品川駅高輪口から坂を上がると、ホテルの建物に囲まれた約2万平方メートルの日本庭園が広がります。池と樹木の間に桜が連なり、その一角には1911年(明治44年)竣工の旧竹田宮邸洋館が残ります。
この場所の歴史は、江戸の武家屋敷、明治の後藤象二郎邸、皇室の御用地と竹田宮邸、戦後のホテル開業、1971年の日本庭園造営へと続きます。現在の景観の中に、江戸・明治・昭和の土地利用が重なっています。

グランドプリンスホテル高輪の日本庭園とは
日本庭園は、ザ・プリンス さくらタワー東京、グランドプリンスホテル高輪、グランドプリンスホテル新高輪の3つのホテルに囲まれています。面積は約20,000㎡。池、花木、石造物、歴史的建造物が点在し、高輪の高低差を生かした奥行きのある景観が続きます。
春には17種類・約210本の桜が咲きます。河津桜、寒緋桜、染井吉野、御衣黄など開花時期の異なる品種があり、2月から4月にかけて庭園の表情が変わります。夜には桜のライトアップが行われる季節もあり、高輪の夜桜を代表する場所になっています。

江戸の武家屋敷から後藤象二郎邸へ
現在の高輪三丁目一帯は、江戸時代には大名や旗本の屋敷が並ぶ地域でした。JR東日本の高輪築堤跡保存活用計画では、旧竹田宮邸の敷地に与板藩・日出藩・薩摩藩の武家屋敷があったことが整理されています。
明治に入ると、この土地は土佐出身の政治家後藤象二郎の邸宅となりました。後藤は大政奉還の実現に関わり、明治政府では参議などを務めた人物です。高輪は海を望む高台で、明治期には旧大名家、宮家、実業家の大規模な邸宅が集まる住宅地へ変わっていきました。
皇室御用地から竹田宮邸へ
後藤象二郎の死後、この土地は1898年(明治31年)に皇室の御用地となりました。1907年(明治40年)には竹田宮家へ下賜され、宮家の邸宅地となります。
当時の高輪には竹田宮邸だけでなく、北白川宮邸など皇族の邸宅が点在していました。品川駅に近い高台に宮邸や華族邸が連なる景観は、現在のホテル群とは大きく異なる戦前の高輪の姿です。
1911年竣工の旧竹田宮邸「高輪 貴賓館」
1911年(明治44年)、竹田宮邸の洋館が完成しました。現在の「高輪 貴賓館」です。赤坂離宮(現在の迎賓館赤坂離宮)を手がけた宮廷建築家片山東熊らが設計に関わり、宮家の邸宅にふさわしい華やかな洋風意匠が施されました。
建物は戦後も残り、ホテルの歴史に引き継がれます。1972年(昭和47年)には建築家の村野藤吾による改修が行われました。現在は婚礼や宴会に使われる「高輪 貴賓館」として活用されています。庭園内で港区指定有形文化財となっているのは観音堂・鐘楼・山門です。
1953年、品川プリンスホテルとして開業
戦後の1953年(昭和28年)11月18日、旧竹田宮邸洋館を利用してホテルが開業しました。開業時の名称は「品川プリンスホテル」です。1968年(昭和43年)に「高輪プリンスホテル」へ改称しました。
1960年には本館、1971年3月18日には新館が開業しました。この新館が現在のグランドプリンスホテル高輪です。その後、1982年に新高輪プリンスホテル、1998年に高輪プリンスホテル さくらタワーが開業し、2007年に現在の3ホテルの名称へ変更されました。


現在の日本庭園が造られた1971年
現在の日本庭園は1971年(昭和46年)、高輪プリンスホテル新館の建設に合わせて新たに造られました。作庭を担当したのは、皇居新宮殿の庭園も手がけた楠岡悌二です。
約2万平方メートルの敷地に池と起伏を生かした園路を配し、既存の歴史的建造物や石造物を取り込むことで、ホテル開発と高輪に残る歴史を一つの景観にまとめました。明治の宮家邸宅と昭和のホテル開発が同じ庭園の中に重なっています。

観音堂・鐘楼・山門に残る歴史
庭園内には、2021年(令和3年)9月に港区指定有形文化財となった観音堂・鐘楼・山門があります。観音堂と山門は1954年(昭和29年)に奈良県の長弓寺から移築されました。観音堂には十一面観音像が安置されています。
鐘楼は1656年(明暦2年)の建立で、1959年(昭和34年)に奈良県の念仏寺から移築されました。さらに庭園には、徳川将軍家霊廟から移された青銅灯籠や、18世紀の清代に作られた狛犬も置かれています。ホテル開業以前の建造物や石造物が昭和期の作庭の中に組み込まれています。
17種類・約210本の桜と夜の庭園
日本庭園には17種類・約210本の桜があります。早咲きの河津桜から、寒緋桜、染井吉野、枝垂桜、御衣黄などへ順に花期が移り、春の長い期間にわたって桜を楽しめます。
春の夜にはライトアップが行われ、池や樹木、歴史的建造物と桜が暗がりの中に浮かびます。昼は庭園の起伏や建築との距離感がよく見え、夜は光によって輪郭が強調されます。同じ園路でも時間帯で印象が大きく変わる場所です。
戦前の地図で見る高輪の宮邸
戦前の地図を見ると、現在のホテル群の場所に宮邸が並び、品川駅の西側が大規模な邸宅地だったことがわかります。現在のグランドプリンスホテル高輪、グランドプリンスホテル新高輪、ザ・プリンス さくらタワー東京の周辺には宮邸があり、品川プリンスホテル側には毛利公爵邸、さらに南側には岩崎家の邸宅がありました。

鉄道が通る海側と、高台の大邸宅が並ぶ西側。この高低差と土地利用の違いは現在の街にも残っています。高輪築堤や高輪大木戸まで範囲を広げると、江戸の街道、明治の鉄道、宮邸とホテルが同じ地域で重なります。
高輪の変遷を年表で追う
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 江戸時代 | 旧竹田宮邸周辺に与板藩・日出藩・薩摩藩の武家屋敷が置かれる |
| 明治期 | 後藤象二郎の邸宅となる |
| 1898年 | 皇室の御用地となる |
| 1907年 | 竹田宮家へ下賜 |
| 1911年 | 竹田宮邸洋館が竣工 |
| 1953年11月18日 | 「品川プリンスホテル」の名称で開業 |
| 1968年 | 「高輪プリンスホテル」へ改称 |
| 1971年3月18日 | 新館が開業。現在の日本庭園もこの時期に造園 |
| 2021年9月 | 観音堂・鐘楼・山門が港区指定有形文化財に指定 |
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