五反田はなぜ歓楽街・風俗街として知られるようになったのか|花街・旅館・工場・戦後商業の歴史

2021年の五反田有楽街の街路と沿道の建物

夜の五反田ごたんだ駅東口には、会社員が行き交う駅前、飲食店、バー、接待を伴う飲食店、ホテルが近接しています。少し離れると、高層住宅、オフィス、学校、病院、高台の住宅地があり、西口には目黒川、業務ビル、大崎広小路、飲食店街が続きます。

五反田は「風俗店が多い街」といわれますが、一般に「風俗店」と呼ばれるものと、法律上の「風俗営業」は別の分類です。法律上の風俗営業には、接待を伴う飲食店、低照度飲食店、パチンコ店、麻雀店、ゲームセンターなどが含まれます。性的サービスに関係する営業は、別の「性風俗関連特殊営業」に分類されます。さらに、店舗を持つ営業、派遣型の無店舗営業、インターネットを使う営業などに分かれます。

五反田が歓楽街・風俗街として知られるようになった背景には、1911年の山手線駅、1928年の池上線、1968年の地下鉄、目黒川沿いの工場と事業所、花街、戦災と闇市、戦後の旅館・飲食街・有楽街、小区画の商業地、法規制、環境浄化活動があります。

鉄道、働く人口、飲食・宴席・宿泊の需要、小区画の商業地、法規制が、時代ごとに異なる営業を同じ駅前へ集めました。

まず結論―五反田には八つの都市層が重なった

五反田ごたんだの歓楽街を理解するには、次の八つの都市層を分けて考える必要があります。

都市の層 主な時期 五反田へ与えた影響
農村・旧道 近世~明治 目黒川低地と高台、街道、集落の基盤をつくった
山手線・池上線 1911年以降 都心、城南、東急沿線から人を集めた
工業・業務地 明治末~ 工場、倉庫、会社、勤務者、商用客を集めた
花街 大正末~昭和前期 芸妓、料亭、待合、宴席の仕事を集積させた
戦災・闇市 1945年以降 焼け跡で小商い、露店、飲食、仮設商業が生まれた
旅館・宿泊 戦前~戦後 商用・旅行・宴席後の宿泊、短時間利用を受け止めた
有楽街・歓楽街 戦後~ 飲食、娯楽、宿泊、接待営業が駅東口に集まった
法規制・再開発 高度成長期~現在 営業可能区域、建物更新、違法営業対策、街区再編を左右した

八つの層は一本の系譜ではなく、鉄道駅の近くに、地域外から来る人、夜まで働く人、飲食する人、泊まる人を受け入れる都市機能が重なったものです。

「風俗店が多い」とは何を数えているのか

「風俗」という言葉には、日常語と法律用語があります。日常語では、性的サービスを提供する店を「風俗店」と呼ぶことが多くあります。しかし、風営法上の風俗営業ふうぞくえいぎょうは、もっと広い分類です。代表例は次のとおりです。

  • 接待を伴う飲食店
  • 照度の低い飲食店
  • 小さく区画された客席を持つ飲食店
  • 麻雀店、パチンコ店
  • ゲームセンター

性的サービスに関係する営業は、性風俗関連特殊営業せいふうぞくかんれんとくしゅえいぎょうとして別に分類されます。そこには、店舗型、無店舗型、映像送信型などがあります。ラブホテル等営業は、法令上、性風俗関連特殊営業の一類型として扱われます。一般のホテル・旅館は通常、旅館業法による宿泊施設です。五反田の店を数えるときには、少なくとも次を分ける必要があります。

一般的な呼び方 法律上の扱いの例
キャバクラ・接待飲食店 風俗営業
パチンコ・ゲームセンター 風俗営業
店舗で性的サービスを提供する営業 店舗型性風俗特殊営業
派遣型サービス 無店舗型性風俗特殊営業
ラブホテル等 店舗型性風俗特殊営業の一類型になり得る
一般のビジネスホテル・旅館 通常は旅館業法による宿泊施設

