写真でたどるマンハッタン計画|3つの秘密都市で原爆はどう作られたのか

1945年、オークリッジの巨大なK-25ガス拡散工場 戦争・記憶・人権
1945年、K-25ガス拡散工場。所蔵:U.S. Department of Energy/Public Domain

映画や人物紹介では、マンハッタン計画はJ・ロバート・オッペンハイマーを中心とした「天才科学者たちの研究」として描かれがちです。

しかし、実際のマンハッタン計画は、一つの研究所だけで進められた計画ではありませんでした。山を削って工場を建て、原料を運び、原子炉を動かし、食堂や病院、学校まで備えた都市をつくり、労働者、科学者、技術者、軍人、政治指導者など50万人を超える人々が関与した、国家規模の巨大事業でした。

その中心となったのが、テネシー州オークリッジ、ワシントン州ハンフォード、ニューメキシコ州ロスアラモスです。

この記事では、公的機関が公開している当時の写真と資料を見ながら、3つの秘密都市が何を分担し、どのように原爆がつくられたのかをたどります。同時に、写真に写る工場や科学者だけでなく、そこで働いた女性、建設労働者、アフリカ系アメリカ人、家族の日常、そして計画の先にあった広島と長崎までを見ていきます。

1944年、オークリッジの事務所で働く人々
1944年、オークリッジの事務所。撮影:Ed Westcott/所蔵:U.S. Department of Energy/Public Domain

先に結論――3つの秘密都市の分業

マンハッタン計画は、「一か所の研究所で原爆を発明した計画」ではありません。原爆に必要な物質の生産と、兵器としての設計を、離れた拠点へ分けて進めた計画です。

拠点 主な役割 代表的な施設・活動 つながった兵器
オークリッジ(テネシー州) ウラン235の濃縮 Y-12、K-25、S-50 広島へ投下されたリトルボーイ
ハンフォード(ワシントン州) 原子炉によるプルトニウム生産と化学分離 B炉、Tプラント トリニティ実験装置と長崎へ投下されたファットマン
ロスアラモス(ニューメキシコ州) 原爆の設計、組み立て、試験 兵器研究所、トリニティ実験 ウラン型・プルトニウム型原爆の兵器化

この3拠点に、シカゴの原子炉研究、大学、企業、鉱山、精製施設、輸送網、テニアン島の基地などが結びつきました。したがってマンハッタン計画は、科学研究だけでなく、巨大工場、都市建設、物流、軍事運用を一体化した総力戦の事業でした。

重要な日付

日付 出来事
1938年12月 ドイツの研究者が核分裂を発見
1939年8月 シラードが起草し、アインシュタインが署名した書簡がルーズベルト大統領へ送られる
1942年8月13日 マンハッタン計画が正式に発足
1942年12月2日 シカゴ・パイル1号で制御された持続的核連鎖反応に成功
1945年7月16日 トリニティ実験で世界初の核爆発
1945年8月6日 広島へリトルボーイ投下
1945年8月9日 長崎へファットマン投下

マンハッタン計画とは

マンハッタン計画は、第二次世界大戦中にアメリカが中心となって進めた原子爆弾開発計画です。

1938年12月、ドイツの科学者たちが核分裂を発見しました。核分裂とは、ウランなどの重い原子核が分裂し、大きなエネルギーと新たな中性子を放出する現象です。その中性子が次の原子核を分裂させれば、反応が次々に続く「連鎖反応」が起こります。

ハンガリー出身の物理学者レオ・シラードは、この仕組みを利用すれば、従来とは比較にならないほど強力な爆弾をつくれる可能性があると考えました。1939年8月には、アルベルト・アインシュタインの署名を得た書簡がフランクリン・D・ルーズベルト大統領に送られ、ナチス・ドイツが先に原爆を開発する危険性が警告されました。

アメリカは複数の研究組織を経て、1942年8月13日にマンハッタン計画を正式に発足させました。名称は、陸軍工兵隊のマンハッタン工兵管区がニューヨークのマンハッタンに本部を置いていたことに由来します。

計画を軍事面から統括したのがレズリー・グローヴズ准将です。グローヴズは施設用地の選定、建設、資材調達、企業との契約、秘密保持を推進しました。科学部門の中心を担ったのがオッペンハイマーでした。

