白山三業地跡を歩く|花街の歴史・旧料亭跡・本駒込から春日への散歩コース

東京都文京区の白山神社

本駒込から白山一丁目の旧花街を抜け、西片、春日へ。現在は住宅地となった白山一丁目には、1912年に成立した三業地さんぎょうちがありました。料理屋、待合、芸妓置屋が集まった白山花街は、大正から昭和にかけて発展し、芸妓が博覧会やラジオ放送に出演するほど名を広めました。

このコースでは、白山三業地が生まれた旧指ヶ谷町さすがやちょうの地形と前史、花街を組織した秋本鉄五郎、見番や旧料亭の跡、白山神社、西片の樋口一葉ゆかりの地、昭和初期の橋本家住宅までをたどります。2023年に歩いたルートを土台に、現在歩くときに知っておきたい歴史を整理しました。

東京各地の花街を広く比べるなら、東京の花街46地域一覧|どこにあり、なぜ成立したのか地図で比較で、神楽坂・新橋・赤坂・大塚などとの位置関係や成立背景も確認できます。

今回のコース概要|本駒込から白山三業地跡、西片、春日へ

  1. ビュータワー本駒込
  2. 白山公園
  3. 旧「花みち」周辺
  4. 旧濱乃家跡
  5. 橋本家住宅
  6. 春日駅

本駒込側の台地から白山へ入り、旧花街の低地を歩いた後、西片へ上がって春日へ向かいます。文京区の坂と谷、近代の花街、山の手住宅地が短い動線の中で切り替わるコースです。

東京都文京区本駒込の文京グリーンコート
本駒込の文京グリーンコート。Photo: Kamemaru2000 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
東京都文京区本駒込の動坂
本駒込の動坂。Photo: Kentin / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

白山三業地とは|料理屋・待合・芸妓置屋が集まった花街

三業地さんぎょうちは、料理屋・待合まちあい・芸妓げいぎ置屋の三業がまとまって営業した花街です。料理屋や待合で宴席が開かれ、置屋から芸妓が出向き、唄や踊り、三味線などの芸を披露しました。芸妓の取次や営業上の事務を担う見番も花街の中心的な施設でした。

白山では1912年に白山三業組合が成立し、1915年に白山三業株式会社となりました。1932年には白山三業株式会社から『白山繁昌記―白山花街廿周年きねん』が刊行され、1961年には創業50周年を記念した『白山三業沿革史』が雄山閣出版から刊行されています。後者は272ページにわたり、江戸期の料理茶屋から明治・大正・昭和、戦後までの歩みをまとめた白山花街の基礎史料です。

創設の中心となったのが秋本鉄五郎です。上村敏彦『東京花街・粋な街』などによれば、秋本は白山で酒屋と居酒屋を営み、日露戦争期の1904年ごろに料理屋「かね万」を開きました。宴席の需要に応じて神楽坂、四谷、下谷、湯島などから芸妓を呼んでいたことが、白山に独自の花街を整える動きへつながりました。

東京都文京区千石・白山付近の白山通り
現在の白山通り。Photo: 7q3kjfehb / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

白山花街の前史|指ヶ谷の谷地に生まれた盛り場

白山三業地の中心は、現在の白山一丁目にあたる旧指ヶ谷町さすがやちょう周辺でした。旧町域は現在の白山一・二・四・五丁目にまたがります。文京区の町会資料では、指ヶ谷の名は徳川家光が鷹狩りの際に谷を指し示したことに由来すると伝えています。

地形を見ると、西側には白山神社方面の高台、東側には本郷・西片の台地があり、その間に低地が延びています。明治期にはこの低地に銘酒屋などが集まる盛り場が形成されました。三業地指定は、すでに人が集まっていた指ヶ谷の遊興空間を、料理屋・待合・芸妓置屋からなる花街へ組み替えていく節目となりました。

東京都文京区白山の円乗寺
白山一丁目の円乗寺。Photo: tak1701d / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

大正から昭和へ|博覧会とラジオにも進出した白山芸妓

大正期に規模を広げた白山花街は、地域の宴席だけにとどまらず、芸能を通じて東京の表舞台にも出ました。1923年4月、上野公園で開かれた東京大正博覧会には白山の芸妓げいぎ55人が出演し、踊りや常磐津を披露したと記録されています。1925年には白山芸妓による常磐津がラジオ放送されました。

当時の白山では「モダン芸妓」と呼ばれる新しいスタイルも話題になりました。1932年の『白山繁昌記』が「白山花街廿周年」を掲げて刊行されたことからも、白山側が花街の歩みそのものを地域の歴史として記録していたことが分かります。

戦後も花街は続きました。指ヶ谷町会に残る昭和30年代の祭礼写真には、仲通りの白山三業見番前で芸者衆が神輿を見送る姿が写っています。花街の施設と町会の祭礼が同じ通りに並んでいた時代の景観を伝える記録です。

文学に残った白山周辺|樋口一葉『にごりえ』から永井荷風へ

白山が三業地になる前の盛り場を知る手がかりが、樋口一葉ひぐちいちようの『にごりえ』です。一葉は1894年、旧本郷区丸山福山町、現在の西片一丁目へ移り、1896年に同地で生涯を終えました。文京区は、一葉宅と隣り合った銘酒屋の女性が『にごりえ』のモデルになったと紹介しています。

白山三業地の研究では、指定前の指ヶ谷周辺を描く文学として『にごりえ』、指定後の町を描く作品として永井荷風『おかめ笹』が挙げられています。1890年代の銘酒屋街から、1912年以後の公認花街へ。文学作品を年代順に置くと、白山の遊興空間が変化した時期がつかみやすくなります。

