スマートフォン一台で、文字を送り、声で話し、ニュースを読み、動画を見て、海外の人ともほぼ同時にやり取りできるようになりました。
しかし、この一台の背後には、電信、電話交換、公衆電話、船舶無線、ラジオ、テレビ、マイクロ波回線、通信衛星、海底ケーブル、光ファイバー、携帯電話、インターネットという、150年以上にわたる技術と制度の積み重ねがあります。
日本の通信史を一言で表すなら、社会が「距離」と「時間」を少しずつ克服してきた歴史です。この記事では、機器の年代を並べるだけでなく、なぜ電信が電話より先に普及したのか、交換手は何をしていたのか、通信と放送はどう違うのか、インターネットによって何が重なったのかを、時代の流れに沿って解説します。
30秒で分かる日本の通信史
- 電信は文字を単純な符号にして送れたため、声を連続的な信号として運ぶ電話より先に実用化されました。
- 日本の一般向け電話サービスは1890年12月16日、東京と横浜で始まりました。
- 公衆電話は1900年、新橋駅と上野駅に登場しました。
- ラジオ放送は1925年、テレビ本放送は1953年に始まりました。
- 1950年の電波三法を土台に、NHKと民間放送が並ぶ二元体制が形成されました。
- 1985年の通信自由化とNTT発足以後、事業者間競争と携帯電話の普及が進みました。
- インターネットは文字・声・映像を同じデジタル網で運び、通信と放送の境界を曖昧にしました。
年代表記について:東京・横浜間の電報取り扱い開始は旧暦1869年12月、新暦では1870年1月に当たります。記事の年表では、日本の公的年表で一般的に使われる1869年表記を採用し、新暦も併記します。アイキャッチの「インターネット 1990年代〜」は一般・商用普及期を示し、日本の研究ネットワークJUNETは1984年に始まりました。
通信・放送・インターネットの違い
文字を符号へ変えて送る
基本は一対一
声を電気信号へ変えて送る
基本は一対一
同じ音声・映像を公衆へ送る
一対多数
文字・声・映像をデータで送る
一対一・一対多数・多数対多数
有線は電線や光ファイバーという決まった道を使います。無線はアンテナから電波を空間へ飛ばします。ラジオと携帯電話はどちらも無線ですが、ラジオは同じ内容を広く一斉に届け、携帯電話は特定の端末との通信を行う点が違います。
アナログは声や映像を連続した信号の変化として表し、デジタルは情報を数値に置き換え、主に0と1の組み合わせで扱います。文字、音声、写真、動画をすべてデジタル化できるようになったことで、電話網、放送網、コンピューターネットワークが重なり始めました。
第1部 文字と声が距離を越えた―電信・電話・交換手・公衆電話
電信―文字が人より先に届いた
日本が電信機に本格的に出会ったのは幕末です。1854年、ペリー来航の際に電信機が幕府へ献上されました。明治政府は、行政、軍事、外交、鉄道、商業を支える基盤として電信網の整備を急ぎます。
1869年10月に東京・横浜間で電信線の工事が始まり、同年12月に電報の取り扱いを開始しました。現在の暦では1870年1月に当たります。1871年には外国との電報送受も始まり、日本は海底ケーブルを通じて世界の通信網へ入りました。[1]
電信は文字をモールス符号などの単純な信号へ置き換え、電気のオン・オフとして送ります。情報量が比較的少なく、信号が多少弱くなっても意味を読み取りやすい仕組みでした。局と局を先に結び、受け取った電報を人が配達すれば使えるため、最初から各家庭へ端末と回線を引く必要もありませんでした。
一方、電話は人の声の細かな振動を連続した信号として送り、遠距離でも聞き取れる品質を保つ必要があります。増幅、雑音対策、交換、料金計算など、電信より高度で大規模な設備が必要だったことが、電信より普及が遅れた理由です。
電話―1890年、東京と横浜でサービス開始
日本の一般向け電話サービスは、1890年12月16日に東京と横浜で始まりました。開始時の加入者は東京155、横浜42でした。電話交換局と電話所を合わせて16か所という出発でしたが、声がほぼ同時に遠方へ届く体験は画期的でした。[2]
電話機の送話器は声による膜の振動を電流の変化へ変えます。相手側の受話器は電流の変化を再び振動へ戻し、音として再現します。初期の電話は、声の波形を連続的に写し取るアナログ通信でした。
1899年には東京・大阪間の長距離電話が始まります。しかし電線は長くなるほど信号が弱くなり、雑音も入りやすくなります。全国どこへでもすぐつながるようになるには、増幅器、同軸ケーブル、マイクロ波回線、自動交換機などの整備を待たなければなりませんでした。
