いま私たちは、スマートフォン一台で、文字を送り、声で話し、ニュースを読み、動画を生配信し、海外の人ともほぼ同時にやり取りできます。
しかし、この一台の背後には、電信、電話交換、公衆電話、船舶無線、ラジオ、テレビ、マイクロ波回線、通信衛星、海底ケーブル、光ファイバー、携帯電話、インターネットという、150年以上にわたる技術と制度の積み重ねがあります。
日本の通信史を一言で表すなら、社会が「距離」と「時間」を克服してきた歴史です。この記事では、電話機やテレビの年代を並べるだけでなく、なぜ電信が電話より先に広がったのか、交換手は何をしていたのか、通信と放送はどう違い、なぜインターネット上で重なったのかを、時代の流れに沿って解説します。
30秒で分かる日本の通信史
- 電信は文字を単純な符号に変えて送れたため、声をそのまま届ける電話より先に実用化されました。
- 日本の公衆向け電話サービスは1890年12月16日、東京と横浜で始まりました。
- 公衆電話は1900年、新橋駅と上野駅に登場しました。現在も災害時通信で重要な役割があります。
- ラジオ放送は1925年、テレビ本放送は1953年に始まりました。
- 1950年の電波三法を土台に、NHKと民間放送が並ぶ二元体制が形成されました。
- 1985年の通信自由化とNTT発足以後、事業者間競争と携帯電話の普及が進みました。
- インターネットは文字・声・映像を同じデジタル網で運び、通信と放送の境界を曖昧にしました。
この記事では「実験」「仮放送」「本放送」「商用サービス」をできるだけ区別しています。制度やサービス終了状況は2026年7月2日時点の公式情報を確認しています。
- 通信・放送・インターネットの違いを先に整理
- 日本の通信史を一枚で見る
- 電信―文字が人より先に届いた
- 電話―声が距離を越えた
- 交換手と公衆電話の時代
- 無線通信―電線を引けない海と空をつないだ
- ラジオ放送―全国が同じ時間を共有した
- 電波三法と公共放送・民間放送の二元体制
- テレビ本放送―映像が家庭と政治を変えた
- 同軸ケーブル、マイクロ波、衛星、海底ケーブル
- 電電公社からNTTへ―全国整備と通信自由化
- 携帯電話―場所ではなく人につながる
- インターネット―電話網から始まり、電話網を包み込んだ
- 放送と通信が重なる時代
- 便利さの裏側―災害、監視、格差、偽情報
- 実物や史料を見られる施設
- 日本の通信・放送史 重要年表
- 初心者向け用語整理
- 日本の通信史についてよくある質問
- まとめ―スマートフォンは通信史の縮図
- 参考文献・参考サイト
通信・放送・インターネットの違いを先に整理
通信史で最初につまずきやすいのが、「電信」「電話」「無線」「放送」「インターネット」の関係です。これらは別々の発明ですが、新しい仕組みが古い仕組みの役割を取り込みながら発達してきました。
文字を符号へ変えて送る
基本は一対一
声を電気信号へ変えて送る
基本は一対一
同じ音声・映像を公衆へ送る
一対多数
文字・声・映像をデータで送る
一対一・一対多数・多数対多数
有線は電線や光ファイバーという決まった道を使います。無線はアンテナから電波を空間へ飛ばします。ラジオと携帯電話はどちらも無線ですが、ラジオは同じ内容を広く一斉に届け、携帯電話は特定の端末との通信を行う点が違います。
アナログは声や映像を連続した信号の変化として表し、デジタルは情報を数値に置き換え、主に0と1の組み合わせで扱います。文字、音声、写真、動画をすべてデジタル化できるようになったことで、電話網、放送網、コンピューターネットワークが重なり始めました。
日本の通信史を一枚で見る
国内電信と国際電信
文字が人より先に届く
電話・交換手・公衆電話
声が距離を越える
ラジオ・テレビ・放送制度
全国が同じ時間を共有
電電公社・全国網・衛星
どこからでもすぐ通話
自由化・携帯電話・インターネット
場所ではなく人につながる
光・スマートフォン・動画配信
通信と放送が重なる
電信―文字が人より先に届いた
幕末にやって来た電信機
日本が電信機に本格的に出会ったのは幕末です。1854年、ペリー来航の際に電信機が幕府へ献上されました。明治政府は、行政、軍事、外交、鉄道、商業を支える基盤として電信網の整備を急ぎます。
