日本の成人向けメディアは、江戸時代の春画・艶本、戦後の娯楽雑誌、写真を中心とした成人向け出版物、家庭用ビデオ、インターネット配信へと形を変えてきました。変化を支えたのは、印刷・撮影・録画技術の発達と、書店や自動販売機、レンタル店など販売経路の広がりです。
俗に「エロ本」と呼ばれる出版物には、成人向け写真集、雑誌、小説、漫画など幅広い種類があります。「アダルトビデオ(AV)」は、主に成人向けの映像作品を指す呼び名です。
江戸時代の春画と艶本―木版印刷で広がった性表現
江戸時代には、男女の性愛を題材にした「春画」が描かれ、絵を組み合わせた版本も制作されました。冊子の形にまとめられたものは「艶本(えんぽん)」と呼ばれます。木版印刷によって同じ図柄や文章を複数の人に届けられるようになり、性を扱う表現も出版文化の一部となりました。
春画には絵画として制作されたものと印刷されたものがあり、艶本には絵と文章を組み合わせた作品もありました。国立国会図書館が所蔵する研究書『絵入春画艶本目録』は、江戸時代に刊行された春画・艶本を約850点収録しています。
春画の流通や読まれ方は、当時の社会や出版事情と深く関わっていました。立命館大学アート・リサーチセンターは、江戸の春画・艶本から近代の取締りまでを扱う展示「春画を見る・艶本を読む」を2014年に開催しています。
喜多川歌麿と葛飾北斎――人気絵師も春画を手がけた
喜多川歌麿は美人画で知られる浮世絵師で、春画でも男女の表情やしぐさを細かく描きました。春画は無名の職人だけが作る商品ではなく、当時の浮世絵界を代表する絵師の仕事にも含まれていました。歌麿の肉筆春画《夏夜のたのしみ》は横幅が1メートルを超える大作で、冊子だけでは捉えきれない春画の形態を伝えています。
葛飾北斎も春画や艶本を手がけた絵師です。風景画『富嶽三十六景』で知られる北斎の制作活動には、挿絵、読本、絵手本など多種類の出版物がありました。2024年の細見美術館「美しい春画」展では北斎の《肉筆浪千鳥》が日本で初めて公開され、歌麿の作品と並んで紹介されました。
艶本の読み方――図版だけでなく詞書も重要
艶本では、絵に添えられた会話や詞書(ことばがき)、物語の筋立てが作品の意味を形づくっています。早川聞多らの『現代語訳春画――詞書と書入れを読む』は、鈴木春信、歌麿、北斎らの作品に記された文章を読み解く研究書です。絵柄だけを現代の写真集と比較すると、当時の言葉遊びや物語性を見落としてしまいます。
明治以降―性表現をめぐる出版規制
明治期の近代化に伴い、春画などの性表現を取り巻く状況は変わりました。出版物に対する取締りが強まり、江戸時代の春画や艶本が公然と流通することは難しくなりました。一方で、小説や雑誌など新しい出版メディアが広がり、性をどこまで描けるかという問題が続きました。
戦後も性表現と法律の関係は争点となります。1950年に刊行されたD・H・ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』の日本語訳は、わいせつ文書に当たるかが裁判で争われました。1957年3月13日、最高裁判所は有罪の判断を維持しました。
翻訳者・伊藤整と出版人・小山久二郎――チャタレー事件の当事者
『チャタレイ夫人の恋人』の翻訳を手がけた伊藤整は、小説家・評論家としても活躍した文学者です。刊行した小山書店の経営者・小山久二郎とともに起訴されました。1952年の第一審では小山が有罪、伊藤が無罪となりましたが、同年の控訴審は両名を有罪とし、1957年の最高裁判決で確定しました。翻訳という創作活動と出版者の販売責任が、別々の立場から問われた裁判でした。
『チャタレイ夫人の恋人』は文学作品としての評価が高い一方、最高裁は芸術性とわいせつ性を異なる観点から判断しました。裁判の経緯を追うと、規制の対象が性風俗専門誌に限らず、一般の文芸出版にも及んでいたことが分かります。
戦後のカストリ雑誌から成人向け雑誌へ
1945年の敗戦後、出版界では紙不足が続く一方、多様な雑誌が発行されました。世相や娯楽、恋愛、性風俗などを扱った大衆雑誌は、総称して「カストリ雑誌」と呼ばれました。国立国会図書館の展示解説も、終戦直後にカストリ雑誌が数多く登場したことを記録しています。
戦後の成人向け雑誌は、読み物主体のものから、写真やグラビアを前面に出すものへと種類を増やしました。成人向け出版物の歴史を調べた安田理央『日本エロ本全史』は、1946年から2018年までの雑誌創刊号100冊を取り上げ、内容や編集方針の変化を紹介しています。性風俗、文学、サブカルチャーなど、掲載する話題も雑誌によって異なりました。
