沖縄のガマとは?沖縄戦で使われた自然洞窟・地下壕をわかりやすく解説

沖縄戦中に洞窟から出る民間人を写した米軍写真

ガマは本来、沖縄にある自然洞窟を指す言葉です。

1945年の沖縄戦では、この自然洞窟が住民の避難場所になり、日本軍の陣地や倉庫、病院として使われた場所もありました。住民と兵士、負傷兵、学徒らが同じ洞窟内にいた例もあります。

一方、沖縄には旧海軍司令部壕や第32軍司令部壕のように、軍が人工的に掘った巨大地下施設もあります。

そのため「沖縄の地下壕」を理解するには、

  • もともと自然にできたガマなのか
  • 人が掘った人工壕なのか
  • 誰が何のために使ったのか
  • そこで何が起きたのか

を分けて見ることが重要です。

「ガマ」とは何か

沖縄県公文書館は、「ガマ」を「自然洞窟。人間が入れるだけの大きさをもった地下の空間」と説明しています。「アブ」と呼ばれることもあります。

「ガマ」は自然洞窟に限られ、人工的に掘った防空壕などは含まれません。

沖縄県公文書館では、人が掘った防空壕や待避所だけでなく、自然洞窟なども含めた総称として「壕」を説明しています。

用語の違いは次のとおりです。

言葉基本的な意味
ガマ人が入れる規模の自然洞窟
人工壕人が掘った防空壕・軍事壕など
人工壕や自然洞窟を含めて広く使われる言葉

沖縄県平和祈念資料館も、住民の避難場所となった「ガマ(自然洞窟)」の内部を証言に基づいて再現展示しています。

なぜ沖縄にはガマが多いのか

沖縄本島中南部には石灰岩地帯が広がり、自然洞窟が各地に形成されています。

地域の人々は戦前からガマの存在を知っており、沖縄戦では避難場所として利用しました。

住民だけが避難した場所、日本軍が陣地として使用した場所、軍病院になった場所、住民と軍が同時に入った場所があります。

沖縄県の戦争遺跡調査では、沖縄本島から八重山諸島までに沖縄戦関係の戦争遺跡が1,077か所確認されています。このうち沖縄本島と周辺離島では865か所です。

県は、沖縄本島・周辺離島の特徴として、大規模な地上戦が展開されたため多様な戦争遺跡が残ることを挙げています。壕だけを見ても、軍が構築した人工壕、住民が避難のために構築した壕など、形態も使い方も多種多様です。

ガマは沖縄戦でどう使われたのか

住民の避難場所

米軍の空襲や艦砲射撃が激しくなると、住民はガマや人工壕、墓などへ避難しました。

戦闘の進行によって軍と住民が同じ空間に入ることがあり、砲撃、食料や水の不足、負傷者の増加など、地下の状況も変化しました。

日本軍の陣地や倉庫

自然洞窟は、軍事的にも利用されました。

糸数アブチラガマは、もともと糸数集落の避難指定壕でしたが、日本軍の陣地壕や倉庫としても使われました。

軍病院

戦況が悪化すると、ガマや地下壕が医療施設として使われた例があります。

糸数アブチラガマは南風原陸軍病院の分室となり、軍医、看護婦、ひめゆり学徒隊が配置されました。

南風原には、もともと陸軍病院のために構築された人工の病院壕群もあります。

軍の司令部

軍の指揮中枢として造られた大規模な人工壕もあります。

首里の第32軍司令部壕や、豊見城市の旧海軍司令部壕です。

これらは自然洞窟のガマではなく、軍事目的で構築された地下施設です。

沖縄戦で使用された旧海軍司令部壕の坑道内部
沖縄の旧海軍司令部壕。Dudva / Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)

糸数アブチラガマ|避難壕から軍陣地、病院へ

南城市玉城糸数にある糸数アブチラガマは、公式サイトによると全長270mです。

もともとは糸数集落の避難指定壕でしたが、日本軍の陣地壕・倉庫として使われ、戦場が南へ移るにつれて南風原陸軍病院の分室となりました。

軍医、看護婦、ひめゆり学徒隊が配置され、600人以上の負傷兵が収容されたとされています。

1945年5月25日の病院撤退後は、糸数の住民、生き残った負傷兵、日本兵が同じガマ内にいる状態になりました。

現在は予約が必要で、ガイドなしでの入壕はできません。懐中電灯や軍手なども必要です。見学条件は変更される場合があるため、訪問前には必ず公式サイトの最新情報を確認します。