1945年までの費用は約20億ドルに達しました。米国国立公園局は、2023年の価値で300億ドルを超える規模に相当すると説明しています。また、労働者、科学者、技術者、政治指導者など50万人を超える人々が計画に貢献しました。

シカゴ・パイル1号の構造を描いたスケッチ
シカゴ・パイル1号の構造スケッチ。所蔵:U.S. Department of Energy/Public Domain

1942年12月2日、シカゴ大学ではエンリコ・フェルミらのチームが「シカゴ・パイル1号」で人類初の制御された持続的核連鎖反応に成功しました。これは小規模な実験でしたが、研究室で確かめられた原理を巨大な工業生産へ拡大できる可能性を示しました。

1945年、オークリッジで職員へ演説するレズリー・グローヴズ
1945年、オークリッジで演説するレズリー・グローヴズ。撮影:Ed Westcott/所蔵:U.S. Department of Energy/Public Domain

グローヴズとオッペンハイマーは、それぞれ軍事運営と科学研究を担いました。しかし、計画を二人だけの物語として理解すると、本当の規模を見失います。原爆に必要な物質をつくるには、大学の実験室ではなく、発電所に匹敵する設備、膨大な資材、何万人もの労働者、そして都市そのものが必要だったからです。

3つの秘密都市は何をしていたのか

マンハッタン計画の主要拠点は、次の3か所でした。

  • オークリッジ:ウラン235を濃縮する
  • ハンフォード:原子炉でプルトニウムを生産する
  • ロスアラモス:原爆を設計・組み立て、実験する
1945年、オークリッジの巨大なK-25ガス拡散工場
1945年、K-25ガス拡散工場。所蔵:U.S. Department of Energy/Public Domain

もちろん、計画はこの3都市だけで完結していたわけではありません。シカゴやカリフォルニア大学バークレー校などの研究拠点、ウラン鉱山、精製工場、軍需企業、輸送拠点、テニアン島の基地など、多くの場所が結ばれていました。

それでも3都市を軸に見ると、マンハッタン計画の仕組みは分かりやすくなります。オークリッジとハンフォードが異なる方法で核分裂性物質をつくり、ロスアラモスがそれを兵器として成立させたからです。

3都市は、地図に載らない閉鎖的な場所として急造されました。1945年にはオークリッジの人口が約7万5000人、ハンフォードを支えたリッチランドが1万5000人、ロスアラモスが約6000人に達しました。映画館、商店、学校、病院、公園も整備され、外部との接触を制限された「秘密都市」の中で、多くの人が働き、暮らしました。

なぜ巨大都市を秘密にできたのか

何万人も住む都市を完全に隠すことはできません。実際、周辺住民や鉄道関係者は、大規模な建設が進んでいること自体には気づいていました。

秘密にされたのは、都市の存在そのものよりも、「各施設が何を目的としているのか」「別の拠点とどう結びついているのか」「最終的に何をつくっているのか」という全体像でした。

マンハッタン計画期、警備されたオークリッジの管理区域
警備されたオークリッジの管理区域。所蔵:U.S. Department of Energy/Public Domain

マンハッタン計画では、仕事と情報が細かく分割されました。建設作業員は、自分が建てている巨大施設の本当の用途を知らされませんでした。工場の操作員は、目の前の計器を一定範囲に保つよう指示されても、それがウラン濃縮のどの工程なのかを知らない場合がありました。

施設へ入るには身分証が必要で、色分けされた通行証によって立ち入り可能な区域が限定されました。郵便や電話にも監視が及び、機密に触れる労働者には身元調査が行われました。家族同士でさえ、仕事内容を話せないことがありました。

オークリッジのエルザ・ゲート検問所
オークリッジのエルザ・ゲート。所蔵:U.S. Department of Energy/Public Domain

オークリッジのエルザ・ゲートのような検問所は、都市全体が管理区域だったことを象徴しています。

ただし、秘密保持が完全だったわけではありません。ソ連は複数の協力者を通じて計画内部の情報を得ていました。「大勢が関わったのに誰にも知られなかった」のではなく、巨大組織を情報の区画化によって動かしながら、同時に情報漏洩も起きていたと理解する必要があります。