交換手と交換機は何をしていたのか
すべての電話機をすべての相手へ直接つなぐと、加入者が増えるほど必要な電線が急増します。そこで、各家庭や会社の回線を交換局へ集め、通話する間だけ相手の回線へ接続する「交換」が必要になりました。
初期の電話では、受話器を上げると交換手が応答し、利用者が相手の名前や番号を伝えました。交換手は交換台のジャックへコードを差し、相手側を呼び出し、通話が終わればコードを外します。番号案内、料金の記録、緊急通話、故障の判断なども重要な仕事でした。
交換手がコードを接続
ダイヤルで接点を選択
電子回路で制御
音声をデータとして転送
1922年に東京でストロージャー式自動交換機の試験が行われ、1926年には京橋局で本格的な自動交換が始まりました。ダイヤルを回すと、番号に応じて機械の接点が段階的に動き、相手の回線を選びます。
1900年、公衆電話が都市に登場
1900年9月、新橋駅と上野駅に、日本最初の公衆電話に当たる「自働電話」が設置されました。同年10月には京橋に電話ボックスが置かれます。当時は「自働」と呼ばれていても自動交換ではなく、硬貨を入れ、交換手へ接続を依頼する方式でした。1925年に名称が「公衆電話」へ改められました。[1]
家庭の電話が高価だった時代、公衆電話は駅、郵便局、商店、街角から仕事先や家族へ連絡できる公共的な窓口でした。赤電話、青電話、黄電話、カード式、デジタル公衆電話へ姿を変え、電話ボックスは都市景観の一部になります。
大規模災害では、安否確認の電話が一斉に増え、通信網の処理能力を超える「輻輳」が起きます。公衆電話は災害時優先電話として扱われるため、通話規制時にも比較的つながりやすい仕組みです。[3]
ただし、回線断や設備損傷があれば利用できず、停電時の利用可否も電話機や回線の種類によって異なります。避難所などの災害時用公衆電話は、施設管理者が電話機を回線へ接続して利用を開始する形もあります。2025年9月末時点で、NTT東日本管内では25,011か所、51,056台の設置が完了しています。[4]
第2部 電波が社会を同時につないだ―無線・ラジオ・テレビ
無線通信―電線を引けない海と空へ
有線通信は大容量で安定しやすい一方、通信する場所まで線を敷く必要があります。移動する船や航空機へ電線をつなぐことはできません。そこで重要になったのが、アンテナから電波を空間へ飛ばす無線通信です。
日本では1908年、銚子無線電信局と船舶との公衆無線電報が始まりました。遭難通信、航行情報、気象情報、港との連絡は、人命と物流を支えました。航空機の発達後は、空の通信にも無線が不可欠になります。
電波が一秒間に振動する回数を周波数といい、単位はヘルツです。ラジオ、テレビ、携帯電話、船舶、航空、警察、消防、衛星が同じ場所で勝手に同じ周波数を使えば混信します。そのため国が用途ごとに周波数を割り当て、無線局に免許を与えます。
1925年、ラジオ放送開始
1925年3月22日、東京放送局は芝浦の仮放送所からラジオの仮放送を開始しました。同年7月には愛宕山の本放送所から本放送が始まります。大阪、名古屋でも放送が始まり、1926年には各放送局をまとめる日本放送協会が成立しました。
電話が特定の相手を結ぶのに対し、放送は一つの送信所から受信機を持つ不特定多数へ同じ内容を届けます。受信者が増えても、一人ずつ専用回線を用意する必要がありません。ニュース、天気予報、教育、音楽、スポーツ実況が、地域の異なる人々に共通の時間をつくりました。
一方、少数の送信設備から広範囲へ情報を届ける放送は、国家が情報を一方向に管理する手段にもなり得ます。戦時下では新聞、通信、放送の統制が強まりました。この経験は戦後、放送の公共性、表現の自由、政治的公平、番組編集の自律をどう守るかという課題につながります。
1950年の電波三法と公共放送・民放
1950年、電波法、放送法、電波監理委員会設置法からなる「電波三法」が成立しました。電波を公平かつ効率的に利用するためのルールが整えられ、戦後の放送制度も再設計されます。
日本放送協会は放送法に基づく公共放送となり、受信料を財源の柱として全国放送を担いました。一方、民間企業が広告などを財源に番組を提供する民間放送も認められます。1951年9月1日には中部日本放送と新日本放送が民間ラジオ放送を開始しました。
NHKと民放が並ぶ「二元体制」は、全国的な公共サービスと、複数事業者による競争・表現の多様性を両立させようとする仕組みです。[5]
