東京水道の歴史|江戸の上水から浄水場・ダム・巨大水道網まで

東京水道の歴史を江戸の上水、近代水道、ダム、現代の巨大水道網まで図解したアイキャッチ 雑学
江戸の上水から浄水場・ダム・現代の巨大水道網までを時代順に整理した記事イメージ

東京水道の歴史は、江戸の神田上水・玉川上水を土台に、1898年の淀橋浄水場、村山・山口貯水池、小河内ダム、利根川・荒川水系へと水源を広げてきた歴史です。

東京の蛇口から安全な水が出るのは、遠くの水を運ぶ水路だけでなく、水をためるダム、きれいにする浄水場、圧力を調整する給水所、地下に張り巡らされた配水管が一体で働いているからです。

この記事の結論

  • 江戸は、川や池の水を自然流下で運び、木樋・石樋から共同の上水井戸へ配りました。
  • 1898年に始まった東京の近代水道は、淀橋浄水場で沈殿・ろ過した水を、圧力のある鉄管で共用栓・専用栓・消火栓へ送りました。
  • 塩素消毒は創設時からではなく、1922年に始まりました。
  • 現在の東京は、利根川・荒川、多摩川、相模川など複数の水系を結び、渇水や事故に備えています。

最終確認:2026年7月2日。歴史的事実、現在の施設規模、水源構成、水質基準、見学情報は東京都水道局・東京都水道歴史館の公式資料を中心に確認しています。

東京水道の歴史を30秒でつかむ

時代 中心となる仕組み 解決した課題
江戸 神田上水・玉川上水、木樋・石樋、上水井戸 人口が集中する城下町へ生活用水を運ぶ
明治 淀橋浄水場、沈殿・ろ過、有圧鉄管 水質悪化、感染症、火災、人口増加に対応する
大正~昭和前期 1922年からの塩素消毒、村山・山口貯水池、水道水源林 水の衛生管理を強化し、需要の変動に備える
戦後 小河内ダム、東村山浄水場、利根川・荒川水系 復興と高度経済成長による急激な需要増に対応する
現在 複数水系、浄水場、高度浄水処理、給水所、耐震管 水質事故、渇水、地震、施設更新へ多重に備える

近代水道の発展は一度に完成したものではありません。1898年には沈殿・ろ過した水を鉄管で送る近代水道が始まり、1922年に塩素消毒が加わり、その後、高度浄水処理や水質の常時監視へ発展しました。

給水人口
約1,385万人
2025年3月末現在
浄水能力
日量684万m³
2025年3月末現在
配水管
約2万7,585km
2025年3月末現在
保有水源量
日量約680万m³
2025年3月末現在

出典:東京都水道局「東京の水道の概要」

江戸の水道はどのように水を運んだのか

江戸入府時の上水は「伝承」と「確実な史料」を分ける

徳川家康が1590年に江戸へ入った際、上水が開かれたという話があります。ただし、初期上水には後世の伝承が含まれます。より確実なものとして、神田上水は寛永6年(1629年)ごろに完成したとされています。出典:東京都水道局「東京近代水道ギャラリー」

東京水道の始まりを1590年の一日に固定するより、江戸初期の都市建設とともに取水・導水・配水の仕組みが段階的に整ったと捉える方が正確です。

神田上水――池・川・堰・掛樋を組み合わせる

神田上水は、井の頭池、善福寺池、妙正寺池などを水源とする流れを利用した上水です。水は現在の神田川を流れ、関口の大洗堰でせき上げられ、小石川方面へ導かれました。

御茶ノ水付近では、神田川の上を掛樋(かけひ)で越えました。掛樋は、水道専用の橋のような構造です。その先で水は地下の木樋(もくひ)・石樋(せきひ)へ入り、神田や日本橋方面へ分配されました。

玉川上水――約43キロメートルを自然流下させる

江戸の人口と市街地が拡大すると、神田上水だけでは水が足りなくなりました。幕府は多摩川から水を引く計画を立て、庄右衛門・清右衛門兄弟に工事を命じました。工事は1653年に始まり、1654年に給水が始まりました。

羽村取水口から四谷大木戸までの距離は約43キロメートル、標高差は約92メートルです。平均すると1キロメートルで約2メートルしか下がりません。急すぎれば水路が削られ、緩すぎれば流れないため、武蔵野台地の尾根筋を選びながら勾配を保つ必要がありました。出典:東京都水道局「玉川上水」

