葛西・浦安・行徳・妙典の歴史散歩|塩・舟運・漁師町を歩く

市川市の行徳鳥獣保護区で鳥に給餌する様子

葛西・浦安・行徳・妙典は、旧江戸川と東京湾の水辺を介してつながってきた地域です。葛西の農漁村と寺社、浦安の漁師町、行徳の塩田と舟運、埋立後に守られた行徳近郊緑地を順にたどると、東京湾岸が「生産の海」から住宅地・工業地・自然保護区へ変化した過程を現地で読み取れます。

葛西駅から浦安駅までは農漁村と漁師町、妙典駅から行徳旧市街・あいねすとまでは寺町、塩、舟運、埋立と自然保護の歴史をたどります。見学先が多いため、二つの区間を別日に分けると歩きやすくなります。

この歴史散歩で分かること

  • 葛西が半農半漁の村から住宅地へ変わった過程
  • 浦安元町に漁師町の町割り、寺社、商家が残る理由
  • 行徳の塩が江戸の物流と成田参詣を支えた仕組み
  • 江戸川放水路の開削と、旧江戸川沿いの景観の変化
  • 東京湾の埋立と野鳥保護運動から行徳近郊緑地が生まれた経緯

コースの全体像|二つに分けて歩く

区間出発・終了主なテーマ主な見どころ
葛西~浦安葛西駅→浦安駅寺社、農漁村、旧江戸川、漁師町自性院、長島香取神社、蒸気河岸、大蓮寺、清瀧神社、旧宇田川家・旧大塚家住宅
妙典~行徳~野鳥の楽園妙典駅→本行徳→あいねすと塩、舟運、寺町、治水、自然保護徳願寺、権現道、常夜灯、行徳ふれあい伝承館、行徳近郊緑地

古地図や旧道の見方を先に知っておくと、川から離れた場所に残る曲がった道、寺社の集中、かつての船着場の位置が理解しやすくなります。詳しくは古地図まるわかりガイド|東京の街歩きが楽しくなる見方と使い方も参照してください。

葛西から浦安へ|寺社と旧江戸川をたどる

葛西は半農半漁の地域だった

現在の葛西駅周辺はマンションや幹線道路が目立ちますが、葛西地区はかつて蓮田と海苔漁場をもつ半農半漁の地域でした。東西線の開通など交通条件の変化によって人口が増え、都心の住宅地へ変わりました。散歩では、駅前の都市景観から旧村の寺社へ移ることで、その変化を体感できます。

自性院・桑川神社・長島香取神社

自性院には、寛文8年(1668)建立の観音菩薩像庚申塔があります。庚申信仰は、江戸近郊の村で人びとが講を結び、共同で祭祀を行った歴史を伝えます。

桑川神社長島香取神社は、旧桑川村・旧長島村の鎮守です。長島香取神社境内の富士塚は、明治41年(1908)に旧長島・桑川両村の富士講によって築かれました。実際の富士山へ行くことが難しかった時代、身近な場所で登拝を行うための信仰施設です。富士塚の背景は入谷の歴史散歩と富士塚でも紹介しています。

旧江戸川と蒸気河岸

蒸気河岸は、旧江戸川の舟運を伝える史跡です。明治27年(1894)に東京方面と行徳を結ぶ川蒸気船が開航し、浦安の重要な交通手段となりました。昭和15年(1940)に浦安橋が開通し、自転車や自動車が普及すると、船の交通は昭和19年(1944)に廃止されました。

浦安元町|境川を中心に栄えた漁師町

浦安の旧市街は、境川沿いに堀江・猫実・当代島の集落が発達した地域です。漁船の係留、魚介の水揚げ、貝加工、海苔養殖などが暮らしを支えました。細い道と川沿いの町並みを歩くと、海面埋立以前の浦安が水路と漁業を基盤とした町だったことが分かります。

1930年頃の浦安の町並みと水辺の景観
1930年頃の浦安。出典:新光社『日本地理風俗大系 第3巻』/Wikimedia Commons/パブリックドメイン。

漁師町だった浦安が、水質汚染、漁業権放棄、海面埋立を経て住宅・観光都市へ変わった経緯は、浦安はなぜ海を手放し、ディズニーの街になったのか|黒い水事件・漁業権放棄・埋立の歴史で詳しく解説しています。

大蓮寺・清瀧神社・二つの旧家

大蓮寺には、浦安の海苔養殖の発展に尽くした大塚亮平の顕彰碑があります。寺社を単独で見るのではなく、漁業者、商家、河岸、境川との関係を見ると、旧市街の成り立ちが分かります。

