前半|プリンスホテル日本庭園から御殿山・目黒川・大崎へ
2023年11月24日17時30分、10人でプリンスホテル日本庭園に集合し、高輪から御殿山、北品川、目黒川、大崎へと歩きました。紅葉が色づく庭園から夕暮れの坂道へ入り、御殿山の歴史をたどりながら、最後は目黒川沿いのイルミネーションへ。江戸以来の高台と水辺の歴史、近代の庭園、現代の再開発が一度の散歩でつながる夜の歴史散歩です。

プリンスホテル日本庭園からスタート
集合場所はグランドプリンスホテル高輪など3つのホテルに囲まれた日本庭園です。現在の庭園は約2万平方メートルあり、1971年に楠岡悌二によって作庭されました。池や花木だけでなく、観音堂・鐘楼・山門など歴史的建造物が点在し、この3棟は2021年に港区指定有形文化財となっています。江戸時代には土佐藩屋敷、明治期には宮家の御用地だった土地の記憶も重なります。

この時間帯は、紅葉の色に照明が重なり、昼間とは違う庭園の輪郭が浮かびます。庭園では「高輪廿六夜」として竹あかりの演出も行われており、歴史的建造物と現代の光の演出を同じ空間で楽しめるのが特徴です。今回の散歩は、まずこの華やかな庭園の景色を楽しんでから街へ出ました。

御殿山庭園へ|江戸の花見名所だった高台
高輪から御殿山へ進むと、目黒川沿いの低地との高低差が次第にはっきりしてきます。御殿山は江戸時代、将軍の品川御殿が置かれ、のちに桜の名所として親しまれた高台です。現在の御殿山庭園は都市の建物に囲まれていますが、滝や石組み、木々によって高台の緑を感じられる場所になっています。現代の庭園景観を楽しみながら、その背後に江戸の行楽地の記憶があることを意識して歩きました。

北品川の街並みを抜けて目黒川へ
御殿山を離れると、北品川の街中へ。大きな庭園だけでなく、建物の外壁や小さな植栽、路地の表情にも目を向けながら進みました。歴史散歩では史跡そのものだけでなく、土地の高低差や道の曲がり方、建築と庭のつくりを見ることで、その地域がどのように使われてきたかを考える手がかりになります。

目黒川と大崎|水辺と再開発の風景
目黒川へ下りると、高台の庭園から一転して、水辺と高層ビルがつくる大崎らしい景観になります。大崎・五反田周辺は、かつて工場が集まった地域からオフィスや住宅の集まる街へ大きく変化しました。川沿いを歩くと、水運や工業を支えた川と、現在の再開発された街が同じ場所に重なっていることが分かります。


夜が深まるにつれて、川沿いの桜並木と水面がイルミネーションの光を受け、散歩の終盤は一気に華やかな雰囲気になりました。紅葉の日本庭園から始まり、御殿山の高台、北品川の街並み、目黒川の水辺へと景色が切り替わっていくため、歩いた距離以上に変化を感じられるコースです。

今回の散歩では、庭園の紅葉やイルミネーションを楽しみながら、地形と土地利用の変化もたどりました。写真だけでも華やかな夜ですが、御殿山が将軍御殿と花見の場所だったこと、高輪の日本庭園に歴史的建造物が残ること、目黒川沿いが近代工業から再開発へ変わったことを知ると、夜景の見え方も少し変わります。
後半|大崎から目黒川、島津山、高輪へ
同じ日の後半は19時30分に大崎ニューシティへ集合し、8人で大崎から目黒川沿いを歩き、島津山の坂を上って高輪へ向かいました。前半がプリンスホテル日本庭園から大崎へ進むコースだったのに対し、後半は大崎から高輪へ戻る向きです。目黒川のイルミネーション、上目黒川橋りょう付近のウォールアート、高台へ続く坂、旧竹田宮邸の貴賓館、そして紅葉と竹あかりの日本庭園へと、夜の景色が次々に切り替わりました。

目黒川のイルミネーションを歩く
大崎ニューシティから目黒川へ出ると、後半の部は水辺の夜景から始まります。現在はオフィスや住宅が並ぶ大崎ですが、目黒川沿いにはかつて工場が集まり、近代工業を支えた地域の歴史があります。再開発後は川沿いの歩行空間も整えられ、夜には高層建築の灯りと水面、桜並木の光が重なる景観を楽しめます。


桜の枝を覆うように灯る光は、水面や周囲の建物にも映り込みます。昼間なら川と台地の高低差を追う場所ですが、夜は光が歩く方向をつないでくれるため、都市の水辺をゆっくり歩く楽しさが際立ちました。
上目黒川橋りょうのウォールアートを通って高台へ
目黒川沿いから高輪方面へ向かう途中、上目黒川橋りょう付近の通路では、壁面いっぱいに描かれたウォールアートの中を歩きました。夜の歴史散歩は古い建物や史跡だけを見るものではなく、鉄道や道路の構造物、現在の街に加えられた表現も含めて、都市が更新され続ける様子を見られるのが面白いところです。