1869年10月に東京・横浜間で電信線の工事が始まり、同年12月に電報の取り扱いを開始しました。旧暦と新暦の対応により、公式年表では新暦1870年1月とも示されます。1871年には外国との電報送受も始まり、日本は海底ケーブルを通じて世界の通信網へ入りました。
なぜ電話より電信が先に普及したのか
電信は、文字をモールス符号などの単純な信号へ置き換え、電気のオン・オフとして送ります。情報量が比較的少なく、信号が多少弱くなっても意味を読み取りやすい仕組みでした。
一方、電話は人の声の細かな振動を連続した信号として送り、遠距離でも聞き取れる品質を保たなければなりません。増幅、雑音対策、交換、料金計算など、電信より高度で大規模な設備が必要でした。
また、電報は局と局を結び、受け取った紙を人が配達すれば使えます。最初から各家庭へ端末と回線を引く必要がなかったことも、電話より早く普及した理由です。
主な根拠:NTT西日本「電信電話のあゆみ」、NTT技術史料館「電信電話ことはじめから」
電話―声が距離を越えた
1890年、東京と横浜で電話サービス開始
日本の公衆向け電話サービスは、1890年12月16日に東京と横浜で始まりました。開始時の加入者は東京155、横浜42でした。電話交換局と電話所を合わせて16か所という小さな出発でしたが、声がほぼ同時に遠方へ届く体験は画期的でした。
電話機の送話器は声による膜の振動を電流の変化へ変えます。相手側の受話器は電流の変化を再び振動へ戻し、音として再現します。初期の電話は、声の波形を連続的に写し取るアナログ通信でした。
交換機は何をしているのか
すべての電話機をすべての相手へ直接つなぐと、加入者が増えるほど必要な電線が急増します。そこで、各家庭や会社の回線を交換局へ集め、通話する間だけ相手の回線へ接続する「交換」が必要になりました。
電話番号は、交換網の中で相手を見つける住所です。交換機は番号を読み取り、空いている経路を選び、通話が終われば接続を解除します。
交換手がコードを接続
ダイヤルで接点を選択
電子回路で制御
音声をデータとして転送
長距離電話はなぜ難しかったのか
電線には抵抗があり、距離が長いほど信号は弱くなります。ほかの線から雑音が混ざることもあります。1899年に東京・大阪間の長距離電話が始まりましたが、全国どこへでもすぐつながるようになるには、増幅器、同軸ケーブル、マイクロ波回線、自動交換機などの整備を待たなければなりませんでした。
主な根拠:NTTグループ「NTTグループの歩み」、NTT東日本「電話サービスが開始されてからの歴史・その技術」
交換手と公衆電話の時代
交換手は「人間のルーター」だった
初期の電話では、受話器を上げると交換手が応答し、利用者が相手の名前や番号を伝えました。交換手は交換台のジャックへコードを差し、相手側を呼び出し、通話が終わればコードを外しました。
交換手は線をつなぐだけではありません。番号案内、料金の記録、緊急通話の接続、故障の判断も担いました。市外通話では複数の局を順番に結ぶため、申し込んでから長く待つ場合もありました。通信網の接続判断を人が担っていたという意味で、交換手は現代のルーターと案内サービスを合わせたような存在です。
交換手の多くは女性で、厳しい規律と高い集中力が求められました。利用者の通話に接する仕事であるため、通信の秘密と職業倫理も重要でした。自動交換は利便性を高めましたが、同時に人が担っていた仕事を機械へ移す変化でもありました。
自動交換で利用者が自分で相手を選ぶ
1922年に東京でストロージャー式自動交換機の試験が行われ、1926年には京橋局で本格的な自動交換が始まりました。ダイヤルを回すと、番号に応じて機械の接点が段階的に動き、相手の回線を選びます。利用者は交換手を呼ばずに相手へ直接電話できるようになりました。
1900年、公衆電話が登場
1900年9月、東京の新橋駅と上野駅に、日本最初の公衆電話に当たる「自働電話」が設置されました。同年10月には京橋に電話ボックスが置かれます。当時は「自働」と呼ばれていても自動交換ではなく、硬貨を入れ、交換手へ接続を依頼する方式でした。1925年に名称が「公衆電話」へ改められました。
家庭の電話が高価だった時代、公衆電話は駅、郵便局、商店、街角から仕事先や家族へ連絡できる公共的な窓口でした。赤電話、青電話、黄電話、カード式、デジタル公衆電話へ姿を変え、電話ボックスは都市景観の一部になります。