江戸上水の水の流れ

池・河川
↓ 取水堰(しゅすいぜき)で水位を調整
開水路
↓ 自然流下(しぜんりゅうか)で運ぶ
木樋・石樋
↓ 市中で枝分かれ
上水井戸
↓ 桶でくむ
長屋・商家・武家屋敷

木樋・石樋と上水井戸

木樋は、木材をくり抜いたり板を組み合わせたりして作った水道管です。水量の多い場所では、石を組んだ石樋も使われました。

上水井戸は、地下水をくみ上げる普通の井戸とは違います。木樋・石樋から送られた水をため、住民が共同でくむ取水口でした。

「江戸六上水」はずっと六つだったわけではない

神田上水と玉川上水のほか、本所(亀有)、青山、三田、千川の各上水が整えられ、後世に「江戸六上水」と呼ばれました。しかし1722年、神田・玉川以外の四上水は廃止され、江戸後半は主に二つの上水が暮らしを支えました。

なぜ明治に近代水道が必要になったのか

明治になっても江戸時代の上水は使われましたが、人口増加、市街地の拡大、木樋の腐朽、開水路への汚れの流入などにより、安全性と供給量の限界が表面化しました。

  • 原水を計画的に沈殿・ろ過する施設がなかった
  • 木樋が腐り、漏水や周囲からの汚染が起こった
  • 共同井戸方式では増加する需要へ対応しにくかった
  • 圧力のある消火栓を使えなかった

コレラ、水質、火災、人口増加

19世紀の東京ではコレラが繰り返し流行し、1886年の大流行が近代水道建設を強く後押ししました。同時に、木造家屋が密集する都市では火災も深刻でした。近代水道は、公衆衛生と消防能力を同時に改善する都市事業でした。

江戸水道と近代水道の違い

比較 江戸の上水 創設期の近代水道 現在
水の運び方 開水路、木樋・石樋を自然流下 導水路と密閉した鉄管 複数水系、鉄管、ポンプ、配水池
水の処理 基本的に原水を利用 沈殿・ろ過 沈殿・ろ過・消毒・高度浄水処理
給水地点 共同の上水井戸 共用栓・専用栓・消火栓 各戸の蛇口・消火栓
圧力 主に高低差 高低差とポンプ 高低差、ポンプ、給水所で調整

創設期には、共用栓を利用する家庭も多く、近代水道の開始と同時に全家庭へ専用の蛇口が普及したわけではありません。出典:東京都水道局『東京近代水道125年史』

淀橋浄水場と鉄管水道の誕生

1898年12月1日、現在の西新宿に造られた淀橋浄水場から、神田・日本橋方面への給水が始まりました。東京で初めて、ろ過した水を鉄管で給水する近代水道が本格的に動き始めた日です。出典:東京都水道局「東京水道の日」

ここで注意したいのは、1898年の創設時から現在と同じ全工程が完成していたわけではないことです。創設期の淀橋浄水場では、玉川上水から導いた原水を沈殿・ろ過し、鉄管で送水しました。東京で塩素注入設備が設けられ、塩素消毒が始まったのは1922年です。出典:東京都水道局「塩素消毒」

現在につながる近代水道の基本工程

河川・ダム・貯水池

取水堰・導水路

沈殿(ちんでん)

ろ過

消毒

配水池・給水所

配水管・給水管・蛇口

※1898年の淀橋浄水場は沈殿・ろ過と有圧鉄管による給水で始まり、塩素消毒は1922年に加わりました。

沈殿・ろ過・消毒は何が違うのか

沈殿は、水中の濁りを集めて重くし、沈める工程です。ろ過は、沈殿で取り切れない細かな濁りを砂などの層で取り除く工程です。消毒は、塩素などで病原微生物による危険を抑える工程です。

現在の高度浄水処理では、通常処理にオゾンと生物活性炭を加え、かび臭の原因物質や微量の有機物などをさらに除きます。

玉川上水は近代水道にも使われた

淀橋浄水場の原水は、多摩川から玉川上水を通して運ばれました。1654年に江戸へ水を運び始めた水路が、1898年の近代水道では浄水場への導水路として利用されたのです。羽村取水口から小平監視所までの約12キロメートルは、現在も東村山浄水場へ原水を送る現役の導水路です。出典:東京都水道局「玉川上水」

貯水池・水源林・ダムへ――巨大都市の水をためる

村山・山口貯水池

村山上貯水池は1924年、村山下貯水池は1927年、山口貯水池は1934年に完成しました。現在の多摩湖・狭山湖です。多摩川から導いた水をため、需要の変動や渇水へ備えました。出典:東京都水道局「東京近代水道ギャラリー」

