富士フイルムの歴史|写真フィルム会社はなぜ医療・化粧品・半導体材料へ進めたのか

FUJICOLOR C200のフィルムカートリッジと外箱

35ミリカラーフィルムの表面には、光に反応する粒子、色別の感色層、発色を担う化合物、中間層、保護層などが重なり、工場では長い支持体へ液をむらなく塗り、乾かし、異物を排除し、裁断・包装まで一貫して管理します。

フィルムは写真の商品であると同時に、薄い膜へ複数の機能を作り込み、均一に大量生産する技術体系でした。市場急減後も残ったのは、この技術体系と、画像を扱う顧客・販売・サービスの基盤です。医薬品やバイオCDMOでは、買収で人材・設備・顧客・規制対応を取得しました。

関連する8社の違いは日本の産業技術史の企業比較で比較しています。

30秒で分かる結論

写真フィルム需要が2000年をピークに急減する前から、X線、印刷、磁気記録、複写機、デジタル画像へ事業を広げていました。危機が明確になると、生産・人員・製品群を縮小し、技術を棚卸ししました。不足する能力は開発・提携・買収で補い、持株会社体制と資本配分を組み替えました。

  • A:比較的直接的な応用=X線感光材料、半導体用感光材料、機能性フィルムなど
  • B:既存技術+新能力=FCR、化粧品、デジタルカメラ、instax、医療ITなど
  • C:買収で中核能力を取得=医薬品、バイオCDMO、培地・試薬など

Bでは処方、安全性、ブランド、販売、電子、ソフトウェア、サービスが必要になり、Cでは買収後の統合と追加投資が成否を分けました。縮小・再配置・開発・買収・統合を20年以上続けました。

現在の富士フイルムは何の会社なのか

2026年時点の富士フイルムグループは、ヘルスケア、エレクトロニクス、ビジネスイノベーション、イメージングの4領域で事業を展開しています。親会社は富士フイルムホールディングスふじフイルムホールディングス株式会社で、代表取締役社長・CEOは後藤禎一ごとうていいち氏です。2026年3月期(2025年度)の連結売上高は3兆3570億円、営業利益は3502億円でした。

「1934年創業」と「2006年設立」は矛盾しない

旧・富士写真フイルム株式会社は1934年1月20日に設立され、2006年10月1日に富士フイルムホールディングス株式会社へ商号変更しました。写真・医療・材料などの事業は、翌10月2日設立の新しい富士フイルム株式会社が継承しました。グループの創立年は1934年ですが、現在の事業会社の設立日は2006年です。

法人・名称位置づけ重要な年注意点
旧・富士写真フイルム旧事業会社1934年設立、2006年商号変更現在は持株会社へ続く法人
富士フイルムホールディングス上場持株会社2006年発足戦略・資本配分を担う
富士フイルム株式会社主要事業会社2006年設立旧社の事業を継承した別法人
旧・富士ゼロックス複写機・文書事業1962年合弁設立フィルムの直接転用ではない
富士フイルムビジネスイノベーションオフィス・印刷・IT2021年へ社名変更旧富士ゼロックスの事業を継続
領域主な事業フィルム時代との関係
ヘルスケア医療機器、医薬、バイオCDMO画像技術+買収能力
エレクトロニクス半導体材料、ディスプレイ材料感光・薄膜・高純度化学
ビジネスイノベーション複合機、印刷、ITサービス富士ゼロックス由来
イメージングinstax、カメラ、写真、プリント祖業を高付加価値化

1934年、写真フィルムを国産化するために生まれた

1934年1月20日、写真フィルム国産工業化計画に基づき、大日本セルロイドだいにっぽんセルロイドの写真フィルム部門を分離して富士写真フイルムが設立されました。前年に完成した足柄あしがら工場は1934年2月に操業を始め、フィルムベース、感光乳剤かんこうにゅうざい、塗布、乾燥、裁断、包装までの一貫生産を目指しました。

写真フィルムは何層もの化学工場を一本の帯にした製品

銀塩写真ぎんえんしゃしんでは、臭化銀しゅうかぎんなどのハロゲン化銀粒子が光を受け、目に見えない潜像せんぞうを作ります。現像で像を増幅し、定着で不要な感光粒子を除きます。カラーフィルムでは青・緑・赤に応じる層、発色剤、中間層などを重ねます。「20層近く」は全製品の固定層数ではなく、多層を同時に均一塗布できる能力を示す表現です。

FUJICOLOR C200のフィルムカートリッジと外箱
FUJICOLOR C200の35mmカラーフィルム。撮影:Willwongprd/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。

上の写真は後年のFUJICOLOR C200です。創業時の製品や国産第1号とは年代が異なります。写真の感光、潜像、現像、ネガ・ポジの前史は写真を発明したのは誰?ダゲール・ニエプス・タルボットと日本写真史の始まりで解説しています。