公衆電話はなぜ災害時につながりやすいのか
大規模災害では、安否確認の電話が一斉に増え、通信網の処理能力を超える「輻輳」が起きます。警察、消防、自治体などの重要通信を守るため、通信会社が一般通話を制御することがあります。公衆電話は災害時優先電話として扱われるため、規制時にも比較的つながりやすい仕組みです。
避難所などには、事前に回線を用意して災害時に電話機を接続する「特設公衆電話」も整備されています。NTT東日本によると、2025年9月末時点で25,011か所、51,056台の設置が完了しています。
ただし、公衆電話も回線断や設備損傷の影響は受けます。「必ずつながる」のではありません。災害用伝言ダイヤル171、web171、携帯電話、ラジオ、Wi-Fi、衛星通信など複数の手段を使い分けることが大切です。
主な根拠:NTT東日本「災害時の通話制御」、NTT東日本「災害時用公衆電話設置場所」
無線通信―電線を引けない海と空をつないだ
有線通信は大容量で安定しやすい一方、通信する場所まで線を敷く必要があります。移動する船や航空機へ電線をつなぐことはできません。そこで重要になったのが、電波を空間へ飛ばす無線通信です。
日本では1908年、銚子無線電信局と船舶との公衆無線電報が始まりました。遭難通信、航行情報、気象情報、港との連絡は、人命と物流を支えました。航空機の発達後は、空の通信にも無線が不可欠になります。
周波数と無線局免許の意味
電波が一秒間に振動する回数を周波数といい、単位はヘルツです。低い周波数は障害物の背後へ回り込みやすく、高い周波数は大容量通信に向く一方、直進性が強く遮られやすい傾向があります。
ラジオ、テレビ、携帯電話、船舶、航空、警察、消防、衛星が同じ場所で勝手に同じ周波数を使えば混信します。そのため国が用途ごとに周波数を割り当て、無線局に免許を与えます。放送免許は内容を許可するだけの制度ではなく、有限な公共資源である電波を、誰が、どこで、どの出力と技術条件で利用するかを調整する制度です。
主な根拠:日本無線「無線通信の発展と日本無線」、情報通信研究機構(NICT)
ラジオ放送―全国が同じ時間を共有した
1925年の仮放送と本放送
1925年3月22日、東京放送局は芝浦の仮放送所からラジオの仮放送を開始しました。同年7月には愛宕山の本放送所から本放送が始まります。大阪、名古屋でも放送が始まり、1926年には各放送局をまとめる日本放送協会が成立しました。
電話が特定の相手を結ぶのに対し、放送は一つの送信所から受信機を持つ不特定多数へ同じ内容を届けます。受信者が増えても、一人ずつ専用回線を用意する必要がありません。ニュース、天気予報、教育、音楽、スポーツ実況が、地域の異なる人々に共通の時間をつくりました。
戦時下の通信・放送統制
放送は災害や重大事件を広く知らせられる一方、送信設備を少数の組織が握るため、権力が情報を一方向に管理する道具にもなります。満州事変から日中戦争、太平洋戦争へ進むなかで、新聞、通信、放送は統制を強められました。
戦況を伝える大本営発表は国民の主要な情報源となりましたが、戦争後期には実態から離れた発表が増えました。この経験は戦後、放送の公共性、表現の自由、政治的公平、番組編集の自律をどう守るかという問題につながります。
主な根拠:NHK放送博物館、総務省「情報通信白書」
電波三法と公共放送・民間放送の二元体制
1950年、電波法、放送法、電波監理委員会設置法からなる「電波三法」が成立しました。電波を公平かつ効率的に利用するためのルールが整えられ、戦後の放送制度も再設計されます。
日本放送協会は放送法に基づく公共放送となり、受信料を財源の柱として全国放送を担いました。一方、民間企業が広告などを財源に番組を提供する民間放送も認められます。1951年9月1日には中部日本放送と新日本放送が民間ラジオ放送を開始しました。
NHKと民放が並ぶ「二元体制」は、全国的な公共サービスと、複数事業者による競争・表現の多様性を両立させようとする仕組みです。公共放送は広告主から距離を取りやすい反面、受信料や政治との関係が議論になります。民放は多様な番組を生みやすい反面、視聴率と広告市場の影響を受けます。
主な根拠:日本民間放送連盟「民間放送を知ろう!」、日本民間放送連盟「民放ラジオ開局一覧」