「花みち」と旧濱乃家|姿を消した料亭建築

白山一丁目の路地には、21世紀に入ってからも花街時代の建物が残っていました。その一つが「花みち」です。街並み調査では、1937年の火災保険特殊地図で待合、1953年の地図で「料亭田川」と確認され、その後は貸しスペース「花みち」や古民家図書館として使われました。建物は2020年から2024年の間に解体されています。

旧濱乃家も、白山花街の南端に残っていた木造の元料亭でした。2010年の街並み記録では、二階に「濱乃家」の屋号を抜いた意匠が確認できます。現在は建物が失われ、現地では旧料亭の位置、細い路地、仲通りとの関係を重ねながら歩く見方が中心になります。

「建物そのものを見る場所」から「跡地と町割りを読む場所」へ変わったことは、白山三業地を歩く際の大きなポイントです。古い地図や過去の写真が、現在の住宅地に花街の輪郭を戻してくれます。

白山神社|本郷から二度移った鎮守と白山の地名

旧花街から北へ向かうと白山神社があります。文京区によると、白山神社は天暦年間(947~957)に加賀一宮白山神社を現在の本郷一丁目へ勧請したと伝わります。元和年間(1615~1624)に巣鴨原、現在の小石川植物園内へ移り、館林侯時代の徳川綱吉の屋敷造営に伴って1655年に現在地へ移転しました。

白山前町の町名も、白山神社の境内前に位置したことから付いたと伝えられています。花街跡の低地から神社へ向かう道では坂が現れ、白山一丁目の旧指ヶ谷と白山神社周辺の高低差を足で確かめられます。

あじさいの咲く東京都文京区の白山神社社殿
白山神社。Photo: Nesnad / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

白山神社を中心に小石川側から歩くルートは、後楽園・小石川から白山神社へ|源覚寺・大田南畝・あじさいを巡る文京区歴史散歩で詳しく紹介しています。

西片へ|福山藩阿部家の屋敷跡と樋口一葉終焉の地

白山三業地跡から春日方面へ進むと、西片の高台へ入ります。西片は旧備後福山藩主阿部家の丸山中屋敷があった地域です。明治以降、阿部家は土地と家屋の賃貸を進め、学者や文人が暮らす住宅地が形成されました。北・西・南を崖に囲まれ、東側が中山道に開く地形も町の輪郭を形づくっています。

樋口一葉ひぐちいちようが1894年から暮らした丸山福山町も、現在の西片一丁目です。一葉終焉の地は西片1丁目17-8にあり、『大つごもり』『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』などを発表した時期の生活拠点でした。白山の花街史と一葉をつなぐ際は、三業地成立の1912年より前に一葉がこの地で暮らしていたという年代関係が重要です。

本郷から西片を経て白山へ歩く別ルートは、本郷〜白山ナイトウォーク|赤門・文学者の街・白山三業地を歩くで紹介しています。阿部家の屋敷地、西片の坂、樋口一葉、白山三業地を逆方向からつなげて歩けます。

橋本家住宅|1933年の洋風住宅が残す西片の景観

西片二丁目の橋本家住宅は1933年建築の木造2階建て洋館で、1998年に国の登録有形文化財となりました。文化庁のデータでは、建築面積は65平方メートル。玄関周りを除く1階外壁をモルタル塗り、2階をドイツ壁とし、外壁の仕上げを見切り材なしで切り替える点が特徴です。

妻面には木部を見せるハーフティンバー風の意匠があり、寄棟を切り落とした袴腰はかまごし型の形、玄関上部のバルコニー手すりにも昭和初期の洋風住宅らしい造形が残ります。白山の旧花街から西片へ上がると、遊興地の低地から山の手住宅地へ町の性格が変わることを建築でも確認できます。

歩くときに見るポイント

  • 白山一丁目の細い路地:旧料亭や待合の位置を古地図と重ねると、花街の町割りを追いやすくなります。
  • 仲通り周辺:昭和30年代には白山三業見番があり、町会の祭礼写真にも芸者衆が写っています。
  • 白山神社へ上がる高低差:旧指ヶ谷の低地と周囲の台地の関係を体感できます。
  • 西片の崖と住宅地:旧福山藩阿部家の屋敷地から近代住宅地へ変わった地形と街路が残ります。
  • 橋本家住宅の外観:1階と2階で異なる壁仕上げ、ハーフティンバー風の妻面、バルコニーの意匠が見どころです。

白山の花街をもっと知る

白山だけでなく東京の花街を成立理由から比較すると、寺社門前、交通結節点、軍需・工業地域、郊外行楽地など、それぞれ異なる都市条件から花街が生まれたことが分かります。東京の花街46地域一覧では、白山をほかの花街と同じ地図上で比較できます。

TimeWalkで周辺の歴史スポットを探す

TimeWalkは、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探し、自分で歴史散歩を楽しめるWebアプリです。白山・本駒込・西片周辺で次の立ち寄り先を探すときは、現在地から歩ける史跡を地図で探すから確認できます。

まとめ|白山は「建物」から「町割り」を読む花街跡へ

本駒込から春日へ歩くこのコースでは、1912年に成立した白山三業地、旧指ヶ谷の谷地、失われた料亭建築、白山神社、西片の福山藩阿部家屋敷跡、樋口一葉、橋本家住宅が一続きになります。花街時代の建物が少なくなった現在は、路地、坂、旧料亭の位置、古地図を重ねることで、白山一丁目にあった花街の輪郭を追えます。

参考資料