六本木の東京ミッドタウンから国立新美術館へ向かい、西麻布の谷を抜けて表参道へ。現在は美術館、商業施設、住宅が並ぶこの一帯には、江戸の大名屋敷、明治以降の軍用地、戦後の米軍施設、姿を消した川、明治神宮の参道として整えられた大通りが重なっています。
歩くテーマは「土地の使われ方」と「地形」です。六本木・赤坂の台地から笄川の谷へ下り、青山へ上がると、地図だけでは分かりにくい街の成り立ちを足元の高低差からたどれます。
今回の散歩コース
- 東京ミッドタウン
- 国立新美術館と旧歩兵第三連隊兵舎
- 赤坂プレスセンター周辺
- 西麻布・笄川跡
- 表参道・青山
六本木全体の土地利用を先に見ておくと、六本木1〜7丁目の歴史で、武家地・軍用地・坂・再開発の違いを丁目ごとに比較できます。
六本木は武家地と社寺地から始まった
港区によると、「六本木」の名は6本の松の古木にちなむ説のほか、上杉・朽木・高木・青木・片桐・一柳という「木」の付く大名家にちなむ説があります。江戸時代の六本木は飯倉六本木町と龍土六本木町を中心とする限られた範囲で、現在の町域の大部分は武家地と社寺地でした。
1869年に周辺の町や門前がまとめられて麻布六本木町となり、1878年には麻布区に所属しました。現在の六本木1〜7丁目は1967年の住居表示で成立しています。ひとつの町名に見える六本木の内部に、旧町名や坂、屋敷地の境界が複雑に残るのはこのためです。
東京ミッドタウン|毛利家下屋敷から防衛庁へ
東京ミッドタウンの敷地は、江戸時代には萩藩毛利家の下屋敷でした。明治になると陸軍の駐屯地となり、戦後は米軍将校宿舎、日本への返還後は防衛庁檜町庁舎として使われました。防衛庁本庁が2000年に市ヶ谷へ移転した後に再開発が進み、2007年3月に東京ミッドタウンが開業しました。
現在も土地の記憶は残っています。東京ミッドタウン公式によると、旧防衛庁時代からの樹木約140本が緑地に受け継がれ、毛利家下屋敷跡で発掘された石組溝の石は擁壁として再利用されています。隣接する檜町公園まで見ると、超高層ビルの足元に江戸の庭園地形を読み取れます。

国立新美術館|陸軍兵舎から大学、そして美術館へ
国立新美術館の場所には、1928年に旧陸軍第一師団歩兵第三連隊の兵舎が建てられました。戦後は東京大学生産技術研究所などに転用され、現在も兵舎の一部が国立新美術館別館として保存されています。館内には当時の兵舎を再現した模型もあり、この場所が美術館になる以前の規模を立体的に確認できます。
現在の本館は黒川紀章・日本設計共同体の設計で、2006年に竣工、2007年1月21日に開館しました。「森の中の美術館」をコンセプトに、南側の波打つガラスカーテンウォールと円錐形の入口が特徴です。延べ約1万4,000平方メートルの展示スペースを持ち、12の展示室、公募展示室、企画展示室を備えています。
軍用地から大学研究施設、国立美術館へという変化は、六本木7丁目の近代史を象徴します。周辺の土地利用まで詳しく見る場合は、六本木7丁目・乃木坂の歴史散歩にまとめています。

赤坂プレスセンター周辺|旧軍用地の戦後
国立新美術館から西麻布側へ進む途中には、在日米軍の赤坂プレスセンターがあります。旧軍用地の一部が戦後も米軍施設として使われてきた場所で、文化施設へ転用された国立新美術館とは異なる戦後史をたどりました。六本木・乃木坂では、隣り合う土地が「美術館」「大学・研究機関」「米軍施設」へ分かれたこと自体が大きな特徴です。
この一帯の明治初期の土地利用は、明治五千分一東京図で読む赤坂・麻布・広尾でも確認できます。江戸の屋敷地が軍施設や邸宅へ変わっていく時期を地図で追えます。
西麻布・笄川跡|坂を下ると消えた川の谷に出る
六本木から西麻布へ進むと、道は低い場所へ下っていきます。この谷を流れていたのが笄川です。港区によると、笄川は麻布・広尾の谷あいを南北に流れ、天現寺橋付近で古川に合流していました。現在は暗渠となり、環状4号線の西側に並行する道路の下を流れています。
「笄」は西麻布に残る旧町名です。地名の由来には、天慶の乱の際に源義基が刀の笄を与えて川を渡ったという伝説、国府方の転訛、甲賀組・伊賀組にちなむ説などがあります。笄橋周辺の谷には水田が広がり、明治末頃まで「笄田んぼ」と呼ばれていました。
高層建築の六本木から数十分歩くだけで、川の流れがつくった谷へ入ります。暗渠そのものが見えなくても、坂の向きと低地の連なりが旧河道の手掛かりになります。
表参道・青山|1920年に生まれた明治神宮の参道
表参道は、明治神宮の正面参道として1920年11月1日の鎮座祭に合わせて整備されました。現在の表参道駅付近から明治神宮へ続く大通りで、港区側では旧赤坂区青山北六丁目を通っていました。街路そのものが、明治神宮創建とともに20世紀に生まれた都市計画の一部です。
表参道周辺には、その後の都市史も重なっています。関東大震災後には同潤会青山アパートが建ち、戦災を経て商業地へ発展しました。原宿・表参道の暗渠、同潤会、山の手空襲まで続けて歩くなら、原宿・表参道・青山の歴史散歩もあわせて見ると時代のつながりが分かります。

