東京の企業史は、現在の本社所在地だけでなく、最初の店や工場が置かれた街にも残っています。日本橋の呉服店や魚河岸、銀座の薬舗と時計店、新宿西口のカメラ店、原宿のセレクトショップ、浅草・葛飾の玩具、鐘ヶ淵や深川の工場、神田の広告取次、ひばりが丘団地の食品店などです。
東京で生まれた有名企業・ブランド21社を、創業地、1号店、初期工場、街の歴史と結びつけて紹介します。
30秒で分かる結論
- 東京で生まれた企業は、江戸商業、魚河岸、薬業、銀座ブランド、駅前商業、若者文化、玩具問屋、近代工業、広告、郊外生活など、街の個性と深く結びついています。
- 「創業地」といっても、会社の設立地、ブランド1号店、前身企業、初期工場、現在の本社は同じとは限りません。
この記事で取り上げる企業の基準
「創業」「設立」「1号店」「工場」「本社移転」は別の出来事です。SHIPSは上野アメ横の三浦商店を源流に持ちますが、SHIPS名義の1号店は銀座です。すかいらーくは前身の食品店がひばりが丘団地で始まり、ファミリーレストラン1号店は府中市国立でした。
まず一覧|東京で生まれた有名企業と始まりの場所

| 企業・ブランド名 | 始まりの場所 | 始まりの時期 | 何から始まったか | 見どころ |
|---|---|---|---|---|
| 三越 | 江戸本町一丁目 | 1673年 | 呉服店「越後屋」 | 江戸の小売革命 |
| 吉野家 | 日本橋魚河岸 | 1899年 | 市場の牛丼店 | 魚河岸の働く食文化 |
| 資生堂 | 銀座 | 1872年 | 洋風調剤薬局 | 薬から化粧品・デザインへ |
| セイコー | 京橋采女町 | 1881年 | 服部時計店 | 銀座の時計塔と時間の近代化 |
| 第一三共 | 日本橋本町ほか | 1899年・1915年 | 三共・第一製薬の流れ | 薬の街と近代製薬 |
| ヨドバシカメラ | 渋谷区本町・新宿 | 1960年・1970年代 | 写真用品卸から小売へ | 新宿西口の駅前商業 |
| BEAMS | 原宿 | 1976年 | アメリカンライフショップ | 若者文化とセレクトショップ |
| SHIPS | 上野アメ横・銀座 | 1952年・1977年 | 三浦商店、SHIPS銀座店 | 戦後アメ横から銀座へ |
| UNITED ARROWS | 神宮前 | 1989年 | 会社設立、翌年1号店 | 成熟したセレクトショップ文化 |
| バンダイ | 浅草菊屋橋 | 1950年 | 萬代屋 | 下町玩具とキャラクター商品 |
| タカラトミー | 東京府下・葛飾周辺 | 1924年から | 富山玩具製作所ほか | セルロイド玩具と葛飾 |
| エポック社 | 台東区菊屋橋 | 1958年 | 野球盤 | 家庭向け玩具の定番化 |
| 鐘紡 | 鐘ヶ淵 | 1887年 | 東京綿商社 | 地名と企業名が重なる工業史 |
| 東芝 | 銀座・芝浦 | 1875年から | 田中製造所など | からくりから電機へ |
| キヤノン | 麻布六本木 | 1933年 | 精機光学研究所 | 国産高級カメラ開発 |
| フジクラ | 神田淡路町・深川 | 1885年から | 絹・綿巻線、電線 | 工場跡が街へ変わる |
| 博報堂 | 神田区鍋町 | 1895年 | 教育雑誌の広告取次 | 出版・教育の街から広告へ |
| 電通 | 東京 | 1901年 | 日本広告と電報通信社 | 通信と広告の併営 |
| すかいらーく | ひばりが丘団地・府中 | 1962年・1970年 | 食品店、ファミレス1号店 | 団地と郊外外食 |
| スタジオジブリ | 吉祥寺 | 1985年 | アニメ制作会社 | 東京西部の文化企業 |
| カルディコーヒーファーム | 下高井戸 | 1986年 | コーヒー豆と輸入食品店 | 商店街の異国文化 |
江戸商業から近代ブランドが生まれた街
日本橋・銀座周辺には、江戸時代の呉服店や魚河岸、明治以降の薬、時計、化粧品、百貨店、金融が重なっています。
三越|江戸の越後屋から百貨店文化へ
三越の歴史は、1673年に三井高利が江戸本町一丁目で開いた呉服店「越後屋」にさかのぼります。
当時の大店では、得意先の屋敷に商品を持参し、支払いを盆暮れなどにまとめる掛売りが一般的でした。越後屋は店前売り、現金掛値なし、切り売りなどを打ち出し、来店客が正札で必要な分だけ買える仕組みを広げました。
