五反田はなぜ歓楽街・風俗街として知られるようになったのか|花街・旅館・工場・戦後商業の歴史

2021年の五反田有楽街の街路と沿道の建物 日本史・社会制度
五反田有楽街、2021年。撮影:Syced/Wikimedia Commons/CC0。

夜の五反田ごたんだ駅東口を出ると、同じ街にいくつもの時間が重なっていることに気づきます。

駅前には会社員が行き交い、飲食店の看板が灯ります。

少し路地へ入ると、スナック、バー、接待を伴う飲食店、ホテル、一般の飲食店が近い距離に並びます。

さらに歩けば、高層住宅、オフィス、学校、病院、高台の住宅地です。

西口へ回ると、目黒川、業務ビル、大崎広小路、飲食店街が続きます。

五反田は、しばしば「風俗店が多い街」といわれます。

しかし、この言葉には最初から注意が必要です。

一般に「風俗店」と呼ばれるものと、法律上の「風俗営業」は一致しません。

法律上の風俗営業には、接待を伴う飲食店、低照度飲食店、パチンコ店、麻雀店、ゲームセンターなどが含まれます。

性的サービスに関係する営業は、別の「性風俗関連特殊営業」に分類されます。

さらに、店舗を持つ営業、派遣型の無店舗営業、インターネットを使う営業などに分かれます。

つまり、「五反田に風俗店が多いのはなぜ?」という問いは、何を数えるかを決めなければ答えられません。

現在の店舗数を同じ基準で東京全域と比較した公的ランキングも、簡単には確認できません。

それでも、五反田が歓楽街・風俗街として知られるようになった歴史的条件はあります。

1911年の山手線駅。

1928年の池上線。

1968年の地下鉄。

目黒川沿いの工場と事業所。

大正末から昭和初期の花街。

空襲。

敗戦後の闇市。

戦後の旅館と飲食街。

有楽街。

商業地域と小規模な雑居ビル。

風営法と東京都条例。

合法営業と違法営業を分ける環境浄化活動。

これらは、同じ制度が連続したものではありません。

花街がそのまま性風俗街になったわけではありません。

闇市の露店が、そのまま現在の店舗になったわけでもありません。

旅館がすべてラブホテルへ変わったわけでもありません。

五反田では、人を運ぶ鉄道、働く人口、飲食・宴席・宿泊の需要、小区画の商業地、法規制が、時代ごとに別の営業を同じ駅前へ集めました。

この記事では、五反田を「怪しい街」として眺めるのではなく、花街、工業、戦後商業、旅館、性風俗営業、再開発を一つずつ分けて読み解きます。

この記事で分かること

  • 「風俗店」と法律上の風俗営業の違い
  • 五反田駅が1911年に開業した意味
  • 池上線と地下鉄が駅前人流をどう増やしたか
  • 目黒川沿いの工場が街へ与えた影響
  • 五反田花街がどのように成立したか
  • 花街、遊郭、赤線、性風俗営業の違い
  • 空襲後に闇市と戦後商業が生まれた過程
  • 五反田有楽街という名称がいつ確認できるか
  • 旅館と連れ込み旅館、ラブホテルの違い
  • 1950年代の広告に五反田の旅館が7軒確認される意味
  • なぜ東口に歓楽街が集まったのか
  • 現在の法規制が営業立地へ与える影響
  • 合法営業と違法営業を同一視してはいけない理由
  • 五反田全域が風俗街ではない理由
  • 再開発と環境浄化が街をどう変えるか

まず結論―五反田には八つの都市層が重なった

五反田ごたんだの歓楽街を理解するには、次の八つの都市層を分けて考える必要があります。

都市の層主な時期五反田へ与えた影響
農村・旧道近世~明治目黒川低地と高台、街道、集落の基盤をつくった
山手線・池上線1911年以降都心、城南、東急沿線から人を集めた
工業・業務地明治末~工場、倉庫、会社、勤務者、商用客を集めた
花街大正末~昭和前期芸妓、料亭、待合、宴席の仕事を集積させた
戦災・闇市1945年以降焼け跡で小商い、露店、飲食、仮設商業が生まれた
旅館・宿泊戦前~戦後商用・旅行・宴席後の宿泊、短時間利用を受け止めた
有楽街・歓楽街戦後~飲食、娯楽、宿泊、接待営業が駅東口に集まった
法規制・再開発高度成長期~現在営業可能区域、建物更新、違法営業対策、街区再編を左右した

