自衛隊唯一の落下傘部隊第1空挺団の空挺館に行ってみよう!午後は津田沼観光もします

朝の部

行くところ

  1. ファミリーマート寺島習志野台店【集合場所】
  2. 空挺館(旧陸軍騎兵連隊御馬見所)HP
  3. 旧陸軍境界標柱など資料館周辺展示
  4. 船橋市郷土資料館HP
  5. 旧陸軍東部軍教育隊裏門門柱
  6. 習志野駅から新津田沼駅へ移動
  7. 津田沼駅周辺で食事

昼の部

資料

資料① 習志野市歴史・文化財マップ(PDF)※どこかで紙をもらえるかな?

資料② 御成街道(東金街道)を歩く(PDF)

行くところ

※津田沼駅から実籾駅まで約6kmほど歩きます。

  1. 保存車両 陸軍鉄道連隊 K2 134【集合場所】
  2. 千葉工業大学通用門(旧陸軍鉄道第二聯隊兵営表門跡)
  3. 藤崎の大イチョウ
    正福寺の大イチョウは市の天然記念物と名木百選No.30に指定されています。樹齢400年といわれる古木は樹高約20メートル、目通り幹囲約4メートル、根回り約11メートルです。
  4. 習志野警察署 藤崎交番(前に御成街道説明板がある)
    1614(慶長19)年に徳川家康が翌年1月に東金で鷹狩りを行うため、佐倉藩主土井利勝に命じ造られた、船橋を起点として東金に至る約37キロメートルの道です。沿道の村に工事が割り振られ、「提灯街道」「一夜街道」の別名があるように、昼夜兼行の工事でごく短期間のうちに完成させたと伝えられています。ただし、家康がこの道を初めて使ったのは1615(元和元)年11月ですので、実際の完成はこの頃だったと考えられます。
  5. 藤崎古道(御成街道)
    藤崎に残された東金(御成)街道以前の古道。家康が東金で行われる鷹狩りに向かう途中、この道を通り、辺りに咲いていた藤の花の見事さを讃え、この地を「藤咲」と命名したといわれています。「咲」の字は、子安神社の祭神、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の名前をはばかって、「崎」に替え、「藤崎」になったといわれています。古道は東金(御成)街道ができると使われなくなり、現在は一部のみが残されて、細い坂道には木々がうっそうと茂っています。
  6. 藤崎堀込貝塚
    縄文時代中期〜後期の集落遺跡で、大規模な貝塚を伴っています。遺跡が位置する標高約20mの台地は、かつての菊田川とその支流の流れる谷に面していて、貝塚が作られた時代にはこの谷まで海が入りこんでいたと考えられています。貝の分布する範囲は南北約110m、東西およそ80mほどで、西が開いた馬蹄形をしています。貝の見られない周辺部にも、縄文時代中期から後期の住居跡が見つかっていて、このあたりが長期にわたって縄文人の生活の場であったことがわかっています。獣骨のほか、縄文土器や石器(打製石斧、磨製石斧、磨石、石皿)などが出土しています。千葉県指定文化財史跡に指定されています。
  7. 旧大沢家住宅
    藤崎森林公園内には房総の魅力500選に選ばれた旧大沢家住宅があります。1664(寛文4)年に長生郡長生村に建てられ、その後藤崎森林公園内に移築されました。東日本最古級の古民家です。この住宅は、江戸時代中期までの典型的な房総民家の形式を今に伝えています。
  8. 陸軍境界標石
  9. 騎兵連隊記念碑
    1. 騎兵第十四聯隊発祥の地
    2. 騎兵第十五聯隊跡
    3. 明治時代より戦前までの習志野には、騎兵連隊の基地がありました。明治32年には、大久保で騎兵第1旅団(騎兵第13・14連隊)・第2旅団(騎兵第15・16連隊)の編成を開始し、軍騎兵連隊の仮兵営が、さらに明治34年には編成が完了しました。明治37年の日露戦争の勃発とともに騎兵第1旅団・第2旅団ともに満州に出征しました。現在は、東邦大学キャンパス内に第13連隊、日本大学キャンパス内に第14連隊の記念碑があります。
  10. 習志野騎兵旅団発祥(騎兵第一旅団司令部跡)の地
    1. 八幡公園は旧騎兵旅団司令部の奥庭だったところで、公園の入り口には旅団司令部にあった赤レンガの門柱が残されています。また、園内には、習志野騎兵旅団発祥の地碑、騎兵第一旅団司令部跡の碑などがあります。
    2. 誉田八幡神社
      大久保の開祖・豊臣方の武将の市角頼母が河内国古市郡誉田(こんだ)村に鎮座する誉田八幡神社の分霊を奉遷した神社です。
  11. 習志野市立第二中学校(一里塚の椎の木がある)
    江戸時代、五街道や主要な脇往還には、一里ごとに一里塚を置いて松などの木を植え、旅人の目印としていましたが、東金街道の一里塚は実籾(大原神社近くの実籾踏切の実籾本郷側)に置かれ、椎の木が植えられていました。この椎の木は、現在第二中学校の校門脇に移植されて、今も静かに生徒たちの成長を見守っています。
  12. 大宮大原神社
    イザナギノミコト、イザナミノミコトの男女二神を祀る縁結び、安産の守護神。丑年と未年に行われる「船橋三山七年祭り」の一社です。
  13. 旧鴇田家住宅
    旧鴇田(ときた)家住宅は、享保(きょうほう)12年(1727年)から翌13年にかけて東金(御成(おなり))街道沿いに建築され、江戸時代に実籾村の名主なぬしをつとめた鴇田家の住居として、平成3年(1991年)まで使用されていました。現在は実籾本郷公園内に移築、復元されています。
  14. 無量寺
    真言宗豊山派の寺院で本尊は阿弥陀如来です。習志野七福神の寿老人をお祀りしています。明治初期には住職によって寺小屋も行われており、庶民の弟子100人余りを指導していたといわれています。
  15. 実籾駅