層・材料役割製造上の難しさ
支持体薄い膜を支える平滑性、強度、寸法安定
感光層光を潜像として記録粒子径、感度、粒状性
感色・発色層色別に反応し色像を作る層間反応、色再現、保存性
中間・保護層反応制御と表面保護薄膜の均一性、傷・異物防止
全体工程塗布、乾燥、裁断、包装高速生産と品質の再現

カラー化が残した基盤技術

モノクロからカラーへ進むと、感色性、発色、層間反応、保存性の管理が難しくなりました。そこで粒子形成、機能性分子、機能性ポリマー、酸化還元さんかかんげん、ナノ分散ぶんさん精密塗布せいみつとふ製膜せいまく、画像処理、品質管理が体系化されました。日本の化学産業・精密工業との関係は日本の産業技術史で扱っています。

出来事意味
1933–34足柄工場完成、会社設立・操業写真感光材料の国産工業化
1936X線フィルム発売医療画像への入口
1948富士カラーフィルム発売カラー化
1962富士ゼロックス設立文書事業を獲得
1981/83FCR開発/製品化X線画像をデジタル化
1983半導体用フォトレジストへ参入感光材料を電子産業へ
1986写ルンです発売製品と現像網を統合
1988FUJIX DS-1P開発メモリー記録型デジタル例
1998instax mini 10発売即時プリント体験
2004–06VISION75、構造改革、持株会社化縮小と成長投資
2006–07化粧品参入、ASTALIFT発売新能力と結合
2008–18医薬・CDMO・試薬・培地企業を取得買収で能力を補完
2011バイオCDMO参入、X100発売成長事業と高付加価値カメラ
2021富士ゼロックスが現社名へ事業再編
2026写ルンです40周年・新製品写真事業を継続

写真以外の画像・記録事業はデジタル化以前から育っていた

映画用、X線用、印刷用、磁気記録用へ広がり、写真以外の技術と顧客が育ちました。映画用フィルムと写真用フィルムの違いは国立映画アーカイブでたどる日本映画史で扱っています。

1962年、富士ゼロックスが別の収益構造を持ち込んだ

富士写真フイルムは英国ランク・ゼロックスと50対50の合弁で富士ゼロックスを設立しました。機器、保守、消耗品、顧客業務、文書管理へ関係を広げる事業モデルが、写真とは別の顧客基盤と継続収益をもたらしました。

東京のコンビニに設置された富士ゼロックス複合機
東京のコンビニに設置された富士ゼロックス複合機。撮影:leighklotz/Wikimedia Commons/CC BY 2.0。

写真は後年の複合機です。1962年の製品や富士ゼロックス914、現行製品とは異なります。2019年に富士ゼロックスは富士フイルムの完全子会社となり、2021年に富士フイルムビジネスイノベーションへ社名変更しました。

X線フィルムからFCRへ

1981年に開発されたFCRは、輝尽性蛍光体きじんせいけいこうたいを使うイメージングプレートへX線情報を記録し、レーザーで読み出してデジタル画像へ変える仕組みです。1983年に製品化されました。材料、読取機、画像処理、表示・出力、病院の運用を統合し、写真材料技術に電子・ソフトウェア・医療サービスを組み合わせました。

デジタル化された胸部X線画像の一般例
デジタル化された胸部X線画像の一般例。撮影・作成:Nevit Dilmen/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。富士フイルム製品による画像とは確認されていません。
方式記録画像の扱い事業上の特徴
X線フィルム感光材料へ記録現像したフィルムを保管フィルム・薬品・現像機
FCRプレートへ記録し読取デジタル処理・配信材料+読取機+システム
現在のデジタルX線検出器で直接データ化PACS等で共有・保管機器、ソフト、保守

1986年の写ルンですは「仕組み」を発明し直した

富士フイルム公式は「世界初のレンズ付フィルム」と説明します。フィルムに簡単なレンズとシャッターを付け、購入、撮影、現像、回収、部品再利用までを一つのサービスにしました。

富士フイルムのレンズ付きフィルムQuickSnap
富士フイルムのレンズ付きフィルムQuickSnap。撮影:TaurusEmerald/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。

上の写真は後年のQuickSnapです。1986年の初代とは形状が異なります。「写ルンです」は日本名、QuickSnapは主に海外での名称です。2026年7月に40周年を迎え、防水モデルと黒白フィルムモデルの新製品が発表されました。

デジタル化を予測しても、利益は置き換わらなかった

1988年のFUJIX DS-1Pは、半導体メモリーカードへ記録するフルデジタルカメラの先駆的な開発例です。ただし一般発売された量産機とは性格が異なります。デジタルカメラを作る技術があっても、フィルム・現像・プリントの反復収益を補えず、収益構造の再構築が必要になりました。