オークリッジ――ウラン235を集めた秘密都市

テネシー州東部のオークリッジには、ウランを濃縮するための巨大施設が建設されました。

天然ウランの大部分はウラン238で、核分裂連鎖反応を起こしやすいウラン235はごくわずかしか含まれていません。しかも両者は化学的性質がほとんど同じです。違いは原子の重さにあるため、ウラン235だけを大量に集める作業は極めて困難でした。

どの方法が期限までに成功するか分からなかったため、アメリカは一つに絞らず、複数方式を並行して建設しました。

Y-12――電磁分離法

1945年、オークリッジのY-12電磁分離工場
1945年、Y-12電磁分離工場。所蔵:U.S. Department of Energy/Public Domain

Y-12では、電磁石を使ってウラン同位体のわずかな質量差を利用する「電磁分離法」が採用されました。装置はカリフォルニア大学のアーネスト・ローレンスが開発したサイクロトロンの技術を応用したもので、「カルトロン」と呼ばれました。

巨大な磁場の中でイオン化したウランを曲げると、ウラン235とウラン238では軌道にわずかな差が生じます。その差を利用してウラン235を集めました。

この説明だけを聞くと精密な研究装置を想像しますが、実際のY-12は多数の装置を連続運転する巨大工場でした。資材と電力を大量に消費しながら、昼夜を問わず運転されました。

マンハッタン計画期、Y-12工場の交代勤務に向かう女性たち
Y-12工場の交代勤務に向かう女性たち。撮影:Ed Westcott/所蔵:U.S. Department of Energy/Public Domain

Y-12の操作員には、多くの若い女性が採用されました。彼女たちは計器を監視し、針が指定範囲から外れればつまみを調整しました。自分たちの仕事が原爆材料の生産につながるとは知らされていない人が大半でした。

「カルトロン・ガールズ」と呼ばれる彼女たちの写真は、マンハッタン計画が著名な男性科学者だけでなく、名も知られない多数の操作員によって支えられていたことを示します。

K-25――ガス拡散法

K-25では、ウランを気体の六フッ化ウランに変え、極めて細かな隔膜を何度も通過させる「ガス拡散法」が使われました。軽いウラン235を含む分子は、重いウラン238を含む分子よりわずかに速く隔膜を通ります。

一度の差はごく小さいため、同じ工程を何段階も繰り返さなければなりません。そのためK-25は、巨大なU字形の建物になりました。

マンハッタン計画期、K-25ガス拡散工場の制御室
K-25工場の制御室。所蔵:U.S. Department of Energy/Public Domain

制御室に並ぶ計器は、原爆開発が科学実験から巨大な工業システムへ変わったことをよく示しています。わずかな同位体差を利用するために、気密性、材料、ポンプ、配管、電力供給を大規模に維持する必要がありました。

1945年、K-25工場建設現場でコンクリート作業をする労働者
1945年、K-25工場の建設労働者。所蔵:U.S. Department of Energy/Public Domain

その施設を実際につくったのは、建設現場でコンクリートを流し、鉄骨を組み、設備を取り付けた労働者たちです。完成後の巨大工場だけを見ていると忘れがちですが、マンハッタン計画は土木・建築・物流の事業でもありました。

S-50と、複数方式をつないだ生産

オークリッジでは、液体熱拡散法を使うS-50も建設されました。S-50、K-25、Y-12は独立して競争しただけではありません。工程の後半では、前段階で少し濃縮したウランを次の施設へ送り、最終的にY-12で高濃度にする連続的な生産体系が組まれました。

研究段階では、どの方式が成功するか分かりませんでした。そのため複数方式へ同時に巨額の資金を投入し、動き始めた設備を組み合わせて結果を出す――この「失敗に備えた並行開発」も、マンハッタン計画の特徴です。

X-10黒鉛炉――ハンフォードへの中間段階

1940年代、オークリッジのX-10黒鉛炉
オークリッジのX-10黒鉛炉。所蔵:U.S. Department of Energy/Public Domain

オークリッジには、ウラン濃縮施設だけでなくX-10黒鉛炉もありました。X-10は1943年11月に運転を開始し、少量のプルトニウムを生産しました。

X-10だけで原爆に必要な量を供給することはできませんでしたが、原子炉の運転、照射済み燃料の扱い、プルトニウムの化学分離などを実地に学ぶ役割を果たしました。その経験が、ハンフォードでの本格的な量産につながりました。