越後屋は三井呉服店を経て、近代的な百貨店である三越へつながります。三井グループの全体像は、関連する財閥とは何か|三井・三菱・住友・安田からわかる日本近代経済史で解説しています。
吉野家|日本橋魚河岸で生まれた牛丼
吉野家は、1899年に日本橋魚河岸で創業しました。牛丼は、魚河岸で働く人たちが短時間で食べられ、腹持ちのよい食事として広がりました。
1923年の関東大震災で日本橋魚河岸は大きな被害を受け、魚市場は築地へ移転しました。吉野家も1926年に築地方面へ移り、1935年には築地市場内へ移転しました。
資生堂|銀座の薬舗から化粧品とデザインへ
資生堂は1872年、福原有信が銀座に開いた洋風調剤薬局から始まりました。銀座は明治以降、煉瓦街、洋風文化、新聞、百貨店、カフェ、広告、デザインが重なる街となり、資生堂も薬から化粧品、文化発信へ事業を広げました。
資生堂は商品に加え、包装、広告、店舗、喫茶、誌面づくりまで手がけ、薬舗としての信頼と都市文化の美意識を結びつけました。
セイコー|京橋・銀座から始まる時間の近代化
セイコーの前身である服部時計店は、1881年に服部金太郎が京橋采女町で創業した時計小売・修理店です。やがて銀座四丁目へ進出し、時計塔が街の目印になりました。現在も銀座四丁目の時計塔は、和光・セイコーの歴史を伝えています。
鉄道、工場、学校、会社が動く近代社会では、人々が同じ時刻を共有する必要がありました。時計製造の発展は、都市を時刻で動かす仕組みと結びついています。
第一三共|日本橋本町の薬の街と近代製薬
第一三共は、三共と第一製薬などの流れを経て成立しました。三共・第一製薬にはそれぞれの企業史があり、現在の本社所在地である日本橋本町は江戸以来の薬業の街です。
日本橋本町には、製薬会社のビルに加え、薬種問屋、薬祖神、くすりミュージアムの記憶が残っています。江戸の薬業から近代製薬、現代の研究開発までが同じ地域に重なっています。
カメラと家電量販店の街から生まれた企業
ヨドバシカメラ|新宿西口の駅前商業が生んだ企業
ヨドバシカメラは、1960年に卸売業として開業し、1970年代に小売へ本格的に進みました。社名の「ヨドバシ」は、かつて新宿西口一帯にあった淀橋の地名を思い起こさせます。戦後の新宿西口では、再開発、地下街、家電・カメラ店、オフィス街が重なりながら成長しました。
ヨドバシカメラは、専門知識、価格訴求、駅前の集客力を組み合わせ、カメラ量販店から家電量販店へ広がりました。新宿西口では、鉄道駅、バスターミナル、地下街、家電量販店が一体化した駅前商業が形成されています。
若者文化とセレクトショップの誕生
セレクトショップは、国内外のブランドや雑貨を店の視点で選び、ライフスタイルとして提案する店です。東京では、原宿、渋谷、上野アメ横、銀座がそれぞれ異なる形でこの文化を育てました。
BEAMS|原宿の小さな店から始まったアメリカンライフスタイル
BEAMSは1976年、原宿に1号店「アメリカンライフショップ ビームス」を開いたことから始まりました。原宿では、若者、ファッション、音楽、雑誌、カフェ、クリエイターが集まり、流行を作る街へ変わっていきました。
BEAMSは衣服に加え、雑貨、音楽、カルチャーを通じてアメリカの暮らし方を紹介し、日本のセレクトショップ文化に大きな影響を与えました。
SHIPS|上野アメ横の三浦商店から銀座の1号店へ
SHIPSの源流は、1952年に上野アメ横で開かれた三浦商店です。戦後のアメ横は、物資、輸入品、米軍放出品、若者の憧れが交差する場所でした。その後、三浦商店は「ミウラ」となり、アメリカからの輸入販売を進め、1975年に有限会社ミウラを設立しました。
SHIPS名義の1号店は、1977年の銀座店です。上野アメ横の米軍放出品・輸入カジュアルから、渋谷を経て銀座のセレクトショップへ事業を広げました。
UNITED ARROWS|神宮前から始まった成熟したセレクトショップ
UNITED ARROWSは1989年、東京都渋谷区神宮前2丁目で設立され、1990年に1号店を開きました。BEAMSやSHIPSが広げたセレクトショップ文化を背景に、大人向けの装い、品質、ライフスタイルを提案しました。
BEAMSは原宿の若者文化、SHIPSはアメ横から銀座へ至る輸入カジュアル、UNITED ARROWSは神宮前・原宿の都市型スタイルという違いがあります。
玩具とキャラクター文化を生んだ下町