夜の部

水星とは

水星磁気圏探査機「みお」のページ

この日の水星について

上旬は日の入り後の西の低空に見え、7月4日に東方最大離角となります。東京では7日までは日の入り30分後の高度が10度を超え、見つけやすいでしょう。その後は急激に高度を下げ、月の半ば以降は見かけの位置が太陽に近づき、観察しにくくなります。1日から7日の明るさは0.4等から0.6等。

情報元:国立天文台のほしぞら情報2025年7月

この日の日没は19時頃で、水星は19:30ころから見やすいです。

行くところ

  1. 市川駅「北口」【集合場所】
  2. 弘法寺(ぐほうじ)門柱
    737(天平9)年に行基菩薩が建立し「求法寺」と名付けました。その後、平安時代に弘法大師(空海)によって「弘法寺」に改められたといわれています。鎌倉時代に入ってから日蓮宗の寺院となりました。本殿には日蓮宗最古の木造釈迦像が祀られています。参道には約100本の桜があり、シーズンには花見をする参拝客でにぎわいます。また、境内には小林一茶水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)、富安風生(とみやすふうせい)の句碑も。豊かな文化的壌土を育む市川市に多くの文人たちが訪れた歴史が刻まれています。
  3. 鏡石(市川真間駅付近)
  4. いちかわ西洋館倶楽部(旧渡辺善十郎邸)
    1. 国登録有形文化財(市内初)
    2. 渡辺善十郎(1883~1967)は、大正から昭和時代の政治家、実業家、衆議院議員。
    3. 東京の実業家のゲストハウスとして建てられた洋館。玄関ホールのベイウインドウ状の張出しと、南西北三面の袴腰型切妻破風を中心とした赤い屋根が特徴的。
  5. ガス燈
  6. アイ・リンクタウン展望施設