島津山の坂で実感する目黒川と台地の高低差
目黒川沿いの低地を離れると、島津山方面へ坂を上ります。この周辺は目黒川の谷と高輪・御殿山方面の台地が接する場所で、短い距離でも高低差を体で感じられます。前半では高輪側から低地へ下りましたが、後半は逆に水辺から高台へ。往復することで、庭園や邸宅が高台に置かれてきた地域の地形をより立体的に捉えられました。

グランドプリンスホテル高輪 貴賓館|旧竹田宮邸の建築を見る
高輪では、グランドプリンスホテル高輪の貴賓館へ。旧竹田宮邸として1911年に完成した建物で、プリンスホテル公式資料では宮廷建築家・片山東熊らが設計に携わったことが紹介されています。フランス・バロック式の邸宅で、マンサード屋根やドーマー窓、玄関まわりの列柱や装飾など、明治末期の華やかな洋風建築の意匠が残ります。現在は婚礼や会食にも使われています。


前半・後半を通して歩くと、高輪が江戸期の大名・旗本の別荘地から、明治期の皇族・要人の邸宅地、そしてホテルへと役割を変えてきた流れが、現存する建築から読み取れます。夜間のライトアップでは建物の輪郭や玄関の装飾が強調され、昼とは違う見方ができました。
後半のゴールはプリンスホテル日本庭園
最後はプリンスホテル日本庭園へ戻りました。2023年はグランドプリンスホテル高輪の開業70周年にあたり、ホテル公式情報では冬にスノードームをイメージした竹あかりのクリスマスツリーが登場し、日本庭園では冬季のライトアップが行われていました。庭園の「高輪廿六夜」は、高輪に伝わる月待ち文化を現代的に展開した演出で、400個以上の竹あかりが庭を照らします。


前半は高輪から大崎へ、後半は大崎から高輪へ。同じ地域を反対方向から歩いたことで、目黒川の低地と高輪・御殿山側の高台との関係が分かりやすい一日になりました。後半は8人で、目黒川のイルミネーションから坂道、近代洋風建築、日本庭園の紅葉と竹あかりまで、夜ならではの景色をつないで締めくくりました。
今回の散歩ルート|前半は高輪から大崎、後半は大崎から高輪へ
品川区は武蔵野台地の東南部と、その東側の低地・埋立地から成り立っています。目黒川に沿う大崎・五反田には低地が広がり、川から離れると御殿山や高輪の高台へ上っていきます。ビルの高さだけを見ていると気づきにくい高低差が、街の歴史を分けてきました。

川沿いの平地、高台へ向かう坂、庭園のある台地を続けて歩くと、なぜ大崎に工場が集まり、なぜ御殿山や高輪に御殿・邸宅が置かれたのかが風景の中でつながります。
コース一覧
★は前半の終了場所で、後半の開始場所です。高輪から御殿山を経て大崎へ下り、Oパティオで折り返して目黒川沿いから高輪へ戻る構成です。
大崎と目黒川|低地のそばに残る縄文の暮らし
大崎で最初に意識したいのは目黒川です。品川区の地形を見ると、目黒川沿いの大崎・五反田は低地にあたり、その両側に台地がのびています。現在は護岸とビルが続く都市河川ですが、人と川の関係ははるか昔までさかのぼります。
大崎二・三丁目から西品川三丁目にかけては、居木橋遺跡が確認されています。品川区の埋蔵文化財資料では、縄文時代を中心とする貝塚・集落で、住居跡や土坑のほか、縄文土器、石斧、石皿、耳飾り、骨角製の釣針、獣骨・魚骨などが出土しています。現在の駅前や住宅地の足元に、狩猟・漁労を含む暮らしの痕跡が重なっています。
江戸時代には周辺に居木橋村があり、村の名主を務めた松原家に伝わる文書や、1828年に松原氏が造立した道標が品川区の文化財として残っています。道標には「西めくろ」「右 南品川」「左 北品川」と刻まれ、現在の大崎が目黒・品川を結ぶ道の途中だったことを伝えています。
居木橋から目黒川へ出ると、低地の開けた景観と周囲の坂が見えます。古代から近代まで人の活動を支えた水辺は、明治以降になると工業地帯を育てる条件にもなりました。
大崎の工場街から副都心へ|ものづくりと再開発
明治時代、目黒川沿いには近代産業の工場地帯が生まれました。鉄道と目黒川の水運を利用できる大崎周辺には機械・金属・化学などの工場や町工場が集まり、1913年には明電舎が大崎工場を開設しています。目黒川は、春の桜や夜景だけでなく、東京の近代工業を支えた川でもありました。
転機は戦後の都市構造の変化です。1982年、大崎駅周辺は東京都の副都心の一つに位置づけられ、1987年には大崎ニューシティが完成しました。その後も駅周辺では大規模な再開発が続き、工場と町工場の景観から、オフィス、商業施設、住宅が集まる街へ姿を変えていきます。