50万人を超える人々が関わった巨大事業

1944年、オークリッジで仕事に応募する人々
1944年、オークリッジで仕事に応募する人々。所蔵:U.S. Department of Energy/Public Domain

オークリッジで仕事に応募する人々の列は、計画が人を吸い込む巨大な雇用の場だったことを示します。米国国立公園局によれば、労働者、科学者、技術者、政治指導者など50万人を超える人々がマンハッタン計画に貢献しました。

科学者はその一部にすぎません。建設、輸送、清掃、警備、事務、調理、医療、教育、販売など、都市と工場を動かすあらゆる仕事が必要でした。

秘密都市にも日常生活があった

オークリッジの保育施設で乳児を抱く看護師たち
オークリッジの保育施設。撮影:Ed Westcott/所蔵:U.S. Department of Energy/Public Domain

働く人が増えれば、子どもを預かる施設が必要になります。保育施設で乳児を抱く看護師の写真からは、秘密都市が単なる軍事工場ではなく、家族が暮らす生活空間でもあったことが分かります。

マンハッタン計画期、オークリッジの食料品店
オークリッジの食料品店。撮影:Ed Westcott/所蔵:U.S. Department of Energy/Public Domain

食料品店には商品が並び、レジで働く人がいました。住民は仕事を終えれば買い物をし、映画を見て、学校へ通い、病院を利用しました。

1945年、オークリッジのゲストハウス
1945年、オークリッジのゲストハウス。撮影:Ed Westcott/所蔵:U.S. Department of Energy/Public Domain

要人や科学者が宿泊したゲストハウスのような施設もありました。こうした写真は、「秘密基地」という言葉から想像する閉ざされた研究所とは異なり、一つの都市社会が急造されたことを伝えます。

一方で、住宅不足、泥道、混雑、配給、厳しい勤務、外部との連絡制限など、急成長した都市ならではの不便もありました。愛国心や高賃金を求めて集まった人々が、快適さと不自由さの両方を経験していたのです。

人種隔離された労働と生活

オークリッジの石炭置場で働くアフリカ系アメリカ人労働者
オークリッジの石炭置き場で働くアフリカ系労働者。撮影:Ed Westcott/所蔵:U.S. Department of Energy/Public Domain

マンハッタン計画は、当時のアメリカ社会にあった人種差別を克服した組織ではありませんでした。国立公園局によると、オークリッジでは約7000人、ハンフォード周辺では1万5000人を超えるアフリカ系アメリカ人が計画に関わりました。

多くは建設、清掃、石炭運搬、家事労働など、低い地位に置かれた仕事を担いました。白人より粗末な住居に入れられ、家族で暮らすことを制限される場合もありました。

オークリッジのWhiteとColoredに分けられた便所
白人用と有色人種用に分けられた便所。所蔵:U.S. Department of Energy/Public Domain

「White」「Colored」と分けられた便所の写真は、秘密都市にもジム・クロウ体制の人種隔離が持ち込まれていたことを明確に示します。

工場の技術的成功だけを語れば、こうした労働と差別は見えなくなります。マンハッタン計画を社会史として理解するには、誰が重要な仕事を与えられ、誰が名を残し、誰の労働が見えにくくされたのかも見る必要があります。

ハンフォード――プルトニウムを量産した場所

ワシントン州南東部のコロンビア川沿いに、ハンフォードの生産施設が建設されました。

この場所が選ばれた理由には、原子炉を冷却する大量の河川水、豊富な水力発電、交通の便、そして大都市から離れていることがありました。1943年1月、グローヴズはハンフォードを本格的なプルトニウム生産拠点として承認しました。

陸軍工兵隊は広大な土地を接収し、そこに暮らしていた住民を立ち退かせました。また、コロンビア川流域を長く利用してきた先住民族の生活や漁労、文化にも大きな影響を与えました。巨大施設が建設された土地は、それ以前から「何もない場所」だったわけではありません。

B炉――世界初の本格的プルトニウム生産炉

1944年、建設中のハンフォードB炉
1944年、建設中のハンフォードB炉。所蔵:Library of Congress/No known restrictions

