元麻布・南麻布はなぜ高級住宅街になった?暗闇坂・本村町貝塚を歩く歴史散歩

元麻布と南麻布

元麻布・南麻布を歩くと、細い坂道の先に大きな邸宅や大使館が現れ、低地へ下ると古川沿いの町並みに変わります。この景観は、台地と谷の地形、江戸の武家地、明治以降の邸宅街、幕末から続く外国公館、戦後の高級マンションという土地利用の積み重ねから生まれました。

2023年10月に実際に歩いた元麻布・南麻布のルートをたどりながら、縄文時代の貝塚から現代の元麻布ヒルズまで、街の成り立ちを時代順に見ていきます。

東京都港区の行政地図で見る元麻布・南麻布の位置
現在の港区。元麻布と南麻布は古川の北側に広がる台地・斜面と、その周辺の低地にまたがっています。

元麻布・南麻布はなぜ高級住宅街になったのか

答えの軸は「高台」と「大きな敷地」です。元麻布は古川北岸の高台にあり、南麻布は元麻布の高台から古川の谷へ下る斜面を含みます。江戸時代にはこの一帯に大名・旗本の屋敷、寺社、町屋、村地が混在し、とくに台地側には武家地が広がっていました。

明治維新で武家地の制度が消えても、大きな区画そのものはすぐには消えませんでした。港区史によると、南麻布では近代になると古川沿いの低地に工場や小住宅が増えた一方、台地・斜面上には東京市内でも屈指の大邸宅街が形成され、大正期から戦前にかけて地図に残るだけでも18の大邸宅が確認されています。

戦後は財産税の物納などを背景に大邸宅の敷地が細分化され、外国公館や高級マンションが増えました。元麻布でも邸宅地の高級マンション化が進みました。現在の「高級住宅街」という印象は、江戸の武家地から近代の邸宅街、戦後の大使館・集合住宅へと土地の使われ方が変化した結果です。

東京15区の範囲を示す歴史地図
東京15区(1878~1932年)。麻布は近代東京の「山の手」を形づくった地域の一つでした。

「麻布」の名は戦国時代の史料に現れる

「麻布」という地名の古い記録は戦国時代までさかのぼります。1559年(永禄2年)、小田原北条氏の軍役賦課台帳『小田原衆所領役帳おだわらしゅう しょりょう やくちょう』に「阿佐布」と記されました。江戸時代にも安座部、浅府、浅生、麻生など複数の表記が使われ、1655年(明暦元年)ごろから「麻布」が定着したとされています。

現在の南麻布3丁目周辺にあった旧町名「麻布本村町」の本村は、元村、すなわち麻布の中心を意味すると伝えられます。この一帯には本村町貝塚ほんむらちょうかいづかが残り、縄文時代前期の人々の暮らしを伝えています。

約6000年前、古川の谷には海水が入り込み、川岸に沿って人々が暮らしていました。本村町貝塚からはハマグリ、アサリ、サルボウなど多種の貝類に加え、土器や動物の骨などが見つかっています。高台から古川へ下る現在の坂道は、縄文時代から続く地形の輪郭を体で感じられる場所です。

江戸の大名屋敷は坂の名前に残った

江戸時代の南麻布には、仙台藩伊達家や盛岡藩南部家の下屋敷がありました。仙台坂、南部坂という現在の坂名は、その土地の記憶を受け継いでいます。現在の有栖川宮記念公園ありすがわのみやきねんこうえんも、江戸時代には盛岡藩南部家の下屋敷でした。1896年(明治29年)に有栖川宮家の御用地となり、1934年(昭和9年)に東京市へ賜与されて記念公園として開園しています。

元麻布の暗闇坂くらやみざかは、かつて樹木が暗いほど生い茂っていたことから名づけられたとされ、旧宮村町を通るため「宮村坂」とも呼ばれました。坂を上り下りすると、台地の上に大きな敷地が集まり、谷側へ道が落ちていく麻布の地形がよく分かります。

坂名は単なる道案内ではなく、江戸の土地利用を現在へ残す手がかりです。仙台坂の先に仙台藩伊達家、南部坂の周辺に盛岡藩南部家、宮村坂の名に旧町名が重なり、現代の住宅街の道路に江戸の地図が透けて見えます。

幕末の公使館から、現在の大使館街へ

麻布の国際色には幕末から続く歴史があります。1859年(安政6年)、元麻布の善福寺ぜんぷくじにアメリカ公使館が置かれ、タウンゼント・ハリスが駐日公使として滞在しました。高輪・三田・麻布には、外国使節を受け入れられる格式と広い境内を持つ寺院が多く、公使館が集中しました。

明治維新後には、旧大名屋敷の跡地が外国公館用地として各国に提供されました。大名屋敷が多かった麻布地区に外国公館が集まった背景には、幕末の寺院公使館と、明治以降に転用しやすかった大規模な敷地の双方があります。元麻布では戦後にインターナショナルスクールも開校し、住宅街の中に国際的な生活環境が定着していきました。

港区元麻布にある安藤記念教会の外観
安藤記念教会、2023年。元麻布には寺社だけでなく、近代以降の国際性を伝える教会建築も残ります。撮影:Higa4/Wikimedia Commons/CC0 1.0。

明治・大正の邸宅街から高級マンションへ

麻布の高台には、明治から大正にかけて官僚、実業家、華族などの邸宅が建ちました。現在も元麻布には1921年(大正10年)築の松方正熊邸(松方ハウス)、1924年(大正13年)築の旧阿部美樹志邸など、近代の邸宅街を伝える建築が残ります。

戦後になると大区画の個人邸宅は減り、高級集合住宅へ置き換わっていきます。その流れを象徴するのが元麻布ヒルズです。森ビルは1983年に善福寺から計画地内の土地を譲り受け、地区内の地権者約60人との共同事業として約20年をかけて開発し、2002年に完成させました。元麻布の住宅地という性格を引き継ぎながら、都心居住を主用途とした大規模再開発へ移った例です。

東京35区の範囲を示す歴史地図
東京35区(1932~1947年)。戦前から戦後へ、麻布の邸宅街は大使館と集合住宅が増える街へ変化していきました。

2023年10月に歩いた元麻布・南麻布のルート

この散歩では、元麻布の高台から南麻布の斜面、古川に近い低地へ向かうルートを複数のチームに分かれて歩きました。現在の街を歩きながら、住宅地の地形と土地利用の違いを比べられる構成です。

高低差のある元麻布・南麻布は、同じ距離でも道ごとに景色が大きく変わります。暗闇坂では旧町名と地形、本村町貝塚では縄文期の古川、新富士見坂では台地の縁を意識すると、現在の住宅街と過去の土地利用がつながります。

元麻布・南麻布を別のテーマで歩く

同じ地域でも、ルートを変えると違う歴史が見えます。2024年の元麻布~南麻布ナイトウォークでは、暗闇坂、麻布氷川神社、本村町貝塚などをつないで歩きました。

坂を中心に巡るなら、元麻布~南麻布ナイトウォークで大黒坂、狸坂、仙台坂、新富士見坂などをたどれます。寺社・幕末外交・近代建築を深く見るなら、善福寺・松方ハウス・安藤記念教会を巡る歴史散歩にまとめています。

参考文献・参考資料