方式主な収益源利用者の価値企業側の課題
フィルム写真フィルム、現像、プリント物として残る消耗品収益が急減
デジタルカメラ機器、レンズ、周辺機器高画質と設定自由度買替周期と価格競争
スマートフォン写真端末、クラウド、広告、サービス常時携帯、共有、計算写真専用機企業は基盤を持ちにくい

デジタル化で消えたのはフィルムだけでなく利益の循環だった

2000年代、写真フィルム需要は急減しました。デジタルカメラは撮影ごとにフィルムを買う必要がなく、スマートフォンは撮影、編集、保存、共有を一つの端末へ統合しました。失われたのは販売量だけでなく、撮影のたびに材料・現像・プリントが回る利益の循環でした。

痛みのない変革ではなかった

富士フイルムは2005~2006年度を中心に、写真感光材料の生産再編、人員のスリム化、経費削減、研究開発の選択、ラボ拠点の統廃合を進めました。残す技術を選ぶ一方、設備、製品、職務、拠点の一部を縮小しました。

技術棚卸しと持株会社化

中期経営計画VISION75では、写真感光材料で蓄積した技術を洗い出し、別市場で価値を持つものを明確にしました。2006年の持株会社化は、富士フイルムと富士ゼロックスを束ね、グループ全体で資本を配分する体制を整えました。足柄工場など生産拠点の産業史は近代化産業遺産とは?で扱っています。

化粧品・半導体材料・医薬品は同じ道筋ではない

化粧品は既存技術だけでは売れないB型

富士フイルムは2006年に化粧品へ参入し、2007年にASTALIFTを発売しました。紫外線、酸化、色材、ナノ分散、ゼラチンやコラーゲンに関する知識は素材の安定化に役立ちました。処方、安全性、品質保証、法規表示、容器、ブランド、広告、通信販売、店頭販売、顧客対応は新しい能力です。

半導体材料は感光・薄膜・純度管理を広げたA+B型

1983年、米国企業との合弁で半導体用フォトレジストの輸入販売を始め、翌年に生産へ進みました。フォトレジストは光に反応して性質が変わる感光性樹脂かんこうせいじゅしです。写真フィルムとは別製品ですが、感光性分子、高分子、薄膜、塗布、現像、高純度化学、異物管理には連続性があります。

半導体材料が使われる12インチのシリコンウェハー表面
12インチのシリコンウェハー表面。撮影:2×910/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。富士フイルム製品ではありません。

画像は一般的なシリコンウェハーです。富士フイルム製品や同社材料で加工されたウェハーの写真とは異なります。同社は半導体デバイスやシリコンウェハーそのものではなく、フォトレジスト、現像液、洗浄剤、CMPスラリーなど製造工程用の材料を供給しています。

医薬品・バイオCDMOは買収で中核能力を取ったC型

富山化学を医薬品事業の基盤にし、2011年にDiosynthとMSD Biologicsの取得を通じてバイオCDMOへ参入しました。その後も和光純薬工業、Irvine Scientificなどを加えました。買収によって、受託開発製造じゅたくかいはつせいぞうを担う研究者、培養・精製技術、工場、品質システム、規制対応、顧客契約、実績を取得しました。

技術資産医療化粧品半導体材料
粒子・分散画像材料、試薬成分の微細化・安定化スラリー、微粒子管理
機能性分子・高分子感光・診断材料処方素材フォトレジスト
精密塗布・製膜イメージングプレート等直接性は限定的薄膜・機能性材料
画像処理FCR、PACS、診断支援評価技術検査・工程評価
品質管理医療機器・製造品質化粧品品質高純度・異物管理
分類代表事業自社にあったもの新たに必要だったもの
A 直接応用X線感光材料、感光性材料、機能性フィルム粒子、分子、塗布、製膜市場別設計と営業
B 組み合わせFCR、化粧品、カメラ、instax画像、化学、色再現電子、ソフト、ブランド、販売
C 買収医薬品、バイオCDMO、培地・試薬資本、生産管理、化学の一部人材、設備、顧客、規制対応

instaxとX100は写真を捨てずに価値を作り替えた

instaxは、撮った直後に小さなプリントが現れ、手渡し、書き込み、飾れる「物としての写真」を再設計しました。その場の交流と一回性を価値にしました。

富士フイルムinstax mini 7Sインスタントカメラ
富士フイルムinstax mini 7S。撮影:Silence the Kriz/Wikimedia Commons/CC BY-SA 2.0。

写真はinstax mini 7Sです。1998年の初代instax mini 10とは機種が異なります。instaxはグローバルブランドで、「チェキ」は日本で広く使われるブランド名・愛称です。