六本木から表参道まで歩くと見えるもの
東京ミッドタウンでは大名屋敷から軍用地・防衛庁への転換、国立新美術館では陸軍兵舎から大学・文化施設への転換、西麻布では暗渠になった笄川、表参道では明治神宮創建と近代街路の成立をたどれます。華やかな現在の街並みの下に、江戸の屋敷地、近代の軍都、谷の水系、20世紀の都市計画が連続するルートです。
散歩中の歴史探しにはTimeWalk
ルートの途中で近くの史跡や記念碑を探したいときは、Webアプリ「TimeWalk」で現在地や指定地点の周辺にある歴史スポットを地図から探せます。六本木・西麻布・青山のように、見どころが点在する街歩きと相性のよい使い方です。
開催レポート
2025年11月7日19時から、「六本木~国立新美術館~表参道をブラタモリ風にゆる散歩しよう」を開催しました。参加者は21名。東京ミッドタウンを起点に、国立新美術館、赤坂プレス・センター周辺、西麻布の笄川跡をたどり、表参道・青山方面へ歩きました。夜の街を実際に歩くことで、現在の華やかな六本木の風景と、江戸の大名屋敷、近代の軍用地、戦後の米軍施設、暗渠となった川が同じ場所に重なっていることを確かめる散歩になりました。
東京ミッドタウンの芝生広場からスタート
集合後、まず東京ミッドタウンの芝生広場へ。高層ビルの明かりと緑地が同居する現在の景観を見ながら、この場所が江戸時代の毛利家下屋敷、明治以降の陸軍用地、戦後の米軍将校宿舎、防衛庁檜町庁舎を経て再開発された土地であることを振り返りました。建物だけでなく、土地が何に使われてきたかを追うと、六本木の見え方が変わってきます。

芝生広場に隣接する21_21 DESIGN SIGHTは、建築家・安藤忠雄による設計です。公式資料によると、一枚の鉄板を折り曲げたような屋根は三宅一生の服づくりの考え方「一枚の布」から着想を得ています。建物の多くを地下に収め、地上の緑地との連続感をつくっている点も、東京ミッドタウンの風景を読むうえで面白いポイントです。

夜の国立新美術館で、軍用地から文化施設への転換を見る
続いて国立新美術館へ向かいました。夜になると、南側の波打つガラス面が館内の光を受け、昼間とは違う輪郭が浮かびます。現在の建物は黒川紀章・日本設計共同体によるものですが、この敷地には1928年竣工の旧陸軍第一師団歩兵第三連隊兵舎がありました。戦後は米軍接収を経て、1959年から2001年まで東京大学生産技術研究所・物性研究所として使用され、旧兵舎の一部は現在も国立新美術館別館として保存されています。

美術館の外観だけを見ると新しい文化施設ですが、旧兵舎の一部が残ることで、軍用地から研究施設、そして美術館へという土地利用の変化を一か所で比較できます。今回の散歩では「今ある建物を見る」だけでなく、「その前に何があったか」を重ねて考えることを大切にしました。
赤坂プレス・センターと六本木ヘリポート
国立新美術館周辺では、赤坂プレス・センターにも目を向けました。防衛省・北関東防衛局は同施設を東京都港区に所在する在日米軍施設・区域として掲載しています。現地ではフェンス越しに六本木ヘリポート周辺を確認しました。すぐ近くの旧軍用地が美術館や研究施設へ転用された一方、戦後も米軍施設として使われている場所が隣接していることは、この地域の歴史を考えるうえで重要です。

西麻布では地形から笄川を探す
六本木から西麻布へ進むと、今度は建物ではなく高低差が歴史の手掛かりになります。港区の資料では、笄川は麻布・広尾の谷あいを南北に流れ、天現寺橋付近で古川に合流していました。現在は暗渠となり、環状4号線の西側に並行する道路の下を流れています。川面が見えなくても、坂を下った先に低地が続くことから、かつての水の流れを地形として感じ取れます。
「笄」という地名の由来には複数の説があり、港区は、天慶の乱の際に源義基が刀の笄を与えて川を渡ったという伝説、国府方の転訛、甲賀組・伊賀組にちなむ説などを紹介しています。由来を一つに決めつけず、複数の伝承が残っていること自体も古い地名の面白さです。
21人で歩いた夜の六本木から表参道
今回の21人での街歩きでは、東京ミッドタウンの夜景、21_21 DESIGN SIGHT、国立新美術館、赤坂プレス・センター周辺、笄川跡と、性格の異なる場所を一続きに歩きました。再開発された都市空間、文化施設、軍用地の記憶、暗渠と谷地形を実際の足でつなぐことで、六本木から青山・表参道にかけての街が一時代だけでできたものではないことを体感できるコースでした。
六本木周辺をさらに掘り下げたい方は、本文で紹介した六本木1〜7丁目の歴史や六本木7丁目・乃木坂の歴史散歩もあわせてご覧ください。表参道側の歴史は原宿・表参道・青山の歴史散歩につながります。