B炉では、ウラン燃料を原子炉内で中性子にさらし、その一部をプルトニウムへ変えました。シカゴ・パイル1号やX-10で確かめた原理を、世界で初めて工業規模へ拡大した施設です。

原子炉は大量の熱を発生させるため、コロンビア川の水が冷却に使われました。B炉に続き、D炉、F炉も建設されました。

ここで重要なのは、原子炉からそのまま原爆材料が出てくるわけではないことです。運転後の燃料には、ウラン、核分裂生成物、生成したプルトニウムなどが混在していました。

Tプラント――照射済み燃料からプルトニウムを取り出す

ハンフォードのTプラント化学分離施設
ハンフォードのTプラント。所蔵:U.S. Department of Energy/Public Domain

Tプラントでは、強い放射線を出す照射済み燃料を遠隔操作し、化学処理によってプルトニウムを分離しました。細長い巨大建物は「クイーン・メリー」とも呼ばれました。

この工程は原子炉と同じくらい重要です。原子炉でプルトニウムを生成しても、ほかの物質から安全に分離し、ロスアラモスへ送れる形にしなければ兵器には使えません。

ハンフォードを造った労働者

ハンフォード建設キャンプで列に並ぶ労働者たち
ハンフォード建設キャンプの長い列。所蔵:U.S. Department of Energy/Public Domain

建設キャンプに並ぶ長い人列は、ハンフォードが短期間に急膨張したことを伝えます。近隣のリッチランドは、人口約250人の小さな集落から、1945年には約1万5000人の計画都市へ変わりました。

建設現場には全米から人が集まりました。住居や食堂が不足し、砂ぼこり、暑さ、寒さ、長い待ち時間に悩まされながら、原子炉、化学分離施設、道路、鉄道、送電設備などをつくりました。

ハンフォードでも約1万5000人のアフリカ系アメリカ人労働者が働きましたが、住居や食堂などは人種によって分けられていました。

ハンフォードで生産されたプルトニウムは、1945年7月のトリニティ実験と、8月9日に長崎へ投下されたファットマンに使われました。

ロスアラモス――原爆を兵器として成立させた研究所

ニューメキシコ州の高原に置かれたロスアラモス研究所では、オークリッジとハンフォードから届く核分裂性物質を使い、実際に投下可能な原爆を設計・組み立てました。

J・ロバート・オッペンハイマー
J・ロバート・オッペンハイマー。撮影:Ed Westcott/所蔵:U.S. Department of Energy/Public Domain

科学部門を率いたオッペンハイマーは、大学や研究機関から物理学者、化学者、数学者、工学者を集めました。ロスアラモスには軍人、技術者、機械工、事務職員、家族も暮らし、郵便住所さえ共通の私書箱で管理されました。

ロスアラモスの科学者たち
ロスアラモスの科学者たち。1945年。Harry S. Truman Library & Museum(72-4165)/Public Domain

写真には、アーネスト・ローレンス、エンリコ・フェルミ、イジドール・ラビら著名な科学者が写っています。しかし、彼らの理論だけで原爆が完成したわけではありません。材料の性質を測り、部品を加工し、起爆のタイミングを検証し、投下機へ搭載できる形へまとめるには、幅広い専門分野の協力が必要でした。

ロスアラモスで大きな問題になったのが、ウラン型とプルトニウム型で異なる設計が必要になったことです。

2種類の原爆が作られた

リトルボーイ――オークリッジの濃縮ウランを使う

ウラン型原爆リトルボーイ
リトルボーイ型原爆。1945年。Harry S. Truman Library & Museum(61-55)/Public Domain

広島へ投下されたリトルボーイは、オークリッジで濃縮されたウラン235を使う「砲身型」の原爆でした。

基本的な考え方は、分けておいた核分裂性物質を急速に一体化させ、連鎖反応が急激に拡大する状態にすることです。実戦用と同規模の核爆発実験は行われませんでした。研究者たちは構造が比較的単純で、部分的な試験によって作動への確信を得られると判断しました。

ここで述べるべきなのは仕組みの概略までです。兵器の具体的な寸法、材料量、加工方法、起爆手順は、マンハッタン計画を歴史として理解するために必要ありません。

ファットマン――ハンフォードのプルトニウムを使う

1945年8月、テニアン島で組み立てられ台車に載せられたプルトニウム型原爆ファットマン
1945年8月、テニアン島で組み立てられたファットマン。U.S. National Archives(NWDNS-77-BT-187)/Public Domain