テレビ―1926年の実験から1953年の本放送へ
テレビの歴史では、「実験」と「本放送」を区別する必要があります。1926年、高柳健次郎の研究グループはブラウン管に「イ」の文字を映す実験に成功しました。戦前からテレビ研究は進められていましたが、一般向けの本放送は戦後です。[6]
NHKは1953年2月1日に東京でテレビ本放送を開始しました。同年8月28日には日本テレビが民間テレビ放送を始めます。街頭テレビには人々が集まり、スポーツや重大行事が大勢の共通体験になりました。
テレビは音だけのラジオより扱う情報量が多く、映像を送るために広い周波数帯域が必要です。東京の番組を全国へ同時に届けるには、放送局同士を結ぶ中継回線も必要でした。キー局と地方局が系列を組み、ニュースや番組を共有するテレビネットワークが発達します。
第3部 全国と世界を結ぶ通信網―電電公社・マイクロ波・衛星・海底ケーブル
電電公社と電話加入待ち
1952年、日本電信電話公社(電電公社)が発足し、国内の電信電話事業を担いました。戦災で傷んだ設備を復旧し、経済成長に合わせて全国の電話網を拡大します。
しかし需要の伸びは設備整備を上回り、申し込んでも電話がすぐ付かない「積滞」が長く続きました。公社方式には、採算の低い地域も含めて全国一体で整備しやすい利点がある一方、独占によって料金や端末選択の自由が限られる問題もありました。
1978年に電話加入の積滞が解消され、1979年に全国の電話自動化が100%となります。1983年には小笠原が衛星回線で結ばれ、全国の自動即時通話網が完成しました。
同軸ケーブルとマイクロ波回線
同軸ケーブルは、中心の導体を絶縁体と外側導体で囲んだケーブルです。外部からの雑音を受けにくく、高い周波数の信号を送れるため、多数の電話回線やテレビ信号を一本にまとめて運べました。
マイクロ波は直進性が強いため、見通しのよい中継所を数十キロごとに置き、リレーのように信号を渡します。1954年に東京・名古屋・大阪間の回線が完成し、1958年には鹿児島から札幌までつながりました。山上の鉄塔は、地上に築かれた「電波の街道」でした。
通信衛星と海底ケーブル
通信衛星は、地上局から送られた電波を受け、別の地域へ送り返す宇宙の中継所です。1963年には日米間で衛星テレビ中継実験が行われ、1964年の東京オリンピックは衛星で海外へ伝えられました。
衛星は広い範囲を覆え、島、船舶、航空機、被災地にも回線を設けやすい一方、静止衛星は地上から約3万6,000キロ離れているため遅延が生じます。
国際インターネット通信の大部分は光海底ケーブルを通ります。海底ケーブルは大容量で遅延が小さく、大陸間のデータセンターを結びます。1964年には日本と米国を結ぶ太平洋横断電話ケーブルTPC-1が開通し、のちの光ファイバー化で容量は飛躍的に増えました。
1985年、通信自由化とNTT発足
1985年4月、電電公社は民営化され、日本電信電話株式会社(NTT)が発足しました。電気通信事業法によって新規参入が認められ、端末も利用者が選べる方向へ変わります。長距離、国際、携帯電話で新しい事業者が参入し、料金競争とサービス革新が進みました。
ただし、全国網を持つ既存事業者と新規事業者では出発条件が異なります。相互接続料金、地域間格差、ユニバーサルサービス、設備投資をどう分担するかが政策課題になりました。
第4部 通信が個人の手に入った―携帯電話・インターネット・スマートフォン
ファクシミリとデータ通信
ファクシミリは紙面を細い線に分けて明暗を読み取り、電気信号として送り、相手側の紙に再現します。1973年に電話ファクスサービスが始まり、1980年代には企業や家庭へ広がりました。漢字を画像としてそのまま送れることから、日本では注文書、契約書、新聞原稿、自治体や医療の連絡で長く使われました。
電話網は人の声だけでなく、コンピューター同士のデータ通信にも使われるようになります。モデムはデジタルデータを電話回線で運べる音の信号へ変えました。オンライン銀行、座席予約、企業ネットワークなどが発達し、通信網は社会の情報処理基盤へ変わります。
自動車電話、ポケットベル、携帯電話、PHS
1968年に東京で始まったポケットベルは、最初は呼び出し音を鳴らすだけでした。のちに数字や文字を表示できるようになり、「個人宛ての端末を常に持ち歩く」という習慣を、携帯電話より先に広げました。