法律上の業種は、届出・許可の内容、営業実態、建物設備によって分類されます。ここでいう「風俗街」は、駅東口の夜間営業集積を指す便宜的な表現です。

五反田という地名と目黒川の低地

現在の五反田ごたんだは、品川区東五反田・西五反田を中心とする地域です。地名は、かつての水田の面積や村の小字に由来するといわれ、由来には複数の説明があります。地形を見ると、目黒川沿いの低地と、その東西の高台に分かれます。東側には池田山、島津山、御殿山へ続く高台があります。西側にも桐ケ谷・目黒方面へ上る地形があります。低地は鉄道、道路、工場、倉庫、商業に使われました。高台には住宅、学校、寺社、屋敷地が形成されました。駅近くの低地に商業と歓楽街が集まる一方、数分歩けば高台の住宅地へ入ります。

鉄道が五反田をターミナルへ変えた

1911年、五反田駅が開業

1911年10月15日、山手線の五反田ごたんだが開業しました。五反田駅は、品川と目黒の間に新設された駅です。駅の開業により、都心への通勤、商品の輸送、工場への通勤、地域外からの飲食・宴席、旅行者や商用客の宿泊が可能になり、駅前には食堂、旅館、商店、娯楽施設が集まりました。

1936年11月の五反田駅と駅前の街並み
五反田駅、1936年11月。撮影:石川光陽/Wikimedia Commons/Public Domain。

1936年11月の写真には、池上線の駅ビル、山手線、木造の商店・住宅が近接する駅前が写っています。1930年代には五反田が乗換えと駅前商業を持つ都市になっていました。

1928年、池上線が五反田へ到達

池上電気鉄道いけがみでんきてつどうは、池上本門寺への参詣輸送を目的の一つとして始まりました。1928年6月17日、大崎広小路おおさきひろこうじ―五反田間が開業し、現在の池上線いけがみせんが五反田へ到達しました。

五反田駅では、高架の池上線が山手線と接続します。1929年12月には、駅ビルへ白木屋五反田分店が入りました。鉄道駅と商業施設が一体化する、早い時期のターミナル開発です。池上線は、雪谷、久が原、池上、蒲田方面の住宅地・商業地を五反田へ結びました。五反田は、山手線の途中駅から、城南地域の玄関口へ変わります。通勤者、学生、買い物客、工場勤務者、商用客、沿線住民などの人流が、駅前の飲食と宿泊を支えました。

私鉄が東京の郊外とターミナルをつくった歴史と、五島慶太と東急の鉄道・街づくりの歴史もあわせて読むと、池上線の位置づけが分かります。

地下鉄が広域業務地への発展を支えた

1968年11月15日、都営地下鉄1号線の泉岳寺―西馬込間が開業しました

現在の都営浅草線です。五反田は、山手線、池上線、地下鉄の3路線が交わる駅になりました。地下鉄は、新橋、日本橋、浅草方面と五反田を結び、後に京急・京成方面との相互直通によって空港・千葉方面ともつながります。

鉄道網の拡大は、会社の立地、出張、会食、深夜交通、宿泊の需要を増やし、五反田を広域的な業務・飲食拠点へ変えました。営業集積には、交通に加えて用途地域、建物、既存商業、法規制も影響しました。

目黒川沿いの工場と会社員の街

明治末から大正・昭和にかけて、目黒川めぐろがわ沿いには工場、倉庫、事業所が集まりました。品川区の地域資料は、大崎・五反田周辺が近代工業地として発展した歴史を紹介しています。川沿いの低地には、まとまった土地、道路・鉄道、水利用、都心への近さがありました。電機、機械、金属、化学、印刷、食品、倉庫、運輸などの業種が立地し、構成は時代とともに変わりました。

2021年の五反田を流れる目黒川と両岸の建物
五反田の目黒川、2021年。撮影:Syced/Wikimedia Commons/CC0。

2021年の目黒川と両岸の建物から、低地に事業所・業務地が形成された地理を確認できます。

工業化は、工場勤務者、技術者、商社、運輸業者、取引先、会社員を集め、仕事の前後の食事、会食、宿泊需要を生みました。工業・業務地の勤務者は、夜間飲食と宿泊を支えた客層の一つでした。

