木場・古石場・牡丹町を歩く|洲崎神社・古石場川親水公園・富岡八幡宮の歴史散歩

夜の富岡八幡宮境内と街歩き参加者

木場から古石場、牡丹町を抜け、富岡八幡宮と深川不動堂へ向かう歴史散歩です。江戸の町を支えた材木の集積地、海辺を広げた埋立て、今は親水公園となった水路、富岡八幡宮を中心に栄えた門前町が、歩く順番に重なっていきます。

見どころは、地域の暮らしと結びついた新田橋、江戸の海岸線を伝える洲崎神社、旧深川工場跡地から生まれた深川ギャザリア、古石場の地名の由来を残す古石場川親水公園、寛永4年(1627)創建の富岡八幡宮、伊能忠敬像、深川不動堂です。2023年11月1日に15名で歩いた当日の写真とともに、木場から門前仲町方面へ続く歴史を紹介します。

今回のコース概要

  1. 新田橋
  2. 洲崎神社
  3. 深川ギャザリア
  4. 古石場川親水公園(東側)
  5. 牡丹町公園
  6. 古石場川親水公園(西側)
  7. 富岡八幡宮
  8. 深川不動堂

木場はなぜ「木の場」になったのか

江東区は江戸時代初期から埋立てと水路の開削によって市街地を広げました。明暦3年(1657)の大火後、幕府は市中の防火対策を進め、材木置場を深川方面へ集約します。江東区の資料では、永代島に置かれた貯木場が元禄14年(1701)に現在の木場へ移され、以後この一帯が江戸の建築を支える材木流通の拠点になったとされています。

材木は水に浮かべて運び、掘割や河川を使って保管・仕分けされました。地名の「木場」は、その機能をそのまま今に残しています。昭和40年代以降、貯木場の役割は沖合の新木場へ移り、旧木場周辺では公園や住宅、業務施設への転換が進みました。

木場と門前仲町の水路を古地図で見たい場合は、深川絵図を徹底解説|富岡八幡宮・木場・門前仲町を古地図で読むもあわせて確認できます。

洲崎神社|江戸の海岸線を伝える場所

洲崎神社にある玉の輿たまちゃん

洲崎神社は元禄13年(1700)の創建と伝わり、かつては洲崎弁天社と呼ばれました。江戸時代、この付近は海辺に近く、社の周辺は景勝地として知られていました。境内に残る「波除碑」は江東区の文化財に登録されており、木場6丁目という現在の住所からは想像しにくい、海と接していた土地の記憶を伝えています。

境内では、五代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院けいしょういんにまつわる伝承にも触れられます。「玉の輿」という言葉の由来と結び付ける話は後世の俗説として広まりました。人物伝として断定するより、江戸の信仰と現代の地域キャラクターが重なる場所として見ると、洲崎神社らしさが分かります。

古石場|江戸城築城と石置場の記憶

古石場の地名は、江戸城築城の際に石置場として使われたことに由来します。江東区の地名資料では、埋立てが進んだ後、深川海辺新田飛地古石場、久左衛門新田飛地古石場、亀戸村飛地古石場などの土地が生まれ、明治24年(1891)に統合して深川古石場が成立しました。

現在の古石場川親水公園は、延長約0.8km、面積約1.6ha。江東区が「水辺の香り」をテーマに整備した親水公園で、海水が流れる水路、牡丹園、バラ園、アジサイなどが配置されています。川の姿を残した公園を歩くことで、埋立地でありながら水路とともに発展した深川南部の地形をつかみやすくなります。

牡丹町|地名と花が現在の景観につながる

牡丹は江戸時代に海岸を埋め立ててできた土地です。町名について江東区は、この付近に牡丹を栽培する農家が多かったという説と、現在の錦糸町付近にあった牡丹園の職人が多く住んでいたという説を紹介しています。

古石場川親水公園には牡丹園があり、2025年には公園沿いの「牡丹の道」整備も進みました。町名の由来が現代の植栽景観に結び直されているため、地名を知ってから歩くと公園の見え方が変わります。

富岡八幡宮|埋立地に生まれた深川の中心

富岡八幡宮

富岡八幡宮は寛永4年(1627)、当時永代島えいたいじまと呼ばれた場所に創建されました。江東区によると、周辺の砂州を埋め立てて社地と氏子の居住地が整えられ、社有地は6万508坪に及びました。社を中心に人が集まり、門前町が発展していきます。

富岡八幡宮の例大祭「深川八幡祭り」は江戸三大祭の一つに数えられます。文化4年(1807)には祭礼へ向かう群衆が集中し、永代橋が落橋する大事故も起きました。祭礼の規模は、富岡八幡宮が江戸の庶民信仰と行楽の中心だったことを物語ります。

