川崎宿を歩く|東海道五十三次2番目の宿場・川崎市役所スカイデッキ・チッタの歴史

JR川崎駅・京急川崎駅の周辺には、江戸時代の宿場町、近代都市へ変わる川崎、映画と娯楽の街として育った駅前文化が重なっています。旧東海道の川崎宿跡をたどり、川崎市役所25階のスカイデッキから街を見渡し、ラ チッタデッラで川崎映画街の歩みを知ると、現在の繁華街の成り立ちが立体的に分かります。

川崎宿の成立、本陣や小土呂橋の役割、旧市役所本庁舎の建築、チッタグループが築いた川崎映画街まで、散歩ルートに沿って歴史をたどります。後日、当日の写真と開催レポートを追加する予定です。

今回の散歩ルートと見どころ

  1. CITTA’ HISTORY GALLERY「CITTA’ DNA」
  2. 川崎宿 京入口
  3. 小土呂橋の親柱(擬宝珠)
  4. 佐藤本陣跡
  5. 川崎市役所 展望ロビー・スカイデッキ
  6. 川崎市役所 旧本庁舎復元棟
  7. 川崎宿由来の碑
  8. 東海道かわさき宿交流館

川崎宿とは|東海道五十三次で日本橋から2番目の宿場

川崎宿は元和9年(1623)、品川宿と神奈川宿の伝馬負担を軽くするために開設されました。最初は新宿と砂子いさごの2町で始まり、その後に久根崎くねざき小土呂ことろが加わります。宿場は六郷川と鶴見川の間にあり、水害を避けるため自然堤防を利用して町場が整えられました。

東海道の宿場には、公用の人馬を次の宿へつなぐ問屋場、大名や公家が休泊する本陣、一般の旅人が泊まる旅籠が置かれました。川崎宿には複数の本陣があり、天保期の記録では旅籠が72軒に達しています。六郷の渡しと川崎大師への参詣客も人通りを支え、江戸近郊の交通拠点として発展しました。

川崎宿の成立から六郷の渡し、田中本陣、万年屋まで詳しく知りたい方は、川崎宿の歴史と見どころをまとめた解説もあわせてご覧ください。

京入口|宿場の輪郭を意識できる出発点

川崎宿には江戸側と京都側の出入口があり、京都側は京口・京入口と呼ばれました。現在は旧東海道を歩くときの境界として位置を確認でき、宿場町の長さを実感しやすい地点です。

この周辺から旧東海道を北へ進むと、小土呂橋、本陣跡、市役所周辺、東海道かわさき宿交流館へと続きます。現在の商店街や幹線道路の中に、江戸時代の道筋がそのまま残る区間があることが川崎宿散歩の大きな見どころです。

小土呂橋|旧東海道と新川堀が交わった交通の要所

現在の新川通には、江戸時代初期に開削された新川堀が流れていました。旧東海道と新川堀が交わる場所に架けられていたのが小土呂橋です。人や荷物が行き交う街道と水路の交点で、川崎宿の南側を考えるうえで重要な場所でした。

現在、新川通の歩道には小土呂橋の親柱をイメージしたモニュメントがあります。1985年には周辺の道路陥没箇所から石柱や石板が見つかり、調査・復元された遺構が稲毛神社に保存されています。地上から水路は見えませんが、道路の幅や交差点の位置から往時の交通結節点をたどれます。

佐藤本陣跡|大名や公家を迎えた宿場の中心施設

本陣は、大名、公家、幕府役人などが宿泊・休憩するための格式ある施設です。川崎宿には田中本陣、佐藤本陣、惣兵衛本陣があり、佐藤本陣は砂子町に置かれていました。現在は建物が残らず、跡地を示す案内が往時の位置を伝えています。

本陣、問屋場、旅籠、寺社、街道の出入口の位置関係を現在の街路に重ねると、建物が失われた川崎宿でも町の構造を具体的にたどれます。

田中丘隅と川崎宿の立て直し

川崎宿の立て直しに大きく関わったのが田中丘隅たなかきゅうぐです。川崎宿本陣の田中家を継ぎ、名主・問屋役を担いました。宿場の財政改善を幕府へ訴え、六郷川の渡船権と救済金を得て、渡船収入を宿場経営へ結びつけました。

丘隅はのちに治水・農政の実務家として幕府に登用され、多摩川や荒川などの治水にも携わります。川崎宿では旅人を受け入れる宿場経営と、多摩川の水害・交通管理が密接に結びついていました。

川崎市役所旧本庁舎|1938年から市政を支えた時計塔

川崎市役所旧本庁舎は昭和13年(1938)に竣工し、2016年まで本庁舎として使われました。鉄筋コンクリート造の庁舎で、高さ約36mの時計塔は長く川崎のシンボルとして親しまれました。戦時中には迷彩が施され、時計塔は空襲監視にも利用されています。

