ビフィズス菌の歴史――1899年の発見から「ビヒダス」「明治ほほえみ」まで

スーパーのヨーグルト売り場にある「ビヒダス」と、育児用品売り場に並ぶ「明治ほほえみ」。二つの製品の間には、約127年前、パリの医師が赤ちゃんの便を調べた研究に端を発する科学史があります。

1899年に見つかった細菌は、20世紀に母乳研究の中心的な存在となり、やがて日本の乳業メーカーが製品化に挑む対象となりました。生きた菌を食品に届ける技術と、殺菌した菌体の働きを調べる技術。異なる道筋が、現在の製品に結びついています。

1899年、パリ――赤ちゃんの便から見つかった奇妙な菌

19世紀末のヨーロッパでは、乳児の下痢や感染症が深刻な問題でした。母乳で育つ赤ちゃんと、当時の牛乳などによる人工栄養で育つ赤ちゃんの健康状態には違いがあり、その理由を調べる研究者がいました。

パリのパスツール研究所にいた医師アンリ・ティシエ(Henri Tissier)も、その一人でした。1899年、ティシエは母乳栄養児の便から、先端が枝分かれする独特の形をした細菌を分離しました。枝分かれした姿が「二つに分かれた」を意味する言葉に結びつき、当時は「Bacillus bifidus」と呼ばれました。

ティシエが調べていたのは、まだ「腸内フローラ」という考え方が十分に確立していない時代の赤ちゃんの便です。当時の培養技術では、酸素を嫌う腸内細菌を育てること自体が難題でした。それでも、母乳栄養児の便に特定の菌が優勢に見られるという観察は、後の研究者に大きな課題を残します。

なぜ、その菌が母乳で育つ赤ちゃんの腸で増えるのでしょうか。ティシエの研究をまとめた学位論文は1900年に刊行されました。現在「1899年の発見」と「1900年の記録」が並んで紹介されるのは、このためです。

名前さえ定まらなかった細菌

ビフィズス菌の分類はその後も揺れました。1924年にはオルラ=イェンセンによって独立したビフィドバクテリウム属が提唱されましたが、乳酸桿菌に含められた時期もあります。1960年代には糖を分解する酵素の違いが明らかになり、現在の分類を支える知見が積み重なりました。研究対象の正体を定める作業にも数十年を要したのです。

母乳には、細菌を育てる成分がある――科学者たちの追跡

赤ちゃんの腸でビフィズス菌が増える理由を探ると、研究の視線は母乳に向かいました。1926年、ヘルベルト・シェーンフェルトは、母乳に菌の増殖を助ける熱に強い因子があることを研究しました。当時はビタミンの発見が相次いでいた時代で、その因子もビタミンの一種ではないかと考えられました。

この謎を受け継いだ一人が、小児科医ポール・ジェルジ(Paul György)です。栄養学に深い関心を持っていたジェルジは、1933年、ナチス政権下のドイツを離れました。イギリスを経てアメリカへ渡り、のちにフィラデルフィアを研究拠点とします。

1950年代、ジェルジはドイツの化学者リヒャルト・クーン(Richard Kuhn)との共同研究を再開しました。二人は以前、ハイデルベルクでビタミンに関する研究をともにしていました。政治状況によって研究の場を移した小児科医と、ドイツに残った化学者が、今度は大西洋を挟んで母乳の謎を追いました。

「母乳には、牛乳に少ない何かがある」

1954年、ジェルジ、キャサリン・ローズ、クーン、フリードリヒ・ツィリケンらによる一連の論文が発表されました。特殊なビフィズス菌株は、人乳に含まれる成分がないと十分に増殖できず、牛乳ではその増殖を助ける作用が弱いことが示されました。

研究グループは母乳から成分を分離し、糖をつなぎ合わせた「オリゴ糖」の一部が増殖因子として働くことを明らかにしました。その後、フランスのジャン・モントルイユらも複雑な糖の構造を解き明かし、母乳オリゴ糖(HMO)の研究領域が広がっていきます。

オリゴ糖の一部は、赤ちゃん自身が直接消化・吸収する栄養とは異なり、腸内の特定の微生物に利用されます。母乳が乳児に与える影響を考えるうえで、栄養素だけでなく腸内細菌との関係を調べる道が開かれました。ただし、母乳栄養児と人工栄養児の健康状態の違いを、この菌だけで説明することはできず、母乳中の抗体や多様な成分も関わっています。