浅草、蔵前、駒形、菊屋橋、葛飾には、玩具の問屋、職人、小工場、材料、輸出の機能が集まりました。産業集積の背景は、関連するなぜ東京のあの街に同じ業者が集まったのか|都内産業集積の歴史散歩ガイドで解説しています。
バンダイ|浅草菊屋橋の萬代屋からキャラクター商品へ
バンダイは1950年、東京都台東区浅草菊屋橋で「萬代屋」として設立されました。浅草・蔵前・駒形周辺は、玩具問屋や雑貨商が集まる商業地でした。萬代屋はのちにバンダイとなり、超合金、ガンプラ、たまごっちなどの商品を生み出しました。
現在の本社は台東区駒形にあります。創業地とは異なりますが、台東区の玩具問屋文化との関係が続いています。
タカラトミー|葛飾の玩具産業とセルロイドの記憶
タカラトミーは、トミー側とタカラ側の系譜を持ちます。トミー側の前身は、富山栄市郎が1924年に創設した富山玩具製作所です。葛飾区史によると、四つ木や立石周辺はセルロイド玩具の生産地として発展し、昭和初期には玩具輸出を支えました。
トミカ、プラレール、リカちゃん、人生ゲーム、チョロQなどの代表商品は、葛飾の小工場、職人、材料、量産技術、分業を背景に生まれました。現在の本社は葛飾区立石にあります。
エポック社|菊屋橋の野球盤から家庭の遊びへ
エポック社は1958年、前田竹虎が東京都台東区菊屋橋に設立し、同年に「野球盤」を発売しました。菊屋橋はバンダイの創業地とも近く、台東区の玩具・問屋文化と結びついています。
野球盤は、プロ野球人気と家庭の娯楽が重なった時代の商品でした。のちにエポック社はシルバニアファミリーなどでも知られるようになりました。
東京の工業地帯から生まれた大企業
東京は商業の街であると同時に、近代工業の街でもありました。墨田、芝浦、六本木、神田、深川には、繊維、電機、カメラ、電線の企業史が残っています。
鐘紡|鐘ヶ淵という地名と結びつく繊維産業
鐘紡の前身は、1887年に東京府下鐘ヶ淵で創立された東京綿商社です。1889年には紡績工場が操業し、1893年に鐘淵紡績へ改称しました。会社名に地名が入り、工場と地域の記憶が重なっています。
鐘ヶ淵周辺には、現在も鐘紡記念碑や発祥の地説明板などが残っています。繊維産業は、機械、労働、女性労働、社内制度、企業城下町的な暮らしとも関係しました。
東芝|銀座の田中製造所から芝浦製作所へ
東芝の歴史には、田中製造所と東京電気という二つの流れがあります。田中製造所は、田中久重が1875年に銀座で工場兼店舗を始めたことにさかのぼります。1893年に芝浦製作所となり、重電メーカーの源流の一つになりました。
もう一つは、白熱灯製造会社として始まる白熱舎、のちの東京電気です。1939年に芝浦製作所と東京電気が合併し、東京芝浦電気となりました。東芝は、銀座の機械工場、芝浦の製造業、電球・電機の系譜が合流して成立しました。
キヤノン|六本木で始まった国産高級カメラ開発
キヤノンは、1933年に東京麻布六本木で高級小型写真機の研究を目的とする精機光学研究所が開設されたことから始まります。1934年には国産35mmフォーカルプレーンシャッターカメラ「KWANON」を試作し、1937年に精機光学工業株式会社として創業しました。
現在は商業・文化の街として知られる六本木に、戦前は国産高級カメラを目指す小規模な研究所がありました。
フジクラ|神田淡路町の電線事業から深川ギャザリアへ
フジクラの歴史は、1885年に藤倉善八が絹・綿巻線の製造に乗り出したことに始まります。善八は神田淡路町で編組事業をしており、その技術を電線被覆に応用して電線事業へ展開しました。
その後、フジクラは深川に工場を構えました。旧深川工場跡地一帯は深川ギャザリアとして再開発され、オフィス、商業、緑地のある街になりました。
広告とメディア産業の源流
明治の東京では、新聞、雑誌、教育、書店、通信が広がり、それらを結ぶ広告取次や通信社が発展しました。
博報堂|神田の教育雑誌広告から始まる
博報堂は1895年、瀨木博尚が神田区鍋町22番地で教育雑誌の広告取次店として創業しました。神田には、書店、出版社、学校、大学、専門知識が集まり、教育雑誌の広告取次という出発点は地域の出版・教育文化と結びついていました。
電通|通信社と広告代理店が一体だった時代
電通の歴史は1901年、光永星郎が日本広告株式会社を設立し、4か月後に電報通信社を併設したことから始まります。1906年には日本電報通信社が設立され、1907年には日本広告を合併して、通信と広告を併営する会社となりました。
