare, “Macchi M.33”
- Aeronautica Militare, “Macchi MC.72”
- Aeronautica Militare, “Historical Timeline: Records and Flyovers”
- Museo Caproni, “The Schneider and Baracca Trophies”
- Museo Caproni, “The Transoceanic Flights and the Decennial Air Cruise”
- Museo Caproni, “The Air Force Adventure”
- スタジオジブリ「紅の豚」
- 三鷹の森ジブリ美術館「SAVOIA S-21 デスクトップモデル」
- Royal Air Force Museum, “Short Sunderland MR5”
- Aeronautica Militare, “Museo Storico”