八つは、一本の系譜ではありません。

花街の芸妓置屋が、すべて現在の性風俗店になったわけではありません。

闇市の露店主が、現在の有楽街の全店舗を経営しているわけでもありません。

工場勤務者が、性風俗街を直接つくったわけでもありません。

共通するのは、鉄道駅の近くに、地域外から来る人、夜まで働く人、飲食する人、泊まる人を受け入れる都市機能が集まったことです。

「風俗店が多い」とは何を数えているのか

「風俗」という言葉には、日常語と法律用語があります。

日常語では、性的サービスを提供する店を「風俗店」と呼ぶことが多くあります。

しかし、風営法上の風俗営業ふうぞくえいぎょうは、もっと広い分類です。

代表例は次のとおりです。

  • 接待を伴う飲食店
  • 照度の低い飲食店
  • 小さく区画された客席を持つ飲食店
  • 麻雀店、パチンコ店
  • ゲームセンター

性的サービスに関係する営業は、性風俗関連特殊営業せいふうぞくかんれんとくしゅえいぎょうとして別に分類されます。

そこには、店舗型、無店舗型、映像送信型などがあります。

さらに、ラブホテル等営業も、法令上は性風俗関連特殊営業の一類型として扱われますが、一般のホテル・旅館をすべて同じ分類にすることはできません。

したがって、五反田の店を数えるときには、少なくとも次を分ける必要があります。

一般的な呼び方法律上の扱いの例
キャバクラ・接待飲食店風俗営業
パチンコ・ゲームセンター風俗営業
店舗で性的サービスを提供する営業店舗型性風俗特殊営業
派遣型サービス無店舗型性風俗特殊営業
ラブホテル等店舗型性風俗特殊営業の一類型になり得る
一般のビジネスホテル・旅館通常は旅館業法による宿泊施設