テレビ本放送―映像が家庭と政治を変えた
NHKは1953年2月1日に東京でテレビ本放送を開始しました。同年8月28日には日本テレビが民間テレビ放送を始めます。「日本初のテレビ」という表現では、戦前の実験、戦後の試験放送、本放送、民間放送を区別する必要があります。
テレビは音だけのラジオより扱う情報量が多く、映像を送るために広い周波数帯域が必要です。撮影した映像を電気信号へ変え、音声とともに送信し、受像機で明るさや色として再現します。
街頭テレビには人々が集まり、プロレス、野球、皇太子ご成婚、東京オリンピックなどが大勢の共通体験になりました。高度経済成長期に受像機が家庭へ入ると、居間の配置や一日の生活時間、広告、選挙、報道のあり方まで変わります。
東京の番組を全国へ同時に届けるには、放送局同士を結ぶ中継回線が必要です。キー局と地方局が系列を組み、ニュースや番組を共有するテレビネットワークが発達しました。一方、視聴率競争や少数の放送局への影響力集中は、報道の単純化や議題設定をめぐる問題も生みました。
主な根拠:放送番組センター「NHK東京テレビジョン開局に当たって」、日本民間放送連盟「民放テレビ開局一覧」
同軸ケーブル、マイクロ波、衛星、海底ケーブル
同軸ケーブル―多くの信号を一本へ
同軸ケーブルは、中心の導体を絶縁体と外側導体で囲んだケーブルです。外部からの雑音を受けにくく、高い周波数の信号を送れるため、多数の電話回線やテレビ信号を一本にまとめて運べました。都市間の幹線やケーブルテレビで重要な役割を果たします。
マイクロ波回線―山の塔から塔へ
マイクロ波は直進性が強いため、見通しのよい中継所を数十キロごとに置き、リレーのように信号を渡します。1954年に東京・名古屋・大阪間の回線が完成し、1958年には鹿児島から札幌までつながりました。大容量の電話とテレビ中継を、長距離にわたって比較的早く整備できたことが利点です。
通信衛星―宇宙に置かれた中継所
通信衛星は、地上局から送られた電波を受け、別の地域へ送り返す宇宙の中継所です。1963年には日米間で衛星テレビ中継実験が行われ、1964年の東京オリンピックは衛星で海外へ伝えられました。1983年には通信衛星「さくら2号a」を利用した小笠原回線が開通し、全国自動即時化が完成しました。
衛星は広い範囲を覆え、島、船舶、航空機、被災地にも回線を設けやすい一方、静止衛星は地上から約3万6,000キロ離れているため遅延が生じます。打ち上げ費用、寿命、宇宙ごみ、周波数調整も必要です。
海底ケーブル―国際インターネットの主役
衛星通信の印象は強いものの、国際インターネット通信の大部分は光海底ケーブルを通ります。海底ケーブルは大容量で遅延が小さく、大陸間のデータセンターを結びます。
1964年には日本と米国を結ぶ太平洋横断電話ケーブルTPC-1が開通し、128回線の電話を扱いました。その後の光ファイバー化で容量は飛躍的に増えます。一方、船のいかり、漁具、地震、海底地滑りで切れる可能性があるため、複数経路と修理船、陸揚げ局の防護が重要です。
主な根拠:NTTグループの歩み、KDDI「今昔、海底ケーブル物語」
電電公社からNTTへ―全国整備と通信自由化
電話加入待ちと全国自動即時化
1952年、日本電信電話公社(電電公社)が発足し、国内の電信電話事業を担いました。戦災で傷んだ設備を復旧し、経済成長に合わせて全国の電話網を拡大します。
しかし需要の伸びは設備整備を上回り、申し込んでも電話がすぐ付かない「積滞」が長く続きました。電話加入権と高い設備料も家庭にとって大きな負担でした。公社方式には採算の低い地域も含めて全国一体で整備しやすい利点がある一方、独占によって料金や端末選択の自由が限られる問題もありました。
1978年に電話加入の積滞が解消され、1979年に全国の電話自動化が100%となります。1983年には小笠原が衛星回線で結ばれ、全国の自動即時通話網が完成しました。交換手へ申し込んで待つ長距離電話から、市外局番をダイヤルすればすぐ話せる電話へ変わったのです。
ファクシミリとデータ通信
ファクシミリは紙面を細い線に分けて明暗を読み取り、電気信号として送り、相手側の紙に再現します。1973年に電話ファクスサービスが始まり、1980年代には企業や家庭へ広がりました。漢字を画像としてそのまま送れることから、日本では注文書、契約書、新聞原稿、自治体や医療の連絡で長く使われました。