五反田花街はどう成立したのか

大正末から昭和初期、五反田ごたんだには花街が形成されました。1921年頃に麻布方面から芸妓置屋が移り、1925年に三業地の指定を受けたと説明されます。1929年刊行の松川二郎『全国花街めぐり』には、「五反田」の章があります。この時点で、五反田が東京の花街の一つとして認識されていたことが分かります。

三業とは、主に次の仕事です。

  • 芸妓置屋げいぎおきや
  • 料理屋・料亭りょうてい
  • 待合まちあい

芸妓は、舞踊、唄、三味線、会話、宴席進行などを担いました。料亭は料理と宴席を提供します。待合は、客が部屋を使い、料理を取り寄せ、芸妓を呼ぶ場所です。花街には、芸妓のほか、料理人、仲居、女将、髪結い、着物・帯の商人、三味線の師匠、酒・食材の仕入れ、運送、組合・見番などの仕事が集まり、会社員・商人・宴席客を受け入れる地域産業を形成しました。

花街・遊郭・赤線・性風俗営業の違い

花柳界かりゅうかいと遊郭は、制度と中心機能が異なります。芸妓は、芸と接客を提供する職業です。娼妓は、公娼制度下で性的サービスを担いました。待合と貸座敷も、制度上は異なります。戦後の赤線は、売春防止法全面施行前まで、特殊飲食店などの名目で売春が行われた区域を指す歴史用語です。

現在の性風俗関連特殊営業せいふうぞくかんれんとくしゅえいぎょうは、風営法に基づく現代の営業分類です。

区分 主な時期・制度 中心機能
花街・三業地 近代以前~近代 芸妓、料理、宴席
遊郭 公娼制度期 貸座敷と娼妓
赤線 主に戦後~1958年 特殊飲食店等を介した売春
連れ込み旅館 主に1950年代以降 二人連れの休憩・宿泊を広告する旅館
性風俗関連特殊営業 現行風営法 法律で類型化された店舗型・無店舗型等の営業

実態には重なりや曖昧さがありましたが、芸妓と娼妓は制度上異なる職業でした。公許遊郭と戦後制度の変化は、吉原遊郭跡を現地から解説した記事で詳しく紹介しています。

花街から現在の歓楽街への変化

建物と営業は複数の変化をたどりました。

  • 料亭が一般飲食店になる
  • 待合が住宅・事務所になる
  • 置屋が廃業し、建物が建て替わる
  • 旅館が新築される
  • 一般旅館が短時間利用を受け入れる
  • 雑居ビルに別の夜間営業が入る
  • 街区が再開発される

花街と後年の歓楽街に共通するのは、駅近くで宴席・飲食・滞在を受け入れた都市機能です。建物や営業は、建て替えや業態変更を経ています。

空襲と敗戦後、五反田に闇市が生まれた

1945年の空襲で、五反田周辺の住宅、商店、工場、花街は大きな被害を受けました。敗戦後、食料、衣料、燃料、住宅、仕事が不足します。五反田商店街振興組合は、焼け跡にバラックが建ち、五反田でも闇市がにぎわったと説明しています。駅前には、食料、衣類、日用品、中古品、修理、飲食、酒などの小商いが生まれました。関連する用語は次のように異なります。

  • 闇市:統制価格・配給制度を外れた取引を含む市場
  • 露店:道路や空地で営業する店
  • 仮設市場:簡易建物へ店を集めた市場
  • 復興商店街:常設店舗、道路、商店会を整えた商業地
  • 歓楽街:飲食、娯楽、接待、宿泊等が集まる地域

闇市の露店は、店主、商品、建物、道路、権利関係、許可制度の変化を経て再編されました。

新宿・上野・池袋・渋谷の闇市を写真と資料で比較した記事では、駅前市場が地域ごとに異なる再編をたどったことを解説しています。

有楽街の成立

品川区の写真資料には、1954年10月12日の「五反田有楽街入口」が残っています。少なくとも1950年代半ばには、有楽街という名称が駅東口周辺で使われていたことが確認できます。現在も品川区の商店会情報には、東五反田一丁目の「有楽会綜合組合」が掲載されています。

