カリフォルニアのポテト王・ジョージ・シマ|差別の時代に農業で成功した日本人移民

ジョージ・シマとカリフォルニア農業、ポテト王と日系移民史を描いた歴史解説アイキャッチ

アメリカ・カリフォルニアで「Potato King(ポテト王)」と呼ばれた日本人移民がいました。ジョージ・シマ、日本名は牛島謹爾です。

1889年に渡米したシマは、家事使用人や農業労働者、木こりを経て、自ら土地を借りて農業を始めました。湿地の水を管理し、ジャガイモの栽培、選別、包装、輸送までを組み合わせた大規模経営を築きました。

その一方で、カリフォルニアでは排日運動と土地所有制限が強まりました。シマは農業経営者として成功し、日本人会の代表として土地法の強化に反対しました。

30秒で分かる結論

  • ジョージ・シマは、福岡県久留米に生まれた日本人移民で、日本名は牛島謹爾です。
  • 1889年に渡米し、使用人や農業労働者から小作農、農業経営者へ進みました。
  • 湿地の排水と水位管理、ジャガイモの品質管理、独自ブランド、船による輸送を組み合わせました。
  • 1913年までに経営規模を2万8,000エーカー以上へ広げたとNational Park Serviceは紹介しています。
  • 1909年には日本人会の初代会長となり、1920年には外国人土地法の強化案に反対する文書を発表しました。

ジョージ・シマとは何者か

ジョージ・シマの日本名は牛島謹爾で、福岡県久留米に生まれました。漢学や詩を学び、英語の習得を志して1889年にアメリカへ渡ったと伝わります。

渡米後はサンフランシスコで家事使用人として働き、その後、サクラメント=サンホアキン・デルタへ移りました。National Park Serviceの労働史研究は、ホップ農場とジャガイモ農場の労働者、木こりを経験し、やがて分益小作農となった経歴を紹介しています。最初のジャガイモは、ニュー・ホープの桃園の一角に植えました。

当時の日系移民農業では、農業労働者から分益小作、現金借地、小規模な土地所有へ進む「農業の階段」がありました。シマの歩みもこの経路に重なりますが、土地改良、販売、輸送まで事業を広げた点で規模が異なりました。

なぜ「ポテト王」と呼ばれたのか

要素 内容
作物 ジャガイモを中心に大規模栽培
地域 サクラメント=サンホアキン・デルタ
経営 土地利用、労働力、販売を組み合わせて成長
呼称 英語圏で「Potato King」と呼ばれた
評価 日系移民の農業成功者として記憶される

デルタ地帯には泥炭質の湿地が広がり、洪水や蚊、水位の変化が農業を難しくしていました。シマは当初、豆や米を試しましたが収穫が安定せず、ジャガイモへ切り替えました。堤防、排水路、ポンプで水位を調整し、洪水が残す沈泥と植物の残渣を土づくりに利用しました。

米西戦争期のジャガイモ価格上昇も事業の追い風となりました。National Park Serviceの解説では、経営面積は1913年までに2万8,000エーカー以上へ拡大しています。面積の数字には借地や経営地を含むため、「所有地だけの広さ」とは区別が必要です。

シマは収穫量に加えて、出荷方法も変えました。Online Archive of Californiaの資料案内によると、出荷前にジャガイモを洗浄・等級分けし、品質の高いものを選んで赤い袋へ詰め、「Shima Fancy」の商標で販売しました。National Park Serviceの労働史研究には「Quantity with Quality」という標語も記録されています。

輸送には自社のEmpire Navigation Companyを使いました。タグボート、艀、ランチを運航し、デルタの農場から周辺都市へ作物を運びました。1912年にはストックトンのStephens Brothersが、タグボート「GEORGE SHIMA」を建造しています。栽培から包装、輸送までを一体化した経営が、「ポテト王」と呼ばれる規模を支えました。

差別の時代に生きる

シマが活躍した時期のカリフォルニアでは、日本人移民が農業労働から借地経営や土地所有へ進むにつれ、経済的競争への反発と排日運動が強まりました。連邦の帰化制度はアジア系移民を市民権取得の対象から外し、州法は「市民権取得資格のない外国人」という表現で土地利用を制限しました。

1913年のカリフォルニア外国人土地法は、対象となる移民の農地所有と長期賃借を制限しました。家族や地域社会は法人、白人の仲介者、アメリカ生まれの子どもの名義などを利用して対応しましたが、1920年の改正は短期賃借や法人を使った土地取得にも規制を広げました。

