東京で鉄を溶かす最後の工場。足立区「千代田鋼鉄工業」と都内唯一の電気炉

足立区綾瀬6丁目に、東京都内で唯一稼働する電気炉があります。千代田鋼鉄工業の綾瀬工場です。建物解体、廃自動車、廃家電などから出た鉄スクラップを巨大な炉で溶かし、鉄筋コンクリートに使う棒鋼へ戻しています。

工場の生産能力は月4万トン。東京と首都圏で発生した鉄スクラップを集め、足立区で鋼へ再生し、再び東京周辺の建設現場へ送り出します。会社はこの循環を「鉄の地産地消」と位置づけています。

始まりは1948年、葛飾区堀切の小さな亜鉛めっき工場でした。創業者・坂田正雄が戦後復興期に事業を起こし、翌年には綾瀬へ移転します。その後、亜鉛鉄板から電気炉製鋼へ進出し、高度経済成長を支える鉄筋メーカーへ変わりました。現在は三代目社長・坂田基歩のもと、国内初となる鉄筋棒鋼のエンドレス連続鋳造・圧延への転換を進めています。

電気炉は「都市鉱山」を溶かす巨大なリサイクル装置

鉄を作る方法には大きく分けて、高炉と電気炉があります。高炉は鉄鉱石をコークスで還元して鉄を作ります。電気炉は、すでに社会で使われた鉄スクラップを主原料にし、電気のアーク熱で溶かして新しい鋼を作ります。

千代田鋼鉄工業の説明では、電気炉内のアーク熱は約5,000℃に達します。建物を解体して出た鉄筋、廃自動車、廃家電、工場から出る鉄くずなどを投入し、溶けた鋼の成分を調整します。鋳造して「ビレット」と呼ばれる鋼片にし、それを圧延して細長い棒鋼へ成形します。

完成した異形棒鋼には表面に凹凸があります。コンクリートとの付着力を高めるための形で、ビル、マンション、道路、橋梁などの内部に組み込まれます。建物が完成すると見えなくなりますが、コンクリート構造物の骨組みを担う材料です。

綾瀬工場の棒鋼は100%再生鋼を原料としています。都市で大量に発生する使用済み鉄を「都市鉱山」とみなし、再び建設材料へ戻す製造拠点が東京の住宅地の近くで動いています。

1948年、坂田正雄が堀切に「千代田工業所」を開いた

千代田鋼鉄工業の創業者は坂田正雄です。1948年(昭和23年)6月、葛飾区堀切町791番地に亜鉛めっき工場「千代田工業所」を設立し、亜鉛鉄板の製造販売を始めました。

終戦から3年後の東京では、住宅、工場、倉庫、インフラの復旧が続き、建材需要が膨らんでいました。トタン板として知られる亜鉛鉄板は、屋根や外壁などに広く使われます。創業翌年の1949年には株式会社化し、「千代田亜鉛工業株式会社」となりました。

同年10月、亜鉛鉄板の需要拡大を受けて工場を綾瀬へ移します。月産1,500トンの生産を始めました。現在の本社と綾瀬工場も足立区綾瀬6丁目10番6号にあります。創業からわずか1年で、現在につながる場所へ生産拠点を移したことになります。

亜鉛鉄板の会社が、鉄を溶かす会社へ変わった

会社が電気炉製鋼へ進んだのは1950年代です。企業事典「STEEL STORY JAPAN」の沿革では、1956年に電炉を導入し、1957年には昭和特殊製鋼の足立工場を日本鋼管から取得して小棒の生産を始めたとされています。

1960年には5トン電気炉から20トン電気炉へ増強し、鉄鋼塊を月4,500トン製造する体制になりました。1966年には鉄筋コンクリート用棒鋼でJIS表示許可を取得します。1971年には40トン電気炉を増設し、月産1万トンへ拡大しました。

戦後の住宅復興期に亜鉛鉄板を作った会社が、高度経済成長期にはビルや道路を支える鉄筋メーカーへ変わりました。1974年、社名も現在の「千代田鋼鉄工業株式会社」へ変更します。