1979年、東京で自動車電話サービスが始まりました。1985年には車外へ持ち出せるショルダーホン、1987年には携帯電話サービスが登場します。
携帯電話のサービス地域は「セル」と呼ばれる小さな区画に分けられ、各セルを基地局が担当します。利用者が移動すると、通話を切らずに隣の基地局へ接続を引き継ぎます。1995年に始まったPHSは、小出力の基地局を細かく配置する方式で、都市部や事業所内の内線として普及しました。
JUNETから商用インターネットへ
日本のインターネット史の重要な出発点が、1984年10月に東京大学、東京工業大学、慶應義塾大学を結んで始まった研究ネットワークJUNETです。最終的には約700機関を結びました。[7]
ただし、JUNETは現在の常時接続型インターネットと同じ仕組みではありません。電話回線を使って一定間隔でコンピューター同士を接続し、電子メールなどのデータを転送する研究ネットワークでした。1988年にはWIDEプロジェクトが発足し、1990年代前半には商用インターネット接続サービスが始まります。
初期の家庭利用はモデムを使うダイヤルアップ接続でした。接続中は電話が話し中になり、通信時間に応じて電話料金がかかります。その後、ISDN、ADSL、ケーブルインターネット、光ファイバーへ進み、常時接続と高速化が実現しました。
光ファイバー、iモード、スマートフォン
光ファイバーは、ガラスや樹脂の細い線の中へレーザー光を通し、光の点滅で情報を送ります。銅線より大容量で、長距離の損失が少なく、電磁雑音の影響を受けにくいことが特徴です。
1999年にiモードが始まり、携帯電話は通話機から情報端末へ変わりました。2001年にはFOMAが第3世代移動通信(3G)サービスを開始します。2008年のiPhone 3G国内販売は、タッチ画面、アプリストア、パソコン向けウェブを一体化したスマートフォンの普及を加速させました。
日本の大手3社の3Gサービスは、KDDIが2022年、ソフトバンクが2024年、NTTドコモが2026年3月31日に終了しました。端末の発売年と、通信方式のサービス開始・終了年は別であるため、年代を比べる際には区別が必要です。
2024年、固定電話網もIP網へ
電話とインターネットの統合を象徴するのが、固定電話網のIP化です。NTT東日本とNTT西日本は2024年、加入電話とINSネットの局内設備を地域ごとにIP網へ切り替えました。固定電話そのものが廃止されたのではなく、利用者は従来の電話番号と電話機を基本的に使いながら、網の内部では音声がIP技術で運ばれるようになりました。
電話網の上でインターネットが始まり、その後はインターネットで使われる技術が電話網の内部を置き換えたことになります。
第5部 便利さの先にある課題―災害・監視・格差・偽情報
災害時の脆弱性と冗長化
通信網は、基地局の停電、ケーブル切断、交換設備の故障、アクセス集中で止まります。そこで非常用電源、複数経路、移動基地局、船上基地局、衛星回線、無料Wi-Fi、公衆電話、災害用伝言ダイヤル171などを組み合わせる「冗長化」が重視されます。
通信技術の歴史は高速化の歴史ですが、非常時には「遅くても届く」「少ない電力で動く」「特別な知識なしに使える」仕組みが価値を持ちます。
通信の秘密、個人データ、サイバー攻撃
デジタル時代には、通話内容だけでなく、位置、検索、購買、視聴、交友関係など大量のデータが生まれます。犯罪捜査、安全保障、防災、サービス改善に役立つ一方、過度な収集や目的外利用は監視につながります。
電話交換や放送設備がソフトウェアとインターネットへ統合されると、更新が容易になる一方、サイバー攻撃の対象も広がります。通信会社、クラウド、海底ケーブル、DNSなど一部の基盤に障害が起きると、多数のサービスが同時に止まる可能性があります。
デジタル格差と偽情報
高速回線やスマートフォンが普及しても、費用、地域、年齢、障害、言語、技能によって利用機会は異なります。行政、医療、教育、金融がオンライン前提になるほど、使えない人の不利益は大きくなります。
SNSでは、確認された情報より、驚きや怒りを誘う未確認情報が速く広がる場合があります。生成AIで画像、音声、動画を作りやすくなり、見た目だけで真偽を判断することも難しくなりました。情報源、公開日、一次資料、複数の報道を確かめる力が必要です。
東京で通信史を歩く
通信史は、年表だけでなく、実際の場所を歩くと理解しやすくなります。ゆる歴史散歩会ならではの視点として、東京と近郊で通信・放送の歴史をたどれる場所を、三つのコースに分けました。