清瀧神社は浦安三社の一つで、本殿は浦安市指定有形文化財です。境内周辺には堀江水準標石、浦安町道路元標、旧町役場跡など、近代の行政と測量の記憶も集まっています。

浦安市の清瀧神社に設けられた茅の輪と拝殿
清瀧神社の茅の輪と拝殿、2014年。撮影:Thirteen-fri/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

旧宇田川家住宅は明治2年(1869)築で、建築年代が明らかなものとしては市内最古の民家です。店舗と住居を兼ね、米屋、油屋、雑貨屋、呉服屋などに使われました。旧大塚家住宅は江戸時代末期の建築と推定され、屋根裏を水害時の避難や家財保管に使った構造が残ります。二棟を続けて見ると、浦安の商業と水害への備えを建物から比較できます。

葛西~浦安の歩く順番

  1. 葛西駅
  2. 自性院
  3. 桑川神社
  4. 長島香取神社・長島の富士塚
  5. 清光寺
  6. 蒸気河岸
  7. 大蓮寺
  8. 清瀧神社
  9. 旧宇田川家住宅
  10. 旧大塚家住宅
  11. 浦安駅

妙典・行徳|塩と舟運で栄えた町を歩く

行徳・妙典の地名と寺町

「行徳」の名は室町時代の記録に現れ、金海法印という山伏の名に由来するという伝承があります。地域は「行徳千軒、寺百軒」と呼ばれるほど寺院が多く、旧江戸川沿いの自然堤防上に集落と街道が延びました。妙典の地名は法華経に由来すると伝えられ、妙好寺と周辺の寺社は中世以降の信仰と開発の歴史を伝えます。

行徳塩|江戸を支えた重要物資

行徳では戦国時代までに製塩が盛んになり、江戸湾岸有数の塩の生産地となっていました。徳川家康が天正18年(1590)に関東へ入ると、行徳塩は幕府の保護を受けて発展し、江戸時代には関東有数の生産量を誇りました。塩は食用や食品保存に欠かせず、水路で江戸へ運ばれました。

行徳の塩田は大正6年(1917)の台風による高潮で壊滅的な被害を受けました。現在は塩田そのものを見られませんが、本塩、塩焼、塩浜などの地名、寺院の山号、地域資料館の展示に塩の町の記憶が残っています。

行徳船と常夜灯|塩の輸送路が旅の道になった

行徳で作られた塩を江戸へ運ぶため、小名木川・新川・旧江戸川を結ぶ水路が使われました。本行徳と江戸を往復した船は「行徳船」と呼ばれ、塩や野菜、魚だけでなく旅客も運びました。江戸から成田山へ向かう人びとは、船で行徳へ上陸し、行徳街道を進みました。

常夜灯は文化9年(1812)、江戸日本橋西河岸などの講中が航路安全を祈って建てた石造物で、市川市指定有形文化財第1号です。現在地一帯は新河岸の船着場で、笹屋うどんなどの店も並びました。船着場、行徳街道、成田参詣が交わった水陸交通の拠点を伝えています。

江戸川放水路|水害対策が町と自然を変えた

明治43年(1910)の大洪水を受け、江戸川放水路は大正5年(1916)から大正8年(1919)にかけて掘削されました。工事によって行徳地域は分断されましたが、放水路の河口部には干潟と汽水環境が生まれ、現在は生きものの重要な生息地になっています。治水工事が土地利用と生態系の双方を変えた例です。

人工河川と水門が都市を守る仕組みは、荒川放水路と岩淵水門で読む東京の治水史、河川・橋・港を含む長い変化は日本の土木の歴史|川・ダム・橋・港はどう日本をつくったのかで解説しています。

寺町と神輿文化

徳願寺は徳川家康の帰依によって整備されたと伝わる寺院で、行徳寺町の中心的な存在です。寺院の山号や街道沿いの配置には、海、湊、塩場と結びついた土地の歴史が表れています。

行徳神輿ミュージアム市川市行徳ふれあい伝承館では、行徳で受け継がれてきた神輿製作と祭礼文化を学べます。伝承館の主屋は旧浅子神輿店で、建物自体も国登録有形文化財です。塩と舟運だけでなく、寺町と祭礼が職人文化を育てた点まで見ると、行徳の歴史が立体的になります。