闇市、仮設店舗、映画館、飲食店、旅館、バー・スナック、接待飲食、商店会など、戦後の駅前商業が段階的に再編され、有楽街の名称が定着しました。一般飲食、宿泊、娯楽、商業が混在する歓楽街です。

戦後、花街・旅館・有楽街が重なった

戦後の五反田駅周辺には、復興した花街、食堂、酒場、映画館、旅館、ホテル、有楽街の飲食・娯楽、住宅、工場、会社が近接しました。

1963年6月26日の五反田駅周辺の白黒空中写真
五反田駅周辺の白黒空中写真、1963年6月26日。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成/国土地理院/Wikimedia Commons。

1963年の空中写真には、駅、目黒川、東西の街路、小規模建物、大きな事業所が近接して写っています。

待合、旅館、連れ込み旅館、ラブホテルの違い

同じ「部屋を使う施設」でも、制度と目的が異なります。

施設 主な目的 宿泊 芸妓 法制度の中心
待合 宴席・会合 中心ではない 呼んで芸・接客を受ける 花街・三業制度
料亭 料理・宴席 中心ではない 呼ぶ場合がある 飲食営業等
一般旅館 旅行・商用等の宿泊 主目的 通常は別制度 旅館業法
連れ込み旅館 二人連れの休憩・宿泊を積極的に受け入れる あり 花街制度とは別 当時の旅館業
ラブホテル等 二人利用を想定した設備・営業 休憩・宿泊 花街制度とは別 旅館業法・風営法等
ビジネスホテル 商用・観光等の宿泊 主目的 花街制度とは別 旅館業法

兼業や業態変更があり、同じ旅館が一般宿泊と二人利用を受け入れる場合もありましたが、待合、旅館、連れ込み旅館、現在のラブホテルは制度と目的が異なります。

1950年代の広告に見える連れ込み旅館

性社会・文化史研究者の三橋順子は、1953~57年の新聞広告を収集し、東京の「連れ込み旅館」を集計しています。現行の研究データでは五反田に7軒が確認され、旧版の集計は6軒でした。この数字は、「お二人様」「休憩」料金を明記した広告を中心に分類した研究データです。

なぜ東口に歓楽街が集まったのか

五反田駅東口の東五反田一丁目周辺に有楽街が形成された背景には、複数の条件があります。

駅への近さ

山手線、池上線、地下鉄から徒歩で来られます。

既存の飲食・宴席文化

戦前の花街、戦後の飲食・旅館、有楽街が、夜間営業の認知と客の流れをつくりました。

小区画と雑居ビル

小規模な飲食・接待営業が入れる建物と区画があります。

オフィス・商用需要

五反田・大崎には会社と事業所が多く、会食、接待、二次会、宿泊の需要があります。

交通の分岐

山手線で都心、池上線で城南、地下鉄で新橋・日本橋方面へ移動できます。

法規制と既存営業

営業できる用途地域、施設距離、既存の届出・許可、建物条件が、営業の地域的集中に影響します。

2012年夜の東五反田二丁目の街路と沿道の建物
夜の東五反田二丁目、2012年。撮影:Hiroyuki Sato/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

2012年夜の東五反田二丁目の写真には、オフィス、住宅、飲食、宿泊が近接する東側の夜間景観が写っています。

風俗営業と性風俗関連特殊営業の違い

法律上の風俗営業ふうぞくえいぎょうは、都道府県公安委員会の許可を受ける営業です。

接待飲食、低照度飲食、パチンコ・麻雀、ゲームセンターなどが含まれます。

性風俗関連特殊営業せいふうぞくかんれんとくしゅえいぎょうは、類型に応じて公安委員会への届出を基本とします。

営業禁止区域、用途地域、学校・病院・図書館等からの距離、建物設備、広告・宣伝、営業時間、従業者確認、客引きなどが規制されます。風俗営業と性風俗関連特殊営業は、対象業種と許可・届出の仕組みが異なります。