通信社と広告代理店は現在は別業種ですが、明治期にはニュース通信と新聞広告が近接していました。1936年に通信部門を移譲し、広告専業へ移行しました。
団地・郊外・文化企業の誕生
戦後の団地、郊外住宅地、商店街、アニメ制作の現場からも、全国的・世界的な企業文化が生まれました。
すかいらーく|ひばりが丘団地の食品店からファミレスへ
すかいらーくの前身は、1962年に保谷市、現在の西東京市のひばりが丘団地の片隅で始まった食品店「ことぶき食品」です。高度成長期の団地には、若い家族と日々の買い物需要がありました。
1970年には東京都府中市にファミリーレストランすかいらーく1号店(国立店)が出店しました。食品店の出発点とファミリーレストラン1号店は別の場所です。団地で培った家族向け食品の事業は、車社会と郊外ロードサイドの時代にファミリーレストランへ展開しました。その後のMBO、非公開化、再上場と店舗再編は、日本にPEファンドが広がった歴史で扱っています。
スタジオジブリ|吉祥寺から小金井へ広がった文化企業
スタジオジブリは1985年、吉祥寺でスタートしました。1992年には東京都小金井市に第1スタジオが完成しました。
吉祥寺、小金井、三鷹の森ジブリ美術館はいずれも東京西部に位置し、制作会社と文化施設が同じ地域に広がっています。
カルディコーヒーファーム|下高井戸の1号店から広がった日常の異国文化
カルディコーヒーファームは、1986年に東京都世田谷区の下高井戸に1号店を開きました。コーヒー豆や業務用のパスタ、トマト缶などを扱う店から始まり、1992年の下北沢店では海外のマルシェを思わせる陳列スタイルを打ち出しました。
輸入食品を商店街の日常に取り込み、コーヒーと食品を通じて異国の食文化を広げました。
採用しなかったが、別記事で扱いたい東京発祥・東京ゆかりの企業
- ADEKA:1917年設立、1918年に尾久工場が操業しました。荒川・尾久の近代化学工業史に関わります。
- トプコン:1932年設立。板橋の精密・光学産業、測量機、医療機器の歴史に関わります。
- 土屋鞄:1965年創業。足立のランドセル工房から始まったブランドです。
- 東映アニメーション:練馬・大泉のアニメ産業拠点に関わる企業です。
- ジャノメ:東京で創業し、小金井工場などを通じて家庭用ミシンの量産を進めました。
- オーケー:岡永商店の小売部門から始まり、東京のスーパーマーケット史に関わります。
まとめ|東京の企業史は、街を歩くと見えてくる
東京の企業史は、日本橋・銀座の商業、浅草・葛飾の玩具、鐘ヶ淵・深川の工業、神田の広告、ひばりが丘・府中の郊外生活など、地域の産業と暮らしに結びついています。
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- 古地図まるわかりガイド|江戸・明治の地図で東京の街歩きが楽しくなる入門
参考資料
- 三井広報委員会「越後屋誕生と高利の新商法」
- 三井広報委員会「呉服業の終焉と三越の始まり」
- 吉野家「吉野家の歴史 創業期」
- 資生堂「OUR FOUNDERS」
- セイコーミュージアム銀座「服部金太郎物語 第二話」
- SEIKO HOUSE「セイコーと時計塔の歩み」
- 第一三共「創薬企業としての歴史」
- ヨドバシカメラ グループ企業公式サイト「株式会社ヨドバシカメラ」
- ヨドバシカメラ新卒採用「ヨドバシカメラの歩み」
- BEAMS「HISTORY」
- SHIPS「会社沿革」
- UNITED ARROWS「沿革」
- バンダイ「歴史」
- タカラトミー「社史・商品史」
- 葛飾区史「第4章 現代へのあゆみ」
- エポック社「会社概要・沿革」
- クラシエ「会社の歴史:1887~1959年」
- 墨田区観光協会「鐘紡記念碑」
- 東芝「歴史・沿革」
- 東芝「沿革」
- キヤノン「キヤノンの歴史 1933-1961」
- フジクラ「先哲の室」
- フジクラ「不動産|旧深川工場跡地一帯の最大活用」
- 博報堂「博報堂のあゆみ」
- 電通「歴史」
- 電通グループ「ビジネスヒストリー 1901」
- すかいらーくホールディングス「歴史・沿革」
- スタジオジブリ「スタジオジブリの年表」
- キャメル珈琲「HISTORY 沿革」
- ADEKA「沿革」
- トプコン「トプコンの歩み」
- 土屋鞄製造所 採用サイト「会社を知る」
- 練馬アニメーションサイト「東映アニメーションギャラリー」
- JANOME「ジャノメの歴史」
- オーケー「沿革」