境内や周辺には、伊能忠敬像、横綱力士碑、大関力士碑などもあります。富岡八幡宮と門前仲町をさらに歩くなら、富岡八幡宮・門前仲町から清澄白河へ歩く歴史散歩へ続けられます。

深川不動堂|成田山信仰が江戸に根付いた門前

成田山東京別院 深川不動堂

富岡八幡宮の西側にある深川不動堂は、成田山新勝寺の東京別院です。現在残る旧本堂は江東区指定文化財で、文久年間(1861〜1864)に造られた旧龍腹寺地蔵堂を、戦災後の昭和26年(1951)に移築した建物です。戦後の木材統制で新築が難しかった時代の再建事情まで伝えています。

富岡八幡宮と深川不動堂は隣接していますが、神社と寺院という異なる信仰の場です。両者を結ぶ参道と門前町を歩くと、江戸から続く参詣地が現代の商店街へ受け継がれている様子が分かります。

木場・古石場・牡丹町を歩く見どころ

  • 木場:江戸の材木流通を支えた貯木場の歴史
  • 洲崎神社:海辺だった土地と波除碑
  • 古石場:江戸城築城に関わる石置場の地名
  • 古石場川親水公園:水路を生かした現在の都市景観
  • 牡丹町:町名の由来と牡丹園・牡丹の道
  • 富岡八幡宮:1627年創建と門前町、深川八幡祭り
  • 深川不動堂:成田山信仰と戦後に移築された旧本堂

同じエリアをより細かく歩くコースは、木場〜古石場〜牡丹を歩いてみようでも紹介しています。

2023年11月1日開催レポート|木場から古石場・牡丹町・富岡へ

2023年11月1日19時30分から、15名で木場・古石場・牡丹町を歩き、富岡八幡宮と深川不動堂まで巡りました。夜の街歩きでしたが、橋、水路、神社、工場跡地の再開発、門前町という異なる時代の痕跡が短い距離の中に続き、現在の景観から地域史を読み解きやすいコースでした。以下、当日の順番に写真と歴史を振り返ります。

1.新田橋|地域の暮らしを支えた赤い人道橋

江東区木場の大横川に架かる赤い新田橋
木場5丁目と6丁目を結ぶ新田橋。現在の橋は2003年架替えの人道橋です。

最初に渡った新田橋にったばしは、大横川に架かり、木場5丁目と6丁目を結ぶ小さな人道橋です。江東区の橋梁資料では、現在の橋は2003年3月架設、橋長15.0m、幅員3.4mの鋼製ガーダー橋とされています。夜は朱色の欄干がよく目立ち、周囲の住宅地の中で印象的な景観になっています。

新田橋の由来を紹介する現地案内板
新田橋のたもとにある案内板。旧橋の姿や地域との関わりが紹介されています。

現地案内板には、昭和7年(1932)に木場で医院を営んでいた新田清三郎が、不慮の事故で亡くなった夫人を慰める「橋供養」の意味を込め、近隣の人々と協力して旧橋を架けた経緯が記されています。当初は別の名で呼ばれたものの、地域で慕われた新田医師にちなみ、やがて「新田橋」の名が定着したと説明されています。橋そのものを眺めるだけでなく、地域住民の生活と個人の記憶が地名・橋名に残った例として興味深い場所です。

2.洲崎神社|かつて海辺だった木場を伝える神社

江東区木場の洲崎神社に集合した街歩き参加者
洲崎神社で集合。ここから木場・古石場・牡丹町をたどる夜の歴史散歩を始めました。

集合場所は洲崎神社すさきじんじゃでした。元禄13年(1700)の創建と伝わり、江戸時代には洲崎弁天社と呼ばれた場所です。現在は内陸に見えますが、境内に残る「波除碑」は、かつてこの一帯が海辺に接していたことを物語ります。江東区はこの碑を文化財として登録しており、現在の道路や住宅だけでは分かりにくい旧海岸線を考える手掛かりになります。

この日の街歩きは、こうした「今の景色から昔の水辺を想像する」視点が大きなテーマになりました。木場は材木の町として発展しましたが、その背景には川や掘割を物流路として使える地形がありました。

3.深川ギャザリア|工場跡地から都市再生の街区へ

江東区木場の深川ギャザリアを歩く参加者
深川ギャザリアを通過。木場の旧来の街並みと現代的な複合街区の変化を見ながら歩きました。

続いて深川ギャザリアへ。運営に関わるフジクラの資料によると、この一帯には1923年から深川工場があり、旧工場跡地の再開発によって2000年に深川ギャザリアが誕生しました。現在はオフィス、商業、飲食、アメニティ機能が集まる複合街区です。