法規制が営業地域へ与える影響

東京都条例は、風俗営業・性風俗関連特殊営業の立地を制限しています。

住宅地域や学校・病院等の周辺では、営業できない類型があります。

店舗型性風俗特殊営業の一部は、新規営業できる地域が極めて限定されています。

規制は、新しい営業が住宅地へ無制限に広がることを防ぐ一方、既存の商業地域に営業を集中させます。建て替え、移転、廃業、営業者変更、届出・許可の失効、法改正、用途地域変更、施設の新設などにより営業継続の条件は変わります。五反田の集積には、歴史的な人流と商業地に現代の規制が重なっています。

合法営業と違法営業の区別

品川区は、五反田駅周辺を都内有数の歓楽街と説明し、警察、町会、商店、ホテル旅館業、料飲業などと環境浄化活動を行っています

活動で問題とされるのは、違法営業、悪質な客引き、暴力団、ぼったくり、路上の迷惑行為、違法広告などです。

許可・届出を行う飲食店、ホテル、性風俗関連特殊営業と、違法営業や犯罪組織は区別されます。届出・許可があっても、客引き、料金表示、従業者の年齢確認、広告、営業時間、営業区域などの違反は別に判断されます。

東口歓楽街と高台住宅地は別の街

五反田駅東口から東へ歩くと、地形が上がります。

池田山、島津山、花房山などの高台には、住宅、学校、寺社、外国公館等が立地します。

駅東口の低地・幹線道路沿いにある歓楽街と、高台の住宅地は、近接していても土地利用が異なります。

駅から数分で、高台住宅地、東五反田二丁目の住宅・オフィス、医療・教育施設へ街の性格が変わります。

池田山・花房山など上大崎の高台を歩いた記事では、駅前低地とは異なる住宅地の地形を現地でたどっています。

西口・大崎広小路の商業地

五反田駅西口の西五反田一丁目には、目黒川、桜田通り、大崎広小路、池上線高架、オフィス、飲食店、ホテル、住宅があり、東口とは歴史、商店会、街区が異なります。

大崎広小路は、池上電気鉄道が五反田へ延伸する前の終点でした。

西側の工業・業務地、戸越・大崎方面の交通と結びつきます。

有楽街は、主に東五反田一丁目の商店会・歓楽街を指します。

オフィス・スタートアップ街との共存

現在の五反田・大崎周辺には、IT企業、スタートアップ、オフィス、再開発ビルが集まります。

「五反田バレー」と呼ばれる企業コミュニティも知られています。

既存の駅前飲食、宿泊、雑居ビルに新しい業務人口が加わり、会食、イベント後の飲食、出張宿泊、ランチ、コワーキング、住宅の需要が生まれました。夜間営業と新しい業務地は、同じ駅を異なる時間帯と目的で利用しています。

再開発による街区の変化

東五反田二丁目、大崎駅周辺、西五反田では、工場跡・事業所跡を含む再開発が進みました。

高層住宅、オフィス、広場、歩行者空間、目黒川沿いの親水空間、商業施設が整備されました。

2010年には、東五反田二丁目の再開発地区に五反田ふれあい水辺広場が整備されました

再開発は、工場・倉庫・小規模建物を大型街区へ変えます。

防災、歩行者環境、住宅・オフィス供給に効果があります。

一方、賃料・店舗面積・建物管理が変わると、小規模飲食、旅館、夜間営業が移転・廃業する可能性があります。

再開発は、住宅、工場、商店、オフィス、公共空間を含む都市更新です。

大崎・西品川の工場跡と再開発を歩いた記事では、工業地から業務・住宅地への変化を現地で紹介しています。

環境浄化は何を目指しているのか

五反田有楽街周辺では、品川区、警察、町会、商店会、ホテル旅館業、料飲業などが環境浄化活動を行ってきました。

環境浄化活動は、違法営業、悪質な客引き、暴力団、ぼったくり、路上ごみ、違法看板、通行妨害を減らし、住民、働く人、来街者が安全に利用できる環境を目指します。歓楽街では、夜間経済と、騒音、治安、交通、ごみ、住民生活との調整が必要になります。