店名や外観だけで法律上の業種を判断しないでください。

届出・許可の内容、営業実態、建物設備によって分類されます。

この記事でいう「風俗街」は、一般にそう認識される駅東口の夜間営業集積を指す便宜的な表現です。

法律上の特定業種だけを示す厳密な行政区域名ではありません。

五反田という地名と目黒川の低地

現在の五反田ごたんだは、品川区東五反田・西五反田を中心とする地域です。

地名は、かつての水田の面積や村の小字に由来するといわれます。

ただし、「五反の田が一枚だけあった」「特定の農家が五反を所有した」など、唯一の物語へ固定しないでください。

地形を見ると、目黒川沿いの低地と、その東西の高台に分かれます。

東側には池田山、島津山、御殿山へ続く高台があります。

西側にも桐ケ谷・目黒方面へ上る地形があります。

低地は鉄道、道路、工場、倉庫、商業に使われました。

高台には住宅、学校、寺社、屋敷地が形成されました。

この高低差は、現在の街の印象にも残っています。

駅近くの低地に商業と歓楽街が集まる一方、数分歩けば静かな住宅地へ入ります。

五反田全域を、同じ歓楽街として扱えない理由です。

1911年、五反田駅が開業した

1911年10月15日、山手線の五反田ごたんだが開業しました。

五反田駅は、品川と目黒の間に新設された駅です。

駅ができると、周辺の農地・住宅地・工業地の価値が変わります。

都心へ通勤できる。

商人が商品を運べる。

工場へ人が通える。

地域外の客が飲食・宴席へ来られる。

旅行者や商用客が宿泊できる。

駅前には、食堂、旅館、商店、娯楽施設が集まります。

1936年11月の五反田駅と駅前の街並み
五反田駅、1936年11月。撮影:石川光陽/Wikimedia Commons/Public Domain。

写真は1936年11月の五反田駅です。

1911年の開業当日ではありません。

池上線の駅ビル、山手線、木造の商店・住宅が近接する戦前の駅前を確認できます。

写真から、個々の建物を料亭、待合、旅館と断定してはいけません。

重要なのは、1930年代には五反田がすでに、乗換えと駅前商業を持つ都市になっていたことです。

1928年、池上線が五反田へ届いた

池上電気鉄道いけがみでんきてつどうは、池上本門寺への参詣輸送を目的の一つとして始まりました。

1928年6月17日、大崎広小路おおさきひろこうじ―五反田間が開業し、現在の池上線いけがみせんが五反田へ到達しました。

五反田駅では、高架の池上線が山手線と接続します。

1929年12月には、駅ビルへ白木屋五反田分店が入りました。

鉄道駅と商業施設が一体化する、早い時期のターミナル開発です。

池上線は、雪谷、久が原、池上、蒲田方面の住宅地・商業地を五反田へ結びました。

五反田は、山手線の途中駅から、城南地域の玄関口へ変わります。

宴席や飲食の客だけではありません。

通勤者。

学生。

買い物客。

工場勤務者。

商用客。

沿線住民。

多様な人流が、駅前飲食と宿泊を支えました。

私鉄が東京の郊外とターミナルをつくった歴史と、五島慶太と東急の鉄道・街づくりの歴史もあわせて読むと、池上線の位置づけが分かります。

地下鉄が五反田を広域業務地へ変えた

1968年11月15日、都営地下鉄1号線の泉岳寺―西馬込間が開業しました

現在の都営浅草線です。

五反田は、山手線、池上線、地下鉄の3路線が交わる駅になりました。

地下鉄は、新橋、日本橋、浅草方面と五反田を結び、後に京急・京成方面との相互直通によって空港・千葉方面ともつながります。

鉄道の増加は、駅前の客数を増やすだけではありません。

会社の立地。

出張。

会食。

終電。

深夜のタクシー。

宿泊。

五反田を広域的な業務・飲食拠点へ変えました。

ただし、地下鉄開業が性風俗店を直接増やしたと断定しないでください。

交通は人流の基盤であり、営業集積には用途地域、建物、既存商業、法規制が加わります。

目黒川沿いの工場と会社員の街

明治末から大正・昭和にかけて、目黒川めぐろがわ沿いには工場、倉庫、事業所が集まりました。

品川区の地域資料は、大崎・五反田周辺が近代工業地として発展した歴史を紹介しています。

川沿いの低地には、まとまった土地、道路・鉄道、水利用、都心への近さがありました。

電機。

機械。

金属。

化学。

印刷。

食品。

倉庫。

運輸。

業種は時代によって変わります。

2021年の五反田を流れる目黒川と両岸の建物
五反田の目黒川、2021年。撮影:Syced/Wikimedia Commons/CC0。

写真は2021年の目黒川です。

明治・大正期の工場写真ではありません。

現在の河川と両岸の建物から、低地に事業所・業務地が形成された地理を確認するための画像です。

工業化は、五反田に働く人口を集めました。

工場勤務者。

技術者。

商社。

運輸業者。

取引先。

会社員。

仕事の前後に食事をし、会食し、時には宿泊する需要が生まれます。

しかし、「工員が性風俗店をつくった」と説明してはいけません。

工業・業務地は、夜間飲食と宿泊を支えた多様な客層の一つです。

五反田花街はどう成立したのか

大正末から昭和初期、五反田ごたんだには花街が形成されました。

地域史資料では、1921年頃に麻布方面から芸妓置屋が移り、1925年に三業地の指定を受けたと説明されます。

1929年刊行の松川二郎『全国花街めぐり』には、「五反田」の章があります。

この時点で、五反田が東京の花街の一つとして認識されていたことが分かります。

三業とは、主に次の仕事です。

  • 芸妓置屋げいぎおきや
  • 料理屋・料亭りょうてい
  • 待合まちあい

芸妓は、舞踊、唄、三味線、会話、宴席進行などを担いました。

料亭は料理と宴席を提供します。

待合は、客が部屋を使い、料理を取り寄せ、芸妓を呼ぶ場所です。

花街を支えたのは、芸妓だけではありません。

料理人。

仲居。

女将。

髪結い。

着物・帯の商人。

三味線の師匠。

酒・食材の仕入れ。

人力車・自動車。

宴席を調整する組合・見番。

五反田花街は、駅から来る会社員・商人・宴席客を受け入れる地域産業でした。

花街・遊郭・赤線・性風俗営業は別である

花柳界かりゅうかいと遊郭を同じものとして扱ってはいけません。

芸妓は、芸と接客を提供する職業です。

娼妓は、公娼制度下で性的サービスを担いました。

待合と貸座敷も、制度上は異なります。

戦後の赤線は、売春防止法全面施行前まで、特殊飲食店などの名目で売春が行われた区域を指す歴史用語です。

現在の性風俗関連特殊営業せいふうぞくかんれんとくしゅえいぎょうは、風営法に基づく現代の営業分類です。

区分主な時期・制度中心機能
花街・三業地近代以前~近代芸妓、料理、宴席
遊郭公娼制度期貸座敷と娼妓
赤線主に戦後~1958年特殊飲食店等を介した売春
連れ込み旅館主に1950年代以降二人連れの休憩・宿泊を広告する旅館
性風俗関連特殊営業現行風営法法律で類型化された店舗型・無店舗型等の営業

実態には重なりや曖昧さがあります。

芸妓の労働条件、前借、客との力関係などを無視して、花街を美しい伝統だけとして描くことも避けてください。

しかし、曖昧さがあることを理由に、芸妓を娼妓と同一視してはいけません。

公許遊郭と戦後制度の変化は、吉原遊郭跡を現地から解説した記事で詳しく紹介しています。

花街は現在の風俗街の直接の祖先なのか

五反田に花街があり、現在も歓楽街・性風俗営業のイメージがあるため、「花街がそのまま風俗街になった」と考えられがちです。

しかし、直接の系譜を示すには、建物・経営・営業許可の個別資料が必要です。

考えられる変化は一つではありません。

  • 料亭が一般飲食店になる
  • 待合が住宅・事務所になる
  • 置屋が廃業し、建物が建て替わる
  • 旅館が新築される
  • 一般旅館が短時間利用を受け入れる
  • 雑居ビルに別の夜間営業が入る
  • 街区が再開発される

