関東大震災後、東京はなぜ学校の隣に52の公園をつくったのか|復興小学校と復興小公園

関東大震災後に再建された中央区立泰明小学校

1923年9月1日の関東大震災で、東京市の公立小学校196校のうち117校が焼失しました。東京市は失われた学校を鉄筋コンクリート造の校舎へ建て替え、さらに52校では隣に小公園を整備しました。

学校は教育の場、公園は遊び場という分け方を超え、平時は授業・運動・地域交流に使い、火災や地震の際には避難と防火の空間にする計画です。震災後の東京では、学校と公園を一組の地域施設としてつくる都市計画が実行されました。

100年以上たった現在も49の復興小公園が残り、東京都は再び防災・地域交流の拠点として再生を進めています。1920年代の復興計画は、現在の東京の街区にそのまま残っています。

東京市196校のうち117校が焼失した

関東大震災では、地震そのものに加えて大規模な火災が東京を襲いました。当時の小学校校舎の多くは木造で、東京市の公立小学校196校のうち117校が焼失しました。

東京市は1924年度から1930年度までの7か年事業として、焼失した117校の再建を進めます。これらが「復興小学校」です。

新校舎は鉄筋コンクリート造を中心とする不燃建築となり、多くは3階建てでした。暖房、電気、ガス、給水、衛生設備を備え、運動場には舗装、運動器具、砂場なども整えられました。木造校舎が一般的だった時代に、学校の安全性と教育環境を同時に更新する事業でした。

復興小学校は「焼けにくい地域施設」になった

復興小学校の建築には、震災の経験が直接反映されました。鉄筋コンクリート造によって耐火性を高め、災害時に地域住民が集まれる堅牢な建物を目指しました。

建築行政を率いたのが、耐震構造研究で知られる佐野利器さの としかたです。佐野は帝都復興院建築局長、東京市建築局長として復興建築に関わり、学校の不燃化を進めました。

校舎の実務では東京市技師の古茂田甲午郎こもた こうごろうらが学校建築を研究し、敷地条件に合わせて設計しました。共通する安全基準を持ちながら、校舎配置や外観には幅があり、L字型やコの字型など複数の形式が採られています。

新しい学校は教育方法そのものにも対応した

復興小学校には、当時広がっていた新しい教育思想も反映されました。教師の講義だけで進める授業から、観察、実験、作業、表現を重視する教育へ移る中で、理科、手工、図画、唱歌などの特別教室が整えられました。

屋上や校庭には教材園を設ける例もあり、建物そのものが新しい教育活動に対応するよう計画されました。屋内体操場は学校行事だけでなく、地域住民の集会や社会教育にも使うことが想定されました。

震災復興は、校舎を頑丈にする工事と、教育環境を近代化する事業が重なって進んだのです。

117校のうち52校では、隣に小公園をつくった

復興小学校117校のうち、焼失区域にある52校では隣接して52の小公園が整備されました。これが「復興小公園」です。

標準面積は約3,000平方メートル。広場、植栽、ブランコ、滑り台、砂場、休憩所、ベンチ、照明、水栓、トイレなどが配置されました。公園ごとに学校敷地や周囲の道路、児童数に合わせて形は異なります。

東京市が学校の隣に公園を置いた理由は、教育、日常生活、防災の三つを一つの空間で支えるためでした。

公園は校庭の延長であり、地域の避難場所でもあった

関東大震災では、公園、広場、緑地が延焼の「焼け止まり」として機能した例がありました。その経験から、密集市街地の中に空地を分散して置くことが防災上重視されます。

復興小公園は、平日の昼間には児童の運動や遊び、教材園として学校が使い、放課後や休日には地域の子どもと住民が利用しました。災害時には、学校の不燃校舎と公園の空地を一体で避難・防火に使う考え方です。

公園行政を担った井下清いのした きよしは、学校と地域が時間帯によって公園を共有する運営を構想しました。昼は学校、放課後は児童、朝夕は地域住民という多目的利用です。

学校と公園の配置は敷地条件によって変わった

学校と公園を隣り合わせに置くのが基本方針でしたが、都心では地価、道路、区画整理、既存宅地などの制約がありました。

都市計画研究では、52か所のうち34か所が学校と公園を一体的に配置したタイプと整理されています。コの字型校舎の開いた側に校庭と公園を続ける例や、学校から直接公園へ出られる連絡口を設ける例がありました。