日本の研究者・光岡知足――自分の便で常識に挑む

日本でも、別の方向から腸内細菌の常識を変えた研究者がいました。光岡知足(みつおか・ともたり)です。東京大学で獣医学を学び、鶏の腸内細菌の研究に取り組んだ光岡は、当時の培養法に大きな不足があると感じていました。

光岡の回想によれば、便1グラム中には膨大な数の細菌が存在することが知られていたものの、従来の方法で培養できる菌はそのごく一部でした。光岡は酸素を嫌う細菌を育てやすくするため、血液や肝臓由来の成分などを用いたBL培地を考案し、従来法より多くの菌を培養できるようにしました。

そして研究材料に選んだのが、自分自身の便でした。BL培地で調べると、成人の腸にもビフィズス菌が多く存在し、しかも乳児で見られるものとは優勢な種類が異なることが分かりました。当時はビフィズス菌を主として乳児の菌とみなす考えが強く、成人の腸内細菌研究を広げる発見になりました。

1958年に理化学研究所へ移った光岡は、鶏を飼育する設備がなかったため、自宅の離れで飼育して研究を続けたことも回想しています。培地を工夫し、身近な試料を調べ、研究環境まで自分で整える。その仕事は、腸内細菌を年齢や健康状態と結びつけて調べる研究の土台となりました。

1969年、森永乳業――「生きたまま届ける」という難題

1969年、森永乳業は乳児由来のビフィズス菌「Bifidobacterium longum BB536」を見いだしました。BB536は、人に由来するビフィズス菌の中では酸や酸素に比較的強い性質を持っていました。乳児の腸内を研究することが、食品に使える菌株を探す仕事につながったのです。

ただし、菌を見つけることと、ヨーグルトとして売ることの間には距離がありました。一般的なヨーグルトの発酵に使う乳酸菌とビフィズス菌は異なり、ビフィズス菌は酸や酸素の影響を受けやすい性質を持ちます。工場で大量につくり、輸送し、賞味期限まで菌数を保つためには、研究室で培養できるだけでは足りません。

発酵時間、乳酸菌の組み合わせ、容器――試作の積み重ね

森永乳業の開発記録には、ビフィズス菌と相性のよい乳酸菌を選び、発酵条件や容器を工夫した経緯が残っています。酸素を通しにくい容器の開発や種菌の製造方法の改良は、製品の中で菌が生き残る確率を高めるためのものでした。

1971年にビフィズス菌入り発酵乳を商品化し、1977年にはビフィズス菌入り乳製品乳酸菌飲料「森永ビヒダス」を発売。そして1978年11月、「森永ビヒダスヨーグルト」が店頭に並びました。

発売時には、ほぼ全社員が小売店などへ商品を知ってもらう活動に取り組んだと、森永乳業の社内資料に記されています。その初日はビヒダスの頭文字から「Bデー」と呼ばれました。研究室でしか扱えなかった菌は、開発担当者だけでなく営業や流通の手も経て、家庭の食卓へ届く商品となったのです。

同じ1978年、ヤクルトも「ミルミル」を発売

1978年にはヤクルト本社もビフィズス菌入り発酵乳「ミルミル」を発売しました。乳業企業がそれぞれの菌株や製造技術を用いて商品化を進め、消費者がビフィズス菌を食品として知る機会が増えていきます。

森永乳業は1980年代にビフィズス菌入りヨーグルトの製造技術を欧州へ輸出し、1984年には関連研究で科学技術庁長官賞を受賞しました。微生物を選び、安定して食品に利用する技術そのものが、国際的に広がっていきました。

2002年、遺伝子解析――100年前の疑問を分子の世界へ

21世紀に入ると、研究者は細菌の姿や培養結果だけでなく、遺伝子の配列から働きを調べるようになりました。2002年、ネスレ研究所などの研究グループがBifidobacterium longumのゲノム配列を発表します。腸内で多様な糖を利用する能力を、遺伝子の構成から読み解く研究が進みました。