古地図と空中写真で見る五反田

五反田ごたんだの歴史は、時代ごとの地図と空中写真を比較すると把握しやすくなります。

明治期

目黒川、農地、村道、高台の屋敷地、工場の初期立地を確認できます。

1911~1928年

五反田駅開業後の宅地化、工場、駅前商業を見ます。

1928~1930年代

池上線、駅ビル、白木屋、花街、旅館、目黒川沿いの工業を比較します。花街の境界確認には、三業名鑑や住宅地図などが必要です。

1945年前後

戦災焼失区域、駅前の空地、仮設店舗を確認できます。闇市の境界と店舗数の特定には、空中写真以外の資料も必要です。

1950~60年代

有楽街、映画館、飲食店、旅館、地下鉄工事、工場・住宅を確認できます。施設用途の特定には、空中写真以外の資料も必要です。

現在

東口有楽街、西口業務・飲食地、東五反田二丁目の再開発、高台住宅地、目黒川を比較します。

古地図・空中写真と現在地を重ねて読む方法を使うと、五反田の低地・高台・街路の変化を比較しやすくなります。

地図で歩く五反田

現役の店、ホテル、住宅があるため、利用者や住民への配慮が必要です。

1.五反田駅

五反田駅は1911年に開業しました。現在の駅舎は後年の建物です。

2.池上線五反田駅

1928年に大崎広小路から延伸しました。

高架上の駅と山手線の接続を確認します。

3.五反田有楽街

東五反田一丁目の飲食・歓楽街です。個別店舗の営業種別は外観だけでは判断できません。

4.品川区立五反田公園周辺

駅東側の街路、高台への上り、歓楽街と住宅地の境界を見ます。

5.東五反田二丁目

オフィス、住宅、再開発地区、目黒川が近接します。

6.目黒川・五反田ふれあい水辺広場

工業地から業務・住宅・公共空間へ変化した川沿いを確認します。

7.大崎広小路

池上線の旧終点と西口商業地を見ます。

8.西五反田一丁目

飲食、業務、宿泊が混在し、東口有楽街とは別の商業地です。

9.池田山・上大崎方面

高台住宅地と駅前低地の違いを確認します。

高輪・品川から五反田まで歩いたナイトウォークと、東京の歴史散歩コース集も参考になります。

よくある疑問

五反田は東京で風俗店が最も多い街ですか?

同じ基準で全地域の現在店舗数を比較した公的ランキングは未公表です。

「風俗店」が接待飲食、店舗型性風俗、無店舗型営業、ホテルのどれを指すかでも数字が変わります。

法律上の風俗営業は性風俗店のことですか?

法律上は別の分類です。

風俗営業には、接待飲食、パチンコ、麻雀、ゲームセンター等が含まれます。

性的サービスに関係する営業は、性風俗関連特殊営業として別に分類されます。

五反田は昔から遊郭だったのですか?

五反田には花街がありましたが、公許遊郭とは異なる制度です。

花街は芸妓、料亭、待合、遊郭は娼妓・貸座敷を中心としました。

五反田花街はいつ始まりましたか?

地域史資料では1921年頃に芸妓置屋が移り、1925年に三業地として指定されたとされます。1929年の『全国花街めぐり』に五反田章があります。成立は段階的でした。

花街が現在の風俗街になったのですか?

花街の建物・営業は、飲食、住宅、事務所、旅館、建て替えなど複数の変化をたどりました。

五反田の闇市が有楽街になったのですか?

戦後の闇市・仮設商業は有楽街形成の背景です。1954年には有楽街入口の写真が確認できます。

連れ込み旅館とは何ですか?

1950年代を中心に、二人連れの休憩・宿泊を広告した旅館を指す歴史研究上の言葉です。現在のホテルや性風俗店とは異なる歴史用語です。

五反田には連れ込み旅館が7軒あったのですか?