X100はフィルム会社の記憶をデジタルへ移した

2011年発売のX100は、大型撮像素子、固定焦点レンズ、光学式と電子式を組み合わせたファインダー、直接操作するダイヤルを特徴としました。色再現をデジタルへ翻訳するフィルムシミュレーションも含め、XシリーズとGFXは高画質、レンズ、操作感、所有体験へ価値を移しました。

2011年発売のデジタルカメラFUJIFILM X100
2011年発売のデジタルカメラFUJIFILM X100。撮影:bfishadow/Wikimedia Commons/CC BY 2.0。

写真は初代X100です。DS-1PやX100VIとは機種が異なります。企業史の比較としてニコンの歴史オリンパスの歴史パイオニアの歴史も参照できます。

コダックはデジタルを無視したのか

Eastman Kodakも1975年にデジタルカメラの試作機を作り、1986年にはメガピクセルCCDを開発し、デジタルカメラ、センサー、プリンター、オンライン写真サービスにも投資しました。両社の差は技術予測の有無より、フィルム依存度、周辺事業、生産縮小、利益構造、デジタル写真のエコシステム、買収、組織再編、資本配分にあります。Kodakは2012年にChapter 11を申請しましたが消滅せず、2013年に再建手続きを終え、現在も商業印刷、映画用フィルム、材料などを展開しています。

比較軸富士フイルムEastman Kodak要点
デジタル認識FCR、DS-1P、デジカメ1975年試作機、CCD、デジカメ両社とも早期に認識
周辺事業複写機、医療、印刷、材料医療画像、複写、印刷等規模・利益・再編が重要
縮小と再配置生産・人員・ラボを縮小し投資再編したが財務負担が重い速度と資本余力
買収・統合医薬、CDMO、試薬、材料デジタル印刷等へ投資取得後の育成が必要
2012年以後4領域の持株会社Chapter 11後も事業継続Kodakは消滅していない

よくある質問とまとめ

FAQ

富士フイルムはいつ創業しましたか。
グループの創立日は1934年1月20日です。現在の富士フイルム株式会社は2006年10月2日設立です。

富士フイルムとホールディングスは同じ会社ですか。
別法人です。ホールディングスが親会社、富士フイルム株式会社が主要事業会社です。

現在も写真フィルムを作っていますか。
はい。製品構成は縮小しましたが、写真フィルム、写ルンです、instax、プリント、デジタルカメラを継続しています。

写真フィルムの構造は。
支持体上に感光層、感色・発色層、中間層、保護層などを重ねた多層化学製品で、種類ごとに構造は異なります。

なぜ化粧品を作れたのですか。ASTALIFTはフィルム技術から生まれたのですか。
酸化還元、紫外線、色材、ナノ分散などの知識を生かしましたが、化粧品の処方、安全性、ブランド、販売を新たに構築したB型です。

医薬品を自社技術だけで作ったのですか。
いいえ。医薬品・バイオCDMOでは買収によって人材、設備、顧客、規制対応を取得しました。

FCRとは何ですか。
イメージングプレートに記録したX線情報を読み取り、デジタル画像へ変換する仕組みです。1981年開発、1983年製品化です。

写ルンですは世界初ですか。QuickSnapとの違いは。
富士フイルムは世界初のレンズ付フィルムと説明しています。日本名が写ルンです、海外名が主にQuickSnapです。

instaxとチェキの違いは。
instaxはグローバルブランドで、チェキは日本で定着した名称です。

DS-1Pは世界初のデジタルカメラですか。
半導体メモリーカードへ記録する先駆的なフルデジタル開発例です。一般発売された量産機とは位置づけが異なります。

富士ゼロックスは現在どうなりましたか。
2019年に完全子会社化され、2021年に富士フイルムビジネスイノベーションへ社名変更しました。

富士フイルムは半導体を作りますか。
半導体デバイスそのものではなく、主に製造工程用の材料を供給します。

コダックはデジタルを無視しましたか。なぜ富士フイルムは生き残ったのですか。
Kodakも早期に開発しました。差は旧事業の縮小、周辺事業、買収、統合、資本配分を含む長期の再構成にあります。

現在の社長は誰ですか。
2026年7月時点で、富士フイルムホールディングスと富士フイルム株式会社の代表取締役社長・CEOは後藤禎一氏です。

まとめ

富士フイルムは、写真市場の縮小に合わせて工場・人員・製品群を縮小し、精密塗布・製膜、画像処理、品質管理を他分野へ展開しました。化粧品やデジタル機器では新しい開発・販売能力を組み合わせ、医薬・バイオでは買収によって中核能力を取得しました。

参考文献・資料