電話網は人の声だけでなく、コンピューター同士のデータ通信にも使われるようになります。モデムはデジタルデータを電話回線で運べる音の信号へ変えました。オンライン銀行、座席予約、企業ネットワークなどが発達し、通信網は社会の情報処理基盤へ変わります。
1985年、通信自由化とNTT発足
1985年4月、電電公社は民営化され、日本電信電話株式会社(NTT)が発足しました。電気通信事業法によって新規参入が認められ、端末も利用者が選べる方向へ変わります。長距離、国際、携帯電話で新しい事業者が参入し、料金競争とサービス革新が進みました。
ただし、全国網を持つ既存事業者と新規事業者では出発条件が異なります。相互接続料金、地域間格差、ユニバーサルサービス、設備投資をどう分担するかが政策課題になりました。民営化は「国営から民間へ」という一度の変更ではなく、独占と競争、効率と公共性の均衡を探す長い過程です。
携帯電話―場所ではなく人につながる
自動車電話から携帯電話へ
1979年、東京で自動車電話サービスが始まりました。端末は車載設備を前提とし、利用できる地域も限られていました。1985年には車外へ持ち出せるショルダーホン、1987年には携帯電話サービスが登場します。
携帯電話のサービス地域は「セル」と呼ばれる小さな区画に分けられ、各セルを基地局が担当します。利用者が移動すると、通話を切らずに隣の基地局へ接続を引き継ぎます。離れた地域で同じ周波数を再利用し、限られた電波を多くの利用者が共有するのがセルラー方式です。
ポケットベルとPHSも重要な途中段階
1968年に東京で始まったポケットベルは、最初は呼び出し音を鳴らすだけでした。のちに数字や文字を表示できるようになり、1990年代には若者のメッセージ文化を生みます。「個人宛ての端末を常に持ち歩く」という習慣を、携帯電話より先に社会へ広げました。
1995年に始まったPHSは、小出力の基地局を細かく配置する方式です。端末が軽く料金も比較的安かったため、都市部や事業所内の内線として普及しました。
iモード、3G、スマートフォン
1999年にiモードが始まり、携帯電話は通話機から情報端末へ変わりました。メール、ニュース、天気、銀行、着信メロディ、ゲームなどが、パソコンを持たない人にも広がります。2001年にはFOMAが第3世代移動通信(3G)サービスを開始しました。
2008年のiPhone 3G国内販売は、タッチ画面、アプリストア、パソコン向けウェブを一体化したスマートフォンの普及を加速させます。4G、5Gへ進むにつれ、移動通信の中心は音声からデータへ移りました。
日本の大手3社の3Gサービスは、KDDIが2022年、ソフトバンクが2024年、NTTドコモが2026年3月31日に終了しました。端末発売年と通信方式のサービス開始・終了年は別であるため、年代を比べる際には区別が必要です。
主な根拠:NTTドコモ「FOMA・iモード終了」、ソフトバンク「3Gサービス終了」、KDDI「3Gサービス終了」
インターネット―電話網から始まり、電話網を包み込んだ
回線交換とパケット交換の違い
従来の電話は、通話中に発信者と着信者の間の経路を確保する「回線交換」が基本です。会話には向いていますが、話していない時間も回線資源を占有します。
インターネットは、データを小さな「パケット」に分け、それぞれに宛先を付けて送ります。複数の利用者が同じ回線を共有でき、受信側でパケットを並べ直して文章、画像、音声、動画へ戻します。異なる組織のネットワークが共通の規約で相互接続する「ネットワークのネットワーク」です。
JUNETから商用インターネットへ
日本のインターネット史の重要な出発点は、1984年10月に東京大学、東京工業大学、慶應義塾大学を電話回線で結んだ研究ネットワークJUNETです。最終的には約700機関を結び、技術だけでなく、ドメイン名管理やネットワーク運用の文化を育てました。
1988年にはWIDEプロジェクトが発足し、1990年代前半に商用インターネット接続サービスが始まります。初期の家庭利用は、モデムを使うダイヤルアップ接続でした。接続中は電話が話し中になり、通信時間に応じて電話料金がかかりました。
光ファイバーが常時接続を当たり前にした