花街と後年の歓楽街に共通するのは、駅近くで宴席・飲食・滞在を受け入れた都市機能です。

同じ建物・同じ営業の継承とは限りません。

空襲と敗戦後、五反田に闇市が生まれた

1945年の空襲で、五反田周辺の住宅、商店、工場、花街は大きな被害を受けました。

敗戦後、食料、衣料、燃料、住宅、仕事が不足します。

五反田商店街振興組合は、焼け跡にバラックが建ち、五反田でも闇市がにぎわったと説明しています。

駅前は、人が集まり、物資を売買しやすい場所です。

食料。

衣類。

日用品。

中古品。

修理。

飲食。

酒。

小商いが生まれました。

ただし、次の言葉を区別してください。

  • 闇市:統制価格・配給制度を外れた取引を含む市場
  • 露店:道路や空地で営業する店
  • 仮設市場:簡易建物へ店を集めた市場
  • 復興商店街:常設店舗、道路、商店会を整えた商業地
  • 歓楽街:飲食、娯楽、接待、宿泊等が集まる地域

闇市の露店が、同じ形のまま現在まで残ったわけではありません。

店主、商品、建物、道路、権利関係、許可制度は変わりました。

新宿・上野・池袋・渋谷の闇市を写真と資料で比較した記事では、駅前市場が地域ごとに異なる再編をたどったことを解説しています。

有楽街はいつ現れたのか

品川区の写真資料には、1954年10月12日の「五反田有楽街入口」が残っています。

少なくとも1950年代半ばには、有楽街という名称が駅東口周辺で使われていたことが確認できます。

現在も品川区の商店会情報には、東五反田一丁目の「有楽会綜合組合」が掲載されています。

有楽街の成立を、1945年直後の特定日へ断定しないでください。

闇市。

仮設店舗。

映画館。

飲食店。

旅館。

バー・スナック。

接待飲食。

商店会。

戦後の駅前商業が段階的に再編され、名称が定着したと説明してください。

「有楽街=性風俗店だけの区域」でもありません。

一般飲食、宿泊、娯楽、商業が混在する歓楽街です。

戦後、花街・旅館・有楽街が重なった

戦後の五反田駅周辺には、異なる営業が近接しました。

復興した花街。

一般の食堂と酒場。

映画館。

旅館。

ホテル。

有楽街の飲食・娯楽。

住宅。

工場・会社。

1963年6月26日の五反田駅周辺の白黒空中写真
五反田駅周辺の白黒空中写真、1963年6月26日。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成/国土地理院/Wikimedia Commons。

1963年の空中写真を見ると、駅、目黒川、東西の街路、小さな建物、大きな事業所が近い距離にあります。

しかし、空中写真から建物用途は分かりません。

屋根の形だけで料亭。

路地にあるから待合。

駅に近いから連れ込み旅館。

看板があるから性風俗店。

とは判断できません。

住宅地図。

旅館名簿。

三業名鑑。

広告。

登記。

営業許可・届出。

新聞。

商店会資料。

これらを重ねて初めて、建物単位の歴史を検討できます。

本記事では、五反田が小区画の商業、宿泊、飲食、住宅、工業を同じ駅前へ集めた都市構造を説明し、個別建物の用途は断定しません。

待合、旅館、連れ込み旅館、ラブホテルの違い

同じ「部屋を使う施設」でも、制度と目的が異なります。

施設主な目的宿泊芸妓法制度の中心
待合宴席・会合中心ではない呼んで芸・接客を受ける花街・三業制度
料亭料理・宴席中心ではない呼ぶ場合がある飲食営業等
一般旅館旅行・商用等の宿泊主目的通常は別制度旅館業法
連れ込み旅館二人連れの休憩・宿泊を積極的に受け入れるあり花街制度とは別当時の旅館業
ラブホテル等二人利用を想定した設備・営業休憩・宿泊花街制度とは別旅館業法・風営法等
ビジネスホテル商用・観光等の宿泊主目的花街制度とは別旅館業法