水道水源林は「ダムより上流の施設」

森林の土は雨を受け止め、水をゆっくり川へ流し、土砂の流出を抑えます。東京都は1901年から多摩川上流域の森林を管理しています。

水道水源林は東京都奥多摩町と山梨県小菅村・丹波山村・甲州市にまたがり、2026年4月現在の面積は約2万6,000ヘクタールです。出典:東京都水道局 水道水源林ポータル「地図で見る水源林」

小河内ダムと奥多摩湖

小河内ダムは1938年に着工し、戦争による中断を経て1957年に完成しました。小河内貯水池の有効貯水容量は1億8,540万立方メートルです。

建設では945世帯が移転し、工事で87人が亡くなりました。東京の安定給水は、移転した住民と建設に携わった人々の大きな負担の上に成り立っています。出典:東京都水道局「小河内ダム」

戦災復興・高度成長と利根川水系への拡張

戦後の東京では、人口集中、工業化、風呂、洗濯機、水洗トイレの普及などにより使用量が急増しました。1960年には東村山浄水場が通水しました。

1961年から多摩川の長期渇水が続き、1964年には「東京砂漠」と呼ばれる深刻な水不足になります。1964年に原水連絡管が完成し、1965年には利根川と荒川を結ぶ武蔵水路が通水しました。東京の水道は、多摩川中心から、都県境を越えた広域水源へ変わりました。

淀橋浄水場は1965年3月31日に閉鎖され、跡地は東京都庁、新宿中央公園、高層ビル街などへ変わりました。出典:東京都水道局「東京近代水道ギャラリー」

現在の東京はどこから水を受け取っているのか

東京都の保有水源量の構成は、利根川・荒川水系80%、多摩川水系17%、相模川水系等3%です。この割合は、毎日の蛇口の水の混合比率ではなく、東京都が保有している水源量の構成です。出典・確認:東京都水道局「東京の水道水源」、2026年7月2日確認

利根川・荒川 80%
多摩川 17%

相模川水系等は3%。

水質管理は水源から蛇口まで

東京都水道局は、水源、浄水処理の各工程、配水管、蛇口までを連続したシステムとして管理し、国の基準を大きく上回る301項目を検査しています。都内131か所の給水栓では水質を常時監視しています。出典:東京都水道局「ハイクオリティな水質管理」

PFOS・PFOAの基準は2026年4月に変わった

PFOS・PFOAは、数多くある有機フッ素化合物(PFAS)の一部です。2026年4月1日から、PFOSとPFOAの合計値について50ng/L以下が正式な水質基準となりました。

東京都水道局は原水、浄水、給水栓の水を年4回検査し、給水栓の検査値は水質基準値を大幅に下回ると公表しています。基準値と実際の検査結果は分けて確認することが重要です。出典:東京都水道局「PFOS・PFOAに関するQ&A」、2026年7月2日確認

耐震化と災害時給水

東京都は、継手が抜けにくい耐震管への更新、浄水場・配水池の耐震化、送水管の二重化・ネットワーク化を進めています。

災害時給水ステーションは都内213か所に設けられ、おおむね半径2キロメートルに1か所となるよう配置されています。出典:東京都水道局「災害時に水を配る場所」、2026年7月2日確認

東京の水道史を実際に歩いて見られる場所

東京都水道歴史館と本郷給水所公苑

江戸上水から近代水道、現代までを体系的に学べます。木樋、上水井戸、古文書、模型などがあり、隣接する本郷給水所公苑では神田上水の石樋と白堀が移築・復原されています。

  • 所在地:東京都文京区本郷2-7-1
  • 開館:9時30分~17時(最終入館16時30分)
  • 休館:第4月曜日(休日の場合は翌日)、年末年始
  • 入館料:無料

出典・確認:東京都水道歴史館「利用案内」、2026年7月2日確認

玉川上水と羽村取水堰

羽村取水堰では、多摩川から玉川上水へ水を取り入れる起点を見られます。下流へ歩くと、開水路、分水、緑道、暗渠化した区間など、水路の異なる姿が見えてきます。

淀橋浄水場跡・西新宿

東京都庁、新宿中央公園、高層ビル街の一帯が主な跡地です。古写真や地図を見てから歩くと、広大な浄水場が副都心へ変わった規模を実感できます。

村山・山口貯水池

多摩湖・狭山湖では、アースダムと取水塔を観察できます。村山下貯水池の第一取水塔は、機能施設でありながら景観にも配慮した近代水道建築です。

小河内ダム・奥多摩湖

小河内ダムでは、堤体、展望施設、奥多摩 水と緑のふれあい館などを通じて、ダムの構造と建設史を学べます。通行状況は季節や天候で変わるため、訪問前に公式情報を確認してください。