コースA ラジオとテレビ放送の始まりを歩く
- 芝浦周辺:1925年、東京放送局が仮放送を始めた地域です。
- 愛宕山:同年7月に本放送が始まった場所です。
- NHK放送博物館:ラジオ、テレビ、放送機器、番組資料を通じて放送史を学べます。
- 東京タワー周辺:テレビ放送の普及と電波塔の役割を現地で考えられます。
コースB 電信・電話・郵政の歴史を知る
- 新橋駅周辺:1900年、日本最初の公衆電話に当たる「自働電話」が設置された場所の一つです。
- 日本橋・大手町周辺:近代の郵便・電信・電話行政と都心の業務地区の発展を結び付けて歩けます。
- 郵政博物館:郵便、電信、電話、放送が逓信行政の中で発達した流れを実物資料から確認できます。
コースC 通信技術の実物を見る
- NTT技術史料館:東京都武蔵野市。電話機、交換機、伝送、光通信、移動通信を体系的に見られます。公開日を確認して訪問してください。
- NICT展示室:東京都小金井市。無線、標準時、宇宙通信、情報通信研究の史料があります。
現地で使える地図
現在地の近くにある歴史スポットは、TimeWalkでも探せます。施設の開館日や見学条件は変更されるため、訪問前に各公式サイトを確認してください。
日本の通信・放送史 重要年表
1854年
ペリーが電信機を幕府へ献上。
1869年(新暦1870年1月)
東京・横浜間で電報の取り扱い開始。[1]
1871年
外国との電報送受を開始。
1890年
東京・横浜で電話サービス開始。[2]
1899年
東京・大阪間の長距離電話開始。
1900年
新橋駅・上野駅に公衆電話の前身「自働電話」。
1908年
銚子無線電信局と船舶の公衆無線電報開始。
1925年
東京でラジオ仮放送・本放送開始。「自働電話」を公衆電話へ改称。
1926年
日本放送協会成立。京橋で自動交換開始。高柳健次郎の研究グループがテレビ映像実験に成功。[6]
1950年
電波三法成立。
1951年
民間ラジオ放送開始。
1952年
日本電信電話公社発足。
1953年
NHKと日本テレビがテレビ本放送開始。
1954年
東京・名古屋・大阪間のマイクロ波回線完成。
1963年
日米間の衛星テレビ中継実験。
1964年
太平洋横断電話ケーブルTPC-1開通。
1968年
東京でポケットベルサービス開始。
1973年
電話ファクスサービス開始。
1978年
電話加入の積滞解消。
1979年
全国電話自動化100%。東京で自動車電話開始。
1983年
全国自動即時化完成。
1984年
JUNETが東京大学、東京工業大学、慶應義塾大学を接続。[7]
1985年
通信自由化、NTT発足、日本縦貫光ファイバー完成。
1987年
携帯電話サービス開始。
1995年
PHSサービス開始。
1999年
iモード開始。
2001年
FOMA(3G)開始。
2003年
地上デジタルテレビ放送開始。
2008年
iPhone 3G国内販売。スマートフォン普及が加速。
2011~2012年
地上アナログテレビ放送終了。
2022年
KDDIの3Gサービス終了。
2024年
ソフトバンクの3Gサービス終了。固定電話の局内設備がIP網へ移行。
2026年
NTTドコモのFOMA・iモード終了。
初心者向け用語集
- 電信
- 文字を符号へ変え、電気信号で送る通信。
- 交換機
- 発信者と着信者の回線を必要な時間だけ接続する装置。
- 輻輳(ふくそう)
- 通信が一度に集中し、回線や設備の処理能力を超えること。
- 無線通信
- 電線を使わず、電波で情報を送る通信。
- 周波数
- 電波が一秒間に振動する回数。単位はヘルツ。
- 帯域
- 通信に使える周波数の幅。一般に広いほど多くの情報を運べます。
- アナログ
- 音や映像を連続した信号の変化として表す方式。
- デジタル
- 情報を数値化し、主に0と1の組み合わせで扱う方式。
- 回線交換
- 通話中、相手までの通信経路を確保する方式。
- パケット交換
- データを小分けにし、複数利用者で回線を共有して送る方式。
- セル
- 携帯電話で、一つの基地局が担当する小さなサービス区域。
- 基地局
- 携帯端末と電波で接続し、固定網へ橋渡しする設備。
- 光ファイバー
- ガラスや樹脂の細い線へ光を通し、大容量情報を送るケーブル。
- 海底ケーブル
- 海底に敷設され、国や大陸を結ぶ通信ケーブル。
- IP
- インターネット上で宛先を定め、パケットを届ける基本規約。
日本の通信史についてよくある質問
電信と電話は何が違うのですか?