実際には兼業・業態変更があります。

同じ旅館が一般宿泊と二人利用を受け入れる場合もありました。

しかし、待合と旅館、連れ込み旅館と現在のラブホテルを同一語で説明してはいけません。

1950年代の広告に五反田7軒が確認される

性社会・文化史研究者の三橋順子は、1953~57年の新聞広告を収集し、東京の「連れ込み旅館」を集計しています。

現行の研究データでは、五反田に7軒が確認されます。

旧版の集計では6軒でした。

資料追加、重複整理、地域分類の更新により、研究データは変わり得ます。

この数字は、公的な旅館全数統計ではありません。

広告を掲載しなかった施設は含まれません。

「お二人様」「休憩」料金を明記した広告を中心に分類した研究資料です。

正確な表現は次です。

「1953~57年の性風俗関係新聞広告を集めた研究データの現行集計では、五反田に7軒が確認される」

旅館名、料金、サービスを刺激的な一覧として掲載しないでください。

なぜ東口に歓楽街が集まったのか

五反田駅東口の東五反田一丁目周辺には、有楽街があります。

なぜ東口側なのでしょうか。

一つの理由だけでは説明できません。

駅への近さ

山手線、池上線、地下鉄から徒歩で来られます。

既存の飲食・宴席文化

戦前の花街、戦後の飲食・旅館、有楽街が、夜間営業の認知と客の流れをつくりました。

小区画と雑居ビル

小規模な飲食・接待営業が入れる建物と区画があります。

オフィス・商用需要

五反田・大崎には会社と事業所が多く、会食、接待、二次会、宿泊の需要があります。

交通の分岐

山手線で都心、池上線で城南、地下鉄で新橋・日本橋方面へ移動できます。

法規制と既存営業

営業できる用途地域、施設距離、既存の届出・許可、建物条件が、営業の地域的集中に影響します。

2012年夜の東五反田二丁目の街路と沿道の建物
夜の東五反田二丁目、2012年。撮影:Hiroyuki Sato/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