チビチリガマとシムクガマ|近接する二つのガマで異なった結果

読谷村のチビチリガマとシムクガマは、近い地域にありながら、沖縄戦で大きく異なる結果となった場所として知られています。

1945年4月1日に米軍が沖縄本島西海岸へ上陸すると、読谷村波平の住民はガマや墓などに避難しました。

チビチリガマ

読谷村観光協会によると、約140人がチビチリガマに避難しました。

翌4月2日、ガマの中で住民の「集団死」が起き、83人が亡くなったとされています。

現在、チビチリガマへの入壕は遺族会の意思により禁止されています。

沖縄県読谷村にあるチビチリガマの入口
読谷村のチビチリガマ。Vitalie Ciubotaru / Wikimedia Commons(CC BY-SA 3.0)

シムクガマ

一方、シムクガマには約1,000人の住民が避難していました。

読谷村観光協会は、ハワイからの帰国者だった比嘉平治と比嘉平三の二人が住民を説得して投降へ導き、1,000人前後の避難民の命が助かったと説明しています。

読谷村観光協会は安全管理のため、2026年8月1日からガイドによるシムクガマへの入壕を中止しています。現在は洞窟入口の「救命洞窟之碑」で歴史や当時の状況を解説する方式です。

南風原陸軍病院壕群|病院そのものを地下へ

南風原町の黄金森には、沖縄陸軍病院の地下壕群が残っています。

南風原陸軍病院壕群は、病院機能を収容するために造られた人工壕群です。

現在は20号壕が町によって管理・公開されています。

見学には事前予約が必要で、常駐ガイドが案内します。見学者はヘルメットを着用し、懐中電灯を使用します。

沖縄陸軍病院南風原壕群20号の入口
沖縄陸軍病院南風原壕群20号。A-gota / Wikimedia Commons(CC BY 2.5)

旧海軍司令部壕|自然洞窟ではない巨大な人工壕

豊見城市の旧海軍司令部壕は、日本海軍が1944年に構築した人工の司令部壕です。

公式施設によると、当時の壕は約450mあり、現在はそのうち約300mが公開されています。

地下には司令官室、幕僚室、作戦室、暗号室、発電機室、医療室などが配置されました。

現在は資料館とともに一般公開され、4K・3Dパノラマによるバーチャル見学も用意されています。

第32軍司令部壕|首里城地下に残る沖縄戦の軍事中枢

首里には、沖縄守備軍の中枢だった第32軍司令部壕が残っています。

沖縄県によると、総延長は千数百メートルです。

この壕は長年、安全性の問題から一般公開が実現してきませんでした。壕内では岩塊の崩落、酸素欠乏、雨期の出水などが確認されています。

沖縄県は2025年3月に保存・公開基本計画を策定し、保存状態や安全対策を確認しながら段階的な整備・公開を検討しています。

2026年8月には沖縄県立埋蔵文化財センターが第1坑口付近で発掘調査を実施し、8月30日には検出された遺構の現地説明会が行われました。

2026年現在、壕内全体は一般公開されていません。沖縄県は保存・公開に向けた整備を進めています。

前川民間防空壕群|住民自身が掘った壕

南城市玉城前川には、軍の司令部や軍需施設とは異なる地下壕群があります。

前川民間防空壕群です。

南城市によると、戦時中に住民によって60基が構築され、2018年5月に市指定史跡となりました。

2026年に行われた南城市の歴史講座の記事では、1944年10月10日の空襲後に住民たちが協力して掘ったこと、県の調査で埋没したものを含め59か所の壕口が確認されていることが紹介されています。

