板橋区立郷土資料館には、江戸時代に板橋宿と上板橋地域で活動した「冨士永田講」に関わる祭具が保存されています。板橋宿平尾に住んだ永田長四郎(永田長照)が組織した富士講に伝わる資料で、文政2年(1819)に作られた祭壇が特に貴重です。富士山への登拝と、地元で続けられた祈りの両方を伝えています。
江戸時代の板橋に広がった富士講
富士講は、富士山を信仰する人々が作った集まりです。講の人々は参詣の費用を出し合い、交代で富士山に登ったり、地元で祭壇を設けて祈祷したりしました。江戸時代後期には江戸周辺に多数の富士講があり、板橋地域でも永田講、山万講、丸吉講などが活動しました。
富士講は信仰の集まりであると同時に、地域の人々が旅の準備や祭礼を共同で行う組織でもありました。講に残された帳面や道具は、信仰がどのように運営されていたかを知る資料です。
永田長四郎と食行身禄の系譜
冨士永田講を組織した永田長四郎は、永田長照とも呼ばれ、板橋宿平尾に暮らしていました。江戸の富士講に大きな影響を与えた行者・食行身禄(じきぎょうみろく)の教えに連なる人物です。講の活動は平尾宿の周辺だけでなく上板橋にも広がり、地域ごとの仲間によって支えられました。
板橋区氷川町の氷川神社境内には富士山を小さく模した富士塚があり、永田講に関わる信仰の場所として伝わっています。山に登ることと、身近な場所で富士山を拝むことが、江戸近郊の人々の生活の中で結び付いていました。
文政2年(1819)の祭壇と祈祷の道具
「冨士永田講関係祭具一括」の中には、文政2年(1819)に上板橋永田講が作製した祭壇があります。郷土資料館の富士講展では、同じ1819年の年号を持つ「拝み箪笥」も紹介されました。こうした道具は富士山そのものに登らない日にも、講の仲間が集まって礼拝するために使われました。
資料館には、永田講の「身禄系五行御身抜(みぬき)」や小田原提灯なども伝わっています。御身抜は富士講の信仰対象を表す掛け軸状の資料です。祭具や登山用具の中には講ごとの印が記されたものもあり、どの集まりに属する道具かを知る手がかりになります。
祭具が郷土資料館に残る意味
現在、板橋区内で活動していた富士講の組織は途絶えています。講が保管してきた祭壇や装束、旅の道具が資料館に伝わったことで、江戸時代から近代にかけての富士登拝と共同の祈祷を調べられます。資料の公開は企画展などの会期によって変わるため、見学を希望する場合は郷土資料館の展示案内を確認してください。
氷川町の富士塚と永田講の関係は、氷川町氷川神社の富士塚で紹介しています。江戸時代の板橋宿の歴史については、板橋宿・仲宿周辺の歴史と文化財も参照できます。
参考資料
板橋区立郷土資料館「いたばしの富士山信仰―富士講用具と旅した人びと―」、板橋区『令和7年度版 板橋区文化財マップ』。