写真は2012年夜の東五反田二丁目です。

有楽街中心部の全景でも、性風俗店を写した資料でもありません。

オフィス、住宅、飲食、宿泊が近い五反田東側の夜間景観を示しています。

東五反田二丁目全体を歓楽街として扱わないでください。

風俗営業と性風俗関連特殊営業の違い

法律上の風俗営業ふうぞくえいぎょうは、都道府県公安委員会の許可を受ける営業です。

接待飲食、低照度飲食、パチンコ・麻雀、ゲームセンターなどが含まれます。

性風俗関連特殊営業せいふうぞくかんれんとくしゅえいぎょうは、類型に応じて公安委員会への届出を基本とします。

ただし、「届出を出せばどこでも自由に営業できる」という意味ではありません。

営業禁止区域。

用途地域。

学校・病院・図書館等からの距離。

建物設備。

広告・宣伝。

営業時間。

従業者確認。

客引き規制。

複数の規制があります。

一般の風俗営業と性風俗関連特殊営業を混同すると、次の誤解が生まれます。

「パチンコ店は性風俗店である」

「接待飲食店はすべて性的サービスを提供する」

「性風俗営業は警察の許可を取ればどこでも開店できる」

「届出営業は違法である」

いずれも正確ではありません。

法規制は集積をどう固定・変化させるか

東京都条例は、風俗営業・性風俗関連特殊営業の立地を制限しています。

住宅地域や学校・病院等の周辺では、営業できない類型があります。

店舗型性風俗特殊営業の一部は、新規営業できる地域が極めて限定されています。

この規制は、都市に二つの作用を与えます。

第一に、新しい営業が無制限に住宅地へ広がることを防ぎます。

第二に、以前から商業地域へ集まっていた営業を、特定地域に集中させやすくします。

ただし、ここから「古い店には永久営業権がある」と結論づけないでください。

建て替え。

移転。

廃業。

営業者変更。

届出・許可の失効。

法改正。

用途地域変更。

施設の新設。

個別条件によって営業継続は変わります。

五反田の現在の集積は、歴史的な人流と商業地に、現代の規制が重なった結果と考えるのが適切です。

これは、公式資料を組み合わせた都市史上の分析です。

特定店舗の法的地位を断定するものではありません。

合法営業と違法営業は同じではない

品川区は、五反田駅周辺を都内有数の歓楽街と説明し、警察、町会、商店、ホテル旅館業、料飲業などと環境浄化活動を行っています

活動で問題とされるのは、違法営業、悪質な客引き、暴力団、ぼったくり、路上の迷惑行為、違法広告などです。

合法に許可・届出を行う飲食店、ホテル、性風俗関連特殊営業を、すべて犯罪組織と同一視してはいけません。

一方、届出・許可があることを理由に、すべての営業行為が適法とは限りません。

客引き。

料金表示。

従業者の年齢確認。

広告。

営業時間。

営業区域。

各規制への違反は別に判断されます。

記事では、次の対立をつくらないでください。

「風俗店はすべて地域の害」

「歓楽街の店はすべて文化」

「環境浄化は合法店を排除する運動」

「規制は夜の街を守る既得権」

法制度、地域生活、営業の自由、安全を分けて扱ってください。

東口歓楽街と高台住宅地は別の街

五反田駅東口から東へ歩くと、地形が上がります。

池田山、島津山、花房山などの高台には、住宅、学校、寺社、外国公館等が立地します。

駅東口の低地・幹線道路沿いにある歓楽街と、高台の住宅地は、近接していても土地利用が異なります。

五反田全域を「風俗街」と説明すると、高台住宅地、東五反田二丁目の住宅・オフィス、医療・教育施設を消してしまいます。

駅から数分で街の性格が変わることが、五反田の特徴です。

池田山・花房山など上大崎の高台を歩いた記事では、駅前低地とは異なる住宅地の地形を現地でたどっています。

西口・大崎広小路も同じ歓楽街ではない

五反田駅西口には、西五反田一丁目の飲食・業務地があります。

目黒川。

桜田通り。

大崎広小路。

池上線高架。

オフィス。

飲食店。

ホテル。

住宅。

東口と同じく夜間営業はありますが、歴史・商店会・街区は同一ではありません。

大崎広小路は、池上電気鉄道が五反田へ延伸する前の終点でした。

西側の工業・業務地、戸越・大崎方面の交通と結びつきます。

「五反田有楽街」を西口全域の名称として使わないでください。

有楽街は、主に東五反田一丁目の商店会・歓楽街を指します。

オフィス・スタートアップ街と夜の街

現在の五反田・大崎周辺には、IT企業、スタートアップ、オフィス、再開発ビルが集まります。

「五反田バレー」と呼ばれる企業コミュニティも知られています。

しかし、スタートアップが歓楽街を新しくつくったわけではありません。

既存の駅前飲食・宿泊・雑居ビルへ、新しい業務人口が加わりました。

会社員の会食。

イベント後の飲食。

出張宿泊。

昼のランチ。

コワーキング。

住宅需要。

夜の街と新しい業務地は、同じ駅を使いながら異なる時間帯・目的を持ちます。

「IT企業と風俗店が共存するカオスな街」と面白おかしく描かないでください。

都市の用途混在として説明してください。

再開発で街はどう変わったのか

東五反田二丁目、大崎駅周辺、西五反田では、工場跡・事業所跡を含む再開発が進みました。

高層住宅。

オフィス。

広場。

歩行者空間。

目黒川沿いの親水空間。

商業施設。

2010年には、東五反田二丁目の再開発地区に五反田ふれあい水辺広場が整備されました

再開発は、工場・倉庫・小規模建物を大型街区へ変えます。

防災、歩行者環境、住宅・オフィス供給に効果があります。

一方、賃料・店舗面積・建物管理が変わると、小規模飲食、旅館、夜間営業が移転・廃業する可能性があります。

再開発を「風俗街の浄化」と表現しないでください。

性風俗営業だけでなく、住宅、工場、商店、オフィス、公共空間を含む都市更新です。

大崎・西品川の工場跡と再開発を歩いた記事では、工業地から業務・住宅地への変化を現地で紹介しています。

環境浄化は何を目指しているのか

五反田有楽街周辺では、品川区、警察、町会、商店会、ホテル旅館業、料飲業などが環境浄化活動を行ってきました。

目的は、地域全体を無人の明るい街へ変えることではありません。

違法営業。

悪質な客引き。

暴力団。

ぼったくり。

路上ごみ。

違法看板。

通行妨害。

これらを減らし、住民、働く人、来街者が安全に利用できる環境をつくることです。

歓楽街には、夜間経済と同時に、騒音、治安、交通、ごみ、住民生活との摩擦があります。