光ファイバーは、ガラスや樹脂の細い線の中へレーザー光を通し、光の点滅でデジタル情報を送ります。銅線より大容量で、長距離の損失が少なく、電磁雑音の影響を受けにくいことが特徴です。
1985年には旭川・鹿児島間の日本縦貫光ファイバー伝送路が完成し、1990年代後半には通信網のデジタル化が進みました。2000年代にADSLや家庭向け光回線が普及すると、接続時間を気にせず動画やクラウドを使う常時接続が一般化します。
2024年、固定電話網もIP網へ
電話とインターネットの統合を象徴するのが、固定電話網のIP化です。NTT東日本とNTT西日本は2024年1月から、加入電話とINSネットの局内設備を地域ごとにIP網へ切り替え、工事を完了しました。利用者は従来の電話番号と電話機を基本的にそのまま使えますが、網の内部では音声がIP技術で運ばれます。
電話網の上でインターネットが始まり、その後はインターネットで使われる技術が電話網の内部を置き換えました。通信史が一周したように見える転換です。
主な根拠:JPNIC「インターネット歴史年表」、NTT東日本「固定電話IP網移行 工事完了」
放送と通信が重なる時代
地上デジタル放送
日本の地上デジタルテレビ放送は2003年に三大都市圏で始まりました。2011年に東日本大震災の被災3県を除いてアナログ放送が終了し、岩手・宮城・福島では2012年に終了しました。
デジタル化によって、高精細映像、データ放送、電子番組表、移動端末向けワンセグなどが実現しました。一方、送信設備と受信機の更新が必要で、高齢者や低所得世帯、集合住宅、山間部への支援が課題になりました。
テレビ放送と動画配信は何が違うのか
送信所から同じ電波を一斉送信。受信者が増えても送信量はほぼ変わりません。
地上から衛星へ送り、広い地域へ一斉送信します。
地域の設備から同軸ケーブルや光ファイバーで加入者へ届けます。
利用者ごとに通信。好きな時刻に再生でき、視聴履歴や推薦も利用されます。
インターネット動画は、多数へ届く点では放送に似ていますが、技術的には視聴者ごとの通信です。放送局も同時配信や見逃し配信を行い、通信事業者やIT企業も映像番組を制作しています。
ただし、放送法上の放送とインターネット配信では、免許、番組規律、権利処理、広告、個人情報の扱いが同じではありません。技術と画面が似ても、制度は完全には一つになっていません。
便利さの裏側―災害、監視、格差、偽情報
災害時の脆弱性
通信網は、基地局の停電、ケーブル切断、交換設備の故障、アクセス集中で止まります。そこで非常用電源、複数経路、移動基地局、船上基地局、衛星回線、無料Wi-Fi、公衆電話、171などを組み合わせる「冗長化」が重視されます。
通信技術の歴史は高速化の歴史ですが、非常時には「遅くても届く」「少ない電力で動く」「特別な知識なしに使える」仕組みが価値を持ちます。
通信の秘密と監視
交換手の時代から、通信事業者は誰が誰へ連絡したかという情報に接する立場でした。デジタル時代には、通話内容だけでなく、位置、検索、購買、視聴、交友関係など大量のデータが生まれます。
犯罪捜査、安全保障、防災、サービス改善に役立つ一方、過度な収集や目的外利用は監視につながります。暗号化、アクセス管理、保存期間の制限、透明性、適正な法的手続き、利用者の選択権が重要です。
サイバー攻撃と基盤の集中
電話交換や放送設備がソフトウェアとインターネットへ統合されると、更新が容易になる一方、サイバー攻撃の対象も広がります。通信会社、クラウド、海底ケーブル、DNS、アプリストアなど一部の基盤に障害が起きると、多数のサービスが同時に止まる可能性があります。
デジタル格差
高速回線やスマートフォンが普及しても、費用、地域、年齢、障害、言語、技能によって利用機会は異なります。行政、医療、教育、金融がオンライン前提になるほど、使えない人の不利益は大きくなります。端末だけでなく、通信料金、サポート、アクセシビリティ、対面窓口を含めた設計が必要です。
偽情報と「届く速さ」の逆説
電信以来、通信技術は情報を速く届けることを目指してきました。しかしSNSでは、確認された情報より、驚きや怒りを誘う未確認情報が速く広がる場合があります。生成AIで画像、音声、動画を作りやすくなり、見た目だけで真偽を判断することも難しくなりました。