長崎へ投下されたファットマンは、ハンフォードで生産されたプルトニウムを使う「爆縮型」の原爆でした。

プルトニウムでは、砲身型のように物質を単純に合体させる方法が適さないことが分かりました。そこで周囲から均等に圧力を加え、中心部を急激に圧縮する爆縮方式が開発されました。

この方式では、複数の要素が極めて短い時間差で正確に働かなければなりません。そのため、実際に作動するかを確かめる大規模実験が必要になりました。

トリニティ実験――世界初の核爆発

トリニティ実験塔に設置されたガジェット
トリニティ実験塔のガジェット。1945年7月13日。Harry S. Truman Library & Museum(72-4158)/Public Domain

1945年7月13日、爆縮型の実験装置「ガジェット」がニューメキシコ州の実験塔に設置されました。装置には、ハンフォードで生産されたプルトニウムが使われました。

1945年7月16日のトリニティ実験
トリニティ実験。1945年7月16日。撮影:Jack Aeby/Harry S. Truman Library & Museum(72-4148)/Public Domain

7月16日午前5時30分、ガジェットは爆発しました。トリニティ実験は、人類が引き起こした世界初の核爆発です。

閃光、熱、爆風、きのこ雲は、爆縮方式が作動したことを示しました。しかし、実験成功は単なる科学的達成ではありません。数週間後に都市へ使用される兵器が完成したことを意味しました。

製造工程の先にあった広島と長崎

1945年8月6日、ウラン型原爆リトルボーイが広島へ投下されました。8月9日には、プルトニウム型原爆ファットマンが長崎へ投下されました。

1945年8月頃、原爆投下後の広島を上空から撮影した航空写真
原爆投下後の広島。1945年8月頃。U.S. Army Air Forces/Harry S. Truman Library & Museum(98-2459)/Public Domain

航空写真には、広島の市街地が広範囲に破壊された様子が写っています。

しかし、この写真だけでは、地上で何が起きたのかを十分に理解できません。写真は建物の消失や都市の破壊範囲を示しますが、強烈な熱線と爆風を受けた人々、火災、放射線障害、家族を失った人々、その後何年も続いた健康被害までは写していません。

米国国立公園局は、広島と長崎への原爆投下によって、1945年末までに20万人を超える人が直接の結果として死亡したと説明しています。ただし、犠牲者数は、集計時期、対象範囲、記録の欠落によって推計が異なります。単一の数字だけで被害全体を表したと考えてはいけません。

また、被害は死亡者数だけでは捉えられません。広島平和記念資料館、長崎市の公式平和資料、国立の追悼平和祈念館には、遺品、被災写真、被爆体験記、証言が蓄積されています。放射線影響研究所は、原爆放射線による初期影響と後影響を長期的に研究しています。航空写真で見える都市破壊と、一人ひとりが経験した熱線、爆風、火災、放射線、喪失を同じものとして扱わず、複数の資料を重ねて理解する必要があります。

マンハッタン計画を「原爆が完成するまで」で終わらせれば、工場と科学技術の成功物語になってしまいます。オークリッジ、ハンフォード、ロスアラモスで進んだ工程は、最終的に二つの都市と、その住民の生活へつながっていました。

写真が示すもの、示さないもの

この記事で使った写真は、マンハッタン計画を理解するための一次資料です。

K-25の航空写真は、ウラン濃縮が巨大な工業施設を必要としたことを示します。労働者の列や交代勤務の写真は、計画を支えた人の多さを示します。人種別に分けられた便所は、秘密都市内部の差別を示します。トリニティ実験の写真は、世界初の核爆発が実際に行われたことを示します。

一方で、写真から分からないこともあります。

工場の写真だけでは、働いた人が自分の仕事の意味をどこまで知っていたかは分かりません。笑顔で写る人物が満足していたとも限りません。広島の航空写真だけでは、一人ひとりの被害や、その後の人生を理解できません。

一次資料は「本物だから、それだけで真実の全体を語る」のではありません。誰が、いつ、何の目的で撮影したのかを確認し、写真の外側にある資料や証言と組み合わせて読む必要があります。