環境浄化を成功・失敗の一言で評価せず、合法営業、地域経済、安全、居住環境の調整として扱ってください。

古地図と空中写真で見る五反田

五反田ごたんだの歴史を地図で見るときは、時代を分けてください。

明治期

目黒川、農地、村道、高台の屋敷地、工場の初期立地を確認します。

現在の駅前歓楽街をさかのぼって描かないでください。

1911~1928年

五反田駅開業後の宅地化、工場、駅前商業を見ます。

1928~1930年代

池上線、駅ビル、白木屋、花街、旅館、目黒川沿い工業を比較します。

花街の正確な境界は、三業名鑑・住宅地図等がなければ推測で塗らないでください。

1945年前後

戦災焼失区域、駅前の空地、仮設店舗を確認します。

闇市の境界と店舗数を、空中写真だけで断定しないでください。

1950~60年代

有楽街、映画館、飲食店、旅館、地下鉄工事、工場・住宅を確認します。

1963年空中写真だけで施設用途を決めないでください。

現在

東口有楽街、西口業務・飲食地、東五反田二丁目の再開発、高台住宅地、目黒川を比較します。

古地図・空中写真と現在地を重ねて読む方法を使うと、五反田の低地・高台・街路の変化を比較しやすくなります。

地図で歩く五反田

現役の店、ホテル、住宅、利用者に配慮した散歩にしてください。

1.五反田駅

1911年開業です。

現在の駅舎を開業時の建物と説明しないでください。

2.池上線五反田駅

1928年に大崎広小路から延伸しました。

高架上の駅と山手線の接続を確認します。

3.五反田有楽街

東五反田一丁目の飲食・歓楽街です。

個別店舗の営業種別を外観だけで断定しないでください。

4.品川区立五反田公園周辺

駅東側の街路、高台への上り、歓楽街と住宅地の境界を見ます。

5.東五反田二丁目

オフィス、住宅、再開発、目黒川が近接します。

街区全体を風俗街として扱わないでください。

6.目黒川・五反田ふれあい水辺広場

工業地から業務・住宅・公共空間へ変化した川沿いを確認します。

7.大崎広小路

池上線の旧終点と西口商業地を見ます。

8.西五反田一丁目

飲食、業務、宿泊が混在します。

東口有楽街と同じ商店街として扱わないでください。

9.池田山・上大崎方面

高台住宅地と駅前低地の違いを確認します。

高輪・品川から五反田まで歩いたナイトウォークと、東京の歴史散歩コース集も参考になります。

歩くときの注意点

五反田は、風俗店見学のテーマパークではありません。

住民、会社員、店員、ホテル従業員、利用者が暮らし、働く現役の街です。

  • 個別店舗を外観だけで性風俗店・違法営業と断定しない
  • 店舗入口、客、従業員、ホテル利用者を無断撮影しない
  • 客引きや酔客を「五反田らしい被写体」として撮影しない
  • ホテルの料金、休憩、利用方法、客室設備を記事へ追加しない
  • 性的サービスの内容・利用方法を案内しない
  • 芸妓を娼妓と決めつけない
  • 花街の女性労働を男性客の武勇伝として消費しない
  • 闇市の露店主を犯罪者として一括しない
  • 現在の店を花街・闇市・旅館の直接後継と断定しない
  • 住宅地で大声、路上飲酒、長時間の撮影をしない
  • 目黒川沿いの私有地・ビル敷地へ無断で入らない
  • 店内撮影は必ず許可を取る
  • 飲酒後に自動車、自転車、電動キックボードを運転しない
  • 違法な客引き・ぼったくり等の被害時は警察・公的窓口へ相談する
  • 現在の営業状況は公式情報・届出情報なしに推測しない

夜に歩かなくても、駅、池上線、目黒川、工業史、空中写真、再開発を楽しめます。

よくある疑問

五反田は東京で風俗店が最も多い街ですか?

同じ基準で全地域の現在店舗数を比較した公的ランキングは確認できません。

「風俗店」が接待飲食、店舗型性風俗、無店舗型営業、ホテルのどれを指すかでも数字が変わります。

順位は断定しません。

法律上の風俗営業は性風俗店のことですか?

同じではありません。

風俗営業には、接待飲食、パチンコ、麻雀、ゲームセンター等が含まれます。

性的サービスに関係する営業は、性風俗関連特殊営業として別に分類されます。

五反田は昔から遊郭だったのですか?

五反田には花街がありましたが、公許遊郭と同じ制度ではありません。

芸妓、料亭、待合を中心とする花街と、娼妓・貸座敷を中心とする遊郭を区別してください。

五反田花街はいつ始まりましたか?

地域史資料では1921年頃に芸妓置屋が移り、1925年に三業地として指定されたとされます。

1929年の『全国花街めぐり』に五反田章があります。

成立は段階的で、一つの開業日へ固定しません。

花街が現在の風俗街になったのですか?

直接の一本道とは確認できません。

花街の建物・営業は、飲食、住宅、事務所、旅館、建て替えなど複数の変化をたどりました。

個別建物の転換には史料確認が必要です。

五反田の闇市が有楽街になったのですか?

戦後の闇市・仮設商業は有楽街形成の背景です。

1954年には有楽街入口の写真が確認できます。

ただし、闇市の露店が同じ建物・経営者のまま現在へ続いたとはいえません。

連れ込み旅館とは何ですか?

1950年代を中心に、二人連れの休憩・宿泊を広告した旅館を指す歴史研究上の言葉です。

現在のホテルや性風俗店へ、そのまま同じ呼称を使わないでください。

五反田には連れ込み旅館が7軒あったのですか?

1953~57年の新聞広告を集めた研究データの現行集計では7軒です。

広告掲載施設の集計であり、当時の全旅館を示す公的統計ではありません。

なぜ東口に集中したのですか?

駅への近さ、花街・戦後飲食・旅館の歴史、小区画・雑居ビル、オフィス需要、商業地域、法規制が重なったためです。

一つの原因だけでは説明できません。

性風俗営業はすべて違法ですか?

違います。

法令上の届出、営業区域、広告、営業時間等の規制に従う営業があります。

違法営業、悪質な客引き、暴力団、ぼったくりと合法営業を区別する必要があります。

届出を出せば五反田のどこでも営業できますか?

できません。

営業類型ごとに禁止地域、用途地域、学校・病院等からの距離、建物条件などの規制があります。

五反田全体が歓楽街ですか?

違います。

有楽街は東五反田一丁目の一部です。

高台住宅地、東五反田二丁目の住宅・オフィス、西口業務地、目黒川沿いなど、街の性格は異なります。

再開発で風俗街はなくなりますか?