情報源、公開日、一次資料、複数の報道を確かめる力と、訂正情報が同じ範囲へ届く仕組みが必要です。通信速度が上がるほど、受け手には立ち止まる時間が求められます。
実物や史料を見られる施設
東京都武蔵野市。電話機、交換機、伝送、光通信、移動通信を体系的に見られます。2026年7月時点の一般公開は原則として木曜・金曜の午後です。訪問前に公式日程を確認してください。
東京都港区愛宕。1925年の本放送所が置かれた場所で、ラジオ、テレビ、番組、放送機器の歴史を学べます。
東京都墨田区押上。郵便、電信、電話、放送が逓信行政の中で発達した歴史を、実物資料から確認できます。
東京都小金井市。無線、標準時、宇宙通信、情報通信研究の史料があります。見学条件は公式サイトで確認が必要です。
神奈川県横浜市。保存されたテレビ・ラジオ番組を視聴でき、機器の歴史だけでなく、実際に何が放送されたかを確かめられます。
日本の通信・放送史 重要年表
- 1854年
- ペリーが電信機を幕府へ献上。
- 1869年
- 東京・横浜間で電信線工事と電報取り扱いを開始。新暦では1870年1月。
- 1871年
- 外国との電報送受を開始。
- 1890年
- 東京・横浜で電話サービス開始。
- 1899年
- 東京・大阪間の長距離電話開始。
- 1900年
- 新橋駅・上野駅に公衆電話の前身「自働電話」。
- 1908年
- 銚子無線電信局と船舶の公衆無線電報開始。
- 1925年
- 東京でラジオ仮放送・本放送開始。「自働電話」を公衆電話へ改称。
- 1926年
- 日本放送協会成立。京橋で本格的な自動交換開始。
- 1950年
- 電波三法成立。
- 1951年
- 民間ラジオ放送開始。
- 1952年
- 日本電信電話公社発足。
- 1953年
- NHKと日本テレビがテレビ本放送開始。
- 1954年
- 東京・名古屋・大阪間のマイクロ波回線完成。
- 1963年
- 日米間の衛星テレビ中継実験。
- 1964年
- 太平洋横断電話ケーブルTPC-1開通。
- 1968年
- 東京でポケットベルサービス開始。
- 1973年
- 電話ファクスサービス開始。
- 1978年
- 電話加入の積滞解消。
- 1979年
- 全国電話自動化100%。東京で自動車電話開始。
- 1983年
- 全国自動即時化完成。
- 1984年
- JUNETが東京大学、東京工業大学、慶應義塾大学を接続。
- 1985年
- 通信自由化、NTT発足、日本縦貫光ファイバー完成。
- 1987年
- 携帯電話サービス開始。
- 1995年
- PHSサービス開始。
- 1999年
- iモード開始。
- 2001年
- FOMA(3G)開始。
- 2003年
- 地上デジタルテレビ放送開始。
- 2008年
- iPhone 3G国内販売。スマートフォン普及が加速。
- 2011~2012年
- 地上アナログテレビ放送終了。
- 2024年
- 固定電話の局内設備がIP網へ移行。
- 2022~2026年
- 大手携帯電話3社の3Gサービスが順次終了。
初心者向け用語整理
- 電信
- 文字を符号へ変え、電気信号で送る通信。
- 電話
- 声を電気信号またはデジタルデータへ変えて送る通信。
- 交換機
- 発信者と着信者の回線を必要な時間だけ接続する装置。
- 無線通信
- 電線を使わず、電波で情報を送る通信。
- 放送
- 公衆へ同じ内容を同時に届ける一対多数の仕組み。
- 周波数
- 電波が一秒間に振動する回数。単位はヘルツ。
- アナログ
- 音や映像を連続した信号の変化として表す方式。
- デジタル
- 情報を数値化し、主に0と1の組み合わせで扱う方式。
- 回線交換
- 通話中、相手までの通信経路を確保する方式。
- パケット交換
- データを小分けにし、複数利用者で回線を共有して送る方式。
- 基地局
- 携帯端末と電波で接続し、固定網へ橋渡しする設備。
- 光ファイバー
- ガラスや樹脂の細い線へ光を通し、大容量情報を送るケーブル。
- 海底ケーブル
- 海底に敷設され、国や大陸を結ぶ通信ケーブル。
- 通信衛星
- 地上からの電波を受け、広い地域へ中継する人工衛星。
- IP
- インターネット上で宛先を定め、パケットを届ける基本規約。
日本の通信史についてよくある質問
電信と電話は何が違うのですか?