腰をかがめなければ入れない低い壕や、墓を拡張して造られたものもあります。

津嘉山の第32軍司令部壕群|首里だけではなかった軍の地下施設

南風原町津嘉山にも第32軍関係の大規模な地下壕群があります。

南風原町によると、高津嘉山とチカシ毛と呼ばれる丘に第32軍司令部津嘉山壕群があり、兵器、食糧、軍事物資、軍資金などを管理する後方支援部隊が主に置かれました。

証言などから推測される壕の長さは約2kmとされています。

首里の司令部壕に加え、周辺地域にも後方支援や病院などの地下施設が分散していました。

ヌヌマチガマ|白梅学徒隊と野戦病院

八重瀬町のヌヌマチガマは、白梅学徒隊の歴史と深く関係する戦争遺跡です。

県立第二高等女学校の学徒たちは、第24師団第一野戦病院などで看護活動に従事しました。負傷者が増えると、新城分院としてヌヌマチガマなどが使用されました。

現在、ヌヌマチガマは八重瀬町戦争遺跡公園内にあり、入壕には事前予約と登録ガイドの同行が必要です。

轟壕|「沖縄県庁最後の地」

糸満市の轟壕は、全長約100mの自然壕で、内部を川が流れています。

糸満市によると、名城の住民や他地域からの避難民が隠れ、6月には県庁職員も避難したことから「沖縄県庁最後の地」とも呼ばれています。

戦闘末期には日本兵も壕内へ入り、住民や県庁職員が湿地帯へ追いやられました。糸満市は、6月24日ごろに約600人の住民が米軍に保護されたと説明しています。

糸満市は危険箇所があるとして、一人や子どもだけで行かないこと、ハブなどにも注意するよう案内しています。

代表的なガマ・地下壕を一覧で比較

名称市町村自然/人工主な役割2026年時点の見学の考え方
糸数アブチラガマ南城市自然洞窟住民避難・軍陣地・倉庫・病院予約・ガイド必須
チビチリガマ読谷村自然洞窟住民避難入壕禁止
シムクガマ読谷村自然洞窟住民避難2026年8月から内部入壕中止。入口でガイド
轟壕糸満市自然洞窟住民避難・県庁関係者・軍危険箇所に注意
ヌヌマチガマ八重瀬町自然洞窟を中心とする戦跡野戦病院分院予約・登録ガイド必須
南風原陸軍病院壕群20号南風原町人工壕陸軍病院事前予約・ガイド付き公開
前川民間防空壕群南城市人工壕住民避難市指定史跡。公開条件を現地で確認
津嘉山壕群南風原町人工壕第32軍後方支援町の資料で理解する
第32軍司令部壕那覇市首里人工壕日本陸軍司令部壕内全体の一般公開は未実施。保存・公開整備が進行中
旧海軍司令部壕豊見城市人工壕日本海軍司令部約300mを一般公開

※見学条件は安全点検、天候、管理方針などで変わります。訪問前に管理者・自治体の最新情報を確認してください。

詳しく読む:沖縄の代表的な地下壕・ガマ

沖縄戦の地下空間は、自然洞窟のガマと軍が構築した人工壕で成り立ち、避難、病院、陸軍・海軍の指揮など役割も異なります。代表的な5施設は個別記事で詳しく紹介しています。

  • 第32軍司令部壕 ― 人工壕/陸軍司令部。壕内全体の一般公開に向けて保存・整備が進められています。
  • 旧海軍司令部壕 ― 人工壕/海軍司令部。現在は保存・公開施設として見学できます。
  • 南風原陸軍病院壕20号 ― 人工壕/陸軍病院。事前予約とガイド付きで公開されています。
  • 糸数アブチラガマ ― 自然洞窟/住民避難・軍陣地・病院。予約・ガイド付きで見学します。
  • チビチリガマ/シムクガマ ― 自然洞窟/住民避難。現在の入壕条件は個別記事と管理者の最新案内で確認してください。

全国の地下司令部、地下軍需工場、海軍航空基地、防空壕などとの違いは、日本の地下壕・地下軍事施設丸わかりガイドで用途別に比較できます。

ガマは「入れる場所リスト」として考えない

ガマには、現在も遺骨や遺品が残る可能性がある場所、慰霊の対象になっている場所、私有地、安全性が確認されていない洞窟があります。

見学前に確認する項目は次のとおりです。

  • 管理者がいるか
  • 公開対象になっているか
  • ガイドが必要か
  • 慰霊地としてどのように扱われているか
  • 最新の安全情報はどうなっているか

沖縄のガマを詳しく調べるなら、どのサイトを見る?

沖縄のガマや戦争遺跡は、公的調査資料から体系的に調べられます。

沖縄県「沖縄県の戦争遺跡」

県内1,077か所という戦争遺跡数や、本島・周辺離島、宮古、八重山など地域ごとの特徴が整理されています。

『沖縄県戦争遺跡詳細分布調査』

沖縄県立埋蔵文化財センターが2001~2006年に刊行した調査報告書です。

  • 第1巻 南部編
  • 第2巻 中部編
  • 第3巻 北部編
  • 第4巻 本島周辺離島及び那覇市編
  • 第5巻 宮古諸島編
  • 第6巻 八重山諸島編

に分かれています。

全国文化財総覧で電子版を確認できます。

軍事施設、砲台、陣地、特攻関係施設などを地域ごとに調べる基礎資料です。

『沖縄県の戦争遺跡―平成22~26年度戦争遺跡詳細確認調査報告書―』

2015年に沖縄県立埋蔵文化財センターが刊行した調査報告書です。

それ以前の分布調査を踏まえ、重要な戦争遺跡について測量、写真、保存状況などを詳しく確認しています。

同センターの紹介資料では、2015年の精査で県内1,077か所の戦争遺跡が確認され、そのうち重要な145遺跡を報告書で扱ったと説明しています。

沖縄県平和祈念資料館

常設展示では住民の証言をもとにガマ内部を再現しています。また、南風原陸軍病院、糸数壕、旧海軍司令部壕などを組み合わせた平和学習モデルコースも公開されています。

沖縄県公文書館「沖縄戦を聴く 証言記録」

「ガマ」「壕」などの用語解説に加え、1967~1971年に収録された沖縄戦体験者の証言を検索できます。

証言から、ガマや壕の中で人々がどのように暮らし、何を経験したのかをたどれます。