妙典~行徳の歩く順番

  1. 東京メトロ東西線 妙典駅
  2. 行徳神輿ミュージアム
  3. 本塩豊受神社
  4. 徳願寺
  5. 妙好寺
  6. 権現道
  7. 笹屋うどん跡
  8. 常夜灯
  9. 市川市行徳ふれあい伝承館

行徳ふれあい伝承館は午前10時から午後5時まで開館し、月曜日と年末年始は休館です。妙典駅・行徳駅から徒歩約15分です。臨時休館を含む最新情報は市川市公式サイトで確認してください。

行徳の海辺から近郊緑地へ|昭和の景観変化

昭和30年代末から東京湾岸の埋立が進むと、行徳に広がっていた干潟、浅瀬、蓮田、湿地の多くが失われました。開発に対する自然保護運動を経て、宮内庁新浜鴨場前面を含む約83ヘクタールが昭和45年(1970)に行徳近郊緑地特別保全地区となり、鴨場を除く56ヘクタールは昭和54年(1979)に行徳鳥獣保護区へ指定されました。

この緑地は手つかずの原生自然ではありません。失われた湿地環境を補い、野鳥や水辺の生きものが暮らせるよう、人の手で維持・再整備されてきた都市の自然です。埋立地の拡大と自然保護の両方を同じ場所で考えられる点が、行徳近郊緑地の大きな特徴です。

市川市の行徳鳥獣保護区で鳥に給餌する様子
行徳鳥獣保護区。撮影:resource70/Wikimedia Commons/CC BY 3.0。

あいねすとの自然散策会、2025・2026年のイベント、行徳鳥獣保護区の成立史はあいねすと・行徳鳥獣保護区|野鳥観察・自然散策会と新浜の自然保護史で詳しく紹介しています。

東京湾岸の埋立地に生まれた別の湿地保全の例は、東京港野鳥公園とは?埋立地によみがえった干潟と野鳥の歴史を歩くで紹介しています。行徳近郊緑地と比べると、埋立・市場・自然回復の関係がより分かりやすくなります。

訪問前に確認したい実用情報

  • 旧宇田川家住宅・旧大塚家住宅は、通常午前10時15分から午後4時まで。12月から3月は午後3時閉館です。
  • 両住宅は月曜日・木曜日などが休館です。祝日や年末年始は変則になるため、浦安市公式サイトで確認してください。
  • 行徳ふれあい伝承館とあいねすとは月曜休館が基本です。
  • 寺社は信仰の場です。祭礼・法要中の見学や撮影は現地の案内に従ってください。
  • 全区間を一日で詰め込まず、葛西~浦安と妙典~行徳・野鳥の楽園を分けると、建物内部や展示も見学できます。

FAQ

葛西・浦安・行徳は、なぜ水辺の歴史でつながるのですか

旧江戸川と東京湾が、漁業、製塩、農業、舟運の基盤だったためです。葛西では蓮田や海苔漁、浦安では漁業と海苔養殖、行徳では製塩と舟運が発達しました。

行徳はなぜ塩の町として栄えたのですか

海に近い低地に塩田を造る条件があり、江戸へ水路で運べたためです。徳川幕府の保護も受け、行徳塩は江戸の生活を支える重要物資になりました。

行徳船は何を運んだのですか

当初は塩の輸送が中心でしたが、野菜や魚などの物資、成田山へ向かう旅客も運びました。行徳は江戸と房総を結ぶ水陸交通の中継地になりました。

野鳥の楽園には自由に入れますか

行徳鳥獣保護区内は通常立入禁止です。あいねすと館内や周辺の観察場所を利用し、園内観察会へ参加する場合は公式案内に従ってください。

一日で全コースを歩けますか

移動だけなら組み合わせられますが、寺社、文化財住宅、資料館、野鳥観察舎を丁寧に見るには二日に分ける方が現実的です。

参考資料・公式情報

TimeWalkで、現在地の歴史スポットを探す

散歩中に「この近くにも歴史スポットがあるか知りたい」と思ったときは、街歩き・観光アプリTimeWalkを利用できます。現在地周辺の史跡や寺社、建築、旧道などを距離順に探し、現地で解説を読めます。決められたコースを歩くだけでなく、時間や体力に合わせて寄り道を組み立てたいときに便利です。

TimeWalkの特徴と使い方を見る

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 運営者
なかまつ

北海道大学工学部卒。現在はIT系会社員の傍ら、年間400回以上の街歩きイベントを企画し、これまで延べ25,000名以上の方にご参加いただいている、ゆる歴史散歩サークルを運営しています。東京の歴史・文化・建築・地形などを、初心者でも気軽に楽しめるイベントとして企画しています。

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