錦糸町はなぜ東京東部最大の歓楽街になったのか|鉄道・工場・楽天地・闇市・キャバレーの歴史

2008年の錦糸町駅南口と駅前の街並み

錦糸町きんしちょうは、鉄道、工業、娯楽、戦後復興、高度成長期の夜間消費が重なって発展した、東京東部を代表する駅前繁華街です。

この記事で分かること

  • 錦糸町がどのような場所に生まれたか
  • 本所駅から錦糸町駅へ至る鉄道史
  • 本所・城東工業地帯と歓楽街形成の関係
  • 楽天地が果たした役割
  • 戦後闇市と現在の歓楽街の違い
  • キャバレー文化が膨らんだ背景
  • ホテル街、飲食街、歓楽街の違い
  • 再開発と現在の錦糸町の変化
  • 錦糸町を歩くときの見どころと注意点

まず結論―錦糸町は「東東京の駅前娯楽都市」として育った

錦糸町きんしちょうの歓楽街化には、次の五つの層が重なっています。

  1. 鉄道の層
    総武線の駅として人を集め、東東京と千葉方面を結ぶ重要な拠点になりました。


  2. 工業と労働の層
    周辺の本所ほんじょ城東じょうとう地域は、工場と職工の街として発展しました。仕事帰りの飲食や娯楽の需要が、駅前を支えました。


  3. 娯楽施設の層
    楽天地、映画館、劇場、飲食店が、錦糸町を「遊びに行く街」に変えていきました。


  4. 戦後復興の層
    戦災後の駅前市場、露店、小商いが、駅前の雑多な商業を厚くしました。


  5. 高度成長と夜間消費の層
    所得上昇と夜の消費文化の中で、キャバレー、バー、スナック、クラブ、ホテルなどが集積しました。


鉄道で人が集まり、工業地帯に近く、東東京の娯楽需要を受け止めた結果、昼夜を通じて人が動く繁華街になりました。

錦糸町が生まれる前―低地と水路の東東京

現在の錦糸町きんしちょう駅周辺は、東京東部の低地にあります。

隅田川の東側には本所や深川の町が広がり、近世には水路と物流、職人の町として発展しました。

低地では、運河や堀が物流を支える一方、土地利用を形づくる制約にもなりました。

近代に鉄道が通り、工業化と人口増加が進むと、この地域は東東京の重要な拠点へ変わりました。

本所駅として始まった―鉄道が街の性格を変えた

錦糸町きんしちょう駅の始まりは、総武鉄道そうぶてつどうの本所駅です。

現在の錦糸町駅は、当初は本所駅として開かれ、その後、錦糸町駅へ改称されました。

駅ができると、人と物が集中します。

  • 通勤客が集まる
  • 工場へ通う人が増える
  • 駅前に商店が生まれる
  • 宿泊、飲食、娯楽が必要になる
  • 周辺の土地の価値と使い方が変わる

錦糸町は東東京と千葉方面を結ぶ交通拠点となり、駅前商業と繁華街が育つ土台を早くから持ちました。

本所・城東工業地帯が夜の需要を支えた

本所ほんじょから城東じょうとうにかけての地域は、近代以降、工場と労働者の街として発展しました。

東京東部には大小の工場、倉庫、関連商業が集まり、職工や通勤者が多く暮らしました。

1930年の本所・江東橋工場地帯と高架の錦糸町駅
本所・江東橋付近の工場地帯と錦糸町駅、1930年。『大東京写真帖』/Wikimedia Commons/Public Domain。

仕事帰りの食事や飲酒、同僚との娯楽、映画鑑賞、宿泊といった需要が、飲食店、居酒屋、バー、キャバレー、ホテル、映画館を支えました。

楽天地が「遊びに行く錦糸町」を作った

錦糸町の娯楽拠点を代表したのが、楽天地らくてんちです。

楽天地は、「錦糸町に行けば遊べる」というイメージを長く支えました。

1937年の江東楽天地に開館した江東劇場
江東楽天地の江東劇場、1937年。江東楽天地/『江東楽天地二十年史』/Wikimedia Commons/Public Domain。

映画館、劇場、娯楽施設、飲食店が集まり、駅前の人の流れを受け止めました。

映画、買い物、食事を目的に、家族連れ、若者、会社員、カップルが訪れました。

幅広い娯楽需要が、夜の飲食や社交の店も支えました。

2009年の錦糸町楽天地ビル外観
錦糸町楽天地ビル、2009年。撮影:Kamemaru2000/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

戦後、駅前に市場と小商いが集まった

戦災後、東京の駅前には各地で市場や露店が生まれました。

錦糸町でも、駅前の商業は戦後復興期に厚みを増しました。

闇市や露店市場は、戦災、物資不足、配給不足、住宅不足、復員・引揚げ、仕事探しのなかで生まれた非常時の商業でした。

その後、整理、移転、再編、建て替えが進み、現在の飲食街や歓楽街は別の形で成長しました。

  1. 戦後の錦糸町駅前には、人が集まり、小商いが育つ土壌があった
  2. その雑多な商業性が、戦後の復興を通して駅前に残った
  3. 後の飲食街・歓楽街・ホテル街は、その立地条件を引き継ぎながら別の形で成長した