電信は文字を符号に変えて送ります。電話は声の振動を電気信号へ変えて送ります。電信の方が扱う情報が単純だったため、電話より早く実用化・普及しました。
日本で電話が一般向けに始まったのはいつですか?
1890年12月16日です。東京と横浜で電話サービスが始まり、加入者は東京155、横浜42でした。
日本最初の公衆電話はどこにありましたか?
1900年9月、新橋駅と上野駅に設置された「自働電話」が日本最初の公衆電話に当たります。同年10月には京橋に電話ボックスが置かれました。
ラジオ放送とテレビ放送はいつ始まりましたか?
東京のラジオ仮放送は1925年3月22日、テレビ本放送はNHKが1953年2月1日に開始しました。民間テレビ本放送は日本テレビが同年8月28日に開始しました。
海外とのインターネット通信は衛星を通るのですか?
一部は衛星を使いますが、大部分は光海底ケーブルを通ります。海底ケーブルは衛星より大容量で遅延が小さいため、国際インターネットの主役です。
固定電話は2024年になくなったのですか?
固定電話そのものが廃止されたわけではありません。局内設備が従来の交換網からIP網へ移行し、利用者は基本的に従来の番号と電話機を使い続けられます。
まとめ―スマートフォンは通信史の縮図
日本の通信・放送の歴史は、電信で文字を人より早く届け、電話で声を結び、無線で船と島をつなぎ、ラジオとテレビで同じ時間を共有し、光ファイバーとインターネットで文字・音声・映像を一つのデジタル基盤へ統合する過程でした。
スマートフォンは、電話機にカメラとコンピューターを加えただけの道具ではありません。電信の短文、電話の会話、ラジオの音声、テレビの映像、衛星の広域性、インターネットの双方向性を一台へ集めた、通信史の縮図です。
距離を縮める技術が進んだ今、次に問われるのは、誰もが使え、災害に耐え、プライバシーを守り、信頼できる情報へたどり着ける通信をどう維持するかです。
この記事の調査・更新方針
- 初回公開:2026年7月2日
- 最終更新:2026年7月2日
- 制度・サービス状況の確認日:2026年7月2日
- 官公庁、研究機関、博物館、通信・放送事業者の公式資料を優先し、重要な年は複数資料で照合しています。
- 誤りやリンク切れを見つけた場合は、お問い合わせからお知らせください。
参考文献・参考サイト
- NTT東日本「電信電話のあゆみ」
- NTT東日本「電話サービスが開始されてからの歴史・その技術」
- NTT東日本「災害時の通話制御」
- NTT東日本「災害時用公衆電話(特設公衆電話)設置場所」
- 日本民間放送連盟「民間放送を知ろう!」
- 港区観光協会「NHK放送博物館で放送100年の歴史を紐解く」
- JPNIC「JUNETとは」
- JPNIC「インターネット歴史年表」
- NTTグループ「NTTグループの歩み」
- NTT技術史料館
- NHK放送博物館
- 総務省「情報通信白書」
- 情報通信研究機構(NICT)展示室
- KDDI「今昔、海底ケーブル物語」
- NTT東日本「固定電話IP網移行」
- NTTドコモ「FOMAおよびiモードサービス終了のご案内」
- ソフトバンク「3Gサービス終了のご案内」
- KDDI「CDMA 1X WINサービス終了のお知らせ」
- 国立科学博物館 産業技術史資料情報センター「技術の系統化調査報告」

