解説付き!竹芝~大門~芝公園の歴史を巡る夜散歩。レインボーブリッジなど夜景スポットも立ち寄ります。

今回訪れる予定の場所

モヤイ像(竹芝客船ターミナル)
モヤイ像は伊豆諸島新島村の名物の石像。イースター島のモアイをモデルにしたもの。
新島には「抗火石(コーガ石)」という珍しい石が産出する。これは新島とイタリアのリーパリ島のみで採掘される。軽く彫刻刀等で容易に加工できるという性質を持つ。この石を材料として作られたオブジェが「モヤイ像」である。新島は昭和50年代には、盛んに日本各地にモヤイ像を制作して寄贈した。JR渋谷駅西口のモヤイ像は、1980年(昭和55年)に、新島の東京都移管100年を記念して渋谷区へ寄贈されたものである。

竹芝新八景
東京ポートシティ竹芝 オフィスタワー」では、都心にありながらも豊かな自然に囲まれた立地特性を活かし、水と緑を感じながら働くGreen Work Style を提案します。また生物とのふれあい・農体験などを通して、環境教育や環境負荷の低減に取組んでいます。「雨・水・島・水田・香・菜園・蜂・空」の8つの景から成る「竹芝新八景」を展開することで、人々の生物多様性への認知と理解の向上を図ります。

福沢・近藤 両翁学塾跡
近藤 真琴(1831-1886)
明治の六大教育家の一人、攻玉社創立者。日本海軍軍人及び軍属、最終階級は海軍中佐。江戸生まれで4歳で家督を相続した。

明治六大教育家
大木喬任(おおき たかとう)・・・文部卿として近代的な学制を制定
森有礼(もり ありのり)・・・明六社の発起代表人、文部大臣として学制改革を実施
近藤真琴(こんどう まこと)・・・攻玉塾(現:攻玉社中学校・高等学校)を創立、主に数学・工学・航海術の分野で活躍
中村正直(なかむら まさなお)・・・同人社を創立、西国立志編など多くの翻訳書を発刊した
新島襄(にいじま じょう)・・・同志社を創立、英語・キリスト教の分野で多くの逸材を教育
福澤諭吉(ふくざわ ゆきち)・・・慶應義塾(現:慶應義塾大学)を創立、法学・経済学を中心に幅広い思想家として著名

め組のけんか

芝大神宮(貯金塚、生姜塚、力石など)
伊勢神宮の御祭神、内宮・天照大御神(まてらすおおみかみ)、外宮・豊受大神(とようけのおおかみ)の二柱を主祭神としています。平安時代の1005年、一条天皇の御代に創建されたお社とのことです。鎌倉時代では源頼朝公より社地の寄贈を受け、江戸時代では徳川幕府の篤い保護受け、関東一円の庶民信仰を集め、「関東のお伊勢さま」として人々の崇敬を戴きました。

増上寺 大門
増上寺の本来の正門です。明治11年、維持管理ができなくな大門を東京府に寄付していました。戦後、伽藍整備を進める増上寺が東京都に返還を求めていましたが、東京都の財産目録に見当たらず、40年間ほど所有者不明でした。2016年に増上寺に返還され現在は増上寺が所有しています。2017年に耐震補強・外観化粧直しの改修工事が行なわれ、美しい表門が蘇っています(瓦も耐震性が強い瓦に葺き替え)。

芝公園 松原の復元碑

万延元年遣米使節団記念碑(日米修好通商条約)
江戸幕府が日米修好通商条約の批准書交換のために1860年に派遣した77名から成る使節団です。
新見豊前守正興(しんみぶぜんのかみまさおき)
村垣淡路守範正(むらがきあわじのかみのりまさ)
小栗豊後守忠順(おぐりぶんごのかみただまさ)

米国海軍のポーハタン号で太平洋経由で渡米しました。ポーハタン号の事故など万が一に備え、別に護衛を名目に咸臨丸を派遣することになりました。そこに乗船していたのが、勝海舟、ジョン万次郎、福澤諭吉です。

渡米中、福沢諭吉が11歳のアメリカ人少女と写真撮って自慢していたようです。

増上寺三解脱門
三解脱門とは悟りに至る空解脱(くうげだつ)、無相解脱(むそうげだつ)、無願解脱(むがんげだつ)という3つの門戸のことです。楼上は仏堂になっていて、都の有形文化財に指定される釈迦三尊像、十六羅漢像などが安置されています。現在の門は1622年に再建されたものであり、東京都内に現存する最も古い木造建築です。

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イベントの様子

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 会長
なかまつ

北海道大学工学部卒。美術館は週に2回、海外旅行は年に6回行く、ゴリゴリの理系出身のIT系ビジネスマン。隣が図書館のため毎月10冊の本を借りている。趣味の延長で、東京の歴史や芸術を楽しむゆる〜いイベントを企画している。

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