新宿・上野・池袋・渋谷などの戦後闇市については、「写真と資料で歩く戦後東京の闇市」でも比較しています。

高度経済成長がキャバレー文化を膨らませた

戦後復興が進み、高度経済成長に入ると、人々の所得と消費の仕方が変わりました。

錦糸町では、映画館や商業施設に加え、夜の社交と娯楽の店が増えていきます。

  • キャバレー
  • バー
  • スナック
  • クラブ
  • 居酒屋
  • レストラン
  • ホテル

キャバレー文化は、会社員や団体客、接待、宴会、ショー消費と結びつき、夜の大衆消費を支えました。

都心まで出なくても東側で遊べる大規模な夜の消費拠点として、錦糸町がその役割を担いました。

錦糸町はホテル街なのか、歓楽街なのか

錦糸町には宿泊施設がありますが、鶯谷のようなホテル街とは成り立ちが異なります。

街の中心は、駅前商業、飲食、娯楽、夜間消費が重なる歓楽街で、ホテルはその一部を担います。

つまり、

  • ホテルが街の中心的起源なのか
  • 飲食・娯楽が先に厚くあったのか
  • 旅館街から転化したのか
  • 鉄道駅前の繁華街の一部として宿泊が入ったのか

を区別しなければなりません。

錦糸町では、駅前繁華街の中に宿泊機能が組み込まれています。

南口はなぜ夜の顔になったのか

現在の錦糸町で「夜の街」の印象が強いのは南口側です。

駅前の商業施設、楽天地、飲食街、映画館、娯楽施設が近く、夜まで人が動く動線が生まれました。比較的小さな区画と雑居ビルも、飲食・社交・サービス業の集積を受け止めました。

駅周辺には、夜間商業に加えて次の機能が混在しています。

  • 大型商業施設
  • オフィス
  • 住宅
  • 公園
  • 学校
  • 宿泊施設
  • 飲食街

錦糸町は、昼夜を通じて人が動く東東京の生活拠点でもあります。

東京東部最大の歓楽街とはどういう意味か

「東京東部最大の歓楽街」は、単一の公的統計による厳密な順位ではなく、城東エリアにおける夜間商業の厚みと広域集客力を表す言葉です。具体的には、次の特徴が重なっています。

  • 城東エリアの中で、夜間商業の厚みが大きい
  • 駅前に飲食、娯楽、宿泊、ナイトレジャーが集積している
  • 昼夜の人流が多く、広域から利用者を集める
  • 東東京の副都心としての性格を持つ

再開発は錦糸町の夜の街をどう変えたか

駅前の再整備、商業施設の更新、周辺地域の再編を通じて、街の構成は変わってきました。

2010年のオリナス錦糸町の建物
オリナス錦糸町、2010年。撮影:Sasasasawnaunda/Wikimedia Commons/Public Domain。

再開発後も歓楽街は残り、古い飲食街、大型商業施設、ホテル、住宅が共存する構成へ変化しています。

  • 古い飲食街が残る
  • 大型商業施設が更新される
  • ホテルやサービス業が残る
  • 住民の生活環境への配慮が求められる
  • 客引きや騒音、防災、歩行者安全が課題になる

地図で歩く錦糸町

1.錦糸町駅

東東京の交通結節点である駅から、街の広がりを確認します。

2.南口駅前

駅前広場と通りのつながりから、飲食、娯楽、商業が重なる人の流れを確認します。

3.楽天地周辺

映画や娯楽施設が、錦糸町を「遊びに行く街」にした跡をたどります。

4.周辺の飲食街

小規模な区画や雑居ビルの集積が、夜間商業を支える様子を確認します。

5.北口・周辺商業地

日常生活と商業の拠点としての側面を確認します。

街を歩くときに大切な視点

錦糸町は、働く人と住む人の日常が続く現役の街です。

  • 店舗利用者や従業員のプライバシーへの配慮
  • ホテルや営業中店舗の入口をのぞき込まない距離感
  • 酔客や客引きを見世物にしない視点
  • 女性、外国人、夜間労働者をひとまとめにしない姿勢
  • 現在営業中の店を料金や遊び方のランキングで扱わない編集方針
  • 防災、歩行者安全、住環境への目配り
  • 再開発を単純な「街の消滅」として煽らない見方

よくある疑問

錦糸町は昔から歓楽街だったのですか?

近世以来の遊郭の街ではなく、鉄道、工業化、駅前商業、娯楽施設、戦後復興、高度成長を通じて歓楽街化しました。

錦糸町の歓楽街は闇市の名残ですか?

戦後復興期の市場や小商いは背景の一つですが、整理、再編、建て替えを経て別の形で成長しています。

錦糸町はホテル街なのですか?

宿泊施設はありますが、街の中心的な性格は駅前繁華街です。 鶯谷のようなホテル街とは成り立ちが異なります。

なぜ南口の夜の印象が強いのですか?

駅前商業、楽天地、映画館、飲食街、雑居ビルの集積などが重なり、夜まで人が動く導線が強くなったためです。

「東京東部最大の歓楽街」は本当ですか?

指標によるため断言はできませんが、そのようなイメージを持つ人も多いと考えられます。

まとめ―錦糸町は東東京の「夜の副都心」だった

錦糸町きんしちょうは、本所駅として始まった鉄道拠点、本所ほんじょ城東じょうとう工業地帯の労働需要、楽天地らくてんちの娯楽施設、戦後の駅前商業、高度成長期の夜間消費が重なって発展しました。

現在も、昼の商業、住宅、通勤、娯楽、宿泊、再開発が重なる複合的な駅前都市です。

参考資料

  1. 墨田区「すみだの産業(特長・歴史)」
  2. 墨田区「墨田区の通史年表」
  3. 墨田区都市計画マスタープラン 地域別構想
  4. 株式会社東京楽天地「沿革」
  5. 国立国会図書館サーチ『江東楽天地二十年史』
  6. 国立国会図書館サーチ『東京楽天地80年史 1937-2017』