現在の本庁舎は2023年に本格供用が始まり、高層棟と旧本庁舎の一部を創建当時の姿で再現した復元棟で構成されています。復元棟では旧本庁舎の歴史映像や旧市長室などを見学でき、宿場町から工業都市・政令指定都市へ発展した川崎の近代史へ視点を移せます。

25階スカイデッキ|旧東海道と現代の川崎を上から見る

川崎市役所本庁舎25階には展望ロビーとスカイデッキがあり、川崎市内のほか東京・横浜方面まで見渡せます。見学は無料で、年末年始を除き土日祝日も9時から21時まで公開されています。

旧東海道の散歩で地上の史跡を見た後に高い位置から市街地を見ると、多摩川、川崎駅、臨海部へ広がる都市の方向感覚がつかみやすくなります。江戸時代の街道都市と、鉄道・工業化以後に拡大した川崎を同じ景色の中で比較できる場所です。

東海道かわさき宿交流館|川崎宿の全体像を整理できる

東海道かわさき宿交流館は、川崎宿の歴史や文化を紹介する展示施設です。街道を歩いてから立ち寄ると、地上では分かりにくかった宿場の範囲、本陣や渡しの役割、地域の変化を資料と展示で整理できます。

展示室と休憩・交流スペースは9時から17時までで、入館は無料です。休館日は月曜日と年末年始。JR川崎駅から徒歩約10分、京急川崎駅から徒歩約6分の位置にあります。

川崎駅の開業|宿場町から近代都市へ

明治5年(1872)、新橋―横浜間に日本初の鉄道が開業し、その途中駅として川崎駅が設けられました。東海道を歩く旅から鉄道移動へ交通の主役が変わり、川崎の中心地も駅を軸に再編されていきます。

その後、臨海部の工業化と人口増加によって川崎は大都市へ発展しました。旧東海道と川崎駅前が近接しているため、徒歩圏内で江戸の宿場、明治の鉄道、昭和の市庁舎、現代の商業地まで続けて見られるのがこのエリアの特徴です。

チッタの歴史|湿地から「川崎映画街」へ

現在のラ チッタデッラ周辺では、1930年代後半から映画館を核にした街づくりが進みました。チッタグループは1936年に川崎へ進出し、川崎映画街の形成を始めます。当時の一帯には湿地が残っていましたが、駅前の立地と工業都市として増え続ける人口を背景に、大衆娯楽の拠点へ変わりました。

戦後、川崎映画街は復興し、映画館が集積する一大娯楽街になります。映画黄金期には美須興行が川崎・蒲田などで多数の映画館を運営し、川崎駅前のにぎわいを支えました。映画館だけでなく、ホテル、ボウリング場、スポーツ施設などへ事業が広がったことも、戦後川崎の娯楽文化を特徴づけています。

1987年のチネチッタと現在のラ チッタデッラ

昭和62年(1987)、川崎映画街の再開発によって大型シネマコンプレックス「チネチッタ」が誕生しました。翌1988年にはライブホール「クラブチッタ」が開業し、映画と音楽を軸にした街へ展開します。

2002年にはイタリアの丘の街をモチーフにした複合商業施設「ラ チッタデッラ」が開業しました。現在の景観は新しいものですが、その場所には1930年代から続く映画・娯楽の街づくりの系譜があります。CITTA’ HISTORY GALLERY「CITTA’ DNA」の古写真や資料を見ると、川崎駅東口がどのように娯楽街へ変わったかを具体的に追えます。

CITTA’ HISTORY GALLERY「CITTA’ DNA」

ラ チッタデッラのマッジョーレ棟地下1階にある歴史ギャラリーで、チッタグループ創業100年を記念して2022年に開設されました。川崎映画街の発展、映画館の変遷、街づくりの歩みを写真や資料で追えます。入館は無料で、ラ チッタデッラの営業時間に準じて見学できます。

川崎宿からチッタまで歩くと分かる、川崎の都市史

川崎駅東口の徒歩圏には、1623年に成立した川崎宿、1872年開業の川崎駅、1938年竣工の旧市役所本庁舎、1930年代から続く川崎映画街の歴史が集まっています。時代ごとの中心地が離れずに重なっているため、短い散歩でも江戸・明治・昭和・現在の都市変化を連続して追えます。

旧東海道をさらに南へ歩くなら、鶴見の旧東海道・總持寺・生麦事件を巡る歴史散歩もつながりのあるコースです。

TimeWalkで現在地から歴史スポットを探す

TimeWalkは、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探し、自分で歴史散歩を楽しめるWebアプリです。川崎駅周辺で旧東海道や史跡をもう少し歩きたいときは、現在地から歩ける歴史スポットを地図で探す使い方ができます。

参考資料

  • 川崎市「川崎宿とは」
  • 川崎市「小土呂橋の親柱」「川崎市役所旧本庁舎」
  • 川崎市「本庁舎展望フロア・展示スペース」
  • 川崎市「東海道かわさき宿交流館」
  • 川崎市教育委員会「CITTA’ HISTORY GALLERY『CITTA’ DNA』」
  • 株式会社チッタ エンタテイメント「チッタグループ100年の歴史」