東京水道の重要年表

出来事 意味
1629年ごろ 神田上水が完成したとされる 江戸前半の市街地へ水を供給
1654年 玉川上水から給水開始 多摩川から江戸へ約43km導水
1722年 四上水廃止 江戸後半は主に神田・玉川の二上水
1898年 淀橋浄水場から給水開始 沈殿・ろ過と有圧鉄管による東京近代水道の始まり
1901年 在来上水からの市中給水終了 玉川上水が近代水道の導水路へ役割転換
1922年 塩素消毒開始 微生物に対する衛生管理を強化
1924年 村山上貯水池完成 多摩川系の貯水力を強化
1927年 村山下貯水池完成 都市需要の増加へ対応
1934年 山口貯水池完成 村山貯水池と一体運用
1957年 小河内ダム完成 多摩川水系の大規模貯水源
1960年 東村山浄水場通水 戦後東京の基幹浄水場
1964年 渇水、原水連絡管完成 水系間融通の重要性が明確になる
1965年 武蔵水路通水、淀橋浄水場閉鎖 利根川導水と施設再配置
2026年 PFOS・PFOAが正式な水質基準項目に 合計50ng/L以下を水質基準として管理

初心者向け用語集

原水
浄水処理をする前の河川水、湖水、地下水。
上水井戸
水道管から来た水をためる共同取水施設。地下水をくむ井戸とは異なる。
共用栓
複数の世帯が共同で使う水道の蛇口。
有圧水道
密閉した管内に圧力をかける水道。共用栓、専用栓、消火栓などへ水を送れる。
導水・送水・配水
導水は原水を浄水場へ、送水は浄水を配水拠点へ、配水は利用者へ届ける段階。
高度浄水処理
通常処理にオゾンや生物活性炭などを加え、においや微量有機物をさらに除く処理。
水源かん養
森林や土壌が雨水を蓄え、川の流量を安定させる働き。

東京水道の歴史についてよくある質問

1898年の近代水道は塩素消毒をしていましたか?

創設時の淀橋浄水場では沈殿・ろ過した水を鉄管で給水しました。東京で塩素消毒が始まったのは1922年です。

近代水道が始まると、すぐ全家庭に蛇口が付きましたか?

いいえ。創設期には道路などに設けた共用栓を使う家庭も多く、各戸の専用栓は段階的に普及しました。

玉川上水は今も水道に使われていますか?

羽村取水口から小平監視所までの区間は、東村山浄水場へ原水を送る現役の導水路です。

東京の水は多摩川ですか、利根川ですか?

両方です。保有水源量の構成では利根川・荒川水系80%、多摩川水系17%、相模川水系等3%です。

PFOS・PFOAの現在の基準は?

2026年4月1日から、PFOSとPFOAの合計値50ng/L以下が正式な水質基準です。東京都水道局は給水栓の検査値が基準値を大幅に下回ると公表しています。

まとめ――東京水道は段階的に安全性を高めてきた

江戸の神田上水と玉川上水は、自然流下を使って遠くの水を共同井戸まで運びました。1898年には、淀橋浄水場で沈殿・ろ過した水を有圧鉄管で共用栓・専用栓・消火栓へ送る近代水道が始まりました。

さらに1922年には塩素消毒が始まり、貯水池、小河内ダム、利根川・荒川水系、高度浄水処理、耐震管、水質の常時監視が加わりました。

東京水道の歴史は、一度に現在の仕組みが完成した歴史ではありません。水を運ぶ、ろ過する、消毒する、ためる、複数の水系を結ぶという機能を、都市の成長と衛生上の課題に合わせて段階的に加えてきた歴史です。

参考文献・公式資料

  1. 東京都水道局「東京近代水道ギャラリー」
  2. 東京都水道局「東京水道の日」
  3. 東京都水道局「塩素消毒」
  4. 東京都水道局「玉川上水」
  5. 東京都水道局「小河内ダム」
  6. 東京都水道局「東京の水道の概要」
  7. 東京都水道局「ハイクオリティな水質管理」
  8. 東京都水道局「PFOS・PFOAに関するQ&A」
  9. 東京都水道局「災害時給水ステーション」
  10. 東京都水道局 水道水源林ポータル「地図で見る水源林」
  11. 東京都水道歴史館

編集方針:官公庁・博物館の公式資料を中心に、伝承と確認できる事実を区別して構成しています。現在の数値、基準、施設公開状況は変更されるため、確認日と公式リンクを併記しています。