2008年には、カリフォルニア大学デービス校のデイヴィッド・セラ、デイヴィッド・ミルズらによる研究が、乳児の腸に適応したB. longum subsp. infantisのゲノムを解析しました。母乳オリゴ糖を細胞内に取り込み、分解するための遺伝子群がまとまって存在することが示されたのです。

母乳に細菌の増殖を助ける成分があることを示した1950年代の化学分析に、2000年代のゲノム研究が新しい説明を加えました。ティシエが観察した「母乳栄養児の腸で特定の菌が増える」という現象を、細菌の遺伝子と母乳の糖の組み合わせから理解できるようになりました。ビフィズス菌の種類や菌株によって、利用できる糖には違いがあります。

明治の約25年――今度は殺菌した菌体を調べる

食品企業の挑戦は、ビフィズス菌を生きたまま届ける方法に加え、別の方向へも進みました。明治は約300株のビフィズス菌の中から、乳児由来の「Bifidobacterium bifidum OLB6378」を選び、長期にわたって研究しました。

OLB6378で注目されたのは、加熱処理によって生菌ではなくなった菌体が、腸の免疫に関わる指標へ与える影響です。研究者たちは、まず実験系で分泌型免疫グロブリンA(IgA)に関わる作用を調べ、さらに乳児を対象とした臨床研究を行いました。IgAは粘膜表面の防御に関係する抗体です。

乳児100人の臨床研究で分かったこと

2021年に公表された正期産児100人を対象とする無作為化比較試験では、OLB6378を含む粉ミルクを使う群49人と、含まない群51人が比較されました。母乳栄養を優先し、粉ミルクを必要とする場合に試験用ミルクを使う設計でした。

生後4週時点の便中IgA濃度は、OLB6378群で平均1.04mg/g、対照群で平均0.85mg/gとなり、統計学的に差が認められました。一方、便からOLB6378は検出されませんでした。研究結果から読み取れるのは、生後4週の便中IgA濃度への作用です。感染症発症率や長期的な健康効果については、別の臨床研究が必要です。

2021年には国際的な科学者団体ISAPPが「ポストバイオティクス」の定義も公表しました。健康上の利益が確認された不活化微生物やその成分を含む製剤を指す概念です。ただ殺菌した菌なら自動的に当てはまるわけではなく、対象となる人への有益性と安全性について根拠が必要です。

2025~2026年、発見は「明治ほほえみ」と「明治ステップ」へ

2025年6月30日、明治はOLB6378を配合した乳児用調製粉乳「明治ほほえみ」などについて製造の承認を取得しました。日本で乳児用調製粉乳へのビフィズス菌配合が承認された初の事例でした。8月21日には幼児用調製粉乳「明治ステップ」なども承認されました。承認の対象は調製粉乳の製造です。健康効果については、個別の臨床研究の結果を区別して評価する必要があります。

同年11月25日、OLB6378配合の「明治ほほえみ」と「明治ほほえみ らくらくキューブ」が全国発売されます。明治は、母乳を手本にした栄養設計に加え、ビフィズス菌とフラクトオリゴ糖をパッケージ上で紹介しました。フラクトオリゴ糖(FOS)と、1950年代から研究されてきた母乳オリゴ糖(HMO)は異なる種類の糖です。

2026年3月9日には、OLB6378と亜鉛を新たに配合した「明治ステップ」と「明治ステップ らくらくキューブ」も発売されました。乳児用ミルクから幼児用のフォローアップミルクへ、研究成果を使った製品の種類が広がったのです。

127年後、売り場に残った研究の足跡

現在の製品表示を見れば、ビヒダスの「BB536」と、ほほえみの「OLB6378」という菌株の記号が目に入ります。微生物学者が細菌を区別するための記号が、家庭で手に取る食品にそのまま刻まれているのです。前者は生きた菌を食品中に保つ技術、後者は殺菌済み菌体の働きを研究した成果に結びついています。

ビヒダスのカップと、ほほえみの缶。形も用途も違う二つの容器の背後には、顕微鏡、母乳の成分分析、便の培養、工場での試作、遺伝子解析、乳児を対象とする試験が重なっています。研究者や技術者が働いた時代も国も、それぞれ違いました。

127年前の小児医学の現場から始まった研究の成果は、現在、ヨーグルトの容器や粉ミルクの缶に記されています。

参考資料・出典