Oパティオは大崎ニューシティの低層館2階屋上に設けられた人工地盤の広場です。植栽、彫刻、噴水を配し、駅から立体歩道でつながります。川沿いの工業地帯だった大崎が「歩いて過ごす都市空間」へ変わったことを、建物そのものが伝えています。
御殿山|将軍の御殿から江戸の花見名所へ
御殿山の歴史は江戸時代より古く、品川歴史館の調査では縄文時代から古墳時代の暮らしの痕跡、中世には港を望む葬送・供養の場としての姿が紹介されています。東京湾と品川の港を見下ろす高台は、時代ごとに異なる役割を担ってきました。
江戸時代に入ると、この高台に将軍の施設が置かれます。御殿山の名は、江戸幕府三代将軍・徳川家光の時代に整えられた「品川御殿」に由来します。品川宿を見下ろす御殿は、将軍の鷹狩りの休息や茶会などに使われました。

品川御殿は1702年に焼失し、その後は再建されませんでした。御殿山の性格を大きく変えたのが八代将軍・徳川吉宗です。御殿山は一般に開放され、桜の名所として人々を集めるようになりました。海を望む高台に桜が咲く景色は、江戸の行楽地を代表する風景になっていきます。
歌川広重や葛飾北斎も御殿山を描きました。北斎の「冨嶽三十六景 東海道品川御殿山ノ不二」では、桜の向こうに富士山を望む高台の景観が画面いっぱいに広がります。現在は海も富士も建物の向こうですが、坂の高低差には江戸の眺望地だった地形が残っています。

幕末から近代へ|削られた御殿山と変わる景観
江戸の花見名所だった御殿山は、幕末から近代にかけて大きく姿を変えました。品川歴史館は御殿山の変化を、幕末の御台場建設、明治の鉄道建設、その後の宅地化という流れで紹介しています。高台の一部は土取りや交通インフラの整備で姿を変え、海を見渡した江戸の景観は都市の中へ組み込まれていきました。
それでも、御殿山には高台の地形と緑が残りました。江戸時代の行楽地、幕末の国防、近代の鉄道、住宅地とオフィス街が同じ場所に重なっているため、短い坂道にも東京の都市史が凝縮されています。
御殿山庭園|江戸の記憶に現代建築が重なる
御殿山トラストシティの御殿山庭園には、池や滝、季節の木々が広がります。庭園の中で目を引くのが茶室「有時庵」です。建築家・磯崎新の設計で1992年に建てられ、円形の屋根、白い壁、金属素材を組み合わせた外観が木立の中に現れます。
江戸時代の品川御殿では茶会が開かれていました。数百年後、同じ御殿山の庭に現代建築の茶室が置かれています。御殿山庭園は、江戸の「御殿」と現代の都市庭園を一続きに眺められる場所です。
高輪|旧竹田宮邸とプリンスホテル日本庭園
高輪は東海道の品川宿に近く、江戸時代には大名や旗本の別荘が並んだ高台でした。明治になると皇族や財政界の要人が邸宅を構えるようになります。その歴史を今に伝える建物が、グランドプリンスホテル高輪の貴賓館です。
貴賓館は竹田宮恒久王の新居として1911年に完成しました。設計を担ったのは宮廷建築家・片山東熊です。片山は旧東宮御所、現在の迎賓館赤坂離宮を代表作とする建築家で、貴賓館にもヨーロッパ建築の意匠が残されています。
3つのプリンスホテルに囲まれた現在の日本庭園は、現グランドプリンスホテル高輪本館の新築に伴って1971年に作庭されました。広さは約20,000平方メートル。池と花木の間に歴史的建造物が点在し、観音堂、鐘楼、山門は2021年に港区指定有形文化財となっています。

江戸の大名・旗本の別荘地、明治の皇族邸宅、昭和のホテルと日本庭園。高輪では、土地の役割が変わっても「高台に緑と邸宅を置く」という性格が受け継がれてきました。紅葉の時期は、建築と庭園の歴史を同じ視界で楽しめます。
まとめ|地形と歴史、紅葉と光を一日でたどる
日が暮れると、目黒川の水面や大崎の高層建築に光が映り、昼とは違う輪郭が現れます。秋から冬の大崎・五反田では目黒川沿いのイルミネーションが行われる年があり、高輪の日本庭園でも季節のライトアップや竹あかりなどの演出が実施されています。開催内容と期間は年ごとに変わります。

川沿いの低地から御殿山の坂へ、さらに高輪の庭園へ戻ると、夜景の変化にも地形が表れます。昼は歴史と高低差を追い、夕方から紅葉と光を重ねると、このルートの景色が立体的になります。
この地域を自分でも歩いてみたい方は、現在地から歩ける史跡を地図で探すTimeWalkもご利用ください。現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探し、自分で歴史散歩を楽しめるWebアプリです。
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