シマは1909年に日本人会の初代会長となり、移民社会の代表として土地法に反対しました。1920年には『An Appeal to Justice: The Injustice of the Proposed Initiative Measure』をストックトンで刊行しています。

この文書は、土地所有と農地賃借の全面禁止、アメリカ生まれの子どもが土地を持つ際の親の後見制限、農地所有法人への出資禁止、一定条件での土地没収を法案の要点として挙げました。シマは法技術の問題に加え、公正と平等の問題として反対を訴え、すでにカリフォルニアで暮らす日本人と、そのアメリカ市民である子どもたちの将来を論じました。

長沢鼎との比較

同じカリフォルニアの日系農業史には、ワイン産業で知られる長沢鼎がいます。長沢は薩摩藩英国留学生として海を渡り、ワイン産業に進みました。シマは移民労働から農業経営へ進みました。

人物 地域 呼称 主な分野
長沢鼎 カリフォルニア 葡萄王 ワイン・ブドウ園経営
ジョージ・シマ カリフォルニア ポテト王 ジャガイモ農業・デルタ農業

長沢は留学生として出国し、宗教共同体とブドウ園経営を基盤に事業を築きました。シマは賃金労働と小作を出発点とし、湿地改良、商品化、河川輸送を組み合わせました。二人の経歴の違いは、19世紀後半から20世紀初頭に海外へ渡った日本人の経路が多様だったことを示します。

光と影:成功物語の限界

National Park Serviceは、シマを最初の日本人系アメリカ人ミリオネアとして紹介しています。ただし、彼の農場は多数の労働者と移民ネットワークに支えられた大規模事業でした。

1914年に日本の撮影隊が記録した農場映像には、袋詰めしたジャガイモを艀へ積む作業、曳船が艀を引く様子、インド系労働者を含む農場労働が残っています。大規模生産には、収穫、選別、袋詰め、荷役、船舶輸送を担う人々が必要でした。

同時代の多くの日系移民は、低賃金の季節労働から土地取得を目指しましたが、人種差別と土地法がその経路を狭めました。シマの成功は日系移民農業の可能性を示す一方、法制度が成功者にも労働者にも異なる形で作用した事例です。

現在どのように語り継がれているのか

Online Archive of Californiaには、1912年から1926年までの写真・映像コレクションの目録があります。写真にはタグボート「GEORGE SHIMA」と艀「KONGO」、映像には農場作業、船による輸送、バークレーのシマ家が記録されています。

シマと妻シメコには、娘タエと息子トーゴ、リンジがいました。コレクションは息子リンジから国立公園局の関連機関へ寄贈されました。家族の映像は、農業経営者としての記録に、家庭生活と次世代の姿を加えています。

シマは1926年に亡くなりました。ストックトンのサンホアキン・デルタ・カレッジには、農業や自然資源などを学ぶ施設としてシマ・センターが設けられています。久留米市も所蔵写真を通じて、牛島謹爾の生涯を紹介しています。

よくある誤解

ジョージ・シマはアメリカで何の苦労もなく成功したのですか?

家事使用人、農場労働者、木こり、小作を経て経営者となりました。初期の作物選択では失敗し、洪水や水管理にも対応しています。事業拡大後は排日運動と外国人土地法の制約を受けました。

「ポテト王」とは公式称号ですか?

ジャガイモ農業の規模と知名度を表す通称です。1900年代には新聞や地域社会で使われ、National Park Serviceや公文書館の資料案内にも受け継がれています。

長沢鼎と同じタイプの人物ですか?

二人はカリフォルニアで農業関連事業を築きましたが、渡航の経緯と産業分野が異なります。長沢は留学生からワイン産業へ進み、シマは移民労働からジャガイモ農業と河川輸送へ事業を広げました。

まとめ

ジョージ・シマは、移民労働から小作、農業経営へ進み、湿地の水管理、品質選別、商標、船舶輸送を組み合わせてジャガイモ事業を拡大しました。日本人会の代表として外国人土地法の強化にも反対し、農業史と日系移民史の両面に記録を残しました。

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参考文献

  1. National Park Service, Remembering the Potato King
  2. Online Archive of California, George Shima photograph and media collection
  3. Densho Encyclopedia, Alien land laws
  4. EBSCO Research Starters, George Shima
  5. National Park Service, Labor History in the United States: A National Historic Landmarks Theme Study
  6. George Shima, An Appeal to Justice: The Injustice of the Proposed Initiative Measure
  7. 久留米市「新収蔵資料紹介コーナー 写真の中の牛島謹爾」