なぜ東京に電気炉が残ったのか

電気炉工場にとって東京は、原料と消費地が近接する場所です。人口と建物が多い都市では、建物の解体、設備更新、自動車や家電の廃棄によって大量の鉄スクラップが発生します。同時に、新築・建て替え・インフラ工事によって鉄筋の需要も生まれます。

千代田鋼鉄工業は首都圏で発生するスクラップを綾瀬工場へ運び、電気炉で棒鋼へ再生し、東京と首都圏の建設現場へ供給しています。原料の収集、再生、製品の供給を同じ地域で回せるため、長距離輸送を減らせます。

会社はこの立地を「鉄の地産地消」と表現しています。東京都内に製鋼設備を置くことは、地価や周辺環境への対応という難しさを伴います。一方、巨大なスクラップ発生地と鉄筋消費地の中央に炉を置ける利点もあります。

東京の鉄スクラップが、東京の建物の骨になる

綾瀬工場へ届く鉄スクラップには、建物解体で出た鉄筋、自動車部品、家電製品、工場の端材などがあります。種類や成分を確認し、製鋼に適した状態へ選別します。

2022年にはスクラップ搬入を予約制にし、無人台貫システムを導入しました。2023年にはスクラップのAI検収システムも導入しています。原料を目視だけに頼らず判定し、都市から大量に届くスクラップを効率よく受け入れる体制を整えています。

溶かした鋼は成分を調整し、鋳型で連続的に固めてビレットにします。従来はビレットを一度冷却・保管し、圧延時に加熱炉で再び約1,000℃まで熱していました。この「冷やして、また熱する」工程には大きなエネルギーが必要です。

三代目・坂田基歩は「東京に炉がある意味」を経営の中心に置いた

2017年11月、坂田基歩さんが三代目社長に就任しました。前社長の坂田正孝さんは会長となり、創業70周年を前に世代交代が行われます。

坂田社長は就任時から、都内立地の電炉が持つ意味を「地産地消のリサイクル」として打ち出しました。鉄スクラップを遠方へ運び、別の地域で製品にして東京へ戻す流れより、首都圏内で循環させる方が輸送負荷を抑えられます。

2020年代に入ると、その考え方は大規模な設備更新へつながりました。2021年に高効率旋回式電気炉を導入し、2024年には高循環型水処理施設と新しい棒鋼圧延設備を導入します。製鋼工程そのものを、より少ないエネルギーと人員で動かす方向へ変えました。

東京都の工業用水廃止が、工場全面改造の契機になった

綾瀬工場の設備更新には、都市インフラの変化も影響しました。鉄鋼専門紙の工場ルポでは、東京都の工業用水道廃止が工場の生産体制を根本から見直す契機になったと報じられています。

鉄鋼工場では、設備や製品の冷却に大量の水を使います。都市インフラの供給条件が変われば、工場側も水処理や循環設備を更新する必要があります。千代田鋼鉄工業は2024年、高循環型の水処理施設を設置しました。

長く同じ場所で操業する工場には、設備更新を続ける力が必要です。電力、水、物流、環境規制、近隣条件が変わるたびに工場全体を作り替える必要があります。都内唯一の電炉が残った背景には、立地を維持するための継続的な設備投資があります。

2024年、「冷やして再加熱する」工程を減らした

2024年、綾瀬工場はイタリア・ダニエリ社製の棒鋼圧延設備を導入し、ダイレクト圧延へ移行しました。

従来の製造では、連続鋳造したビレットをいったん冷やし、圧延時に加熱炉で再加熱します。ダイレクト圧延では、鋳造後のビレットが持つ熱をできるだけ保ったまま圧延工程へ送り、再加熱に必要なエネルギーを減らします。

移行期には容量2メガワットの誘導加熱装置を3台導入し、ビレットの温度を約1,000℃に維持しながら圧延する仕組みを整えました。大きな加熱炉を使って再び全体を温める方法から、必要な温度を細かく制御する方式へ変わっています。