マンハッタン計画の本当の姿

マンハッタン計画は、オッペンハイマー一人の天才物語ではありません。

  • 研究室で生まれた核物理学を工業規模へ拡大した計画
  • 3つの秘密都市と全米各地の施設を結んだ巨大ネットワーク
  • 50万人を超える人々が役割を分担した労働の歴史
  • 女性やアフリカ系アメリカ人の貢献と差別が併存した社会
  • 土地を接収され、生活や文化を変えられた人々の歴史
  • 広島と長崎への原爆投下、核軍拡、放射性廃棄物へ続く出発点

こうした複数の側面を持つ出来事です。

3都市の分業をひとことで整理すると、次のようになります。

  • オークリッジがウラン235を濃縮した
  • ハンフォードがプルトニウムを生産した
  • ロスアラモスが二つの物質を使う原爆を設計した

この仕組みを知ると、マンハッタン計画が「科学者が研究所で爆弾を発明した」という単純な話ではなく、国家、軍、大学、企業、都市、労働者を動員した総力戦の産物だったことが見えてきます。

よくある質問

マンハッタン計画は、なぜ「マンハッタン」という名前なのですか?

計画を担当した陸軍工兵隊のマンハッタン工兵管区が、当初ニューヨーク市マンハッタンに本部を置いたことに由来します。主要な原爆開発施設がマンハッタンにあったという意味ではありません。

マンハッタン計画で働いた人は、原爆をつくっていると知っていましたか?

全体像を知る人はごく一部でした。仕事は細かく分割され、多くの労働者は自分の工程だけを教えられました。ただし、科学者や上級技術者、軍関係者など、目的を知る立場の人もいました。

3つの秘密都市の違いは何ですか?

オークリッジはウラン濃縮、ハンフォードはプルトニウム生産、ロスアラモスは原爆の設計・組み立てを主に担当しました。ただし、それぞれの都市には研究、試験、教育、生活を支える多くの施設もありました。

なぜリトルボーイは核爆発実験をしなかったのですか?

ウランを使う砲身型は比較的単純な設計と考えられ、部分的な試験で作動への確信が得られたためです。また、濃縮ウランは生産量が限られ、実験用に一発分を使う余裕もありませんでした。プルトニウム型はより複雑だったため、トリニティ実験で確認されました。

マンハッタン計画はいつ終わったのですか?

1947年1月、原子力委員会が関連業務を引き継ぎ、マンハッタン計画は同年8月に正式に終了しました。しかし、核兵器開発、原子力研究、放射性廃棄物、被曝、核軍拡などの影響は現在まで続いています。

日本でも原爆研究は行われていたのですか?

日本でも第二次世界大戦中、陸軍の「ニ号研究」と海軍の「F研究」が行われました。ただし、アメリカのように巨大工場と秘密都市を建設し、核分裂性物質を工業規模で生産する段階には達していません。

詳しくは、関連記事「日本も原爆の研究をしていた?陸軍「ニ号研究」と海軍「F研究」」で解説しています。

まとめ

マンハッタン計画を理解する鍵は、3つの秘密都市です。

オークリッジでは、Y-12、K-25、S-50が異なる方法でウラン235を濃縮しました。ハンフォードでは、原子炉と化学分離施設によってプルトニウムを量産しました。ロスアラモスでは、二つの核分裂性物質を使う原爆が設計され、トリニティ実験を経て実戦投入されました。

しかし、写真が伝えるのは施設の規模だけではありません。交代勤務へ向かう女性、建設現場の労働者、保育施設、食料品店、人種隔離された設備の写真からは、計画を動かした社会そのものが見えます。

そして、その工程の終点には広島と長崎がありました。

マンハッタン計画は、科学技術の飛躍、国家の動員力、秘密保持、労働、差別、強制移転、都市破壊、核時代の始まりが一つにつながった歴史です。工場、人物、生活、被害を同じ流れの中で見ることで、初めてその全体像に近づくことができます。

参考文献

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  22. 広島平和記念資料館 公式サイト
  23. 長崎市「ながさきの平和」原爆の惨状
  24. 放射線影響研究所「放射線の健康影響」
  25. 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館