道路を挟んで公園を置く場合も、学校側から入りやすい動線をつくるなど、両施設を連続して利用する工夫が見られます。

遊具、植栽、噴水にも防災の考え方が入った

復興小公園は、中央部を運動や遊びに使える広場とし、周囲へ樹木や休憩施設を置く構成が多く採られました。火災に強い常緑広葉樹を使うことも意識されています。

壁泉や噴水は景観をつくる設備であると同時に、非常時の水利用も考えられていました。普段使う遊び場に、防火と避難の機能を重ねた設計です。

大規模な都市公園として整備された隅田公園、浜町公園、錦糸公園の「三大復興公園」と、各地域の小学校に結び付いた52の復興小公園は役割が異なります。帝都復興では、大きな公園と身近な小公園を組み合わせて都市の空地を増やしました。

元町小学校と元町公園には一体計画の姿が残る

学校と公園の関係を現在の街で理解しやすい場所が、文京区の旧元町小学校と元町公園です。元町公園は1930年に開園し、旧元町小学校と一体的に整備されました。

高低差を利用した階段、擁壁、テラス、植栽などが残り、昭和初期の公園設計を伝えています。旧元町小学校は1998年に閉校しましたが、学校と公園が隣り合う配置から、震災復興期の都市計画を読み取れます。

復興小公園として整備された文京区立元町公園
文京区立元町公園。旧元町小学校と一体的に整備された復興小公園の代表例。撮影:Syced/CC0 1.0/Wikimedia Commons

泰明小学校など、現在も使われる復興校舎がある

中央区には復興小学校の建築が比較的多く残り、泰明小学校などでは現在も学校として使われています。復興校舎の一部は、統廃合後に文化・教育施設へ転用された例もあります。

復興小学校は同じ時期に多数建てられましたが、100年の間に改築、統合、解体が進み、現存状況は変化しています。歴史的価値の保存と、現代の耐震・教育環境への対応をどう両立するかが現在の課題になっています。

復興小学校の基準は、その後の学校建築へ広がった

東京市は117の被災校を再建した後、震災で焼け残った木造小学校にも近代的な設備を広げるため、「改築小学校」の建設を進めました。

復興小学校で採用された鉄筋コンクリート造、特別教室、衛生設備などが、被災校だけの仕様から東京市の学校建築の標準へ広がっていきます。災害復旧によって導入された新しい基準が、平時の都市施設を引き上げました。

復興小公園は現在も49か所残っている

1920年代に整備された52の復興小公園のうち、現在も49か所が残っています。学校が統廃合された地域でも、公園だけは地域の公共空間として受け継がれた例があります。

東京都は関東大震災100年を契機に、復興小公園の再生を「TOKYO強靱化プロジェクト」に位置付けました。防災機能、歴史の継承、地域交流、子どもの遊びと学びを軸に、各区の再整備を支援しています。

1923年の火災から生まれた小公園が、100年後にも防災拠点として更新されています。

帝都復興全体では道路・橋・公園も一緒に作り直した

復興小学校と復興小公園は、帝都復興事業の一部です。東京では道路の拡幅、区画整理、隅田川の復興橋梁、大公園の整備などが同時に進みました。

震災の被害と帝都復興の全体像、横網町公園や東京都復興記念館に残る記録は、「東京都復興記念館と横網町公園とは?」で詳しく紹介しています。

復興小学校と小公園の特徴は、巨大な公共事業を身近な一街区まで落とし込んだ点にあります。子どもが毎日使う学校と公園が、東京の不燃化、防災、教育、地域生活を同時に支える施設になりました。

復興小学校・復興小公園の重要年表

出来事
1923年9月1日関東大震災。東京市の公立小学校196校のうち117校が焼失
1924年度東京市が復興小学校の再建事業を本格化
1920年代後半焼失区域の52校に隣接して復興小公園を整備
1930年元町公園など復興小公園の整備が進む
1930年度117校の復興小学校再建事業がほぼ完了
戦後学校の統廃合や校舎改築が進む一方、多くの小公園は地域空間として存続
2022年東京都が復興小公園再生をTOKYO強靱化プロジェクトに位置付け
現在52公園のうち49公園が残り、再整備が進む

よくある質問

復興小学校は何校つくられたのですか?

関東大震災で焼失した東京市の公立小学校117校が、1924年度から1930年度にかけて不燃建築を中心に再建されました。これらを復興小学校と呼びます。

なぜ学校の隣に公園をつくったのですか?

校庭の延長として教育や遊びに使い、地域住民の休養・交流の場所とし、災害時には避難・防火の空間として使うためです。52校で隣接する復興小公園が整備されました。

復興小公園はいまも残っていますか?

52か所のうち49か所が現在も残っています。東京都は関係区による再生を支援し、防災、歴史継承、地域交流、子どもの遊び・学びの機能を更新しています。

三大復興公園とは何が違うのですか?

隅田公園、浜町公園、錦糸公園は都市レベルの大規模な「三大復興公園」です。復興小公園は、地域の日常生活圏で小学校に隣接して整備された52の小規模公園です。

参考文献・参考資料