木場というと江戸期の材木流通が注目されますが、近代以降は工場立地、戦災からの復興、そして工場跡地の再開発へと土地利用が変化しました。深川ギャザリアは、江戸の「木場」と現代のビジネス・商業地区の間をつなぐ、近現代史の見どころでもあります。

4.古石場川親水公園と小津橋|水路の記憶を残す散歩道

古石場川親水公園と小津橋を歩く参加者
古石場川親水公園の水路沿いと小津橋。水辺を生かした現在の公園景観をたどりました。

古石場ふるいしばの名は、江戸城築城に際して石置き場として使われたことに由来すると江東区は説明しています。古石場川親水公園は「水辺の香り」をテーマに整備された延長約0.8km、面積約1.6haの親水公園で、現在も水路が細長く続きます。

写真に写る小津橋おづばしは古石場川に架かる橋で、江東区の橋梁資料では現在の橋が昭和27年(1952)7月架設、橋長18.1mとされています。橋の下を水路沿いに歩ける親水公園の構成は、かつて水路が町の骨格だった江東区らしい景観です。夜の散歩では水面と橋の照明も見え、地形の連続性を感じながら歩くことができました。

5.富岡八幡宮|深川の門前町を育てた中心地

夜の富岡八幡宮境内と街歩き参加者
富岡八幡宮に到着。深川の門前町を形づくってきた八幡宮の歴史を現地でたどりました。

富岡八幡宮は寛永4年(1627)、当時永代島えいたいじまと呼ばれた現在地に創建されました。江東区の資料では、周囲の砂州を埋め立てて広い社地が形成され、その後「深川の八幡様」として信仰を集めたとされています。例大祭の深川八幡祭りは江戸三大祭の一つに数えられ、門前仲町・富岡一帯の都市形成を考えるうえで欠かせない場所です。

当日はライトアップされた社殿前で立ち止まり、周囲の門前町と一体になって発展してきた歴史を振り返りました。木場から水路沿いを歩いてくると、材木・埋立地・水運・信仰が一つの地域史としてつながって見えてきます。

6.伊能忠敬像|全国測量の出発と富岡八幡宮

富岡八幡宮の伊能忠敬像を見学する参加者
富岡八幡宮境内の伊能忠敬像。測量へ出発する際に参拝したと伝わる縁を学びました。

境内では伊能忠敬いのうただたかの銅像にも立ち寄りました。忠敬は50歳で江戸へ出た後、富岡八幡宮近くの黒江町に住み、寛政12年(1800)の蝦夷地測量を皮切りに全国測量へ出発しました。富岡八幡宮に参拝してから測量の旅へ向かったと伝えられ、境内の像は「歩いて測る」という忠敬の仕事と、この地域との結びつきを示しています。

地図を完成品として見るだけでなく、測量隊が実際に江戸から各地へ歩き出した起点の一つとして現地を見ると、伊能図のスケールが身近になります。街歩きと測量史の相性がよく分かるスポットでした。

7.深川不動堂|成田山信仰が根付いた深川の門前

成田山東京別院 深川不動堂を歩く参加者
街歩きの終盤は深川不動堂へ。成田山信仰が江戸の深川に根付いた歴史をたどりました。

最後は成田山東京別院・深川不動堂へ向かいました。深川不動堂の公式由緒では、元禄16年(1703)に成田山新勝寺の本尊を江戸へ奉持して特別拝観したことが開創の起点とされ、現在地に「深川不動堂」として堂宇が完成したのは明治14年(1881)です。その後、関東大震災と東京大空襲で堂宇を失い、戦後に再建されました。

富岡八幡宮と深川不動堂は隣接していますが、一方は神社、一方は成田山新勝寺の東京別院です。両方を続けて歩くことで、深川・門前仲町が複数の信仰を受け入れ、多くの参詣者が行き交う門前町として発展したことを実感しやすくなります。

当日の街歩きを振り返って

新田橋の地域史から始まり、洲崎神社で旧海岸線、深川ギャザリアで近現代の土地利用、古石場川親水公園で水路、富岡八幡宮と深川不動堂で門前町の歴史へとつながるコースでした。15名で歩いた夜の木場・古石場・牡丹町は、現在の景色の中に江戸・近代・現代の層が連続して残ることを、歩く順番そのものから学べる散歩になりました。

現在地から歩ける史跡を地図で探す

TimeWalkは、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探し、自分で歴史散歩を楽しめるWebアプリです。木場、門前仲町、深川周辺には寺社、水路、橋、旧町名に関わる史跡がまとまっています。

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