電信は文字を符号に変えて送ります。電話は声の振動を電気信号へ変えて送ります。電信のほうが扱う情報が単純だったため、電話より早く実用化・普及しました。
日本で電話が一般向けに始まったのはいつですか?
1890年12月16日です。東京と横浜で電話サービスが始まり、加入者は東京155、横浜42でした。
電話交換手は何をしていたのですか?
利用者から相手の番号を聞き、交換台へコードを差して二つの回線を接続していました。番号案内、料金記録、緊急通話、故障判断も重要な仕事でした。
日本最初の公衆電話はどこにありましたか?
1900年9月、新橋駅と上野駅に設置された「自働電話」が日本最初の公衆電話に当たります。同年10月には京橋に電話ボックスが置かれました。
ラジオ放送とテレビ放送はいつ始まりましたか?
東京のラジオ仮放送は1925年3月22日、テレビ本放送はNHKが1953年2月1日に開始しました。日本テレビによる民間テレビ本放送は同年8月28日です。
放送とインターネット配信は何が違うのですか?
放送は同じ電波を不特定多数へ一斉に送ります。インターネット配信は、基本的に視聴者ごとにサーバーと通信します。そのため好きな時刻に再生できますが、利用者数に応じた回線とサーバー容量が必要です。
海外とのインターネット通信は衛星を通るのですか?
一部は衛星を使いますが、大部分は光海底ケーブルを通ります。海底ケーブルは衛星より大容量で遅延が小さいため、国際インターネットの主役です。
固定電話はなくなったのですか?
固定電話そのものが2024年に廃止されたわけではありません。局内設備が従来の電話交換網からIP網へ移行し、利用者は基本的に従来の番号と電話機を使い続けられます。
まとめ―スマートフォンは通信史の縮図
日本の通信・放送の歴史は、電信で文字を人より早く届け、電話で声を結び、無線で船と島をつなぎ、ラジオとテレビで同じ時間を共有し、光ファイバーとインターネットで文字・音声・映像を一つのデジタル基盤へ統合する過程でした。
その背後では、逓信省、日本放送協会、電電公社、NTT、民放、通信事業者、大学、研究機関が、公共性と競争、国家と市民、全国整備と地域格差の間で制度をつくってきました。戦時統制、加入待ち、災害、監視、サイバー攻撃、偽情報も通信史から切り離せません。
スマートフォンは、電話機にカメラとコンピューターを加えただけの道具ではありません。電信の短文、電話の会話、ラジオの音声、テレビの映像、衛星の広域性、インターネットの双方向性を一台へ集めた、通信史の縮図です。
距離を縮める技術が進んだ今、次に問われるのは、誰もが使え、災害に耐え、プライバシーを守り、信頼できる情報へたどり着ける通信をどう維持するかです。
参考文献・参考サイト
- NTTグループ「NTTグループの歩み」
- NTT西日本「電信電話のあゆみ」
- NTT東日本「電話サービスが開始されてからの歴史・その技術」
- NTT技術史料館
- NHK放送博物館
- 日本民間放送連盟「民間放送を知ろう!」
- 日本民間放送連盟「民放ラジオ開局一覧」
- 日本民間放送連盟「民放テレビ開局一覧」
- 総務省「情報通信白書」
- 情報通信研究機構(NICT)展示室
- JPNIC「インターネット歴史年表」
- JPNIC「JUNETとは」
- KDDI「今昔、海底ケーブル物語」
- NTT東日本「災害時の通話制御」
- NTT東日本「固定電話IP網移行 工事完了」
- NTTドコモ「FOMAおよびiモードサービス終了のご案内」
- ソフトバンク「3Gサービス終了のご案内」
- KDDI「CDMA 1X WINサービス終了のお知らせ」
- 国立科学博物館 産業技術史資料情報センター「技術の系統化調査報告」