1953~57年の新聞広告を集めた研究データの現行集計では7軒です。広告掲載施設を対象とした研究集計です。

なぜ東口に集中したのですか?

駅への近さ、花街・戦後飲食・旅館の歴史、小区画・雑居ビル、オフィス需要、商業地域、法規制が重なったためです。

性風俗営業はすべて違法ですか?

法令上の届出、営業区域、広告、営業時間等の規制に従う営業があります。違法営業、悪質な客引き、暴力団、ぼったくりと合法営業を区別する必要があります。

届出を出せば五反田のどこでも営業できますか?

営業可能な場所は、営業類型ごとの禁止地域、用途地域、学校・病院等からの距離、建物条件などで制限されます。

五反田全体が歓楽街ですか?

有楽街は東五反田一丁目の一部です。高台住宅地、東五反田二丁目の住宅・オフィス、西口業務地、目黒川沿いなど、街の性格は異なります。

まとめ―五反田は一つの夜の街ではない

五反田ごたんだでは、1911年の山手線、1928年の池上線、1968年の地下鉄によって、都心・城南・東急沿線から人が集まる駅が形成されました。

目黒川沿いの工場、倉庫、事業所は働く人口と商用客を集め、飲食、会食、宿泊の需要を生みました。大正末から昭和初期には、芸妓、料亭、待合、置屋などからなる花街が形成されました。

1945年の空襲後には闇市と仮設商業が生まれ、戦後商業の再編を経て、1950年代には有楽街の名称が確認できます。同じ時期には、二人連れの休憩・宿泊を広告する旅館もありました。

その後、接待飲食、ホテル、性風俗関連特殊営業などが駅東口に集まりました。用途地域、施設との距離、建物、営業時間、広告などの規制は、営業の拡散を抑え、既存の商業地域への集中に影響しました。

現在の五反田には、歓楽街だけでなく、オフィス、スタートアップ、高層住宅、高台の住宅地、学校、病院、商店、目黒川沿いの公共空間が近接しています。鉄道、工業、花街、戦災、闇市、旅館、飲食、法規制が異なる時代の需要を駅前に重ねたことが、五反田が歓楽街・風俗街として知られる背景です。

参考文献・資料

  1. 警視庁「風俗営業等の業種一覧
  2. 警視庁「性風俗関連特殊営業等の届出
  3. 東京都「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律施行条例
  4. 東京都「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律施行細則
  5. 東京都「性風俗営業等に係る不当な勧誘、料金の取立て等及び性関連禁止営業への場所の提供の規制に関する条例
  6. 品川区「五反田駅周辺環境浄化対策協議会・環境浄化パレード
  7. 品川区「五反田地区の環境浄化・防犯カメラ設置
  8. 品川区「五反田駅周辺を安全・安心なまちへ
  9. 品川区「有楽会綜合組合
  10. 五反田商店街振興組合「五反田の歴史
  11. 品川区「五反田有楽街入口(昭和29年)
  12. 品川区「五反田駅東口(昭和34年)
  13. JR東日本「五反田駅
  14. 東急電鉄「池上線の歴史
  15. 東急「東急100年史―池上電気鉄道と五反田延伸
  16. 東京都交通局「地下鉄のあゆみ
  17. 東京都交通局「五反田駅
  18. 品川区「しながわのチカラ―近代工業の発展
  19. 品川区立品川歴史館「図録・大崎・五反田地域の工業史
  20. 品川区「しながわの交通史
  21. 国立国会図書館「松川二郎『全国花街めぐり』
  22. 古今東西舎「五反田花街
  23. 三橋順子「1950年代東京の『連れ込み旅館』について
  24. 三橋順子「東京『連れ込み旅館』広告データベース(1953~1957年)
  25. 品川区「五反田ふれあい水辺広場が完成
  26. Wikimedia Commons「五反田有楽街
  27. Wikimedia Commons「Gotanda Station, 1936-11
  28. Wikimedia Commons「Gotanda Station.19630626
  29. Wikimedia Commons「Meguro river in Gotanda
  30. Wikimedia Commons「2 Chome Higashigotanda, Shinagawa-ku, Tokyo