2026年、国内初の「エンドレス圧延」へ進んだ

千代田鋼鉄工業は次の段階として、ダニエリ社のMIDA(マイクロミル・ダニエリ)を導入しています。連続鋳造機と棒鋼圧延機を直結し、溶けた鋼から棒鋼までを切れ目なく生産する「エンドレス圧延」です。

2026年6月15日には綾瀬工場で安全祈願祭が行われ、連続鋳造機などの設備群がほぼ完成しました。鉄鋼専門紙は、国内で鉄筋棒鋼にエンドレス圧延を導入する初の事例として報じています。試運転を経て、2026年8月以降の本格稼働を目指す計画とされました。

従来は「溶かす→鋳造する→切る→冷やす→運ぶ→再加熱する→圧延する」と分かれていた工程を、「溶かす→鋳造する→そのまま圧延する」流れへ近づけます。鋼が持つ熱を捨てずに次工程へ使うため、エネルギー消費とCO2排出の削減につながります。

経済産業省の成長投資支援事業では、千代田鋼鉄工業の電炉高度化、工場拡張、二次精錬設備や連続鋳造設備の導入などに43億円規模の事業費が示されています。別の省エネ支援事業でも、エンドレス連続鋳造・圧延によって再加熱を減らす設備投資が採択されています。

高炉の鉄と電炉の鉄は、脱炭素でも意味が違う

鉄鋼業は大量のエネルギーを使う産業です。高炉では鉄鉱石から酸素を取り除くためコークスを使い、その化学反応でCO2が発生します。電気炉は鉄スクラップを再利用するため、鉄鉱石をゼロから還元する工程を必要としません。

電気炉にも大量の電力が必要ですが、使用する電力の脱炭素化が進めば、製鋼時のCO2をさらに減らせます。建築物の環境性能を評価する際、材料の製造段階まで含むライフサイクルCO2が重視されるようになり、電炉鋼の価値も変わっています。

千代田鋼鉄工業は2025年10月、綾瀬工場の異形棒鋼でSuMPO EPD(環境製品宣言)を取得しました。製品の原料調達から製造までの環境負荷を定量化して開示する仕組みです。東京産の再生鉄筋という特徴に、CO2排出量を数値で示す機能が加わりました。

住宅地の近くに巨大な製鋼所が残る東京の風景

綾瀬工場の敷地面積は約2万1,600平方メートルです。青井駅や綾瀬駅から徒歩圏にあり、首都高速加平インターチェンジにも近い場所です。

戦後直後には工場立地に適した東京東部の外縁だった地域が、現在は住宅、学校、道路が密集する市街地になりました。小泉牧場や胞衣取扱業と同じく、後から都市が周囲を包み込んだ産業施設です。

製鋼所は巨大な煙突や高炉を持つ臨海工業地帯の風景を連想させます。綾瀬工場には高炉がありません。都市から出る鉄スクラップを電気炉で溶かす「都市型製鋼所」として、消費地の内部に存在しています。

「最後の工場」は、国内初の製造方式へ進む現役工場

千代田鋼鉄工業が都内唯一の電炉メーカーになった現在も、綾瀬工場は設備を更新し続けています。2021年の高効率電気炉、2022年の無人台貫、2023年のAIスクラップ検収、2024年のダイレクト圧延と高循環型水処理、2025年の環境製品宣言、2026年のエンドレス圧延へと投資が続きました。

1948年に坂田正雄が始めた会社は、亜鉛鉄板、電気炉製鋼、鉄筋棒鋼へ事業を変えました。三代目の坂田基歩は、東京に炉を置く意味をスクラップと建設需要の近さから捉え直し、省エネと自動化を進めています。

東京で最後に残った製鋼工場は、国内初の製造方式へ踏み込む現役工場です。東京の古い建物から出た鉄が足立区で溶け、次の建物の骨組みとして戻っていく循環は、巨大都市の内部で現在も続いています。

参考資料