計画区域、建て替え、賃貸、営業許可・届出、法規制によって異なります。

完全に消える、必ず残るとは断定できません。

安全と住環境、夜間経済、小規模商業をどう調整するかが課題です。

まとめ―五反田は一つの夜の街ではない

五反田ごたんだが歓楽街・風俗街として知られるようになった理由は、一つではありません。

1911年、山手線の五反田駅が開業しました。

1928年、池上線が五反田へ到達しました。

1968年、地下鉄が加わります。

都心、城南、東急沿線から人が集まる駅になりました。

目黒川沿いには工場、倉庫、事業所が集まりました。

会社員。

工場勤務者。

商人。

出張者。

取引先。

多様な人が駅前で食事をし、会食し、宿泊しました。

大正末から昭和初期には、花街が形成されました。

芸妓。

料亭。

待合。

置屋。

料理人。

職人。

宴席を支える仕事が集まりました。

しかし、花街は遊郭でも、現在の性風俗営業でもありません。

1945年、空襲と敗戦が街を壊しました。

焼け跡にバラックと闇市が生まれます。

露店。

飲食。

映画館。

旅館。

商店。

戦後商業が再編され、1950年代には有楽街という名称が確認できます。

同じ時代、二人連れの休憩利用を広告する旅館もありました。

研究データでは、1953~57年の広告に五反田7軒が確認されます。

しかし、これは公的な全数統計ではありません。

連れ込み旅館は、待合でも、現在のラブホテルでもありません。

その後、接待飲食、ホテル、性風俗関連特殊営業など、異なる夜間営業が駅東口へ集まりました。

ここで重要なのが法規制です。

現在、法律上の風俗営業と性風俗関連特殊営業は別の分類です。

営業できる地域、建物、距離、営業時間、広告は規制されます。

歴史的に商業・歓楽機能が集まった街へ、現代の規制が重なります。

その結果、営業は無制限に広がるのではなく、特定の商業地域へ集中しやすくなります。

ただし、合法営業と違法営業は同じではありません。

環境浄化活動は、違法営業、悪質な客引き、暴力団、ぼったくり、迷惑行為を減らすことを目指します。

現在の五反田は、夜の街だけではありません。

オフィス。

スタートアップ。

高層住宅。

高台の住宅地。

目黒川の広場。

学校。

病院。

商店。

鉄道。

異なる都市機能が、駅の周囲へ重なっています。

五反田に風俗店が多いと感じられるのは、街全体が性風俗のためにつくられたからではありません。

鉄道、工業、花街、戦災、闇市、旅館、飲食、法規制が、同じ駅前に別々の時代の夜間需要を積み重ねたからです。

五反田を理解するには、看板の数だけを数えるのでは足りません。

駅の高架。

池上線。

目黒川。

1936年の駅前写真。

1963年の空中写真。

有楽街の商店会。

高台へ上る坂。

再開発された水辺。

それらを見ると、五反田が一つの風俗街ではなく、働く街、泊まる街、飲む街、暮らす街が重なった都市であることが分かります。

参考文献・資料

  1. 警視庁「風俗営業等の業種一覧
  2. 警視庁「性風俗関連特殊営業等の届出
  3. 東京都「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律施行条例
  4. 東京都「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律施行細則
  5. 東京都「性風俗営業等に係る不当な勧誘、料金の取立て等及び性関連禁止営業への場所の提供の規制に関する条例
  6. 品川区「五反田駅周辺環境浄化対策協議会・環境浄化パレード
  7. 品川区「五反田地区の環境浄化・防犯カメラ設置
  8. 品川区「五反田駅周辺を安全・安心なまちへ
  9. 品川区「有楽会綜合組合
  10. 五反田商店街振興組合「五反田の歴史
  11. 品川区「五反田有楽街入口(昭和29年)
  12. 品川区「五反田駅東口(昭和34年)
  13. JR東日本「五反田駅
  14. 東急電鉄「池上線の歴史
  15. 東急「東急100年史―池上電気鉄道と五反田延伸
  16. 東京都交通局「地下鉄のあゆみ
  17. 東京都交通局「五反田駅
  18. 品川区「しながわのチカラ―近代工業の発展
  19. 品川区立品川歴史館「図録・大崎・五反田地域の工業史
  20. 品川区「しながわの交通史
  21. 国立国会図書館「松川二郎『全国花街めぐり』
  22. 古今東西舎「五反田花街
  23. 三橋順子「1950年代東京の『連れ込み旅館』について
  24. 三橋順子「東京『連れ込み旅館』広告データベース(1953~1957年)
  25. 品川区「五反田ふれあい水辺広場が完成
  26. Wikimedia Commons「五反田有楽街
  27. Wikimedia Commons「Gotanda Station, 1936-11
  28. Wikimedia Commons「Gotanda Station.19630626
  29. Wikimedia Commons「Meguro river in Gotanda
  30. Wikimedia Commons「2 Chome Higashigotanda, Shinagawa-ku, Tokyo