『りべらる』『猟奇』『あまとりあ』――戦後雑誌の多様性
戦後の性風俗雑誌を「カストリ」の一語でくくると、各誌の性格の違いが隠れます。安田理央が創刊号から調べた『日本エロ本全史』には、『りべらる』『猟奇』『あまとりあ』『100万人のよる』などが登場します。風俗読み物や好奇心を刺激する記事、文学性を意識した編集、グラビアなど、読者に提示する内容は一様ではありませんでした。
この時代の雑誌を調べる際は、発行年だけでなく、創刊号の表紙、発行者、判型、誌面構成、掲載広告を見ると編集方針や販売先の違いが分かります。一般書店で流通する雑誌と、自動販売機を中心に売られた後年の成人誌では、読者に届くまでの仕組みが異なります。
1960〜80年代―男性週刊誌、自販機本、ビニ本
高度経済成長期には若い男性を主な読者とする雑誌が発展しました。『平凡パンチ』は1964年、『週刊プレイボーイ』は1966年に創刊されています。こうした男性週刊誌は、グラビアとともに時事、芸能、ファッションなども扱い、成人向け専門誌とは異なる幅広い読者層を持ちました。
1970年代には、街頭の自動販売機を通じて売られる成人向け雑誌も広まりました。書店を通さず購入できる販売方法は、成人向け出版物の流通に独自の経路をつくりました。1984年の参議院地方行政委員会でも、成人向けの自動販売機や「ビニ本」を扱う店舗の規制が議論されています。
「ビニ本」は、主に1970年代末から1980年代初めに流行した、ビニール包装で中身を見られないようにした成人向け写真集などを指します。自動販売機で売られた「自販機本」とは販売方法も呼称も異なります。当時のニュース映像を調べたTBSのアーカイブ記事は、ビニ本ブームと取締りの記録を紹介しています。
成人映画からアダルトビデオへ―1980年代の転換
家庭用ビデオの普及以前、成人向け映像の代表的な鑑賞場所は映画館でした。日本では1960年代からピンク映画が作られ、日活は1971年に成人映画のレーベル「日活ロマンポルノ」を開始しました。ロマンポルノは劇場公開用の映画であり、家庭のビデオデッキで見ることを前提に制作されたAVとは流通の仕組みが異なります。
1975年にソニーが家庭用のベータマックス方式VTRを発売し、1976年には日本ビクターがVHS方式を発表しました。家庭で録画映像を再生できる機器の普及は、映像ソフトの市場を広げました。日本のアダルトビデオは1981年ごろに商業作品として登場し、1980年代に独自の制作・販売分野として成長していきます。
ビデオ作品は映画館の上映時間に縛られず、購入やレンタルによって自宅で見ることができました。撮影・編集・販売の方法も劇場映画と異なり、新しい制作会社や出演者が登場しました。AV史の研究書『日本AV全史』は、1981年を起点に、VHS、DVD、配信という媒体の変化を追っています。
VHS・レンタル店からDVD、インターネット配信へ
1980年代にはビデオデッキとレンタルビデオ店が広まりました。店で作品を選び、テープを借りて自宅で鑑賞する方法が成人向け映像の流通を支えました。日本の家庭用VTRは1990年代に世帯普及率が70%を超え、家庭で映像作品を見る環境が一般化しました。
その後、DVDが普及すると、テープの巻き戻しが不要になり、販売や保管の形も変化しました。さらにインターネットの高速化によって、作品を店舗で購入・レンタルする形に加え、オンラインで視聴する配信型の利用が広がりました。『日本AV全史』も、VHSからDVD、配信への変化を日本のAV産業史の主要な流れとして扱っています。
一方、紙の成人向け雑誌は販売の場を変えていきます。2019年にはセブン‐イレブン、ローソン、ファミリーマートが、成人向け雑誌の取扱いを同年8月末までに原則終了する方針を発表しました。街の身近な店舗で成人誌を買える環境が大きく変わった出来事です。
法律と出演者の権利―2022年のAV出演被害防止・救済法
成人向け出版物や映像の流通には、表現の自由、刑法上のわいせつ物の規制、青少年への販売・閲覧対策などが関わってきました。映像業界では、事業者側の審査団体や販売時の基準も設けられてきました。
近年は、AV出演をめぐる契約や同意、撮影された映像が公開された後の被害が大きな問題となりました。2022年6月15日に「AV出演被害防止・救済法」が成立し、同月23日に施行されました。作品ごとの契約や公表までの期間、一定の条件に基づく契約解除、公表差止めなど、出演者の被害を防ぎ救済する仕組みを定めています。
